この頃 選手がジャンプで転倒する前に わかるようになった。身体の軸がブレている
歪みがあると 当然ながら 転倒する。ことにヨーロッパ系の選手は足腰が弱いので
転べ!もとい転ぶ、と思うとほぼ転ぶ。日本選手は 下半身が強靭な選手が多いので
耐性がある。
もうひとつの軸は精神的なものだ。きのう 宇野くんがボレロを踊り切った時はほんとう
にうれしかったけれど 心に残るのは 友野くんのほうだった。わたしは語りのために
演劇を学んだのだが フィジカルな つまり 肉体的な鍛錬 そして技術の錬磨だけが
大事なのではないということ。
自分のうちがわとつながること そしてそとがわ つまり 観客とつながる そのバランス
が重要なのだ。ただ拍手を求めて巻き込むとかではない、それでは 芸人レベル。きのう
書いた 共感 それを会場レベルまで 持ってゆけるかということ。それには自己肯定と
他者への愛 豊かな感受性と強靭な精神がいる。
男子フィギュア選手は どう見ても ゲイ率が高い。それの良し悪しではなく ゲイ傾向
の選手は自己陶酔に陥りやすい。その自己陶酔を固定化し維持したいとなると メダルと
称賛が自己肯定のためにひつようとなる。自己肯定 言い訳も用意しなくてはならない。
軸がそこにいってしまうと もはや……
よく 乗り越えるのは自分自身である 他選手でなく メダルでもなくと選手はいう。
……が 自分のなにを乗り越えようというのだろう。弱さ? 成績? そうではない
限界を越える 人としての 個としての境界を 超えたい というのではないのか?
つながるべきうちがわ 軸 心奥 は 個人の過去 過去生 とつながるのみならず
人類の記憶にもアクセス可能であり そのもっと奥は 神と言っていいのか 天と
いうのか 大いなるなにかとつながる。どれだけ高く飛べるか 早く回転できるかとか
技術的なレベルではなく 精神と肉体が極限まで絞られたとき トランス状態に
なった時に……
稀に 観るわたしたちを ともに はるかなところまで 連れていってくれる選手がいる。
浅田真央はそういう選手だった。幾度となく 精妙な 光の粒が 浅田真央の上に降り
注ぐのをわたしは視た。観るだけでなんとも言えないなつかしさ哀しさしあわせに涙が
流れることがままあった。その演技は天上からの贈り物だった。
三原さんにはその片鱗がある。友野くんにもある。宇野くんは 自分を過信すると
誤るだろう。他に男子若い選手にいるのだけれど ちから 技量も ひとつの関門である。