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「令和」の典拠ー「万葉集」大伴旅人のメッセージ

2019-05-02 21:38:38 | 歴史散歩

「令和」の典拠ー「万葉集」大伴旅人のメッセージ 「権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない」

エッと思われる人がいるかもしれません。実はこう言ってる人がいます。短歌研究5月号 「新元号の深意」の特別寄稿、東京大学教授の品田悦一さんです。

品田教授は次のように述べています。

新しい年号が「令和」と決まりました。典拠の文脈を精読すると「権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない」と言うおそらく政府関係者には思いもよらなかったメッセージが読み取れてきます。さて、令和の典拠として安倍総理が挙げているのは「万葉集」巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。

これは天平二年(西暦730年)1月13日、太宰府の長官だった大伴旅人が宴会を主催し集まった役人たちがその時読んだ短歌をまとめたものです。―中略―これは権力を掌握した藤原一族に向けられていると品田教授は言います。

大伴旅人は「今の私にとって後世の人々に訴えたい、どうか、私の無念をこの歌群の行間から読み取ってほしい。長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は許せないどころか、片時も忘れることができない。」

これが令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵がい心が込められています。

品田教授はさらに「安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは新しい年号「令和」とともに権力者の横暴を許さないし、忘れないと言うメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突きつけられるはめになったこと。二つ目はこの運動は万葉集がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つはよりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんと迂闊であったと言うことです。」と指摘しています。

「令和」の時代の幕開けはマスコミによる祝賀ムードとは裏腹に皮肉にも、安倍政権の横暴への国民の批判が広がり、安倍内閣サヨナラを待ち望む、運動を期待しているととれるのは私だけではないと思います。

区議会議員 針谷みきお


舎人公園散策パートⅡ

2015-10-12 21:30:17 | 歴史散歩

今日は舎人公園を散策しました。「秋のふれあいフェスティバル」開催。

https://youtu.be/uyVOKXVStOQ


地域の協力によるコンサート、相撲部屋「境川部屋」力士とちびっこのわんぱく相撲、子ども達に大人気の「ふわふわドームとねりん」など盛りだくさんの内容でした。

防災公園の役割を知っていただく取り組みとして、「水消火器体験」や「防災パネル展示」など、災害時に役立つプログラムにも10月初旬にB地区の池に繁茂していた葦を大量に切りました。

カモが楽しく餌をとっていました。

子どもたちがイナゴや沼地にいる魚などをとっていました。

 


金沢市の散策

2014-11-11 23:55:21 | 歴史散歩

11月7日、紅葉の町景色の金沢市を自転車で散策しました。

法務セミナーが終わって、駅に向かう金沢城付近、午後5時近くです。

加賀百万石の歴史ある町並みを楽しませてくれます。

なかなか風情のある家が立ち並んでいます。

朝、ホテルから香林坊を通過し、百万石通りにある石川四校記念館前です。

金沢城公園の城址あと石川門付近

金沢駅のパン屋さんの喫茶コーナーで軽食をとり、小松空港行きのリムジンバスを待つところです。

 


入谷の朝顔市と江戸の文化

2014-07-12 23:19:43 | 歴史散歩

先週、開催された「入谷(台東区)の朝顔市」の準備の最中、午後、訪れました。家族連れや、浴衣を着て手をつなぐ若いカップル、物珍しそうな外国人の姿も。足をとめて鉢植えを選んだり、周りの屋台を楽しんだり、それぞれが、市を楽しんでいました。

▼下町に夏本番を告げる風物詩といえば、ほおずき市。毎年この縁日にあたる7月9、10日には東京・浅草寺(せんそうじ)の境内に「ほおずき市」がたちます。朱色も鮮やかなホオズキ、涼やかな風鈴の音色、売り子の威勢のいい掛け声。ことしも50万をこす人びとでにぎわいました。

▼水が打たれた軒先に並ぶ色とりどりのアサガオ。4色が一緒に入った鉢や、江戸時代の人気役者、二代目市川団十郎の海老茶色の装束にちなんで名付けられたアサガオ「団十郎」も。選び方や手入れの仕方など、売り手との会話もはずみます

