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リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年12月~その1

2012年12月16日 | 昔語り(2006~2013)
大食いもバケーションのうち(11月30日~12月5日)

11月30日(金曜日)

* 夕食: @Zingari (501 Post Street, San Francisco)

前菜: フィレミニョンのカルパッチョメイン: ロブスターのラヴィオリ(カレシ)、オッソブーコ(ワタシ)デザート: クレムブリュレ(カレシ)、プロフィテロール(ワタシ)

マリオットホテルの向かいの別のホテルにあって、今回が3度目のお気に入りのイタリアンレストラン。ジャズ演奏がある。金曜の夜でオフィスのクリスマスディナーがいくつもあったらしく、えらく騒々しかったけど、いつもはもう少し静か。飛び込みで入った私たちのテーブルはピアノに近い隅っこの2人用。バケーションの始まりを祝ってカクテルで乾杯。

フィレミニョンのカルパッチョは口の中でとろけるような食感が何とも感動的なおいしさ。今まで食べた中で一番かな。ワタシのオッソブーコはリゾットの上にごっついのが乗っていたけど、柔らかくて最高。かなりのボリュームを平らげて、その上でデザートまで。でも、バケーションだから、いいか。

* ランチ: (当然)なし

12月1日(土曜日)

* 朝食: (ホテル)オートミール、フルーツ(カレシ)、ベーグル&ロックス(ワタシ)

ベーグルにクリームチーズを塗って、スライスしたスモークサーモン(ロックス)を載せて、薄切りの玉ねぎも載せて、さらにクレムフレッシュを載せて・・・おお、天国だなあ。遅めの朝ごはんにはこれが一番のお気に入り。クレムフレッシュにはお飾り程度にアメリカンキャビアが載っていた。

* 夕食: @Santorini (242 O’Farrell Street, San Francisco)

前菜: サガナキメイン: ムサカ(カレシ)、ラムのスヴラキ(ワタシ)

サントリーニ島はまっ白な壁と青い屋根の教会で有名なエーゲ海の観光地。その名を取ったレストラン。ギリシャ料理は久しぶり。前菜のサガナキはフェタチーズに西洋パン粉を付けて挙げたもの。よく食べるケファロティリチーズよりあっさりしておいしかった。カレシのムサカもワタシのスヴラキもボリューム満点で、午後いっぱい歩いて空っぽのおなかは大満足。デザートに蜂蜜たっぷりのバクラバを食べたかったけど、そこまではとても・・・。

12月2日(日曜日)

朝食: (ホテル)ブッフェ

マッシュルームとアスパラガスでオムレツを作ってもらっている間に、ベーコンとポテト、フルーツ、クロワッサンをお皿に取って、熱々のオムレツと一緒にテーブルへ。でも、朝食のブッフェの内容はどこへ行っても同じ。ブッフェなら京王プラザの和食の朝ごはんの方がずっといいな。

* 夕食: @Grand Café (501 Geary Street, San Francisco)

前菜: ボルシチとグリーンサラダ(カレシ)、まぐろのタルタル(ワタシ)メイン: ニョッキ(カレシ)、鴨胸肉のロースト(ワタシ)デザート: クレムブリュレ(カレシ)、プロフィテロール(ワタシ)

劇場街の一角、Hotel Monacoに入っているフレンチレストラン。かっては金持たちが夜な夜な踊り明かした舞踏会場だったのかな。天井がすごく高くて、大きなシャンデリアがいくつも下がっていて、入り口近くには楽団用と思われるバルコニーがあった。サンフランシスコには古い建物を別の用途に改修したものがかなりあって、華やかな時代の情緒が残っている。

「Soupe du jour」だったボルシチはフレンチっぽくないけど、あまり実のないさっぱりしたスープだったとか。ニョッキもフレンチっぽくないけど、カレシはご満足。肉食のワタシは鴨の胸をしっかりと食べ、チョコレートソースがたっぷりとかかったプロフィテロールも平らげた。だって、バケーションだもんね。

12月3日(月曜日)

* 朝食: (ホテル)オートミール(2人とも)* スナック: 寿司(まぐろの握りとロール各種)@Safeway

夕食がかなり遅くなるので、通りがかったスーパーのセイフウェイでテイクアウトのパッケージを2つ買って、おやつ。店内の隅にあるテーブルで食べた。ロールはどれもアボカドが入っていたのは、さすがカリフォルニア?

* 夕食: @Pazzia (337 3rd Street, San Francisco)

前菜: アンティパスト各種メイン: 薄皮のピッツァ2種類(2人で半分ずつシェア)

ダウンタウンの南を斜めに突っ切るMarket Streetの南側のSoMaと呼ばれる一帯。会議で来ていたお客さんが地元に住む他の下請けの人たちとのディナーを企画してくれた。すごいタイトX
ルの人たちだけど、ワインを酌み交わして和気藹々で盛り上がる中、ワタシとカレシは30センチはあるピッツァを半分食べて交換して、結局丸々1枚ずつ平らげた。調子に乗ってその足で近くのバーで二次会。

12月4日(火曜日)

* 朝食: (ホテル)ベーグル&ロックス(2人とも)* 夕食: @The Oak Room, Westin St. Francis ( 335 Powell Street, San Francisco)

前菜: グリーンサラダ(カレシ)、かにのチャウダー(ワタシ)メイン: ローストチキン(カレシ)、プライムリブ(ワタシ)

ユニオンスクエアに面した110年の歴史を持つ高級ホテル。オークというだけあって、どっしりとした格調が高そうなダイニングルーム。メニューもかなりアメリカン。かにのチャウダーはビールとチーズを使っていて、なかなかイケた。プライムリブには古典的にベークドポテトが付いて来たけど、買い物でくたびれたワタシはポテトは無視。もっぱら厚さが2センチ以上あって、ワタシの手よりも大きなプライムリブに挑戦。別について来た肉汁をどぼ~っとかけて、ナイフでガシガシと切って、豪快に食べた。ああ、この食べ甲斐のありようと来たら、もうたまらない・・・。

12月5日(水曜日)

* 朝食: (ホテル)コンチネンタルブレックファスト@ルームサービス

フライトの関係でちょっと早起き。眠いけど、指定した時間に朝ごはんのカートが届いた。出発の朝はだいたいルームサービスを利用することが多い。プライベートなので食べながらでも最後の帰り支度ができるから、時間的に効率がいい。ジュース、ボウルに満載のミックスフルーツ、クロワッサンとデーニッシュとマフィン、ちょっと趣向を変えて温かなココア。これで家に帰りつくまで持つかな・・・?

リゾートバケーションを都会で

12月5日。水曜日。嵐の後で3日晴天が続いたサンフランシスコはまた雨に戻り、帰って来たらバンクーバーも雨。定刻より1時間半遅れてバンクーバー空港に着陸。サンフランシスコ空港が悪天候のためバンクーバーからの出発が遅れたんだそうだけど、ヘンだなあ。たしかに今日のサンフランシスコは雨だったけど、どう見たってただの「しとしと雨」。着陸したときのバンクーバーの雨の方がよっぽど「じゃぶじゃぶ」。ゲートの指定がどうのこうのと言っていたけど、最大瞬間風速35メートルくらいの台風並みの大嵐が直撃して欠航が続出したのは土曜日の夜の話だし・・・。おかげで、朝食が8時半だったので、実質的にランチ抜き。帰り着いた頃には空腹なんてもんじゃなくて、まさに飢餓状態で冷や汗は出るし、頭痛はするし・・・。

サンフランシスコはもう何度も来ているので、今回は名物のケーブルカーには乗らなかったし、フィシャーマンズウォーフにも行かなかったし、ゴールデンゲートブリッジも見なかった。食べて、飲んで、リラックスするビーチリゾートのバケーションを都会でやっていたようなもので、朝は9時半頃に起きて「朝ご飯、どうする?」結局はホテルの外へ行くのがめんどうで毎朝ロビーのレストラン。オートミールだったり、ベーグルとスモークサーモンだったり、ブッフェでオムレツを作ってもらったり。(けさはルームサービスを頼んでおいて、帰りのしたくをしながらの朝ごはん。)のんびり朝ごはんを食べながら「今日はどっちの方へ行こうか?」元々歩き回るのが目的だから、土曜日はカストロ地区、日曜日はエンバーカデロのフェリービルディング、月曜日はミッションドロレス、最終日の火曜日はもっぱら(ワタシの)ショッピングデイ。

午後いっぱい歩いて、ほどよく疲れてホテルに戻る途中で「ディナーは何にする?」で、着いた日の金曜日の夜はホテルの向かいのイタリアン、土曜の夜はギリシャ、日曜の夜はフランス料理、月曜の夜は仕事関係の集まりで大きなピッツァ、そして最後の夜は老舗のホテルのダイニングルームでアメリカン。ほとんど1日2食で過ごして、夜はしばし外をぶらぶらして、ホテルのバーで寝酒。合間、合間に無料WiFiのあるロビーでカレシのiPodいじりに付き合ったり、部屋で本を読んだり、私たちのペースでゆっくり過ごせた、メキシコやカリブ海のリゾートのバケーションはこんなものかなあと思うような、ほんとに休日らしい休日だった。(一度もけんかをしなかったし・・・。)

天気はほぼずっと雨のはずだったけど、土曜の夜の大嵐は予報になかったな。去年のボストンでは北上して来た猛吹雪で立ち往生しかけたし、6月の東京では台風が頭の上を通り抜けて行ったし、二度あることは三度あるということで、今回も台風並みの嵐。ひと晩中荒れて、(珍しく開く)窓はガタガタとうるさいし、消防車や救急車のサイレンがやたらと鳴るし、おまけにもしも停電したら温かい朝ご飯が食べられないかもしれないと心配になっって、よく眠れなかった。サンフランシスコ市内でも低いところで浸水騒ぎがあったり、風による倒木被害があったそうで、何万戸が停電したという話だった。ベイの向こうのさらに内陸の方では気温が急降下して雪になったので、危険水位まで増水していた川が氾濫せずにすんだというニュースもあった。日曜日の午後にはまさに台風一過の青空で、慌ててサングラスを買った・・・。

その嵐が来るという土曜の夜、ユニオンスクエアのクリスマスツリーのそばに作られた仮設スケートリンクでは、かなりの人たちが雨でずぶ濡れになりながらスケートを楽しんでいたからびっくり。ニューヨークのロックフェラーセンターのクリスマス風景を再現しようということらしいけど、気候が温暖なところだからウィンタースポーツが盛んだとは思えない。それでも、雨にも負けずにへっぴり腰で手を取り合って滑るグループ、柵の手すりにしがみついておっかなびっくりで進む人たち、その間をすいすい滑って行く人たち。誰かが転ぶたびにバシャ~ッと水しぶきが上がる。なるほど、これがサンフランシスコのクリスマス風景か。クリスマスツリーはなぜかてっぺんの星がライトアップしていなくて、最後の夜になってやっと赤い星(スポンサーのMacy’sの★)が点った。アメリカは不景気なはずなのに、ユニオンスクエア界隈は夜遅くまで賑わっている。その活気を肌で感じるのが好きなんだなあ、ワタシ。

ワタシのワタシへのクリスマスプレゼントはずっとずっと夢だったLaliqueのガラス細工。クリスタルの小さな魚のモチーフを、Neiman Marcusで青と黄色、Bloomingdaleで赤紫と、3つも手に入れて、ああ、もう最高にうれしい~!

アメリカ入国を拒否されたりんごの話

12月6日。木曜日。カレシの英語教室の日なので、午前11時半に目覚ましをかけておいたけど、起床は9時半。それでもゆうべは就寝が午前1時半だったので、たっぷり8時間眠ったことになる。食後に2時間くらい眠ってしまったけど、それでも8時間も寝たのはやっぱり相当に疲れていたんだろうな。飛行機の遅れのような不測の事態は気分的にストレスが大きいし、おまけにほぼ8時間絶食でふらふらしながら帰り着いたという感じだったし。

シーラがミルクを買い置いてくれたので、ゆうべ慌てて焼いたパンで、いつものメニューに戻っての朝食。カレシを送り出して(エコーのバッテリは無事だった)、ワタシはメールをチェック。あちゃあ、ロンドンから大型案件を持ち込んで来たあの会社、今度はニューヨークからもっと大型そうな案件。何しろ大きいから手を上げた人には欲しいだけの仕事を送れるという話だけど、ハヌカ、クリスマス、年末年始で、引き受ける人が少ないシーズンだから、作業期間は年末までというのはきついな。いったいどうなってるんだろうな。法律系の翻訳は成長産業だ見たいなことを書いていたEconomistの記事のようなことが起こっているのかな。特に北米の民事訴訟制度だったら少なくとも全体で何十万語という頭がくらくらするような量になる。ま、食指は動くけど、もう本年の営業は「一応」終了しちゃったから・・・。

法律といえば、サンフランシスコへ向かう日、バンクーバー空港でおもしろい経験をした。なぜか知らないけど、カナダからアメリカへ行くときは、カナダ側の出発空港でアメリカの入国管理と通関を済ませることになっている。バンクーバーからなら、国際線ターミナルの端にアメリカ便専用のターミナルが別のセクションになっていて、チェックインしたらすぐにセキュリティ検査の方へ進まなければならない。荷物の検査をして、それから入国管理。「アメリカ合衆国へようこそ」なんて書いてあるけど、まだアメリカに入ったという感覚はないから、カナダ人にとってはいわば何だかもやもやするグレーゾーンなわけ。ハプニングはそこで起きた・・・。

問題は2個のりんご。朝食のデザートとして搭乗ラウンジで食べるつもりで、冷蔵庫に残っていた2個のりんごを洗って袋に入れて持って行った。セキュリティのX線も難なく通過して、入国管理のブースへ。ワタシが記入した税関の申告書は質問全部に「ノー」となっていたんだけど、「申告するものはないのか」と聞かれて、カレシが「ラウンジで食べるつもりでりんごを持っている」と言ったもので、仏頂面の入国管理官氏曰く「キミたち、申告の意味がわかっているの?この用紙には何もないと書いてあるよ。嘘の申告は罰金300ドルだよ」。カレシ応えて曰く「でも、搭乗前に食べるからアメリカには持ち込まないよ」。管理官氏曰く「あのね、入国するというのは地図に引いてある線を越えることじゃないの。その国の入国管理官のいるところを通過して初めて国境を越えたことになるの」。へえ。つまり、私たちはカナダの空港にいて、国境線はずっと南だけど、実はカナダとアメリカの国境に立っているということか。

ちょっとイジワルな入国管理官氏、「だから、そのりんごはここから先へは申告しないで持ち込めないの。検疫しなきゃ」と相変わらず仏頂面でガミガミ。カレシが「じゃ、ここに置いて行くからいいよ」と言ったら、「ダメ」。じゃ、どうするの?まず、税関申告書の「野菜・果物・肉類を持っているか」という質問に「イエス」と答えて、元の「ノー」を消して修正のイニシャル。それで「これで罰金は取られないから、キミたちはセーフだよ」と管理官氏。じゃ、りんごは持って行っていいの?「検疫官がOKしないとダメ」。というわけで、入国は許可してもらって、別の係官の案内で「二次審査室」へ。入ってみたら、指定されたカウンターにアジア系のお年よりカップルがいて、何やらごねているところ。でも、結局は手ぶらで出口の方へ案内されて行った。ここは「アメリカ合衆国農務省」の窓口なのだ。(係官は何となくカナダ人っぽいけど・・・。)

私たちの番になって、問題のりんごを袋ごと見せたら、おばさん係官が「ラベルがないわねえ」。はあ、洗ったときに落ちたか、剥がしたか。なにしろ空港で食べるつもりだったから・・・。「アメリカかカナダのラベルのあるものならいいのよ。でも、ラベルがないとどこから来たかわからないからダメなの」。なるほど。どこか遠い国のエキゾチックな種類で、ラウンジで食べ損ねてアメリカまで運んでしまって、そこで食べた芯をポイと捨てて、たまたま中の種が芽を出したらどうなるか・・・侵略的外来種かもしれないってことか。アメリカ系のセイフウェイで買ったんだから、たぶんワシントン州産だろうと思うけど、たしかにいつも剥がすのがめんどくさくて文句を言っている、あの「ラベル」がないと確証はないよなあ。

ということで、2個のりんごは「没収」となって、私たちは朝食のデザートなしで出口までご案内。惜しかったなあ。ものすごく大きくてジューシーそうなりんごだったのに。だけど、入管と審査室は一応は「アメリカ領」なのかもしれないけど、空港は実際にカナダにあるんだから、廃棄処分はカナダ側の土地ということになるんじゃないのかなあ。だったら・・・。でも、たしかに搭乗前に食べてしまうという保証はないよね。うっかり食べ損ねて、飛行中にも食べ損ねて、サンフランシスコに降り立ったら、やっぱりまずいかもしれないな。あのりんご、甘くておいしそうだったのに。廃棄処分にしないで誰かのおやつになるってことはないだろうな。それとも危険物扱いで処理されるのかな。

暗示の力というのは恐ろしいもので、ラウンジに入ったら急に果物が食べたくなった。しょうがないから、フルーツの盛り合わせパック(これは持って搭乗できる)を買って、カレシと2人で分け合って食べたけど、ああ、もったいなかったなあ、あの2つのりんご・・・。

旅にはハプニングがつきもの

12月7日。金曜日。やっとのことで「ノー目覚ましデイ」。でも、就寝が午前2時半と、いつもより早かったので、11時前には目が覚めて、起き出してしまった。まあ、8時間寝ているからいいんだけど。

今日は朝食担当のカレシが朝からぶつぶつ。コーヒーがないんだそうな。あれ、きのうの午後にワタシがモールに出かけて、英語教室が終わったカレシと落ち合って、当座の必需品を買ったときには、まだあるから大丈夫と言っていたのになあ。冷凍庫を見たけど、きのう使い切ったのが「備蓄品」。しょうがないから、朝は紅茶。まっ、それも悪くないんだけど、夜になってから買出しに行くとしたら、夕食後も紅茶だなあ。カレシに関してはこういうハプニングはよくあること。スーパーであれはまだいいの?これはまだあるの?と聞いても、たいていは「まだあるからいいよ」と素っ気ない返事。でも、実際はもうなくなっているか、その寸前であることが多くて、帰って来てから「買ってくればよかったなあ」となる。計画性に難ありなのか、自分の持ち場の全体を見渡していないのか。カレシに孫子の兵法でも読ませたいような・・・。

まあ、夫婦も長いことやっていると、少しくらいはこういうハプニングがあった方が刺激になっていいかもしれないな。もちろん夫婦げんかになったら何をかいわんやだけど、一方が「んっとに、もう」と呆れたり、おかしがったりしていれば、けっこういい潤滑油になりそう。37年も一緒にいれば今さら「夫教育」も何もないもんだし、今さらああして、こうしてと指図をしてもどうなるものでもないから、ワタシはもっぱら静観作戦。カレシが「やってちゃん」を絵に描いたような性格なのは承知の上で、危険がない限りはカレシに自分で対応策を考えて、自発的に実行してもらう。ハプニングのたびにお説教したり、指導したりしていたら、ワタシはお母さん代わりにされてしまうものね。

だけど、こういうちょっと不便な結果になるハプニングと違って、旅の空でのハプニングは楽しい。今回は例のりんご事件に始まって、ハプニングがけっこうあった。その中でも長く思い出に残りそうなのが、カストロ地区でのできごとと最初の夜に食事をしたZingariでのできごと。前者の「カストロ地区」はサンフランシスコ、というか世界のゲイ/レスビアンのメッカ。ユニオンスクエアからMarket Streetをてくてく歩いて行って、大きなレインボウ旗が翻っているところがカストロ通り。古いカフェや新しいブランドショップが入り乱れている感じで、それが何となくまとまった雰囲気になっている。そのカストロストリートの一角から突如出現した素っ裸の2人組。いや、びっくりしたの何のって、ほんとうに素っ裸。手に太鼓を持っていたけど、後はほんっとに前も後ろも素っ裸。通行人は何事もないように通り過ぎるから、ワタシもつい何てこともないようににっこりしたら、お兄ちゃんもにっこり。振り返ってから後姿をとくと眺めて、若い男のお尻って意外とかわいいもんだと思ったな。

もうひとつのハプニングはレストランでの夕食が終わったところで起きた。金曜日の夜とあって店が混んでいて、私たちが案内されたのピアノがあるところ。周りのテーブルのほとんどはオフィスのクリスマスディナーなのか、わいわいがやがや。そのうちにオフィスのゴシップが出尽くしたのか、少し静かになったところで歌手がリクエストを募り、まず近くのテーブルから何曲かリクエスト。それがちょうど途絶えたところで私たちの食事が終わったので、そのままピアノのところへ行って歌手に、ルイ・アームストロングが歌った『What a Wonderful World』(この素晴らしき世界)を歌ってくださいとリクエスト。(ピアノの上においてあるチップを入れるグラスには5ドル札を1枚。)アフリカ系の女性歌手は「いい曲だわ」と言って、しっとりと歌ってくれたので、ワタシはうっとり。ふと気がついたら年配のカップルが4組ぐらい踊り出していた。テーブルの間にあまり隙間がなくて動き回れないから、ほぼその場でスローなステップ。自然発生的にそうなったらしいから、カレシもびっくり。でも、ほのぼのとするような「素晴らしき世界」のシーンだったな。歌が終わって、歌手にお礼を言って帰ろうとしたら、踊っていたおじさんに「サンキュー」と言われた。だって、愛する人と踊りたくなるような素晴らしい曲だもんねえ・・・。

そうそう、ワタシのハプニングはShop till you drop(買いまくり)。すてきなクリスマスの飾りの他に、ひと目で「これ、欲しい!」と思ったラリックのクリスタルガラスの魚を3つ。[写真]

実は、おまけにOrogoldという化粧品のセールスマンに呼び止められて、ああだこうだジョークを飛ばしながらお試しをやっているうちに、びっくりするような値段の化粧品を買ってしまった。旅にはハプニングがつきものだけど、ワタシが化粧品?これが一番大きなハプニングと言えるかもしれないな。金が入っているんだそうだけど、はたして効能のほどはいかに・・・。

ソプラノに生まれたかった

12月8日。土曜日。目が覚めたら午前11時20分。就寝は午前2時半だったから、9時間も寝てしまった勘定。サンフランシスコで少し早寝、早起きになったのをそのまま維持しようとか何とか言っていたのが、三日坊主ならぬ二日坊主・・・。

外はいい天気で、夜はかなり冷え込む予報。きのう夜にどかんと買出しをして来て、冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになったので、今日は2人とも大っぴらにだらけモードを決め込んだ。ツリーを立てる場所を片付ける気にもならないので、クリスマスツリーは明日までお預け。ワタシはニュースを読んで地球を一周、その後ろでカレシはクリスマスソングを探してダウンロード。しばらくはママが好きなナナ・ムスクーリの連続、そのうちビング・クロスビーになり、スーザン・ボイルになり、スタン・フリーバーグのはちゃめちゃに愉快な「Twelve Days of Christmas」になり、午後いっぱいクリスマスソングを聞かされて、ワタシもすっかりクリスマス気分になってハミングしながら、だらだら。

