福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

音楽談議2022(11) 童歌、唱歌、ラジオ歌謡の魅力(3)

2022年11月26日 03時09分10秒 | 音楽談義
 次に挙げなければならないのは戦後の「ラジオ歌謡」である。
 唱歌や童謡は戦時下世相を反映してしまった。
 ラジオ歌謡は荒廃した日本人の心に夢と希望を与えようと1946-62年に放送された歌番組の名称であるが、今はこの番組で取り上げられた800曲近い歌曲を指す。
 ラジオ歌謡には私も好きな良い曲が多い。ラジオ歌謡は日本歌謡史に燦然と輝く作品群である。

 第1作は1946年の「風はそよかぜ」で、その後、「朝はどこから」、「三日月娘」、「あざみの歌」、「山小舎の灯」、「さくら貝の歌」、「夏の思い出」、「白い花の咲く頃」、「山の煙」、「森の水車」、「チャペルの鐘」「雪の降る街を」などなど、現在も親しまれている多数の作品が発表された。

 ラジオ歌謡は必ずしも児童に歌ってもらうために作曲されたのではない。しっとりとした情感を大切にした曲が多く、より年長の人々に愛された。

 最近特に感心するのは童謡や唱歌を創る方々、童話を書く方々の感受性についてである。じっくりと聴き、読むと、本当に真から驚いてしまう。世の中がこんなに変わってしまったのに、それらの方々はずいぶんと感性が豊かなままである。

 童歌、童謡や唱歌、童話がどれだけ子供達に受け入れられているのだろうか。
 これらの作品を子供達に提供できるのは身近にいる大人であるが、その大人が興味や感受性を失ってしまっているように思えてならない。

 今はむしろ、これらの童謡や唱歌、童話等は年寄りのために、私のためにあるのだ、とも思っている。

 私は最近幼児返りしているのかもしれない。童謡・唱歌、民話などにいたく興味を感じてきている。

 童歌、童謡・唱歌、民話などには、社会人としての基本的な教訓が沢山含まれているのもいい。
 私の郷里の岩手県には、特に遠野地区には多くの童歌、「むかし、あったずもな」で語り出し、「どんとはれ」で終わる多くの民話が伝えられている。
 私もかつて遠野で語部から直接聞いたが、不思議な雰囲気であった。話の内容が本当か?と思われるものであっても、心の中にスーッと入ってくる。

 家庭内で親とか祖父母達が、幼児期に毎日のように歌って聞かせている童謡、童話は親や祖父母の目を見ながら歌う、語る。そのことが血が通った教育になる。その際、民話や昔話というのは、物事の善悪を直接教えるものではなく、子供達が自分で感じ取れる様な表現になっている事に大きな意味がある。このことで想像力を養い、次いで創造力が養われる。

 安心して眠りにつけることは家族間の信頼感の表れであり、各地の子守歌は眠りへの誘いである。やさしく唄われる子守歌は心の育成に大いに役立ったはず。

 童歌等は日常生活から姿を消して久しい。
 最近の電子的な音や映像の氾濫が、人の成長に最も大事な感性の涵養にどうなのかな?と思ってしまう。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音楽談議2022(10) 童歌、唱... | トップ | 音楽談議2022(12) 童謡の魅... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽談義」カテゴリの最新記事