ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

本物のドラキュラ城

2013-07-10 | お出かけ先のナイススポット
 

ルーマニアの中央南部、トランシルバニア・カルパチア山脈のアルジェシュ渓谷をドライブ中、見上げると絶壁の上に物々しい城塞。これが本物のドラキュラ城、ポエナリ城塞(Cetatea Poenari)。渓谷の上、余りにもの高さにあるため、しっかり見上げないと見逃してしまうほどの標高2033m。

ルーマニアといえばドラキュラ伝説。それは、アイルランドの小説家ブラム・ストーカーの描いた『吸血鬼ドラキュラ』から~モデルとなったヴラド3世は中世ルーマニアでオスマントルコと勇敢に戦った武勇公、別名ヴラド・ツェペシュ。そのヴラド・ツェペシュ公が、ワラキア公国(現在のルーマニア南部)を守るため築いたのがポエナリ城塞。



観光名所としてブラショフ近郊のブラン城が「ドラキュラ城」として有名、でも実際のところヴラド3世のお祖父さんにあたるミルチャ老公(英語名Mircea the Elder)が14世紀に住んでいたところ。ヴラド3世本人のものではなく、住んでいたわけでもなく、訪問暦があるだけ。(上の写真はブラン城、向かい側にある眺めの良いレストランClub Vila Branより)



そして、なぜヴラド・ツェペシュが吸血鬼のモデルなの?~彼は策略に長け、手持ち勢は少数でも大挙して押し寄せるトルコ軍を撃退に次ぐ撃退。それでも矛先を緩めないトルコ軍の士気を失わせるため、捕虜としたトルコ兵を身体ごと串刺しにし、見せしめにしました。この残忍さとしたたる流血から、ヴラド・ツェペシュ(串刺し公ヴラド)と呼ばれるように。



というわけで、本物のドラキュラ城はアルジェシュ渓谷の絶壁の上にあるポエナリ城塞。お城の起源は13世紀までさかのぼります~当時のワラキア統治者によって設けられた要塞。このあたりはそのころから戦いの要所だったのです。



続いて14世紀ごろ、ポエナリ城塞はバサラブ公国(現在のルーマニア北東部)統治者に取って代わられ、続けての歴史上で、名前と居住者は数回変わりました。しかし、結局、城は打ち捨てられて、荒廃するままに。そして15世紀、ヴラド・ツェペシュ公が城の可能性を再発見し、さらにの絶壁の上に設け、構造を強化し、ここを彼の主要な要塞の1つにしたのです。 
 


渓谷沿いの道からこのお城にたどり着くには1480段の石段。
 


そしてお城の前には、ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)が発案したという串刺し刑の人形モデル2体。



石段の下から見上げると、恐ろしさ倍増。人間というのは残忍なことを考え付くものです、やはりこれが本物のドラキュラ城。


ポエナリ城塞はどこにあるの?:


ワラキア地方のピテシュティから国道を北上、トランスファガラシャン(Transfăgărăşan)・ドライブウェイに入り、クルテア・デ・アルジェシュ(Curtea de Arges)からアルジェシュ渓谷沿いをさらに北へ30km余、アレフ村の近くで、突如として絶壁の上に現れます。お城からの眺望も見逃せません。



なぜ、串刺し公ヴラドがドラキュラ公なの?:
ドラキュラ公という名前は、家系から~お父さんのヴラド2世がドラクル(Dracul=竜公、または悪魔公、神聖ローマ帝国より竜騎士団の騎士に任命されていたから)と呼ばれていて、その息子、という意味でドラクレア(Draculea=竜の息子、英語名ドラキュラ)。

なぜ今、ポエナリ城なの?:
ルーマニア人なら誰でも、このポエナリ城塞がヴラド・ツェペシュが根城とした要塞であることを知っていますが、最近騒がれ始めたのは、STARZテレビ・シリーズ「ダヴィンチの悪魔」のなかで、レオナルド・ダビンチがヴラド3世に会うためポエナリ城まで旅するというエピソードが紹介されたことから。

え?ダビンチとヴラド・ツェペシュは同世代の人?確かに、ダビンチ(Leonardo da Vinci、1452-1519年)、ヴラドは1476年没。エピソードの真偽のほどはともかくとして、同時代を生きた人々です。

