梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

終戦と敗戦

2014-04-29 18:45:15 | 雑記
終戦後と言う言い方をする、戦争の結果で言えば「敗戦」である、それも「無条件降伏」と言う完膚無き敗戦で有る、しかし日本では「敗戦」と云わず「終戦」と言う
一部の意見は「負けたと言う事を認めたくないからだ」と言う、しかし人々の感情は「戦争が終わった」と言う(ああ、終わった)と言う気持ちが一番正直な気持ではなかったか
「敗戦」でも何でも良い、「戦争が終わった」のだ、今まで現人神だった天皇が一人の人間になった瞬間だったが戦争の幕を引いたのは(ひかされた)その天皇陛下だ
無論開戦も天皇陛下の名前で始まったのだから戦争を終わらせるのも陛下出なければ無かったのだが「玉音放送」は全ての日本人にとって(すべてと言うのは言い過ぎかもしれないが)
大きな衝撃だったと思う、
「無条件降伏」からアメリカによる占領統治、それまの「神国日本」は「鬼畜米英」の占領下に置かれ戦争裁判で一方的に罪状を決定され死刑にされた、ハーグ条約を無視した非戦闘員に対する爆撃や艦砲射撃で殺戮を繰り返してきた米軍に依って裁かれ殺された日本人は相当数に上がる、
確かに日本を戦争に引っ張り込んだ軍人、政治家、政商は万死に値すると言う事もあるがそれは被害者だった一般国民が決める事で占領軍が決めると言うなら野蛮な時代の戦勝軍と変わらない
しかし、敗戦と言う事は結局そう言う事だろう、あの時我々の親たちは身を持ってそれを知った、しかし又日本はそういう方向に向かっているのではないのかと言う感じが否めない、
安陪政権の持つ怖さ、そう言う方向に進んでいるのでは無いかと言う懸念は一つ一つの政策と言うより、多くの世論、国内外の意見をまるで無視したその動きに非常に危険な物を感じる
「私が総理としての責任で」と言うのだが「総理大臣の権利で、自分の思うとおりにやる、人の意見は関係ない」と言う様にしか見えない、
それは正しいとか正しくないとかいう以前の問題で総理大臣が全ての権限を掌握している訳ではない、「私の責任」ではなく「私の考えを理解してほしい」と言うのが筋だし、代議士と言うのは文字道理国民の代弁者出なければならない、1億2千万人の意見の集約は簡単にできるわけではない、だからこそ国会と言う議論の場が有るのだが彼の言動は「総理大臣が決めた事を国会は承認し国民はそれに従うのが当然だ」と云う風に見えるし聞こえる、
与党内部にも少しは異論が有るだろうし野党は当然反旗を掲げているのだがいかにせんまとまりがつかない、「敵の敵は味方」と言う、小異を捨てて大同に付く位の気概は無いのか
敵の結束を崩すのは政略戦争の常とう手段だ、まず打倒と言う事で共同戦線を張る事くらい出来ないのか、確かに前回の国選では「安陪は厭だがだからと言って入れるやつが居ない」と言う事は確かだったが事ここに至ればとりあえず話をまとめてくれれば自民党以外ならだれでもいいと言う気分になりつつある、もっともそれで大転換した民主党の体たらくも未だ記憶に生々しいのだが、
本当に何とかならないのか

