梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画の話、寅さんと浜ちゃんとターザン

2013-10-31 09:17:39 | 雑記
新聞に街歩きで柴又が出ていた、お決まりの「寅さんが出てきそうな」と言うフレーズだ、
あの街は20年位前はちょくちょく訪れた、
帝釈天の木彫りが面白く何度か写真も写して来た、参道のお土産やで売っている佃煮といかの塩辛を買って来て摘みにする、特に以下の塩辛は柚子胡椒を乗せていただくと本当に酒に合う、
お決まりの草団子も買って来て未だ元気だったおふくろさんのお土産にしていたが駅に寅さんの像が出来た頃から行かなくなった、無論其れが理由と言う訳ではないが「柴又」が「寅さんの町」にどんどん変って行ったのが何となく馴染めなくなった、
渥美清はあの作品から「ふうてんの寅」になってしまって「役者渥美清」はどんどん薄くなってしまった、その前は何作か主演していたと思うが殆ど知らない、たしかアフリカを舞台にした「ブアナ・トシの歌」と言う作品があったと思うがそれ以外は思い出せない、
その事は渥美清自身はどう思っていたのだろうか、その昔ターザン俳優があまりに有名になりすぎて他の役が出来なくなった事に絶望し自殺したと言う事件が有った、
はまり役と言うのも良い事ばかりではないと言う事だが観客の要望が有るなら致し方ないのかもしれない、渥美清は結局「ふうてんの寅」のまま世を去った訳だ、
すこし違うかも知れないが似た幹事の役者に西田敏行と言う人が居る、「釣り馬鹿日記」のはまちゃんでシリーズになっているしどちらかと言えばあのキャラクターが多いのだが古い映画の「おろしゃ国酔夢譚」と言う映画を借りてきてみた事がある、
原作を読んで面白かったのだがどだい原作が気に入った映画を見ると大抵裏切られた思いが強いので余り見ない事にしている、文字から勝手に自分なりの登場人物を描いているので裏切られると言う事とは若干違うのだが自分なりの世界が全く変わってしまう事がいやで見ない様にしているのだが主役の大黒家をやっていた緒方拳が好きだったので借りてきたのだが此れに西田敏行が出ていた、それまでこの役者に持っていた印象と全く違う演技をしていて(ああ、こんな芝居が出来るんだな)と認識を新たにした作品だった、
「ふうてんの寅」も「釣り馬鹿日記」も作る方は売れるから作り続けるのだが役者にとって本当に自分の為になっているのかジレンマはあるのではないだろうか?少なくともそのジレンマは感じて欲しい物だ、
もっとも西田敏行は「相棒劇場版」であの「はまちゃん」とは違うキャラクタを演じ切っていたのでほっとした物だったが映画と違いテレビと言う奴は金を払ってみる訳ではないから不特定多数が数多く見ると言う方向になる為だろう、全く新しい冒険をしない
東京テレビはそのあたりは結構冒険をするのだが其れが当たると他の局は全く恥も外聞も無く同じ物を並べ立ててゆく、此れでは衰退するのは当然だろうな、
今洋画が余り観られなくなったと言う記事も散見したがアメリカ映画も此れに近い、童話の焼き直しか只々大掛かりの破戒場面、後は少し前にヒットした映画のリメイク版だ、
しかし、観客はそちらに金を払う、映画黄金期のフランス映画、イタリア映画、そして日本映画、アメリカも未だ脚本ありきの映画が有ったが今では見る影も無い、