関連記事: 
☆ブカレストを始めてこの国の首都と定めたのは、このヴラド・ツェペシュ公。1459年、ワラキア公国の王様であったヴラド・ツェペシュ公がこの地を首都と定めて以来、ブカレストは歴史上に名前をあらわすようになりました。以来、550余年。「ブカレストの日」としてお祝いされているのは毎年9月下旬。こちらから。

☆ルーマニアのドラキュラ伝説、一時は敵国オスマントルコに人質にやられていたヴラド・ツェペシュ公の奇策など、こちらから。



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2カ国にまたがるビーチ・バカンス警備

2013-07-09 | お出かけ先のナイススポット


黒海沿岸のバカンスといえば、一箇所を拠点に、点在するビーチリゾートを訪ね歩くのがポピュラー。私がブルガリアのビーチまで足を延ばしたのは2007年のこと。ルーマニアの黒海沿岸都市マンガリア(旧称カラティス)で行われた「2007年7月7日マラソン(7時スタート)」に参加したついでに。ルーマニアからも黒海沿岸沿いにバスが走っているので、簡単に訪れることが出来ます(国境を越えるのでパスポートが必要)。

ルーマニア・ビーチから南下してブルガリア入りすれば、このあたりの玄関口はヴァルナ(ブルガリア語: Варна、ラテン文字表記:Varna)、ヴァルナはブルガリアの「海の首都」あるいは「夏の首都」と言われていて、観光地であるほかビジネスや大学、海港、ブルガリア海軍の司令部、商船などの各拠点が置かれているところ。
 


今から100年ほど前のルーマニア王国時代にはこのあたりもルーマニア領でした。



イギリスからルーマニア王家に嫁いできたマリア王妃が好んだ夏の別荘もあり、建物は海に面した小高い丘にこじんまりした造り。



ひろがる庭園は今は植物園になっています。
 


別荘内に飾られている王妃の写真。



当時の調度品もそのままに。



ブルガリアの黒海沿岸リゾート、ゴールデンサンズ。



ルーマニアの黒海沿岸を訪れたなら、少し南へ足を延ばしてぜひブルガリアにも。
(写真は2007年に訪れたときのもの)


 


そして今年は、ブルガリア・ビーチにバカンス滞在するルーマニア人のための措置として、ルーマニア警察からアルベナ・ゴールデンサンズなどのブルガリアの黒海沿岸地方のビーチリゾートに、ルーマニアの警察官が派遣されています。期間は7月1日から8月31日まで。
 
ルーマニアから派遣された警察官はブルガリア警察と共同でビーチのパトロールを担当。「ブルガリア語が分かる警官を派遣します。期間は7月1日から8月31日までの間で、その期間を三つに分け、それぞれ7月1日から7月20日まで、7月21日から8月10日まで、8月11日から8月31日まで。それぞれのビーチにつねに2人の警察官が配置される予定です。」とルーマニア警察は発表。
 
ルーマニア警察長官とブルガリア共和国内務省事務総長は2010年に、 国境管理およびパトロールの共同化に関する規則に調印しています。(新聞記事は6月下旬のもの)


関連記事はこちらから: 
☆ブルガリア・プチ旅行①~実にシンプル国境越え 2007-07-08
☆ブルガリア・プチ旅行②~110キロのバスの旅 2007-07-08
☆ブルガリア・プチ旅行③~港町ヴァルナ 2007-07-08
☆ブルガリア・プチ旅行④~ヴァルナで見つける日本 2007-07-08
☆ブルガリア・プチ旅行⑤~クイーン・マリアの家 2007-07-08
☆黒海沿岸のビーチスポット 2007-07-09


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観光ガイド、買って出ます!

2013-06-04 | お出かけ先のナイススポット


来週、大阪のラン友がルーマニアに遊びに来るので、今、国内旅行を計画中。ルーマニアが気に入って、これで3年連続。ほかのヨーロッパのどこへも行ったことがないけれど、ルーマニアを極めたい、と!
 
彼らがやってくるおかげで私もあちこち行くことが出来るし、旅のルーマニア語にも磨きがかかってきました!

