梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

厭な世の中だねえ

2014-08-29 17:21:35 | 雑記

ヘイトスピーチが国際的に問題になって「日本人は差別的言動を厳しく取り締まらなけらばならない」と言う採択が下された、「殺せ」とまで拡声器でわめき散らしても放置して居る、同じ日本人でも恥ずかしく腹が立つのだから日本人以外から見れば最低な人種だと言われても仕方ない、国連で採択されたら政府はその内容ではなく街頭でのデモンストレーションその物を規制すると言う方向に成った、安倍政府は国民の意向を全く無視して諸々の政策を強引に進めている、特定秘密保護法、辺野古問題、集団的自衛権等々並べきれない政策を絶対与党の数をたのんで強引に推し進める、全て先の選挙には上程されていない法案だ、国会解散を出せるのは議員だけだ、只でさえ数が違う野党も解散総選挙で再選される自身が無いのか全く纏まらない、
国民は此処に来て声を上げ始めた、しかし政府はヘイトスピーチを取り締まる為と言う名目でこの抗議運動に制限を附けるつもりの様だ、明らかに人種差別としか取れない「在特」と言う輩の発言は全く理解出来ない、恐らく説明すら出来ないだろう、在日韓国人・朝鮮人と言う人達の生立ちを知っていてああいう言動になるとすれば論理感が殆ど無くどう言う基準か分からないが「感情論」でしかない、それと国政が我々の考える方向と違うと言うデモンストレーションとは質が違う、与野党のバランスが国の方向を決めるブレーキとしての役に全く機能しないなら何とか国民が声を上げなければならない、それが民主国家と言う事だろう、今の状況はとても国民が主とは言えない、侵略戦争が国家間の問題を解決したと言う歴史は無い、力で一時的に抑えつけても不満は内在する、家庭の揉め事を力で押さえた処で決して良い結果は残らない、此れだけ情報の速度が速くなりそれに従って国家間の経済関係は複雑になっている、イデオロギーの対立と言う構図は結局再度分裂をする、宗教はイデオロギーとは言えないが根本的には精神的な位置は同じだろう
絶対神を奉じるイデオロギーは奉じる絶対神で対立する、この問題は解決はつくまい、我々東洋的な万物神同士では余りこう言う問題は起きない、池上彰氏によるとアメリカ人は「ユダヤ教による絶対的な正義が自分たちにある」と言うのがイデオロギーの根幹らしい、
安倍政権は日本人の政府である、恐らくその根本は絶対神等は信じていまい、何を信じているのか、自らを神と思うが如きふるまいは一体どこから来るのか、
現在は世界は「自由経済主義」である、社会主義は成り立たなかった事は確かで「社会主義」を標榜していてもその実態は封建主義に近い、
しかし「自由経済主義」が民主主義だと言うのは既に当てはまらない、内容は「金主主義」と言うのが一番ふさわしい、金主主義は経済資産をどんどん集中してゆく構造だ、近い将来は「巨大化した象が全く草の無い草原に数匹」と言う形になる


蝉の生涯と人生

2014-08-28 18:49:28 | 雑記

住んでいる住宅には結構大きな欅がある、そのせいか毎年蝉の声が毎日の様に響いている、此処数日階段や廊下に蝉が裏返しになって居る事が多くなった、蝉はひっくり返ると自分では戻れないと言う、試しに傘の先で戻したら大きな鳴き声を上げて飛んで行ってしまった。
蝉の一生は殆どが土の中で最後の1週間足らずを子孫を残す為に土の中から出て伴侶を求めて精一杯鳴いてその生涯を終えると言う。我々が知っている蝉はその最後の一瞬だけだ、一生の最後が一番輝き終結すると言う訳だ、他の生き物に比べると実に潔い生き方かもしれない、
人間の寿命は随分永くなった、信長は「人生僅か50年」と歌ったと言うが此れは「敦盛」だからまあその時代と言うのではない、秀吉はかなり長く生きている、しかしそれでも「齢70古来稀」と言う位だから(此れももっと古いが)今の平均寿命はそれより更に10年は伸びている、
医学の発展で幼児死亡率が下がっている事もあるが確かに人間の寿命は延びた、むろんこれは先進国だけの話で後進国では未だ平均寿命は40歳台だと言う、その死因は解らないが老衰寿命も短いだろうし衛生面から流行病の罹患率も、幼児の死亡率も高い筈だ、
しかし日本人の平均寿命が世界一だと言ってもはたしてそれが幸せかと言えば余りそうはいえそうに思えない、「長生き、生きている」と言うより「死なない」だけの様な気もする、確かに古希を過ぎても十分に働けるだけの体力を維持する人が多くなったがその一方で介護が無ければ生きる事は難しいどころか不可能と言う「長寿」の方々もかなり多い事も確かだろう、
生きて行くのにはそれだけのケアが必要になる、それには多額のコストが掛る、生き永らえるには資産が無ければ無理なのだ、しかし金が無いから見殺しにするという事は法的にも心情的にも出来ない、国は「自助」が原則だと言うが高齢者を補助し続ける事は現役の負担がかなり厳しい、「死なない」年齢が80歳台になったとい事は支える子供の年齢が現役を越える時期になったと言う事だ、女性の平均は86歳になった、20代に生まれた子供は還暦を越える、90歳台に慣れはその年は古希である、
経済格差が広がって且つ人口バランスも極端になりつつある、税金で支える事は難しいから自助をと言われても子供を育て親も見てと言う事自体が難しい層が増えて来た
「奈良山節考」の時代ではあるまいしと言っても同じ様な事は起きるだろう、子供に負担をかけたくないと自殺する者や孤独死も増えて来るだろう
「貧困の連鎖」を止める為に「学費補助・生活援助」をと言う政府の方針だがもっと根本的な問題解決が必要ではないだろうか、一方で飢餓があり一方で大量の食材が捨てられる、国家予算に匹敵する資産を持っている人間が居る一方で子供の学費どころか明日の食費も無いと言う人間も居る、まるで発展途上国の途上前の様な有様ではないか、
いっそ蝉の様に一番輝いた後潔く終わって仕舞いたいが人間は生みっぱなしと言う訳にはいかないからな


