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安政2年3月中旬及び下旬・大原幽学刑事裁判

2025年02月27日 | 大原幽学の刑事裁判
安政2年3月中旬及び下旬・大原幽学刑事裁判

大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳(気になった部分のみ)。
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(前回から今回の記事までの経緯)
大原幽学及び一門の関係者は江戸で裁判中。とはいえ、審理で奉行所に行ったのはたった数回で、ひたすら呼出しを待つ日々です。そんな中奉行所は、幽学一門に年末年始の一時帰村を認めておりました。
年が明けて安政2年。日記の著者五郎兵衛は居村(長沼村;現成田市長沼)を2月14日に出立、江戸に到着しましたが、すぐに母親が急病となったとの知らせが届きました。2月17日に長沼村に戻るため江戸をたった五郎兵衛は、一ヶ月母親の看病をし、3月18日に江戸に向けて長沼村を出立します。今月の日記は、この3月18日から始まります。
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安政2年3月18日(1855年)
#五郎兵衛の日記
四ツ時に長沼村(現成田市長沼)を出立。龍角寺(現栄町龍角寺)を経由し、七郎右衛門殿と合流。七ツ過ぎに白井(現白井市)に着き、藤屋泊。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛の母親が大病となり、五郎兵衛は江戸から急遽長沼村に戻りました。この間(2月14にちあ日記の記事はありません。五郎兵衛は母親の病気がどうなったのかは不明ですが、五郎兵衛は再び江戸を目指して歩きます。本日は白井(現白井市)まで歩を進めています。


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安政2年3月19日(1855年)
#五郎兵衛の日記
五ツ時に白井を出立。市川で昼食。八ツ時松枝町の借家に着。
七ツ時邑楽屋(公事宿)の奥方が来て、幽学先生に病気のことや多くの客が来て手が回らず困っていることなどを相談。借家の2階を片付けて、信州からの客二人を移して泊めた。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
五郎兵衛、江戸に到着しました。いつもは行徳(現市川市行徳)経由なのですが、今回は市川(現市川市市川)を経由して江戸に入っています。幽学先生は江戸でも悩み相談をしており、世話になっている公事宿の奥方まで相談に来ています。

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〈詳訳〉
・五ツ時に白井を出立。市川(現市川市)で昼食。八ツ時松枝町の借家に到着。幽学先生、良左衛門君、伊兵衛父、平右衛門殿、又左衛門殿、彦太郎殿、幸八郎殿がおられた。
・幽学先生は、夜に若者二人に、「自分にとっては特に面目を損なうことは生涯の恥であり、非常に恐ろしいことだ」と繰り返しお話しをされた。また、「先々を見通し、今のことはともかくとしても、先のことのために心得ておくように」と仰っていた。
・七ッ時、邑楽屋(公事宿)の奥方が来て、幽学先生に、病気のことや、多くの客が来て手が回らず困っていることなどを相談。借家の2階を片付けて、信州からの客二人を移して泊めた。
・夕方に、又左衛門殿が番町へ帰られた。
・四ツ谷の件について幽学先生にご相談。仲屋敷に隠居して出稼ぎをするのがよいと相談で決まったが、親類の気を悪くさせないように急いでことをしないようにとも決めた。
・龍角寺の件については、味方ができるまでは、一人で性学に勤め、家の者にもその通りにするよう伝えた。また、道友の世話もあまり手間をかけずにと決まった。
・稲荷下の件については、いずれ決める事として、会合場に引っ越して、手習いの師匠をするようにと決まった。
・「はる」の縁談について、相手から正式な申し入れが来るつもりでいたが、思いもよらず、離縁状やさまざまな道具まで持参されてきた。詫びを入れてきたのは筋が違うと、幽学先生はご立腹で叱責を受け、面目次第もないことである。

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安政2年3月20日(1855年)
#五郎兵衛の日記
夕飯まで松枝町の借家で過ごす。暮方に番町の御屋敷へ。治助殿が夜番を勤めていた。又左衛門(幸左衛門)殿が起きてきて話しをした。常八殿がかなり酔って戻ってきて、長居されたので寝るのが遅くなった。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
五郎兵衛は昨年も勤めていた藪家でまた働くようです。途中で退職した者を雇いいれるとは、武家屋敷もかなりの人手不足のようです。道友でもある幸左衛門は、名前を変えたのでしょうか、又左衛門と記載されています。明日からまた五郎兵衛の武家屋敷奉公日記が始まります。
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〈詳訳〉
・五ツ時、彦太郎殿と幸八郎殿が帰られた。
・四ツ時、平太郎殿が来られ、その後泉屋へ行かれた。
・八ツ時、桜井村のお医者様が来られた。暮方にお帰りになった。
・八ツ時、長左衛門殿が来られた。伊兵衛父と碁打ち。
・銀座の井上先生へ手紙を持っていく。
・夕飯を食べてから、暮方に番町へ。治助殿が夜番を勤めていた。又左衛門殿が起きてきて話しをした。常八殿がかなり酔って戻ってきて、長居されたので、寝るのが遅くなった。

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安政2年3月21日(1855年)
#五郎兵衛の日記
早朝掃除、朝食後に御家中衆に挨拶廻り。
五ツに時触れ。
飯田町で風呂に入り、田中様の御子息に差し上げる為に餅菓子50文分買う。
松村様より「義公黄門仁徳録」の写し作成を依頼される。夕方御弓場始末、夜番、九ツまで勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
昨夜御屋敷に着いたため、朝に御家中衆に挨拶廻り。お世話になっている田中様の子のお土産に餅菓子を買っています。食いしん坊五郎兵衛のことですから、どこで美味い物が買えるかはよく分かっているのでしょう。松村様からは本の写し作成の依頼も来ました。愛されキャラ五郎兵衛の本領発揮です。

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〈詳訳〉
早朝掃除、朝食後に御家中衆に挨拶廻り。
五ツに時触れ。
松村樣、半助様、藤助殿、助蔵殿に各百文を土産として渡す。昼、治助殿と髪結い。
麹町の大崎方へ治助殿と行く。
治助殿はその後松枝町の借家に行った。
小生は飯田町で風呂に入る。田中様の御子息に差し上げる為に餅菓子50文分買う。
松村様より「義公黄門仁徳録」の写し作成を依頼される。夕方御弓場始末、夜番、九ツまで勤める。

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安政2年3月22日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
・早朝掃除。
・お殿様が本所安芸守様(若年寄)をご訪問(御本供)。五ツ時御出発、四ツ時御帰館。
・五ツ時、治助殿戻る。四ツ半時、又左衛門殿戻る。
・小生は写し物。夜番は九ツから勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛の奉公先の御殿様(藪家)。本日は若年寄の本所安芸守(本庄道貫)を訪問。同人は天保12年(1841年)〜安政5年(1858年)まで若年寄を務めています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E9%81%93%E8%B2%AB
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〈詳訳〉
早朝掃除。お殿様、若年寄の本所安芸守様をご訪問(御本供)。五ツ時御出発、四ツ時御帰館。
五ツ時に治助殿が、四ツ半時に又左衛門殿が御屋敷に戻った。
小生は写し物。夜番は九ツから勤める。

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安政2年3月23日(1855年)非番
#五郎兵衛の日記
・早朝掃除。五ツ時御屋敷を出て、松枝町の借家に向かう。途中両替町で下村油等を買う。
・幽学先生「予がなにかいうと、先生は騒がしいと思う者がいるが、穏やかに話し合いながら過ごすべきだと述べているのだ」
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛のお買い物。両替町で買った「下村油」は、本両替町の下村山城という店の化粧油。当時の有名なブランドだったようです。五郎兵衛もミーハーなところがあります。下村油は2年前にも購入しています(嘉永6年2月15日条)。
本両替町は、現中央区日本橋本石町一・二丁目、日銀のある周辺。
https://codh.rois.ac.jp/edomi/shopping/entity/351

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〈詳訳〉
早朝掃除。
お殿様、大橋向うへお出かけになられた(御半供)。
小生は五ツ時御屋敷を出て、両替町へ行き、下 村油、元結を買う。王子に御成りがあり、小川町で待たされる。四ツ時に松枝町の借家に到着。
幽学先生のお言葉。
「予がなにかいうと、先生は騒がしいと思う者がいる。良左衛門も平右衛門の言葉を気にするあまり、神経を使い、体にも痛みが出てきたから、もっと穏やかにしてもらいたい、といっている。
皆でよく話し合い、ただ仲良くして過ごすことだ。自分の考えを出しすぎないように心がけなさい。
手前どもは頼りにしているから、将来の恥になるようなことや、国元に聞こえの悪くなるようなことは見過ごすわけにはいかぬから、注意をするのだ。それなのに、「難しい」だの「やかましい」などというようでは困る。
以前湊川の借家でのことを繰り返してほしくない。今のところは一つにまとまってうまくいっているが、少しずつ悪い兆しが見えてきている。ここにいる者はこのことをよく分かってもらいたい。」

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安政2年3月24日(1855年)添番
#五郎兵衛の日記
・朝五ツ時に松枝町の借家を出発し、御屋敷に戻る。
・本日、お殿様は昌平坂へお出かけ。
・大野様と田中様の米を治助殿と交代で搗く。夕食後堀田の湯に行き、暮れ方に屋敷に戻る。夜番を九ツ時まで勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
昨日は幽学先生のいる借家に泊まった五郎兵衛ですが、朝早く奉公先に戻り、仕事(添番)。今日はご家中衆2名の米搗きの仕事がメインでした。夜番も勤めるため、風呂は夕方に行くことが多いようですね。

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〈詳訳〉
・朝早く帰るつもりであったが、良左衛門君が豆腐などを夕方に買っておいてくれて、都合がよろしくなく、朝食を食べているときに鍋の置き場所が悪く鉄瓶に差し支えであって、幽学先生に片づけをさせてしまうしくじりをしてしまった。昨日、幽学先生が注意したそばからこの失態である。
・朝五ツ時に松枝町の借家を出発し、御屋敷に戻る。
・本日、お殿様は昌平坂へお出かけ。
・大野様の米を治助殿と交代で搗く。九ツ時に終わる。昼からは田中様の米搗き、七ツ時に終わる。夕食を取ってから堀田の湯に行き、暮れ方に屋敷に戻る。夜番を九ツ時まで勤める。

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安政2年3月25日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
・早朝掃除。お殿様は五ツ時に田安の馬場へお出かけになられるので、飯田町で買物し、弁当を用意。その後、写し物。
・五ツ時に又左衛門殿は松枝町の借家へ行き、夜に屋敷に戻った。
・小生、夜番を九ツ時から翌朝まで勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
お殿様のお出かけのため、弁当作り。飯田町で買い物という記事が頻繁にでてくるので、近くで買い物できるのが飯田町なのでしょう。飯田町は今の飯田橋。飯田橋に変わったのは1966年のことなので、それほど昔のことではありません。

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安政2年3月26日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
・早朝掃除。お殿様は五ツ時に御集会へ御出発(御半供)。
・治助殿と髪結いし、その後写し物。
・飯田町の揚場湯に入る。
・又左衛門殿は五ツ時に松枝町へ行き、九ツ半時に戻られた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
今日は書籍の写しの仕事をしています。ご家中衆から頼まれた「義公黄門仁徳録」の写しの作成でしょうか(3月20日条)。「義公黄門仁徳録」は今の水戸黄門の漫遊のもとになった書で、江戸中期ころ成立。

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安政2年3月27日(1855年)添番
#五郎兵衛の日記
朝掃除。写し物。昼前には書き終わる。夜番を九ツ迄勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
今日はこれといったこともなく平穏に過ぎたようです。

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安政2年3月28日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
松枝町の借家に幽学一門集まる。十日市場の親父(林伊兵衛)が日本橋で伊勢エビの活きたものを一匹百文で九匹買ってきた。幽学先生も調理。上品で珍品。おけい殿に雑用を頼み、一同楽しんで過ごした。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本日は月に一度の幽学一門集合の日です。裁判のための待機ですが、五郎兵衛のようにバイトで江戸の滞在費用を稼いでいるので、毎月末に集まろうと決めているのです。この日は少しだけ贅沢するのが慣例で、今日は伊勢海老の料理。幽学先生も調理に加わっています。