(写真は昨年度のルーマニア旅行アルバムより、クルージ・ナポカの警察学校訪問、そんじょそこらの旅程では組み入れられていない特別企画!)


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ルーマニアの虹

2013-06-02 | お出かけ先のナイススポット

 
ルーマニアの大地に虹。この陳腐な表現が一番ぴったり。本当に大きな虹でした。
週末からのヘルクラネマラソン遠征の帰り。車中で爆睡していたので、ルーマニア南部のどのあたりか不明。誰かが「curcubeu!(クルクベウ=虹)」と叫び、飛び起きて記念撮影。

天候不順が続いていて、突然のゲリラ雨に驚かされることもあり。ヘルクラネではキャンプ泊だったけれど2日目は雨のため、ロッジへ逃げ込みました。でも、こんな虹が見れるとは、命の洗濯。
 


往復800キロ余りの道のりをいっしょに車で連れて行ってくれたヴィクター・ラズバンとイリナのカップル、こんなロマンチックな写真。ヴィクターは190センチの長身、イリナはとてもキュート、いいな~。


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フランス到着

2013-05-05 | お出かけ先のナイススポット


ルーマニア正教では復活祭の朝、午前中に2箇所ほど友人の家を訪ね歩き、午後から移動して無事フランス入り。2時間45分のフライト。パリのうんと郊外のブベー(Beauvais)というところで一泊、明日選手村に移動します。


 
なぜブベーに居るのかというと、ルーマニアから飛んでいるLCCがこの空港に着くのです。パリまでは空港バスで70分もかかるところ。でも、これでもブカレスト=パリ路線。週5便(一日で往復してくるから週5日)飛んでいます。たいてい満席だけれど、本日の乗車率は95%くらい。ルーマニアのLCCだから圧倒的にルーマニア人が多いけれど、フランス人も搭乗しています。
 
ルーマニアとフランスの時差は1時間。フランスのほうが1時間遅れ。少し眠たくなってきたので時計を見るとルーマニア時間で23時を廻っています。時差もともかくとして、フランスのほうが北にあるため、日没が遅かったので、時間が経っているのに気づかなかったです。そろそろ休むことにしましょう、明日からはレースモードに。

 
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陸路で国境越え

2012-10-26 | お出かけ先のナイススポット

 
モンテネグロを目指して陸路で移動することになったマラソン遠征チーム、ひとまずブカレストから夜行寝台で11時間かけて到着したルーマニア西部最大の都市、ティミショアラ。23年前の12月に、ここの市民たちによるチャウシエスク政権への抗議デモが、治安警察に武力鎮圧されたことによりルーマニア革命の発端となったことはあまりにも有名。正教会の建物やヴィクトリア広場など見所もあるけれど、すでに何度も訪れているし(~ティミショアラ・マラソンに3度参加)、今日のところはコマを進めることが先決。
 


直通列車の無くなったブカレスト~ベオグラード間。ティミショアラとセルビア北東部の国境都市ヴォルシャへも、一日一往復だけ。約70キロの距離をどうやって移動するか・・・ヒッチハイクも手段の一つ、と考えあぐねていたけれど、素晴らしいアレンジメントがありました。



我々のリーダー格、イリエ・ロシュ氏の旧友がティミショアラに住んでいて、彼が自家用車で国境越えを手伝ってくれることになっていたのです。総勢5名の私たちを運ぶには車2台必要、知人にも声をかけ、ちゃんと用意してくれていました。現在は年金生活のイリエ・ロシュ氏は、もと軍隊所属。軍隊学校時代の旧友、30年来の友人とはありがたいものです。
 
ティミショアラでの用事は、セルビアの通貨ディナーラを入手するだけ。が、隣国であるにもかかわらず駅前にある主要銀行でのセルビア通貨の取り扱いは無し。両替商のみ。ここでの両替レートは50レイ=1000ディナーラ。事前に調べておいた為替レートでは、50レイ≒10ユーロ=1240ディナーラのはずなのに、ここ以外でディナーラを買うことは出来ないので殿様商売。ブカレスト市内の主要銀行でもディナーラの取り扱いは無し。
 


