赤い花なら曼珠沙華(まんじゅしゃげ) 阿蘭陀(おらんだ)屋敷に雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る
彼岸花があちこちに咲き誇っている、団地の中庭にも今年は彼岸花が数か所赤い花と白い花を咲かせている
この歌の時代の「曼殊沙華」は毒々しい程の真っ赤な花でその華やかさと花茎を折ると出る白い液に毒が有ると言われていたので白人との混血だったお春の美貌と相まってそんな言われ方をしたのではないかと思う
今の彼岸花は白いのと黄色のもあってそれなりに混在すると趣が違っていい眺めだ、但しこの2色はどうも似ているが違う種の様だ
ずっと昔、まだ自分が未就学児のころ、母親に和裁を習いに来ていた村の娘たちが青年団で村芝居をするからと招待されて真っ暗な山道を母親の背中に負われて見に言った記憶がある
未舗装どころか雨で洗われてむき出しになった岩だらけの道を今行ってみると3km近く有るであろう距離を提灯も持たずに見に行った
川と言うより峡谷と言っていいような急流を土橋で超えるとその川に沿って左に折れた所に神社が有って小さいながらも神楽殿がしつらえてあり、その前に30人程度の村人が蓆を敷いて座っていた、
電灯は有るがこの時代の照明はカーバイトランプである、そう言えばその頃の祭りの屋台はみんなカーバイトランプだった、あのアセチレンガスの臭いが祭りの匂いだった
村芝居の出し物が「じゃがたらお春」だったが内容がそうだったのかは当然覚えていない、覚えているのがこの曲だったのだ
返りの道か、帰ってからか母親がジャタタラお春の悲しい運命の話をきいて、その時にジャガタラ芋の名前の由来とジャカルタと言う国名を覚えた
毎年、ヒガンバナを見る度に「赤い花なら曼殊沙華、オランダ屋敷に雨が降る」と言う歌を思い出す