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〈詳訳〉
・早朝掃除。
・本日、松枝町の借家で幽学一門が集まるので、日の出とともに出発。
・中橋の大田屋喜兵衛という本屋に行って紙を受取り、松枝町に五ツ過に着。
・一同揃ったところで、十日市場の御親父(林伊兵衛)が日本橋に魚を買いに行き、伊勢エビの活きたものを一匹百文で九匹ばかり買ってきた。平太郎殿と幽学先生が調理してもらい、実に上品で珍しい料理ができた。おけい殿に雑用を頼み、一同楽しんで過ごした。
・昼過ぎに万徳(公事宿)に袴代を持参。万徳は昨年末の火事の後、松永町の仮宅にいたが、そこから引っ越して、筋違い広小路本郷代地という横町に住んでいる。
・七つ時(午後4時頃)に良祐殿が訪ねてきた。
・天神前は蓮屋(公事宿)に滞在しており、一両日のうちに村へ帰る予定とのこと。善右衛門殿の家内宛に手紙を書いて平右衛門殿に託した。
・幕方に番町の御屋敷に戻り、夜番を九つ時から翌朝六つ時まで勤めた。

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安政2年3月29日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
早朝掃除。お殿様は聖堂に五ツ時に御出発(御半供)され、七ツ半時御帰館。
又左衛門殿と治助殿は五ツ時に御屋敷に戻り。
小生はこの日写し物、夜番を九ツまで勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
今日の仕事は早朝の掃除以外は記載がなく、書籍の写し作成もできるほどの暇があったようです。今日もお殿様はお出かけし、ご家中衆もお供をするため、屋敷での奉公人の仕事はその分暇になるのでしょう。

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安政2年3月に30日は存在しませんので(同月は小の月)、 #五郎兵衛の日記 はお休みです。
#大原幽学刑事裁判 

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#五郎兵衛の日記 はお休みです。
安政2年3月に31日は存在しません(旧暦には31日は存在しません)。
#大原幽学刑事裁判


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文政13年2月中旬・色川三中「家事志」

2025年02月24日 | 色川三中
文政13年2月中旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』をもとに、気になった一部を現代語訳したものです。
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文政13年2月11日(1830年)晴
〈行商中〉
玉造出立。小川の稽医館で佐野本益老と面会。武田信玄の「竜の印」の書などを拝見。素晴らしい。遅くなってしまい、片野の手賀氏を訪ね宿泊を願う。手賀氏の後家と当主が丁寧にもてなしてくれた、数刻にわたり談話を楽しんだ。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商13日目。行商は薬種商の営業及び売掛金の回収が第一義ですが、土浦にいては見ることのできない珍らしいものを見ることができるのも楽しみの一つです。稽医館は、文化元年(1804)に設立された医学研究所。小川は現小美玉市です。
〈詳訳〉
晴れ。玉造を出発し、小川の稽医館へ向かう。留守居の佐野本益老に面会し、同家の珍書である、武田信玄の竜の印の御書と、水戸様のご先祖の朱印付きの知行給付の書付を拝見。その素晴らしさは言葉で表せないほど。かようなところで珍書を見ることができたことは誠にありがたいことである。
(「竜の印」については『桂林漫録』にその説明が記されている。)
遅くなったので、府中から雫を経由し、片野の手賀氏のもとへ頼み込んで泊めてもらった。手賀氏の後家である老母と当主が丁寧に色々と世話をしてくれた。数刻にわたり談話。

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文政13年2月12日(1830年)
〈行商中〉
片野(現石岡市片野)を出立。岩間(現笠間市)の伊勢屋で泊まり。菓子を少々持参した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商14日目。片野(現石岡市片野)では手賀氏宅で泊まっています。同村には手賀宗仲という医師がいましたが、昨年亡くなっています(文政12年5月22日条)。その家族が丁寧なもてなしをしてくれたようです。

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文政13年2月13日(1830年)
〈行商最終日〉
岩間(現笠間市)の伊勢屋を出立。府中(現石岡市府中)で食事をとり、六ツ半過ぎに無事に土浦に帰宅。
叔父の久弥様はご病気の具合がよろしくないとのこと。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商15日目(最終日)。岩間(現笠間市)から府中(現石岡市府中)を通って土浦に帰宅。無事行商が終わりました。いつもは年始に行く行商ですが、年始に体調を崩したため、2月の行商となりました。

〈詳訳〉
岩間(現笠間市)の伊勢屋を出立。府中(現石岡市府中)で食事をとり、六ツ半過ぎに無事に土浦に帰宅。
留守中のこと。久弥様のご病気の具合がよろしくないとのこと、昨12日に店子の中村屋勘兵衛が引っ越し、岩間の伊勢屋が年始に、年代三状を持って来たとのこと、江戸のいづ吉が来訪したとのこと。

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文政13年2月14日(1830年)雨
川口(土浦市川口)へ行き、叔父の久弥殿を見舞う。五頭玄仲医師をお連れした。
夜大風雨
#色川三中 #家事志
(コメント)
久弥叔父は、霊岸島の相模屋に勤めていましたが、昨年9月から病気で土浦に戻ってきており、三中の祖父宅で療養していました(文政12年9月24日条)。三中の行商中に容態が悪化したので、三中は医師同行で叔父さんをお見舞いしています。

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文政13年2月15日(1830年)晴
夜月食。皆既月食。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商で各地を半月にわたって回って帰ってきたら、叔父さんの病気の悪化。なかなかゆっくり休む暇もありません。
今夜見た月は皆既月食となりました。三中の心にはどう映ったのでしょう。

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文政13年2月16日(1830年)晴雨
久弥叔父の容態が急変。状況は良くない。川口へ薬を持っていき、五頭医師を呼ぶ。また、江戸に知らせるため、色川助右衛門に行ってもらった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
久弥叔父の容態がさらに悪化。知らせのために江戸まで人を遣わしています。

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文政13年2月17日(1830年)
久弥叔父の状態は小康を保っている。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日久弥叔父の症状は急変しましたが、本日は
持ち直し、小康を保っているようです。

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文政13年2月18日(1830年)
久弥叔父が急変したことを知らせに江戸に行っていた色川助右衛門が土浦に戻ってきた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川助右衛門が久弥叔父の急変を知らせに江戸に向けて立ったのは一昨日のことでした。通常ですと、江戸まで片道一泊二日ですが、親族の急変なので超特急で江戸・土浦間を往復しています。

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文政13年2月19日(1830年)晴
久弥叔父の具合がまた悪化。母と中町のおむら様は昼夜看病をしている。向家のおふみ様も度々お出でになっている。
#色川三中 #家事志
(コメント)
一昨日から小康を保っていた久弥叔父ですが、本日また悪化。三中の母親をはじめ昼夜を問わず懸命な看病がされています。

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〈2月19日条には以下の書付の写しが記載されています〉

乍恐以書付奉願上候
(恐れながら書状にてお願い申し上げます)

私が所有しております大町の西側の取付地物屋敷(間口四間二寸、奥行は町並前通りまでの御用地)は、故父三郎兵衛の代から拝借し、冥加金、一分一朱と銀二匁二分五厘を年々上納してまいりました。しかし、このたび勝手ながら、この土地を大町の記左衛門方に譲渡いたしましたので、これまで拝借していた御用地について返還を申し上げたいと存じます。
どうか、右の願い通りお聞き届けくださいますようお願い申し上げます。叶いましたならば、誠にありがたく存じます。
文政十三年 寅年 二月 町御奉行所様

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文政13年2月20日(1830年)晴
今月12日から店を貸した。借主は真言宗龍泉寺旦那の勘兵衛。賃料は1年で金2両2分(7月に金1両1分、極月1に金1両1分)。「借用申す店の証文のこと」という証文を作成し、入江(名主)に渡した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
店の賃貸借に関する記事。賃料は盆暮れの半年払い、借用証文の内容は名主にも渡しており、当時の習慣が分かって興味深いです。
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〈詳訳〉
以下の内容の証文を入江(名主)に渡した。
店子の勘兵衛は今月12日から借りており、この証文を作成した。

借用申す店の証文のこと
(借家に関する証文のこと)
年間賃料として金2両2分(7月に金1両1分、極月1に金1両1分を支払う)をお支払いします。

店借主 真言宗龍泉寺旦那 勘兵衛
請人あら川屋田兵衛
文政十三寅年二月

色川桂助殿

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千葉地裁が一審の大審院判決 大審院明治29年2月24日判決 恐喝取財事件

2025年02月20日 | 大審院判決
千葉地裁が一審の大審院判決 大審院明治29年2月24日判決 恐喝取財事件

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(はじめに)
・この判決は大審院明治29年2月24日判決(大審院刑事判決録2輯2巻77頁)の現代語訳を試みたものです。原文は現代語訳の下にあります。
・本件は「恐喝取財の件」とされています。現代では「恐喝」とだけいいますが、この時代は「恐喝取財」と呼ばれていました。
・この事件がいつ起きたか及び一審判決の時期は大審院判決からは分かりません。
第二審の東京控訴院判決は明治29年1月22日、
大審院判決は同年2月24日に言渡されています。
・一審千葉地方裁判所の判決内容は有罪判決だったようですが、詳細は不明です。この判決に対して、被告人が控訴し、検事が附帯控訴しました。
第二審の東京控訴院判決は、一審判決を取消し、被告人に重禁錮3年、罰金20円、監視10月という刑を言い渡しております。この結果は一審判決より被告人に不利でした。
・被告人は大審院に上告しましたが、上告理由はいずれも理由がないとされ、上告は棄却されています。詳細については判決をご参照ください。
・本判決は、日本研究のための歴史情報裁判例データベース(明治・大正編)に登載されています。
https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/hanrei/docs/keiroku_02-02-0077

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恐喝取財の件
明治29年第145号
明治29年2月24日宣告
◎判决要旨
姻族には、離縁した養子は含まれないから、離縁した養子は法律上当然に証人となる資格を有する。
(参照)左に記載したる者は証人となることを許さず。ただし、宣誓をさしめず、事実参考の為そのその供述を聞くことができる(刑事訴訟法第123条)。
民事原告人または被告人の親族。ただし、姻族については婚姻が解除された場合でも同様とする(同条第2号)。

第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院

被告人 藤崎房治郎 
弁護人 磯部四郎

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(緒言)
右房治郎の恐喝取財被告事件について、明治29年1月22日、東京控訴院は以下のとおり判決したり
・被告の控訴を棄却する。
・原判決中の被告に関する部分はこれを取り消す。
・被告房治郎を重禁錮3年に処す。罰金20円を附加し、監視10月に付す。
この控訴院の判決に対して被告から上告があったので、刑事訴訟法第283条の手続きを履行し、次のとおり判決する。

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(弁護士磯部四郎の上告趣意第一点について)
弁護士磯部四郎の上告趣意第一点は次のとおりである。
控訴院は第一審判決を取り消し、被告を重禁錮3年、罰金20円、監視10か月に処すると判決した。
これに対して、控訴院検事が付帯控訴をした。その理由は「被告の行為は刑法第378条、第379条に該当する重罪であり、これらの法条を適用して処断すべきである」というものである。よって、原院(控訴院)が一審判決を取消し、一審判決より重い刑罰を言渡したことは、「請求されていない事件について裁判をしてはならないと」いう刑事訴訟法184条の規定及び「被告人の控訴に基づいて原判決を変更する場合、被告人に不利益となる変更を行ってはならない」とする刑事訴訟法第265条の規定に違反する不法の裁判である。
〈大審院の判断〉
しかし、原院(控訴院)の検事の付帯控訴は、上告論旨も指摘しているように「第一審裁判所が本件で行った法律の適用が不当である」として覆審するよう求めたものであり、「検事の請求がないもの」とは言えない。このような検事の請求がある以上、被告人のみの控訴ではないから、原判決を変更し、被告人に不利益となる裁判を行うことも認められる。

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(弁護士磯部四郎の上告趣意第二点について)
弁護士磯部四郎の上告趣意第二点は次のとおりである。
一審判決は、証人・岡野政作の調書を断罪(有罪)の証拠としたが、この調書のうち第二回の分は、千葉地方裁判所の書記・武田半五郎一名の訊問による違法な書類であり、その判決は不法であると言うべきものである。したがって、被告人の控訴は理由があり、被告に有利となるように判決を取り消すべきであるにもかかわらず、それがなされず、被告の控訴を棄却したのは不当であると言える。
〈大審院の判断〉
しかしながら、第一審裁判所が証拠として採用したのは、証人岡野政作の予審調書であることは判決文に明示されており、同調書には不法なところは一切ない。
上告人が「第二回の予審調書」と称するものについては、予審判事が関与した形跡もなく、証人として訊問をしたとの記載もない。また、「第二回」といったように、先の調書との関連を示す記載も全くないから、当該書面は、一審判決がいうところの「証人岡野政作の予審調書」と認めることはできない。
ゆえに、一審判決の無効な調書を採用したという不法はなく、そのためにこの判決が取り消されるべき理由もない。原院(控訴院)が被告の控訴を棄却したのは当然である。

