リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年9月~その1

2008年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
どこにあるの、ニッポン?

9月1日。三連休最終日。国境は北方面が込みだしているそうな。明日から新学年が始まるから、国境を越えてアメリカまで買い物に出かけた人たちが多いらしい。カナダドルがずいぶん上がってアメリカドルとほぼトントンのレベルなんだし、遠出はガソリン代がかかって大変だろうと思うんだけど、アメリカはカナダに比べて品揃えがずっと豊富で、同じチェーンでもカナダ側では売っていないものがたくさんあるらしい。近頃の子供たちには「安くて丈夫」はもう通用しないからなあ。小学生の女の子がファッションにうるさいことがいいのか、悪いのか。ま、子なしのワタシがそんなことを論じてもしょうがないか。

勢いに乗って明日の夜が期限の仕事もまとめて仕上げてしまった。どうも日本の職場はおかしな人が多いのかなと思ってしまう。人事部というのは仏様のような人でなければ勤まらないかもしれないなあ。いや、職場だけじゃなくて、社会全体がおかしいんじゃないのかなと思ってしまう。ま、掲示板でこんなことを言ったら、海外在住にいちゃんねら?に「日本人のくせに日本を批判するな(非国民!)」とやられそうだけど、残念でした。ワタシは日本国民じゃないもん。カナダでお気楽に帰化人をやってるの。

カレシの家族がまとまって住んでいる郊外のメープルリッジで、トラックがモールの寿司屋に真正面から突入して死傷者が出る事件があった。トラックを運転していた男は寿司屋の経営者もと従業員とも店にいた客たちともまったく関係がなく、どうやらいろいろと個人的な問題を抱えていたらしいというから、日本で頻発している無差別殺傷事件と同じように「誰でも良かった」のかもしれないなあ。それにしても、現場が「寿司屋」だったというだけで、犯人は「日本人嫌いなんでしょうか」なんて書き込む人がいたけど、それは自意識過剰の被害者妄想ってものじゃないかなあ。日本人は日本の外に出たとたんに猛烈な自意識過剰になって、「日本人対外人(ほんとは日本人の方が外国人なんだけど)という視点でものを見る傾向があるから、「寿司屋=日本料理=日本=日本人→日本人嫌い(人種差別だ!)」という反応式があったとしてもしょうがないか。

バンクーバーではジャパニーズもチャイニーズもコリアンもみ~んなひっくるめて「アジア人」。アジア人嫌いはいても、「チャイニーズ/コリアンはいいけれど、ジャパニーズは嫌い」というのは日本と戦争した時代に生きた高齢者くらいのもの。そういえば、「日本人はアジア人じゃないですよね」と念を押していた日本人がいたけど、なんだか明治政府の「脱亜入欧」のスローガンを思わせる。明治は遠くなりにけりというけれどなあ。

日本の総理大臣が青天の霹靂で「ボク、もうや~めた」。前のアベさんだか誰だったかもそうだったけど、大学を出て就職して、ちょっと仕事がきつかったり、人間関係がうまく行かないからと「もうや~めた」と言うボクちゃんと同じじゃないのかなあ。祖父や父が丁々発止の駆け引きをしている背中を見て育ったはずだけど、やっぱり「売家と唐様で書く三代目」か。今の日本、政治家も庶民もそろって精神的にひ弱すぎるんじゃないかなあ。世界の経済大国なんだから「もうがんばらなくてもいい」のかもしれないけど、実は国民一人あたりの国内総生産(GDP)は世界第17位に落ちているんだそうな。フクダ君はそれをせめて10位以内に返り咲きさせようとしたらしいけど、次の総理大臣は「Ah, so」で済ませるのかな?ロイター通信によると、日本は過去20年で13人も総理大臣が変わったそうな。ふむ、イタリアとギネスブック入りを争っているわけじゃないだろうけど、これじゃ名前を覚える暇もないだろうなあ。

日照ニモ、雪崩ニモ負ケズ

9月2日。今日から9月が本格的に稼動。日本では夏休みで中断していた学校が再開するわけで、遊びつかれたような雰囲気が漂ってくるけど、カナダは新入学の季節。近くの小学校でも一年生が初登校。といっても、日本のような入学式も何もないから、子供を連れて来る親も別におめかしも何もしていない。ピカピカの重そうなランドセルを背負って・・・といった歳時記的な風景もゼロ。9月の第一月曜日のレイバーデイの三連休が終わったら、幼稚園から大学までしかつめらしい儀式なんか抜きで一斉に新学年。それでも、なんとなく「季節の変わり目」を感じて、ちょっと引き締まった気がするからおもしろい。

仕事のほうもちょろちょろと動き出したような。ひまにまかせて新規取引先のトライアルを引き受けたら、常客の方から仕事がぞろぞろ。どういう風の吹き回しになっているのか知らないけど、「呼び水効果」とでも言えそうな不思議な展開になることが多い。翻訳業界の「トライアル」というのは「オーディション」のようなもので、料金を払ってくれるところと、くれないところがある。翻訳会社にはピンからキリまであるから、「うちの仕事をしないか」と声がかかったからってそこで喜んでいてはいけない。何年も前だけど、シンガポールにある会社から「ビジネス/法律分野」の募集がかかって、まあ、一応は「取扱い分野」と言うことで無料のトライアルにOKしたら、まったく違う分野の原稿をかなり急な期限付きで送って来た。「ご冗談でしょ」とばかりに突っ返したけど、トライアルの名目で手持ちの案件をただでやらせようというケチ臭さにはただただあきれ返ってしまった。

まさに客も十人十色で、長くやっているおかげでけっこう知恵がついて、ここならというところとは無料のトライアルでもやるけど、そうでなければやらないと返事をする。それで「料金を払うからどうか」と言って来たら、さすがに「ノー」とは言えない気分になってトライアルを承知することになるんだけど、そうすると急に仕事が忙しくなるから、ほんとにどうなってるんだろう。まあ、トライアルに料金を払うというところはOKして後悔しない確率は高い。つまりは、商売というのはいい意味での駆け引きなんであって、相手も自分も得をして丸く治まるのが一番だと思う。文学の翻訳ならともかく、実務翻訳は純粋なるビジネス。翻訳は語学力や読解力、文章力があればさほど難しい仕事ではないけど、「翻訳業」というビジネスをいかに潰さないように経営するかということになると話はまったくの別もの。東に無理を吹っかける客があれば、行ってなだめすかし、西に払いの悪い客があれば、眉間にしわを寄せて憂え、南に断れない仕事があれば、楽しみを棚上げし、北に意味不明の原稿があれば、頭をかきむしり、徹夜もいとわず、磨り減るまでキーを叩く。でも、「でくのぼう」とだけは呼ばれるわけにはいかない。ああ、この現実・・・。

日本では若い女性の間に翻訳はなんか「おしゃれなお仕事」みたいなイメージがあるかもしれないけど、所詮はイメージ。だけど、今のご時世は「最初にイメージありき」みたいなもんで、論理よりも理屈よりもまずはイメージ。それもマスコミが「これこそ(みんなに注目される/認められるための)あるべき姿」と盛んに喧伝するから、現実離れした「イメージ」が膨らんで一人歩きしているように見える。だけどなあ、実際には、きらびやかな女性雑誌や翻訳学校のパンフレットに溢れていそうな「語学を生かして翻訳のお仕事をしている知的なあたくし」みいたなイメージに陶酔しているひまなんかないんだけど。

な~んてぶつぶつ言っている間にも、小さな仕事がちょろちょろと流れ込んで来る。おいおい、まだ夏の遊びモードから「ねじり鉢巻モード」に切り替える態勢ができてないんだけどなあ。でも、やっぱり商売だから、商売の神さまにパンパンとかしわでを打って、ヴァーチャルシャッターをガラガラと開けて、今日も「営業中」の看板を出すかなあ・・・

