「令和」の典拠ー「万葉集」大伴旅人のメッセージ 「権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない」
エッと思われる人がいるかもしれません。実はこう言ってる人がいます。短歌研究5月号 「新元号の深意」の特別寄稿、東京大学教授の品田悦一さんです。
品田教授は次のように述べています。
新しい年号が「令和」と決まりました。典拠の文脈を精読すると「権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない」と言うおそらく政府関係者には思いもよらなかったメッセージが読み取れてきます。さて、令和の典拠として安倍総理が挙げているのは「万葉集」巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。
これは天平二年(西暦730年)1月13日、太宰府の長官だった大伴旅人が宴会を主催し集まった役人たちがその時読んだ短歌をまとめたものです。―中略―これは権力を掌握した藤原一族に向けられていると品田教授は言います。
大伴旅人は「今の私にとって後世の人々に訴えたい、どうか、私の無念をこの歌群の行間から読み取ってほしい。長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は許せないどころか、片時も忘れることができない。」
これが令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵がい心が込められています。
品田教授はさらに「安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは新しい年号「令和」とともに権力者の横暴を許さないし、忘れないと言うメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突きつけられるはめになったこと。二つ目はこの運動は万葉集がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つはよりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんと迂闊であったと言うことです。」と指摘しています。
「令和」の時代の幕開けはマスコミによる祝賀ムードとは裏腹に皮肉にも、安倍政権の横暴への国民の批判が広がり、安倍内閣サヨナラを待ち望む、運動を期待しているととれるのは私だけではないと思います。
区議会議員 針谷みきお
数十年ぶりに針谷さんのブログを拝見しました、その後、クラスメートの皆さんはお変わりありませんか? 折笠先生も懐かしいです。
令和時代に入りましたが、同窓会はされているのでしょうか? 今年も皆さんのご健康をはるかか彼方から願っています。