約束が守れるといいのだが

2013-10-20 15:21:46 | 雑記
もし子供達が聞いたら怒るかも知れないが、自分の中では「俺が死んでも子供達は泣かないんじゃないか」と言う気持ちが何処かにある、こんな事を具体的に考えることがおかしいが自分は子供の頃から実に多くの人達を見送って来た、母親、父親、兄2人、義理の兄も2人、友人も数人になる、義理の母、そして女房の兄と姉、其れこそ数え切れない位の死に立ち会って来た、目の前で息を引き取った事も何度もある、
その為か人の死に関して妙に冷淡な所がある、恐らく涙を流したのは数えるほどしかない、いや無かったかも知れない、
そのせいか自分が死んでも子供達や友人が、或いは自分の兄弟が(といっても末っ子だから順序から言えば最後だろうが)自分の葬式で泣くと言う事がどうも想像出来ない、
孫も3人居るが冷たいと言う意味ではなく(特別泣く事は無いんじゃないかな)と漠然と想っている。
断っておくが泣いて貰いたいと言う事ではない、むしろその方が言いと思うのだが恐らく女房は相当泣くんじゃないかと思う、惚れた腫れたの話ではなく女房はは今迄ひとりで生活した事は無いと言う、子供達が独立して夫婦2人になったが自分が仕事で泊まる事になると孫か友人をよんで泊まってもらわなければ夜を越せないと言う、
36歳まで全く1人で生きて来た自分とは正反対である、それでも30年も一緒に暮らしているから女房が居なくなったら自分も相当悲しく辛い生活になるだろうとは充分思うのだが自分が泣くより、女房が泣くのは見たくない、と言っても自分が死んだ後の事だがどう言う状況になるかは充分に想像が付く、此れは子供達も恐れているらしく「お父さんは絶対に先に死んだら駄目だ」と言われている、無論女房には「誓約書を書いて」と言う位何時も言われている、
此れだけは神のみぞ知る事だが「大丈夫、絶対に先には逝かないから」と返事をしているのだが、本心、女房の落胆を考えると絶対に先に逝くわけには行かないと思う、
未だ先の話だとは言っても何時起こるか解らない事だ、病気で寝込むのも迷惑だがどうやらぽっくり言ってもかなり迷惑になりそうな気配だ、
我が家は両親が早かったので短命かと考えて居たのだが6人の内未だ4人が残っていて末っ子の自分が既に65歳だからそうでもない様だ、
女房の母親は88歳で亡くなったので長命かと想ったのだが兄と姉が其々61歳と70歳で他界したから若しかしたらそうでもないのかも知れない、まあ女房は体質的に高血圧症で定期的に病院に行っているので今の所は問題になる様な病気も無い、
自分も通風と神経痛で20年近く付き合いのある病院があるが此処半年位顔を出していない、女房子供との約束もある、そろそろ顔を出しておかなければな

