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徳川家康の江戸城散策

2012-05-05 19:40:20 | 歴史散歩

連休の二日目は、徳川家康の居城、江戸城を見学しました。

江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた城です。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、日本最大の面積の城郭になったようです。

徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となりました。明治維新後・皇居となりました。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっています。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されています。

これは現在、残っている富士見櫓です。

家康が入城した当初は、道灌築城時のままの姿を残した比較的小規模で質素な城であった為、徳川家は開幕までにそれまでの本丸・二ノ丸に加え、西ノ丸・三ノ丸・吹上・北ノ丸を増築しているそうです。

本丸御殿は表・中奥・大奥が南から北にこの順で存在していたとのこと。表は将軍謁見や諸役人の執務場、中奥は将軍の生活空間であるが、政務もここで行っていた。大奥は将軍の夫人や女中が生活する空間でありました。大奥は表や中奥とは銅塀で遮られており、一本(後に二本)の廊下でのみ行き来ができたようです。

この花はなんでしょうか。蜂が蜜を吸っています。

将軍の御殿としての最初の本丸御殿は1606年(慶長11年)に完成、その後、明暦の大火で焼失)、(弘化元年)焼失)、(安政6年)焼失)、(文久3年)焼失)などと再建・焼失を繰り返している。文久の焼失以降は本丸御殿は再建されずに、機能を西ノ丸御殿に移しているそうです。

植物園のように、めずらしい花がたくさんありました。

梅林坂ですが、梅の花は終わっていました。

内堀が四方八方にあります。

大手門(大手町駅)から入場して、平川門前(竹橋駅近く)から退場しました。

丸太の橋を渡ると場外に出て、すぐに竹橋駅があります。