言霊の幸う国で

9月3日。天気はいいけれど、空の色はどうもなんとなく秋っぽい青。陽射しもあまり暑くない。トマトが1個やっと色づいてきたところなのに、もう夏はおしまいなんてないよぉ。そういえば、トウモロコシが出回り始めたけど、今年は去年よりも遅いような気がする。まだ小ぶりでやせているし、ちょっとむいてみると先の方まで実が入っていないのが多い。まあ、9月になったばかりだから、これからもっと大きくなるのかもしれないけど、あまり期待できそうにないようなお天気模様・・・

どうもきのうから左側の耳下腺のあたりが痛い。喉の奥にも痛いところがあるけど、風邪の前触れの、あの喉の痛みとは違っている。さては、おたふくかぜ?というのも、郊外で発生したおたふくかぜが西へ広がっているとニュースで言っていた。とあるコミューンが宗教上の理由でワクチン接種を拒否して来たもので、そこで発生したのがだんだんに西へと伝染しているらしい。人命を救うのが目的のものを禁止する神さまって、どういう了見の神さまなんだろうと思うけど、ワクチンの普及で発生が激減したために、逆にワクチン接種を受けていない子供が増えたせいもあるらしい。おたふくかぜもはしかも水疱瘡も、昔は子供時代の通過儀礼のようなものだったけど、ワタシははしかにかかった記憶しかないもおで、おたふくかぜも水疱瘡もやったことがないというと、大人がかかったらえらいことになるよと脅かされる。もっとも、症状が出ない場合もあるらしいから、妹がなったときについでに感染して免疫ができているという可能性もあるかなあ。

ちょろちょろと流れてくる仕事をしていたら、「いっぱいいっぱい」と言う表現が何度も出て来た。最近は掲示板なんかでもしょっちゅう見かけるから、日常日本語になっているんだろうけど、実にグラフィックな表現だなあと感心する。同じかあるいは似た音を二度繰り返す「擬態語」は日本語に限らないし、実に動画的で便利な用法なんだけど、日本語のは五感に直接訴える表現が多いように思う。「空気を読む」表現とも言えるのかなあ。漢字という視覚的な表意文字を使っているせいだろうか。だったら、マンガやアニメが隆盛する理由が少しばかり見えるような気もする。だけど、この「いっぱいいっぱい」は、小さな子供が抱えているお椀が一杯で今にもこぼれそうなのにべそをかいているイメージが浮かんでしまって、ほんとうにグラフィックに切ない。注がれるスープの量が子供のお椀には多すぎて受けきれない、というところか。器がちっちゃすぎるんじゃないの、とは言わないけれども、言霊の幸う国がいっぱいいっぱいじゃねえ・・・

まあ、最近の日本語が乱れているのかどうかは、後々の世になってみなければわからないと思う。若者言葉と言われる表現がいつのまにか年上の世代にも浸透して「日常語」になることも多い。このあたりも今どきの日本語に限ったことではなく、ワタシが若かった頃もそうだったし、英語だっていつの世代でも同じ現象が起きている。今あたり前に使っている表現にだって昔は「乱れている」と眉をひそめられたものがたくさんあるはず。言葉はそれを使う民族のコミュニケーションのニーズに従って変遷するものだから、百年後の日本人は今どきの「乱れた日本語」を標準語として話しているかもしれないわけで、百年前の日本語と比べても日常的にはあまり意味がないように思うなあ。紫式部の日本語は今や「古語」だし、チョーサーの時代は「中期英語」、シェークスピアの時代は「初期近代英語」をしゃべっていたんだから、300年後には村上春樹や吉本バナナが「中期近代日本語」の古典文学になっているて、高校生が「IF(意味不明)!」と文句を言っているかもしれない。タイムマシンがあったらおもしろそう・・・

困りましたねえ・・・

9月4日。ああ、もうやんなっちゃう!WINDOWSのアップグレードがありますって言うから、「あ、そうですか」と、いつもの調子でクリックしたら、何、これ?さっさと見直しして納品しなきゃならない仕事があるってのに、時間がかかること、かかること。さすがのワタシもイ~ライ~ラ。それでやっとこさ完了ってことで、やれやれと思ったら、日本語入力ができないじゃないのぉ~。日本語はちゃんと表示されて読めるのに、IMEはちゃんと「JP 」の「あ」になってるのに、キーを叩いて出てくるのはaaaaaaa!もう、し~らない。

んっとにマイクロソフトってのはしゃ~ないやっちゃと、ぶつぶつと毒づきながらも何とか納品を済ませて、同業者のメーリングリストにしつも~ん。初めてXP搭載機を買ったときは、賢くなったなあと素直に感心したのに。大昔、巷で「電子計算機」とか「コンピューター」とかいう言葉が聞かれるようになった頃には、みんな人類の暮らしがもっと便利に、豊かになるというばら色の夢を描いたはずなのに、ほんとはどうなんだろうなあ。つらつら考えてみると、人類が生活の質を向上する上で基本的に役立つものはみんな過去のある一点までに発明され尽くしてしまって、そこから先はひたすら「快楽」の追求になったようにも見える。まあ、経済学で言う「限界効用逓減の法則」というやつで、どんなにすばらしいことだって、ある一線を越えるとありがたみが薄れて行くということ。そこが人間の性ってものなんだけど、日本語入力が必要なのはブログとメールと日本語での検索くらいのものだから、辛抱強くIMEを蘇生すればいいんだけど、「マイクロソフト対極楽とんぼ」の根競べ、どうなるかなあ・・・

英語版の日本ニュースサイトを見ていたら、吹きださずにはいられないような記事があった。イギリスの有力紙「Guardian」に掲載されたもので、数日前、伊豆で「死体が捨てられている」という通報があって、「すわ、殺人事件」と色めき立ったのはよかったけど、検視のために寝袋を開いてみたら出てきたのは何と等身大の「使い古された」セックス人形。証拠を保全するための捜査の手順とか何とか言っているけど、袋の上から触っただけで「女性の死体」と思い込んでしまったそうな。ま、ほんとうの殺人事件じゃなくて良かったけど、(日本人の想像以上にたくさんいる)日本語がわかる在日外国人たちがブログに書きまくり、そこからあっという間に世界のマスコミに広がったらしい。形容詞のつけようがない事件は世界のどこでもあるけど、にいちゃんねらが日本の恥を発信していると毎日新聞英語版の「WaiWai」を潰してから、逆に「ヘンタイ天国ニッポン」が注目されるようになった観がある。ばかはへびがいることを承知でやぶをつつくもんだけど、最近の日本が世界に誇れる輸出品といえば「サブカル」ぐらいのものだもんなあ。時代は変わるっていうけど・・・

ブログに投稿するといつも確認画面に出てくるのが広告。無料のブログだからそれはしょうがないんだけど、日本関係の英語版ニュースやブログのサイトにつきもの?の「お友だち募集」の広告(ゲットした相手と別れたのか、売れ残って必死なのか知らないけど、同じ顔が「リサイクル」されている)と同じで、繰り返し見せられるとムカついてくるものもある。エロっぽい無料ゲームもそうだけど、最近はうんざりを通り越しそうなくらいに「くっさ~い」の大攻勢。うら若い女性がせっかくのカワユイ顔を思いきりしかめ、鼻をつまんで、「夫が臭い」、「上司が臭い」、臭い、臭い、み~んな臭い。何もかも臭い。何とかして!マスコミの煽りもここまで来たら亡国近しって感じがしないでもない。

