梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

子供の頃

2012-01-08 10:43:24 | 雑記
珈琲を淹れながらラジオを聴いていたらゲストの女性が小学校の頃の思い出を話していた、宝塚のスターらしいが興味が無いのでどういう人だか解らない、小学校の3年まで群馬に住んでいたが父親の都合で大阪に引っ越したと言う話を聞きながら自分のその頃を思い起こしてみたのだが彼女の様に大きな変化が無かったせいかどうもその頃の思い出と言うのがはっきりと思い出せない、
所謂「記憶が無くなった」のではなくずっと記憶は継続しているのだが妙に具体性が無いのだ、
母親は中学1年の終わり頃、2月に亡くなったのだがその前に乳癌で入院していた、恐らく半年位だったと思うがその頃も含めて時間系列があやふやだ、父親が出稼ぎで山に行って水窪と言う山奥で足を骨折して入院、自宅療養をしていた時期が有るが何年生の頃だったか?思い出の中を整理すると小学校に行っていたのか居ないのか?1年生の時、昭和29年の筈だが農村では珍しい欠食児童だったのでその事は覚えている、母親が村の娘達に和裁を教えて居て冬場になると何人も家に来て居たのだがその写真を見ると未だ全員が和服だったところにボタンが二つだけの学生服を来た自分が写っているが学生服を着ていたのでもう小学校には行っていたのだろう、
此れが私の一番古い写真であるが次は1年生の集合写真、何年生かわからないが遠足の写真、全てモノクロだが写真を見ても一向にその頃の記憶は浮かんで来ない、
無関係に思い出すのは山全部を使ったかくれんぼや冬の田圃でやって居たちゃんばら、凧揚げ、メンコ、等なんだが個々別々に思い出すのだが一緒に居た筈の友人の顔すら思い出さない、
一つずつに懐かし思いは有るのだが全く具体的ではないのだ。
中学校は親父と二人で生活をしていたのでやはり遊んだと言う記憶は少ない、兄妹は兄が3名と姉が2名、自分は末っ子である、一番近い姉まで5歳離れていて中学を降りて直ぐ故郷を離れたので小学校高学年から兄妹と暮らして居ない、そして上京して翌々年に父親が死んで家と共に故郷も無くなった、家族と言う繋がりが大人の感覚で理解できないまま年を経てしまい感情の一部を身につけられずにそろそろ晩年になる、家族と酒を飲んだのは一番下の兄だけでその兄も5年ほど前に他界してしまった、上京した年に生まれた姪も48歳にもなる、悪友達も皆65歳を過ぎて中には70歳になる奴もいる、そろそろ顔を見ておかないと黒枠の葉書が来かねないと縁起でもない事を年賀状を眺めながら考える歳になった、
「正月は冥土の旅の一里塚、目出度くも有れば目出度くもなし」一茶だったか一休だったか、