クマとアブラ

2014-08-22 17:23:42 | 雑記

毎日暑い、昔からこんなに暑かったんだろうか?とてもクーラー無しでは体が持たない気がするが子供の頃は開けっぱなしの座敷で昼寝をしていた記憶が有る、もっとも汗を流しながら寝ていた気がするので暑さに対する耐性が違うのかもしれないがそれにしてもここ数年の暑さは堪える。
昔は「日射病」と言って「直射日光に当たると罹患する」と言われたのだが今は「熱中症」と言い体温が上がり過ぎると脱水症状になると言われるが当時は運動中に「水を飲むな」と言う様な事も言われていた気がする、それでも今ほど倒れたとか死んだと言う話を聞かなかった、体力なのかやはり気温があがって居るのか
喧しい位の蝉の声を聞きながら汗をかきながらも畳の上にそのまま昼寝をする、結構これが気持ち良かったのだが私の田舎は静岡なので蝉はクマゼミだ、関東の蝉はアブラゼミで鳴き声が違う、「シャンシャンシャン」と切れ間無く鳴き続ける、アブラゼミの「ミーンミン」と言った様な情緒のある声では無い、茶筅で鍋の中を引っ掻きまわす様な声が数百匹で切れ間無く鳴き続ける、日が昇ると鳴き始めて夕日が落ち切るまで続くのだが生まれた時からずっと親しんだ声なので夏を感じるファクターの一つ程度だった、
しかし関東の友人にしてみると耐えられない騒音らしい、焼津の浜当目と言う処に潜りに行った時、朝早く一潜りし、缶ビールを飲んで木陰で睡眠をとろうと思い大きく張り出した椎の古木が丁度良い日除けだったので此処で横になったのだがその木がクマゼミの集合地らしい、その煩い事に友人はとびおきて「喧しい!」と昼寝は出来ずじまいだった。
クマとアブラの境界は箱根だと聞いたが最近になって「箱根越えをした」と言う記事を何処かで見たが我が家のある大田区にも時々クマゼミの声が混ざっている様だ、
気温が高くなったせいなのか、別の原因なのかそれでも最近までは箱根を越えては繁殖しなかったというのは不思議な気もする、箱根の山は障害になるとしても246沿いに廻り込んでも良さそうなものだが、
沼津、三島はクマゼミのテリトリーの様だが西伊豆はどちらなんだろう?箱根から天城峠までは確かに結構標高があるし植生も若干違うが大瀬崎、戸田、堂ヶ島から下田と言うラインを行けばそのまま東伊豆に廻り込みそうなもんだが、まあ虫の話だから何か訳でもあるんだろう、
事務所は大森の海側にある、いすずの本社があって其処と公園に桜と大きな楠が有るが此処にはアブラゼミがかなりいる、午前中はかなり鳴いていたが17時現在は聞こえない、暑さが堪えたのかもしれないな、ちなみに此処では殆どクマゼミは聞かない


墓の話

2014-08-21 17:42:37 | 雑記

娘家族と食事をした、先日女房の菩提寺に夫婦で墓参してくれたと言う、
私は末っ子なので墓は無い、田舎に会った墓(正確に言うと墓ではなく骨だけだが)は姫路に居る長男が持って行ったので実際問題として墓が無いのだ、行った事も無いし今では娘の代になっているので無いと同じだ、