この数年で嗅覚を飛躍的に発達させたらしい日本人の「排斥」のターゲットにされているのがオジサン。某化粧品会社が「加齢臭」ということばを発明して以来、おじさんたちはますます生きにくくなったようで気の毒としかいいようがない。小町にも、若者に「臭い」といわれて、うつ病のあり地獄に落ち込む一歩手前の50代目前のおじさんがいる。「臭いと言われたのなら臭いんだろう」と、脱臭策を授けようとする人が多いけど、ちょっとおかしいなあ。ワタシにはその若者の方が異常に思えるけど、普通の日本人には「臭い、死ね」という子供のいじめをやっているような若者のほうが「普通」なんだろうか。中学生の男の子が「無味無臭になりたい」と母親に言ったという話を読んだときは背筋が冷えた。だって、命があってあらゆる細胞が活動しているのに、「無味無臭」なんて想像がつかない・・・。

ひょっとして、伊豆の「殺人早とちり事件」では、臭わなかったから「死体」だと疑わなかったのかなあ。ふむ、生き物は死んで土に帰るときにはもっと臭うんだけどなあ・・・。

つかの間の夢と悪夢と

9月5日。久々にエアコン陽気。まだ9月になったばかりだから「Indian summer(小春日和)」はちょっぴり気が早いように思うけど、なぜか雨に祟られるPNEが終わって子供たちが学校に戻ったとたんに夏復活というのはよくあること。雨に当たりすぎたのか、去年に続いてまたトマトに病害の兆しが出始めて、肩を落としていたカレシだったけど、向こう一週間の天気予報にお天道様マークが並んでいて、最後の望みをかけているみたい。とにかく少しでも色づいてくれれば、何とかなるんだけど・・・。

今日はまずいの一番に銀行に電話。日本からの送金がどういうわけか2度も入金されている。日本の口座に貯まった翻訳料を円のレートが良くなった時にまとめて送金してもらっているけど、今回は二重送金できるほどの残高はなかったから、ミスは100%カナダ側。円建ての送金をカナダドルに換算して入金するんだけど、2度の処理の間にレートが変わったらしく、後の金額のほうがちょっとだけ大きい。回された担当者が不在だったのでメッセージを残しておいて、2時間くらいたって銀行の残高をチェックしたら、やっぱり後の入金が取り消しになっていた。順序としては後の方が「ミス」なんだからあたりまえなんだけど、ちょっぴり惜しい気もするなあ。もうちょっと後で処理してくれていたらなあ・・・とか。まあ、たった35ドルの違いなんだけど、為替はギャンブルみたいで、時の運というものもあるからなあ。

きのう始まった日本語入力の問題。ブラウザをFireFoxに切り替えたらというアドバイスをさっそく試してみたけど、効果はゼロ。ATOKに切り替えたらというアドバイスもあったけど、どうやら日本語版のXPでなければ動かないらしい。XPになる前は、WINDOWSもOFFICEもわざわざ日本語版を手に入れて、完全に日本語環境に設定しなしていたんだけど、今さらあんなめんどうなことはやりたくない。サービスパックをアンインストールしてみたらというのも、うまく行かなかったら怖い。はああ・・・。だけど、言語の設定はどうしようもなく混乱して、英語モードを示す「EN」の上にマウスを置いてみたら「Japanese」と出てくるのに、日本語入力は頑として拒否。なだめすかしてなんとかアイコンが「JP」になったと思ったら、表示は「English」で、相変わらず日本語入力はいやいや。なんだか2歳児を相手にしているみたいで、さすがにすご~くくたびれたから、お気に入りのレミをたっぷりあおって、しっかりと寝て、きのうの今日。あれこれ設定を弄り回しているうちにメガワット級の電球が点った。XPになる前は完全な日本語環境で日本語も英語も不自由はなかった。今度もデフォルトの入力言語を「日本語」に設定したって不自由はないはず。元をただせば、英語仕様のXPで「アメリカ英語」を入力のデフォルトに指定して、「日本語」も設定してあった。標準の英語キーボードだから、日本語はもちろんローマ字でしか入力できない。そこで、「左Alt+Shift」で英語(EN)と日本語(JP)を切り替え、日本語モードの時は「ひらがな」と「半角英数」を「Alt+~」で切り替えていた。だけど、なのだ。「半角英数モード」でも問題なく英語文を処理できるのに、英語をデフォルトにするなんて、いったい何を考えていたのやら・・・。

というわけで、日本語をデフォルトにしたら、言語障害は雲散霧消・・・まあ、今のところは、なんだけど。おまけに日本語入力が不能になって英語からしか検索しかできなくなっていた電子辞書も元の通りに双方向の検索が復旧。何万円もした3つの辞書が危なくおしゃかになるところだった。ふう、やれやれ。さて、みんな一応の解決をみて落ち着いたところで、そろそろ次の仕事にかかるか・・・

還暦のアルマニャック

9月6日。ああ、やれやれ。一応はなんとなく問題が解決したように見えたけど、そこはどっこい、そんなに甘い夢を見せてくれないのがマイクロソフトってもんで、日本語入力はできることはできるんだけど、ブラウザを開いたらたちどころにノックアウト。WORDに戻ってもふらふらと泥酔の千鳥足。同じ酔っ払って千鳥足なら極楽とんぼの方がよっぽどミリョク的だ。そこまでだだをこねるんだったら、もう知らない。月曜までに大きな仕事を終わらせなければならないってのに、こんな「ごんぼ掘り」に付き合っているヒマはないの。というわけで、えいっと思い切ってSP3をアンインストールすることにして、その間ちょっとお昼寝・・・。

その結果・・・はあ、どうやらこれが一番の解決策だったらしい。この2日の騒ぎは何だったんだろうなあ。とにかく、元に戻って万々歳の気分で仕事にかかったら、「アップデートがあります」とお知らせが出る。見てみたらさっきアンインストールしたばっかりのSP3。そんなのいらないよ、とばかりに閉じたら、またすぐに「お知らせ」。またまたSP3。もういらないって言ったべさ。あんまし人のコンピュータをあやつけてかっちゃまさないでよ。もう、きもやけるったら。それでも無事に原状復帰したようで、あっずまし~い!

ごたごたしていてきのうの郵便が手付かずで山積み。たいていはジャンクメールだけど、Arts Clubのちょっと分厚い封筒があった。おお、新シーズンのチケット。今シーズンは見たいものがけっこう多い。そういえば、バンクーバー交響楽団も新シーズン開幕だけど、チケットが来ていない。いつもだったら、7月には届いているんだけどなあ・・・と、いぶかっていて、電球がポッ。どうもシーズンチケットの更新を忘れたような気がする。いつもは春先に電話で更新するかどうか聞いて来るけど、今年はその記憶がない。クレジットカードの明細書を引っ張り出して、1月の分からずっと調べてみたけど、ない。てことは、更新していない。さては日本に行っている間に電話が来て、カレシが何と言ったのか知らないけど、結局はそのままになってしまったらしい。最前列の中央の席・・・5年も維持したのになあ。ま、バロック音楽のシリーズもカレシの方がちょっと飽きて来ていたらしいから、ひと休みってことにしよう。

ディナーのおでかけ再開で、今日はイェールタウンのBlue Water Cafeにした。ここは料理は魚介類が中心でまあまあだけど、バーが充実している。Rawbarといって、老舗の和食レストランのシェフが担当しているスシバーもあるんだけど、すしシェフの募集でローカル掲示板に「経験不問。ワーホリ歓迎」と書いてあったのを見てから悪いけど試してみる気になれなくなった。今日は、カレシはセヴィチェの前菜とオヒョウのメイン。ワタシの前菜はカニのサラダとイカのから揚げのコンビで、メインはブイヤベーズ。バンクーバーで「ブイヤベーズ」とか(サンフランシスコ風に)「チオッピーノ」とメニューに書いてあったら、ほぼ確実にサケが入っている。要するにBC州=サケという思い込みがあるせいなんだけど、おかげでサケの味が際立って、ムール貝でさえ太刀打ちできない。まさにサーモンシチューになってしまう。でも、今日のはサケを予めさっと焼いてあって、スープにはほとんどサケの味が出ていなかった。これは感心。