▼道楽が過ぎて勘当された「若旦那の徳さん」。いなせな姿に憧れて船頭になったはいいが、ろくに舟を操れない。最後は乗せたお客を桟橋まで運べず、「お上がりになりましたら、船頭を一人雇ってください」と頼み込む始末。

http://youtu.be/0fZ55djHdCg  三代目 古今亭志ん朝 さんの「船徳」か音声で聞けます。

▼8代目桂文楽が十八番にした古典落語の「船徳(ふなとく)」です。噺(はなし)の中に文楽の有名なセリフがあります。「四万六千日(しまんろくせんにち)、お暑い盛りでございます」。この日にお参りすると、4万6千日分の御利益があるといわれる縁日のことです。

▼大がかりなイベントではなく、江戸の昔から庶民が愛してきた情緒豊かな行事。簡素な中にも、自然を愛(め)でる風流さ、人と人とのつながりが心地よくひびいてきます。しんぶん赤旗「潮流」より


両親の墓参りー秩父霊園と秩父夜祭

2014-05-02 23:54:16 | 歴史散歩

世の中が5月の連休に入りましたので、私も両親の墓参りに行ってきました。お墓の掃除をして、両親を思いながら、歴史散歩を楽しんできました。私の両親が40年前に秩父市霊園に応募して得たので、墓参りは毎回、秩父市の歴史散歩もしくは観光、温泉めくりとなっています。

今回は秩父駅前の秩父神社とまつり会館を訪れました。

秩父夜祭と秩父困民党は有名ですが、今回は夜祭り歴史と伝統をビデオを見ながら学んできました。

その後、武甲温泉の日帰り温泉にゆったりつかり、日ごろの疲れを癒して帰ってきました。武甲温泉前のこいのぼりは見ごたえがありました。

 


富岡製糸場と絹産業の遺産群が『世界文化遺産』に

2014-04-29 23:51:41 | 歴史散歩

上州人の気質を表す言葉に「かかあ天下に空っ風」が有名です。昔からこの地域で盛んだった蚕糸業とかかわりがあり、働いて家庭を支える女性が多かったことから、いわれるようになったそうです。

▼群馬県のホームページにも、江戸時代後期の戯作者、十返舎一九のこんな紀行文が紹介されています。「養蚕、糸引き、機織りをやっているのは女子ばかり。女なくては明けぬ国とは上州のことだ」

▼その伝統が世界に認められました。明治政府による工業化で生糸の大量生産を実現した富岡製糸場と、絹産業の遺産群が、世界文化遺産に登録される見通しになりました。決まれば、日本の近代化遺産では初めてです

▼喜びにわく地元を訪ねると、休日と重なって人の波。ふだんは物静かな街も活気づき、製糸場も行列です。急きょ増やしたというガイドさんによると、いつもの2、3倍の数だとか。サッカー場7面分ほどの広大な敷地に入ると、過去に戻ったような趣があります

▼繭から生糸をとる機械が保存されている繰糸(そうし)場をはじめ、大量の繭を保管した倉庫や先の大雪で倒壊した乾燥場が連なります。西欧の技術を取り入れた赤レンガの建物に、各地から集められた「女工」たちが生活していました

▼殖産興業・富国強兵のもと、当初は進んでいた労働環境も劣悪さを増していきました。近くの寺には故郷から離れた地で若くして亡くなった多くの女工の墓がひっそりと並んでいます。それもまた、近代化の影で命を削った人びとの歴史です。

▼イギリス北部のスコットランドにやはり紡績工場であったニューラナークも2001年世界遺産になっています。ニューラナークは子どもと労働者の教育と労働条件を改善し、社会主義の実験を行ったところです。ロバートオーエン(1771~1858年)は偉大な実験で知られています。

▼私は2007年、「ニューラナーク」に行ってきました。ロバートオーエンは1814年、イギリスでは資本主義の発達途上で子どもを一日16時間も働かせていました。ロバートオーエンは紡績工場の経営者でありながら1200名の労働者の800人が子どもたちであることから、こんな長時間労働はよくないと時間短縮とともに、ここに学校をつくり教育を行ったのです。

▼これが社会主義の偉大な実験となったのです。結局、ロバートオーエンはこれに失敗しますが、マルクスがこれを空想的社会主義と名づけました。大変参考になった旅行でした。


