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平将門首塚と江戸城散策①

2012-05-04 22:37:25 | 歴史散歩

連休で久しぶりのお休み、都内の歴史散歩を企画しました。まず、千代田区大手町にある平将門首塚に行きました。平将門は平安時代の武将ですが、西暦935年に始まるとされる戦乱を起こした人物。最後は自らを天皇と言っていたという人です。

935年、京から帰ってきた将門が、父の領地が叔父に奪われていたのを知り、力ずくで奪還、平国香を殺したのが始まりで、939年には朝廷の敵となってしまいます。その後、関八州を勢力下に治め、自らを「新皇」(新しい天皇の意)と号し独立政権を作ろうとしたとされています。

しかし940年に平国香の遺児である平貞盛らによって討ち取られてしまいます。平将門の乱といわれる事件は未遂に終わったが、これは武士階級が起こしたはじめてのクーデター事件であるといわれています。

いま、NHKテレビの大河ドラマの平清盛との関係でいうと、清盛は、将門を討伐した平貞盛の子孫です。
一門の領地争いから端を発した将門の乱なので、平清盛は将門の仇敵の子孫ということです。

将門首塚を考えるというWebサイト(http://www.k2.dion.ne.jp/~hike/fest.html)では平将門について次のような紹介がされています。

幸田露伴はその著「平将門」の冒頭で次のよう言っている。関東のあちらでもこちらでも、この天下の反逆者の霊を祀っている。その理由はなんであろうか。勇猛さをしのぶだけならば、こうはならないのではないか「考へどころは十二分にある」と。この疑問は今も生きている。
大岡昇平は著書「平将門」の中で、平将門は忠義のみに縛られない日本では珍しい「独立した英雄」である、と独自の見方を示している。
首塚の歴史をたどるとき、権力の持ち主は移り変わっても塚は残る、という事実に驚く。この地には東京に生きる者の心に根ざした何かがあるのではないか。これもまた、考えてみる価値があるだろう。