今日の医学, 医療は患者本人の自己決定権の尊重が基本になっている。最近は本人の意思確認が困難な場合は家族等の情報から類推することもできるようになった。
Advance Care Planning(ACP)は人生の最終段階において、患者本人の意思を尊重した医療・ケアを受けられるようにするために行われる。本人・家族・医療従事者との話し合いをもとに本人の意思決定が行われるため、患者の希望が家族・医療・ケアの関係者からも受け入れやすい。
たとえば延命治療を受けるか否かも重要な選択肢の1つである。
人は、特に高齢者は、いつ、どんなときに人生の最終段階を迎えるか分からないため、誰しもACPを検討しておく必要がある。
ACPでは、意思決定にあたって、医療従事者から専門的な情報提供や説明が行われ、それらをもとに本人をはじめさまざまな人が意見を述べて話し合いが進められて行く。
しかしながら、特に延命治療においてはその情報提供は包括的であろうとすればするほど難しい。そもそも人の「いのち」はだれのものかという問題に帰することにもなる。「いのち」は、 ① 自分のもの、② 社会のもの、③ 神様(?)のものとか、いろんな考え方がある。医療従事者と言え他人の「いのち」に介入していいものか?
私は「いのち」は最終的には自分のものと考えるが、各個人は社会の中で家族などに守られて生きているわけで、社会あっての自己である。
生物学者の池田清彦早大教授は、「いのちは自分の所有物ではない。だから、死ぬ権利はない」と述べている。そうだろうか?
私は「いのちは自分のもの、だから、死ぬ自由も権利もある」と思っている。
延命処置、特に経鼻胃管、胃瘻からの栄養補給、経静脈的栄養補給の問題点を挙げてみる。これらは施行当初は問題が少ないが、期間が長くなると以下のごとくの種々の問題が生じてくる。
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- 対象者の多くはベット上のほぼ寝たきりの状態となる
- チューブ等不用意に抜かれないためにベットに手足を縛られる
- その結果、全身の関節が拘縮し身体が縮む
- 体位返還もままならず、褥瘡ができやすくなり痛みが出る
- 誤嚥のために肺炎、気道感染症が生じやすい
- 喀痰の吸引が頻回になり、時には気管切開を要する
- 酸素吸入が必要になる
- 頻回の感染、高熱で抗生剤療法が必要となる
- 各種抗生剤に耐性を示す耐性菌感染症で治療効果が乏しくなる
- 拘束とかで精神活動の一層の低下が生じる
- 不適切抗利尿ホルモン分泌が生じ低Na症になり意識障害が進む
- 栄養状態が悪化し、免疫能低下状態となる
- 全身に浮腫が生じる
- などなど
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もちろん延命治療を受けさせて良かった、という家族もいる。
しかし、私は患者の側から見れば必ずしもそう思えない。
延命治療の行く末はこの世の地獄(?)と思う。
https://blog.goo.ne.jp/narkejp/e/2c91c4976bc2801554cc22285a8f90a3
本当に1~14です。
家族が毎日面会に来てたけれど、本当に幸せと言えるだろうか?
そんな風に生かされていることが・・・
それがずっと心に残っていたので、
母の時も経管や胃瘻はしない決断をしました。辛い決断でしたが。
延命治療をやめれば、日本の病院ももっと減らせるし、医療費も減らせると思います。
はじめまして。何時もみていただいてありがとうございます。ブログ「電網郊外散歩道」見させていただきました。山響に関して、羨ましく感じました。今後も参考にさせていただきます。
お父様は死生観をしっかりお持ちだったようで、結果として安らかな最後を迎えられたと思います。
コメントありがとうございました。
Unknown (うむむ)様
お母様の時はご家族の決断で胃ろうなどしないことにされたとのことですが、ご家族にとってはさぞや辛い決断だったと思います。通常はなかなかできないことです。
ご高齢の本人が自分で意思表示をされていれば・・と、常々思っております。
コメントありがとうござおました。