というわけで、初めてにしたセルビアの通貨。セルビアに到着したらすぐにバスに乗らなければならないので、バス代くらいのディナーラは必要。ひとまずもっての為替レートは、ルーマニア・レウと日本円との為替を鑑みて1000ディナーラ=1100円ほど。これは判りやすい、桁数が同じ。
 


車は順調に進み、ルーマニア側の国境、Moraviţa(モラヴィッツァ)。陸路で何度か国境を通過したことがあるけれど、高速道路の料金所のような感じでパスポートコントロールの建物があるだけで、国境線沿いに塀が設けられているわけではありません。ここでも同様。
 


『STOP:国境での贈収賄』、この黄色の看板がやけに目立ちました。こんな看板が堂々と掲げられているということは、贈収賄が横行しているということ。ルーマニアはEU加盟国、セルビアは未加盟国。この差はとても大きいのです。国境での贈収賄の習慣がなくならない限り、ルーマニアのシェンゲン協定発効は難しいと言われています。
 
ルーマニアのパスポートコントロールを超え、しばらく車を走らせてセルビアのパスポートコントロール。双方でルーマニア人はIDカードの提示だけで簡単に国境通過。私は日本のパスポートを提出して出入国スタンプを押してもらいます。マイダーリン、「スタンプのコレクションに。」とパスポート持参。EU加盟国はEUの統一様式の出入国スタンプですが、未加盟国はその国独自のスタンプ。文字もその国独自。
 


そして入国したセルビア。国境の都市はヴォルシャ。車でここのオートガラ(=長距離バス発着場)まで送ってもらい、国境越えのひと仕事完了。ここで私たちを下ろした旧友さんたちは、またルーマニアへ戻っていきました。片道1時間半くらいの道のり。

実は、2台の車には奥様と子供2人もドライブがてら同乗。でも、子供はまだIDカードを持っていない年代なので、国境越えにはパスポートが必要。パスポートを持っていなければ国境を越えられません。ルーマニア側の国境モラヴィッツァで奥様と子供2人を下ろし、この3人は車がセルビアから戻ってくるまで、コントロール以外何も無いそこで待っていてくれたのです。ほんとうに感謝。
 


ベオグラード行きのバスはすぐの発車で、あわてて飛び乗るくらい(乗車賃720ディナーラ+荷物預かり30ディナーラ;バスのおなかに荷物を預けた場合)。とりあえずこれに乗れば、110キロほどの移動でセルビアの首都へ。ひと安心でベオグラードの姿が見えてくるまで眠りこけ~、~無事ベオグラード到着♪



続きの行程:
主催者手配のベオグラード発ポドゴリッツァ行きのチャーターバスは、23時30分、新市街のSava Centerから乗車。それまでの数時間を旧市街ウォーキング観光で過ごし、この都市の印象は『大都会』。また折をみてご紹介。マイダーリンは昨年のベオグラード・マラソンに引き続き、2度目のベオグラード。市内名所をツアーコンダクターしてくれました。

サヴァ・センターは大きな市民ホールで、ここのどこからチャーターバスが出るのだろう、と一瞬不安になったけれど、マラソンランナーらしいグループを見つけ話しかけたところ、地元ベオグラードのランナー。ポドゴリッツァ・マラソンに毎年参加しているらしく、バスがどこから出るかちゃんと知っていて、案内してくれました。ここでもまた、ひと安心。チャーターバスの到着を待つ間、集まってきたランナーたちと自己紹介・マラソン談義で盛り上がったことは、言うまでもなし♪ 


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真夏の夜の夢、羊を数えよう

2012-08-28 | お出かけ先のナイススポット

 
これはルーマニアのナショナルロード、つまり国道。地方都市間をつなぐ主要道路。牛が真っ向から歩いてきても、驚いてはいけません、ごくありふれた遭遇。
 


我が物顔で道路の真ん中を歩いてくる牛たち、ドライバーも心得ていてクラクションなど鳴らしません。ごくゆっくり徐行運転、牛のスピードにあわせて車を動かし、牛が通りすぎるのをやり過ごします。かなり自由に歩いてくる牛たち。牛飼いはどこにいるのかな。
 