慰安婦の話

2014-04-22 17:26:02 | 雑記
従軍慰安婦の河野談話を見直せと言う署名が16000人以上集まったと維新の会が国会に提出したと言う、河野談話の見直し(撤回)を求めると言うものの様だが「河野談話」の中身は「慰安所の設置は日本軍が要請し、直接、間接的に関与した」事を認める内容だった様だ、
この事実は我々世代が考えても「有った」だろうし「軍が関与」した事は想像出来る、つまり「想像出来る」と言う範囲でしかない、河野官房長官はそれを何らかの方法で確認したと言う事だろう、WIkiを見る限り世界的歴史的にどの国も行って来た事は間違いだろうしその延長線に日本軍(日本国政府)も当然のように行っただろう、だからと言って橋下氏のように「だから悪くは無い」と云うものでも無い、
しかしこの署名した人達は何をどう考えて署名したのだろうか、その時代を生きて来た人たちは既に80歳代になっていてかなり少なくなっているだろう、橋下氏をはじめとして「右傾化」した人々はその事実が無かったと思いたいのか、思っているのか、はたまた橋下氏のように「有っても問題ない」と思っているのか、
私が考えるのは「事実はどうだったのか」と言う事が第一でその事実が先人達が犯した罪なら当然謝罪するべきだと思う、同胞としてそんな事はしなかったと思いたいのは重々わかるが「やったはずはないから河野談話は見直すべきだ」と言うのは感情論になる、確かに韓国が世界でロビー活動を行っている事に対しては納得のいかない話として見聞きしている
大戦自体は昭和16年12月から昭和20年8月までわずか3年と9カ月で有り、19年後半には既に敗退に次ぐ敗退で慰安婦を軍が管理するような状況にはない、仮に昭和6年の満州事変からとしても10年~12年である、韓国の海外ロビー活動では「韓国人婦女子を20万人余り」と言っているらしい、述べではない一時期に「20万人」の慰安婦を強制連行したと言うのはやはり少しおかしいのではないだろう、無論人数の問題ではないがこの20万人が複数の国で日本非難の法まで成立させている事は憂慮すべき問題だが今回の様な時代に逆行する様な行為は更に在外韓国人グループに利するのではないだろうか、
ヘイトスピーチにしても今回の署名運動にしても根拠を持たない感情論でしかない、人間を見ないで国の名前で全てその人達の人間性を決めつけると言う事がどう言う事なのか少し冷静に考えれば直ぐ分る筈だ、少し前まで、もしかしたら今でも「東洋人は黄色いサル」だと言われ続けて来た事を考えるべきだろう、黒人の友人が居て彼も常にそう言ういわれなき差別に憤りを持っていた。「やつらは肌の色しか誇れるものが無い情けない奴らさ」と飲みながら話した事もあるが同じ東洋人でなぜ「韓国人」だと言うだけで下に見る、或いは人間性に問題が有ると決めつけるのか、まあ今の韓国と中国はまったくこの逆を国家として扇動している様だがこれは韓国人、中国人が悪いのではなく現政権が自らの政治的な欠陥から国民の目を逸らす為に行っていると言うのが定説になっている、その手法に乗せられる事ほど愚かな事はあるまい
領土問題はデリケートで時間がかかる問題だが「従軍慰安婦問題」と「南京虐殺」は冷静にかつ自信を持って解析すれば事実を確認する事はそれほど難しくはあるまい、従軍慰安婦は有ったのか無かったのか?慰安婦と言う国が関与しない(間接意的には許認可で関与は有ったとしても)娼婦との違い、軍力を持って強制的に一般婦女子を連行したと言う事実は有ったのか?
占領下の東南アジアでオーストラリア人の捕虜女性を強制的に行わせたと言う事は事実だった様だがこれは既に軍事裁判に掛かり有罪となっている、これと同じ条件ではなく前線では無い日本国内で軍力を持って連行したと言う事実があったのか、韓国人であると言う選択をもって行われたのか、軍需工場に女子挺身隊として召集されたのは日本人も同じである、沖縄のひめゆり部隊は最前線だったが国内の女子挺身隊、学徒出陣など日本軍は「韓国人」を選択して召集したわけではない、彼らの言では「そこから韓国人だけ連れ出されて」と言う話、欧米に出したアニメーションでは突然踏みこんで来て連行すると言うフィルムになっていたらしいが確かに当時韓国は日本の属国扱いだったのだから韓国内地ではさもありなんというフィルムに仕上がっているのだろう、しかし日本軍が韓国に多くの兵隊を置いて支配していた時間はそれほど長くはない、「有った」と言われればそうかもしれない、しかし「無かった」と言う
無かった事を証明する事は実際上不可能である、だから裁判で言う「不在証明」は「同時期に他の場所に居た事」が有り倍と言われているのだ、「無かったと言う証明が出来ないから有った」と言うのは理論上成り立たない、有った事実を証明する事が本当の証明になる、日本政府或いは団体が「無かった」と言うなら「有った」と言う韓国人と共に日本国内で「有った事実」を掘り起こし、「そんな事実は出てこない」と言う事に協力するべきで花だろうか