今どきのポップは2人ともまったく興味がないけど、1980年以前の曲なら、ワタシはカレシがユーチューブで聞いているのに合わせてハミングすることが多い。でも、歌うのは好きなんだけど、ワタシの声域に合った歌がなかなかないから困る。女性歌手のものはまず歌えない。何とかついて行けるのはハスキーボイスで鳴らしたペギー・リーくらいかな。というのも、ワタシの声域がどういうわけかひどく中途半端で、アルトの上の方は高すぎて出ない代わりに、下の方は男声のテノールの声域をほぼカバーできる。だから、アンドレア・ボチェリやラッセル・ワトソンならお手のものだけど、耳の中で聞こえる自分の声はそんなに男っぽい声じゃないし、話し声もそんなに低いようには聞こえないから不思議。

女の子はあまり目立った声変わりがないはずなのに、ワタシは小学校5年生くらいのときに小学校唱歌の声域が高すぎて歌えなくなったことがあった。先生が1オクターブ下げてオルガンを弾いてくれたら(下がちょっと低すぎたけど)何とか歌えた。あのときは先生もびっくり仰天したらしい。別に病気があったわけではなかったし、ワタシの父はかなりの低音だったけど、それが女の子に遺伝するのかどうかはわからない。若い頃はまだ少しは高い方まで出せたと思うけど、ギターを爪弾きながらフォークを歌っていた十代から20代の頃もジョーン・バエズなんか初めからアウトで、ピート・シーガーならOK。あれから年令と共にもっと低くなったのかもしれないな。

その反動かもしれないけど、一生に一度でいいからソプラノでグノーの『アヴェマリア』を歌ってみたいという欲望に駆られる。天使の声とまでは行かなくても、きれいな澄んだソプラノで『アヴェマリア』を歌い上げてみたい!クリスマスキャロルが聞こえる頃になるといつもソプラノに生まれたかったなあと思う。普通のアルトでもいいけど、やっぱりスーザン・ボイルのような声でクリスマスキャロルや賛美歌を歌ってみたいと切実に思うわけ。まあ、今日のところはビング・クロスビーの『アヴェマリア』に合わせて歌うことにするけど、この曲はやっぱりソプラノじゃないとなあ・・・。

旅の余韻と裸のクリスマスツリー

12月9日。日曜日。午前11時半にかれしに起こされて起床。不思議な夢を見ていたんだけどなあ。リゾートみたいなところで、食べる話。さすが、食いしん坊のワタシの夢・・・。

今日もいい天気。サンフランシスコで撮ったビデオとスチール写真をPCのフォルダにアップロード。たいした傑作はないけど、自分なりにおもしろいと思うものもある。ダウンタウンからMarket Streetに沿ってカストロ地区に向かって歩いて行く途中、教会の尖塔に誘われて横道(Golden Gate Avenue)に逸れて、突如出現したのがこの建物・・・[写真]

JWマリオットホテルのロビーにあるバーに一杯やりに行ったら。たまたま空いていたテーブルが中央の吹き抜けの真下。ここは昔東急系のパンパシフィックホテルだったところで、その頃からお気に入りのホテル。フロントのデスクのある3階から最上階まで吹き抜け(アトリウム)になっていて、一方(写真の下)にガラス張りの鳥かごのようなエレベーターが外側を上下するシャフトがあり、客室は吹き抜けをぐるり囲むオープンな廊下に面している。何となく日本でよく見かける「○○ハイツ」風でもあるけど、お客が落ちるのを防ぐためか、唐草模様風のカーブした真鍮の手すりが張り出している。それを真下から見上げると、ちょっぴり抽象画的な構図・・・[写真]

バケーションが済んだから、今度はクリスマスホリデイの準備。とりあえず、玄関下の納戸からクリスマスツリーを出してきて「植樹」。カレシに手伝わせてリビングに運び込んだ大きな段ボール箱のひとつはライトやガーランド。もうひとつは飾り。今年もまた何個か増えたから、いったい全部で何個になったのやら。絶対に200個は下らないだろうな。全部出してテーブルに広げただけでくたびれた。まずは3連のライトをセットして、飾りはそれから・・・[写真]

だけど、明日は午後は何かとやることがあるし、夜はバンクーバー交響楽団のコンサートがあって忙しいから、どうしよう。まあ、クリスマスまで後2週間あるから、ぼちぼちと飾り付けて行くことにしようっと。

日々の暮らしには休業がない

12月10日。月曜日。湿っぽいけど雨は降っていない。少し早めに起きて、早めに朝食。すぐに、今日の日程にかかる。カレシがコードにつまづいて壊したUSBポートの部品がやっとDellから届いたというので、まずは修理するPCをBest Buyへ持って行く。ヘルプデスクは順番を待っている人が4人で、応対しているのはたったひとり。カレシはちょっとイライラしているけど、ワタシは近くに並んでいるノートをいじって待つ。小さめでタッチスクリーンのものがサムソンとエイサーの2種。食指が動くけど、必要なものではないし、どうせタッチスクリーンならタブレットを買った方がいいのかなと思ってみたり・・・。

やっと用事が済んで、道路を渡ってWhole Foodsでシリアルやら何やら。ついでに今夜の夕食にと、焼くだけになっているティラピアの「お惣菜」も買い込んで、家に帰ったら午後3時。クリスマスツリーの飾りつけをちょっとだけして、あわただく夕食。ちょっとおめかしをしてコンサートへ。ストッキングが見つからないので、膝までのドレスでは寒いかなとは思ったけど、そんなに歩くわけじゃないからと生足のままで出かけた。今夜は第1部がシューベルトの『未完成』。第2部がブルックナーの『交響曲第7番』。なかなかいいんだけど、やっぱりちょいと重いな。カレシにどうだったと聞いたら、「長すぎる!」たしかに・・・。

帰って来て、ランチを食べて、本格的にツリーの飾りつけ。飾りがだいたい片付いたところで、ガーランドは明日。なぜかワタシは最後の最後に天使をツリーのてっぺんに乗せて完成する「習慣」になっているので、今夜はまだ頭のないツリーだけど[写真]。

もうあとひと息・・・

ツリーは飾ったし、年金の通知も来たし

12月11日。火曜日。雨。起床は午前11時11分。久しぶりにいつものお気に入りのシリアルと挽き立てのコーヒーで朝食。予行演習の「ご隠居さん」暮らしにもだんだん慣れてきた感じ。毎日の暮らしにはそれなりにいろいろとすることはあっても、仕事や納期のことを考えないのは気楽でいいな。何となくそわそわし始めそうな感じがしないではないけど・・・。

ゆうべは午後11時過ぎにカレシのコンピュータの部品取替えが済んだという電話があって、店は10時に閉店だと思っていたら、学生アルバイトが閉店後も残って修理作業をしているんだそうな。それで、今日は2時過ぎに取りに行くことになっていて、カレシが先に酒屋に寄って、次にSave-on-Foodsに行ってますの燻製を買って、それから道路の同じ側にあるBest Buyへ行ってコンピュータを引き取って来ると段取り。ところが、正午前に電話が鳴って、電気屋のロウルが15分くらいで行くという話。メインのサーモスタットの取替えと1口しか使えなくなっていた2口コンセント2ヵ所の修理を頼んであって、なじみのロウルが時間を設定することになっていたんだけど、いきなり「あと15分」・・・。

ほんとに15分後にゲートのチャイムが鳴って、ロウルが登場。愉快なジャマイカ人で、電気工としての腕はピカイチと評判。サーモスタットは新築のときからのものだから「古くて直しようがないよ」。じゃあ、取り替えてね。「サプライヤーにあるかどうか聞いてみなきゃ」。スマートフォンをちょいちょいといじって、なかなかつながらなかったので開口一番に「サービス悪いよ、キミ達」。どうやら新しいのがあるらしい。次に半分しかつかえないコンセントの問題は「パネルのスイッチかな」。違うと思うなあ。プラグを差し込むピンが接触不良とか・・・?コンセントを外したら別なところが不良だったらしく、「どっちみち新しいのがいるから、サーモスタットを取ってくる」と、さっさと出かけてしまった。

これでカレシの段取りは完全にアウトになって、ひとりでコンピュータを取りに出かけ、留守番の形になったワタシはツリーにガーランドを巻く作業。ロウルが来て予定が狂ったおかげで、午後のうちに2012年のクリスマスツリーが完成した[写真]。

カレシが帰って来て、すぐ後にロウルが新しいサーモスタットを持って戻って来た。幅も厚さも古いものの半分になっていて、壁にペンキを塗っていない部分が露出してしまったけど、これも技術の進歩なんだろうな。「摂氏にする?華氏にする?」摂氏。「24時間?12時間?」24時間。スイッチのピンを設定して、新しいサーモスタットは壁に納まり、ロウルが読み上げる手順に従って曜日や時間、温度を設定。週7日まとめて同じサイクルと温度に設定できて便利。コンセントも取り替えてもらって、請求書を書いてもらい、その場でカードで払って、ロウルが帰った後はルンバ君が床のお掃除・・・。

ルンバ君がキッチンを走り回っている間、リビングのテーブルにカレシが放り出してあった郵便の束を見たら、おっ、来た、来た!もうひとつの年金(日本の厚生年金に当たるCPP)の申請が承認されたというお知らせ。ああ、これで2つの年金の受給開始が確定した。良かった!来年はカナダで働き続けて36年。(日本の年金はもらえないけど)日本と通算すると合計42年間働いたことになる。自分でははっきりと自覚していなかったとしても、もしもひとりになってもちゃんと生きて行けるようにと、ひたすら働いて来たんだと思う。結果的に経済的に依存しないで来れたのは、カレシを頼らないとか、信用しないとか言うことではなくて、(異国で)ひとりぼっちになる可能性(子供がいないから五分五分)を心の奥深いところで認識していたからだと思うな。来年の5月からは仕事があってもなくても毎月決まったお金が入って来るということで、路頭に迷って飢え死にする心配はもうなくなる。急に肩の力が抜けたような気がしないでもない。

なあんてのんきに構えていたらちょっと大きめの「仕事」。そっか、サンフランシスコで社長に会ったときに「休業はするけど、ピンチヒッターはやりますから」と言ってあったんだった。ついでに、年金受給が始まったら、生きるためじゃなく、楽しむために仕事をしていいと思うから、もうひとつ残す客先の担当分野を絞ることで仕事量を調整して、この会社の仕事はそのまま続けたいとも言ってあった。科学分野は何たっておもしろいから、楽しむための仕事としては願ったりかなったりだし。でもまあ、少なくともクリスマスが終わるまでは、仕事はお預けにしとこうっと。

幸運な日だと思っていたら災いが

12月12日。水曜日。(20)12年の12月の12日。何かの縁起でもあるのかな。起床は正午前で、ごく普通の1日の始まり。仕事が入ってしまったけど、納期は年明けだから、当分は考えなくてもいいし、今日は出かける用事もないし・・・。

午後はゆっくりとニュースサイトを一巡したところで、シーラから借り戻した会計ソフトのインストール。今のコンピュータに切り替えたときに新しいソフトをいれるつもりだったので、もういらないからとディスクとマニュアルをそっくり(自営業の)シーラにあげた。もっとも、去年は新しいソフトをインストールしたところで、(出版元が変わったもので)様変わりしすぎて勘定科目の設定に戸惑っているうちに結局は挫折。年が明けてどうしても決算をしなければというところまで来て、カレシにお下がりしたコンピュータに残っていた従来のソフトでやっつけで処理した。その後そのソフトは諦めて別の会計ソフトを買ってインストールしたけど、めんどうくさがっているうちに科目の設定さえしないまま。カレシが経理事務を引き受けてくれるはずだったけど、こっちっも頓挫・・・。

年末が迫って来て、シーラにまだディスクを持っているかどうか聞いてみたら、奇跡的にまだあった。でも、プロダクトキーがない!これがないとインストールできないから、はてどうしよう。午後いっぱい費やしてあっちこっちをごそごそとかき回しているうち、ここでも奇跡が起きて、使わないものをごちゃごちゃといれてある引き出しからカードに書き留めておいた番号が見つかった。ああ、やれやれ。無事にインストールできて、起動してみたら、おお、ファイルに取っておいた勘定科目もデータもすべてちゃんと開いた・・・と、喜んだのも束の間。2011年度は1月1日付の財務諸表しかない。あああ・・・。カレシのコンピュータで処理したときに急いでいたので保存しなかったらしい。万事休す、というところだけど、所得税申告のときに会計事務所に送った印刷版があるはず。ファイリングキャビネットのフォルダをがさごそと探し回ったら、おお、1年分の仕訳帳が出て来た。やった!仕訳帳の内容を再入力すれば去年の決算データを再現できて、今年度の決算ができるようになる。ああ、今日はラッキーな日だ~。

たしかにここまではラッキーだった。でも、夕食の支度のためにキッチンに上がってみたら何だか冷え冷えとしている。新しいサーモスタットは「暖房」モードなんだけど、キッチンとリビングだけ「節電」モードから温度が上がっていない。我が家の暖房は天井に埋め込んだヒーターの輻射熱だから、パネルのある天井のあたりを触ってみるのが一番ということで、椅子に乗って、背伸びして触ったら、キッチンもリビングもちっとも暖まっていない。カレシ曰く、「前からあまり暖かくなかったような気がするけどなあ」と。やれやれ、いったいいつからおかしいの?またロウルに来てもらわなくちゃ・・・。

夕食後にヒーターが入っていない部屋を調べて回ったら、新しいサーモスタットが制御しているゾーンのうち2つはOKで、キッチン、リビング、二階の八角塔の3ヵ所が作動していない。他のゾーンはオフィスを含めてすべて正常。八角塔で天井をチェックして、椅子から下りようとしたとき、今日の幸運が尽きたらしい。好事魔多しというけど、暗いところで後ろ向きに下りようとして、足の指先がひっかかったのか、みごとに転落。右足の3番目と4番目の指の付け根のあたりを捻挫でもしたのか、痛くてまともに歩けない。ひょこたんひょこたんと階段を下りて行って、泥縄式にアイスパックをフリーザーに放り込んで、様子見。そのうち指の付け根から甲にかけて少しばかり腫れて来て、しばらくして何となく内出血しているらしい色になって来た。やっちゃったなあ。でも、我慢できない痛みじゃないし、踵でなら歩けるから骨折じゃなさそう。靭帯を痛めたのかなあ。とりあえず凍ったアイスパックで冷やしたけど、これじゃあ当面はひょこたん、ひょこたん歩きかあ。

でも、外へ出かけなければならない商売でなくて良かったな。歩けなかったら商売上がったりだもの。まあ、治って普通に歩けるようになるまではカレシに「お抱え運転手」になってもらわなくちゃ。そう言ったら、カレシ曰く、「今だってどこに行くにも自分で運転してないじゃないか」。あ、そっかあ。お抱え運転手がいてくれてラッキーなんだ。これって、塞翁が馬ってこと・・・?

運動不足だったせいかなあ

12月13日。木曜日。目覚ましで午前11時半に起床。きのう痛めた足がじわじわと疼いてよく眠れなかった。起きて見たら甲の指に近い半分が紫色になっていた。やれやれ、せっかくの休みなのに・・・。

今日はコーヒーとトースト半分(パンが1枚分しかない)だけの朝食で、今日が今年最後になるカレシの午後の英語教室のポットラックパーティに出かけた。みんな料理上手で、台湾のかぼちゃ入りのビーフンはとってもおいしくて3回くらいお代わりしたし、韓国の牛肉入りの巻き寿司もおいしかった。寿司といえば魚と思ってしまうけど、ところ変われば品変わる。今や国際的ファストフードになって、アメリカにはご当地ロールが都市の数だけあるそうだし、韓国といえば焼き肉、とすれば肉入り寿司があっても不思議はないな。ワタシも今度作ってみようかな。わいわいがやがやとにぎやかにおしゃべりをして、カレシはクリスマスカードと台湾の高山茶をプレゼントされて、お開き。また来年ね~。

帰ってきたら、カレシはすぐに夜の部の準備。こっちも今夜が今年最後の授業。キッチンとリビングは相変わらず暖まらない。夕食の支度をして、食べさせて、送り出して、同じサーモスタットにつながっているセカンドキッチン/ランドリールームに椅子を持って行って、天井に触ってみたら暖かい。玄関ホールも暖かい。ということは、新しいサーモスタットの欠陥ではなさそうだし、全域ではないから暖房システムの故障でもはさそうだし、もしかしたら各ゾーンの温度を調節する個別のサーモスタットが機能していないということかな。そういえば、この3ヵ所は前からあまり温度が上がらなかったような気もするけど、家も築後24年を過ぎると、いろいろと老化現象が出て来るもんだけど、とにかくロウルに見てもらわないことにはどうにもならない。週末は冷え込むという予報だし(断熱性が高いから家の中はそれほど寒くはならないけど)。

そこでベースメントにあるオフィスのサーモスタットを少し高めに設定して、すぐ上のキッチンとリビングを暖めることにして、階段をひょこたん、ひょこたんと下りて行ったら、ギクッ。右足をかばって変則的な姿勢で歩いたせいか、腰が痛くなって来たと思ったら、今度は左の膝がおかしくなってしまった。あ~あ。長いこと忙しがってろくに運動していなかったから、まさにout of shape(不調、というか体が「型くずれ」)。平らなところなら歩くのはさほど苦痛ではないけど、階段は上るのも下りるのも、手すりにつかまってえっちら、おっちらで、イテ、イテ、イテ。我が家は三層だから、階段だらけ。どうしようか。困っちゃうなあ。まあ、膝の方はとりあえず温湿布療法をやってみるけど・・・。

ニューヨークからまたメールが来て、「少しでいいからできないか」。ふむ、よっぽどの大きな仕事で、よっぽどの人手不足らしい。ロンドンのオフィスからも仕事の話が来たりして、いったい何なんだろうなあ。でも、ワタシは本年度の営業は終了したんだし、カレシの英語教室は明日から3週間の休みだし、おまけに年越しの仕事もあるから、ダメ。悪いけど、悪しからずというところ。でも、新聞サイトめぐりをしていたら、アメリカで日本企業を相手取ったでっかい集団訴訟が起きているという話があった。そっか、またなんだ。年の初めにドカンと来た仕事もこの企業に絡んだものだった。右からも左からも巨額の訴訟を起こされて、タイヘンだなあ。もっとも、身から出た錆といえばたしかにそうなんだけど、他の訴訟案件もいくつも控えているらしいし、潰れないといいけどなあ。だって、何万人の社員の生活がかかっているんだから。でも、訴訟の原因が原因だから、形勢はあまり良くなさそうに見えるけど。ま、年が明けてもまだ仕事が残っていたら、少しは引き受けるかどうか、考えてみるか・・・。

右足も、左ひざも何か危なっかしいけど、せっかくの休みくらいはせいぜい動き回らないと本当に体が型くずれどころか、ぼろぼろになってしまうもの。

自分より弱い者への暴力は意気地なしのやること

12月14日。金曜日。起床午前11時10分。きのうからベッドルームの設定温度を、日中と就寝中は20度、起床・就寝時は22度に下げたので、起き抜けはちょっと涼しいように感じるけど寒くはない。あんがい、今までの設定温度がちょっと高めだったのかもしれないな。キッチンのサーモスタットはヒーターなしで日中は20度前後。夜中過ぎには20度を切るけど、慣れてしまえば、家の中では年中Tシャツ1枚に裸足で過ごしているワタシでも特に寒いとは感じない。ま、慣れることができるのが健康だという証拠かな。(家の中は寒くないから大丈夫と言うことで、ロウルは月曜日に来てくれることになった。)

またアメリカで無差別殺人が起こって、犯人が自殺したというニュース。今度は教育や所得の水準が比較的恵まれているコネティカット州で、しかも大企業の重役や大学教授が多く住む町だというから驚いた。犯人の20歳の若者は優等生だったそうだけど、問題児でもあったらしく、高校を卒業したかどうかは不明とか。何らかの発達障害を持っていたとも言われる。現場になった学校の教師だった母親も殺して、学校には黒ずくめで乗り込んだそうな。だけど、乱暴な言い方だけど、そんなに死にたかったら勝手にひとりで死ねばいいのにと思う。多くの子供たちを道連れにするなんて許せない。どうせ死ぬなら後世に残るような、世間があっと言うようなことをやって死のうということかもしれないけど、何の関係もない他人や子供たちを道連れにするなんて一番卑怯な死に方だと思う。

客先に送るカレンダーを出してクリスマスの切手を買うために、ゆっくりと歩いてモールよりも近い方の別の郵便局へ出かけ、用事を済ませて、またゴルフ場の外の遊歩道をゆっくり歩いて帰ってきた。角にある小学校は開校100年。元の校舎は大地震が来たら一発で崩壊しそうなレンガ造りだし、増築された部分も一番新しくて50年だから、後ろの方にモダンな新校舎を建設中。正面の校庭の隅には学校の名前になっているセクスミス夫妻が建てた小さな木造校舎がまだ残っている。100年前の我が家の辺りはまだ原始林が鬱蒼としていたそうで、小さな校舎のそばを通るたびに、社会科の教科書に出て来た「村の分教場」というのを思い出す。ワタシが子供だった頃の日本にはまだあちこちに「山村」というのがあって、小学校の「分校」があり、さらに山奥の集落には「分教場」があった(らしい)。北海道にもあったかどうかは知らないけど、教科書には1年生から6年生までの子供たちがひとつの教室で一緒に勉強している写真が載っていて、「楽しそうな学校」に何となく憧れさえ感じたっけ。あの頃の小学校はまだ楽しいところだったんだな。

途中でアジア系の男女とすれ違ったときに、「イケダショウガッコウ」という言葉が耳に入って来て、一瞬あれ?と思ったけど、思い出した。もう何年になるか、日本でも子供たちが学校で無差別に殺傷された「池田小学校事件」というのがあったな。そういえば、ニュースでは中国でも学校の児童たちが襲われる事件があったと言っていた。使われた凶器が銃か刃物かの違いだけで、同じパターンの事件が世界のあちこちで起きている。コネティカット州での事件は、さっそく世界のメディアがアメリカの「銃社会」を指差しで非難しているけど、アメリカが「銃社会」だから起こった事件と言えるのかどうか。アメリカでは手近にある銃が使われ、銃が近くにない国では刃物が使われ、刃物が手近になければ別の凶器が使われるということではないのかな。「銃規制」に世間の議論が集中してしまって、「なぜ」の解明がおざなりになれば、こういう無差別大量殺人をなくす手がかりは得られずじまいになるんじゃないかと思うけど・・・。

