先日(26日)、まいまい京都さんの「御用庭師・植彌加藤造園社長とめぐる南禅寺庭園~南禅寺から方丈まで、伝統と最新の技術・美意識の融合~」に参加しました。まいまい京都とは、京都の店主、主婦、学生、占い師、職人さん・・・などバラエティに富んだガイドさんといっしょに、京都をまいまい(京都弁:うろうろ)す る「京都のまち歩き」ツアーです。参加者も学生、主婦、若い娘?熟年?忙しい人?暇な人?バラエティに富んでます。(^^;)なお、今回のツアーは、京都岡崎魅力づくり推進協議会との共催です。
今回のガイドさん↑は、嘉永元年(1848)より南禅寺の御用庭師を務める「植彌加藤造園」の8代目の社長、加藤友規さんです。
まずは、歌舞伎「楼門五三桐」で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と見得をきる場面の舞台である「三門」に集合し、まいまいスタートです。
南禅寺は今から720年以上昔の正応4年(1291)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されたお寺です。
開山に迎えられた無関禅師(大明国師)は、その年の12月に遷化(死去)されてしまい、その翌年、第2世として、まだ30代の若さの、規庵祖圓禅師(南院国師)が選任されました。当時は、禅寺といっても伽藍として機能するものは一つもなく、その建立が規庵祖圓禅師(南院国師)に課せられたため、南院国師が創建開山と呼ばれています。
←三門前の参道には、昨年行われた「南院国師の七百年大遠諱」の際に植えられた柏槙(びゃくしん)の木があります。
この木は、南院国師の嗣法の師である仏光国師(無学祖元禅師1226-1286)を開山とする鎌倉の円覚寺の「開山お手植えの柏槙の実生の木」だそうです。まだ若い木ですが、今後、南禅寺を訪ねるたびに大きくなってるのを見るのが楽しみです。(^^)
三門と法堂の間には、敷石が置かれています。その昔、2つ伽藍の間に仏殿があったことを示しています。ちなみに、当時の禅宗伽藍は、一直線に三門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈、小方丈、大庫裏などが並ぶのが一般的でした。*妙心寺がその形を保っています。こんな感じ→【前写真 】右下写真:法堂前の香炉の屋根飾りです。新緑に映えて美し~。(^^)
南禅寺境内にある「水路閣」は、琵琶湖疏水事業の一環として施工された水路橋で、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つです。西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみで設計・施工されたもので、京都市指定史跡に指定されています。水路閣は今も現役、毎秒2トンの水が流れています。左下写真:今の時期も赤い葉なのは「野村もみじ」という品種です。
水路閣の向こうに「南禅院」があります。(よくサスペンスドラマの葬儀会場として参道のみが登場します)この場所はもともと亀山上皇の離宮だった場所を禅寺として開山(1291年)した南禅寺発祥の地です。応仁の乱(1467~1477年)後、荒廃していましたが、5代将軍綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建されました。
方丈は総桧の入母屋造こけら葺の建物です。内陣中央には亀山法皇御木造(重文)が安置されています。少し開いた戸の間から拝むと、なんとなーくシルエットだけ見えました。
庭園は夢窓国師の作と伝えられ、離宮時代の面影を残し、鎌倉末期の代表的な「池泉廻遊式庭園」で、周囲を深い樹林で囲まれています。亀山法皇自らが、禅修行のひとつとして、石組を行い庭造りに参加したといわれています。庭には、特に目をひく印象的なものはないのですが、眺めていると心が穏やかになります。天竜寺庭園、苔寺庭園と共に京都の三名勝庭園に指定されています。
御用庭師さんのお仕事は、創建時の庭の姿をそのまま復元するのではなく、時代の流れに寄り添うことも大切だそうです。例えば苔寺の庭園【前ぶろぐ】は、創建時は浮島には白砂が敷かれ、桜や季節の花々で彩られた名園でしたが、時代の流れと共に、次第に苔に覆われました。天下の名園といわれた創建時の姿に戻すのもひとつの考えでしょうが、やはり今は苔の庭を楽しむ事に庭師は従事しています。
南禅院のお庭の創建当時は、吉野の桜、難波の葦、竜田の楓などが移植され、井手の蛙も放たれ、心静かに鑑賞する庭園と記されているそうです。復元となると、蛙捕まえて来なくちゃねぇ…。(^m^) でも、復元しなくても、今も心静かに鑑賞する庭園である事はかわりありません。
南禅院の後は、本坊へ向かいました。本坊の左手には唐破風の大玄関があります。この大玄関は特別な行事の時にのみ使用されるもので、大玄関左手には書院が配され、方丈へと続いています。この玄関の敷石↓は、廃線になった路面電車の伏見線の敷石だそうです。加藤社長のおじい様(6代目)の時代に敷いたものです。当時、廃線路の敷石などは、寺院などに優先的に再利用されたのだそうです。
本坊には、小堀遠州が作庭したと伝わる「方丈庭園」があります。代表的な禅院式の枯山水で、方丈(清涼殿)・庭園と、借景の大日山との調和が美しい借景式庭園です。俗に「虎の児渡し」とよばれる巨石もあります。方丈庭園に面した国宝の「大方丈」は、こけら葺の建物で、豊臣秀吉が寄進した御所の清涼殿を、慶長16年(1611年)に拝領移建したものです。
左下写真:方丈の広縁欄間には左甚五郎作の虎の透かし彫りがあります。右下写真:小方丈庭園は別名「如心庭」と呼ばれます。昭和41年に、当時の管長が「心を表現せよ」と自ら熱心に指示指導されて作庭されました。横線の砂紋の上に「心」字形に庭石を配し、庭石の周りには、水滴を落としたように石を囲む砂紋が・・・砂紋は主に雲水さん(修行僧)のお仕事だそうですが・・・どこから作り始めるのか?飛石の間を足跡も残さずにどうやって移動するのか?なんとなーく教えていただきました。なーるほど。(^m^)
「如心庭」の先には、「六道庭」があります。「如心庭」が解脱した心の庭であるのに対し、この「六道庭」は六道輪廻の戒めの庭です。六道輪廻とは、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観のことです。作庭当時は、塀に囲まれていたそうですが、現在はぐるっと見渡すことができます。右下写真:六道の庭には、もみじと梅が合体?した不思議な木があります。六道の世界でなく、新しい世界か?(^^;)
その先の茶室「不識庵」「窮心亭」への回廊にも綺麗なお庭が広がっています。今回のツアーは要所で、作庭時の写真や昔の資料などを見せていただきながら、当時のエピソードなどを聞かせていただきました。長年にわたり御用庭師を務めるのは、名誉あることですがご苦労も多い事でしょうね。職人さん=無口みたいなイメージがありますが、朗らかでとても楽しい社長さんでした。
左下写真:南禅寺垣といわれる竹の垣です。庭師さんが、古くなった時や大きな行事があった時に作り直すのだそうです。右下写真:本坊の回廊周辺は秋には紅葉が美しい場所で、たくさんの人で賑います。秋の様子は【前ぶろぐ】にて。
南禅寺には、ほかにもお庭の美しい塔頭「天授庵」【ライトアップ前ぶろぐ】、「金地院」などもあります。次回訪ねるときは、庭師さんの苦労を想いながら、ゆっくりお庭を眺めたいと思います。
まいまい京都 http://www.maimai-kyoto.jp/
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