家族の思い、親子の思い

2013-10-18 09:55:05 | 雑記
早く目が覚めたときの習慣でSNSを見ていたら「20年ぶりに母親に会ったが」と言う今風の書き方のログが有った、未だ子供の頃統合失調症の母親との生活が難しくなって離婚したと言う、相変わらず若者文章で軽い言葉だが真面目な質問が並び、本人もふざける事も無く淡々と結構深い話題が続く、
本人は父親と九州の方に引越したが卒業と併せて東京に出て来たらしい、「親父は海外に言っていて電話はあまりしないがメールのやり取りはあるな」と言うコメントに新しいコメンターが「親父は糞だな」と入ったが彼は怒った様子でもなく「内情もわからず人の親をクソ呼ばわりは止めてくれ」とコメントを出したら直ぐに「すまん!」と返ってきた、此れがSNSの効用でもあるのかなと感心したのだがその中で「俺はどうも親と言う物が良く解らない、母親に20年経ってあっても戸惑っている」と言うコメントが何度か現われた、
実は私も母親が11歳で、父親は17歳で他界した、15歳で東京に就職していたので結局親母親と暮らしたのは11年、父親ですら15年だ、
彼の言う「実は家族と言う物が良く解らないんだ」と言う感覚は何となく解る、彼は生き別れで私は死に分れだから親に対する感情には微妙な違いが有る事は想像できるが「家族と言う物が何となく一般の家庭とは違う」と言う感覚はずっとあった、
無論母親が他界するまでは母親の愛情の元で暮らしていた事は間違いないし優しい母親だったと思う、しかし他界する2年前から入退院を繰り返していたので結局此方が有る程度の判断力が出来る頃には居なかった、母が他界してからは父と二人の生活で炊事選択等の家事は分担作業になり中学を降りると直ぐに就職したのでいわゆる「親の庇護の元、愛情の元」に生活したと言う記憶は非常に少ない、
今では死語になったが「他人の飯を喰う」と言う事が15歳から始まって其処で暮らすには「可愛がって貰うには可愛がられる生活をしなければならない」と言う事が当たり前の生活だった、最初の仕事は名古屋での住み込みだったので家族である同年輩と同じ食卓に着き近くのアパートに他の住み込み社員と共同生活をする事になると「可愛がられる為の生き方」は当然家族とは違うと言う事に気付かされてしまう、
それからずっとそう言う生き方をしていると其れが当たり前で「何をやっても許される(何をやってもは言いすぎだが)」と言う家族、親子と言う感覚が理解できなくなる、
36歳の時今の女房と結婚した、男女各一名の子供の親になったのだが結婚するまで5年以上有ったので息子が六歳で娘が三歳から知って居たのだがいざ親になってみて親子の感情が良く分らない、無論愛情が無いと言うのではなく自分が子供として親に甘えた経験がないのでどう接して良いのか分らないのだ、幸い2人とも素直に育ってくれたが叱る事の難しさは多分実の親子より難しいのではないかとずっと思っていた、
そして今でも「俺は本当にあの子達の父親になれたのか」と言う気持ちは引き摺っている、
既に3人の孫も居て3人とも「爺」と言って懐いている、無論未だ娘や息子との関係は知らないし知る必要も無いのだが、娘、息子達は本当の所どう思っているのか、無論女房に言える話でもなし、ましては他人に話せる話でもない、
そう言う意味ではこの「独り言」を文字にして表して見られるというのは言わば自分を客観的に眺めるのにはいいのかもしれないな、
酒を飲みながら闇に向ってこんな事を呟くのもぞっとしないからな

送電部門を借金の形に国有化する位は当たり前だ!

2013-10-17 09:59:02 | 雑記
台風26号の雨水で又汚染水が海に放流された、福島事故の後始末は全く進んでいない、
当然見通しすら立たない、国債を発行して注ぎ込む国費は金利だけでも何百億になると言う、通常の会社ならとっくに破産している、破産した後に国家賠償をするなら万止む無しと言う所だがどう言う理由か解らないが東京電力は相変わらず悠々と生き残っている、
今回の災害は「原発が有った」から起きた事故である、「想定外の事故」だと言うのを不可抗力だと言うなら「想定」は誰がどう言う基準で作ったのか、今度基準にする「想定」はそれ以上は絶対にないと言う論拠はあるのか、そもそも「想定外」が起きたならそれで充分過失だ、原発が無い被災地ではもっと津波の被害が大きかった地域ですら復興に向けて前進をしている、まだまだ端緒に付いただけだと言っても少なくとも端緒に付いた
しかし福島の汚染区域は全く先が見えない、此れが予想されていたかどうかも問題だがそれ以上に今後同じ事が起きれば今以上の少なくとも今と同じ様は状況は想定できる、
そして「今の状況」が解消する見込みは全く立っていない、それでも「原発は再開する」と言うのか明確な答えを聞かなければならない、この問いに「経済が停滞する」とか「電気料金を上げなければ」と言うのは答えに成っていないのは明らかだ、
「事故を起こしたら止まらないのでは危険だ」と言う問いに「大勢乗れて運賃が安いから」と言う答えでは噛合っていない。
国家百年の計で国策的に電力供給システムを作ったが何時の間にかそれは私的企業となり利益のみを追求し国家国民の安全と要求を無視して暴走しているとしか見えない。
電力と送電は電力各社が全て握っている現在の情況は明らかに「独占禁止法」に抵触している、其処で起きた「発送電分離案」だったが電力各社の抵抗に有って実現していない、此れが実現すれば電力の独占は徐々にだが解消に向かう筈だ、今東京電力の賠償を国家が肩代わりするなら東電は一旦国有化するのが本当だろうが先ずはこの「送電線部門」は補償金投入の代償として国営事業化して自由競争原理に基づいた運営をする必要がある、東京電力は「それだと不良部門だけが取り残される」と言うだろうが既にその独占的収益部門を注ぎ込んでも全く足らず国家から多量の税金を投入されている、赤字部門のみを切り離して責任を取るのは当然だし黒字部門を独占的事業として抱え込んで更に国に対してこのままでは補償は出来ないと言うのは悪質な居直りだ、自由で公平なエネルギー対策に必要な送電部門の切り離しは東電だけでなく全電力会社の既得権放棄として必ず行うべきだろう

