交通事故で介護を必要とするような障害が残った場合、どうやって介護を依頼したらいいのかという問題が生じます。
介護保険の制度が始まって、”介護は社会で担うべきもの”という考えが、少しずつ浸透してきているとは思うのですが、やはり日本では「介護は家族がやるもの」との考えも依然として根強いため、家族が後遺障害の方の介護をしているという状況は多いです。
もちろん、家族が介護でき、それが障害を負った方にも、介護する側にもよければよいのですが、時間が経てばたつほど、そのような状況を保つのは難しくなってくると思います。
その原因について考えてみました。
家族というものは、お互いが健康であっても、一日中顔をつきあわせて生活しているわけではありません。
夫婦であれば、双方がそれぞれの仕事をして(家事労働を含みます)昼間は過ごし、夜には一緒になるという生活をしているはずですし、親子であれば、子どもが幼稚園や学校に行くようになれば、四六時中子どもを見ているわけではありません。また、子どもはいつかは親元を離れていくという前提で親は子どもをみているはずです。
しかし、家族の誰かが障害者となった場合には、介護の程度にもよりますが、例えば、起きている場合は、介護が必要だとなれば、起きている間中、誰かがついていなければならないという状態になります。
それ自体がお互いが健康なときと比べて、負担になっていることは明かであり、ストレスとなって介護者に襲いかかります。
健康な家族でも、口げんかというものは起こるものですし、それが起こって解消していくというのが、また家族の一つの大事な役割なのかもしれません。
しかし、障害者がいる場合には、介護している方が、言いたいこともいえないという状況に陥ることがあります。そのような状況は介護者の精神状態にとっては好ましくない場合が往々にしてあると思うのです。
介護保険の制度が始まって、”介護は社会で担うべきもの”という考えが、少しずつ浸透してきているとは思うのですが、やはり日本では「介護は家族がやるもの」との考えも依然として根強いため、家族が後遺障害の方の介護をしているという状況は多いです。
もちろん、家族が介護でき、それが障害を負った方にも、介護する側にもよければよいのですが、時間が経てばたつほど、そのような状況を保つのは難しくなってくると思います。
その原因について考えてみました。
家族というものは、お互いが健康であっても、一日中顔をつきあわせて生活しているわけではありません。
夫婦であれば、双方がそれぞれの仕事をして(家事労働を含みます)昼間は過ごし、夜には一緒になるという生活をしているはずですし、親子であれば、子どもが幼稚園や学校に行くようになれば、四六時中子どもを見ているわけではありません。また、子どもはいつかは親元を離れていくという前提で親は子どもをみているはずです。
しかし、家族の誰かが障害者となった場合には、介護の程度にもよりますが、例えば、起きている場合は、介護が必要だとなれば、起きている間中、誰かがついていなければならないという状態になります。
それ自体がお互いが健康なときと比べて、負担になっていることは明かであり、ストレスとなって介護者に襲いかかります。
健康な家族でも、口げんかというものは起こるものですし、それが起こって解消していくというのが、また家族の一つの大事な役割なのかもしれません。
しかし、障害者がいる場合には、介護している方が、言いたいこともいえないという状況に陥ることがあります。そのような状況は介護者の精神状態にとっては好ましくない場合が往々にしてあると思うのです。
介護料関連の判例をいくつかあたってみましたが、裁判所も「介護は家族がやるもの」という考えをもっているのでは…と思わざるを得ないのです。
子供が交通事故で障害を残したケースで、母親が67歳になるまでの介護料(→母親が主に介護を担うので一般的に低額)とその後の介護料(→母親は高齢となったため職業付添人が必要なので一般的に高額)で区別する判例が多いのです。
現実がそうだから、そこからはじき出さざるを得ないのだ、ということなのかもしれませんが、「介護は家族がやるもの」という考えが「根っこ」にあるとすると、やはり違和感を感ずるのです。