先日、祇園祭の山鉾巡行を見てきました。1番目~10番目の様子、11番目から23番目の様子は前のぶろぐにて。続いて・・・後祭の巡行です。来年からは前(さき)祭の巡行が17日、後祭の巡行を24日に行う計画があるそうですが決定はしていません。なお今年は24日に花傘巡行が行われます。【昨年の花傘の様子】
24、橋弁慶山(はしべんけいやま)・・・弁慶と牛若丸が戦う姿を現しています。少し大きめサイズの山の上は、舞台として風流の趣向をみせていた時代の形式を伝えています。山の上には五条大橋ものっています。胴懸は葵祭の綴織です。
25、北観音山(きたかんのんやま)・・・神話や史話をテーマにした山鉾の中で、仏教色の濃い楊柳観音を祀っています。後ろに柳の大枝を差しています。巡行後には厄除けとして一般に授与されます。真松の枝には鳩がとまっています。
26、黒主山(くろぬしやま)・・・御神体は平安時代の歌人、大伴黒主で、桜を見上げている風情を表しています。一部の古い資料には西行ざくらと記したものもあり、西行法師ではないか?という説もあるそうです。桜花は翌年の厄除け粽に添えて授与されます。スタイリッシュな舁手の衣装や限定品の授与など注目の山で、食べられる粽を初めて授与したのも黒主山です。
27.浄妙山(じょうみょうやま)・・・平家物語の宇治川の合戦の様子をあらわしています。僧兵の頭上を一来法師が飛び越えて先陣をとる場面です。胴懸は昭和60年に新調された長谷川等伯原画の柳橋水車図です。この山も、前出の橋弁慶山と同じように山の上を舞台とみなしています。
28、役行者山(えんのぎょうじゃやま)・・・御神体は修験道の開祖、役小角の等身大像です。(撮れず・・・)応仁の乱以前から変わらずある山で、町名も昔から変わっていません。切符入りのお祓いは神官でなく修験道の大本山聖護院から山伏が参詣して護摩供を行うのだそうです。
29、南観音山(みなみかんのんやま)・・・北観音山と同じく楊柳観音を祀っています。真松には尾長鳥がのっています。宵山の夜、御旅所と町内を往復する日和神楽を行い、その後、この山だけの「あばれ観音」という蓮台に観音様を乗せて縛りつけ、ゆすりながら歓声を上げて町内を3周する行事が伝わっています。北観音は男、南観音は女という言い伝えがあり、不祥事のないように観音が荒行して身を慎むためというのが理由の一つです。また、今年は山鉾で唯一、3人の女性の囃子方が乗っていました。
30.鈴鹿山(すずかやま)・・・御神体は山鉾中で随一の美女像として名高い鈴鹿明神という女神様です。(巡行中は神面をつけているため素顔は見えません)真松にはたくさんの絵馬が吊るされています。巡行後、町内に盗難除けのお守りとして授与されるそうです。舁手の白麻の装束が他とは一風違います。
31、八幡山(はちまんやま)・・・町内守護の八幡社を勧請する山で、鳥居には左甚五郎の作といわれる2羽の鳩が飾ってあり、夫婦和合の象徴として人気があります。また、授与品の鳩笛や鳩鈴は夜泣き封じとして信仰を集めています。
32、鯉山(こいやま)・・・左甚五郎の作と伝えられる木彫大鯉がのっています。黄河の中流にある竜門の滝は地勢が険しく魚類はさかのぼれませんが、これをのぼりきった魚は龍となって昇天するという話を表しています。真松から麻緒を垂らし竜門の滝を表しています。
↓鯉山の懸装品は16世紀のベルギー製で、1枚の毛綴を6枚に裁断しパッチワークのように組合わせた珍しいものです。右下写真:大船鉾の旗
32、大船鉾(おおふねほこ)・・・かつて、後祭の最後尾を進んだ鉾で、幕末の蛤御門の変の大火で鉾が焼失し長く休み鉾となっていました。神面と懸装品はいまに伝えられ、昨年同様、今年も唐櫃に納められ、お囃子と共に巡行に参加しています。来年はいよいよ完全復活!
現在、復興準備中の大船鉾は、京都駅前のヨドバシカメラビルの北東角に展示されています。(水曜休・見学無料)室内で見ると小さく見えますが、実際に装飾を施し巡行すると、船鉾の1.5倍あるそうです。
室内に入って、鉾を間近に見ることができます。関連展示やビデオもあります。
以前、宵山で町会所に祀られた懸装品を見たことがあります。【前ぶろぐ】
大船鉾 http://www.ofunehoko.jp/
以上、33基、2013年の巡行順にお伝えしました。今年はそれほど暑くなく(十分暑いけど・・・)なんとか、全部を見ることができました。来年か
らは巡行が前祭と後祭に分かれ、もしかして33基が揃うのは最後かも?しかし、前後に分かれての巡行の詳細はまだ決定していません。どうなるかな~?
祇園祭 http://www.gionmatsuri.jp/ この後は巡行の後の様子とランチをご報告します。次のぶろぐにて。