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(弁護士磯部四郎の上告趣意第三点について)
弁護士磯部四郎の上告趣意第三点は次のとおりである。
原院(控訴院)は証人中山金五郎の予審調書を断罪(有罪)の証拠として用いたが、中山金五郎は、かつて被告の養父であったことが調書などに明示されている。刑事訴訟法第123条第2項の規定によれば、姻族については婚姻が解除された場合でも、証人となることはできないとされているから、中山金五郎は証人となることができない。したがって、原院(控訴院)がその調書を採用したことは違法である。
〈大審院の判断〉
この点について考えるに、姻族に関しては上述のような例外があるとはいえ、養子の離縁の場合には法律上何の規定もないのであるから、離縁によって親族関係が消滅した以上、証人となる資格に何の障害もない。よって、原院(控訴院)が当該調書を採用したのは正当である。

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〈結語〉
以上の理由に基づき、刑事訴訟法第285条に従って本件上告を棄却する。

明治29年2月24日、大審院第二刑事部公廷において、検事応岩田武儀立会いのもとで宣告。

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〈原文〉
明治二十九年第一四五號
明治二十九年二月二十四日宣告
◎判决要旨
姻族ニハ離縁ノ養子ヲ包含セス從テ其養子ハ法律上當然證人タルノ資格ヲ有ス
(參照)左ニ記載シタル者ハ證人ト爲ルコトヲ許サス但宣誓ヲ爲サシメスシテ事實參考ノ爲メ其供述ヲ聽クコトヲ得(刑事訴訟法第第百二十三條)
民事原告人及ヒ被告人ノ親屬但姻族ニ付テハ婚姻ノ解除シタルトキト雖モ亦同シ(同條第二號)

第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院

被告人 藤崎房治郎 
辯護人 磯部四郎

右房治郎カ恐喝取財被告事件ニ付明治二十九年一月二十二日東京控訴院ニ於テ被告ノ控訴ハ之ヲ棄却ス原判决中被告ニ關スル部分ハ之ヲ取消ス被告房治郎ヲ重禁錮三年ニ處シ罰金二十圓ヲ附加シ監視十月ニ附ス云々ト言渡シタル判决ニ對シ被告ヨリ上告ヲ爲シタルニ付刑事訴訟法第二百八十三條ノ式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ

辯護士磯部四郎上告趣意第一點ハ原院ハ第一審判决ヲ取消シ被告ヲ重禁錮三年ニ處シ罰金二十圓ヲ附加シ監視十月ニ附ストノ裁判ヲ下シタリト雖モ原院檢事ノ附帶控訴ハ被告ノ所爲ハ刑法第三百七十八條第三百七十九條ニ該ル重罪犯ナルヲ以テ該法條ヲ適用シテ處斷スヘキモノト云フニ在レハ原院カ第一審判决ヲ取消シ恐喝取財ノ重キ刑ヲ言渡シタルハ請求ヲ受ケサル事件ニ付裁判ヲ爲ス可ラサル刑事訴訟法第百八十四條ノ規定及ヒ被告人ノ控訴ニ付キ原判决ヲ變更シテ被告人ノ不利益ト爲スコトヲ得サル同法第二百六十五條ノ規定ニ違背セル不法ノ裁判ナリト云フニ在リ◎然レトモ原院檢事ノ附帶控訴ハ上告論旨ノ如ク第一審裁判所カ本件ニ對シテ爲シタル法律ノ適用ヲ不當ナリトシ之カ覆審ヲ請求シタルモノナルヲ以テ即チ本件ニ付檢事ノ請求ナキモノト謂フヲ得ス而シテ此請求アリタル以上ハ被告人ノミノ控訴ニ非サルヲ以テ原判决ヲ變更シテ被告人ノ不利益トナスヲ得ルコト勿論ナリトス』同第二點ハ第一審判决ニ於テ證人岡野政作ノ調書ヲ以テ斷罪ノ證據トナシタルモ該調書第二回ノ分ハ千葉地方裁判所書記武田半五郎一名ノ訊問ニ係ル違法ノ書類ニシテ該判决ハ不法ト謂フ可キモノナルヲ以テ被告人ノ控訴ハ結局理由アルモノナレハ被告ニ對シ利益ノ爲メ其判决ヲ取消スヘキ筋ナルニ事茲ニ出テス被告ノ控訴ヲ棄却シタルハ不當ナリト謂フニ在リ◎然レトモ第一審裁判所カ證據トシテ採用シタルハ證人岡野政作ノ豫審調書ナルコト該判文ニ明示スル所ニシテ其調書ニ於テハ毫モ不法ノ點ナク而シテ上告人カ稱シテ第二回ノ豫審調書トナス所ノモノハ毫モ豫審判事ノ干與シタル事跡ナク又證人トシテ訊問シタルコトノ記載ナク且第二回」ト云フカ如キ前ノ調書ニ關係ヲ有スヘキ文字ナキ等一モ證人ノ豫審調書ト認ムヘキ點ナキヲ以テ該書類ハ第一審判文ニ謂フ所ノ證人岡野政作ノ豫審調書中ニ包含スルモノト謂フヲ得ス故ニ第一審判决ノ無効ナル調書ヲ採用シタル不法ナク從テ該判决ノ之カ爲メ取消サルヘキ筋ナキヲ以テ原院カ被告ノ控訴ヲ棄却シタルハ當然ナリトス』同第三點ハ原院ハ證人中山金五郎ノ豫審調書ヲ以テ斷罪ノ證據ニ供シタルモ同人ハ曾テ被告ノ養父タリシコトハ該調書等ニ明示スル所ナリ而シテ刑事訴訟法第百二十三條第二項ノ規定ニ依レハ姻族ニ付テハ婚姻ノ解除シタルトキト雖トモ亦同シキモノナレハ中山金五郎ハ證人トナルコトヲ得サルモノナリ故ニ原院カ該調書ヲ採用シタルハ違法ナリト云フニ在リ◎依テ案スルニ姻族ニ付テハ右ニ謂フ如キ例外アリト雖トモ養子離縁ノ塲合ニ在テハ法律上何等ノ規定ナキヲ以テ則チ離縁ニ因リ親族關係ノ消滅シタル以上ハ證人タル資格ニ於テ一モ妨アルコトナク從テ原院カ該調書ヲ採用シタルハ相當ナリトス
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十九年二月二十四日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事岩田武儀立會宣告ス

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千葉地裁が一審の大審院判決 明治28年発生の故殺事件

2025年02月17日 | 大審院判決
千葉地裁が一審の大審院判決 明治28年発生の故殺事件
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(はじめに)
・この判決は大審院明治29年1月27日判決(大審院刑事判決録2輯1巻103頁)の現代語訳を試みたものです。原文は現代語訳の下にあります。
・本件は故殺事件です。
旧刑法:謀殺罪と故殺罪の区別あり
謀殺罪=計画的な殺人
故殺罪=計画的ではない殺人←本件
現行刑法:殺人罪のみ規定。謀殺罪と故殺罪の条文上の区別はない。
・本件の概要
大審院判決からわかるのは次のとおり。「被害者がうるさく被告人に絡み、無理に強要した」「被告人がこの際に被害者を殺害して煩わしい問題を片付けてしまったほうが良いと決意し、その場に被害者を打ち倒し、両手で同人の咽喉を絞扼して窒息死させた」
・本件の経緯
一審千葉地方裁判所:被告人に無罪判決
これに対して検事が控訴。
東京控訴院:有罪判決(無期徒刑)明治28年12月5日判決
これに対して被告人側が上告。
大審院:上告を棄却。被告人の無期徒刑の刑が確定。明治29年1月27日判決
・本判決は、日本研究のための歴史情報裁判例データベース(明治・大正編)に登載されています。

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故殺の件
大審院刑事判決録(刑録)2輯1巻103頁
明治28年第1502號
明治29年1月27日宣告
◎判決要旨
公判手続きに不備があっても、その結果作成された始末書は無効にならない。
第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院

被告人 岩澤庄助 
辯護人 江木衷 磯部四郎 板倉中

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(緒言)
岩沢庄助の故殺被告事件につき、検事は千葉地方裁判所の判決に対して控訴した。
東京控訴院は審理の上、明治28年12月5日、原判決を取消し、被告庄助を無期徒刑に処すとの判決を言渡した。
この判決に対して被告人から上告があったので、刑事訴訟法第283条の手続きを履行し、被告弁護人江木衷、磯部四郎、板倉中の弁論及び立会検事応当融の意見を聴き以下のとおり判決する。

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(上告趣意について)
上告趣意は、原判決は擬律に錯誤があり(法律の適用を誤っており)不法な判決であって破棄を求めるというものである。
〈大審院の判断〉
しかし、どのような点を誤りとするのか、その理由が述べられておらず検討のしようがない。上告理由には到底あたらない。
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(弁護士の上告拡張書要旨第一点について)
弁護士の上告拡張書要旨第一点は次のとおりである。
原判決文には「助治はこれ(被告の要求)を受け入れるようにも見えず、五月蠅く被告に絡み、無理に強要して云々」とあり、被告は被害者から暴行されている。被告はこのような暴行を受けたために激怒したことは疑いのないところである(予審決定でもそのように判示している)。また原判決が認めたとおり、被告がその怒りを助治に向けた結果、殺害に至ったのである。以上の事実は、原判決文から読み取れる。原審は刑法第305条を適用し、被告の罪を宥恕すべきであったにもかかわらず同条を適用しておらず、不法がある。
〈大審院の判断〉
原判決は「五月蠅く被告に絡み、無理に強要して云々」と認定しており、被告が被害者から暴行を加えられたとは認定していない。したがって、刑法第309条を適用しなかった原審の判断は適切であり、違法な点はない。
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(弁護士の上告拡張書要旨第二点及び第三点について)
弁護士の上告拡張書要旨第二点は次のとおりである。
原判決は、被告の殺意について「むしろ助治を殺害して煩わしい問題を避けるほうが良いと決意し、云々」と判示し、謀殺(計画的な殺人)なのか、故殺(衝動的な殺人)なのかという事実を明らかにしないまま故殺罪を適用しており、事実理由の不備がある。

弁護士の上告拡張書要旨第三点は次のとおりである。
「むしろ助治を殺害して煩わしい問題を避けるほうが良いと決意し、云々」と判示し、被告に犯意が生じた点は認定しているが、殺意及び決心を生じた点について認定していない。このような判示で被告を故殺の罪に問うたのは、犯罪の目的と故意とを混同する不法がある。
〈大審院の判断〉
原判決は「むしろ助治を殺害して煩わしい問題を避けるほうが良いと決意し、直ちに助治をその場に打ち倒し、両手で同人の咽喉を絞扼し即時窒息死により死亡させたものである」と判示しており、故殺の事実及び殺意が生じ、かつ決心したことは判決文に明瞭に認定されているから、不備不明な点はない。