私の東京平和散歩ー早乙女勝元著

2013-09-14 23:55:49 | 歴史散歩

西伊興にお住まいの作家の早乙女勝元さんが「私の東京平和散歩」を出版しました。10月14日に「出版記念パーティー」が開催されます。私も早乙女勝元さんから著者謹呈本をいただいたので、読んでみましたが、大変良かったのでプロローグの部分を紹介します。

千住桜木ー お化け煙突にあこがれ

足立区にあった、お化け煙突を知ってますか?」と聞いても、「さあ……」と首をひねる人が、ほとんどだろう。無理もない。お化け煙突が解体されたのは昭和三十九年で、半世紀余りも昔のことだ。
 かつて下町のシンボルだったそれは、東京電力千佳火力発電所の四本煙突で、見る場所と角度によって、四本がかさなりあって1本になったり、二本、三本になったりもする。おまけに時々思い出したように煙を吐き出すのが、俗称の由来だったかと思う。
 ボイラーの関係で、四本の煙突が菱形に配置され、そもそも予備発電の役割だったからだが、東京下町のどこからでも見えて、実に頼もしくも力強い存在だった。

 私は昭和七年三月に、足立区柳原に生を受けた。荒川放水路の上王手の長屋で小学校二年生まで過ごしたが、幼少期の記憶といえば寒さとひもじさばかり。しかし、いつも仰ぎ見るお化け煙突は、いじけきった心に勇気と希望を与えてくれた。
 朝、地平から昇ってくる太陽は、まず煙突の先端にぴかっと取りつき、雪の目には四本殖んでぼうとかすみ、また町中に濃霧が立ちこめると、ぽっかり空中に浮いて見える。そして、さあ仕事だぞとばかりに、真っ黒な煙をなびかせる。
 「おーい、煙突やあい」と、私は呼びかけたものだった。お前はいいなあ、太くてまっすぐで、仲良く元気で。ぼくもお前のようになれるかなあ。いつの日か、きっと……。

 四本煙突は、戦争末期のB29による東京大空襲にも無事に生きのびて、戦後に米軍が空中撮影した一枚にも、焼け野原の遠方にその存在が確認できる。私の成長と共にあった煙突群がなつかしく、解体後も何度か現地に足を向けたものだが、つい先頃、久しぶりにJR北千佳駅から、煙突のあった旧・千佳桜木町(現千住桜木)へと歩いてみて驚いた。 何もかもが変わっている。校庭に煙突下部の鉄管半円分が滑り台にされていた元宿小学校
(合併して千寿双葉小に)は、学校そのものがない。(鉄管は学校跡地にできた帝京科学大学にモニュメントとして保存されている。)少し南
に行った高台の千住桜木町公園に、お化け煙突を模した登り棒と半円形の金属製アーチが並び、写真付きの記念板があった。

 周囲に目をやると、はるか彼方に、建設中の東京スカイツリーが、くっきりと見えた。完成すれば630メートル余にもなるというが、私の心に生きるお化け煙突は、一本の高さが約八十四メートルだ。それでも東京一と信じて疑わなかったのは、当時の低い家並みのせいだろう。私が小さかったからか。ために、空は吸いこまれるほどに大きく、たっぷりと開けていた。

 


もうひとつのアメリカ史ーオリバーストーン

2013-08-20 23:55:44 | 歴史散歩

オリバーストーン監督がアメリカ社会を深部から調査し、告発している「もうひとつのアメリカ史」ドキュメンタリー映画が話題になっています。今回はNHKBS1で再放送中ですが、すでに1-8話までは終了していますので、見逃した方必見のビデオサイトを発見しました。

ぜひ、ご覧ください。

ビデオを見るには画像をクリックするか、下記のアドレスをクリックして下さい。

http://www.pideo.net/video/dailymotion/9b612a578a0e7a39/


長崎出島の散策

2013-08-11 23:47:03 | 歴史散歩

原水爆禁止2013長崎大会が終わってから、夕食後、参加者有志でオランダ貿易の拠点、出島を散策しました。

史跡 出島和蘭(オランダ)商館跡地

歴史散歩です。

参加者有志で記念撮影

江戸時代という感じがでていますね。午後7時から9時までは無料でした。