コメント有難うございます、

2014-04-16 08:46:01 | 雑記
「九条にノーベル平和賞を」の文にコメントを頂きました、若干私の意図した事とは違う方向のコメントを頂きましたので言い訳させていただきます、ノーベル平和賞の受賞者に疑問符が付く方が多い事には私も同感です、しかし「ノーベル賞」と言う響きは結構一般受けしそうです、この件は政治に無関心な方々にも話題性が有るのではないだろうか、それによって「9条改定」や解釈の変更によって今の「右傾化」と見られる現政権に一定の圧力がかけられるのではないだろうか、と言うのが東京新聞の趣旨で、その趣旨に賛同したのだがまったく他のメディアでは扱われていない、実はタブレットに配信されているニュースのヘッドラインに「TBSデジタル」でサムネイルが出ていたのでクリックしたら本文が無い、何度か再アクセスしたが半日ほどでヘッドラインすら消えてしまった、
これは名無しさんの言うとおり「取り上げる価値もない記事」だから出さなかったと言うより「なぜ消去されてしまったのだ」と言う意図的な物を感じたと言う処から「メディアは一体国民の耳目なのか、政府の広報なのか」といった趣旨で書きました、
無論「メディアが信用できない」と言うのなら「国民の大半は9条を順守を望む」も「70%近くは原発再開に異論」も信用するのかと言う事も言える、しかしとりあえず私の廻りでは「海外派兵」(集団的自衛)にも「原発再開」も賛成できないと言う人の方が明らかに多い、現実を知らない感情論だと言う意見もあるが、その「現実」が本当の現実かはやはりマスメディアからしか判断が出来ない、もっとも「原発被害」に関してはこの間福島の避難住宅と非難町役場に行って来たので「大局的」な意見はともかくあれはまさしく「現実」だった、
このあたりの事は確かにマスメディアでも度々取り上げられているがそれと「原発再稼働」がまったくリンクしていないという印象だ、
ノーベル平和賞の権威がどうあれ今の日本国民が政治に関して不満があっても殆ど行動しない状況が結果的に「消去法による大勝」政権の暴走に寄与しているとすれば取り合えず「向ううけ」する祭りでもやった方がいいのだが取り上げられないのは政府の圧力か、それともそうする事で今後の取材が難しいと判断したのか、はたまた名無しさんの言うように「そんな物は取り上げる価値もない」と言う事なのか、
、だが下々としてはこんな記事ほど教えてほしいものだと思うのでだが
とりとめが無くなって来た、要は今のマスメディアは政府の御用新聞だけでは開戦前から敗戦まで「大本営発表」記事と変わらないじゃないのかと思っていると言言いたかったのです

小さな花を飾った

2014-04-15 11:02:59 | 雑記
小さな花を飾った

日曜の帰り、女房が小さな花束を買った、色とりどりの切り花から白い小さな花をミルクピッチャーに入れてボードの上に置いた、カスミソウに似ているがどうも違うようだ、
この人形は随分前に家を買った時女房の友人がお祝いに贈ってくれたオルゴール人形である、貰った時には玄関に置いていたのだが娘も息子も「夜見ると怖い」と言うので夫婦の寝室に置いていた、その家も既に手放してしまい夫婦で狭いマンションに引っ越し、2年程住んで運良く区営住宅に当選し引っ越して3年めとなった、
区営なので安い家賃で住めるのは大変ありがたいのだがその分やはり住環境は落ちる、しかしこの人形はずっと持ってきた、未練たらしいと言われればそれまでだが別に当時を懐かしんで置いて居る訳ではない、ちょっとした部屋飾りである、幾ら苦しくてもせめて心安らぐ物がほしいと言うほど思い込んで置いている訳ではない、借金が終えれば年金と多少の稼ぎが有れば此処にいる限り何とかなりそうだ、ほっとする空間にして置きたいと言うだけの事。
ミステリーと言うテレビ番組を女房が大好きで地デジとBSを探しまくって録画し私が帰宅すると晩酌をしながら見るのが日課となっている、先日関根恵子の犯人役(違ったかな)で彼女の役が幼児期に非常に貧しい生い立ちを送り(貧乏はいやだ!)と言う構成の番組を見た、この手の脚本はこういう演出が多い、しかし一般的にこんな風に考えるのかな?と言うのが私の感想だ、
自慢じゃないが貧しい生い立ちと言うなら人後に落ちない自信はある、もっともあの頃は誰しも貧しかった、が中でも特筆に値するほど貧しかった、子供の頃の貧乏は貧乏そのものより廻りの連中との格差が辛いのである、特に喰い物は効いた、私が物心ついた頃は未だ敗戦から10年も経たない時期だから物資も世の中も未だ未だ貧しかった、しかし私の村は小さくとも農村だ、喰い物に逼迫する家は無い、米と野菜はそれこそ「売るほど有る」のであるが我が家は父親が軍需工場の技術者だったので村で言う財産、つまり田畑はまったくもっていない、雑木林を買ってそこに窯を作り炭を焼くと母親が隣の家で借りたリヤカーを曳いて15kmはなれた市内まで売りに行く、それが無くなると父親は樵の日雇いに、母親は和裁で生計を立てていた、
米は配給米だが農村で配給を受けている家など我が家だけである、配給切符を持ってやはりリヤカーを借りて7~8km離れた農協に買いに行く、それでも米は高く外米や押し麦を混ぜ、それも無くなればサツマイモを混ぜ増量して飢えをしのぐ、当時の小学校は私が3年生になるまで未だ弁当持参だった、半分位はご飯を持って行けるがそのうち蒸したサツマイモだけになる、やがてそれも無くなると昼休みは校庭に出て時間をつぶす事も度々あった、しかし両親とも私が先生から食事を貰う事を厳しく禁じていた、確かに今考えるとたまらなく惨めになるだろう、
そしてその言い訳か父親も母親も「人間の価値は金ではない、貧しくても誇りを失くすな、金を優先するな」と言い続けた、私はそれがすっかり身についてしまったらしくあまり貧乏は苦にならなかった、そのせいか「絶対に金持ちになってやる、貧乏や厭だ」と言う気持ちはかなりいい歳になるまで無かった、技術、知識をつければおのずと豊かになる、技術知識はその手段ではなく目的で、その結果生活が豊かになるのが筋だと本当に思っていた、いや今でも借金がなければそれほど上は望まないが、女房子供が出来るとそうはいかない、やはり女房には貧しい思いはさせたくないし、子供や孫にもあまり惨めな(一般的なであるが)生活を見せたくもない、しかし、なかなか思うに任せないな、せめて夫婦の葬式位は子供達に負担の残る様な最後はしたくない、この話を数年前に会社に見習いで来た20代の女の子に話した事があるが彼女は「今の親はみんなそう言うけどそれは良くない、子供が親の面倒をみるのは当たり前でずっとそうなっていたのがいつの間にか日本ではそれが無くなってしまった、それは子供の責任と言うより親の責任です」と言われた事が有ったが(なるほど確かにその通りかもしれないな)とおもうと同時に嬉しかったが、やはりせめてその位は残しておかないとな