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(弁護士の上告拡張書要旨第四点について)
弁護士の上告拡張書要旨第四点は次のとおりである。
原判決は、有罪の証拠として医師片山國嘉の鑑定書を挙げているが、この鑑定書は刑事訴訟法の定める形式を備えておらず無効である。公判始末書によると、片山國嘉が公判廷に出頭したのは明治28年12月3日である。そして、「裁判長曰く、本件についてはすでに審理が終結しているが、合議の上で死体検案書の鑑定を必要と認めるので、職権をもって云々」と記されており、「故殺被告事件について鑑定を命じるにつき云々」との発言もあることから、同日に鑑定が開始されたと考えざるを得ない。
しかし、本件検案書について「鑑定書は作成されているか」との質問があり、これに対し、片山國嘉は鑑定書を提出したのであるから、この鑑定書は、宣誓の前に作成されたものであることが明らかである。本件の審理はすでに終結していたのであるから、鑑定を必要として裁判所がこれを求めるのであれば、終結以前に鑑定の命令をしておかなければならない。しかし、どのような命令が行われたか不明であるし、鑑定人に送付された資料がどのようなものであるか、どのような鑑定が行われたのかも明らかではない。
裁判所の呼出し以前に作成された書面に、呼出しの日の宣誓書を添付し、鑑定書として採用されたのであるから、宣誓が行われる前の鑑定を有効とした違法がある。また、命令や資料が不明確であり、調査の不備な書類を鑑定書としたことも違法である。
〈大審院の判断〉
片山国嘉の鑑定書には、次のように記されている。
「明治28年12月3日、東京控訴院刑事第2部の法廷において、岩沢庄助の故殺被告事件について、証人鳥井直哉作成の死体検案書およびその調書を調査し、琴司の死因が頭部損傷によるものか、それとも頸部の圧迫による窒息かを鑑定するよう命じられた。そこで、これらの書類を調査したところ云々」
以上の記載からは、12月3日の法廷で鑑定が命じられ、即時鑑定の資料である書類を調査して、鑑定書が作成されたことが明らかである。公判始末書には、鑑定を命じる際に宣誓を行わせたことが記載されており、宣誓後に鑑定書が作成され、提出された事実も明白である。したがって、この鑑定書は宣誓前に作成されたものではなく、命令および材料を欠いたものでもなく正当な鑑定書であって、これを有罪認定の証拠として採用したことは適切である。

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(弁護士の上告拡張書要旨第五点について)
弁護士の上告拡張書要旨第五点は次のとおりである。
原判決で証拠とされた片山國嘉の鑑定書は、被告の意見を尋ねてはいるが、被告に対して有利な証拠を提出できることを告知しておらず違法である。
〈大審院の判断〉
本件では控訴院で2回公判が開かれており、第一回の開廷時に各証拠について被告の意見を尋ねており、かつ有利な証拠を提出できる旨を被告に告知している。被告には鑑定書について意見を尋ねているのであるから、改めて有利な証拠を提出できることを告知しなかったとしても違法ではない。
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(弁護士の上告拡張書要旨第六点について)
弁護士の上告拡張書要旨第六点は次のとおりである。
原審は、第一審の公判始末書を証拠として採用したが、この始末書は、被告に証拠書類を読み聞かせた部分で被告の意見を尋ねたとの記載はなく、刑事訴訟法第198条に違反している。このような原審の始末書は無効であり、この始末書を証拠として採用したのは違法である。
〈大審院の判断〉
第一審の公判始末書には、
「問:これらの証拠書類について意見はないか。答:『意見なし』」と明記されており、被告の意見を尋ねており違法はない。仮に公判手続に瑕疵があったとしても、それによって始末書全体が無効となるものではない。
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(弁護士の上告拡張書要旨第七点について)
弁護士の上告拡張書要旨第七点は次のとおりである。
検事の控訴は、被告の行為が殴打致死の罪に該当するとしてなされたものであるが、原審はこれを「故殺」と認定して検事控訴には理由ありとするが、これは違法である。
〈大審院の判断〉
千葉地方裁判所の検事の控訴申立書を確認すると、「被告に対する故殺被告事件が千葉地方裁判所において無罪を言渡されたが、事実認定が当を得ないものであると思料する云々」とあり、故殺の罪に該当するとして控訴したことが明白である。
上告論旨はすべて理由がない。
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〈結語〉
以上の理由に基づき、刑事訴訟法第285条に従って本件上告を棄却する。

明治29年1月27日、大審院第二刑事部公廷において、検事応当融立会いのもとで宣告。

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〈原文〉

故殺ノ件
大審院刑事判決録(刑録)2輯1巻103頁
明治二十八年第一五〇二號
明治二十九年一月二十七日宣告
◎判决要旨
公判手續ニ瑕瑾アルモ其始末書ハ無効ニアラス

第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院

被告人 岩澤庄助 
辯護人 江木衷 磯部四郎 板倉中

右岩澤庄助カ故殺被告事件ニ付明治二十八年十二月五日東京控訴院ニ於テ千葉地方裁判所ノ判决ニ對スル檢事ノ控訴ヲ審判シ原判决ヲ取消シ更ニ被告庄助ヲ無期徒刑ニ處スト言渡シタル第二審ノ判决ニ服セス被告人ヨリ上告ヲ爲シタルニ因リ刑事訴訟法第二百八十三條ノ式ヲ履行シ被告辯護人江木衷磯部四郎板倉中ノ辯論及ヒ立會檢事應當融ノ意見ヲ聽キ判决ヲ爲スコト左ノ如シ

上告趣意ハ原院ノ與ヘタル判决ハ擬律ニ錯誤アル不法ノ判决ナルヲ以テ破毀ヲ請フト云フニ在ルモ◎如何ナル點ヲ指シテ錯誤ト爲スヤ其理由ヲ陳述セサルニ因リ之ヲ監査スルニ由ナシ到底上告ノ理由ナキモノトス
辯護士カ上告擴張書ノ要旨第一原判文ニ「助治ハ之ヲ聞キ入ルヘクモ見ヘス五月蠅被告ニ搦ミ付キ強請シテ己マサルヨリ云々」ト是レ一ノ暴行ナリ被告ハ實ニ其身體ニ暴行ヲ受ケタルヨリ豫審决定ノ示ス如ク赫トシテ怒ヲ發シタルコト疑ヒナク又原判决ノ認メタル如ク被告カ其情歸タル助治ヲ殺害スルニ至ルニハ必ス當サニ然ラサルヲ得サリシナリ是レ原判文ニ依リ普通ニ見得ラルヘキ事實ナリトス然ラハ則チ原院ハ刑法第三百五條ヲ適用シ被告ノ罪宥恕スヘキナルニ此法條ヲ適用セサルハ不法ナリト云フニ在ルモ◎五月蠅搦ミ付キ云々トアル事實ヲ以テ暴行ノ所爲ト認ムルコトヲ得サルモノナレハ刑法第三百九條ヲ適用セサリシハ相當ニシテ違法ノ點ナシ』
第二原判决ハ被告ノ殺意ヲ叙スルニ單ニ「寧ロ助治ヲ殺害シ煩累ヲ避クルニ如カスト决意シ云々」ト謂ヒ其謀殺ナルヤ故殺ナルヤノ事實ヲ明カニセス直ニ故殺ナリト認メタルハ事實理由ノ不備ヲ免カレス」
第三原判文ニ「寧ロ助治ヲ殺シ煩累ヲ避クルニ如カスト决意シ云々」トアリテ被告カ犯罪ノ目的ヲ定メタル事實ヲ認ムルモ被告カ殺意及决心アリタル事實ヲ認メスシテ故殺ノ罪ニ問ヒタルハ犯罪ノ目的ト故意トヲ混同セル不法アリト云フニ在ルモ◎原判文ニ「寧ロ助治ヲ殺害シ煩累ヲ避クルニ如カスト决意シ直ニ助治ヲ其塲ニ打倒シ両手ヲ以テ同人ノ咽喉ヲ扼シ即時窒息死ニ至ラシメタルモノナリ」トアリテ其故殺ノ事實及ヒ其殺意アリ且决心アリタル事實判文上明瞭ニシテ毫モ不備不明ノ點アルコトナシ』
第四原判决ハ有罪ノ證憑トシテ醫師片山國嘉ノ鑑定書ヲ明示セラレタルモ鑑定書ハ刑事訴訟法ノ定式ヲ具備セサレハ有効ナラサルモノナリ原院公判始末書ニ徴スルニ片山國嘉カ公廷ニ出頭シタルハ明治廿八年十二月三日ナリ而シテ「裁判長曰ク本件ニ付テハ現ニ終結シタルモ合議ノ上死躰檢案書ノ鑑定ヲ必要ト認メタルヲ以テ職權ヲ以テ云々」トアリ又「故殺被告事件ニ付鑑定ヲ命スルニ付云々」トノ問アレハ同日ニ於テ鑑定ノ事項ノ開始シタルモノト云ハサルヘカラス然ルニ本件檢案書ニ付鑑定書ハ出來居ルヤトノ問アリ而シテ片山國嘉ヨリ該鑑定書ヲ提出シタルモノナレハ此鑑定書ハ其宣誓前ニ成立チタルモノナルヤ明カナリ加之本件審理ハ既ニ終結シタルニ尚ホ右鑑定ヲ必要トシテ之ヲ求メタル事實ナル以上ハ其以前ニ於テ豫メ命シ置カルヘキ次第ナリ又如何ナル命令及ヒ材料ヲ鑑定人ニ送付シテ鑑定ヲ爲サシメタル事蹟ノ徴スヘキモノナシ然ルニ呼出以前ニ作成シタル書類ニ呼出ノ日ニ於ケル宣誓書ヲ添ヘ鑑定書トシテ採用セラレタルハ宣誓未タ行ハレサル前ノ鑑定ヲ有効トセラレタル違法ト命令及ヒ材料ノ漠然徴スルニ由ナキ調査ノ書類ヲ鑑定書トシテ採用セラレタル違法アリト云フニ在ルモ◎片山國嘉ノ鑑定書ヲ閲スルニ「明治二十八年十二月三日東京控訴院刑事第二部法廷ニ於テ岩澤庄助故殺被告事件ニ付證人鳥井直哉ノ作リタル死躰檢案書及ヒ其調書ヲ査閲シ右琴司ノ死因ハ頭部損傷ニアルカ將タ頸部扼壓ニ因ル窒息ニアルカヲ鑑定スヘキ旨ヲ命セラレタリ依テ右書類ヲ査閲スルニ云々」トアリテ十二月三日法廷ニ於テ鑑定ヲ命セラレ即時鑑定ノ材料タル書類ヲ調査シテ鑑定書ヲ作リタル事實明瞭ナリ而シテ公判始末書ニ鑑定ヲ命スルニ付宣誓ヲ爲サシメタル事蹟ヲ記載シアルニ依レハ其宣誓ヲ爲シタル後鑑定書ヲ作成シ之ヲ捧呈シタル事實モ亦明瞭ニシテ該鑑定書ハ宣誓前ニ作成シタルモノニ非ス又命令及ヒ材料ナキモノニ非ス即チ正當ノ鑑定書ナレハ之ヲ斷罪ノ證憑ニ採用シタルハ相當ナリ』
第五原判ノ證憑ト爲シタル片山國嘉ノ鑑定書ハ之ニ對シ被告ノ意見ヲ問ヒタル事蹟アルモ之ニ對シテ利益ト爲ルヘキ證憑ヲ差出スヲ得ヘキコトヲ告知シタル事蹟ノ徴スヘキナキ即チ違法ヲ免カレスト云フニ在ルモ◎本件ハ前後二回公判廷ヲ開キ前回開廷ノ際既ニ各證憑ニ付被告ノ意見ヲ問ヒ且利益ト爲ルヘキ證憑ヲ差出スヲ得ヘキ旨ヲ告知シアルニ因リ鑑定書ニ對シ被告ノ意見ヲ問ヒタル上ハ更ニ利益ノ證憑ヲ差出スヲ得ルコトヲ告知セサルモ違法ト爲スヲ得ス』
第六原院ハ第一審公判始末書ヲ證憑ニ採用セラレシモ該始末書ハ被告ニ證據書類ヲ讀聞ケタル部分ニ於テ被告ノ意見ヲ問ヒタル事蹟ナク刑事訴訟法第百九十八條ノ規定ニ違反セルモノナルニ原院カ此無効ノ始末書ヲ採用セラレシハ違法ナリト云フニ在ルモ◎第一審公判始末書ヲ檢閲スルニ「問右證據書類ニ付意見ナキヤ答意見ナシ」ト明記シアリテ被告ノ意見ヲ問ハサルノ違法アルコトナシ且假令公判手續上瑕瑾アリトスルモ之ヲ以テ其始末書全部ヲ無効ト爲スコトヲ得サルモノトス』
第七檢事ノ控訴ハ被告ノ所爲ヲ以テ毆打致死ノ罪ニ該當スルモノトスルニ在リ然ルニ原院ハ之ヲ故殺ト判定シナカラ檢事ノ控訴ハ其理由アリトセシハ違法ナリト云フニ在ルモ◎千葉地方裁判所檢事ノ控訴申立書ヲ閲スルニ右ニ對スル故殺被告事件千葉地方裁判所ニ於テ無罪ヲ言渡シタル裁判ハ事實ノ認定其當ヲ得サル者ト思料云々」トアリテ故殺ノ罪ニ該當スルモノトシ控訴シタルヤ明瞭ナリ依テ上告論旨ハ總テ相立タサルモノトス
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ從ヒ本件上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十九年一月二十七日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事應當融立會宣告ス