Blue Water Cafeには上等のアルマニャックがあるので、いつも食後酒で仕上げ。今日は1940年というのもあった。でも、酒屋にワタシと同い年の1948年物が鍵のかかったケースに入っているのを横目でながめていたので、思い切って1948年を注文。ブランディグラスに1オンス(30ml)入って何と41ドル(約4200円)。ふわ~っと立ち上る香りだけでいつも買う1968年物とは天地の差があるのがわかる。鼻を突っ込んで大感激していたら、サーバーが「お持ちする途中でワタシもひと息だけ楽しませていただきました」と言ったので、カレシはひそひそ声で「チップから引くぞ~」。勘定書を見ながら「今日一番高いアイテムだ」と言うけど、東京のホテルのバーで飲んだアルマニャックはせいぜい15年のもので1杯が2000円した。あれに比べたら、御年60才のアルマニャックが41ドルは涙が出るほどうれしいお値段だと思うけど。あの1948年物のまだ酒屋にあったら、買ってしまおうかなあ・・・

もう一度生きてみたい時間

9月7日。夏がほんとうにUターンして来たような天気。システムが元の環境に戻って気分も軽い。コンピュータというやつは、不具合が起きて初めてどこまで奥深く人間の精神に侵入しているかを意識させてくれて、おまけにもうどうしようもない「腐れ縁」ぶりを見せ付けてくれるから厄介な存在。こっちの意に沿わないからって、距離をおくわけにも、疎遠にするわけにもいかないし・・・

ストーカースカンクが戻って来たらしいけど、埋め込んだ金網に阻止されたらしい。今度はまた前側に戻って、最後に残ったバリケードのない一角を掘り始めた。とりあえず穴は塞いだけど、しゃくにさわったから、石の代わりに靴底の泥を落とすための「ハリネズミ」の置き物をどんと置いた。チクチクとやれて、腹立ちまぎれにブスッとやらなければいいけど。んっとに、もう。まあ、前庭の部分にも早急に金網設置工事をしなければならないなあ。それにしても、二本足のストーカーよりはましなんだろうけど・・・

ニュースサイトを見ていたら、週末に「ジュリアナ東京」というディスコが一夜だけ再現されて、けっこうな人が集まったという記事があって、何枚か写真が載っていた。あの頃は、まだインターネットが普及していなかったので、日本の状況を知るために読売新聞の衛星版を購読していたから、バブル後の世相をもっと近くで見ていたかもしれない。バブルと言う空前の狂乱が破綻したのをまだ知らないかのように、裸も同然の若い女の子たちが羽根のボアと扇をひらひらさせながら腰を振っている図は、煌びやかだけど、なんとなく場末のストリップ劇場ってこんなものかもしれないなあ、と思った。まあ、現代日本は、水商売が女子大生の手軽なアルバイトになったり、中高生が「援助交際」と称して売春をしたり、プロとアマの線引きを取り去ってしまったように見えたからそう思ったのかもしれない。

一夜だけ蘇った「ジュリアナ東京」の饗宴に集まったかっての「お立ち台ギャル」たちにも、十数年という時間の流れはありありと見える。大学生だったとしてももう30代半ば。花のOLをやっていた人たちなら今どき言葉で「アラフォー」。めでたく結婚して、髪を振り乱して育児をやっているのか、結婚しそびれていわゆる「婚活」に励んでいるのか。みんなどんな14年を過ごしてきたんだろう。(それにしても、昔は結婚することを「永久就職する」なんて言ったけど、「婚活」という表現にはまさにその昔に戻ったような感じがある・・・。)週末の一夜をお立ち台に上がって踊って過ごした人たちはかっての華やかで傲慢で楽しかった人生の一時期に帰って、もう一度その時代を生きてみたかったんだろうなあ。

世の中の動きが時代を逆行するように見えることはあっても、ひとりひとりの人間にとって時間は前にしか進まない。過去に遡って現在を変えることはできないし、そんなことができたら人間はたちどころに堕落してしまうと思う。だけど、もしも、今まで生きてきた人生の中での「時」をひとつだけ選んで、それをもういちど「生きる」ことが許されるとしたら、人はどの「時」を選ぶかなあ。もちろん、苦しい時、悪い時はそれを変えようとせずにはいらないないだろうから、選べるのは「人生最良の時」だけにしよう。人生で一番幸せだった時、一番楽しかった時、一番気楽だった時、一番威張れた時、一番豊かだった時・・・人はそれぞれだから、もう一度生きてみたい人生最良の年もそれぞれに違っていそうだけど、一番多く選ばれるのはどの「時」だろう。やっぱり誰にも一番幸せなときかもしれない「子供時代」かなあ。

そう思って、カレシに聞いてみたら、「幸せなことなんか何にもなかったから、子供の頃に戻るのはごめんこうむる。それよりも、友だちがたくさんいて楽しかった大学時代がいい」。そうだったのかあ・・・。さて、ワタシだったらどうするかなあ。実は、まだこれから先に「人生最良のとき」があるような気がしているもので、選択は保留ということにしておきたい。時は未来へと進むんだもの、The best is yet to come・・・

七面鳥でチャランケ

9月8日。仕事をできるだけ終わらせておくつもりでちょっぴり「夜なべモード」になって、おまけにあくびをしながら寝酒を嗜んだりしたもので、寝ついたのは午前4時半。目が覚めたらちょうど11時で、シーラとヴァルが掃除に来る日だから、慌てて起き出した。今日も暑すぎないいい天気。

朝食の最中にシーラとヴァルが来て、ヴァルはベースメントのオフィス、シーラは二階の掃除にかかる。今日はシーラのワンちゃん、レクシーとニッキーがご同伴。裏庭に出して、ドアにリサイクル品の入った段ボール箱でバリケード。レクシーはおとなしく日向ぼっこしているけど、年上のニッキーはびっくりするほど敏捷に段ボール箱を飛び越えて、家の中に入ってきてはシーラに叱られる。カレシがたたんだ大きな段ボールを持って来てバリケードしたら、今度は上からバリバリとかじり出して、あっという間に低くなったハードルを飛び越えてしまった。それを見ていたワタシはおかしくて笑いがとまらない。いやはや頭のいいワンちゃんやねえ。ご本人(犬?)はばさばさと尻尾を振って得意満面だけど、ドッグショーに出たらメダルをもらえるかもしれないねえ。

オフィスがきれいになったところで超特急で仕事の仕上げ。この人、なんかちょっとおかいんとちゃう?といいたいようなすごい文章がだらだらと続いてる。周りがすべて敵みたいに見えてしまって、あることないことすべてがじわじわと狭まる包囲網・・・ひょっとしてパラノイアというやつなのかなあ。まあ、ワタシがそこまで考えることはないんだけど、どうしても気になる。表現に困ってカレシに相談したら、「なぜノーといえないのか。北米だったら考えられない」と言い出す。どうしてだろうねえ、ほんと。ワタシだったらはっきりとお断りして、あっけらかんとしちゃうけど、なにしろ日本文化の日本社会での日本人の思考と行動だからねえ。それにしても、みんな互いに疑心暗鬼で金縛りになっているみたい。きゅうくつそう・・・

勢いに乗ったカレシ曰く、「日本人はいうべきことをはっきりいわないで、変にニコニコして我慢するから、なめられて付け込まれるんだよ」。うん、おっしゃることはごもっとも。だけど、なのだ。「もの言えば唇寒し」の文化だし、「出る杭は打たれる」文化だし、「和をもって尊しとなす」文化だから、言うべきことをはっきり言えば「自己主張が強い」と引かれてひとりぼっちになってしまう。だからきっと顔で笑って心で泣く道化師を演じているんだよね。演技性人格ってやつかもしれないねえ。日本のオンナノコがどうしてそれなりの欧米人に「理想の女」みたいにもてはやされるのか、わかるでしょ?