時として羊の行列にも出会います。この子達はお行儀よく、道路の端を整列行進。
 


ちゃんと羊飼い(=チョバーヌ)がついています。
 


そしてこんなに美しい風景を見せてくれるのがルーマニアの田舎。
 


文字通り、羊の大群。羊が一匹、羊が二匹・・・。眠れない夜に羊を数えたりするものだけれど、これだけ数が多ければ、すぐに眠気がやって来そう。
 


このたくさんの羊たちを一人で追っているチョバーヌ。
 


この風景は、ルーマニア人も車を止めて写真に収めていました。
真夏の夜の夢、羊を数えよう~。



ハリギタ県からコバスナ県を通る国道にて。




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彼女はベティ

2012-04-23 | お出かけ先のナイススポット

 
へんてこな文字で「キティ」と書いてあるけれど、彼女は「ベティ」でしょ~?おまけに意味不明のカタカナ文字、漢字にいたっては「後前」。って、服を前後ろ反対に着ることだと思うけれど?・ベティちゃんと何の関係があるのかな??とかく外国で見かける漢字やカタカナの類、意味不明。



こんなふうにちゃんとしたのもあります、中国系のお土産をおいてあるこのお店。



マトリョーシカは、ロシア系のお土産。
 


エジプト系もあり。言い換えれば、なんでもあり。
 


私のコレクションは、マグネット。各地で必ず買います。お気に入りは真ん中の、黒い牛クン+温度計。
 


ここはマドリッド、スペイン広場の青空市、観光客を当て込んでの物産展。太陽が照ると初夏の兆しだけれど、雲に隠れると急に涼しくなります。
 


有名な構図はこれ、ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立つセルバンテス像、さらにその後ろのマドリッド・ビル。百聞は一見にしかず~♪
 
  
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目に留まるのは黄色の花

2012-04-08 | お出かけ先のナイススポット


太陽の光が明るくなってきて、季節の移ろいからまず目に留まるのは黄色の花。



花壇の小さな寄せ植え。



ちょっとした軒下にも。



枝から直接花が咲いているように見えるレンギョウ。



大降りの枝からしだれるようにミモザ。



空高く見上げたら、風になびいていたり。



あたり一面が桜色に染まる日本の春とはちょっと違うけれど、茶色の大地から芽吹き始める黄色の花たち、これを見かけると春だな、と。

  
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アンティークマーケットのエリザベス女王

2012-02-14 | お出かけ先のナイススポット

(Happy anniversary for Queen Elizabeth and matchmaking stone in Hong Kong)
 
祝・エリザベス女王即位60年~今月6日に即位60周年を迎えられたエリザベス女王。上の写真右側はその女王様のお顔写真のマグカップ、お美しいです。刻印はsilver jubileeというから25周年、1977年のもの。昨春、訪れていたベルファストのアンティークマーケットで見つけたもの。即買。ベルファストは英国・北アイルランドの首都。
 
おなじ蚤の市で見つけたのは、チャールズ皇太子とダイアナさんのご成婚記念マグカップ(上の写真左側、1981年)。こちらも即買。これらを見つけたのは、折しもおり、ウィリアム王子とケイトさんのロイヤルウエディング(2011年4月29日)を間近に控えていたころ。

チャールズ皇太子の愛人騒動・皇太子夫妻の離婚(96年)・ダイアナ元妃の事故死(97年)と、いくつかの皇室スキャンダルを乗り越え、エリザベス女王さまは多くの英国民に支持されているそうです。エリザベス女王のマグカップと、ダイアナさんのカップが同じ蚤の市に並んでいたなんて、なにか因縁あり?
 


話題は元英国領のアジアへ飛びます~こちらは香港島の南側、レパルスベイで人気を集める『縁結びの石』。中国語で『姻縁石』と書かれています。気づいてみると、『姻縁』から「女へん」を取り除くと『因縁』。縁結びは因縁結びなのか==?!?!
 

『姻縁石』の全形はこんな感じ。
 


たくさんの人たちがめいめいの赤いリボンを持ってきて、結んでいます。縁結びの願いを込めて。今日はバレンタイン・デー。Happy Valentine's Day!
 

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