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文政13年2月上旬・色川三中「家事志」

2025年02月13日 | 色川三中
文政13年2月上旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』をもとに、気になった一部を現代語訳したものです。
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文政13年2月1日(1830年)
〈行商中〉
玉造(現行方市玉造)に滞留。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商4日目。玉造(現行方市玉造)に連泊するのはいつもの行商と同様です。玉造周辺に顧客(医師)が多いためと思われます。昨日泊まった銚子屋さんに今日も泊まっているのでしょう。

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文政13年2月2日(1830年)晴
〈行商中〉
玉造(現行方市玉造)を出立。本日は、串引(現鉾田市串挽)の森作氏方に泊る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商5日目。本日は玉造(現行方市玉造)を出立し、串引村(現鉾田市串挽)まで行商。串挽の森作氏のところには、前回行商にも泊まっています(文政12年7月28日条)。

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文政13年2月3日(1830年)
〈行商中〉
串引(現鉾田市串挽)を出立。鉾田(鉾田市鉾田)の「いたこや」に泊まる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商6日目。串引(現鉾田市串挽)から鉾田(鉾田市鉾田)まで行商。「いたこや」は多分初出。日記の常として、気が向いたときに記すので、これまでも「いたこや」に泊まっていたのか、「いたこや」が今回初めてなのかまではわかりません。
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文政13年2月4日(1830年)
〈行商中〉
大風雨で鉾田(鉾田市鉾田)の「いたこや」に滞留。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商7日目。昨年は鉾田で大雪に見舞われてしまい逗留を余儀なくされましたが(文政12年1月14日条)、今年は大風雨での滞留となってしまいました。いずれも鉾田での悪天候なので、三中も苦笑したことでしょう。
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文政13年2月5日(1830年)晴
〈行商中〉
鉾田(鉾田市鉾田)を出立。飯嶋(現鉾田市飯島)の寿清老方に泊まり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商8日目。飯嶋(現鉾田市飯島)の寿清老の名はこれまでも何回か出ていますが、泊まるのは初めてのようです。「老」の尊称があるので、寿清さんは医師と思われます。前回は昼に立ち寄り歓待を受けています(文政12年7月23日条)。

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文政13年2月6日(1830年)
〈行商中〉
昼過ぎに飯嶋(現鉾田市飯島)を出立。寿清老から魚虎(土地の言葉で「はりふぐ」)をもらった。居合(鹿嶋市居合)の児玉氏宅で泊まり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商9日目。寿清老から魚虎(ハリセンボン)をお土産にもらっています。食用なのでしょうか。今日は居合(鹿嶋市居合)まで行商に来ています。鹿島神宮あたりが三中の行商ルートで最も土浦から遠いところなので、行商も後半戦です。

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文政13年2月7日(1830年) 朝晴
〈行商中〉
今年初めてうぐいすの声を聞く。
昼の四つ時過ぎだというのに、晴れわたる空に月がはっきりと見えた。異常気象なのだろうか。居合(鹿嶋市居合)を出立。大舟津(現鹿嶋市大船津)の大橋に泊まり。鹿嶋神社に金二朱を奉納し家内安全を祈る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商9日目。大舟津(現鹿嶋市大船津)泊。大船津は鹿島神宮の船着き場であり、水郷交通の中継地として発展した場所です。鹿嶋市のホームページに大船津の詳しい解説があります。
https://city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/76508.html

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文政13年2月8日(1830年)
〈行商中〉
大舟津(現鹿嶋市大船津)を出立。渡し船で延方へ(現潮来市延方)。勘左衛門殿の家で「本草問答」を筆写。誠に実学と言うべし。潮来(現潮来市潮来)で昼食をとり、夜は於下(現行方市於下)に泊まり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商10日目。大船津⇒延方⇒潮来⇒於下(現行方市於下)と移動しています。延方では「本草問答」を筆写。「誠に実学と言うべし」は原文のまま。勉強好きの三中の本領発揮です。

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文政13年2月9日(1830年)晴
〈行商中〉
於下(行方市於下)を出立し、 玉造(行方市玉造)に四つ時過ぎに着。従業員の嘉兵衛に偶然会えたので、手紙を書いて宿へ送る。
昼食後、浦前の七兵衛殿(農家)の家に無償で泊めてもらった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商11日目。於下(行方市於下)を出立し、浦前で泊。於下という地名は、これまで日記にはほとんど出てこなかった地名です。色川家の営業は拡大して好調のようです。「浦前」が現在のどこにあたるかは分かりませんでした。玉造の近くではあるようですが。
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文政13年2月10日(1830年)
〈行商中〉
玉造(行方市玉造)で行商。吉川(行方市吉川)から玉造へ帰る途中、上等な鬼の矢羽をたくさん手に入れた。今夜も玉造に泊まり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商12日目。玉造周辺を回っています。玉造は2日ほど既に行商していますが、土浦の帰りがけにまた回っています。先日には会えなかった医師がいたのか、新規顧客を開拓しているのか。


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千葉地裁が一審の大審院判決 明治28年の詐欺等事件について一部無罪判決

2025年02月10日 | 大審院判決

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(はじめに)
・この判決は大審院明治28年11月14日判決(大審院刑事判決録1輯4巻78頁)の現代語訳を試みたものです。原文は現代語訳の下にあります。
・本件は「私印盜用私書僞造行使詐欺取財の件」とされており、現代風にいえば、私文書偽造、同行使、詐欺被告事件です。
・被告人らが共謀して、被害者の所有する山林の登記を移転し、それを担保に金員を別の者から詐取しようとした事件です。
被害者の所有する山林が、「阿蘇村米本」(現千葉県八千代市米本)であり、一審は千葉地方裁判所で行われています。
・大審院は、東京控訴院の判決を一部破棄し、一部無罪を言渡しています。一部無罪となったのは、詐欺罪に関してで、「不動産の売買の登記は、単にその事実を公示する方法に過ぎず、所有権移転の効果を生じさせるものではない。したがって、その行為をもって不動産の詐取とすることはできない」という判断をしたためです。明治時代はこの見解が判例だったのですが、これでは不動産に対する詐欺罪の既遂はほとんど認められなくなってしまいますので、後にこの見解は改められており、不動産売買における詐欺罪の既遂時期は、占有移転時または所有権移転登記手続き完了時とするのが判例です(大連判T11.12.15)。
・本件事件が起きた時期は、明治25年10月19日ころと思われます。第一審判決がいつ言渡されたかは、大審院判決からは不明ですが、第二審の東京控訴院判決は明治28年5月27日に言渡され、大審院判決は同年11月14日言渡しとなっています。
・本判決は、日本研究のための歴史情報裁判例データベース(明治・大正編)に登載されています。
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私印盜用私書僞造行使詐欺取財の件
大審院刑事判決録(刑録)1輯4巻117頁
明治28年第775號
明治28年11月25日宣告
◎判决要旨
・不動産の売買の登記は、単にその事実を公示する方法に過ぎず、所有権移転の効果を生じさせるものではない。したがって、その行為をもって不動産の詐取とすることはできない(明治28年第787号、私印書偽造・使用および私書偽造行使の件、刑録1輯第1巻99頁参照)。
・売買を証明する証書が偽造された場合、それによって所有権移転の効力は生じず、したがってその所有権は依然として元の所有者に残る。

第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院

被告人 今井小三郎 今井菊松 野口宗悦 
辯護人 高木益太郎

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(緒言)
小三郎ほか2名に対する私印盗用、私書偽造・行使、詐欺取財被告事件について、千葉地方裁判所の判決に対し、被告らが控訴し、検事が附帯控訴をなした。原審(東京控訴院)は審理の上、明治28年5月27日、以下の判決を言渡した。
「原判決は取消す。
被告小三郎には懲役4年、罰金40円、監視1年被告菊松及び宗悦には各懲役3年、罰金30円、監視6ヶ月
押収された売渡証書および「口演」と題された書類各1通は没収、その他の書類や印章は差出人に還付する。
公訴裁判の費用は、3名の被告が連帯して負担。」

被告らが上告したので、裁判所構成法第49条の規定に従い、本刑事部は連合の上、刑事訴訟法第283条の定式を履行し、以下のように審理を行った。
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(被告小三郎の上告趣意について)
被告小三郎の上告趣意:原裁判所は被告らを共謀者として有罪判決を下したが、共謀の事実を証明する証拠は存在しないから、原裁判所は架空の事実を認定して有罪を認定した不法な裁判である。
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〈大審院の判断〉
これは、原審の職権に属する事実認定を非難するものであり、適法な上告理由にはあたらない。

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(被告小三郎の上告趣意拡張第一点について)
被告小三郎の上告趣意拡張第一点:判決書に「鑑定人・大井親吉」とあるが、鑑定人としてそのような名前の者は存在しないから、原審において大井親吉という者の鑑定書を証拠として有罪認定の証拠として用いたのは違法である。

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〈大審院の判断〉
原判決の原本には「鑑定人大井親」と記載されていて、「親吉」とは記載されていない。一件記録には大井親の鑑定書が存在するのだから、論旨のいうような不法はない。

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(被告小三郎の上告趣意拡張第二点について)
被告小三郎の上告趣意拡張第二点:判決書には宗悦の住所が「茨城県北相馬郡東文間村福本」と記載されている。しかし、東文間村に福本という地名は聞いたことがなく、福木の誤りではないか。このように粗漏のある判決書は信頼できない。
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〈大審院の判断〉
この点は被告小三郎には関係のないことであるから、適法な上告理由にはあたらない。
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(被告小三郎の上告趣意拡張第三点について)
被告小三郎の上告趣意拡張第三点:判決言渡しに関与した5名の判事のうち1名については、刑事判決謄本には「小林芳郎」とあり、私訴判決謄本には「小村芳郎」とあって、どちらが正しい名前かははっきりせず、このような不当な判決には従えない。
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〈大審院の判断〉
原判決の原本には、いずれも「小林芳郎」と記されている。論旨のいうことが事実であったとしても、謄本の誤写は原判決の破棄事由とはのらない。
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(被告小三郎の上告趣意拡張第四点について)
被告小三郎の上告趣意拡張第四点:裁判所法廷で参考に供された押収物の提灯は、所有者にも還付されず、また没収もされず、その処分について何の言い渡しもなかったのは違法である。
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〈大審院の判断〉
原判決の理由に提灯についての記載がないため、没収されるべきものなのか、還付されるべきものなのか判然とはしないが、仮に被告から没収されるべきものであれば、本論旨は被告に不利益となる主張であるため、上告の理由にはならない。また、還付されるべきものであるならば、その処分は必ずしも判決言渡しと同時に行う必要はない。したがって、本論旨も適法な上告理由にはあたらない。
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(被告菊松宗悦の上告趣意について)
被告菊松宗悦の上告趣意は、被告小三郎の上告趣意と同じであるから、説明の必要はない。

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(被告3名の弁護人高木益太郎の上告趣意第一点について)
被告3名の弁護人高木益太郎の上告趣意第一点:偽造証書は刑法第43条第1号に基づいて没収すべきものであって、同条第3号に基づき没収されるべきものではない。しかし、原審においては、本件の偽造された借用証書と売渡証書、それに口演と題する書面各1通を刑法第43条第2号に基づき没収したことは、擬律錯誤(適用法規の誤り)である
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〈大審院の判断〉
本論旨は、適法な上告理由に該当する。偽造の書類は刑法でいうところの法により禁制した物件であるから、これを没収するには刑法第43条第1号を適用しなければならない。しかし、原審は、偽造と認定した借用証書や売渡証書、口演と題する書面を没収するにあたり刑法第43条第2号を適用しており、擬律の錯誤(法の適用の誤り)がある。
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(弁護人高木益太郎の上告趣意第二点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第二点:原審は「借用証書及び売渡証書並びにその謄本を偽造し使用した行為は、いずれも刑法第210条第1項および第212条に該当するもの」と判断した。しかし、証書の原本について偽造罪が成立している以上、その謄本を偽造したとしても別個の犯罪を構成するものではない。したがって、借用証書と売渡証書の謄本の偽造使用行為については無罪の判決を出すべきである。原判決には擬律の錯誤(適用法規の誤り)がある。

