みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

経験と歴史 つなぐ道探る 昭和の<自分史>を完結 色川大吉さん(歴史学者)

2011-02-06 14:52:53 | ほん/新聞/ニュース
きょうは、愛知県知事選と名古屋市長選挙と名古屋市議会解散の住民投票の、
注目のトリプル投票日。

「注目の」といっても、「河村・大村」チームがだんとつトップを走っている、
というのは、マスコミの事前調査でも、大方の予想。
首長選挙では、有権者は自分の票を死に票にしたくない、という傾向があるので、
それを聞いた人も、アナウンス効果で「河村・大村」組に入れたくなる、という構図で、
出来レースのようで、ちっともおもしろくもない。

知事選や市長選の記事やマニフェストを検索してくる人も多いので、
連れあいのアクセス件数は、うなぎのぼり(ちと羨まし・笑)。
とはいえ、わたしは愛知の選挙の記事は食傷気味です。

そんな時、
昨日の中日新聞夕刊の「土曜訪問」に、
色川大吉さんの中身の濃いインタビュー記事を見つけて、ホッとしました。

心にひびく、色川大吉さんの最新刊『昭和へのレクイエム 自分史最終編』
/「自分史」で昭和見直す(2010-11-02)


   

色川さんの「<自分史>4部作」の本は、ご本人からいただいたので、
ていねいに読み、最終編の『昭和へのレクイエム』をおくっていただいたときに、
また全部読み返したので、色川さんの記事が出ると、わがことのようにうれしい。

昨年の12月から、「色川大吉」というキーワード検索が増えているのは、
色んな新聞で、色川さんのことを取り上げているからだろう(と推測)。

中日新聞の紙面は、ほぼ一面を使っての大きな記事。
webには本文とともに、ステキなカラー写真もアップされています。

経験と歴史 つなぐ道探る 昭和の<自分史>を完結 色川大吉さん(歴史学者)  
2011年2月5日 中日新聞夕刊

 肝がんに侵されたからだの抗体と免疫力を高めるために、一九九八年に八ケ岳山麓に転居。七十歳を過ぎて、山荘でのひとり暮らしを始めた。幸い数年で適度な運動ができるまでからだは回復し、山麓周辺で第二の人生を送っている中高年同士で風通しのよいコミューンもつくりながら、念願であった<自分史>の完成に精を出した。この五年間で、戦後-昭和末年まで年月を区分して、四冊の自分史を立て続けに刊行した。
 「自分史の試み」という副題で、十五年戦争の時代を描いた『ある昭和史』(中公文庫)を出したのが一九七五年。民衆思想史家として脂ののっていた頃だ。近代の日本人の精神構造が伝統民俗や天皇制の中でどのように形成され、そこから指導者や知識人とは異なる無名の民衆たち―なかでも自由民権運動家や秩父困民党の活動に焦点をあてて考察し、抵抗の思想家として活動していた。
 <自分史>は、昭和の子として生きてきた色川大吉さん(85)が、戦争や敗戦、六○年安保や数々の市民運動を通じて、何を感じ、考え、社会や時代とどんなコミットをしてきたかをつづる仕事である。自己の体験を記述するそれは、後の自費出版ブームに火を付ける契機にもなった。
「歴史家としてその全体像を眺めて生きてきたし、社会の矛盾と向き合う運動もおこなってきたから、ただ自分に固執した個人史ではなく、自分の体験を通じてもかなり昭和史の実体とイメージを描くことができると考えた。時代の出来事を客観的に捉えて、同時代との隙間を常に自覚しながら書いた。いまの歴史研究者は歴史的事実や実践的参加より、その解釈に主眼を置きますが、僕はあえて自分の方法を貫きました」
 四冊の<自分史>のなかの最初の二冊『廃墟(はいきょ)に立つ』『カチューシャの青春』(ともに小学館)は、学者以前の「放浪時代」をつづった。旧制二高の山岳部でのリベラルな思想と生活の体験、軍隊生活、敗戦後の山村での文化運動、民主商工会で日々労働者と向き合う仕事。靴磨きなどの体験も経て念願の劇団の研究生になったのもつかの間、結核での療養生活を余儀なくされる。
 意外な前史が若々しいロマンチシズムをたたえた文章で披瀝(ひれき)される。それらの経験が、主体性や精神性を重んじる色川さんの歴史学に独特な視野とドラマツルギーを与えていったことがよく分かる。そして六○年安保の体験に。
「日本社会もよたよた歩きの混沌(こんとん)の時代でしたし、僕自身、生活も精神的にも苦難の頃だったから、最初の二冊は突き放した三人称で書いた。反安保運動は国民的な盛り上がりを見せたけど、政党を背後にした総評や大企業の労働組合は日当をもらってデモしていた一方、底辺の労働者たちはみな自腹で参加し、苦しい戦後を生きた恨みを爆発させた。民衆の根源的なエネルギーが国を動かすその光景を目の当たりにしたことが、僕に民衆思想史に取り組む決意と確信を促した」
 六○年代以降は東京経済大に勤めながら、民衆思想史の裾野を広げ、同時代の発言者としてさまざまなメディアにも登場した。高度経済成長や右傾化の時流に抗して、水俣調査団に参加し、「自由民権百年祭」全国集会の執行部をつくり、「日本はこれでいいのか市民連合」運動を立ち上げた。その合間には、シルクロードやカイラスなどユーラシアの奥地をめぐる冒険や調査に足を延ばした。
 そうした多忙の日々と、<行動する歴史家>と呼ばれ疾走し続けた四半世紀は続いて出した<自分史>二冊『若者が主役だったころ』と『昭和へのレクイエム』(ともに岩波書店)に描かれる。どんな活動に参加しても歴史家として事跡を明確に記述し、官僚や無責任な知識人には手厳しいが、裏方の人間たちに忘れずに光を与えている。
「今のグローバルな情報ネット社会では、9・11テロでもリーマン・ショックでも、かつては無関係と思われた事態が否応(いやおう)なく僕らの生活にかぶさってくる。次に準備している平成の自分史は、人が社会にどうコミットするかよりも、世界の構造的なありように自分の生存がどう翻弄(ほんろう)されてゆくかの歴史記述が中心になる。かつての若者が主役の時代から、今は中高年が前面に登場してきた。中高年は若者以上に社会とつながりたい欲望があり、そのつながりを僕らはどんな歴史に学んでゆけばいいのか、どんな共生の受け皿をつくれば自衛できるのかを考えたい。まだ諦めない、抵抗は続けます」 (大日方公男) 