主権を国民の手に!いったいいつの話だ、

2013-10-08 16:07:39 | 雑記
安倍総理が「秘密保護法」を通そうとしている、やっきになっていると言うより勝ち誇ったように粛々と進めているように見える、
国にとって重要な事は絶対に秘密事項で有り、それらを追求するだけで要注意人物として拘束の対象になりうる、少なくとも危険人物としてリストアップされると言う、国にとって重要であるから国民に知らす必要はない、そもそも「秘密事項」だと言う、
誰が誰の為に「国にとって重要だ」と決めるのか、決めるメンバーもシステムも「秘密」だと言う、そしてその事項に対して質問するだけで「国家に害をなす危険人物」だと言う、
対象はすなわち一般国民だ、では其れを決めて施行するのは一般国民ではないのか?
官僚と政治家と防衛庁(日本軍)は一般国民とは違い日本を統べる組織だと言うのか、
国の主権は国民にあると言うのが民主主義の筈である、国民が国家に統率されると言うのは民主主義ではない、帝国主義若しくは君主国家である、日本には皇室があり、天皇陛下が居る、しかしその椅子に座っているのは官僚と政治家と軍人である、此れに見え隠れするのは財界だがこの秘密保護法では余り見えて来ない気がする、
「主権を国民の手に!」と言うのは大正時代の自由民権運動だが今の安倍政権の方向を見ると太平洋戦争に向っていた時期の軍事政府に似ているのではないだろうか、
「富国強兵」と言うスローガンまで聴こえて来そうだ、富国と言う文字からすれば国が富むと言う事だろう、国が富むと言う事は国民が皆等しく富むと言う事だ、一部の輩が多くの富を抱え大半の国民が飢えてその上に「外国と対等に話し合うにはそれなりの軍事力も必要だ」と言うのは余りに時代錯誤であり「一流先進国」から滑り落ちただけでなく熟成した社会からも脱落しかかっている様な懸念がしてならない。
アメリカの政財界はユダヤ資本が牛耳っていると言う、ユダヤ人は国土を持たない人種でそのアイデンティティは強烈な同胞意識と裏づけとしての経済力である。
そしてアメリカ政府と言うのは広大な国土と強力な軍事力を持つが統一した人種を持たない国家である、この二つは正反対な位置に居るがアイデンティティとしては恐らく同じmのだろう、ユダヤ人がアメリカの支配権を表立って得たとしても其れは彼らのアイデンティティには合致しない、彼らはシナイ半島と言う国土が強烈にある、
しかし実質は雑多な人間で成り立っているアメリカの経済と軍事力は彼らの持つ「産軍共同体」が統べていると言う事は事実のようだ、其処にはたの人種国家には必ずある「愛国心」の基本部分が欠落した奇形の国家であり結果として「自由主義」と言う血も涙も無い競争論理のみの世界が支配しているのだろう、統一した国土と単一民族で数千年の歴史がある我が国民が同じ方向を向くというのは何処か欠陥があると言えるのではないか、