福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

作曲家・指揮者の外山雄三氏死去された(2) 不肖、私も間接的に影響を受けた

2023年10月25日 16時21分45秒 | 音楽談義
 外山雄三氏(1931-2023年)は東京出身。1952年に東京藝大作曲科卒。N響の打楽器練習員、1954年指揮研究員となり、25歳N響を指揮してデビュー。1958年から1960年にかけてウィーンに留学。 

 1960年秋に行われたN響世界一周演奏旅行では、岩城宏之氏とともに多くの公演で指揮を務めて世界の檜舞台に立つ一方、このツアーのアンコールで演奏するために作曲した日本民謡に基づく《管弦楽のためのラプソディー》は各地の聴衆に熱狂的に迎えられ、作曲家としての名声も高まった。

 私が氏が指揮するN響を聴いたのは1958年頃と思う。実に颯爽とした指揮ぶりでその格好良さに一度に魅了された。その後楽器を始め、大学オーケストラの一員としてアンサブルを乱し続けたのは氏の影響でもある。

 氏は1979年にはN響正指揮者に就任。定期公演や日本各地での公演でたびたび指揮台に立ち、現代音楽の振興にも熱心に取り組んだ。

 N響以外でも大阪フィル、京都市交響楽団、名古屋フィル、神奈川フィル、仙台フィルで要職を務めたのをはじめ、日本国内のプロ・オーケストラを数多く指揮し、また教育者として若手指揮者の育成面で氏の貢献は計り知れないものがある、という。 

 氏の代表的作品としてヴァイオリン協奏曲、交響曲があるほか合唱曲も多い。 

 指揮のリハーサルでは多くを語らず奏者を見て「にやりと皮肉っぽく笑った」り、「ギョロッとにらんだり」。 そのたびに楽員たちは震えあがり、結果として虚飾のない楽曲が現れた、という。
(晩年の外山氏 yahoo記事より借用)

 NHKは7月にFM放送で氏の追悼番組を二日間にわたって4時間ぶん放送した。氏のインタビューのほか氏が指揮した貴重な音源が放送された。私はそれを録音しておいた。今それを再生しながら当時を回顧しつつこの小文を記載している。


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