それにしても、子供であることがこんなにも危険な世の中になったのは、腕力では自分より劣る女と子供に対してしか自分の「力」を発揮できない、意気地なしの男が増えたということなんだろうか。

寝酒を飲みながらの昔語りは

12月15日。土曜日。起床12時10分。外は雨で、ちょっぴり荒れ模様。今日は2人とものんびりを決め込む。と言って、ここんところのんびりしてばかりの観もあるけど、休みだもんね。そのうちに退屈してくるんじゃないかなあという気がしないでもないけど、今のところはけっこう馴染んでいるような感じかな。

寝酒をやりながら取り留めのない話をしていて、カレシがふと「キミがカナダに来たときに何もかもが違うところだと認識していたの?」と聞いてきた。うん、言葉も習慣も違うところで暮すんだという認識はあったな。「どんな生活になるか不安はなかったの?」 なかったなあ。何しろアナタと一緒にいられるということだけで頭が一杯で、そういう現実的なことは考えていなかったなあ。(若かったせいだろうなあ。)で、着いた次の日から即「カナダ的日常生活」だったもので、違いに遭遇するたびに、That’s the way it is(そういX
うことか)、That’s how they do it(ああすればいいのか)でやって来たわけなの。「キミのお父さんは不安じゃなかったのかなあ」。まあ、事情が事情だったから、親として不安に思わないはずはなかったけど、クリスマスケーキで将来が見込めない娘にとっては最善の選択だと判断してOKしたんだと思うな。「ボクはお父さんが好きだったんだ」と、なんだか遠い目になったカレシ・・・。

「お父さんはボクのことをどう思っていたんだろうな」と、ヘンなことを聞くカレシ。遠い外国まで娘をひとりで行かせても大丈夫だと判断したからワタシとの結婚を認めたんだと思うから、気に入られたってことじゃないのかな。「お母さんはどう思ったのかな」。アナタが母の料理をおいしい、おいしいと食べたから、お婿さんテストに100点満点で合格だったと思うなあ。「ボク、お母さんも好きだったよ。自分の親のいい加減な料理で育ったせいだけじゃなくて、ほんとうにお母さんの料理がおいしかったんだ。キミはいい両親を持っていたんだなあ」と、カレシが妙にしんみりしちゃったもので、いつもよりちょっと寝酒が進んでしまったけど、何なんだろうなあ。2人の結婚に至るまでのことを思い出し語りするなんて、カレシの心境に何か変化が起きているのかな。

先日はテレビの生命保険のコマーシャルを見ていて、カレシが市役所に勤めていた頃に同僚の友だちにランチをおごられて生命保険を売りつけられそうになった話を始め、その流れでワタシが結婚したての頃に生命保険の話を持ち出したらカレシが猛烈に怒ったのでびっくりした話になった。初めて聞いて「それをボクが怒ったの?」とカレシ。うん、専業主婦が多い日本では生命保険はあたりまえのことだったから何気なく聞いてみただけだったのが、「そんなのいらんっ!」と怒ったの。で、「何かあってもひとりで生きて行けるだろっ!」と怒鳴ったのでびっくりして、でも、周りを見渡したらママもマリルーもみんな働いていたから、That’s the way it isということで、ワタシも働けるようになってすぐに仕事を探し始めたの。「それが当然だと思っていたし、昔から生命保険は嫌いだし」と何となくバツが悪そうなカレシ。うん、あのときアナタが「ボクが稼ぐから、キミは家にいておいしいご飯を作ってくれればいいよ」なんて甘いことを言ってくれていたら、ワタシの人生は後でどんなエライことになっていたことか。(今のワタシがあるのはアナタのおかげでもある・・・。)

カレシの心境に何が起こったのか知らないけど、私たちの結婚前後のことを語り合うのを触れたくない過去のように避けてきたカレシが、話題になっても逃げなくなったのは大きな変化だと思う。そのうちに2人の間にあった様々な紆余曲折も「昔のこと」として語り合えるようになるのかな。元々自分の気持を言葉にするのが苦手らしいカレシなんだけど、年と共に心が開かれて来ているのかな。あんがい、ワタシが年金が入ってくるようになれば生きるために働かなくてもよくなるとはしゃいでいたことで、何かカレシなりに感じることがあったのかもしれない。それとも、これが老境に入った夫婦というものなのか・・・。


2012年11月~その2

2012年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
がんばれ、ルンバ君!

11月17日。土曜日。雨。起床は午前11時半。朝食後、カレシはヘアカットにアントニオのところへ。ワタシは、ああ、今日も仕事だぁ。見たこともない動植物のラテン語の学名がぞろぞろと出て来て、ググってもググっても日本名が出て来ない。そういえば、海の底には100万種だかの生物がいて、人間が知っているのはまだそのうちのたった3分の1だというニュースがあったな。まだ知らないのに100万種もいるって、どうしてわかるんだろう・・・?

きのうの夕方、ルンバが届いた。さっそく箱を開けて、クイックスタートの手順で充電。入っていたDVDをちょっと見て、充電が終わったところでキッチンの床掃除。「それでは、掃除仕りまする」とばかりにホームベースからバックで離れて、作業開始。ランチの準備をしていたら、ルンバ君が「どけどけ、じゃま!」とやって来る。テーブルに着いていたカレシは「おいおい、それはオレの足だよ。ゴミじゃないよ」とテーブルの下のルンバ君にお小言。勝手にリビングの方へ行ったり、廊下に出たりするので、慌てて「ヴァーチャルウォール」という赤外線の「壁」に電池を入れて、キッチンの2ヵ所の出入り口にセットしておいたら、おとなしく「指定」された範囲だけをぐるぐると掃除。いい子だねえ。息切れして来たらそそくさとホームベースに戻ってドッキング。おお、賢いねえ。[写真]

今日はキッチンの椅子をどけておいて、キッチンと隣の洗濯室を掃除してもらうように「壁」をセットして、ワタシは仕事。だけど、見ているとおもしろいもので、何度もキッチンに上がってしまうので、仕事の方が疎かになってしまって、なんだか本末転倒の感。勝手にやってもらうことにして、ワタシはがんばって仕事に集中。静かになったところで上がって見たら、ちゃんとベースに戻って充電中。洗濯室はカレシが1日に何度も庭へ出入りするところだから、汚れているだろうなとは思っていたけど、ゴミの容器を外してみたら、キッチン2回、洗濯室1回の掃除でこんなにもあって、ギョッ。[写真]

がんばるねえ、ルンバ君。すっきりヘアカットして帰ってきたカレシに見せたら、「うひゃあ」とヘンな声。で、「堆肥にするから捨てるな」と。ふむ、たしかに有機物ではあるけど。でも、土に戻ればゴミも何も関係ないか。生けるものすべて、「土より出て土に帰る」ってね。まあ、これでせめてキッチンだけでもいつもきれいにしておけるのはうれしいな。明日はオフィスも掃除してもらおうかな。ルンバ君ががんばるから、ワタシも、仕事、がんばろう。あと4日のがんばりだから。でも、まだ13000語以上あるなあ。それまで電池が持つかなあ・・・。

ああ、終わった~

11月21日。水曜日の午前3時(あ、サイモン&ガーファンクルの歌のタイトル・・・)。ずっと雨、雨、雨。この先も雨、雨、雨だって。

やっとのやっとのところで、でかい仕事が終わった!現行の英語ははちゃめちゃだし、目はしょぼしょぼするし、頭はくらくらするし、しまいにはもう過労死するかと思ってしまった。何と言っても、普通のベースの倍でやっつけようとするのがワタシのいつもの悪い癖なんだけど。それにしても、今月は巨大地震級の仕事が2つも続いて、いやあ、きつかったのなんのって。さすがのカミカゼ翻訳者のワタシも音を上げるところだった。もうそろそろこういう「激務」は卒業したいもんだなあ。友だちにも言われたもの、「あんた、もう年相応の仕事量にしなさいよね」と。指の関節がみんなシクシク痛い。だって、18歳のときからタイプのキーを叩き続けて来たワタシの手。しみじみと見たら、しっかり「老人」の手になっている。あ~あ。

きのう、老齢年金の受給資格のお知らせが来た。もうひとつの年金の方がまだなのは、こっちをServiceCanadaの窓口で申請した形になったからかな。郵便で迷子になっていなければいいけどな。受給開始は65歳の誕生日の翌月だから、来年の5月末。通知を見て、ああ、これで飢え死にする心配はなくなったなあという感慨がした。なんだかヘンな感慨ではあるけど、ワタシの心の奥深くには自分の食い扶持は自分で稼がなければ、何かあったら路頭に迷ってしまうという、ある意味で強迫観念みたいなものがあったのかもしれない。まあ、子供がいないし、その「何か」に近いことも危うくありかけたし・・・。

さあて、一杯引っかけて、リラックスして、では、おやすみぃ~。

ひたすらリラックスを決め込みたい

11月21日。水曜日。雨、ちょっと一服。ま、マザーネイチャーだってちょっとは休みの日がないとね。神さまだって、天地創造の大仕事をして、7日目には「休み!」ということにしたんだし。神さまでさえそうなんだから、人間は休みなしでガシガシ仕事をしていたらなお体が持たない。もっとも、人間ごときは「月月火水木金金」で働けとのたまう神さまもいるところにはいるのかもしれないけど。

仕事の予定が「空っぽ」になったもので、安心してぐ~っすり眠って、午前11時50分に目覚ましで起床。シーラとヴァルが掃除に来て、さっそくヴァルに「あなたのデスク、何、これ?ツナミでも来たの?」と言われてしまった。しょうがないよ。よそ見しないでまじめに仕事をしていたら、カタログやらダイレクトメールやらメモやら印刷した参考文献がどさどさと積み上がって、デスクの上はちょっとメモを書くスペースもない。ヴァル曰く、「弁護士さんのお客さんがいて、彼女のオフィスもそこら中に書類が積んであって、デスクの上は触るなと言われるし、床だって掃除機もかけられないのよ」。でもさあ、とヴァル。「オフィスがあまりきれいに片付きすぎていたら、仕事がないのかと思っちゃうかもね」。そうだよねえ・・・。

あるシンクタンクが統計局のデータバンクの100万人の所得データを20%ずつ5つの層に分けて、それぞれの20年間の所得の変化を分析したら、トップ20%の層はわずか23%しか増えていないのに、最下位20%(いわゆる貧困層)の所得はほぼ7倍になっていた結果が出たそうな。貧困層の10人に9人が20年後には最下位20%から出て、5人に1人はトップの層に到達したという話で、トップと最下位の所得格差も20年前は13倍だったのが今はったの2倍。「金持はますます豊かになり、貧乏人はますます貧しくなっている」というのは「伝説」であって、カナダに関する限りは貧困層に生まれたら一生貧しいままということはないという結論だった。

それだけ多くの人が20年の間に「豊か」になるということは、社会人としての経験値の差が駆け出しの(若い)頃には低収入でも経験を積んで(学んで)行くうちに収入が上がって行くものだということも反映していると思う。カナダには向上心があればその努力が報われる可能性がまだまだあるということだろうな。もちろん、諸々の社会問題はすべて金持のせいだと主張する「オキュパイヤー」は「所得の不平等が問題なんだよっ!」と予想通り聞く耳持たずの反応だったけど、貧困層の90%が(まじめに働いて)やがて貧困から抜け出せているとすれば、問題なのはお金がないのをある人のせいにして)さしたる努力もせずに「富は平等に分けろ」と要求する人たちじゃないかと思うんだけどな。まあ、世界の諸問題は、自分たちの統治能力の不足も含めて、悪いのは西洋であり、アメリカであり、大企業であるとするのが今どきの「正しい」主義主張なのかもしれないけど。

でも、「活動家」を自称する人たちには「自分の考えは決まっていて、それが正しいんだから、今さらそれに反する意見など聞く必要はない」というタイプもけっこう多い。(実は、よけいな事実を持ち出して動揺させないでくれと言っているのかもしれないけど。)宗教組織なんてその際たるものだし、何であれ構成員の思考を統制しようとする組織ほど、言うなれば「心の窓」の閉じた人が上に立っていたりする。自分の正しさが絶対と信じている人、自分とは違う意見や考えは自分の価値を否定するものだと思っている人、自分が知らないことを知っている人が怖い人といろいろだけど、「では、どうしたらいいのか」と問われても合理的な提案が出て来ることはまずない。ま、悪いのは自分じゃないから解決しようという発想がないのかもしれない。結局のところ、人間は何十年、何百年、何千年と、ヴェンデッタを続けて行くことになるのかなあ・・・。

まあ、そういうことはこの際ワタシが出ることでもないから、いいってことにして、今日はひたすらリラックスする。家中がきれいになったところで、ランドリーシュートを覗いたら、洗濯物が今にもドアを押し開けてなだれ落ちて来そうだったけど、明日にする。ちょっとご馳走を作ろうかなと思ったけど、カレシがちょっとおなかの具合が良くないと言うので、ご馳走はやめにして、おなかに優しい簡単料理にする。(とっときのカルナロリ米でゆっくり、ゆっくり、ふっくらとしたリゾットを作ってあげた。)今日はのんびり。ひたすらのんびり。超久しぶりにジグソーパズルやゲームで遊んだり、小町横町を散策してみたり、デスクの上のカタログをパラパラとめくってみたり、リラックス、リラックス・・・。

結局、自己完結でいいじゃないの

11月22日。木曜日。目覚ましで起床午前11時30分。夢の中で鳴っていたと思ったら、実は現実の目覚まし。2日連続の目覚しき症はつらいなあ。と思ったら、歯医者から明日午後12時半の予約の確認電話。やれやれ、明日も目覚ましかあ・・・。

久しぶりに仕事のない今日は、カレシにくっついて午後の英語教室へ。前から生徒さんたちに連れて来てとせっつかれていたんだそうで、まあ、ゲスト生徒というか、「参観」というか。生徒さんは20代後半から50代まで7人で、全員女性。3人は去年からのおなじみ。それぞれの出身は、香港、台湾、中国本土、韓国。英語のレベルは中級の上あたりで、レッスンはテーマを決めてのディスカッション。今日のテーマは「高給/薄給過ぎの職業」。カレシが用意した雑誌の記事を教材にして、うわっ、にぎやかなこと。香港ではこう、台湾ではこう、中国ではこう、韓国ではこうと、人事制度や労働環境、所得税の制度まで、それぞれに異なるお国事情が聞けておもしろい。ゲスト生徒のワタシも仲間入りして、ああだこうだ。2時間があっという間に過ぎてしまった。人との交流って、気持が弾むよね、やっぱり。

ワタシには口から先に生まれたと言われそうなくらいのおしゃべりの才があるらしく、どこでも、誰とでも、何についてでも(自分が知らないことでも)、その場の会話にけっこううまく乗る方で、手も目も顔も総動員で、おまけに大口を開けてきゃっきゃとよく笑う。まあ、日本ではそういうのはあまり良く思われないらしいから、知らない日本人ばかりの時はワタシなりに気遣いをしておとなしくしている(つもりだけど、つい地が出てマナーにうるさい人の顰蹙を買っていそう)。でも、そうでないときは地のままのワタシ。これが英語だと、持って生まれたおしゃべりの才がそれっとばかりに満開になるわけで、生まれるところを間違えたのか、生まれるまでの過程で配線を間違えたのか、そこのあたりはよくわからないけど、とにかく人と交わるのが楽しい。

でも、初対面でも何でも、エライ人でも若い人でも、気後れせずに人と交わるのが大好きなワタシだけど、同時にひとりでいてもちっともさびしいと感じないから、何日もカレシ以外とは口を利かず、ひとりオフィスにコンピュータに向かい、ひとりであれやこれやをごちゃごちゃ考え、ひとりで自分と会話をしていても苦にならない、在宅フリーランス稼業にはぴったりの一匹狼的なワタシ。何となく二重性格のようではあるけど、別に表と裏に分かれているわけでもなさそうで、自分としゃべっているひとりのワタシは人の輪の中にいるワタシと同じ。これ、もしかしたら「自己完結型」と言われるタイプなのかな。

でも、日本語で「自己完結」をググると、一般にあまり良くは思われていないような感じ。前にも「ポジティブ」なのもあまり良く思われないらしいとわかるような話があったけど、どういうことなんだろうな。だって、辞書サイトで自己完結をチェックしてみたら「self-sufficiency」という訳語が真っ先に出て来て、それを逆に引くと「自己充足」とか「自立」といった日本語の訳語が出て来る。どれもじゃあ、自己完結じゃなくて、自己充足していると言ったら、それもやっぱり空気が読めないめんどうな人間ということになるの?じゃあ、自立していると言ったらどういう反応になるんだろう。「自立」の英語訳になると、「independence」、「self-support」、「self-reliance」で、どれも「好ましい」性格のうちに数えられるから、所変われば何とやらということなんだろうな。

小町横町界隈でも、何かと(あたしに)「頼らないで」、「寄りかからないで」、「依存しないで」、「当てにしないで」という、相手の自立を促すような発言が多く見かける。いいことだと思うよ。だけど、それを真に受けて他人に寄りかからずに自分で自分の面倒を見られて、自分で考えて決めて行動に移せる人(自立した人間)になったら、今度は自己完結している、空気が読めないと、落ちこぼれ人間される可能性があるから難しい。どうも日本では「自己」のつく言葉がなぜかネガティブな意味合いを持っていることが多いけど、どうして「自(self-)何とか」は良く思われないんだろう。もしかして、貶される人のことじゃなくて、貶している人の心理が投影されているとか?

ワタシが自立して自己充足した自己完結人間なんだったら、人によく思われようが、非常識なやつと非難されようが、ワタシはワタシでいいということで、それで不満でも不幸せでも孤独でもないから人の迷惑になっているとは思えないな。(迷惑だと感じる人には迷惑なんだろうけど、どうして?)まっ、空気を読めなくても、新鮮なのを胸いっぱいに吸えていれば生きて行けるから・・・。

今年はもう休みにしたい

11月23日。金曜日。午前11時30分。また目覚し起床。もう、くたびれたよ~。もちろん、少し早めに起きるんだから、少し早めに寝るといいんだけど、そこはそれ、そう言いながらもついテーブルを挟んで、寝酒のグラスを傾けながらいつまでもおしゃべりしているから、早寝しなきゃといいつつも、結局はいつもの時間。でも、よく考えたら、ひとつ屋根の下の長い2人暮らしで、そうやって取りとめのないおしゃべりをすることがなかったら悲劇かもしれないな。

今日はワタシの歯医者のアポが午後12時半なので、とりあえずジュースとトーストだけの朝食で、カレシのタクシーサービスで歯医者へ。1年ぶりということでレントゲンを撮って、モニターの画面に自分の歯が大写しになるのを眺める。それから衛生士さんにごりごりと歯垢を取ってもらって、ウー(伍)先生にチェックしてもらって、去年から懸案になっている上の2本の奥歯の古い充填は今すぐ詰め替えの必要はなしということで、じゃあ来年。カナダでは歯科は医療保険の対象外なもので、ひと昔前まえは企業や組合のベネフィットに歯科の団体保険があって、歯医者はしょっちゅう充填や歯冠を勧めていた。それが、経費削減で歯科保険がなくなったりして、歯の掃除は全額患者の自己負担になったし、充填が古くなったからと言って気軽に治療を受けられなくなったもので、最近は「おススメ」程度。何しろ歯医者は過剰気味だから、競争も厳しい。掃除料もずいぶん安くなったような気がするな。

だいぶ前に、うっかりいつもと違うCrestブランドの歯磨きを買ってしまって、それを使い始めたら口の中の粘膜が荒れてしまったことがあったので、ウー先生に聞いてみたら、他にも口の中が荒れたと言って来た患者が何人かいて、Colgateに代えたら治ったという話だった。そっか、「新発売!」のタイプだったし、カレシには何もなかったから、何らかの新しい成分がワタシ(と他の人)には合わなかったということか。なるほど、たかが歯磨きではあるけど、近頃は「歯を白くする」とか、「12時間殺菌効果」とか、やたらといろんな「効能」が追加されているから、「たかが歯磨き」なんて言っていられないな。最後にミントの味のフッ素のうがいをくちゅくちゅと1分やっておしまい。ああ、さっぱりした。いつものように(宣伝の)デンタルフロスと歯ブラシと歯磨きをくれる。外へ出て、カレシのタクシーサービスを待っている間に袋の中を覗いたら、あら、Crestの歯磨き・・・。

帰ってきたら腹ぺこ。だけど、フッ素のうがいをしたら、30分は飲まず食わずで!ということで、しばしの間グーグーとうるさい胃袋をなだめつつ、メールのチェックやら何やら。聞いたことのない会社から引き合いがある。翻訳会社らしいけど、このレートならわりと良心的な会社かもしれないけど、ちょっと安いかな。翻訳業界はすごいデフレになっているらしいけど、ワタシのレートはほぼ23年間でほぼ同じ。ここ10年仕事をもらっているニッチの会社のレートが高いので、逆に平均レートはかなり上がっている。ま、来週の今ごろはサンフランシスコだし、ぎりぎりまであたふた仕事をしたくないので、「現在新規のお客様はお受けしておりません」とメール。何だかエラそ~な返事ではあるけど、今から顧客の新規開拓も何もない
だろうし。

翻訳業界と言えば、この頃やたらと多いのが「翻訳者」からのスパムメール。どれも要は「翻訳します。経歴何年、迅速で正確」的な営業メールなんだけど、毎日5通くらいは来る。実にいろんな言語の組み合わせがあって、特にスペイン語とかポルトガル語、トルコ語と英語。一度だけ日本語というのがあったなあ。どこかでボットを使って集めた翻訳者/会社のディレクトリがDVDか何かになって出回っているのかな。昔からときどき「世界の翻訳会社を網羅したディレクトリを買わないか」というスパムメールもよく来るな。この業界もEUの経済危機が忍び寄っているのかな。でも、EconomistやForbesには「翻訳・通訳業界は隠れた好況産業」みたいな記事があったばかりだけど、もっともEconomistは法律分野の話だったし、Forbesはアメリカの話。ま、悪いけど、ワタシは翻訳会社ではないもので、「削除」ボタンをクリック、クリック、クリック。

さて、あしたはやっと目覚ましなしで、目が覚めるまで眠れる。くたびれたから、本気で12月は「休業」にしてしまおうかなあ。11月末で22年中上から9番目の業績。アメリカドル安でカナダドルの手取りが目減りしていてこれだから、円もドルも高かった1990年代の為替レートだったら、「創業以来最高の売上高」という華々しい決算になりそうだな。10年ほど前に仕事を半分に減らしたはずなのに、これではどうみても仕事のしすぎだ・・・。

200年後の世界地図を見てみたい

11月24日。土曜日。やっと目覚ましなしで、体の気が済むまで眠って、2人ともほぼ同時に自然に目が覚めた。ただし、午前11時40分。なんだ、目覚ましとあまり変わらないか。でも、久しぶりに明るい。朝食が終わったら、まずは洗濯から行こう!