さて、カナダでも総選挙ということになった。投票日は10月14日。感謝祭の翌日で残り物の七面鳥を食べる日だから、さっそく「Turkey Sandwich Day」と命名されたらしい。「Turkey」には、スラングで「くだらないやつ」という意味があるけど、「talk turkey」といえば「率直にずけずけとものを言う」という意味だし、「cold turkey」となると、タバコやドラッグのような依存しているものをすっぱりやめることを言う。政治はチャランケ(議論)の場。民主主義国の政治経済の方向を決める総選挙と結びつけると、七面鳥もけっこう意味深遠になるからおもしろい。さっそくテレビのコマーシャルでのチャランケ合戦が火花を散らしているけど、予想に反して長続きした少数政権、今度こそ過半数を獲得して安定政権を作れるかなあ。感謝祭の日に七面鳥に聞いてみようか・・・。

英語耳はほんとにある?

9月9日。予想に反して曇りがちで涼しい日だけど、仕事明けでいたってのどか。そろそろまた「さあ、何から始めようかなあ」という気分になる。まず、食洗機の問題から始めるか。食器はちゃんと洗っているんだけど、どうみても機能の一部が完正常に動作していない。買ったときに「最初の1、2ヶ月は細かいことに注目して、おかしいと思ったことはどんなことでも報告してください」とセールス担当者に言われているから、まだ買って2ヵ月半だけど、今のうちにファックスを送って、点検してもらった方がよさそう。

次は歯医者かなあ。上の奥歯の3本並んだ歯。充填が古くなったから、そろそろ恒久的な処置が必要なんだけど、カレシの年金についてくる歯科の保険では金のクラウンは入れられない。クラウンと同じように歯全体にかぶせるセラミックの「充填」ならカバーされるけど、噛み合わせる下の歯がすでに金のクラウンなもので、歯医者は同じ材質の方が持ちが良いと言う。それに、昨今は金の相場が高い。保険外でやるとすれば、かなりのコストがかかるだろうなあ。だけど、だけど・・・と、ふらふら考えているうちに、肝心の歯がなんとなくおかしくなってきた。う~ん、充填が取れてしまったのかなあ。ということはもう待ったなし、か。どうしよう・・・

カレシは今日から英語教室を再開。ただし、6週間の期間限定で、火曜日と木曜日の午後6時半。目覚ましをかけて「早起き」しなくてもいいのは楽だけど、6時ちょっと過ぎに出なければならないから、夕食の時間が1時間くらい早まる。なにしろ起きるのがどんどん遅くなるから、朝食も遅い。そのままで4時には夕食の準備態勢ってのはどうかなあ。まず、あまり手をかけていられないだろうなあ。いっそのこと、「真夜中のランチ」を午後5時に移動して、夕食はカレシが帰ってきてから準備を始めて、午後10時頃にのんびりと食べることにしようか。ま、一日三食に決まった順序があるわけじゃないし・・・。

夜の英語教室は、専業主婦のアジア系の女性が多かった今までのクラスと違って、今度のは、英語である程度は機能できているけれども、会話力の向上が生活の向上に直結する人に対象を絞っている。ごく少人数のクラスで、とにかく「英語をしゃべらせる」ことが基本方針。カレシとしては、夏の「会話教室」の経験を踏まえた上での方向転換なのだ。英語を母国で「外国語」として学んだ人たちは自分の英語力を過大に評価する傾向があるらしい。母語で生活する環境では、英語は日常に直結していない。非日常の場面で使って通じたということで、「できる」と思うのかもしれない。英語圏でフランス語を勉強した英語系カナダ人が自信満々でフランス語圏に乗り込んで撃沈されるのと似ている。英語圏で育った人たちは英語を「英語」と意識せずに使っているし、日本の人たちも「日本語」を意識していないだろう。

母語ではない言語をどこまでその「無意識」レベルに近づけられるかは、やる気の他に時間という壁があるんだけど、さらに「聴覚」という壁もあるらしい。カナダ自由党のステファーヌ・ディオン党首はこってこてのフランス語人。党首になったときはカナダとフランスの二重国籍だったことが問題視されたけど、総選挙となって、英語力が指摘されている。フランス語訛りが強いなんてもんじゃない。まさに「英語をしゃべっている」という緊張感がひしひしと感じられてしまう。ハーパー首相の英語訛りのフランス語のほうがよっぽどなめらかに聞こえて、半フランス語音痴のワタシでさえなんだかわかった気がするってのに、ディオン党首は前政権で閣僚を経験したくらい政治歴が長いし、ずっと英語のレッスンを受けているといっても、どうもあまり上達しているように聞こえない。

へたな英語を指摘されて持ち出したのが「聴覚」の問題。ふむ、英語耳がないってことなの?専門家によると、外国語の習得が苦手だという人たちの間にかなりの割合で聴覚に問題がある人がいるそうで、たしかに音感と言語習得の間にある程度の関連がありそうだけど、総選挙が始まった今になってからなんかわからない英語を話しているのを「聴覚の問題」だからしょうがないと言われても、首相になって国民の声がちゃんと聞こえるんかいなと思ってしまう。ふ~ん、英語が上達しないのを「聴覚」のせいにして、語学習得能力まで「医療化」してしまうのかなあ。(○○一錠、英語さらさら、なんて・・・?)

一期一会も積もり積もれば

9月10日。たっぷりと9時間も眠って、カレシにほっぺたをくすぐられて目が覚めた。あれ、このところほぼ毎日ワタシが眠っている間に起き出していたのに、今日はちゃんとまだベッドにいるではないか。なるほど、英語教室が無事スタートしたもので、ストレスが軽くなたってよく眠れたってことかな。せっかく啓蒙的な夢を見ていたのになあ。「昼過ぎだ。腹へった~」なんて言ってないで、どんな夢だったか知りたくない?

何かすごい芸術家のレセプションのようなところで、かなり自惚れたキモイ男(絶対一緒に飲みたくないタイプ。なんとかいう俳優に似てたなあ・・・)につきまとわれていたと思ったら、いつのまにか庭園らしいところで、これもテレビか何かで見たような女性と腕を組んで歩きながら、カレシのことを「あちこち欠点はたくさんあるんだけども、ワタシにとっては・・・」なんて、「告白」の決定的な瞬間に起こされてしまったから、その後自分がどんなことを言ったのかはわからずじまい。それにしても変な夢だったけど、あれは自意識だったのかなあ・・・?