わたしは、色川さんの文章からあふれでるあたたかさ、やさしさ、
ひとびとを見つめる目線のひくさ、自分自身に対するきびしさ、
そして、権力にくみしない勁さが好きです、

色川大吉さんのこんな動画も発見。

世界わが心の旅 インド 旅人 歴史学者 色川大吉(NHK番組コレクション youtube動画)
— 2010年011月22日 — 「世界わが心の旅 インド 慈悲と瞑想(めいそう)の大地 旅人 歴史学者 色川大吉」1994/2/6放送
1971年、ヨーロッパからインドまでおよそ4万キロを旅した色川大吉さんは、その時ふれあったインドに大きな感銘を覚えました。それから23年・・・色川さんは、新たな発見をするために再びインドを訪れます。・・・


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   『個昭和へのレクイエム  自分史最終篇(色川大吉著)』
昭和という時代がもっていた活力は否定できない.
その活力はどこから湧き出ていたのか.平成に生きる人たちが昭和を懐かしむ気持ちはわかる気がする.
わたしの抵抗の活力も,そうした民の活力があってはじめて生まれたものだからである.
                      --本書「はじめに」より
(目次)
序 章 わたしの"新世界" 
第1章 水俣に調査団でかよう
第2章 「歴博」を創るたたかい
第3章 「自由民権」を国民集会に
第4章 「日本はこれでいいのか」と問いつづけて
第5章 昭和の終焉--天皇と友に二十年
付 章 忘れえぬひとびと

 昭和へのレクイエム――自分史最終篇 
色川大吉著/岩波書店 (2010/8/4)

内容紹介
「民衆史」「自分史」の提唱者が35年かけて完結させた書き下ろしの昭和自分史。1970年から89年まで、五つの課題――水俣調査、「歴博」の創設、民権百年、「日本はこれでいいのか」の市民運動、昭和天皇の責任問題――に取り組み、時流に抗して生きてきた灼熱の記録。多くの同時代人に対しても仮借ない筆が振るわれている。
内容(「BOOK」データベースより)
「民衆史」「自分史」の提唱者が三十五年かけて完結させた書き下ろしの昭和自分史。一九七〇年から八九年まで、五つの課題―水俣調査、「歴博」の創設、民権百年、「日本はこれでいいのか」の市民運動、昭和天皇の責任問題―に取り組み、時流に抗して生きてきた灼熱の記録。多くの同時代人に対しても仮借ない筆が振るわれている。 


冒頭に紹介した2月5日付けの中日新聞の、色川さんの記事の左下の
吉武輝子さんのことを書いた記事も、とってもいいので紹介します。

苦い体験のエネルギー

 太平洋戦争が終わった翌年の1946年4月11日。少女だった評論家の吉武輝子さん(79)は、当時住んでいた家の近くの青山墓地で、米兵から集団で、レイプを受けた。
 初潮も迎えていない14歳。弟と花びらでレイを作っていると突然、5人の米兵が現れて弟を抱き上げ、「弟を置いて逃げるわけに行かなかった」という。著書『<戦争の世紀>を超えて--わたしが生きた昭和の時代』の中で、吉武さんはその事実を告白している。
 その日から、寡黙で陰気に。二度の自殺も試みた。二度目の未遂の説き、病院に付き添った警察官の言葉に救われた。「人間というものは、何があったかではなく、その先どう生きたかで価値が決まるんだよ」
 レイプは男女の対立の問題ではなく、人としての尊厳を踏みにじられた男性の鬱屈した思いが、さらに弱い者の人権を侵害する方に向かって起きる。軍隊で兵隊の人権が侵害されることこそ問題なことも、つづっている。
 反戦や男女平等などの活動に尽力してきた吉武さん。活動の根源には14歳の時の体験があるという。苦い体験を、同じ思いをする人を生まない活動に変えてきた足跡とエネルギーに、心から敬意を表したい(岩) 
 2011年2月5日 中日新聞夕刊 


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1 コメント

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色川大吉 (zenaway)
2015-04-15 13:33:34
最近になって、色川大吉さんの著書群を知った。今、明治精神史(新編)を読んでいるが、なかなか面白い。小説より面白い。小田実や石牟礼道子などとも接点があることもわかり興味が深くなった。
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