自由党の党首候補と目されるジャスティン・トルドーが、2年前のケベックでのインタビューで、「アルバータがコミュニティを牛耳っているのは良くない。ケベックが政権を持つべき」と言ったのが表面化して、ちょっとした騒ぎ。トルドー議員はかってのトルドー首相の息子で、若いし、ルックスはいいし、美人の奥さんと幼い2人の子供がいて、どん底で低迷する自由党の「希望の星」。あわてて、ハーパー首相(アルバータ選出)のことを言うつもりだった。カナダの首相はケベック人がなるべきだ」と説明したもので、お膝元のケベックでもひと騒ぎ。その前には「こんな政策じゃボクだって独立を支持したくなる」と言って顰蹙を買ったばかりで、おまけに今ケベックは独立派の政権だし、西部は未だに(親父の)トルドーにムカついている人が多いし、もろに地雷を踏んじゃったなあ。

分離独立といえば、スコットランドが2年後に独立に向けての住民投票をするんだそうな。北海油田の収入でやっていけると。スペインでもカタロニアとバスクが独立の旗を振り出したそうだし、ベルギーなんかもうずいぶん半分解状態。どっちも言語問題も抱えている。でも、独立したがっているのは比較的豊かな地方なんだそうで、EUの経済危機で「ビンボーな地方に自分たちの稼ぎをたかられるのはたまらん」と言う心情らしい。このあたりは税制や年金制度などで他の州にはない「自治」を認められているのに、景気が悪くなると「出て行く」と脅してはオタワから優遇策を引き出しているケベックと違うところだな。それでもケベック人は自分たちがたかられていると思っているらしいから、たいしたプライド。

そういえば、アメリカでもオバマ大統領の再選で、各地で「分離独立」を要求する署名運動みたいなものが起きたそうで、テキサス州では5万人以上の署名が集まったとか。テキサスはメキシコと戦って独立を勝ち取って、10年くらい独立国家「テキサス共和国」だった歴史があるし、南北戦争では南軍だったし、反ワシントンの感情はけっこうあると思うな。州都オースティンの州議会議事堂を見に行ったことがあるけど、敷地のいたるところに南軍の記念碑があって、正面玄関には今でも使えるという南北戦争時代の大砲がデンと置いてあって、テキサスはまだ南北戦争を戦っているのかと錯覚するくらい。アラモの砦のテキサス魂はまだまだ廃れていないようだな。

BC州とワシントン州、オレゴン州は「カスケーディア」というひとつの地域文化圏を形成していて、分離独立を唱える人たちもいて、ダグラスファーをデザインした「国旗」まで用意してある。たしかに、性格も英語の訛りも似ているから、シアトルに行っても隣町と同じ感覚だけど、今のところはほとんどの人が「地域文化圏」で満足している。でも、地理的な境界と言うのは人類が陣地を張って所有権を争うようになってからこの方、いたってアモルファス。チャールズ・イームズの短編フィルムにローマ帝国の境界線の変遷を毛糸の輪の伸び縮みで表現したのがあって、国境は人間が作ったもので、常に押しつ押されつで変わっているものだと実感させてくれたけど、今から100年後、200年後の世界地図にはテキサス共和国があり、カスケーディア共和国があり、ケベック共和国があり、北海道共和国もあるとなおいいし、ヨーロッパにはかってそうだったように小さな国が乱立しているかもしれない。

ま、EUは拡大を急ぎすぎたあまりにあちこちが綻びているように見えるし、アメリカでは共和党派と民主党派の二極対立が先鋭化しているし、カナダも古い東部と新興の西部の対立が目に見えて来ているし、国境が永遠に変わらない、変えるべきでないと考えるのはちょっとナイーブ過ぎるかな。問題は戦争をしないで変えられるか、だろうな。ダーウィンによると、適者生存と言うのは力の強いものが生き残れるということではなくて、変化に適応して変われるものが生き残ることだそうな。ちなみに、最近発表されたある研究によると、人間の知性はこの6千年の間に高まるどころか逆に低下しているらしい。政治家の失言とか経済の混乱とか、あれこれを見回してみて、何となく「なるほど~」という感じがしないでもない。

そういう先の話は別にしても、ケベック、出て行ってもいいよ。でも、資源の豊かなラブラドル半島も(財産分与で?)持って行くつもりらしいけど、ニューファウンドランドが何というかな。(ケベックが自分のものだと言い出したから、ニューファウンドランド&ラブラドル州という長ったらしい名前に変えたんだっけ。)いっそのこと、全国で住民投票をやってみる?出て行けという結果になったら、どうする?独立してやっていけないから、出て行くのはや~めた、と言う?トルドー君に聞いてみるか・・・。

本年の営業は終了しました

11月25日。日曜日。目が覚めてから、しばらく2人してうとうとして、正午に起床。今日もわりと明るい。ゆっくり、ゆっくりで行こう。大洗濯は済んだし、キッチンの床はルンバ君がきれいにしておいてくれるし。

メールをチェックしたら、え、仕事?またニューヨークかと思ったら、今度はロンドンのオフィスから。この会社との付き合いはサンフランシスコから始まった。何年か前にトライアルをやってみないかと声をかけられて、普通は断るんだけど、専門が法律分野だからおもしろそうだとOKしたら、送って来たのは目が回るようなややこしい契約書のサンプル。評価が「A」だったので、(新人だから)小さな仕事の話がちょこちょこ来るけど、タイミングが合わない。そのうち今年の初めにニューヨークのオフィスからドカンと仕事が来た。思えばあれがクレージーな2012年の予兆だったのかな。今度の話は来年まで続く見通しなんて言っている。やだ、もう。でも、世界中ぐるっとオフィスのある会社だし、無碍に断るのもなんだから、年が明けて「プロジェクト」がまだ続いていたら声をかけてくれと返事をしておいた。

ここのところずっと座りっぱなしが多かったので、運動しないとプヨプヨが進行しそう。今年は(日本で美食を堪能しすぎたのもあるけど)仕事のストレスの大食い、大飲みで3キロも増えてしまったからまずいよね。(太ると顔がふっくらして皺が目立たないというご利益もあるけど・・・。)そこで、トートバッグを肩にモールまでてくてく。空気が冷たいけど、背筋を伸ばして、おなかを引っ込めて、ぐいぐいと歩くのは気持がいい。今の季節、私書箱はちょっと目を離すとカタログでぎっしり。それだけでトートバッグが肩にずっしり。次は毎年臨時に出るカレンダー屋。6枚。カレシにはニューヨークの白黒写真。キッチンにはアールデコ時代の食品の宣伝ポスター。ワタシのオフィスにはポーチの写真。湖畔や海辺の優雅なポーチの風景。いよいよ「年金受給者」になる来年にぴったりだと思うけど・・・。[写真]

カレンダーの手当ができたら、次はクリスマスカード。送り先がそんなにあるわけじゃないから、あまり数の入っていないのを2種類。これで今年のクリスマスの準備が出来てしまった。トートバッグはずし~んと重い。だけど、化粧品がなくなりかけていたのを思い出して、Bayのクリニークのカウンターへ。いつもの昼間のクリームと夜のクリームとローションを頼んだから、ローションの他に洗顔ソープやアストリンゼントの入ったセットだと旅行用のミニサイズも付いて来て、おまけに今なら40%オフなのでお得ですよ~と言うのに釣られて箱ごと買ってしまった。ついでに寝ている間に使うアロエ配合とかの保湿クリームも「これから暖房が入るとお肌が乾燥しますよね~」と言うのに乗ってお買い上げ。ついでにハンドクリームも要ると言ったら3種類も出して来て、手の甲のあっちに塗り、こっちに塗りのお試し。足のかかとにも効くというボディバターが一番大きかったので、それに決定。おまけに色は派手なピンクだけど、わりと使えそうなトートバッグをもらって、大きなショッピングバッグに一杯。重い荷物を肩に担ぎ、手に提げて、片道30分をえっさえっさと歩いてご帰館。ああ、くたびれた。

でもまあ、まったく仕事がない日もいいもんだ。すっかりその気になって、常連のお客さんにも、12月は「勝手ながら休業させていただきます」メールを送ってしまった。もちろん、どうしてもという「緊急」の仕事があればやりますと但し書きを付けてだけど、何もなければ「晴読雨読」でのんびりと暮らすご隠居さんトレーニングと行こうか。でも、もしも退屈してしまったら悲劇だなあ・・・。

銀行がもうかってくれないと

11月26日。月曜日。寝る前の一杯のつもりが、話が盛り上がってしまって、寝たのは午前5時半。なのに11時過ぎには起きてしまったから、眠くてしょうがない。でも、早めに起きるようにしておかないと、サンフランシスコで時差ぼけになってしまう。同じ時間帯の中なのに時差ぼけするというのもヘンな話だけど、生活時間が変わるので、実質的に時間帯をいくつか越えたのと同じことになる。(だから生活のリズムが近い日本へ行くと時差ぼけがほとんどない。)

眠たいせいか、何だかやる気が出て来ないので、今日は銀行に行くのはやめにして、だらだらモードを決め込む。新聞サイトめぐりを始めたら、びっくり仰天ニュース。カナダ銀行のカーニー総裁が来年イギリスの中央銀行の総裁に就任するんだって。日銀総裁が任期途中で他の国に引き抜かれるようなもの。カナダの経済はまあまあだし、銀行の経営は堅実だし、本人はオックスフォード大学で経済学の博士号を取って、経済学者の奥さんはイギリス人だし、イギリスとしてはぜひうちに来て!ということなんだろうな。候補に挙がって「その気はない」と否定していたのに、キャメロン首相がハーパー首相に「ぜひ譲ってください」と頼み込んだと言う噂もあるらしい。まだ47歳だから、ロンドンでの5年の任期が終わったら、次はIMFの専務理事を目指すのかな。だけど、できる人を引き抜かれちゃって、カナダ、大丈夫かなあ。カナダドルのレートがちょっと下がっちゃったけど・・・。

カナダの銀行は儲けすぎだという批判が多いけど、きちきちに規制された環境での儲けなんだから、虎の子のお金を預けてある銀行が儲かっているのは喜ばしいことじゃないのかな。カナダでも銀行がいくつか破綻した時代があって、それに懲りた政府が金融機関の監督官を置くようになった。初代の監督官はワタシがいた会計事務所のトップだった人で、年収が半分になるのも厭わず、銀行の健全経営を監督する基盤を作った。カーニー総裁と同じように、まだ50歳になるかならないかで、すごく頭が切れて、しかも温かみのある人だったな。考えようによっては、銀行制度を監督する基盤がしっかりしているから、政府が銀行を支援することもなくリーマンショック以来の世界的な経済危機を乗り切って来れたんだと思う。だから、(どこかの新聞記事にあったけど)カナダよりもイギリスの方が切実にカーニーさんを必要としているってことだろうな。

まあたしかに、銀行にあれこれ手数料やら何やらを取られてムカついている人は、銀行はぼろ儲けしすぎだ!とよけいにムカつくだろうな。当座預金なんか残高が少ないと口座維持料みたいなものも取られるらしいから、その一定の残高を維持する敷居が高いと感じる人もたくさんいると思う。自分のお金なのに使うとお金を取られるわけで、何となく理不尽な感じもしないではないけどな。でも、箪笥にしまっておけば泥棒の心配があるから、銀行に安全に預かっていただいているわけで、銀行の儲けは安心料だと思えばいいんじゃないかと思うけど、そこはそれ、オレ(アタシ)の金を使ってぼろ儲けするとはけしからんと怒る人もいる。(億の単位のお金を動かす銀行にしてみたら、そんな金じゃあ儲けは出ないよというところだろうけど。)まあ、投資信託に預けたようなもので、銀行が利益を出していなかったら逆にワタシは心配になるけどなあ。

ま、持っているアメリカドルを下ろさなければならないから、あしたこそは銀行に行って来よう。カナダドル、下がるかなあ。アメリカドルで入って来てそのままで使っていればいいんだけど、使い道が限られてしまうし、アメリカドル口座から振り替えると(窓口よりは低率だけど)為替手数料込みのレートになるから目減りがすごい。少しは下がってくれないと困るんだけど、アメリカが財政の「断崖絶壁」を見下ろしてああだこうだいっている間は、等価ラインでの「もみあい」が続くのかなあ。あと5セントくらい下がれば差益が出るんだけど、無理かなあ・・・。

語学は音楽に通ず

11月27日。火曜日。モーターの音で目が覚めたら正午になるところ。外は明るい。ガーデナーのジェリーが伸びて来た生垣の刈り込みをやっている。歩道の芝生刈りは季節的にもう不要なので、カレシが生垣の手入れを頼んであった。上は平たく揃えてクルーカット。横は(基本的に市有地側に植えてあるので)放っておくと歩道にはみ出して市役所からお小言が来るから、平らにそそり立つ緑の壁にしてもらう。カレシはすぐに自分でやると言うんだけど、道具がないし、時間がない(らしい)し、やる気がなくなるから、結局はプロのガーデナーに頼むのが一番手っ取り早いし、きれいに仕上がる。

銀行へ行こうと思ったけど、考えたら当座預金はほとんどを貯金口座に移してあったので、シーラの留守番料と来月の掃除料と手持ちの現金を下ろしたら、明日引き落とされる医療保険をカバーする残高がなくなる。カレシの年金の振り込みも明日だけど、処理の順番によっては残高が一瞬マイナスになる可能性がある。いくらか当座に戻しておくか、貯金口座から直接下ろせばいいのに、なんだかめんどうくさくて、銀行は明日。今日はデスクに山積みで散乱しているカタログやダイレクトメールの整理。仕事が休みだと、いろいろと予定変更の融通が利いて(ドタチェンできて)いいな。(カレシが予定をドタチェンしたら怒るワタシだけど・・・。)デスクの整理をしたのはそれほど前じゃないような気がするけど、カタログ類は積み上げたら20センチ近い高さになった。ひとつひとつアドレスを隠蔽して、リサイクル箱へ。日本製のこの隠蔽スタンプ、「Kes’pon」の名前で売られている優れもの。半日かかったけど、きれいになった。ふぅ・・・。

協会のメーリングリストではまたぞろ「ネイティブ論争」をやっている。なにしろ、英語人と日本語人がいるもので、どこかで「翻訳は外国語からネイティブ言語に限るべき」主義的なエッセイなどが出ると、いつもひとしきり(飽きもせずに)同じ論争をやっている。そもそも「ネイティブ言語とは何ぞや」という定義がはっきりしていないし、「翻訳の質」や「翻訳者の技量」をどうやって測定するかという基準もはっきりしていないから、議論もてんでの方向へ発展して、だんだん噛み合わなくなるからおもしろい。この業界には基本的に「日本語訳市場「と「英語訳市場」とがあって、日本語訳市場はほぼ日本語人の独占だけど、英語訳市場は日本語人も多数参入している。このあたりが特に日本在住で英語訳をやっている英語人の神経を逆なでするらしい。でも、2ヵ国語使えれば翻訳できるというもんじゃないし、英語がネイティブ言語だから英語訳の質が高いというわけでもないから、翻訳という職業が成り立つんだけど。

何日か前、ローカルのテレビで日本人起業家が商品を説明しているのを聞いていたカレシが、「文法は間違っていないし、単語も聞き取れるけど、何の話をしているのかわかりにくい」と評していた。たしかにワタシにも少々わかりにくかったけど、英語教室で生徒の英語を聞きなれているはずのカレシがなぜ、この日本人の「達者な」英語が、わかりにくかったのか。カレシ曰く、「流暢だけど、抑揚が英語になっていないから、発音があまり良くないと、英語だと意識して聞かないとわかりにくい」。かえって、たどたどしい英語の方がわかりやすいと。そういうものなのかなあ。

よく、「英語はネイティブ並み」、「ネイティブのように話したい」という人がいるけど、この「ネイティブ」と言うのが曲者。どの言語でもそうだけど、単語を文法に沿って正しく組み合わせて、正しく発音すれば(書けば)いいってもんじゃないから難しい。その言語に特有の抑揚があり、リズムがあり、さらにそこに顔の表情やボディランゲージが加わる。おまけにボディランゲージには微妙な表現が隠されていたりするから、ますます難しい。そうしたものを全部ひっくるめて「ネイティブ言語」になるんだと思う。でも、「語学」というと、文法や単語、発音、綴り、聞き取り、書き取りの「勉強」であることが多いように思う。ワタシの中学、高校の英語はまさにそれだった。

でも、今では英語が「Primary language(主言語)」という感覚で、話す、聞く、読む、書くのどれにも(内容の良し悪しはともかく)まったく不自由を感じていないし、誰にも違和感がないように見えるから、自分がどんな風に英語をしゃべっているのか考えることはないな。訛りはあるはずだと思うんだけど、あるかとカレシに聞けば「ないなあ」と言われる。抑揚とリズムとボディランゲージが「ネイティブ並み」になって、誰も訛りには気がつかないということかもしれない。でも、どうやって「英語らしさ」を学んだのかと聞かれても、英語環境で長く暮らしていたもので~としか言えない。その「言語らしさ」というのは教科書には書かれていないし、言葉では説明できないことなのかもしれないと思う。

ただ、ワタシは知らない言語が耳から入ってくると、それを音楽のように聴いているところがある。(知らない言語だから言葉して聞いてわからないのはあたりまえ。)抑揚はメロディ、リズムはリズム、単語は歌詞。歌詞がわからなくても、「歌い手」の表情や身振り手振りを見ていると歌の雰囲気が何となくわかる。どの民族にも「民謡」があるように、どの言語にもそれぞれに独特の「音楽」がある。だから、ワタシの耳はいつも聞こえる英語をラジオから流れてくる音楽のように聞いていて、鼻歌まじりで合わせているうちにメロディ(抑揚)を覚え、人と話しているときは、テレビの歌番組を見ているのと同じに歌い手の身振り手振り(ボディランゲージ)をまねるようになったのかもしれない。(いい加減な言語学習法だな・・・。)

かっての同僚に他人が外国語をしゃべっていると腹が立つという人がいて、その理由と言うのが「だって、何を言っているのかわからないじゃないの」。彼女はきっと言語を「意味を伝えるもの」と考えていたんだろうな。それで聞こえる言葉の「意味」を知ろうとして、わからないから苛立ったんだろうと思う。音楽として聞いていないから、「雑音」でしかなかったのかもしれない。つまり、彼女にとって言語は「語学」だったのかな。語学としての言語学習は、言葉の意味を汲み取ることに集中するあまり、相手の話の抑揚や顔の表情やボディランゲージは学習の対象にはなっていないのかもしれない。言語の習得ひとつをとっても、人はそれぞれで、自分に合った学習方法に出会えたらラッキーだけど、そうでなければ習得できても実践では苦労するかもしれないということかな。

やっとバケーションの気分

11月28日。水曜日。またモーターの音で目が覚めた。午前11時20分。ああ、眠い~。ガーデナーのジェリーが今日は道路向かいのマージョリーの生垣の剪定をやっている。うちの生垣の倍くらいの高さがあるから、大変だなあ。ガーデナーが使う3本足の脚立は目が眩みそうな高さで、トリマーを動かすたびにゆらゆらと揺れる。そのうちに雨が降り出した。

今ごろになってちょっぴり疲れてきたけど、何でだろうな。ま、それでも銀行へ行かなきゃと、したくをしていたら、カレシが「一緒に行くよ」。夕食にサルサを作りたいから、トマトがいるんだそうな。トマトくらい、ついでに買って来るけど~と言ったら、「車を走らせておいた方がいいから」と、どうしても付いて来る気でいる。ははあ、旅行の前だから落ち着かないんだな。出発の日が近づくと、何となくそわそわして、ああだこうだと絡んでくる。場合によっては興奮状態でストレスになるらしく、機嫌が悪くなったりするから、ヘンな人。今回は行き慣れたサンフランシスコで、しかもたったの5泊6日なんだけどなあ。

アメリカドルはATMから出せないから、カウンターに並ぶ。さっそく「2人揃って待っていることもないから、ボクは私書箱をチェックしに行く。モールの入り口のところで落ち合おう」と言って、さっさと外へ出て行ってしまった。ワタシの前にいるのはたったの2人。行列と言えるほどの行列でもないのに、それでも待てないんだなあ。やれやれ。5分もしないうちにワタシの番が来て、アメリカドルをアメリカドル口座から、カナダドルを当座預金口座から、400ドルずつおろして、5分もしないうちに完了。最近発効されたばかりのポリマー製の新しい20ドル札が混じっていた。なんかぺらぺらなビニールの手触りで、おまけに透明な模様つきの窓が開いているから、あんまりお札らしくない。偽造しにくいし、紙と違って長持ちするので経費削減になるそうだけど、ATMはまだ新札に不慣れで、多すぎたり少なすぎたりするという話。そういえば、1ドルと2ドルの硬貨も、経費削減?でほんの少し重さを減らしたら、駐車メーターや自動販売機で使えないという苦情が出たとか。新硬貨の裏にメープルリーフの刻印があるのは見分けのためかな。

セイフウェイによって当座の買い物をして、レジでトートバッグに詰めてもらっていたら、どこかへ姿を消していたカレシが現れたので、「あら、ヘルパーさんを雇ったのね」とレジのお姉さん。「アタシもいつもそうなの。買い物にはうちのヘルパーを連れて行くのよ。高くつくことが多いけど、楽ちんだもの」。そうだなあ、ついでにあれも、これもを追加されたりすると、ヘルパー料が高くつくよねえ。あはは。カレシは苦笑しながらバッグを受け取って、道路の向こう側に止めた車へまっしぐら。帰って来たら、ジェリーとヘルパーのおじさんがそろそろ作業完了。その場で請求書を頼んで、生垣の刈り込み料と11月の芝生刈りの料金をまとめて小切手で支払い。これで、残るは1日早い月末処理だけとなった。バケーションモードに切り替えても良さそうだな。

今夜はカレシが前から食べたいとヒントを出していたとんかつ。ヒレカツに大根おろしにゆず醤油。ついでに刻みキャベツも添えて、麦ご飯を炊いて、味噌汁以外は(店の名前は忘れたけど)東京で食べたのとほぼ同じメニュー。東京駅だったか、新宿駅だったかの店には元気な(ちょっとイケメンの)お兄ちゃんがいて、「ボク、英語できますから」と張り切ってサービスしてくれたっけ。学生アルバイト君なのかな。半年前のことだけど、なつかしいね。カレシは未だに日本で「一番好きな日本食は何?」と聞かれて「とんかつ!」と答えたときのびっくり反応を思い出しておかしがっている。「だって、とんかつって日本食なんじゃないの?」う~ん、と思うけど・・・。