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〈大審院の判断〉
原審は、借用証書、売渡証書及びその各謄本を作成した行為を一連の行為と認定して擬律(法を適用)したものであって、謄本の作成を別個の罪と認定したのではない。したがって、無罪の判決を出すべきものではなく、原判決には本論旨のいうのような擬律の錯誤(法適用の誤り)はない。
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(弁護人高木益太郎の上告趣意第三点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第三点:原判決書の証拠列記部分に「鑑定人大井親の鑑定書」とある。しかし、大井親は上告人野口宗悦に対する事件の鑑定人ではなく、同人に対して適式な宣誓が行われなかったことは、宣誓書から明らかである。したがって、原判決が大井親の鑑定書を、上告人野口宗悦に対しても鑑定人としての効力がある証拠と認めて有罪判決をしたことは違法である。

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〈大審院の判断〉
一件記録を調査すると、鑑定人大井親は宣誓の上、明治26年3月8日に鑑定を行っている。その当時の被告に対して適式な宣誓を行い鑑定を行ったのであるから、鑑定書は有効である。その後、同月10日になって本件に被告宗悦が加えられたとしても、同鑑定書が不法無効となる理由はなく、原裁判所が本件全体の被告に対して有効な鑑定書として有罪認定の資料としたことは違法とはいえない。したがって、本論旨は適法な上告理由にあたらない。
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(弁護人高木益太郎の上告趣意第五点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第五点:地所について騙取罪は成立しない。これは、不動産に対して窃盗罪が成立しないことと同様である。しかし、原裁判所は性質上の不動産についても詐欺取財の罪の成立を認めており、擬律錯誤(法の適用の誤り)の判決である。地所登記名義の変更は、偽造した売渡証書を登記所に提出した結果であり、偽造証書行使罪の結果に過ぎないから、地所そのものを騙取したと認めることはできない。よって、原判決は破棄し、更正されるべきである。
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〈大審院の判断〉
原審は、「被告らは共謀して木村キヨから被告小三郎宛の山林売渡証書を偽造し、佐倉区裁判所に提出して売買の登記を受け、山林を騙取した」と認定しているが、売買の登記は、単に売買の事実を公示するに過ぎず、その目的物である山林の所有権を移転する効力はない。原審が所有権移転の効力を生じるような売買の合意があったことを認定せず、売買を証明する証書は偽造であると認定している以上、山林の所有権は当初から移動せず、引き続き木村キヨにある。よって、騙取にはあたらず、無罪を言い渡すべきである。しかるに原審は、山林の売買の登記を受付けたことをもって直ちに山林を騙取したものとし、刑法第390条第1項および第394条を適用しており、擬律錯誤がある(法の適用を誤っている)。山林騙取については罪とならず、原判決は破棄すべきである。
なお、本論点について上記のように解する以上、山林詐取に関する上告趣意第四点については判断する必要がない。
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(弁護人高木益太郎の上告趣意第六点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第六点:原判決が有罪認定の証拠かすとした木村重太郎の上申書や布留川多重郎・関谷鍵太郎の上申書は、刑事上の証拠としての効力を有する文書ではない。したがって、原裁判所がこれらを有罪の証拠としたのは不法である。

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〈大審院の判断〉
刑事訴訟法において、これらの書面を証拠として採用することを制限する規定はなく、原判決には本論旨のいう不法はない。
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(弁護人高木益太郎の上告趣意第七点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第七点:原判決には、「翌19日、被告小三郎は前述の偽造した金円借用証を持参して多喜司方を訪れ、同人に交付して金円を受け取ろうとしたが、多喜司は、借主本人であるキヨが一緒に来ない限りは金額を渡すことができないと言ったため、被告小三郎は一度帰宅し、金円を自分に渡すようにとの内容が記された「口演」と題する明治25年10月19日付の木村キヨ名義の書面を偽造し、キヨの名前の下に同じ実印を盗捺し、これを持参して再び同日、多喜司の元に行き、その偽造書類を交付した」との事実が認定されている。そうであれば、原審は「口演」と題する文書を偽造し、行使したのは被告小三郎単独の行為であることを認めたといえる。しかしながら、擬律の部では、この文書偽造・行使の責任を上告人菊松宗悦に科しており違法である。
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〈大審院の判断〉
原判決の理由の冒頭に「被告三名は共謀して木村キヨの山林を騙取し、さらにその名義で他人から金銭を引き出そうと企てた」とあることから、金銭を引き出すまでの一連の行為はすべて被告らの共謀によるものであると認定したことは明らかである。本論旨原判決文の誤解に基づくものであり、適法な上告理由とはいえない。

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(弁護人高木益太郎の上告趣意第八点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第八点:第一審の公判始末書に記載されている証人鈴木卯之助、今井徳太郎他数名は、本件に関して証人としての資格があるかどうか不明確である。始末書には、証人たちが刑事訴訟法第123条の関係がないとの答弁をした形跡がない。したがって、原裁判所が同人らの証言を有効なものとし、その始末書を証拠として採用したことは違法である。
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〈大審院の判断〉
同始末書には、証人の資格を質して宣誓させたとあり、刑事訴訟法第123条の各項について訊問し、その後に宣誓させて証言を聴くことに問題がないと認めたことが明らかである。したがって、たとえ同条に関係しない旨の答弁が記載されていなくとも、証人の資格の有無の確認がされていないとは言えない。よって、本論旨は適法な上告理由とはいえない。

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(弁護人高木益太郎の上告趣意第九点について)
弁護人高木益太郎の上告趣意第九点:原判決には「これを法律に照らすに、右の私印盗用の行為は刑法第208条第2項、第212条に該当する」とあるが、刑法第208条第1項の適用を欠いており、法律上の理由を明示しない違法な裁判である。同条第2項のみを挙げた場合、どの刑期から一等を減じるのかが分からない。
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〈大審院の判断〉
原判決は第208条第2項を明示しており、同項には「他人の印影を盗用した者は、一等を減ずる」と規定されている以上、その刑は同条第1項の刑から一等を減じるものであることは明白であり、何ら疑点がない。したがって、原判決が法律理由の明示を欠いた不法があるとは言えない。

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(結語)
以上の理由により、刑事訴訟法第286条、第287条の規定に従い、次のとおり判決する。

原判決の擬律(法の適用に関する)部分を破棄し、直ちに次のとおり判決する。
今井小三郎
今井菊松
野口宗悦
原審が認定した事実に法律を適用すると、被告らは共謀して木村キヨ所有の阿蘇村米本1183番地字島ケ谷の山林1段4畝26歩他9筆の土地を騙取したとの点に関しては、刑事訴訟法第224条により無罪とする。
押収書類のうち、借用証書、売渡証書、及び「口演」と題する書面各1通は刑法第43条第1号により没収する。それ以外については原判決どおりとする。

明治28年11月25日、大審院刑事連合部公廷において、検事岩田武儀が立会い宣告。

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〈原文〉
私印盜用私書僞造行使詐欺取財ノ件
大審院刑事判決録(刑録)1輯4巻117頁
明治二十八年第七七五號
明治二十八年十一月二十五日宣告
◎判决要旨
不動産ニ關スル賣買ノ登記ハ單ニ其事實ヲ公示スルノ一方法タルニ止マリ决シテ所有權移轉ノ効果ヲ生スルコトナシ從テ其所爲ヲ以テ不動産ノ騙取トナスヲ得ス(明治二十八年第七八七號私印書僞造使用私$書僞造行使ノ件第一卷九十九頁登載參看)賣買ヲ證明スヘキ證書ニシテ僞造ニ係ルトキハ之ヲ以テ所有權ヲ移轉スルノ効力ヲ生セス從テ其所有權ハ依然原所有者ニ存ス