きのう「暇モード」になるつもりでのんきに「やることリスト」を作っていたら、まるで合図したように仕事が舞い込んで来たから、どこかに気象台のよりも精密なレーダーがあるのかもしれない。遊びたい気分が半分で、「仕事、するか」という気分が半分。こういうのを「テンションが上がらない」というのかな。(この「テンション」の使い方はまだ今ひとつよくわからない。)ファイルの段取りをしたところで小町に寄り道。

「友達の必要性がわからない」というトピックが目についた。べたべたしたつきあいがめんどうで、悩みごとを相談されるのは「絶対に嫌」だそうな。「学校生活を円滑にする」ために仲良しグループに入って、社会へ出たら「業務を円滑にする」ために同期や先輩と仲良くし、母となった今は「情報収集のためと、子供の遊び友達を確保する」ためにママ友グループに入っているんだとか。だけど、それも必要がなくなったから、きっぱりと付き合いを止めるんだそうな。う~ん、それってほんとに「友達」かなあ。

「友達は必要なときに仲良くしていて必要じゃなくなったら切ってしまうという人いますか」という最後の質問がすごいけど、同調する人がて「世の中にワタシと同じ感覚をお持ちの方がいて安心しました」って?めんどうな友達はいらないけど、自分と似た人がいるのを確認して安心するというのは、なんだか矛盾している感じがするなあ。小町でも他の掲示板でもよく見かけるのが、こういうほんとうはさびしいのに、心を開かないのか、開けないのか、自分の「心」に少しでも近づかれたと感じると距離をおくとか疎遠にするとか縁を切るとかいう「人見知り症」の人たち。自分でもわからない「自分」を守るには他人を敵視するしかないのかもしれない。

利用価値があるから友達になって、その価値がなくなったら切るって・・・友達は「必要性」に基づいて「作る」ものじゃないのに、こういう人たちにとって人はモノにしか見えないのかもしれない。一期一会が二会になり、三会になりと、交わりを積み重ねるうちに絆が生まれて来るものだと思うけどなあ。友達という人間関係の「必要性」を論じる時点ですでに利己的な価値基準の議論になっている。でも、こういう無機質な人たちに「一期一会」の意味なんか説いてもむだだろうなあ。誰かが「殺伐とした現代日本の象徴か」と書きこんでいたけど、ワタシが東京で感じた「無機質さ」に通じるようなところがある。

人間には「心」というきわめて「有機的」なものがあって、人と人の交流はその心と心がしなやかな絆で結ばれることで成立するとすれば、友だちの絆は環境や物理的な距離の変化に応じて、まるでゴムのように伸び縮みできるものじゃないのかなあ。だけど、どれだけ伸びるかは誰にもわからない。何十年、何千キロも伸びても切れないときがあれば、無理に伸ばしすぎたり、伸びたままで年と共に劣化したりして、断裂するときだってあるだろう。それが有機的な「一期一会」の原理なんだと思うけど、「必要」だから作った友だちというのは、短い鎖で自分につないだ「道具」や「飾りもの」かもしれないなあ。

狂った時計

9月11日。12時過ぎに目を覚まして、カレシが見ていたという変な夢の話を聞いて、そろそろと起床。今日はなんとなくニュースを見たくない日。目の奥にリアルタイムで見た映像が焼きついていて、毎年この日が来るたびに、神だか主義だか知らないけど、勝手な大義名分に副わない人間を抹殺しようとする存在と、その勝手な大義名分に勝手に敵と決められて命を狙われる者に向かって「お前が悪いから」と言い放つ存在に怒りがこみ上げる。テロは仁義もへったくれもない人類の最も暴力的で最も邪悪ないじめなのに。犠牲者の名前が読み上げられて、鐘が鳴るたびに心がずきんと痛む。鎮魂。

でも、今日はいい天気だ。アメリカは大統領選の真っ最中。カナダも連邦総選挙の真っ最中。そのうちに日本も総選挙の真っ最中になるらしいという言う噂。完璧な制度と言うにはどれほど遠いものであっても、「デモクラシー」は人類の未来に最高の希望の抱かせてくれるものだと思う。テレビでは、「評論家」とか「識者」とか呼ばれる人物たちが引きも切らず、我が世の到来とばかり口角泡を飛ばしてあーだこーだ。各政党の誹謗と懐柔とアピールが入り乱れる選挙広告が流れるたびに、カレシはテレビに向かって毒づいたり、一人相撲の議論をしたり。どんな問題にも快刀乱麻の「解決策」を知っているらしい。いっそ立候補すればいいのに。それにしても、近頃はますますパパに似てきたような・・・(ためいき)。

今日はカレシの夜間英語教室の第2回目。夕食とランチの順序をひっくり返してみようと言う日。まず朝食の後に超特急で仕事を終わらせて、いつもなら夕食のしたくの時間にインスタントラーメンのランチ。それから注文してあった化粧品を引き取りにデパートへてくてく。日没は午後8時半だから、まだ明るい。クリニークがボーナスタイムをやるたびに担当のチュイが注文を聞いてくる。けっこうまとめて買うせいか、ボーナスのパッケージをいくつもくれる。今日はいつもより使いでのありそうなパッケージを6個ももらった。それだけで買わなくても化粧品が間に合ってしまいそうなのは皮肉。使い切れないから、シーラとヴァルとシーラの孫娘にもおすそ分けということになる。

スーパーで買い物をしてから教室帰りのカレシに拾ってもらって、家に帰り着いてから夕食のしたく。午後9時半。いつもの夕食と変わらないボリュームで、食べ終わったのは午後10時半。ふつうの日なら「勤務時間」で、そろそろカレシが「腹減った~」と言い出す時間。なんとなく調子が変な感じがする。三食には変わりないのに、順序を入れ替えただけなのに、カレシ共々どうも変に落ち着かない。時差ボケのような気がするところを見ると、体内時計が混乱してしまったらしい。どうやら、夕食の時間が遅い「地中海標準時」は私たちには向いていないのかもしれないなあ。

商品の偽装が後を絶たない日本だけど、カビや農薬で汚染した「事故米」を安く買って、食用に転売していた会社があるときいて、日本の食と切っても切れない米までが偽装汚染かとためいき。転売の転売で、まるで「ライスロンダリング」だなあ、これ。それも食用には売ってはいけないと知っていてのことだから、「バレなければいい」という思考中枢が活発な人たちなんだろう。カナダでは、大手の肉加工品メーカーの工場でハムやソーセージ製品のリステリア菌汚染が発生して十何人の死者が出ているけど、すごい数のブランドを持つ会社が気が遠くなりそうな膨大な量の製品をリコールした上で、工程を徹底的に調べて、汚染源がスライサーだったことを突き止めたと発表した。テレビには社長や幹部が立ったままで取り囲む報道陣に経過を説明し、質問に答える様子が何度も流れたけど、会社の幹部がひな壇に並んで「謝罪」という光景は見られなかった。まあ、消費者を騙そうという日本の商品偽装と、事故で起きたカナダの食品汚染では次元が違うから比べられないけど、人間に対する意識の違いが現れているように思う。

ジレンマだなあ

9月12日。ほ~ら、やっぱり。あまりにも遅い時間にまともな量の食事をするから、感覚的な生活時間全体が遅くなってしまって、目が覚めてみたら午後12時45分。カレシと顔を見合わせて、「まずいよ、これ」。というわけで、来週の火曜日は「普通よりやや早い時間に普通の夕食/真夜中に普通にランチ」というシナリオを試して見ることにした。若いうちは生活時間が不規則でもあまり影響はないのかもしれないけど、年を重ねるにしたがって規則的な生活が健康維持の鍵というのは確かだなあ。まあ、ここで言う「規則的な生活」というのは、べつに「早寝早起き」を励行するわけではなくて、毎日の生活のリズムが一定しているってことなんだけど。

先月は5年ぶりのヒマな夏だったもので、脳内リズムがすっかり「のんびり」ペースにはまり込んでいる。これもまずいよなあ。カレンダーをめくったとたんに仕事がぞろぞろ。東京でも朝晩が涼しくなって来ると脳が冴えて仕事がはかどるようになるのかな。なのに、ワタシはまだお気楽モード。そんなところへトライアルをしたところから契約書やら何やらが送られて来て、「へえ、受かったんだ~」みたいな気分でいたら、さっそく仕事。うひょ、でっかい。そろそろネジを巻けってことだろうなあ。まあ、仕事も規則的な生活のうちだから。はて、ねじり鉢巻、どこにおいたんだっけ・・・