さてさて、後はゆっくりするか。仕事のことを考えない日々にだんだん慣れてきたような・・・。

荷造りにその人となりが見える

11月29日。木曜日。目覚ましより1分早く目が覚めた。また雨。記録的な少雨だった秋の分もまとめて降らせているのかな。いつものシリアルがないので、急ぎでホットシリアルを作って、朝ごはん。

カレシを午後の英語教室に送り出して、まずは月末処理と家計の処理。請求書を作って、仕事ログの11月分を締めて、年間ログのアップデート。ふむ、12月にまともに仕事をしたら、過去10年で最高の業績を達成ってことになりそうだな。どうりでくたびれているはずだ。家計の方は手元の請求書を全部まとめて支払日を指定しておいた。電気料金、(業務用)電話料金、ケーブルテレビ料、ワタシのクレジットカード。これで帰って来て忘れていたなんてことがないから安心。コンピュータがなかった昔は、2週間か3週間くらい家を空けるときは、ざっと見積もって先払いしておいたり、ママのところへ郵便を転送して立替払いしてもらっていたっけな。こういう便利さはいいね。

夕食は冷蔵庫の野菜の在庫一掃セールでグリル。夜の英語教室に行くカレシを送り出して、荷造りの準備。といっても5泊だし、特にエキゾチックなところへ行くわけでもないから、ワタシのは簡単。たった2時間のフライトだから、重いDVDプレーヤーに代わって本を1冊。ちょっと悩んでデジカメの代わりにスチル写真も撮れるカムコーダー。充電コード2本。後は衣類と化粧品。そうそう、お酒のびんが割れないように保護する袋も入れておかないと。そうだ、ほぼ毎日雨の予報だから傘も入れなくちゃ。サンフランシスコでお酒を買えば、帰りはスーツケースを預けることになるので、予備の機内持ち込み用のバッグを入れておく。買い物をしすぎてスーツケースがいっぱいになっても、衣類や化粧品が入る大きさのトートバッグがあれば安心。後はハンドバッグの代わりに旅行用のショルダーバッグ。暗黒大陸の探検に行くわけじゃないんだから、いるものがあればドラッグストアを探せばいいんだし、身軽が一番・・・。

カレシはBoseの「消音ヘッドフォン」を今回は持って行かないことに決めた。エンジンの音や周囲の雑音をシャットアウトして音楽を聴きたいという理由でいつも必ず持って行くんだけど、ハードケースに入っているから、けっこうかさ張る。まあ、2時間なんだから、少々周りがうるさくてもガマン、ガマン。そうでなくても、ネットブックにミニマウスにiPodが2個、さらに電源コードやらUSBケーブルやらと、とかく持ち物が多いのに、iPodはそれぞれ買ったときの箱にていねいに納めて、それを全部大きなダッフルバッグに詰めて機内に持ち込みたがるのがカレシ。だけど、たったの2時間なんだから、お目当てのものが見つからないとかき回したり、出したものをしまったり、とにかく狭い座席でもぞもぞしているうちに目的地に着いてしまうって。

旅行の荷物の内容や荷造りのしかたを見ていると、その人性格やものの考え方、世界観などをちょっとだけ垣間見ることができておもしろい。さて、カレシは搭乗券を印刷したと言っているし、ワタシもそろそろ荷造りをしなくちゃ・・・。


2012年11月~その1

2012年11月16日 | 昔語り(2006~2013)
自分で自分にボーナスを出すのがフリーの稼業

11月3日。土曜日。日が差さなくて暗いせいか、目が覚めたのは午後1時ぎりぎり。今日も雨。昨日も雨。明日も雨。まあ、これがバンクーバーの普通の「冬」。でも、1980年代には11月に寒波が来て、氷点下の日が何日も続いたり、雪が降ったりしていた。入り江から吹き上げる寒風で体感温度がマイナス30度というときに出勤途中、イアマフからはみ出していた耳たぶに凍傷ができたのも11月だったような気がする。長い目で見たら、何でも上がったものは下がり、下がったものは上がるってことなんだろうけど。

きのうもおとといも大車輪で仕事をしたもので、まだあと1週間あるというのに、もうくたびれて来た。でも、その後にもまた大きな仕事が入ってしまっているから、くたびれて萎れているわけにも行かない。元々フリーの在宅稼業は仕事があるときが仕事日で、仕事がなければ休み。もっとも、その「休み」が長く続くと、永久の休みになってしまうのではないかと心配になって、楽しむどころでなくなるという困った稼業。かといって、仕事が洪水の濁流のごとく押し寄せて来てあっぷあっぷの状態でも、自力で必死に泳ぐしかないから、ほんとに困った稼業。で、今日も犬かき・・・。

二階へ上がったついでに先週からずっと放置してあった洗濯かごから自分のものとタオルの類を選り出してたたみ(カレシは適当に要るものを引っ張り出しているらしい)、ついでに上と下のバスルームの戸棚にトイレットペーパーを補給し、洗濯室にまだぶら下がっていたカレシのシャツを二階へ運んでカレシのクローゼットのドアのノブに引っ掛け、ついでにカレシのクローゼットから空のハンガー(16本!)を回収して洗濯室に戻し・・・ついで、ついでで階段を上がったり、下がったりがせめてもの運動。なにしろ座業だから、忙しいほど動かなくなって、しまいにはトイレに行く時間も惜しくなって来るから、あんまり健康的とは言えない困った稼業。おまけにストレスのせいで寝酒の量が増えて、おなかはますますプヨプヨ・・・。

オーブンが壊れているのに新しいのを買いに行く時間がないし、気晴らしにおいしいものを食べたいけど、外へ食べに行く時間の余裕もないし、元々おいしいものはゆっくり味わって食べたいから外へ行こうという気にもなれないし、だけど自分で作っていると食材がなくなって来るし、(お酒はカレシが買いに行ってくれたけど)寝酒のつまみもなくなって来るから、時間がないと言いつつ緊急の買出しに飛び出すことになるから、困った稼業。でもまあ、今日は「夏時間」最後の日で、時計の針を1時間戻す明日は実質1日が25時間ということになるから、「ボーナス」の1時間を緊急買出しに充てるか・・・。

でも、でも・・・。開けない夜はないし、出口のないトンネルはない。通り過ぎない台風はないし、止まない雨はない。降り積もった雪だって春になれば解ける・・・その「春」がいつ来るかが問題だけど。まあ、そうやって自分を鼓舞してがんばれるのがフリーの在宅稼業のご利益と言えるかもしれないな。がんばった甲斐があれば自分で自分にボーナスを出せるのもこの稼業のいいところ。というわけで、カレシがサンフランシスコでの5泊6日のバケーションを企画してくれた。アメリカでは感謝祭がとうに終わって、クリスマス商戦が佳境に入っている時期。ホテルは定宿になりつつあるユニオンスクエア地区のマリオット。元は東急系のパンパシフィック・ホテルで、何年か前、間違いなく「パンパシフィック」に予約したのに、着いてみたら「マリオット」になっていて、思わずホテルを間違えたかとびっくりしたところ。

サンフランシスコは歩き回るのが楽しい街。あごが擦れそうな急な坂道をハアハア言いながら登り、フィッシャマンズウォーフへの急な坂道をケーブルカーの外側にしがみついて下るスリルを楽み、いたるところで遭遇するPainted ladiesと呼ばれるアン女王様式やビクトリア朝様式のドールハウスのようなカラフルな家を鑑賞するのが楽しい。コロンバス・アヴェニューの「The Stinking Rose」(くっさいバラ)は前菜からデザート(ガーリックアイスクリーム)までガーリック尽くしの楽しいレストラン。ユニオンスクエアを囲むように並ぶSaks Fifth Avenue、Tiffany、Williams Sonoma、Neiman Marcus。マーケット・ストリートを渡ればBloomingdale’sにNordstrom。どこも値札の数字の桁がひとつ多いんだけど、見るだけならみんな「ただ」。大いに目の保養をして、最後は庶民的なMacy’s。

ちょうどユニオンスクエアではMacy’sのクリスマスツリーがライトアップされている頃だなあ。今年から免税枠が二倍になったことだし、クリスマスショッピングして来るか。うん、楽しみにして、がんばろうっと。

仕事しすぎの自分へのごほうびはルンバ

11月5日。月曜日。おお、久しぶりにまぶしい日差し。まあ、雨期の雨もたまには止んでくれないとね。太陽が燦々と照るところから来た人たちには辛い季節だと思うけど、カレシはこの湿っぽいバンクーバーの生まれ育ちだし、ワタシは「狭霧閉ざせる蝦夷の地」の生まれ育ちなもので、毎日雨が振ったり、空が灰色だったりしても、2人揃ってち~っとも苦にならないから、このあたりにも何かのご縁があったのかな。

朝食もそこそこにまずは買出し。ワタシとしては納期がなければついだらだらと過ごしてしまいちがちなほんの3、4時間の午後が一番効率的なので、仕事に埋没してしまている今回はワタシの希望で午後のおでかけ。今日はいつもの大きなトートバッグ1つと予備のエコバッグ4つという重装備で西のIGAへ。常食の魚をどっさり仕入れて、ランチの食材や寝酒のつまみを念のためにいつもの2、3倍買って、野菜もどっさり。なぜかやたらと人にぶつかる(ぶつかられる?)のでヘンだなあと思って、よく周りを見回してみたら、あちゃ、何となく視力が落ちているような。腕の長さくらい先にあるモニターの画面を睨みっぱなしだもんね。たまには遠くへ出て、はるかな水平線を眺めないとダメか・・・。

大小10個あるファイルの文字を原稿用紙にびっしり詰めたら、まだ200枚以上はありそう。はて、原稿用紙を200枚重ねたらどれくらいの厚さになるのかな。考えただけでいささか気が滅入ってしまいそうだな。ひょっとしたら、半徹夜になるかのかな。徹夜はもうしたくないけど、キャリア最後の半徹夜は、どうしてもとなったら、まっ、いいか。だけど、仕事、やり過ぎ。あり過ぎ。積み上がり過ぎ。この年になって働き過ぎ。(そんなことを言ってみたところで、クライアントには馬東風でちっとも気を使ってくれないけども。)仕事ログを見たら、11月が終わる頃にはほぼ去年の2倍。震災の影響で低調だった去年の反動もあるとしても、やっぱり多すぎ。来年の税金がタイヘン・・・。

カレシが「がんばってるんだから、自分にご褒美をあげなよ」と言うので、最近友だちが買って大感動している掃除ロボットを買っちゃった。メーカーのサイトで、いろいろシリーズがある中から価格的に中間あたりのRoomba 760を選んだ。メーカー直販だけど、量販店で買ったほうが安いのかどうかはわからない。すぐに予想配達日は15日から20日の間という確認メールが来て、ヒャッホ~、ワタシもとうとうルンバを買っちゃったあ!ついでに見つけて買ったのは雨どいの掃除ロボットLooj 330。これはカレシ用。何しろ、落ち葉が詰まって雨どいが溢れるたびに、はしごに登ったり、塀の上を伝ったりして、腐って泥になった葉っぱを掻き出さなければならないんだけど、雨の中で足場が滑って危ない。はしごを登ることに変わりはないけど、庭仕事のついでにでもロボットを雨どいにポンと入れて掃除をしてもらえばいい。ちょっと値段は張るけど、何よりも安全第一だから。

さて、冷蔵庫もフリーザーも戸棚も兵糧はたっぷりだし、ご褒美も上げちゃったし、仕事、するぞ・・・。

がっつりという言葉の使い方

11月6日。火曜日。また雨模様。起きて、朝食。仕事にかかる前に、シチュー用のビーフを玉ねぎと炒めて、カレールーと一緒にスロークッカーにセット。にんじんとじゃがいもは後で入れる。うん、今日はがっつり肉を食べるぞ。この「がっつり」という言葉、いつも何かしら飢えてがつがつしている粗野な人のやることのように思えるんだけど、「カレーライス」を食べるときだけはなぜかぴったりして感じるから不思議だな。日本のカレーライスはそれくらい気合を入れて食べるものなんだろうな。がっつり食べれば、がっつり満腹感か。よし、仕事に追いまくられて息切れしそうなワタシ、今日はカレーライスをがっつり食べる!

今日はアメリカの選挙の日。大統領選挙だけではなくて、議会の上院、下院、州の選挙や各種の住民投票とてんこ盛り。でも、アメリカはいつもけっこう投票率が高いな。今日のテレビはカナダのも、アメリカのも、どのチャンネルを見てもがっつりと大統領選の特別番組ばかりでつまらない。ああだこうだと言っても、投票が終わって開票結果が出るまでは報じるべき「ニュース」はないのに、待ちきれないジャーナリストや評論家たちがまるで競馬の予想屋みたいにべらべvらしゃべりまくっているから、朝食が終わった頃にはもううんざり。カメラを向けられて「もうオバマもロムニーもいやんなっちゃったぁ」と泣き出して、ママに「もうすぐ終わるからね」と慰められていた4歳の女の子アビゲイルちゃんの気持がよくわかるなあ。民主主義を守るためにはしょうがないといっちゃしょうがないんだけど、アメリカ人は(何かと側杖を食うカナダ人も)がっつりと選挙疲れ・・・。

日本の(どこにあるのか知らないけど)オバマという町では、アメリカの大統領と「同じ名前」だというので、町を挙げて熱烈にがっつり応援しているそうな。はあ?で、オバマが当選したら、町を挙げて戦勝祝賀パレードでもやるのかな。もしかしてロムニーが当選したら、「ロムニーはロムにする」なんて、駄洒落にもならないけど、全国から観光客が来て「アメリカ大統領と同名の」駅名の看板と一緒にがっつり記念写真を撮って行くのかなあ。オバマさん、オバマさんと、太平洋の向こうの国の選挙の行方を町の選挙みたいに一喜一憂しながら「勝手に応援」してはしゃいでいて、みんな楽しそう。お膝元の日本で「そのうち」にあるらしい総選挙でもそれくらい熱を上げてがっつりと取り組んだらもっといいのにとは思うけど。

今日本全国で話題の中心になっている(らしい)、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くような猟奇的な事件の首謀だという女性の写真がいっせいに新聞に載ったけど、記事の中の年令を見てびっくり仰天。このおばさん、64歳だって。ええ~?うっそぉ~。ほんとぉ~?やだぁ~。だって、ワタシ、この、メディアが何かすごいタイトルを付けているおばさんと同じ64歳なんだけど。まあ、最初に逮捕されて以来ずっと拘置所生活だろうから、その疲れでがっつり老け込んだのかもしれないけど、どう見たって(少なくともワタシの目には)70代に見えてしまう。おかげでイレに行ったときに思わず鏡に映った自分の顔をがっつりと見つめてしまったけど、このおばさんと比べたらワタシの方がずっと年が下に見えることは間違いない(といっても、他人にどう見えるのかはわからないけど)。ワタシ、こう見えても「もう」64歳なの?それとも「まだ」64歳なの?おっと、「まだ」というと、実年令よりもずっと老けて見えるという意味になってしまうのかな。まあ、人は見かけによらないとは言うけど、だけど、だけど・・・。

さて、こってりジャワカレーを麦ご飯にたっぷりかけてがっつり食べた後は、がっつりと仕事をするかな。だけど、この「がっつり」という言葉、まだ正しい使い方がわかっていないのかもしれないけど、どうしてもしっくり来ない。ま、そんなのどうでもいいから、ワタシは気合を入れてがっちり仕事にかかろうっと。

そんなに不安なら自分でやれば?

11月8日。水曜日。少し早めに目が覚めて、起床は午前11時20分。いい天気。今日は掃除の日で、朝食のしたくをしている頃にもうシーラとヴァルが来た。シーラが二階の掃除、ヴァルがベースメントのオフィスの掃除で、ワタシたちはその中間のキッチンで走り回るワンちゃんのレクシーをじゃらしながら朝食。

ヴァルが上がって来て、「仕事始めていいよ~」というので、コーヒーを持ってオフィスへ直行。PCを立ち上げてメールをチェックしたら、おえっ。週末に納品した仕事に客先からの質問だって。校正担当がいて、校正してから客先に納品したはずなのに、何でその校正者を飛ばしていきなりこっちに丸投げするの?誤訳の可能性があるならもちろん責任を持って対応するけど、それでもまずは校正者が誤訳かどうかを確認するのが筋だと思うんだけどな。だいたい客先からの質問に「あは!」というのがあった試しがない。この表現でいいんですか、これは一般的表現ですか、これで大丈夫ですか・・・と、不安神経症の塊みたいな質問が多くて、「オレ(アタシ)んとこに社内からクレームが来るとやだから」という保身心理が丸見えだから頭にくる。まあ、小町横町の住民性に似ていると言えそうだけど、こっちは仕事が詰まってきりきり、かりかりしているから、まずはご担当者様にてご対応を・・・と返事。

*****

木曜日。目覚ましがなっている。あちこち走り回って手当たりしだいに時計のボタンを押しまくっても止まらない。ピーコ、ピーコ、ピーコと鳴り続けて、だんだんパニック状態・・・というところで目が覚めた。午前11時30分。なんだ、本当に目覚ましが鳴っていたのか。今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから。いい天気。バタバタと朝食。カレシを送り出して、さて・・・と思ったら「エコーのバッテリが上がってる」と言って戻って来た。月曜日に走ったばかりなのに、もう。カレシは何やらぶつぶつ言いながらトラックで(いつものように遅刻して)お出かけ。

メールをチェックしたら、客先からの質問の数を減らしたから何とか朝一番に返事をくれないかというメール。しゃあないからファイルを開いてみたら、表現がストレート過ぎないかと言っているような質問。要するにもうちょっとぼかしてくれということか。おえっ。あのぉ、そちらでは英語はストレートに表現する言語ってことになってるんじゃなかったですか?そんなに人に任せるのが不安なら自分でやりなっつうの。それとも、機械にやってもらう?無料の翻訳サイトは選り取り見取りであるから、想定通りの結果が出るところを探したら?ワタシが使っていた辞書サイトは(なぜか最近とみにおバカになって来たけど)文章を入力してクリックすればとりあえず翻訳が出て来て便利だよ。まあ、客の客に毒づいていてもしょうがないから、ここはこうすれば、こっちはああしたらと返事をして、ここは来年度は「引退」と決めた。

でも、よく考えると「校正」と「編集」は機能が違うから、「チェッカー」がいるところと「エディター」がいるところでは翻訳の扱いも違ってあたりまえかな。日本のエージェンシーにいるのはだいたいが「チェッカー」だから、文字通り句読点やスペルのような文法を「チェック」しているのかもしれないな。「エディター」がいるところは翻訳全体を「編集」してくれるけど、編集には翻訳を「チェック」する以上のスキルが要求されるので、なかなか人がいないらしい。翻訳者との相性も絡んでくるから、優秀なエディターがつくと相乗効果で翻訳者にも刺激になる。まあ、日本語系と英語系の会社の間には翻訳ビジネスに対する考え方の違いもあるんだろうけど・・・。

さて、まだゆうに3日分は残っているのに、今日と明日の2日。気合を入れてぶっ飛ばさなきゃ!

残業から解放された!

11月11日。日曜日。寝るのが遅かったわりには結構早くに目が覚めてしまった。天気は下り坂。ここ何日か日が差していたので、寝る頃には温度計がゼロぎりぎりを指していたけど、どうやら気温が上がって、低気圧が来てもこのまま雪にならずに、いつものバンクーバーの雨期に戻るらしい。良かった。

大仕事、金曜日の夜7時から「待ったなし」モード。気合が入ってかなり順調に進んだけど、胸突き八丁のきのうは起きるなりおなかがシクシク。仕事を始めたとたんにトイレ。治まったと思って仕事に戻ったら、5分もしないうちにまたトイレ。のんきにトイレに座っている暇なんかないのに、それを4、5回繰り返してやっと落ち着いて仕事に集中できるようになった。疲れていても精神的には元気いっぱいのつもりだけど、やっぱりストレス反応なのかな、これ。それでも、きのうはとうとう1日合計で12時間の長丁場。最後はわき目も振らずに一心不乱で集中してやって、とにかく無事に完了したのが(今日の)午前4時半。今日はさすがにちょっと視力が低下している感じがする。次の大仕事の前に休めておかないと・・・。

文字の量がなにしろすごかったけど、あちこちに写真や図がいろいろとあって、子供の頃の科学図鑑を見ているようで、仕事そのものはめちゃくちゃおもしろかった。そうでなかったらストレス負荷が大きすぎてダウンしていたかもしれない。いくつになっても科学はおもしろいし、楽しい。もう少し数学的な才があったら、ワタシも科学者になりたかったな。もしなれるとしたら、どんな分野に進もうか。生きたものを直接扱うような分野よりも、宇宙とか地球とか海とか、途方もなくスケールの大きいものがいいな。天文学は昔から好きだし、海洋学も船に乗れるからいいな(泳げないけど)。科学者って、興味のあることを仕事にできていいなあ。親に言われてなりたくないのにいやいや「○○」になったという話は聞くけど、好きでもないのに「科学者」になっていやいや研究をやっている人はいないだろうと思う。

まあ、とにかく終わって、やれやれ。もう少しで電話料金の支払をすっぽかすところだったり、食べるものがなくなって来たり、パスポートや寝ている間に来た配達品を受け取りに出かけなければならなかったり、いつのまにかデスクの上はカタログの類が山になっていたり・・・。[写真]

まあいつものことだけど、とにかく仕事量そのものよりは「日常生活」の方面から何かとストレスがかかって来るような気がする。どれも仕事のあるなしに関係なく「日常」のことだから、ストレスと言っても気がつかないような些細なものに思えるけど、それでも溜まれば無視できなくなるということかな。火山のマグマと同じようなものなのかな。どうしてなんだろうね。もしもワタシが男だったら、そういう日常の細かなことにいちいち煩わされずに仕事に没頭できるのかな。でも、そのためには誰かにその細かなことをやってもらわなければならないし、やってもらうためにはせっせと稼がないとならないだろうしなあ・・・。

それで人生が楽になるんだったらいいけど、必ずしもそうは行かないようで、いくら好きなことなら寝食を忘れてでもやれると思っていても、楽しんでいるつもりで気づかないでいるうちにストレスが溜まって行くだろうな。そうなったら人生そのものが激務になってしまいそう。あ~あ、何とも難しいもんだな。だけど、「激務」の反対語って、何だろう。いや、そもそも反対語があるのか・・・?