第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院

被告人 今井小三郎 今井菊松 野口宗悦 
辯護人 高木益太郎

右小三郎外二名ニ對スル私印盜用私書僞造行使詐欺取財被告事件ニ付明治二十八年五月二十七日東京控訴院ニ於テ被告等ノ控訴及原院檢事ノ附帶控訴ヲ受理シ審理ノ末原判决ハ之ヲ取消ス被告小三郎ヲ重禁錮四年罰金四十圓監視1年ニ處シ被告菊松宗悦ヲ各重禁錮三年罰金三十圓監視六月ニ處ス押収ノ賣渡證書口演ト題スル書面各一通ハ沒収シ其他ノ書面及印顆ハ各差出人ニ還付ス公訴裁判費用ハ被告三名連帶負擔スヘシト言渡シタル判决ニ服セス被告等ヨリ上告ヲ爲シタルニ依リ裁判所構成法第四十九條ノ規定ニ從ヒ本院刑事部聯合ノ上刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ審理スル左ノ如シ
被告小三郎上告趣意ハ原裁判所ハ被告共ヲ共謀者トシテ有罪ノ判决ヲ下サレタルモ右共謀者ノ事實ヲ證スヘキ證憑ナシ即チ原裁判所ハ架空ニ事實ヲ認定シテ罪ヲ斷シタル不法ノ裁判ナリト云フニ在レトモ◎右ハ原院ノ職權ニ屬スル事實ノ認定ヲ非難スルモノニシテ上告適法ノ理由トナラス』同人上告趣意擴張ノ第一點ハ判决書ニ鑑定人大井親吉トアリ鑑定人トシテハ同名ノ者無之筈ナリ然ルニ原院ニ於テハ大井親吉ナル者ノ鑑定書ヲ證據ト爲シテ斷罪ノ資料ニ供シタルハ違法ナリト云フニ在レトモ◎原院ノ判决原本ヲ見ルニ「鑑定人大井親」トアリテ親吉トハ記載ナシ而シテ一件記録ヲ見ルニ大井親ノ鑑定書アルヲ以テ本論旨ノ如キ不法ナシ』其第二ハ判决書ニ送悦ノ住所ヲ「茨城縣北相馬郡東文間村福本」ト記載セリ然ルニ右東文間村福本ナル所アルヲ聞カス盖シ福木ノ誤リナラン如斯粗漏ノ判决書ハ信ヲ措ク能ハスト云フニ在レトモ◎右ハ被告小三郎ニハ關係ナキ事柄ナルヲ以テ上告適法ノ理由ト爲ス能ハス』第三點ハ裁判言渡ノ際掛リ判事五名ノ内一名ニ對シテハ刑事判决謄本ニハ小林芳郎トアリ又私訴判决謄本ニハ小村芳郎トアリ何レカ實名ナルヤ判然セス斯カル不當ノ判决ニ對シテハ服從スルコト能ハスト云フニ在レトモ◎原判原本ヲ見ルニ孰レモ小林芳郎トアリ其論旨ニ謂フ所ヲ事實ナリトスルモ謄本ノ誤寫ヲ以テ原判决ヲ破毀スルノ理由ト爲スニ足ラス』其第四點ハ裁判所公廷ニ於テ參考ニ供シタル押収ノ提灯ハ其所有主ニ還付セス又官ニ沒収モセス其處分ニ對シ何等ノ言渡シナキハ違法ナリト云フニ在レトモ◎原判决理由中提灯ノコトヲ記載セサルヲ以テ其沒収スヘキモノナルヤ否ハ還付スヘキモノナルヤ判然セスト雖トモ若被告ニ對シ沒収スヘキモノトスレハ本論旨ハ不利益ノ論旨ナルヲ以テ上告ノ理由トナラス又若還付スヘキモノナルトキハ其處分ハ必シモ判决言渡ト共ニスルノ必要ナシ旁本論旨モ上告適法ノ理由トナラス
被告菊松宗悦ノ上告趣意ハ被告小三郎ノ上告趣意ト同一ナルヲ以テ更ニ説明スルノ要ナシ』被告三名辯護人高木益太郎ノ上告趣意辯明ノ第一ハ僞造證書ハ刑法第四十三條第一號ニ依リ沒収ス可キモノニシテ同條第三號ニ依リ沒収スヘキモノニアラス然ルニ原院ニ於テハ本件僞造ノ借用證書賣渡證書口演ト題スル書面各一通ヲ刑法第四十三條第二號ニ依リ沒収シタルハ擬律錯誤ノ裁判ナリト云フニ在リテ◎本論旨ハ適法ノ理由アリトス如何トナレハ僞造ノ書類ハ刑法ニ謂フ所ノ法律ニ於テ禁制シタル物件ナルヲ以テ之レヲ沒収スルニハ刑法第四十三條第一號ニ依ラサルヘカラス然ルニ原院カ僞造ナリト認定シタル借用證書賣渡證書口演ト題スル書面ヲ沒収スルニ當リ刑法第四十三條第二號ヲ適用シタルハ擬律ノ錯誤ナリトス』其第二ハ原院ハ「借用證書并ニ賣渡證書及其謄本ヲ僞造行使シタル所爲ハ孰レモ刑法第二百十條第一項第二百十二條ニ該ルモノ」ト判定シタレトモ既ニ證書ノ原本ニ付僞造罪ヲ構成シタル已上ハ其謄本ヲ僞造スルモ別ニ一個ノ犯罪ヲ構成スヘキモノニアラス依テ借用證書賣渡證書ノ謄本僞造行使ノ所爲ハ無罪ノ判决アルヘキモノナリ乃チ原裁判ハ擬律錯誤ノ裁判ナリト云フニ在レトモ◎原院ハ借用證書賣渡證書及ヒ各其謄本ヲ作製シタルヲ一團ノ所爲ト認メ之レニ對シ擬律シタルモノナレハ殊ニ謄本ノ作製ヲ一個ノ罪ト認メタルニアラサルヲ以テ無罪ノ言渡ヲ爲スヘキニアラス故ニ原判决ハ本論旨ノ如キ擬律ノ錯誤ナシ』其第三ハ原判决書證據列記ノ部ニ單ニ「鑑定人大井親ノ鑑定書」ト掲ケアルニ依レハ同人カ上告人三名ニ對スル被告事件ニ付テノ鑑定ヲ證據ニ採用シタルモノト見做サヽルヲ得ス然ルニ同人ハ上告人野口宗悦ニ對スル事件ノ鑑定人ニアラス從テ同人ニ對シテ適式ノ宣誓ヲ爲シタルコトナキハ同人ノ宣誓書ニ徴シ明亮ナリ是故ニ原判决カ大井親ノ鑑定書ヲ上告人野口宗悦ニ對シテモ鑑定人タルノ効力アル證據ト認メテ有罪ノ判斷ヲ與ヘタルハ違法ノ裁判ナリト云フニ在レトモ◎一件記録ヲ調査スルニ鑑定人大井親カ宣誓ノ上鑑定ヲ爲シタル日即チ明治二十六年三月八日ニシテ其當時ノ被告ニ對シ適式ノ宣誓ヲ爲シ鑑定シタル已上ハ其鑑定書ハ有効ノ證據タルコト論ヲ俟タス而シテ其後チ即チ明治二十六年三月十日ニ至リ本件ニ被告宗悦ヲ加フルモ右鑑定書ノ不法無効トナルヘキ理由ナキヲ以テ原院カ本件全體ノ被告人ニ對シ有効ノ鑑定書トシテ本案斷罪ノ資料ニ供シタルモ之ヲ違法ト云フヘカラス依テ本論旨ハ上告適法ノ理由ナシ』其第五ハ地所ニ對シテ騙取罪ノ成立セサルコトハ猶不動産ニ對シテ竊盜罪ノ存セサルト異ナルコトナシ然ルニ原裁判所ハ性質上ノ不動産ニ對シテモ詐欺取財罪ノ成立ヲ認メタルハ擬律錯誤ノ裁判ナリ况ンヤ地所登記名義ノ變更ハ僞造ノ賣渡證書ヲ登記所ニ提出シタル當然ノ結果即チ僞造證書行使罪ノ結果ニ過キスシテ之ヲ以テ直チニ地所其物ヲ騙取シタルモノト認ムル能ハサルモノナリ依テ原裁判ハ破毀更正ヲ求ムト云フニ在リ◎依テ案スルニ原院ノ認メタル事實ニ依レハ「被告等ハ共謀シテ木村キヨヨリ被告小三郎ニ宛タル山林賣渡證書ヲ僞造シ之ヲ佐倉區裁判所ニ呈出シテ右賣買ノ登記ヲ受ケテ山林ヲ騙取シタリ」ト云フニ在ルモ右賣買ノ登記ハ賣買ノ事實ヲ公示スルノ方法ニ外ナラスシテ其目的物タル山林ノ所有權ヲ移轉スルモノニアラス故ニ原院ハ所有權移轉ノ効ヲ生スヘキ賣買ノ合意アリシコトヲ認メス其賣買ヲ證明スヘキ證書ハ僞造ナリト認ムル已上ハ山林ノ所有權ハ初ヨリ移動スルコトナク依然木村キヨニ存スルヲ以テ騙取ノ事實アルコトナケレハ無罪ヲ言渡スヘキニ原院ハ山林賣買ノ登記ヲ受ケタルヲ以テ直チニ山林ヲ騙取シタルモノトシ刑法第三百九十條第一項第三百九十四條ニ問擬シタルハ擬律錯誤ノ裁判タルヲ免カレス既ニ此論旨ニ基キ山林騙取ノ點ハ罪トナラサルモノトシテ原判决ヲ破毀スヘキモノト説明スル已上ハ山林詐取ノ點ニ對スル論旨即チ辯明第四ハ特ニ説明スルノ要ナシ』其第六ハ原判决カ斷罪ノ資料トナシタル木村重太郎ノ上申書布留川多重郎關谷鍵太郎ノ上申書ハ刑事上證據ノ効力ヲ有スヘキ文書ニアラス依テ原院カ之ヲ有罪ノ證據トナシタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎刑事訴訟法中右等ノ書面ヲ證憑トシテ採用スルニ付制限シタル規定アルコトナケレハ原判决ハ本論旨ノ如キ不法アルコトナシ』其第七ハ原判决ノ理由中「翌十九日被告小三郎ハ右僞造ノ金圓借用證ヲ携帶シ多喜司方ニ立越シ之ヲ同人ニ交付シテ金圓ヲ受取ラントナシタル處多喜司ニ於テハ借主本人キヨ同道ノ上ニアラサレハ金員相渡シ難シト云フニ依リ被告小三郎ハ歸宅ノ上金員ハ小三郎ニ相渡シ呉レ度旨ノ記載アル口演ト題スル明治二十五年十月十九日付木村キヨ名義ノ書面ヲ僞造シキヨノ名下ニハ前掲同一ノ實印ヲ盜捺シ之ヲ携ヘ同日再ヒ多喜司方ニ到リ該僞造書ヲ同人ニ交付シ」トノ認定ニ依レハ原院モ口演ト題スル文書ヲ僞造行使シタル所爲ハ小三郎單獨ノ行爲ナルコトヲ認メタルモノト云ハサルヘカラス然ルニ擬律ノ部ニ至リ右文書僞造行使ノ責任ヲ上告人菊松宗悦ニ科シタルハ違法ナリト云フニ在レトモ◎原判决理由ノ冐頭ニ「被告三名ハ共謀シテ云々木村キヨノ山林ヲ騙取シ尚同人ノ名義ヲ以テ他ヨリ金員ヲ取出サンコトヲ企テ云々」トアレハ其金員ヲ取出スマテノ總テノ行爲ハ皆ナ被告等ノ共謀ニ出テタモノト認メタルコト明カナレハ本論旨ハ原判决文ノ誤解ニ基クモノナレハ上告適法ノ理由ナシ』其第八ハ第一審ノ公判始末書中ニ記載アル證人鈴木卯之助今井徳太郎他數名ノ證人ハ果シテ本件ニ付證人タルノ資格アリヤ否ヤ確定セサルモノナリ
何トナレハ右始末書中ニハ證人ニ於テ刑事訴訟法第百二十三條ノ關係ナキ旨ヲ答辯シタル事跡ナキヲ以テナリ故ニ原院カ輙ク之ヲ證言ノ効アルモノトシテ右始末書ヲ採テ證據トナシタハ違法ナリト云フニ在レトモ◎右始末書ヲ見ルニ爰ニ證人ノ資格ヲ質シ宣誓セシムトアレハ刑事訴訟法第百二十三條ノ各項ニ付訊問シタル處アリテ後宣誓セシメテ證述ヲ聽クニ差支ナキヲ認メタルモノナルコト明カナレハ假令同條ノ關係ナキ旨ノ答辯ヲ記載シアラサルモ證人ノ資格有無ノ確定セサルモノト云フヘカラサルヲ以テ本論旨ハ上告適法ノ理由ナシ』其第九ハ原判文ニ「之ヲ法律ニ照スニ右私印盜用ノ所爲ハ刑法第二百八條第二項第二百十二條ニ該リ」トアリテ刑法第二百八條第一項ノ適用ヲ欠キタルハ法律理由ノ明示ヲ爲サヽル違法ノ裁判ナリ何トナレハ單ニ同條第二項而己ヲ掲クル時ハ如何ナル刑期ヨリ一等ヲ減スルヤヲ知ルニ由ナケレハナリト云フニ在レトモ◎既ニ第二百八條第二項ヲ明示セハ同項ニ若シ他人ノ印影ヲ盜用シタル者ハ一等ヲ減ストアレハ其第一項ノ刑ヨリ一等ヲ減スルモノナルコト明白ニシテ一モ疑點ノ存スルモノナキヲ以テ原判决ハ法律理由ノ明示ヲ欠キタル不法アリト云フヘカラス
右ノ理由ニ依リ刑事訴訟法第二百八十六條第二百八十七條ノ規定ニ從ヒ判决スル左ノ如シ
原判决擬律ノ部分ヲ破毀シ直チニ左ノ如ク判决ス
今井小三郎
今井菊松
野口宗悦
原院ノ認定シタル事實ヲ法律ニ照スニ被告等共謀シテ木村キヨ所有ノ阿蘇村米本千百八十三番字島ケ谷山林一段四畝廿六歩外九筆ノ地所ヲ騙取シタリトノ點ハ刑事訴訟法第二百二十四條ニ依リ無罪押収ノ書類中借用證書賣渡證書口演ト題スル書面各一通ハ刑法第四十三條第一號ニ依リ之ヲ沒収ス其他ハ原判决通リ
明治二十八年十一月二十五日大審院刑事聯合部公廷ニ於テ檢事岩田武儀立會宣告ス


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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第12回講義

2025年02月06日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第12回講義
第12回講義(明治18年6月3日)

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第二節 允許(許可)を要する場合

(法的根拠)
検察官が公訴を提起するのに允許(許可)を必要とする場合があります。
治罪法には明文はなく、次のものを根拠としています。

①改定律例第11条
「勅奏官や華族が罪を犯した場合、その事由を天皇に奏聞し旨を請うてから推問(取調べ)する。但し、緊急の場合で即時に推問を行わざるを得ないときは、推問した後で奏請する」

②明治15年3月27日付の司法省丙第11号の達
「今般太政官から別紙の御達しがあったため、この旨通知する。」
〈別紙〉
「勅任官が禁錮刑に該当する罪を犯した場合、または奏任官、華族、帯勲有位の者が禁錮以上の刑に該当する罪を犯した場合、検察官は司法卿に具状(報告)し、司法卿はその事由を天皇に奏聞して処分を行うこと。但し、現行犯については処分を行った後に奏聞することができる。以上のとおり達する」

③明治11年12月13日第173号の公達
「勲章等を持つ者が重罪・軽罪、または違警罪に関わる場合の取り扱いにつき、司法卿から申稟があった。
勲三等以上は勅任官に準じ、勲六等以上は奏任官に準じ、勲七等以下は判任に準ずるべきと指令する。この旨を心得るよう達する」

④明治16年5月14日付の司法省丙第2号達
「勅任官、華族及び帯勲有位者の犯罪の取り扱いについて、別紙のとおり太政官に伺ったところ、朱書のとおり御指令があったので、この旨を心得るよう通知する。ただし、御指令文中に『15年3月22日云々』とあるのは、当省丙第11号の達と理解すること」
〈別紙〉
「勅任官が禁錮刑に該当する罪を犯した場合及び奏任官、華族、帯勲有位の者が禁錮以上の刑に相当する犯罪を犯した場合の取り扱いについては、明治15年3月22日付けの御達しがあったところである。
罰金刑であっても、本人が出廷とする場合もある。拘留刑の場合や罰金や科料を完納しない場合には換刑として軽禁錮または拘留に変更することもある。そのため、本人を出廷させる場合や、換刑として軽禁錮または拘留に変更する場合には、やはりその都度奏聞すべきであると心得てよいか、以上について伺います」
上記の伺いに対する御指令は次のとおり。
「伺いのとおり。ただし、明治15年3月22日付で省内に達した指示にある『帯勲有位者』とは、勲六等以上、従六位以上を指すと心得よ」