今日の郵便の中に、またまたカレシ宛のService Canadaからの封筒があって、今度は何だろうと思ったら「老齢年金受給者カード」。裏に署名するところと、「緊急時の連絡先」を書き込むところがある。そしてその下に「このカードの保有者は老齢年金受給者なので、シニア向けサービスの制度を適用してあげてください」みたいなことが書いてある。そっか、これからは火曜日(Senior's Day)にスーパーに行って、カレシがこのカードを見せれば買い物が割引になるってわけ。自動車保険も減額になった差額が戻ってきたし、調べてみたら単に65才以上ってことで受けられる恩典はもっとあるかもしれない。シニカルなカレシでさえ「へえ、年を取るのも悪くないなあ」と感心するくらい「ベネフィット」攻めの観。まあ、いずれワタシが現役を退いて二人して年金生活になったら、そういう恩典をありがたいと思うかもしれないけど、そういうものに依存しないですむような老後の準備ができればいいにこしたことはないかなあ。

石油基地のテキサス州ヒューストンに超大型ハリケーン「アイク」が接近中で、海底油田の掘削などが停止し、備蓄不足になる噂が流れたら、カナダでガソリンの価格がひと晩に10セントも跳ね上がった。選挙戦の真っ最中だから、野党はさっそく「政府の無策」を攻撃しているけど、こういうことはしょっちゅうあることなんで、どの党の政権だってほんとうに打てる手はないんだけどなあ。トロントでは、ニュースを聞きつけてパジャマ姿で給油に駆けつけた人もいたという話だけど、わざわざガソリンスタンドまで車を走らせて行列したら、たかだか数ドルの節約が帳消しになるんじゃないのかなあ。ま、節約と言うよりは「安いうちに買えた」という満足感を求めているのかもしれないけど、それ、「買いだめ心理」と同じようなものじゃないのかなあ。明日急に値下がりしても満タンだから買えなくて、空になったときには逆にもっと高くなっているってこともあり得ると思うんだけど・・・。

SNSなるものが大流行しているそうだけど、実際にどんなもので、何を目的としているのか未だによくわからない。掲示板などから想像すると「友達作り」の手段のひとつらしく、日本では「Mixi」というのが最大手だそうな。首尾よくできた「お友だち」を「マイミク」と呼ぶらしいけど、簡単に削除したり、されたりするそうで、それを「マイミク整理」と言うらしい。まあ、「友だち」とは何か、「仲良し」とはどういうことかと考えさせられるけど、この現象は日本で携帯が爆発的に普及し始めた頃から始まっていたと思う。当時購読していた日本の新聞に掲載された携帯の特集が「電話帳」に登録することで友だち関係と見なす風潮を指摘していて、その頃すでに「電話帳が一杯になったらいらない人を削除する」という、今で言う「友達整理」が行われていた。人を整理するのは企業だけじゃないと知ってぞっとした。「Mixi」では交流することを「絡む」と言うそうだけど、それほど人との交流に飢えている人が多いんだろうなあ。一方では他人に心を開きたくない人たちが増えているようで、このジレンマをどう解決するのか・・・。

メトロセクシュアルかあ

9月13日。相変わらず正午過ぎに目が覚めて、仕事があるってのに相変わらずだらだらの土曜日。これも季節の変わり目というやつかなあと思ってみるけど、外を見たら引き続き夏満開の天気。どうなってんだろう。カレシは外へ出て、庭でなにやら大プロジェクトを展開。ハンマーの音と電動のこの音がする。日が高いうちから仕事をする気になれないでいるワタシは、おでかけの準備のついでにエクササイズ。ウェイトをたっぷりやって、腹筋の運動を25回。ちょっと汗をかいて、シャワーを浴びて洗髪。念入りにお肌の手入れをして、メークをして、鏡の自分ににっこり。(この「にっこり」が大事な仕上げなのだ。)

トンカチの音が止んだので、5時に近くなったことでもあるから、カレシに知らせに外へ出たら、庭はすっかり片付いている。温室に人影があるので行ってみたら、カレシがかがみこんでプラスチックのシートをがさがさ。プランターを作ったんだ。幅60センチくらい、深さ30センチくらい、長さは1メートル半。床においてサラダにする野菜を植えるそうで、これだけの大きさにたっぷり土が入れば、冬に太陽熱を吸収してかなりの保温効果がありそう。野菜と言っても小さいうちに葉を摘み取って食べるので、あまり深くなくていいし、寒いときは保温ケーブルを埋めてやればいい。植物は足下が温かいとあまり文句を言わないらしい。この冬は新鮮なベビーグリーンのサラダが食べられるかな?

登録した会員が見つけてきた英語の日本関連ニュースのリンクを貼るサイトがおもしろい。リンク先のサイトはちゃんとした新聞だったり、在日外人のブログだったり、ガイジンオタク系サイトだったりする。今日のおもしろニュースは「キャベツ余りで需給調整」。つい「気をつけないと牛乳の二の舞になりかねないよ。バター不足のように、トンカツに刻みキャベツがついて来ないなんてことになったらどうする」とコメントをつけてしまった。

ニュースサイトではないけど、ジグソーパズルに使えるおもしろい写真が見つかるのがTokyo Times。今日はのっけから、ボサボサ髪の男とも女ともつかない写真。どうやら道路脇の広告看板だけど、下に写っているトラックよりも大きい。東京で大流行しているらしい「ホストクラブ」の広告を集めたそうだけど、「ホスト」ってことは、「男」・・・だよね?ブロンドやカラコンの、せいぜい二十歳くらいの子供に見えるけど、ボサボサ髪はまるでunmade bed(寝起きのベッド)みたい。キモ~ッ・・・といいながらも、こんな坊やばかりのホストクラブ(ゲイクラブじゃないよね?)にいったいどんな女性が通うんだろうと感心しながら見ていたら、横の「お友だち募集」欄で「ayakobabe」ちゃんが艶然と微笑んでいる。ずっと前からある別のサイトの広告バナーに載っているくらいで、数ある英語サイトの「Meet Japanese Friends」欄の大ベテラン。再登場といっても「再」の字がいくつつくやら。売れ残ってるんかなあ。近頃はどうみたってPhotoshopでアニメ風に修正したとしか思えないオンナノコがよく登場するから、ayakoちゃんもアップグレードしたらどうかなあ。

今日のディナーは久しぶりに「Le Crocodile」。カレシはフォアグラの前菜とヒレ肉のステーキで、ワタシはエスカルゴの前菜と、ソースがアップルサイダーのリダクションというのに興味を引かれて鴨。家で試してやろうと言う魂胆。州の景気に翳りが見られるというけれど、相変わらず7時過ぎにはほぼ満席。メインコースに満足した後、カレシはグランマニエのスフレ、ワタシはチョコレートのプロフィテロールでデザート。待っている間に隣のテーブルについたのは現代ヤッピー風のアジア人カップル。夫婦らしいけど、女性の方がやたらに頭のてっぺんから「ケケケッ」と笑うもので、見とれがちだったカレシはしかめ面。せっかく気合の入ったモテ服なのに「おつむ空っぽ」の印象なのは気の毒だけど、「トロフィーワイフ」ってそんなもんじゃないのかなあ。男性の方も「メトロセクシュアル」というタイプに見える。まあ、東京のホストクラブの坊やたちもメトロセクシュアルの類なんだろうけど、あちらはどうも薄気味が悪い。どっちにしてもワタシの趣味じゃないよ・・・と言いながら、スプーンの先でさらって味見したカレシのスフレは、う~ん、リッチで最高だ~

満月の夜には

9月14日。大きな満月。東洋では「中秋の名月」だけど、西洋では「Harvest Moon」。ちょうど秋の収穫の時期に太陽が沈む頃に入れ替わりに上って来て、畑を照らして作業時間を延ばしてくれたので「収穫の月」というわけ。二十代前半の頃、上ったばかりの大きな満月に天体望遠鏡を向けてみたことがあった。広角レンズの視界の中いっぱいに広がった月面を見ているうちに、何だか無性に叫びたい衝動に駆られた。満月の光に当たると発狂するというのは西洋の言い伝えだけど、あのときは一瞬「本当かもしれない」と感じて、あわてて目を逸らした。地平線から上ってくるharvest moonはほんとに大きくて、ほんのりとオレンジ色。発狂すると言うのは、きっと「月なんかに見とれていないで、早く収穫しなさい」というお達しみたいなものかもしれないなあ。