年を取ったということかな

11月12日。月曜日。きのうの日曜日がRemembrance Day(戦没者追悼記念日)の祝日だったので、今日は日本流に言えば「ハッピーマンディ」。雨模様のせいもあって、外は静かなもの。あまり静かなもので午後1時近くまで寝てしまった。

11月11日午前11時。第一世界大戦の停戦が発効した時刻。元々は「Armistice Day(停戦記念日)」と呼ばれていたもので、Remembrance Dayになってからは第二次大戦やその後も続く戦争での戦死者も含めて、英連邦を中心に各国で追悼式がある。アメリカでは戦死者を追悼するの日は5月で、この日はVeteran’s Day(退役軍人の日)。カナダに来たばかりの頃のワタシはこの日が何となく苦手だったな。あの頃はパレードの中心が第二次大戦を戦った世代だったから、特に西部ではテレビも新聞も日本が相手の太平洋戦争や日系人強制収容に絡むテーマが満載で、日本では高校では日本史でも世界史でも教えられなかったし、毎年のテレビの終戦記念日特集にも出て来ないような話がたくさんあって、日本人としてそれを知らないことにもやもやした気持になっていた。

その「もやもや」も、日本企業で働いたり、日本国籍でなくなったり、日本人の上司の下でバブル期の日本人を間近に見たりしているうちに、いつの間にか消えてしまって、11月11日は苦手でも何でもない、ただの「休日」になっていた。でも、何の関係もない他人にワタシという人格を侵略され、ひとりの人間として存在する権利と自由と自分の安全を守るための「個人的な戦争」を戦って、そして生き延びたと安堵することができたとき、11月11日はワタシの中で特別な意味を持つようになったと思う。人間の世界は21世紀になってもまだ「自由と安全」を守るためには戦わなければならないこともあるという思いを、この日の追悼のラッパを聞くたびにかみしめる。もちろん、戦争なんてなくなるのが一番。人が人を殺すことがなくなるのが一番。だけど、力ずくで人を支配しようとしたり、「異なもの」というだけで人を排除したり、殺したりできる人間がいる間は、戦争のない平和な世界を作ろうと言ってみたところで、平和ぼけした人の幸せな絵空事でしかないと思う。

折りしもきのうはカレシが前から約束していたサイモン&ガーファンクルのアルバムを全部MP3に変換してくれて、飲みながらそれを聞いていた。ロック化する前のモダンフォークが全盛だった頃に出たアルバム(『Wednesday Morning 3 A.M.』)のトップは『平和の誓い』。ゆうべ不思議な夢を見た。世界の指導者が集まって、二度と戦争はしないと言う協定に調印した・・・。あの頃、ワタシは十代の後半。夜だけ聞こえて来る東京のラジオ局にかじりついて、フォークの番組に聞き入っていた。誰もいないときに(へったくそな)ギターをひきながら歌っていた。まあ、ワタシも波というものに乗っていたんだと思う。成人して初めての総選挙では社会党の候補に投票したっけな。若かったんだな。何とも気詰まりだったワタシの青春時代だけど、大人になれば何かが変わるかも、という期待感もあった。

あの頃のワタシは人生の中で一番政治的で、左に傾いていたときだった。同時にアメリカのフォークソングにすんなりと共感したのは、ある意味でキリスト教がワタシの思想に大きく影響していたからかもしれない。でも、信仰の軸がキリスト教にあるというだけで、教会という組織や形式化した儀式が好きではなかったから教会には属さなかった(今でも属していない)し、社会主義の組織的な思想統制が嫌いだったから、社会主義者にはならなかった。未成年で社会人になって初めての職場では労働基準法があたりまえに無視されていて、大人社会に痛く失望した。反体制を叫んでやがて殺し合いの「内戦状態」になった学生運動にも失望した(と言ってあの時代を知らない大卒に「大学に行かないで何がわかる」と失笑された)し、ヒッピーにも傾倒したけど、平和な日本ではただの若者ファッションになって失望したな。

青春時代は失望ばかりだったような気がする。ワタシにだって考えがあるのに誰も聞いてくれなかったし、左手が自在で楽なのに、左利きは嫁に行けない、就職できないと出来損ない扱い。だからかな、その頃はまだ主流だった見合い結婚などするもんかと、「女らしさ」に背を向けて夜な夜な天体望遠鏡を覗いていたワタシ。星も次々と生まれて、やがて死ぬのだと知ったときは不思議な感動だったな。殺さなくたって、「命」はすべて生まれてはやがて死ぬ運命にある。でも、理性を得たはずの人間は、互いを尊重して、できる限り折り合いをつけて、助け合って、みんなが命を全うできるのが理想ではあるけど、意にそぐわないものを抹消することしか考えられない/教えられていない人間や組織がいる限りは、自分の「命」を守るために戦わなければならないときもあるのが、矛盾だらけの人間の世界。若かった頃には考えもしなかったな。年を取ったということかなあ。

天才には生まれ損ねたけど

11月13日。火曜日。起床午後1時。就寝が午前5時だったから、こんなものかな。今日も雨模様で薄暗い。それ以上に、標準時間になってからは起きてすぐに暗くなってしまうから。まるで北極圏に住んでいるような気分。

ずっと待ち構えていた大仕事に取りかかった方がよさそうなんだけど、1日休みにしてしまうとなかなかすんなりとは仕事モードに戻れない。わかっちゃいるけどそうなるのはもともとぐうたらな性分だからで、そこのところもわかっちゃいるけど、ぐうたらなせいで何もしないから、何も変わらない。今日も今日とて、朝食後のコーヒーを飲みながら、しばしの読書。いやあ、ファインマン先生、一生に一度でいいから会ってみたかった。時には突飛に見える発想にうんうん、そうそうと共感してしまう。頭脳のレベルに雲泥の差があるのはわかっていても、ついこの人となら話が合いそうと思ってしまう人の典型かな。本を読んでいるとたまにそういう人に遭遇する。でも、会うことができたら、ワタシは憧れいっぱいの視線でぼ~っとしてしまうかもしれないな。それでも、恋に落ちたときの「ぼ~っ」とはまた違った感覚のようで、恋愛とは別の次元でこんな風にうっとりさせてくれる人がワタシの「タイプ」なのかもしれない。(何となくアイン・ランドのヒロインを思い出すけど・・・。)

どうもワタシには相手が誰であっても気後れしないところがあるらしくて、通訳をやっていたときに日本側のエライ人たちに態度がでかいと言われたことがあるし、カナダで最初に勤めたところではかなりの物議をかもしたこともあった。勤め先は日本の当時は超がついた大企業のカナダ法人の合弁子会社。あるとき、その超大企業の(当時は)社長が大名行列みたいな数のお供を連れてやって来て、会議室に鎮座。一番下っ端のワタシがお茶を出すことになったけど、みんなご立派で誰が誰やら見当がつかないもので、端から順にぐるっとお茶を配ったら、「なぜ社長に一番先に出さなかった。失礼も甚だしい」と駐在ボスに叱られて、どれが社長かわからなかったと言ったら、日本では総理大臣の方から会いに来るほどエライ人なんだ!と、よけいに叱られた。そんなこと言っても、ワタシは知りまへんがな。

あとで日系三世の取締役が「いい服を着たどんぐりだと思えばいいよ」と耳打ちしてくれて笑ってしまったけど、そのエライ社長、バブル景気の頃にさすが!という発言をして内外のメディアの失笑を買い、最後は汚職事件に関与して逮捕されたそうな。ま、そういう人が上に立っている企業だったということだけど、ワタシが日本で社会人をやっていた頃に勤めた日本的な会社は田舎の同族経営の会社で、それもわずか10ヵ月だったから、日本のOLに求められる資質もなかったということかもしれない。その田舎の会社も地元では老舗だったけど、当時の労働基準法では未成年者の深夜労働が禁止されていたのに、月の残業時間はあたりまえに7、80時間で、夜中過ぎまで残業をさせたり、日曜出勤もざら。それでも午後7時になると誰かが勝手にワタシのタイムカードを押すので、深夜労働をしていないことになって、おまけに残業手当はなし。ま、この会社のエライさんたちも後に選挙違反か何かで根こそぎ逮捕されたっけ。

何の本だったか忘れたけど、「組織全体の知性はその組織を構成する個人の知性よりもずっと低い」、つまり、個々の人は優れた能力を持っていても、集団になると、そして大きな組織になれるにつれてバカになると言っていた。それぞれはすごい知識や能力を持った人たちであっても、組織に組み込まれると誰かがやっているだろうと自分で考えなくなり、やがて組織全体の能力は所属する個人の能力よりも低くなるということらしい。企業であれ、国家であれ、「組織」というのはそれを構成する人の「性格」を反映するものだと思うけど、それがたとえば企業風土と呼ばれるものなのかな。そうなったら個人の知識や能力は逆に統治の邪魔になるのかな。逆にバカな組織の中で朱に染まっておバカになるのかな。それも生存競争で生き残るための知恵のひとつかもしれないけど、それが「風土病」になったら、組織全体の生き残りにも影響して、結局みんな共倒れになるのか・・・。

ワタシはいつも組織や標準枠からはみ出してしまう外れ値で、小学校5年のときだったか、つり鐘型のSS何とかという評価方法が導入されたことあって、見ると何と右端のぺっちゃんこのところに印がついていて、鐘のてっぺんでなかったのがショックだった記憶がある。あんがい子供心にトップに立ちたい願望があったんだろうな。親にも子供にも理解されなかったらしく、あの評価方法は1年きりだった。でもまあ、外れ値だからこそ、今こうしてひとりでオフィスに籠って、仕事に追われながらもけっこう楽に生きていられるんだろうから、良しとしなくちゃ。

うたかた政党はかつ消え、かつ結びて・・・

11月15日。木曜日。眠い~。ちょうど心地良く眠ったところで、カレシが突然ライトを点けたもので目が覚めてしまって、そのままいつまでもウトウトの状態。何かがピーコ、ピーコ言っていて、どこから聞こえるんだろうと探し回っているうちに目が覚めたら、目覚ましが鳴っていた。あ~あ、今日はバタバタの木曜日だ・・・。

きのうはすご~く根を詰めて仕事をした。原稿を開けてみたら、英語。そっか、日本語訳の注文だった。でも、この英語がまたすごい。ヨーロッパにある国際組織が書いて、公式に出したもので、いつも思うんだけど、ヨーロッパには「イギリス」という英語の総本家みたいな国があるのに、何でこんなはちゃめちゃな英語文書を堂々と出すんだろうなあ。イギリスはEU加盟国なんだし、国際組織なんだから、イギリス人の職員のひとりやふたりいそうなものだけど。まずもってコンマがない。(なくてもいいところにないだけマシだけど。)おまけにコンマ抜きの長いセンテンスに動詞が3つもあったりするから、何が何して何になるのやら。まあ、こんなもん読めねぇよということでワタシのところに回って来るんだろうけど、ワタシだってわかんないものはわかんない。もっとも、原稿が日本語のときは「この日本語、わかんな~い」となるから、翻訳するときのワタシの言語中枢の働きに問題があるのかもしれないけど。

それでも日本語訳の用語はやっぱり英和辞典。出番がなくて本棚で埃をかぶっていた『科学技術35万語大辞典』という、手首を捻挫しそうなくらい思い辞典を出して来た。2千ページ以上あって、虫眼鏡が要りそうなくらい小さい字がぎっしり。フリーランスとして旗揚げして3年目だったか、10万円以上はたいての「設備投資」。和英版は買おうかなとは思ったけど買わなかった。いずれ英訳にシフトするとは夢にも思っていなかったし、英和よりも高かったし、だいたい欲しくてもどこにも売っていなかったし・・・。あれはまだ便利なネットもグーグルも(そういえばウィンドウズも)なかった頃。辞典や事典はビジネスの設備投資と思って、日系の本屋を漁り、日本で紀伊国屋を漁りして、いったいどれくらい注ぎ込んだんだろうな。日本で買うとすごい円高だったし、カナダで買うと「ブックレート」という、ぼったくりのような特別為替レートがあったし、ゆうに500万円くらいは投資したかもしれない。それで結局は元が取れたのかなあ・・・。

新聞サイトをみたら、日本はとうとう総選挙をやることになったらしい。何だか新しい政党がまるで雨後の竹の子みたいにやたらとできて、どこがどこと手を結ぶとか、結ばないとか、水流を「強」にした洗濯機の中を見ているような感じがするな。昔、「泡沫候補」というのがぞろぞろ出たときがあったけど、今度は泡沫政党乱立の様相。世界中で政治も経済も揺れ動いているときにいいのかな。あんがい揺れ動く時代だからこそ戦国時代のようにみんな一国一城の主になれるチャンスだと思うのかもしれないけど、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。これでは国の統治が立ち行かないんじゃないかと思うんだけど、年中行事のように総理大臣が入れ替わる政府も、いうなれば「泡沫政府」みたいなもんだなあ。

まあ、大宇宙の時間スケールで見れば、星もうたかたのごとく「かつ生まれ、かつ死に、久しく輝きたるためしなし」なんだけど、といって長明センセイみたいに「この世は無常である。やんぬるかな」なんて嘆いてばかりで何もしないから、無常であるはずの世の中は頑として変わらない。矛盾しているな。うたかた。泡沫。あぶく。バブル。結んで消えた後にはいったい何が残るのか。水はうたかたがどうなるかなんてことにはおかまいなく、今日もひたすら前へと流れる。科学的に考えると、流れっぱなしではなくて、川を流れ下った水は大海に出て、やがて雲になって、陸地に雨となって降り注いで、川を作って流れるから、元の水と言えそうだけど、ぐるぐると無限に循環を繰り返しているわけで、大枠を見ると不変だけど、定点から見るとやっぱり無常ということか。まあ、無常であることこそが唯一の常住の真理なんだと思う。でも、水が変われば変わるほど、変わりたくないのが人間てもので・・・。

あまりとほうもないことを考えて頭がくたびれて来ないうちに、仕事、しようよねっ。


2012年10月~その3

2012年10月31日 | 昔語り(2006~2013)
老後の暮らしのイメージ

10月21日。日曜日。正午に起床。しっかり暖房が入っている。この秋初めてじゃないかな。ポーチの温度計は7度。平年並みの最低気温の方じゃないの、これ。エルニーニョになるという話だったけど、去年は寒いと言う予想が外れたから、今年は寒い冬になりそうな予感。

朝食が終わったら、さっそくママのご機嫌伺いにトラックでお出かけ。メープルリッジまでは1時間近く。ハイウェイに入って、バスと2人以上が乗った車専用のHOVレーンをすいすい。規制は月曜から金曜までなので、日曜日の今日はドライバーだけの車も利用できるんだけど、なぜか律儀に普通のレーンを走っているから、人間の心理はおもしろい。標識をちゃんと見ていないのかな。快適に飛ばして、よく出口を見逃して橋を渡ってしまう辺りまで来たら、風景が様変わり。新しい橋が開通して、道路の構成を全面的に切り替えたようで、けっこう合理化された感じ。でも、新しい橋は有料だから、うっかり迷子は困る。こっちのレーンで大丈夫かなあと心配しつつ、それでもすんなりと目指したバイパスに入れて、やれやれ。

トラックを止められるところを探すのに手間取って、ママが住むホームに着いたらもう3時。受付で「訪問者」のシートに名前と時刻を書いて、ママの部屋へ。介護付きホームと言っても、1ベッドルームのアパートと同じで、小さいながらダイニングキッチンがあるし、バルコニーもある。今95歳のママはこの前来たときよりもずっと元気。ほんの少し太ったかな。「お茶を飲む?」と言うので、ワタシがお湯を沸かして、ポットに紅茶を3人分。「私は食べないけどみんなが持ってくるの」というクッキーを食べながら、さっそく5人目のひ孫にあたるエヴァンの話題。それがカレシが赤ちゃんだった頃の話に発展して、さらにおじいちゃんの農場の話。おじいちゃんがライフルと散弾銃で鶏を狙って来る鷹を退治した話。(鶏舎から出した鶏を鷹が急降下でさらって行ったんだそうな。)カレシが子供の頃に入れてもらえなかった「白い小屋」には木の根を吹っ飛ばすためのダイナマイトを保管してあったと言う話。ママが子供だった頃の話は北海道の開拓時代の話とイメージがダブって来るからおもしろい。

話を聞いていて、こんなに生き生きとしているママの表情を見るのは初めてだと思った。未亡人になって2年半。今はホームの行事やお出かけにも参加するし、ラウンジに行って他の住人たちと雑談もするというから、ずいぶん変わったな。初めて会ったときから何となくとっつきにくい人という印象だったし、自分でも人付き合いはめんどうくさいと言っていたし、息子や嫁たちに干渉したこともなく、孫たちに夢中になることもなく、愚痴を言わない代わり楽しそうな表情を見せることも少なかった人だったのが、実に生き生きとした表情で昔話をしている。60代、70代で夫に先立たれた女性は元気になって若やぐことが多いとは聞いているけど、ママはまさにその通り。ひょっとしたら、70年近かった結婚生活はある意味で「呪縛」のようなものだったのかな。その枷が外れて、やっと訪れた自分の時間を楽しむようになったんだろうか。

ママの横顔を見ながら、ふと、ワタシの10年先、20年先はどんな感じなんだろうなと思った。今ワタシは64歳。来年から年金をもらうための手続きをしている。カレシは今69歳。来年は70代に突入する。年を重ねるにつれて5歳の年の差は大きくなるような気がする。10年先はまだ一緒かな。まだ一緒に買い物をしたり、遠くへ旅行したりの生活ができているのかな。20年先はどうなっているんだろう。まだ2人一緒に暮らしているかな。でも、今の家にはもう住んでいないだろうな。ママのように介護付きホームで暮らしているのかな。ボケていないかな。どっちかがひとりになっていないかな。ひょっとしたら、ワタシもママのように「ひとり」の自由を楽しんでいるのかな。ひとりになったワタシはどんな暮らしをしているのかな。ひとり暮らしをしたことがないワタシには老いてひとりで暮らす自分のイメージが湧いて来ない。

でも、ひとりぼっちではないと思うな。元々べたべたしない家族だったのかもしれないけど、異国から入って来たワタシをそっくり受け入れてくれた。カレシとの問題があったときも、みんながワタシを支えてくれた。だから、自分の子供はいなくても、ワタシには家族がいるという実感はある。カナダという国もワタシにはやさしかった。ワタシはこれ以上に何も望めないほど恵まれていると思うから、ひとりになることはちっとも怖くない。きっとママのように生き生きと余生を送るんだろうと思うな。カレシの方は、ひとりになったらどう暮らして行くのか考えてみたことがあるのかな。聞いてみたい気もするけど、まあ、結婚の誓いは「死が2人を別つまで」だし、どっちが「ひとり」になるのかは神さまにしかわからない。

それよりも、「2人の時間」がこの先どれだけ残っているのか。一緒に暮らして37年、結婚して36年。あと14年経てば50年。そこまで行けそうかな。何だか急に2人の時間がすごく大切なものに思えて来た。何とか今日まで2人でいられたのも「縁」なんだと思うから・・・。

コンサートで泣いてしまった

10月22日。月曜日。かなり早朝にゴミ収集車が来て目が覚めた。午前8時前かな。いつもならすんなり眠りに戻れるのに、けさはどうも身体が楽になれなくて、10時過ぎまで寝付けなかった。おかげで、正午に起きたときは何となく頭がもや~。

朝食を済ませて、まずは年金の手続きを終わらせるためにダウンタウンへ。市民権の証明はとりあえず証書カードと期限が切れたばかりのパスポートを持って行った。2時ごろにService Canadaのオフィスに着いてみたら、あら、今日はけっこう待っている人がいる。10人くらいの若い男女が椅子を車座にして、おしゃべり。ワタシが陣取った椅子の前の列には(日本語のダウンタウンの地図を持っていたから)日本人と思しき若い女性が3人。後ろにも数人が待っているから、ちょっと時間がかかりそう。男女の大群は全員が順番に呼ばれて終わったところで、車座にしてあった椅子をきちんと元のように並べてから帰って行ったから感心。ワタシは順番を待つ間、Service Canadaの宣伝?が英語版とフランス語版で交互に表示されるモニターを眺めていた。けっこうフランス語の語彙が増えたような。

結局40分待ってやっとワタシの番。ちょっとフランス語訛りのあるおばさんが、パスポートの方をコピーして、肝心の日付が切れていた永住許可の書類も「あらら、そこが一番重要なところなのにねえ」とコピーし直してくれた。選択肢が増えすぎて、仕事をやめようかどうか悩んでしまったと言ったら、「あら、それはCPPの話。老齢年金は関係ありませんよ。収入が多すぎると税金で段階的に返すことになりますけど」。持参した申請書をチェックして、「では、まとめてこちらから送っておきますね。65歳になるのはいつですか?来年の4月?じゃあ振込みは5月からですね。」。はいはい。ああ、終わった。これで年金関連の懸案事項はすべて完了。肩の荷がストンと下りた感じ。おばさんに3回くらいお礼を言って、何となく軽くなった足取りで地下鉄駅へまっしぐら。

家に着いたのは午後3時40分。今日はバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズ第1回。慌しく夕食のしたくをして、食べて、ちょっとひと息入れて、ローカットの真っ赤なドレスでおめかしして、おしゃれなオペラジャケットを着込んで、小雨模様の中をおでかけ。今シーズンからシリーズを変えて、土曜日と月曜日の2回公演のうち月曜日を選んだ。席は前のシリーズと同じドレスサークル最前列のど真ん中。一流の演奏家が来るので、若手演奏家が中心だった前のシリーズよりも高いんだけど、ドレスサークルにはシニア割引も学生割引もない。まあ、気に入っている席だからいいんだけど。

当初のプログラムでは肩の凝りそうなマーラーの交響曲第9番だったのが、夏の間に変更されたと見えて、チケットを見るとチャイコフスキーになっていた。第1部が『眠りの森の美女』、第2部が『白鳥の湖』と、どちらもバレエ音楽。席についてプログラムを見たら、常任指揮者で音楽監督のマエストロ・トーヴィがあまり大編成のオーケストラで演奏されることがないバレエ音楽を交響楽団用にアレンジしたものだそうな。まあ、バレエ公演での生演奏はオーケストラピットに納まる比較的小さい編成だもんね。前のシリーズで使っていたステージ両側の大きなモニターに、場面ごとに簡単なあらすじが映し出されるので、バレエになじみがない人でもストーリーの流れを追うことができるから、なかなか粋な企画だな。

『眠りの森の美女』は魔女の呪いで100年間眠っているオーロラ姫を、魔女を退治した勇敢な王子がキスで目覚めさせて、結婚を申し込むという話。100歳年上ってすごい年の差婚だねえ、と言ったらカレシは爆笑して「魔法で眠っていたんだから年は取らないんだよ」。だけど何しろ100年の差があるんだから、ジェネレーションギャップはすごいと思うけど。ファッションだって違うし。でも、おとぎ話の世界は100年経っても何も変わらないんだろうな、きっと。休憩を隔てて『白鳥の湖』。ワタシ個人としては、バレエ作品の中でドラマ性と緊張感と感情表現の深さでは『白鳥の湖』を越えるものはないと思っているんだけど、それをフル編成の交響楽団が演奏するともの凄い迫力がある。