以上により、勅任官、奏任官、華族、帯勲有位者が重罪または禁錮に該当する罪を犯した場合は、奏聞(天皇への報告)を行わない限り、公訴を起こすことはできません。
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(許可の要不要)
これを細別しますと以下のとおりです。

①帯勲有位の者であっても、勲七等以下、正七位以下の者は、直ちに起訴することができます。

②罰金に相当する軽罪または違警罪については、直ちに起訴することができます。

③華族の家族については、華族の戸主と同じ扱いをしなければならないため、直ちに処分してはなりません。華族条例の中で「華の詳細)族の家族はその戸主と同じ待遇を受ける」と規定されているからです。

④勅奏官、華族などの犯罪であっても、現行犯または準現行犯に該当する場合は、処分した後で奏聞(天皇への報告)することができます。もっとも、これは奏聞する余裕がないときのためですので、奏聞する余裕がある場合は、司法警察官は検事に報告し、検察官は直ちにこれを奏聞をして裁可を待たなければなりません。

⑤勅奏官、華族などの犯罪を直ちに処分することができないのは、その地位を重んじる趣旨ですので、証人に召喚することや鑑定人を命じること、その他証拠の収集、共犯者の逮捕などについては妨げられません。しかし、本人の逮捕、家宅捜索、召喚などについては、奏聞裁可を得た後でなければ行うことはできません。

⑥陸海軍人の犯罪については、陸軍治罪法および海軍治罪法に規定されているため、それに従うべきです。しかし、軍人や軍属の犯罪が通常の裁判所の管轄に属する場合には、なおこの特例に従うべきです。たとえば、非職軍人(現役でない軍人)であって、従六位以上または勲六等以上の者については、この特例に従うべきです。

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(司法省達は法律と呼べるか)
以上、改定律令及び司法省達に基づき説明致しました。ところで、司法省達は法律と呼べるでしょうか。

法律とは、一般に布告されるべきものであり、布告がなければ法律として一般の国民に遵守させることはできません。もっとも、官庁の規則に関するものは布告しないのが我が国の慣例です。

「達」は、官吏の事務処理方法を規定したものであって、官庁内の一規則にすぎないので布告を行っていません。
しかし、一度「達」が発せられた以上、位階や勲位を有する者はこの「達」に基づいて自己の権利を主張し、官庁もこれを拒むことができません。したがって、実際の運用においては、この「達」は法律と同じ効力を持つといっても過言ではないのです。
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(フランスの例)
フランスの制度について説明します。

フランスでは、上級官庁の許可を経なければ公訴を提起できない場合が二種類あります。一つは行政官を保護するためのもの、もう一つは政務官を保護するものです。

行政官を保護するものとしては、職務に関連して官吏が犯した重罪や軽罪について、参事院(行政裁判所)の許可を経なければ公訴を提起することが許されない、というものです。

この規定は、官吏を保護し、その独立を維持するために設けられました。官吏に犯罪の嫌疑がある場合、司法官がこれを取調べるとすれば、行政官はその独立を維持できなくなり、結果として行政運営に支障をきたす恐れがあるからです。

さらに深刻な場合には、行政官が常に司法官による抑制を受けることとなり、行政が停滞するという弊害が生じかねません。そのため、参事院の許可を経なければ、官吏の職務上の犯罪の取調べをすることができないと定めたのです。

フランスではかなり以前からこの特例が行われていましたが、1870年9月13日には廃止されています。国民の権利を重視するという趣旨からです。官吏の職務上の犯罪があった場合に上級官庁の許可を必要とすると、国民は官吏の犯罪を容易に告訴できなくなり、結果として国民の権利が損なわれます。このような主張が高まり、この特例は廃止されています。

次に政務官について述べます。
どの国でも政務官を保護する制度が存在します。フランスでは、政務官とは大統領、各大臣、上下両院の議員を指し、重罪や軽罪を犯した場合、司法官が直ちに訴訟を起こすことはできません。

政務官の犯罪については、通常の裁判手続きは適用されず、通常裁判所は管轄を有しません。1875年7月16日公布の法律では、大統領に犯罪があった場合、下院が公訴を起こすべきか否かを決定し、その後、上院がその犯罪を審理します。下院は公訴提起の審査を行い、上院は裁判を行うという仕組みです。

大臣の犯罪については、職務に関連するか否かを区別し、職務に関するものは在職中か否かに関係なく、下院が公訴を起こすべきかを判断し、公訴された場合は上院がその裁判を行います。職務外の犯罪ものである場合は、一般人と同様に、司法官に対して直ちに訴えることができます。

上下両院の議員の犯罪については、会期中に重罪または軽罪を犯した場合、所属する院の許可がなければ訴えることはできません。閉会後であれば、直ちに訴えることができます。

このような特例を設けて政務官を保護する理由は、政務官の独立を維持し、職務を全うできるようにするためです。したがって、フランスにおいてこの特例が設けられたのは、政務官個人を重視したのではなく、その職務を重んじた結果といえます。
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(日本において特例が設けられた趣旨)
我が国で勅奏官、華族、帯勲有位者を公訴する際に奏聞(天皇への報告と許可)を必要とする理由は、フランスと同じではありません。
華族や帯勲有位者は、職務に就いていないこともありますので、職務の重要性というよりは、爵位を尊重したものと考えざるを得ないからです。

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(歴史上の例)
このような特例は古今東西、どの国でも存在しています。
古代ローマでは、官吏の犯罪に関して特別な裁判所を設置したり、国王の許可を必要とする制度がありました。
また、清国でも、官吏の犯罪に対して奏聞を必要とする場合があります。
総じて、この制度はどの国であっても必ず設けられているものであり、我が国の例もその一つです。

このような特別な制度が各国に存在しているのを見ると、その必要性も自然と理解できるでしょう。

我が国において爵位を持つ人を重んじることは理由があります。なぜなら、位階の秩序を重んじることは、国家の安寧と秩序を保つために必要だからです。

公訴提起につき事前に允許(許可)を必要とする場合についての説明は以上です。

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第三節 予判を要する場合
(はじめに)
検察官が公訴を提起するにあたり予判が必要とする制度は、まだ我が国の法律で規定されていませんが、いずれはこの制度が設けられるでしょう。それゆえ、ここで予判について一言述べておきます。
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(予判を必要とする場合)
予判が必要な場合とは、たとえば会計官吏の犯罪や森林に関する犯罪などです。

会計官吏の犯罪については、会計検査院が調査する権限を持つことが適切であると考えられます。なぜなら、会計官吏が職務上犯罪行為を行った場合、会計検査院の調査を経なければ、計算上不正があるかどうかを知ることができないからです。
しかし、司法官のみの判断では、誤りがないことを担保することができません。したがって、事前に会計検査院の調査を経ることが必要です。

また、森林の盗伐事件について、森林の所有権に争いが生じた場合は、あらかじめ民事裁判所の判決によって、その所有権が誰に属するのかを確定させる必要があります。
フランスでは、不動産の所有権に関係する事件については、民事裁判所の判決を待たなければ刑事事件として判断することができない制度になっています。これは、非常に妥当な制度です。

これらの例では、予判が望ましいのですが、我が国の現行治罪法では、この制度がいまだ採用されていないので、予判を経ずに裁判することができます。
とはいえ、道理上は、民事裁判所の判決を待ってから裁判を行う方が穏当と考えます。

以上、予判について説明しました。
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(結語)
これまでに、公訴権が停止される場合、すなわち告訴が必要な場合、あらかじめ允許(許可) が必要な場合、予判が必要な場合について説明をしてきました。

次回からは、公訴権の抹消について説明します。
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文政13年1月下旬・色川三中「家事志」

2025年02月03日 | 色川三中
文政13年1月下旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』をもとに、気になった一部を現代語訳したものです。
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文政13年1月21日(1830年)
与兵衛が東在(東ルート)から土浦に戻ってきた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中が体調不良で行商に行けず、東在(東ルート)の行商は叔父の利兵衛と従業員与兵衛に任せていました。一昨日には叔父の利兵衛が、本日は与兵衛が土浦に戻ってきましたが、売掛金の回収がうまくいっておらず(1月19日条)、満足な結果とはいえないようです。

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文政13年1月22日(1830年)
三中先生、本日は休筆です(本日のみ)
#色川三中 #家事志


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文政13年1月23日(1830年)晴
・せい(三中の妻)が谷田部(つくば市谷田部)の実家へ行った。
・本日用事が多く、その他は略。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「せい」は三中の妻。実家が谷田部(現つくば市谷田部)です。三中の日記で「せい」さんが記事になることは稀で、約1年ぶりの登場です(前回は文政12年2月2日条)。前回の記事はこんな感じでやはり素っ気ない。
「せい(三中の妻)が実家の谷田部から土浦に戻ってきた。」

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文政13年1月24日(1830年)
佐原の山月堂の祐助殿がお出でになった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
佐原は現千葉県香取市佐原。佐原と土浦とは、霞ヶ浦、利根川の水運で繋がっており、相互の交流があります。当時の佐原は下総の文化・産業の中心地です。「山月堂」がどのような事業をしているかは残念ながら解明できていません。

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文政13年1月25日(1830年)曇
・体調はかなり回復。
・親類一同が集まり(親類別家惣寄合)、伊勢屋佐兵衛殿を中城へ引き取り世話をすることを決定した。また、家の円滑な運営のために佐兵衛殿を淋兵衛殿に預け、名主にも内密に伝えることとした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
・「親類一同が集まり」と訳した言葉は原文で「親類別家惣寄合」。文政11年9月20日条では、「親類別家惣評」とあり、同じ意味でしょうか。「家」単独ではなく、親類中での決定を必要とするような事項があることが分かります。
・「淋兵衛」は伊勢屋文二郎の元服後の名前です(文政11年1月22日条)。


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〈詳訳〉
・伊勢屋で親類別家惣寄合があった。同家の新宅いせや佐兵衛殿を中城(現土浦市中央)へ引取り、世話をするよう頼んだ。また、家のことを円滑に進めるため、佐兵衛殿を淋兵衛殿のもとに預けることにした。この件について、名主にも内々に伝えることとした。
・この日から体調はかなり回復。

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文政13年1月26日(1830年)
三中先生、本日は休筆です(本日のみ)
#色川三中 #家事志
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文政13年1月27日(1830年) 晴
〈行商出立〉
暁をおかし、茂吉とともに鹿嶋(鹿嶋市)へ向けて出立。牛渡(かすみがうら市牛渡)まではどうにも調子が良くなかったが、その後体調が回復。有川(同市有河)でしばらく雑談。田伏(同市田伏)の川岸源蔵で泊り。
#色川三中 #家事志
(コメント)
体調が完全ではない中、行商へ出立。「暁をおかし」と書いているところに、三中の覚悟が伺えます。幸い体調は上り調子。有川(現かすみがうら市有河)では数刻雑談する余裕も出てきています。
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文政13年1月28日(1830年)晴
〈行商中〉
田伏(かすみがうら市田伏)を出立し、高浜(石岡市高浜)の「はまや」に泊まり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商2日目。昨日は体調が不安定だった三中でしたが、本日な記事に体調への言及はなく、問題はなくなったようです。行商の二泊目は概ね高浜(現石岡市高浜)です。「はまや」という宿の名は初出かと思われますが、高浜の定宿なのかもしれません。

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文政13年1月29日(1830年)晴
〈行商中〉
高浜(石岡市高浜)を出立し、 玉造(現行方市玉造)に到着。銚子屋では馳走が出た。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商3日目。3日目は高浜(現石岡市高浜)から玉造(現行方市玉造)でいつもどおりのルート。三中の体調も問題なさそうです。玉造の定宿銚子屋では今回も馳走で歓待してくれています。
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文政13年(1830年)1月の記事は以上です。

文政13年(1830年)1月は小の月のため、30日は存在しません。#色川三中 #家事志はお休みです。
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文政13年(1830年)1月31日は存在しませんので(旧暦には31日は存在しません)、 #色川三中 #家事志はお休みです。
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