このあたりから先、お月さんはだんだん小さく、冷たくなる。太陽とは逆に、月は真冬に天高く上る。よく晴れた月のきれいな夜に、どさんこは空を見上げて「今晩はしばれるぞ」という。晴れた日が続くほど、夜の寒さは厳しくなる。寒波襲来・・・。窓の内側一面に厚く凍りついた霜を爪で引っかいて絵を描くのは北国の原風景といえるかなあ。このワタシは根っからのホッキョクグマ。遺伝子系統はどう見ても南方系としか思えないんだけど、遺伝よりは環境への適応が優先したくちかもしれないなあ。もっとも、新雪の日には雪焼けする前から色黒。(そういえば、妹が生まれたとき、居合わせた伯母がワタシを見て「この子は玄米だけど、今度の子はまるで白米だ」と言ったとか。玄米も白米も分けへだてなくみんなにかわいがってもらったからよかったけど・・・余談。)

満月だからというわけでもないだろうけど、世の中はあいも変わらず騒々しい狂想曲。自然も狂えば、人間も狂いっぱなしで、宇宙船地球号はハリケーンにもまれる小船のごとく・・・だけど、地球は丸いし、宇宙には右も左も上も下もないから沈没はしないか。どっかへころころと転がって行ってしまうのかな。中国では有毒粉ミルクで数百人の赤ちゃんが腎臓結石になり、死者も出ているという。農家か牛乳の流通業者がメーカーに供給する牛乳を水で薄め、たんぱく質の量を高く見せる目的でメラミンを加えたらしい。メラミンはプラスチックや肥料に使われるもので、去年は北米でメラミンが入った中国産原料を使ったペットフードを食べた犬や猫が何千頭も死んだり、病気になったりした。メーカーに出資しているニュージーランドの会社が対応を求めても中国政府はなかなか動かなかったとか。オリンピック中とて、スキャンダルでメンツが潰れるのがいやだから隠しておこうってことか。

牛乳を薄めて売れば儲かるってことで、儲けることしか頭になかったんだろうけど、日本での「事故米」事件も「儲かる」から工業用とされた米とわかっていて食用に売ったわけだよなあ。転売に次ぐ転売で出所がわからなくなった「事故米」の中国産もち米を「国産」だと思って、それに「アメリカ産」のラベルをつけて売ったという事件まで派生したそうな。アメリカ産もち米の在庫がなくなって、供給維持のために「高い」国産米を「安く」売ったつもりでいたそうだから、怒るべきか、笑うべきか。殺虫剤に汚染された事故米はこともあろうに神社にも売られていたそうだから、そのうち神さまのバチがあたるぞぉ・・・

日本の消費者が中国製品などに対する不安に駆られている今、少々高くても「国産」なら安心して買うだろうから、輸入ものに「国産」のラベルをつけるだけで相当なサヤ稼ぎになることは確かだろうけど、根底には「わかりっこない」という消費者を小ばかにした意識と、「ばれなければ何をやってもいい」という、倫理観の完全なる欠如があるんだろうなあ。味にうるさいのが自慢の日本の消費者だって食べ比べてでも見なければ、国産品と輸入品の味の違いがわかるとは思えない。わからないのに「○○はどこそこの(ブランド)に限る!」なんて虚勢を張るからよけいに付け込まれるんだと思うんだけどなあ。「カモは1分ごとに生まれてくるのさ」と言ったのはサーカス王のP.T.バーナムだったけど・・・

またかい、ブラックマンデイ

9月15日。月曜日というのは、あっというようなことが起きる確率が高そう。週末明けだからかどうか知らないけど、サブプライム問題が津波のようにウォール街に押し寄せたらしい。リーマンブラザースが倒産し、メリルリンチが身売り。過去にもいわゆる「ブラックマンデイ」は何度かあったはずで、まあ、喉もと過ぎればなんとやらで、今度も何年か経てばまたぞろどこかでバブルがふくらむんだろう。

リーマンブラザースは158年の歴史を持つ老舗だけど、まあ、企業が潰れるときはだいたいこんなものだろうと思うなあ。何百年の歴史なんか「欲」の前にはまったく無力。大丈夫だろうと思っていても、実にあっけなく潰れてしまうのだ。ボースキーとかミルケンといった強欲の権化みたいな連中がのさばって、それにつられてたくさんの人たちが「ジャンクボンド」と言われる本来ならあまり投資価値のない債券をなけなしの貯金をはたいて買い込んで、あっと言う間に丸裸になった時期があった。そんなに昔のことではないから、覚えている人間も多いだろうと思うんだけど、「欲」というのは罪なもの・・・

だいたい家を買うローンを組む余裕のない人たちに金を貸そうというのがそもそもの間違い。そりゃあ、家を買える人が増えれば、家の需要が増えて、家を建てる人たちの仕事が増えて、み~んなハッピー。だけど、なのだ。ない袖は振れないの喩えの通りで、ないお金で家を買うわけにはいかない。だけども買えてしまったのがサブプライム問題の根本原因。住宅ローンを組むとき、銀行は一定割合の頭金を要求するのが普通で、カナダでは購入価格の25%ということになっている。バンクーバーの平均的な住宅価格は数十万ドル、新築なら軽く百万を超えるから、その25%というのは若いカップルには気の遠くなる金額だ。

そこで考案されたのが頭金ゼロのローン。家の値段が上がり続ければ、その分だけ「頭金」ができる。カナダの銀行は政府の監督規制が厳しいので、政府機関の保険をかけなければ貸してくれないけど、アメリカでは高めの金利で貸して、それを証券化して投資家に買わせたからやっかいなことになった。人のふんどしで相撲を取るのが金融業だけど、経営幹部に巨額の報酬をやボーナスを与えるようになって、「我欲」に目が眩んだこともありだろう。でも、人のふんどしで金もうけするって発想がなあ・・・

かくして過去に何度となく繰り返された「ブラックマンデイ」の到来となる。そのせいなのかどうかしらないけど、退職金貯蓄(RRSP)の口座のある証券会社から電話がかかってきた。それも夜になってだから、びっくり。口座にはかなりの金額があるけど、いくつもの銀行に預金保険の限度内に収まるように分散して定期預金に入れてあるので心配はない。株がどんどん下がっているから、現金のままで置いてある分で安くなったミューチュアルファンドを買う潮時かもしれない。それにしても、なんでこんな時間にご用聞きなのかなあ。泡を食っているかもしれない客を落ち着かせようってことかなあ。それとも、うちはまだ大丈夫なので安心してくださいってことかなあ。それとも、今がお買い時ですという営業だったのかなあ。

考えてみたら、景気がどうなっても確実に年金が入ってくるカレシはラッキー。年金は3つとも物価スライド制だけど、物価が下がっても支給額は減らないらしい。自営業のワタシの収入は、いつだって増えたり減ったりの不透明で、そのへんは慣れっこ。世界的な大不況で開店休業ってことになったら、しばらくカレシに養ってもらおうっと。その代わりといってはなんだけど、毎日ごちそうを作るからね。でも、これが25年前だったら、職場は大丈夫か、生活は大丈夫か、と先行き不安を感じただろうなあ。もしもワタシがカレシの当初の希望通りに専業主婦をやっていたら、不安はもっと大きかっただろうけど、ワタシがカレシの「お願い」で働き出したのはマイホームの頭金を貯めるためだった。何がどう転ぶか、ほんとうにわからないのが人生ってものだけど・・・


コメントを投稿