ジーグフリート王子とオデット姫が踊る「グラン・アダージョ」はいつ聞いても息を殺してしまうほど切ない。2人の間に恋が芽生え、しだいに燃え上がって、甘美な愛の語らいになって行く過程がバイオリンソロと後で加わるチェロの音色に凝縮されていて、これほど美しくて、exquisite(ぴったりの日本語を思いつけない)な曲はないと思う。一方、舞踏会のシーンに現れた黒鳥オディールと王子の「グラン・パドドゥ」はバイオリンのピッチがやや高めで、ときどき「グラン・アダージョ」に似たやさしい響きになるけど、すぐに高い音色に戻って(つまり、魔性を隠し切れていない)、オデット姫の「なりすまし」であることを表現しているのがすごい。

だけど、ジーグフリート王子はそれを見抜けなかった。(男ってのはこういうところで何かが抜けているみたいなんだなあ・・・。)すっかりオデット姫だと思い込んでオディールに愛を誓ったもので、呪いは永遠に解けなくなってしまう。それを知って、湖へ駆けつけて、悲嘆しているオデット姫にひたすら謝っても遅いよなあ。なりすましを永遠の恋人と間違えてしまうなんて、もう・・・。そこへ魔法使いのロットバルトが現れて、最後はシンバルもティンパニもバンバンと鳴り響いて、この世で結ばれることができなくなった2人は湖に飛び込んで死んでしまう。このあたりは何となく古典的な日本の「心中」のようでもあるな。でも、2人の死によってロットバルトは魔力を失い、今度こそ永遠の愛を誓った2人は手を取り合って黄泉の国へ。白鳥が水面を滑るようなメロディが真実の愛の勝利を謳い上げつつ、高く、高く、昇華して行って、感動のフィナーレ。涙が溢れて来てしまった。

マエストロがバトンを振り切ったとたんに、わ~っと拍手。ワタシも思わず立ち上がってしまった。いや、すごい。客席がほぼ総立ちになって、「ブラヴォー」の声が飛び交う大喝采。いやあ、ずしんっと全身に響くような聞き応えというか、何と言うのか。これほど感動したのは久しぶりだなあ。やっぱり『白鳥の湖』を超えるバレエ音楽はこれからもないだろうな。

何となくちょっと違った感じ・・・

10月23日。火曜日。2人ともいい気持でぐっすりと眠って、起床は正午。寒い。湿っぽい。まあ、10月も下旬だし、あと10日で8ヵ月続いた「夏時間」が終わり。時計を1時間戻してわずか4ヵ月の「標準時間」。いつもおかしいんじゃないかと思うんだけど、変わりそうな話はないなあ。

今日中に入って来ることになっている仕事が入ってくるまでは「休み」。寒いから、まずはTシャツの袖のごく短いもの(肩口を覆う程度のものは3分袖というのかな?)をまとめて、7分袖のシャツと入れ替える。ついでにショーツやタンクドレスもしまって、これでワタシの衣替えはおしまい。でも、一度も着ていないのがけっこうあるなあ。身体はひとつしかないのに、ずいぶん買い込んだもんだ。カレッジの駐車場の隅にある衣料品の寄付ボックスに入れて来ようかな。

そういえば、今日はロンドンのFolio Societyから大きな郵便袋が届いて、注文してあった4冊の本とおまけの本が3冊。カレシが「いったいどこに置くの?」と聞くけど、はて、どこに置こうか。本棚はもう満杯に近いし、とりあえずそこらに積んで置くことにするかな。でも、昔の貧乏時代に会員制の本の通販サービスから買い込んだ(一応はハードカバーだけど)安っぽい本がたくさんあって、新しいものとダブっていたりするから、モールの入り口にある本の寄付ボックスに入れて来れば、スペースができそう。本のボックスの隣にはCDやDVDの寄付ボックスも置いてあって、慈善団体が集めて、仕分けをして、施設に配布したり、Value Villageのような中古品の店で売ったりするんだろうな。ま、これもリサイクルのうち・・・。

老後の娯楽のためと言い聞かせて買い集めた本がいったい何百冊あるのかわからないけど、年金の申請を出した昨日の今日で、その「老後」が水平線に見えて来たと思うとちょっとした感慨が沸くな。今日はほんとに今までと何だかまったく違った気分になっているワタシ。気持だけでなく、身体まで軽くなったような気分。まあ、フリーランスというのは常にいつ仕事がなくなるかわからないリスクと背中合わせだから、必然的に気持の底に「大丈夫か、ワタシ?」という緊張感があったんだろうと思う。それが、来年からは働かなくても毎月決まった収入があるわけで、これまでの「食いはぐれないために働く」というプレッシャーがなくなる。そのプレッシャーがどれほどの重さだったのかは、はっきり意識していなかったからわからないけど、とにかく今日は起きたとたんから「何かが違う」。こういう気持になるとは想像もしていなかったから、何とも不思議・・・。

休みが終わらないうちに、ネットショッピング。カレシが冬のシャツを新調したいと言うので、LLビーンのカタログとフラグを渡しておいたら、すごい数のフラグがぴらぴら。でもまあ、今あるシャツはどれも着古して、色があせたり、擦り切れたりしているから買い替え時。カタログを見ながら、マークしてあるものを探して、希望の色をクリックしてショッピングカートに入れて行くと、あら、カシミアのセーターを何と色違いで2枚。たっかいよ~、アナタ。でも、ま、いっか。一緒のおでかけのときにおしゃれをしないカレシがすてきなカシミアのセーターでかっこよく見えたらめっけもの。チェックアウトしてから全部でいくらと報告したら、「えっ、何でそんなになるんだよ?」と来た。カシミアのセーター2枚だけで40%行ってるんだから。「セーターなのにそんなにするのか」。だってカシミアだもん。選んだときに値段を見なかったんかいな、もう。今さら気が変わっても遅いからね。もう注文しちゃったから。

まあ、カナダドルのレートが下がるまでは、アメリカドルの口座に貯まる翻訳料を移すと差損が出るし、かといって外貨建ては預金保険の対象外だから、貯まるにまかせているのもちょっと心配。そこでアメリカドルのままでアメリカで(バーチャルに)買い物をするのが今のところは最善の策。ということで、盛大にカレシの買い物をした後は、Hammacher Schlemmerのカタログで見て目をつけていた「ポテチメーカー」も買ってしまう。薄切りのポテトなどをシリコーンのトレイに並べて電子レンジでチンとやれば低カロリー、低塩分のポテトチップができるというもの。ティファールの「油で揚げない」フレンチフライメーカーは優れものだったので、これも能書きほどに優れものかどうか、高いものではないから、試してみる価値はある。何しろせっせと塩ヨーグルトを作ってはいろいろなハーブを混ぜて試しているところなもので、クラッカーやチップの消費量が半端じゃない。それにしても、キッチン道具となると新しいもの好きだなあ。

久しぶりのネットショッピングを楽しんでいたら、おや、次の仕事の原稿が入って来た。うん、ちょっと散財したから、仕事、ぼちぼちとやるか・・・。

英語、フランス語、その他(いろいろ)語の国

10月24日。水曜日。雨っぽい。朝食が終わった頃にシーラとヴァルが到着。掃除を始める前に、パスポート更新の申請書に記入する「身元確認」用の(親族以外の)人になってもらって、住所をもらっておいた。何しろ戸籍とか住民票とか言うものがない国だから、年金の申請と同じで、申請者が本人であることを確認するには生きた人間の証言が頼り。(ただし、「照会するかもしれない」としか書いてないけど。)まあ、日本の人が絶大の信頼を寄せる「戸籍」だって、元々ふり仮名が(たぶん今も)ないから、ワタシの戸籍名だって2通りに読めたように、「別人」になりすます抜け穴がないとは言えないと思うんだけどな。

今日また統計局から去年の国勢調査の結果の一部(言語)が発表されて、ニュースで話題になっている。カナダは英語とフランス語が公用語だけど、過去40年ほどで急速に多民族国家として発展した来たので、必然的に「多言語国家」のようになりつつある。国勢調査にも「母語」と「家庭で主に話される言語」に関する質問項目があって、それぞれにカレシは英語と英語、ワタシは日本語と英語と回答する。「母語」の項目では、カナダ全体では、英語57.8%、フランス語21.7%、「その他」20.6%。ケベック州だけを見るとフランス語が78.9%、英語が8.3%、「その他」が12.8%。ケベック州以外のカナダでは英語が73.1%、フランス語が4%、「その他」が23%と、フランス語は圧倒的に劣勢で、カナダ全国に英語とフランス語の表示を強要する必要はないだろうにと思わせる数字でもある。(まあ、おかげでフランス語が何とな~く「読める」気分になって来たけど・・・。)

「家庭で主に話される言語」となると、カナダ全体では英語が66.3%、フランス語が21%、「その他」が12.6%。ケベック州だけだと、フランス語が81.2%、英語が10.7%、「その他」が8.1%。ケベック州以外のカナダでは英語が83.5%、フランス語が2.4%、「その他」が14%となる。もちろん「その他」は公用語以外の言語で、先住民の言語を除いては「移民言語」のこと。この移民言語のうち上位25言語(日本語は入っていない)の前回の国勢調査と比較した増減では、増加率が最も高かったのはタガログ語で64%。次いで中国標準語、アラブ語、ヒンズー語、カリブ海のクリオール語、ベンガル語、ペルシャ語、スペイン語、ウルドゥ語と続き、減ったのはギリシャ語、ポーランド語、イタリア語などで、最近の移民がどこから来るのかが手に取るようにわかっておもしろい。(日本語が出て来るのは都市圏別の上位12言語を示したグラフのうちのバンクーバー圏(230万人)だけで、最下位の1.4%。)

ケベックは別として、家庭で主に話される言語というのは、移民一世の代はほとんどが出身国の言語だろうけど、特にカナダで生まれた移民二世は最初に覚える言葉こそ両親の言語でも、就学すると英語が主言語になって、やがて母語を忘れてしまうケースも多い。ポーランド系の友だちの場合も、子供たちが早くにポーランド語を使わなくなったので、夫婦でも英語で話しているうちに「ポーランド語はけんかのときだけ」になっているそうな。カレシの英語教室に通ってくる中高年の女性たちの中にも、母語で育てたのにいつのまにか英語1本になった子供や孫との意思の疎通を図るために英語力を高めたいという人たちがけっこう多い。母語の維持率が最も高いのはパンジャブ語で、次いでタミル語、ウルドゥ語、韓国語、中国標準語、ペルシャ語。西欧系の言語はぐんと低くて、完全に維持しているのは50%以下。まあ、社会文化的なものもあるだろうけど、アジア系、中東系の移民が増えたのはごく最近で、まだ世代交代が進んでいないという要因もあると思うな。日本語も1970年代以降に来た「新移民」はまだほぼ100%維持している段階ではないかと思う。

いわゆる国際結婚など、夫婦の母語・日常言語が違う「異言語婚」の場合で、一方の言語が英語であれば、カナダの英語圏で家庭を営んで行く上ではどうしても英語が「共通語」にならざるを得ないように思うけど、国勢調査ではそこまで細かなデータは出て来ない。でも、互いに相手の言語を話せるからどっちも使うという夫婦はけっこういるし、英語話者の方が相手の言語を話せるから(少なくとも相手の英語が上達するまでは)相手の言語を使っているという家庭もあるだろうな。それでも子供ができればいずれ英語が主言語になるんだろうと思うな。まあ、「言葉が通じなくても愛し合っている」カップルもいるだろうけど、「結婚は日常生活」だと言われるから、互いに言葉がよく通じないままで「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」となるのかどうか。掲示板などの投稿を見る限りでは「言葉の壁」は大きな障害らしいから、いずれは夫婦の「言葉」が必要になって、いずれは生活基盤がある国の言語(カナダならだいたい英語、日本なら日本語)に落ち着くんじゃないかと思うけど、どうなのかな。

記事を読んでいて笑ってしまったのは、いっそのこと衰退するフランス語の代わりに「その他」を公用語にすればいいじゃないかとコメントした人がいたこと。いっそのこと多言語国家をめざすか。何だかおもしろそうだけど、バベルの塔になってしまってもいいのかなあ・・・。

あるところにはあるのがお金

10月25日。木曜日。午前11時半に目覚まし。いつもの木曜日のようにバタバタと起きて、朝食を済ませて、カレシを送り出して、ひと息。今日はちょっといい天気で、正午の気温は9度。この調子だと久しぶりに10度を超えそうかな。(平年並みなら最高気温は12、3度なんだけど・・・。)

まずはメールをチェック。LLビーンから注文品発送のお知らせ。バックオーダーになっているものが何品かあるけど、それは注文時に承知済み。Hammacher Schlemmerからはクレジットカードの追加情報が必要とのメッセージ。あれ、番号か有効期限を間違えて入力したのかな。さっそく電話してみたら、カードの名前のところでミドルネームを入れるのを忘れたみたい。この頃は銀行のファイルの情報とぴたり一致しないと通らないことが多い。セキュリティの見地からはいいことだと思うけど、めんどうくさいときもある。アメリカ東部特有の鼻にかかった声で「では、発送の手配をします」と言われてひと安心。ポテチメーカー、楽しみだな。このカタログは164年の歴史があるとかで、つい欲しくなるようなおもしろいものがいろいろとあって楽しい。音声で知らせてくれる計量カップはどうかなあと思うけど・・・。

そろそろクリスマス商戦のカタログがどかどかと届く時期になったけど、見ただけで目が点になって、ため息が出てしまうのがNeiman Marcusのクリスマスブック。カタログは有料だったし、買えるもの(欲しいもの)があまりないからカタログも買わなくなったけど、毎年「ファンタジーギフト」と言って、自家用潜水艇とか、メリーゴーラウンドとか、自家用ジェットとか、金色の自家用ヘリコプターとか、買う人なんているのかなと思ってしまうような、まさに「ファンタジー」の商品がある。今年の目玉はVan Cleef & Arpels特製のペアの時計で、パリとジュネーブへの旅行つきで値段は109万ドル。でも、ドットコムバブル時代の何千万ドルもした潜水艇やジェット機と比べたら、109万ドルはつつましい方かな。カタログの商品の40%は250ドル以下だそうし。それでも、世界的な不況に逆行するように高級品の売れ行きは伸びていると言う話で、カタログに載った35万ドルのマクラーレンの真っ赤なスポーツカーは(何台あったのか知らないけど)2時間で売り切れたそうだから、お金はあるところにはちゃんとあるということだな。

そう思ったら、ありそうに見えて、なさそうという人もいるから、お金って不思議。何でも、川向こうのリッチモンドの警察がプレートなしで走っているランボルギーニ(2012年型アヴェンタドール)を見つけて止めたところ、法律で義務付けられている自動車保険をかけていなかったので、罰金568ドルの違反切符を切ったら、22歳のドライバーが「高すぎる」と文句。金がなくて払えないと言うので、ランボルギーニはその場で押収されたとか。あちゃ、すごいアホもいるもんだ。でも、このランボルギーニ(平べったくてどこがかっこいいのかわからないけど)はバンクーバーで買うと一番安くても43万ドルするものなんだそうな。(日本でも4千万円以上らしい。)

そういう車を買うお金はあるのに、保険をかけるお金も罰金を払うお金もないって、どういうことなんだろうな。まあ、転がり込んだ遺産か何かを全部注ぎ込んで夢の車を買ったものでピィピィの金欠ということもあり得るけど、ドライバーが裕福な住人が多いウェストバンクーバーの22歳ということからすると、パパかママが大学卒業祝いかなんかに買ってくれたんじゃないかと思うな。最近はそういうあっけに取られるようなケースが増えているようで、お金はその真価のわからない人たちのところほどどっさりあるということかもしれない。もったいない話だけど、そういうところに集まってしまうなんて、天下の回りものたるお金には自尊心てものがないのかなあ。

でもまあ、お金ってのはありがたみを感じていられるうちが華で、貯めることだけのために貯め込んだり、やたらとたくさんありすぎたりすると、ちょっと重くなって来るんじゃないかという気もするから、一番はまじめに働いて稼いで、まじめに使うことだと思うけどな。ということで、今日が期限の仕事をちゃっちゃと片付けて、洗濯機を回して、仕事の見直しをして送信して、帰って来たカレシにご飯を食べさせて、またいってらっしゃいと送り出して、また洗濯機を回して、カレシの要望で(日曜日に郊外で1キロ入りのバッグを買って来た)ガーリックを3個ロースターにセットして、先に洗い上がった洗濯物を乾燥機に押し込んでタイマーをセットして、次の大仕事の算段。うはあ~。だけど、やっぱりお金であろうが、時間であろうが、可もなく不可もなしで、ごく普通の毎日を過ごせるのが、一番心地がいいってことじゃないかと思うなあ。もちろん、思いがけずすごい大金がざくっと転がり込んで来たら、舞い上がって喜んで、せっせと使うのは間違いないけど・・・。

パスポートとアキアジと

10月26日。金曜日。正午を大きく回って起床。湿っぽいけど雨は降っていない模様。朝食を済ませて、すぐにダウンタウンへパスポート更新の申請に出かける。期限切れがちょうど1ヵ月前で、早く更新しないとサンフランシスコへ遊びに行けない。

さっと行って、さっと手続きをして、さっと帰って来るつもりだったのが、カレシがいつものサラダに飽きたから特製サラダを作る材料を買うというので、Whole Foodsまで車。駐車場に入れて、午後6時までのチケットを買って、そのまま坂を下りてオリンピックヴィレッジ駅から終点まで地下鉄。Service Canadaと同じビルにあるパスポートオフィスに着いてみたら、受付窓口に並んでいるのは2人だけで、何列もある椅子に座って順番を待っている人たちも、見たら空席の方が多いくらい。申請用紙を取りに来たときはオフィスの外まで行列していたのにな。金曜日だから空いているのかな。窓口では申請書類と切れたパスポートと写真をチェックして、整理番号と一緒にビニール袋に入れてくれた。番号は「F324」で、受付時刻は午後2時31分。

番号の文字はAからFまであって、見ていると一番よく出て来るのはDで600番台。次に多いのがFで、ときどきE、たまにA。BとCは一度も出て来なかった。どういうロジックになっているのか、カレシとあれこれ憶測してみたけどわからない。でも、Fは11番と12番が多いし、ちょうど12番が空いたので12番だなと言っていたら、「F324→7」と出て、大はずれ。カウンターではひとり分ずつ手続きをするけど、お役所にしてはスモールトークの合いの手まで入れながら実にてきぱき。昔は仏頂面のおじさんやおばさんがつっけんどんに応対していたもんだけどな。郵送で2週間半くらいかかるというので、取りに来るといったら、「ピックアップは10ドルの追加になります」。はあ?自分で電車賃をかけて取りに来るのに10ドルよぶんに取られるのって、どういうロジックなのかなあ。まあ、よくわからないけど郵便で送ってもらうよりは安心だから、やっぱり取りに来ることにして、おひとり様あたり97ドル。ピックアップは再来週の金曜日。2人分をまとめてクレジットカードで払って、手続きの所要時間は待ち時間を入れて25分。

一枚の切符を往復使ってオリンピックヴィレッジ駅まで戻り、まずは道路を渡ってSave-on-Foodsへ。郊外の園芸センターに行ったときに、「ついで」に切らしていたものを買いに入って、なぜかカレシがいたく気に入ってしまった巨大なスーパーで、ママに会いに行った帰りに買い込んだ野菜類の質の良さに感心して、ドライブがてらときどき来ようと言っていた。そのスーパーがWhole Foodsのすぐ近くにもあるのに入ったことがなかったのは、「郊外族のスーパー」という偏見?だったのかな。ここでも野菜の質はいつも行くモールのセイフウェイや青果屋の比じゃない。しかもよく行くIGAよりも安い。カレシは「野菜類はここだな」と宣言。2人とも「○○は××でなければ」というこだわりはないんだけど、それぞれのスーパーに「○○は××のが他よりもいい」というものがあるから、今日はあっち、明日はこっちと「遠洋漁業」。ま、当分は野菜類(と日用品)はSave-on-Foods、魚類はIGAとWhole Foods、アジアの野菜や魚、食品はHマート、急ぎのときは距離が一番近いセイフウェイかな。どこかに新しい店ができればまた変わるだろうけど。

野菜類を詰め込んだトートバッグを持って、Whole Foodsの中を通って地下駐車場まで。別のトートバッグを出して、今度はWhole Foodsでの買い物。魚の売り場で丸ごと氷を入れた魚箱に並べて売っている大きなニジマスとニュージーランドのタイを包んでもらって、ふと見たら珍しいシロザケの特売をやっている。シロザケは日本でアキアジと言っているもので、日本の方へ回遊するのでカナダではめったに獲れないし、獲れても下魚の扱いだから、魚屋に登場することはまずなかったんだけど、イクラはシロザケが(歩留まりが)一番ということで、アラスカでは注目されているらしい。ここでは英語名のchum salmonでは売れないと思ったのか、学名を取ってketa salmonとして売っていたけど、40センチ以上ある大きな半身が今日だけ激安。アメリカ産というから、もしかして、日本の川へ帰る前にアラスカ沖で捕まってしまったのかな。(魚はパスポートなど持ってないもんね。)でも、となりの明るい赤橙色のタイセイヨウサケと比べるとちょっと見劣りがするな。と思いながら、シロザケとタイセイヨウサケと両方買ってしまった。

帰って来てから、シロザケは3つに切り分けて冷凍。腹身はオホーツク海の塩をすり込んでおいた。朝粥が食べたくなったときに出して来て焼こうと思うけど、はて、日本の塩鮭の味になるかなあ・・・。

東はハリケーン、西は地震

10月27日。土曜日。やっと何もしなくてもいい日になって、起床は午後12時半。外は今日も雨模様で、気温は8度。何となくあたふたと忙しい1週間だったな。仕事が詰まっていなかったのが幸い。久しぶりにママのご機嫌伺いに行けたし、年金の受給申請を完了したし、パスポートの更新手続きもしたし、ワタシも今日はだらだらモード・・・。

きのう夕食後に思い立ってトロントのデイヴィッドに電話して、そのまま延々と3時間近くしゃべって声がすれてしまったカレシだけど、起きたら普通の声に戻っていた。何しろこの2人はどっちがかけても長電話。いつもだいたい同じようなことを話題にしているけど、長女スーザンに生まれた初孫の話と来年6月の次女ローラの結婚式の話が加わって、超が付く長電話になったのかもしれない。でも、たまには声が枯れるくらいおしゃべりするのもいいと思う。この年になっても兄弟仲がいいのは何よりだから。そのうちに思い立って遊びに行くかもしれないと言ったら、クリスマスに来いと言う話になったとか。ジュディが昔から引っ越した先々で教会のオルガン奏者をやって来たので、子供たちが大きくなった今はデイヴィッドはクリスマスになるとちょっとさびしくなるらしい。だけど、12月のトロントは雪が降って寒いだろうなあ。

