11月26日(金曜日)。🌤⛅☁。嵐の団子3兄弟は、あしたにはきのう駆け抜けて行った「ご長男さま」を追って「次男坊さま」が来るそうで、束の間ながらも青空がのぞいて、ちょっとひと息。起床は9時近くで、どうも「11時就寝/7時起床」は実現しそうにないし、「12時までに就寝、8時には起床」のプランまで怪しくなって来た感じ。まあ、リタイア暮らしなんだから、まともに8時間前後の睡眠を取れていれば、就寝と起床が何時でも特に問題はないと思うけどね。とろけそうな熟れ過ぎバナナ半分とスプーン1杯ずつのアップルソースをミューズリに入れての朝ご飯。午後には買い物に行かなくちゃ。
それでも天気のいい日は気持ものんびりして、旅の写真の整理を再開。今日はクルーズ4つ目の寄港地マルセイユ。港町釧路の生まれ育ちのせいかどうか知らないけど、十代の頃から「古い港町マルセイユ」にロマンチックな憧れを持っていたのは確かで、高校3年のときに進路指導の先生に(大学は行きたくないと言っているのに)しつこく大学の選択を迫られて、しぶしぶ考えていてふと浮かんだのが「海を行く大きな船の船長」のイメージ。意気揚々と東京商船大学を受けると報告したら「あそこは女子はダメなんだよ」と言われて、じゃやっぱりどこにも行かないっと進学問題にけり。でも、海への憧れはずっと消えないまま、初めての就職先が船舶代理店で、その後外資企業に勤め、太平洋を渡ってカナダまで来ちゃって、年を取ったらクルーズ三昧で、死んだら灰を太平洋に帰してもらうことしているから、ワタシの人生は海と深い縁でつながっていたんだってことかな。
夜明けの港町マルセイユにしずしずと入港
ツアーバスから見たマルセイユの街角。漁師と船乗りの荒っぽいうらぶれた港町と言う(失礼な)先入観に反して、南仏プロヴァンスの明るいイメージに近い雰囲気。ガイドの話では、長いこと治安の改善に努力を重ねて来た結果、ひと昔のような怖いところではなくなったとのこと。ただし、スリだけは駆逐することできなかったそうで、ベテランとなると、まったく気づかれずにポケットから財布を掏り取るなんてお茶の子さいさいだそうで、バッグの類は体の前に来るように持ちなさいというアドバイス。人口が100万人近いフランス第3の大都市であれば、治安の悪い地域があっても驚かないけど。
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルド聖堂を目指して延々と階段を上る観光客。
四角い尖塔の上に海を向いて立っているのはマルセイユっ子がBonne Mere(良き母)と呼ぶ聖母マリア様で、船乗りや漁師を守ってくれるお母さん。
聖堂の中は海と船にまつわる装飾がたくさん
天井からいくつも下がっている船の模型をつないだ飾り。もしかしたら日本で神社に絵馬を奉納するのに似たような習慣があったのかな。
聖堂のある丘はマルセイユで一番高いところで、眺望は360度。青い海に小説『モンテクリスト伯』に出て来る監獄の島シャトー・ディフが浮かんでいた。アルカトラズのマルセイユ版というか、アルカトラズがシャトー・ディフのサンフランシスコ版というか・・・。
下町的な雰囲気の小路を歩くと『マルセイユの屋根の下』なんてシャンソンが聞こえて来そう。
港に近い大聖堂はマルセイユ大司教区の本山
マリーナと市民の広場になっている旧港にある観覧車
長い防波堤の内側に停泊中のシルバーシャドウ号
細道を通り抜けようとしたら、二重停車していたトラックが通せんぼ。近くにいたおじさんが「隙間はこのくらい」。
おじさんが運転手を呼んで来てトラックを少し移動させてくれたので、ぎりぎりで何とか接触せずに通り抜けたけど、バスの運転手は冷静そのもの。フランス最古の港町マルセイユではよくあることらしい。
パレ・ロンシャンは名前こそ「宮殿」だけど、実は水不足に悩んだマルセイユに運河で水を引いた大事業の記念碑。市民の憩いの場になっている。
噴水に虹
旧港の風景。シャトー・ディフに行く観光船が出ているらしい。
船に帰る途中に、中心街でバスを降りてちょっと自由行動。酒屋を探して入ったショッピングモールBourseではトイレが有料。料金は50ユーロセントで、駅の改札口のような入口には両替機まであった。
マルセイユにもクルーズ船ターミナルがあって、大型の船が何隻も停泊中
マルセイユを出港。夕暮れが迫るシャトー・ディフを見ながら、さようなら、マルセイユ。いつかまた来たいね。