花の24年組に先立つ漫画家のなかで、少女フレンド系の漫画家は絵柄が地味だったし ストーリーも華やかではなかった。それで生活派ではない? わたしは一歩引いてみていたのだが 講談社漫画賞の受賞者には興味津々だった。
里中真智子 1948年(昭和23年)生
1964年第1回講談社新人漫画賞受賞
デビュー作は銀のたてごと。これは未読だが タイトルからして水野英子とおなじである。マヤには水野英子・セシリア(1964) の影響を感じる。くらい空のはては核戦争?がテーマ。 マリアは知っているはキリスト教徒が受けた迫害をテーマにしたもの。王女エレナはここから派生したような気がする。はじめのうちはストイックで理想を追い求める作風であった。絵はあまりうまくはなかったが 作者の想いがものがたりに輝きをあたえていたように思う。
里中真智子オフィシャルサイトは→コチラ
所有作品
1964年 ピアの肖像 マリアは知っている
1965年 くらい空のはて いとしのレナ マヤ
青池保子 1948年(昭和23年)生
1960年、中学一年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の水野英子宅を訪問。その人柄に感銘し、大きな刺激を受ける。
1963年(昭和38年)りぼん『さよならナネット』15歳でプロデビュー。その後少女フレンドで活躍。第一回講談社新人漫画賞佳作
1976年 「イブの息子たち」で絵柄・作風がガラリと変わる。
「死の谷」は好きな作品だった。水野英子のトゥオネラの白鳥(1962)に似ている。
公式HPは→コチラ
所有作品
1964 ローラのほほえみ ミラ 死の谷
1965 パティばんざい 月まつり おおキャロル!
1969 青蓮の恋歌
大和和紀 1948年(昭和23年)生
1966年、『少女フレンド』(講談社)掲載の『どろぼう天使』でデビュー しかしその前に資本漫画で書いていたらしい。デビュー作どろぼう天使はシリーズもの。どろぼうを稼業にしている少年のさまざまな出会いから生まれるドラマ。大和和紀は少女フレンド系の漫画家のなかではセンスを感じる漫画家だった。
所有作品
1966年 どろぼう天使 週刊少女フレンド37号
1967年 星空にこんばんは 増刊少女フレンド4/11号
星空のエンゼル(扉絵・谷悠紀子) 増刊少女フレンド8/10号
1968年パリのおじょうさん 別冊少女フレンド1月号
ふたりでお茶を 別冊少女フレンド6月号
1970年真由子の日記
KILLAなど
1976年 薔薇子爵
大和和紀作品リストは→コチラ
谷口ひとみ 1949?1950年生?
1966年、高校2年生で第四回講談社新人まんが賞に入選。受賞作エリノアはとても印象的な作品だった。みにくい少女が主人公の漫画がなかったわけではない。しかしエリノアは並外れていた。仙女の贈り物で一日だけエリノアはカミーリアに変身する。うつくしいカミーリアを愛した王子は 泉に映ったそ真実の姿エリノアを見たとき「君はみにくすぎる」とつぶやく。この瞬間 エリノアは死んだのだと思う。これを描いた作者の心象風景を考えると辛くなるような、自虐的ともいえるものがたりである。エリノアは王子を救うために生命を投げ出す。だがエリノアの死は報われない。
なぜなら王子はエリノアが変身した うつくしいカミーリアを忘れてしまう ふたりのわすれ難いきらめく結晶のような一瞬も忘れてしまうのだから。思い出に残ることもゆるされない、それは全き無である。エリノアは究極の贄をささげたのかもしれないが、だが それは真実 王子のためであったのだろうか。むしろ そのことで自分を救ったのではあるまいか。 逃げたのではあるまいか。今のわたしには エリノアにある種の不遜ささえ感じる。作者とおなじ年頃の頃は若干のわだかまりを感じながらもたいせつに思える作品であったが.....。〆のことば、エリノアは世界で一番幸福な少女だったのではないでしょうか.....それは嘘だと思う。谷口ひとみさんはそのことを知っていたと思う。ひとは傷ついても傷ついても 血を流しも 決して、決して.....。
(追記:この作品で漫画賞を受けた谷口さんは一ヵ月後睡眠薬自殺をなさったそうだ。エリノアには予兆があったのかもしれない。生きて描き続けてほしかったけれど 今はご冥福を祈るのみ。 エリノアは復刻されています。)
所有作品
エリノア (オリジナル)
忠津陽子
マーガレット系であるが 忠津さんはここに置くのがバランスがいい感じがする。初期作品はことの大和和紀に画風が似ていた。デビューは1967年 夏の日のコーラ
毒がない.....清潔で明るい漫画。
所有作品
1967年 夏の日のコーラ とびだせリタ
1973年 ミリーただいま参上
1968年 ただいま留学中 パパとママは世界一
その他いろいろ
作品リストは→コチラ
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