憲法九条にノーベル平和賞を

2014-04-12 12:09:39 | 雑記
東京新聞の朝刊に「憲法九条がノーベル平和賞の対象としてノミネートされた」と言う記事が出ていた、有る女性が思いついてブログに乗せたところ多くの同調する人たちが出て署名を集めてノーベル委員会に何度も送って今年の候補に正式にノミネートされたと言う連絡が来たと言う、
素晴らしい発想でありその行動力に感服すると同時に安倍政権の「集団的自衛権」「憲法九条の見直し」の暴走を止めるのには正しく時を得、最大の効果を発揮できるだろう
この状況で集団的自衛権と武器輸出三原則を足がかりに「改憲」に突き進む安倍政府にとって国際世論の圧力は何にもまして効果があるだろう、
せっかくノーベル平和賞の候補に挙がってもそれを「改定」すれば当然対象自体が消滅する、彼の言う「私の責任で」はどうにもならないだろう、個人の話ではない「日本国家と日本国民」が世界的に権威ある名誉を一介の政治家(いや政治屋)の責任でどうのこうのと言う事など出来る訳もない
内心で大いに快哉を上げていたのだがなんと読売新聞には全くこの記事が出ていない、まさかと思って再度詳細に見たが見当たらない、どっかに書かれていたとしても意識して探しても解らない、もしやと朝日新聞も買い入れて探してみたが此方にも一行も見当たらない、成程、これが大手新聞の正体か、この記事は明らかに現在安倍総理が強引に進めている政策の強烈な抵抗になる、しかし未だ世の中には知らしめられていない、
恐らくこれが巷間に広がれば無視はできなくなる、その為には何としても出したくない記事だろう、まさか新聞社が一々お伺いを立てている事もあるまい、だとすれば政府の不利になりそうな記事は書かないに限ると判断したのだろう、それとも既に特定秘密保護法は発布されていて検閲でも受けているのか、しかしそれにしてもこれが国家国民に重大な不利益を及ぼすとは思えない、
それとも東京新聞の記事は「10日遅れのエイプリルフール」とでも言うのか、そんなことは有るまい、これが今の大手新聞の正体だと言う事だ、新聞は国民の為に真実を報道するのではなく、政府の都合のよい記事のみを書く只の政府広報と言う事だ、
大本営発表以外は記事に出来ない、或いはしないなら開戦前夜か敗戦に突っ走っていた戦時中と変わらない、今世界のメディアは既に上からネットに移行している、どうあがいてもこんな事をしていれば加速度的に紙メディアは衰退する事は目に見えているだろう
私はこの記事をより多くの人達に知って貰い国民の声として日本のみならず世界の人達にも賛同してもらいたいと願う