女房の家も長男が数年前に他界して今墓守は義理の姉がしている、しかし義母が入って居るので毎年墓参りはしている、寺は上野毛に有って義母の葬式を出した頃寺に共同墓地の様な物が出来た、その時は生きていた義兄が「買っておけよ」と言ったのだが未だ余り切実に考えて居なかったので生返事をしていたら売り切れてしまった、

60を越える頃から時々墓の話がでるのだが実は私としてはあまり墓を欲しいと思った事は無い、死んでしまえば自分が暑いも寒いも無いし、覚えている人には使っていた茶碗一個でも十分モニュメントになるだろうし、逆に自分を覚えている人達が居なくなれば墓など只の石である、

自然葬と言う奴があるので此れが良いかなと思っているんだが残された方はそうもいかないのかもしれない、若い頃は海に潜るのが好きだったので散骨が良いと思っているのだが娘に言わせると「安っぽい映画のシーンじゃあるまいし、海に花を流して手を合わせるなんて恥ずかしくって出来るわけないでしょ」と言う事らしい

「お父さんがそれがいいならそれでしょうがないけどお母さんはどうなのよ」と言うと女房は「約束で私は先に逝く事になっているのでお父さん次第」と言う、
「じゃあ骨壺にいれて押し入れにでも祭っておくからおれが死んだらよろしく頼むよ」というと「本当に迷惑な親よね、」と言っていたが確かにこれは迷惑だろうな、墓と言う物は入る人間より残った人間の為に作る物だと納得した、やはり元気なうちに何とかしなければならないか、

樹木葬と言うのが有るが息子も入らなければとなればそうもいかないか、今度会ったら聞いてみるか


8月15日

2014-08-15 16:41:40 | 雑記

終戦の日である、何の為に「終戦記念日」を制定したのか、膨大な犠牲者を出した戦争と言う愚かな過去を戒め、手に入れた平和の有難さを再認識する為に置かれたのではないのか、靖国神社は言わば戦没者慰霊碑だとしたら「軍神」などと言う言い方は相応しくないだろう、
戦争を起こした者は誰だ、そして戦ったのは、いや戦わされたのは誰だ、戦争をしたかった人間達は戦いには行かなかった、戦争などしたくなかった人達は否応なく銃を持たされて殺しに行き死んでいった、しかし彼等は決して「軍神」等とは言われなかった、
「天皇の為」「御国の為」にと洗脳され、死を持って誇りとすると教育されてもだれもそんな事は考えていなかった、恐らく小学生位が戦争ごっこで盛り上がっていただけだろう、
「天皇ヒロヒト」と言う本を読んだ限りでは昭和天皇は開戦は最後まで反対だったと言う、
「御国」は国民の物で万世一系の天皇家で有っても「民は寶である」と言っていた筈である、確かに当時日本を取り巻く世界情勢は厳しいものがあり追い詰められた事は有った様だが基本的には海外覇権を国際世論から糾弾されエネルギー事情が逼迫したのは「戦略物資」の枯渇でしかなかった、
当時の記録を見れば一目瞭然だ、韓国を併呑し中国を侵略して満州と言う国をでっちあげて失脚した清朝の皇帝を傀儡として占領した事はどう見ても間違いない、
大東亜共栄圏等と言っても東南アジア諸国の賛同は全く得られていない、ヨーロッパ列強の植民地からの独立戦争に手を貸した結果として日本がその位置に変わって座っただけだ、
反省すべき点は明確にし、謝罪する処は謝罪するべきだろう、もっともポッタム宣言で日本は「無条件降伏」をしているのだからその時点で日本の過ちは指摘されそれを日本は承認している、戦争の保障に関してはそういう意味ではけりが付いているはずだろう、しかし犯した過ちは補償問題とは別だ、二度と同じ事を犯さない為には常に過去の過ちを反芻し戒めなければならないだろう、
平和憲法はその礎だと思う、なぜ今、何の為に過去の反省分を破棄しようとして居るのか、安倍政権は何が欲しいのか?どうしたいのか?国家は天皇の手から国民の手に移った、政府は舵取りを任されているだけだ、国家の行く末は国民が決める事だ、選挙で選ばれた議員、政府でもこの重要なかじ取りの承認はしていない、「解釈の変更」等と言う姑息な手段で何とか出来る話ではない、このままいったら同じ過ちを犯しかねない、
確かに中韓露と日本を見下す様な政情は続いているがそれは国際世論に訴える外交手腕に任せるべきだろう、「交渉事が苦手だから暴力で」と言うのではチンピラが酒場でする喧嘩と同じだ