福田の雑記帖

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音楽談議2022(10) 童歌、唱歌、童謡、ラジオ歌謡、新民謡の魅力(2)

2022年11月25日 05時02分59秒 | 音楽談義
西洋文化導入後の日本の音楽
 我が国の近代の音楽は明治政府の政策的教育として作られていった。1872年(明治5年)に学制が発布され、小学校の教科書に「唱歌」が記載されたが、この頃日本人による曲は殆どなく、大部分は西洋の曲に日本の詩を、半ば無理矢理当てはめた曲であった。「蛍の光」、「あおげば尊し」、「庭のちぐさ」などである。
 私はこのような日本的叙情を見事に表している曲が、原曲が外国の民謡などであったのか、その所以を長い間知らなかったが、唱歌の歴史を見ると納得できたがそれ以上に見事な「和流化」に驚かされる。

(1)唱歌
 唱歌の定義は「主として明治初期から第2次大戦終了時まで学校教育用作られた歌で、童謡等も含む」とするのが一般的である。その後、作曲された唱歌として「故郷」、「春の小川」、「おぼろ月夜」などがあり、今も広く愛唱され続けている曲も多い。
 私は唱歌は子供のための官製の歌と思っている。

(2)「童謡」
 童謡は子供向けの歌を指すが、一般的には大正後期以降、子供に歌われることを目的に作られた歌曲をのことである。
 明治以降西洋から近代音楽が紹介され、学校教育用に文部省唱歌が多数作られた。これらは情操教育を目的に日本の風景訓話などを歌ったものである。

 童謡の普及に尽力した鈴木三重吉(1882-1936)は、童謡の定義として「子供に向けて創作された芸術的香気の高い歌謡で、芸術味の豊かな、子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけない、これを優しく育む様な歌と曲」とした。
 私は「童謡」は民製の曲と言っていいと思う。

 「童謡」の誕生は大正19年の『カナリヤ」が最初だと言われている。西条八十の詩に秋田出身の成田為三が作曲した曲である。成田為三は「浜辺の歌」や 「赤い鳥小鳥」などが有名であるが、日本の音楽界で果たした役割の大きさが再認識されつつある。秋田県から偉大な作曲家が輩出した事はもっと知られて良い。

 1940年頃を境に唱歌も童謡も戦意高揚、思想統制の道具とされ、「隣組」や「戦争ごっこ」のような戦時童謡と呼ばれる歌が作られた。
 終戦後は、ベビーブームもあって童謡への関心が高まった。「ぞうさん」や「犬のおまわりさん」など、現在でも歌われる多くの歌が作られた。

 童謡は時代とともに考え方が変化したが、現在では「童謡」=「子供の歌」として広くとらえ、唱歌、わらべ歌、抒情歌、さらにテレビ・アニメの主題歌など、ジャンルを問わず子供の歌を全て「童謡」と括ってしまう傾向があるようだ。テレビ・アニメの主題歌を童謡に含めることに私は抵抗がある。

 最近は若いお母さん方の関心がうすく、古くからの童謡が家庭で歌われることは少なくなっている、とされる。

 童謡・唱歌を積極的に取り上げている由紀・安田姉妹の活動は意味がある。私も好きでコンサート会場で数回聴いている。懐かしい、ほっと和むような時間が味わえるが、会場には爺婆世代が多く、子連れのお母さん方の姿はとても少ない。

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