福田の雑記帖

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音楽談議2022(12) 童謡の魅力(4) 幼児教育、人間形成にも深い影響

2022年11月27日 04時18分10秒 | 音楽談義
 童謡の「ゾウさん」の簡素な言葉でつづられた詩は実に深い。
 作者のまどみちお氏はかつてインタビューで「子ゾウは「おはながながいのね」と言われて、ほめられたかのように喜んで歌っている、「みんな違っていることは素晴らしいことだ」と言っている。金子みすずの「みんな違って、それでいい」という詩も同様である。
 違った生き物に人と同じ命の重さを意識したまど氏の人間性が染みこんでいる。違っているものも慈しむ心、共生の心は人間教育の基礎である。

 童謡には、何度も何度も歌うことで詩の意味を体に染み込ませていく力がある。加えて、家族とか保育園の友達とで一緒に歌うことで感動と共感の場面をつくり、人と人との関係性を育む。子供の能力は童謡を聞き、歌うことで、普段の遊びとは違った独特の時問経験を通し、豊かで柔らかな感情、すなわち人間性の基礎を身に付ける。

 いじめ、不登校、 引きこもり、コミュニケーション下手などさまざまな問題の一部は、人間の土台づくりが不十分なために発せられるサインのように思える。豊かな感性と情緒を磨き上げる人間形成に不可欠な家庭教育や幼児教育について、あらためて議論する必要があるように思う。 

 人間教育の基礎となる親と子の関係や児童と教師との関係に、精神的な、あるいは物理的なゆとりがどの程度まであるのだろう。

 昔の家庭環境は教育には良かった・・・、もう歴史が戻ることがないから賛美してもしょうがないが、TVが普及しなかった時代、夕食は一家団欒の場であった。上座には父親または家長が座り話題の中心を担って家庭内の調整をしていた。
 TVの普及によって父親の座は失われた。話題は各家庭の諸問題から、より普遍的な話題になっていった。娯楽番組を見ながら夕食を摂る家庭も少なくないようである。

 TVの普及が家庭教育の有り様に一石を投じたのは確かであろう。やがて家族の時代から、家庭の中でも個室化、個人の時代に推移した。

 時代の移り変わりとともに時間の推移はスピード感を高めていった。
 親も教育者も慌ただしく駆けずり回り、子どもと向き合う時間さえ失いかけている今、大人や社会の鏡ともいわれる子どもたちの心もセカセカ、ギスギスしているに違いない。 

 この近年の文明・文化の変遷はあまりにも早い。古い概念で育った大正・昭和時代の人間にとって個の時代はなかなか理解できない。時代に取り残された世代である。同じことは子どもの世代にも言いうる。

 童謡を歌い感動を味わう、あのゆったりとした独特な時間が失われてしまった。
 子どもには、童謡を歌うという独特の時間の中で心を震わせ、感動をじっくりと身体に染みこませる時間が必要である。童謡にはそんな力がある。

 子どもには子どもの時間が必要なのだ。
(本稿の論旨の一部は秋田魁新聞月曜論壇、秋田市大森山動物園園長小松氏の記事を参考にさせていただいた)

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