先日、祇園祭の山鉾巡行を見てきました。1番目の長刀鉾~10番目の油天神山の様子は前のぶろぐにて。続いて・・・
⑪伯牙山(はくがやま)・・・明治3年までは琴割り山と呼ばれていました。友人で琴聴きの名人の死を悲しみ、弦を絶って二度と琴を弾かなかった伯牙の話に基づいています。御神体の伯牙像は2メートル近くで十三弦の琴を携えています。
⑫占出山(うらでやま)・・・御神体人形の神功皇后は、懐妊中に新羅出兵し勝利したとの伝説より、着付けの際に腹帯を締めるそうです。(非公開)平成19年から復元新調に着手し今年完成、お披露目した「三十六歌仙図肉入刺繍」がひときわ輝いていました。町会所で間近で見ましたが立体的でとても美しかったです。【前ぶろぐ】朱傘を初めて用いたとも伝えられています。
⑬月鉾(つきほこ)・・・鉾頭に三日月をつけています。見送は皆川月華作の花鳥図染織繍「黎明図」です。立葵などが紡錘状に描かれています。
⑭孟宗山(もうそうやま)・・・病気の母の好物であるタケノコを雪の中掘り当てたという逸話に基づいています。真松や御神体には雪にみたてた綿が飾られています。胴懸のラクダの図は平山郁夫氏の原画、見送は、竹内栖鳳筆の「孟宗竹林図」です。明治戦前を代表する画家、竹内栖鳳氏は八坂神社の氏子だったそうです。
⑮四条傘鉾(しじょうかさほこ)・・・昭和60年、117年ぶりに本体が再興された鉾です。滋賀県に伝わるケンケト踊りを参考にした子供たちのお囃子がとてもかわいいです。
⑯霰天神山(あられてんじんやま)・・・その昔、京都が大火に遭った際に、急に霰が降り鎮火。その時に霰と共に降ってきた小さな天神像が降りてきて祀ったのが山の起こりです。胴懸は、上村松篁、上村淳之親子の下絵によるものです。
⑰菊水鉾(きくすいほこ)・・・町内にあった菊水井戸にちなんで名づけられています。稚児人形は、菊の露を飲んで700年(300年?)生き続けた少年をあらわし、右手に柄杓、左手に盃を持っています。唐破風造りの大屋根が他にはない特徴です。
⑰芦刈山(あしかりやま)・・・御神体の小袖は、全山鉾中で最古の人形衣装です。これとは別に、織田信長の小袖を拝領したというものもあるそうです。カキツバタの胴懸等も、町会所でじっくり楽しむ事ができます。【前ぶろぐ】
⑲白楽天山(はくらくてんやま)・・・他の山に比べ大きな真松を立てています。見送は「北京万寿山図」です。ベルギー製毛綴、フランス製のコブラン織、中国の風景・・・エキゾチックな雰囲気。
⑳木賊山(とくさやま)・・・世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にした山。等身大の老翁像は右手に鎌を持っています。
21、放火鉾(ほうかほこ)・・・昭和4年まで生稚児がのっていましたが、今は三光丸という稚児人形がのっています。関節が動く人形で、鉾上で稚児舞を演じます。見送は、昭和58年に寄贈された皆川泰蔵作のろうけつ染めの「バクダッド」。2羽のフクロウが印象的です。
22、岩戸山(いわとやま)・・・天岩戸を題材にした曳山です。以前は真松の前に立っていたイザナギノミコト像は、現在は大屋根の上にのっています。曳き手には10ヶ国21人の外国人の方も参加されてるそうです。形は鉾のようですが、金属製の鉾ではなく、真松を立てるため山と呼びます。
23、船鉾(ふねほこ)・・・日本書紀の神功皇后の新羅出船を題材にした鉾です。前の岩戸山と同じく、金属製の鉾は立っていませんが、鉾に属します。風に強く鵜に似ているという鷁(げき)という瑞鳥が船首に安置されています。両翼長2.7mの大きな鳥です。
螺鈿細工の大舵は寛政4年(1792)の作です。豪華で、辻回しも見逃せません。
ここまでが、前(さき)の祭の巡行です。来年からは、前と後と分かれて巡行する計画もあるそうで・・・詳細決定はまだのようです。この後は、次のぶろぐにて。