雪といえば、去年の今頃はアメリカ東部が季節はずれの猛吹雪に見舞われて、ちょうど会議でボストンに行っていたワタシたちは、ホテルの窓からだんだんひどくなって来る雪を眺めていた。翌朝にはトロント経由でモントリオールに行く予定だったけど、ボストンで雪が降り始めた頃にはヴァージニアからニューヨークまで飛行機は軒並み欠航で、ボストンのローガン空港も閉鎖になるかもしれないというニュース。各地で倒木などで送電線が寸断されて広域停電(アメリカからカナダにかけて約400万戸)が起こり、そのうちつけっ放しだったテレビの天気チャンネルもダウン。何か情報があるかとロビーへ行ってみたら、帰れなくなった会議の参加者でごった返していた。結局、朝になってみたら嵐はボストンをかすめて行ったらしく、雪はあまり積もっていなかったし、空港も機能していたので足止めを食わずに済んだけど、プロペラ機に乗って出発というときに、緑がかったピンク色の除氷剤を上からどば~っとかけられたのにはびっくりしたな。

あの「Halloween Nor’easter」から1年経って、アメリカ・カナダの東部に今度はハリケーン・サンディが接近中。カテゴリとしてはぎりぎりでハリケーンになっているらしいけど、北大西洋の高気圧が頑として動かないので、時速18キロくらいで半ば足踏みしているところへ、大陸から湿った空気がどっと流れ込んで猛烈な大雨が予想され、さらには月曜日が満月なために高潮の危険があるということで、歴史に残るハリケーンになると言われている。上陸すればアメリカだけでも6千万人、高気圧に阻まれて内陸に向かえばオンタリオ州の7割が影響を受けるという予測で、フランケンシュタインをもじって「フランケンストーム」というあだ名がついている。折りしもまたハロウィーンの時期。近頃の魔女はイジワルだな。ニューヨーク市では非常事態として、日曜日の夜からバスや地下鉄を止め、道路や橋を通行止めにすることを検討しているというし、もしも広域停電が起きて復旧に手間取れば大統領選挙にも影響が出かねないとか。(ちなみに、サンディの後はハリケーンの名前はトニー、ヴァレリー、ウィリアムの3つしか残っていない。名前がなくなったら、アルファ、ベータとギリシャ文字を付けることになっているけど、今年はそこまで行くのかなあ。カトリーナの年にはゼータまで行ったんじゃなかったかな。)

テレビも新聞も東部のハリケーン・サンディのニュースで賑わっていると思ったら、今度は西部で午後8時過ぎにけっこう大きな地震が発生。震源地はBC州北部のハイダグワイ島(旧クィーンシャーロット島)の西の海底で、発表ではマグニチュード7.7。その後マグニチュード5.8の余震があった。すぐに津波警報が出されて、ハイダグワイの北端では69センチ、バンクーバー島北東部で55センチの津波が観測されたとか。一時は遠く離れたハワイでも津波警報が出たと言う。北アメリカプレートと太平洋プレートとの境界が横にずれたらしいという話で、大津波を引き起こすタイプの地震ではないそうだけど、去年の大震災で巨大な太平洋プレートが大揺れしたんだから、バランスを取り戻すまでは環太平洋のあちこちで地震が起きるのも不思議ではないな。

でも、何百キロも南東のバンクーバーやビクトリアでは揺れを感じた人はほとんどいないらしいけど、ロッキー山脈の向こう側で感じたという報告もあるからびっくり。ワタシたちは全然気がつかなかったけどなあ。カナダで1700年以降に起きた最大の地震は1949年のマグニチュード8.1で、震源地はやはりハイダグワイ沖の2つのプレートの境界にあるクィーンシャーロット断層だったとか。そういえば、先月だったか、メトロバンクーバーでも、(明日か200年先かはわからないけど)いつか来ると言われている「ザ・ビッグワン」の災害に備える訓練をやっていたように思うけど、カタカタ程度の地震さえめったに来ないところなもので、我が家も特に備えはしていないなあ。ワタシは北海道の地震多発地の生まれ育ちなんだけどなあ。まあ、一応は手回し充電式のラジオとソーラー充電できる非常電源とバーベキューコンロくらいはあるけど、そろそろ考えた方がいいのか・・・なあ。

鯛はどこまでも鯛

10月28日。日曜日。起床は正午ちょうど。雨かと思っていたら、まあまあの天気。のんびりと朝食。のんびりと読書。やっと『The Darling Buds of May』を読み終えた。これはおもしろかった。ロンドンから税金の取立てに来たチャールトン氏。ラーキン親父にうまくはぐらかされ、ぐでんぐでんに酔わされて週末を過ごす羽目になり、長女のマリエットにぼ~っとなり、親父に「顔色が悪い。病気だ。休め」とそそのかされて病休を取る羽目になり、仕事に戻らないと年金がもらえなくなると言ったら、「40年後には半分の価値しかなくなる」と返されて納得し、ついにはマリエットと結婚してそのままラーキン家に居つくことになるという破天荒なストーリー。久々におもしろい本を読んだ気分。

午後いっぱいぼちぼちと仕事をして、夕食はちょっと手をかけて、Whole Foodsで丸ごと買って来た鯛。ニュージーランド産で、鯛の英語名の「Red sea bream」ではなくて「Tai snapper」として売っている。まあ、最近まで(格下の)ロックフィッシュもsnapperとして売られていたくらいで、昔から赤い魚の名前として普及しているから、通りがいいかな。はらわたは取ってあるけど、うろこはそのまま。うろこがやたらと飛び散らないようになっている使い勝手のいいスケーラーがあるので、流しでしゃかしゃかと作業。魚の大きさとうろこの大きさは必ずしも一致しないからおもしろい。きれいになって、ご対面したら、まあ、なんともエラソーな顔。でも、ごめん、食べちゃうから・・・。

[写真] 頭を落として、三枚おろしにして、頭は鍋に入れて煮立てないように気をつけながら出汁を取る。この出汁を冷凍しておけば、冷え込んだ夜に熱々のおいしい海鮮うどんのランチ・・・。中骨はすでに冷凍してある他の魚の骨と一緒にして、そのうちフュメドポワソンを作る、と。最後はみんなミミズのご飯になって、来年の野菜になるから、無駄がない。

カレシがカネリーニ豆とフェネルと黒オリーブの特製サラダを作ったんで、おろした半身は「クックパッド」で見つけたレシピを参考にして、刻んだ野菜と一緒に白ワイン蒸し。生のバジリコの代わりにペストソースをオリーブ油でゆるめてかけ回してみた。付け合せは蒸したブロッコリーニとベビーズッキーニ。なかなかいい味だった。鯛はどう料理しても鯛、誰が料理しても鯛か・・・。

[写真] ハイダグワイ島沖ではまだ余震が続いているそうだけど、東部ではハリケーンがニューヨークを直撃しそうな気配らしく、明日はニューヨーク証券取引所も臨時休業。スーパーは軒並み空っぽになっているとか。何しろ、湿気をたっぷり吸って来た熱帯低気圧のハリケーンと、西から来る冬型の低気圧と、北極から下がって来た冷たいジェット気流が一堂に会してしまうという稀なパターン。沿岸部では何メートルもの高潮、内陸部では大雪をもたらす可能性があって、最悪のシナリオではマンハッタンの地下鉄のトンネルが水没して電気や通信網も不通になる恐れがあるとか。大丈夫か、ニューヨーク・・・。

好奇心は身を助ける

10月29日。月曜日。早朝にゴミ収集車の轟音でちょっと目を覚ましたけど、そのまますんなりと眠ってしまって、起床は午後1時過ぎ。1日が半分終わっている。ボツボツと仕事を始めたけど、水曜日夜の芝居の座席予約を忘れていたことを思い出して、終わってしまわないうちにと、急いで電話。2日前なのにいい席が取れたのは、もしかしてハロウィーンの夜だから・・・?

大陸の西岸ではまだM6クラスの余震が続発している。地震発生と同時に日本では早々と「日本への津波はない」と発表していたけど、津波は八丈島まで届いていたとか。数十センチ程度だったとしても、情報がいくら早くても外れではどうしようもない。ハリケーン・サンディは人気テレビ番組『Jersey Shore』の舞台になっているニュージャージー州南部に上陸。暴風域の直径は何と1500キロ!で、瞬間最大風速が40メートル以上。直径1500キロの円を描いたら、日本列島の北海道から九州までがすっぽり入ってしまう。こんな大きいのがやって来たら、時速50キロで進んだとしても、にもなる暴風域が通り過ぎてくれるまで30、40時間はかかる勘定で、うは、大変だあ。穏やかそうなバンクーバーも今日はヘンな天気で、午後4時、日が差しているのにいきなり風呂の栓を抜いたような土砂降りの雨。でも、1分もしないうちに止んでしまった。西の空を見たら、何か不気味な形の雲に横に2つ並んだ切れ目から日が差していて、それがまるで悪魔の目のようでぎょっとした。あさってはハロウィーンだけど・・・。

今日からノーベル賞受賞した物理学者リチャード・ファインマンの話をドラム仲間が録音して本にまとめた『Surely You’re Joking, Mr. Feynman!』(日本語タイトル『ご冗談でしょう、ファインマンさん』)を読み始めた。この人の本は2冊をまとめた『Six Easy Pieces and Six Not So Easy Pieces』が本棚にあるけど、これはまだ読んでいない。子供の頃から科学はワタシにとって何だかよく理解しきれないんだけど、よくわからないが故に何とも抵抗しがたい好奇心をかき立ててくれる存在だった。高校の試験は計算問題ばかりで、計算式を暗記できなかったワタシはいつも赤点すれすれ。それでも、科学が嫌いにならずに、今こうして科学論文を大学の経験もなしで果敢?に訳せているのは、子供っぽい好奇心の延長線なのかもしれない。

もっとも、仕事となれば「よくわからない」では済まされないので、ググりまくって基本中の基本だけでも付け焼刃で勉強することになるんだけど、そうでなければ、この「未知」の世界はうっとりと無限の想像に浸れるすばらしいロマンの世界。「わからない」、「知らない」と肩をすくめて済ませてしまうのはもったいなさすぎる。昔から「Curiosity killed the cat(好奇心は身を滅ぼす)」ということわざがあるし、似たような格言に「Curiosity is endless, restless, and useless(好奇心はキリがなく、落ち着きがなく、役立たず)」というのもあるけど、キリがないからこそどこまでも追究できるんだし、落ち着きがないからこそあちこちに首を突っ込んで新発見につながるんだと思うから、役立たずのはずがない。ファインマンは好奇心の塊のような人だったから、科学の発展に大きく貢献したんだし、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言うし、「好奇心は危険」と言った人は考えが足りなくて怪我をしたか、よっぽど臆病で自信のない人間だったのかもしれないな。

そろそろ気合を入れなければならない大仕事は地学系で、地震に関する話があちこちに出て来るから、まったく絶妙なタイミング。まっ、へえ、何で?へえ、それで?と好奇心で押して行ったら、あんがい無理なくすいすいと終わってしまうかもしれないから、がんばろうっと。

ツイートってこんな感じ?

10月30日。火曜日。雨模様。でも、サンディの猛威の爪跡を見ていたら、まっすぐおとなしく降ってくる雨はありがたいな。気温は平年並みだけど、最低気温が平年よりぐんと高くなって、夜間に温室にヒーターを入れなくていいのもありがたい。朝食をしたら、今日はまじめに仕事。いつの間にか、予約が入っていた小さい仕事とぼちぼちやっていた大仕事の間にねじ込み仕事がはまり込んで、急にあっぷあっぷ。ねじ込み仕事は思わず断ろうかと迷ったけど、「前と同じ人に」とリピート指名されちゃうと何だかノーと言い難くなって、結局のところ、ま、いっか。最終期限は変わらないから、みんなこれから10日間で順次やっつけないと納期を外しかねない。やれやれ。

まあ、外は雨でやたらと薄暗いし、ということでわりとまじめに仕事。ときどき休憩して頭の切り替え。ワタシはシステムについて来たソリテアとか麻雀のゲームをちょこちょことやって気晴らしをするんだけど、大流行らしいツイッターに四六時中ぶつぶつとつぶやいている人たちは、仕事の合間にツイートしているのかな。いつも冗舌なワタシでも、仕事の合間にちょっとつぶやいてみたら、息抜きになるのか・・・。

★ ニューヨークは、水没した地下駐車場から浮き上がって来た車が折り重なっていたり、浸水による漏電が原因の大火が起きたり、すごいことになっている。変電所で爆発があって停電は続くらしいし、地下鉄もいつ運転再開できるやら。でも、ニューヨーカーは強靭な精神を持っているからね。

★ 仕事は地震がテーマ。ハイダグワイ沖では今日もM4くらいの余震。おまけにアラスカでも地震があったらしい。あちこちで揺れてるなあ。ニューヨークではサンディの風で超高層ビルが揺れたんだって。

★ 企業の決算はどれも毎年同じようなことを言っているから、退屈で気が散っていけないな。新聞サイトを覗いたら、オークリッジモールの大規模再開発の記事。高層マンションが何棟も建つらしいけど、早くても5年くらい先の話とか。

★ 情報産業は時代の最先端という感じだけど、企業の経営幹部はIT時代になる前からサラリーマンだった
はず。やたらとカタカナ語を使うけど、どんなものかちゃんとわかってるのかな。

★ ふむ、ツイートって、ぜんぜんおもしろくない。やっぱり、ああだこうだと考えてはごちゃごちゃと御託を並べたがるワタシにはツイッターのようなつぶやきは向いていないみたい。11時半。おなかがすいたから、ランチにしようっと。

スカイツリーの宣伝と東北復興の関係

10月31日。水曜日。目が覚めたら正午過ぎ。今日も雨。仕事ひとつは午後が期限。月末処理もあるし、夜は観劇だし、ついでにハロウィーン(は忙しいのとは関係ないか)。

ニューヨーク証券取引所が発電機を回しながらの取引を開始した。ナスダックも再開するのかな。フェイスブックの一般社員がやっと持ち株を売れるようになったところへハリケーンで取引所が休業。上場後に株価が急落したりして、気が気じゃなかっただろうな。

今BBCやニューヨークタイムズを初め、世界中の大手メディアが日本の11.7兆円の震災復興予算の25%が震災とはまったく無関係のことに使われていたと報道している。1000キロも離れた沖縄に道路を作ったかと思うと、同様に被災地から遠く離れた地方のコンタクトレンズ工場への助成金、東京の官庁の庁舎改修工事、レアアース生産の研究費、研究のための捕鯨の支援、戦闘機パイロットの訓練、スカイツリーの宣伝等々。どう見たって大震災の被災地復興とは関係がなさそうだけど、予算の配分を担当するお役所にはどういう説明をしたんだろうな。もっともらしいからお役所の審査でOKが出たんだろうに。

それともお役所は沖縄から被災地に物資を届けるために新しい道路が必要だとかなんとか言われて、ろくに考えもせずにめくら判を押していたのかな。スカイツリーの宣伝には3千万円が出たそうだけど、外国から観光客を呼び込んで、「ついでに」東北も観光してもらえば被災地復興に役立つとか、東京の庁舎を改修して快適な環境にすれば、(建設工事の許認可とか)被災地復興に「関わっている」お役人の仕事もはかどるって被災地の役に立つとか、なんとかかんとか言って復興資金を分捕った人たちが官民を問わずいるってことだな。被災地では34万人もの人たちが未だに生活を立て直せないでいるというのに、被災地から予算を申請して認められなかったケースがたくさんあるというのに・・・。

不思議なのは、日本の新聞サイトではあまり大きく取り上げられていなかったこと。たしかに復興予算が関係のないことに使われていたのがわかって、総理大臣が「今後そのようなことがないようにする」とか何とか言ったという記事を見た記憶はあるけど、いつもの日本のメディアの「淡々とした」スタイルで突っ込んだ内容ではなかった。それが英語メディアでは監査で明るみに出たいい加減ぶりにびっくりして、あきれ返ったわけだけど、元々付け焼刃で通した東北復興のための法律がなんともあいまい表現が多くて、おそらくそういうあいまいなキーワードに付け込んで資金を引き出したということなんだろうな。総理大臣の口約束だけで、どうしてそうなったかを調べようという動きもないようだけど、どうしてなのかな。法律や手続きの抜け穴を塞ごうにも、どうしてそうなったかをはっきりさせなければ、どこを塞げばいいのかわからないだろうに。(まあ、調べるにしても何とか委員会を作って1年も2年もかけてやったんでは無意味に等しいと思うから、やらない方がこれ以上よけいな出費にならないでいいのかもしれない。)

でも、日本の人、どうして怒らないのかな。ほんとにこういうことになると怒らないね。どのメディアも記事といっても殺人事件に盗撮、スポーツに芸能。他国での暴動や略奪の話があっても、どうしてそういう状況になったのかまで解説しない(たぶんわからないからだろうと思うけど)で、「日本人はあんなみっともないことはしないよね」と暗に牽制しているような書き方だったりする。苛烈なハリケーンが通り過ぎて、まだ停電が続くマンハッタンでは警察が商店の略奪を警戒している。もしどこかで略奪が起これば、日本のメディアはいつものように「だからアメリカは」という調子で報じるんだろうな。たしかに、アメリカでは災害のときによく略奪が起きるけど、それは一部の個人の行動であって、政府の救済活動は早い。アメリカの大統領にはそれだけ強い権限がある。一方で、どんな人たちが震災復興予算に群がったかを見ると、日本ではひとりひとりの国民は略奪や暴動を起こさない代わりに、企業や役所という「組織」になったときにその「略奪」をやるということではないかと思ったな。


2012年10月~その2

2012年10月21日 | 昔語り(2006~2013)
最後は笑える非常識な注文

10月11日。木曜日。午前11時半起床。曇り空。平年並みだと14度は行くそうだけど、今にも10度を切りそうな寒さで、ちょっと無理。さて、今日は忙しい。ワタシは美辞麗句の仕事を片付けて、次の大きいやつに取り掛からなければならない。カレシの方は英語教室が午後の部と夜の部のダブルヘッダー。その間にまた両手にいっぱいのサヤインゲンを収穫して来て・・・あ~あ。

とにかく、カレシを送り出して、がんばる。納期は日曜日の夕方だから焦ることはないけど、すぐ次にかからなければ後がきついからから、とにかくあくびをかみ殺してがんばる。おかげで、カレシが帰ってくる頃には完了。すぐに夕食の支度をして、食べて、カレシを夜の部に送り出して、すぐに次の仕事。これも大きいけど、まあまあ興味が持てそうなテーマ。でも、分野が法律系から年次報告になったと思ったら、今度は環境科学になったり、医学系になったりと、くるくる変わるから、頭の切り替えがタイヘン。まあ、自ら選んでの「何でも屋」だから、注文が入ってくれば(特許と嫌いなIT以外は)「何でも」やるっきゃない。おかげでひとつ終わって次の仕事に没頭する頃には、よぽどおもしろいと思えるテーマでもない限り、せっせとググり回って学んだことを忘れてしまう。忘れなければそのうち大学勉強に匹敵するくらいの教養を身に付けられるかもしれないのに、もったいないなあ。それにしても、もしもノーベル賞に「雑学賞」なんてのがあったら、ワタシ、もらえるかも・・・なんて。

そうこうしているうちに、とうとう期限の重なる引き合いが来てしまって、もっとおもしろそうな医学系の内容なので、3分くらい沈思黙考してみたけど、初めっからできない相談ということで、止むを得ず見送り。まあ、予定が少しきつくなる程度なら、ちょっと無理してでも引き受けてしまうところなんだけど、さすがにこれは2日くらい連続して徹夜しないとまずできそうにないから、その「無理」も無理な話。魔の10月ではあるけど、ここんところの仕事の洪水、どうなってるんだろうなあ。もしかしたら、去年の夏休みを自粛した分もまとめて徹底的にリフレッシュして来たもので、やる気満々・・・なんてこと、あり得る? 

まあ、次の仕事の要領がわかったところで、同業者のメーリングリストを見たら、「最も呆れた仕事の引き合い」のスレッドで盛り上がっている。まず、「2000ページの英語原稿を2日で日本語訳」。マジっすか、それ?投稿主曰く、「読むだけだって2日じゃ無理」。それを日本語に訳して打ち出すのにどれくらい時間がかかると思ってるんだろうな。キーボードのキーはこっぱ微塵で、手の指は全部根元まで磨り減ってしまいそう(労働災害だ)。次に「文字数が3万近くある論文を2日で英訳」。どんなにしゃかりきになっても5日で終わるか終わらないかだな。投稿主曰く、「そっちが1年かかって書いたものを2日で訳せるわけがない」。まあ、できると思っている人がいるから、椅子から笑い転げるような引き合いがあるわけだけど。「10万文字の契約書を10日で」。投稿主、「どっちみち不可能だから、1文字40円と吹っかけてみようかと思った」と。10万文字なら400万円!1年の残りを南国のビーチに寝そべってのんびり暮らせるなあ。

「1000ページの小説を2ヵ月で訳して、翻訳料35万円」。ええ?冗談がきついなあ。「30ページの論文を明日の朝までに(もう夜なのに)」。できるわけがないと返事をしたら、「質なんか気にしなくていいから、やれるでしょ?」やれないよ。4年後、同じ人から突然「250ページを1週間で」。投稿主は黙って電話をガチャっ。翻訳会社のコーディネータというのは相当に神経のいる仕事で、百戦錬磨の人が多いから、ある程度はったりをかましていることが多いし、ちゃんとした編集機能のある会社なら何人かに発注して集団作業でやるもんだけど、個人の依頼客の場合は、元々翻訳のプロセスどころか翻訳とは何かもよくわかっていなくて、原稿を翻訳者の口に突っ込めば下から翻訳がするすると出て来ると思っているようなところもある。もっとも、「○○語わかるから、翻訳するよ」という肝っ玉の据わったなんちゃって翻訳者もいるわけで、無知ほど怖いものはないという話かな。

ワタシにも呆れたエピソードがあるな。ロッキーの向こうのカルガリーでコンピュータ用の(写真を見ると何とも安っぽい)KD家具を作っているという会社。日本へ輸出したいので説明書その他を日本語訳して欲しいと、センテンスをひとつサンプルにファックスして来た。(インターネットもメールもなくて、ファックスがライフラインだった原始時代の話。)まあ、語数が少ないから、ご祝儀で無料ということにしたら、何日か経ってまたセンテンスひとつ。ささっと訳してファックスで送り返したら、次の週にまたセンテンスひとつ。おい、こらっ。そこで、請求は月締めにするか、一定額ごとにするか、どっちがいいかと聞いたら、その会社はそれっきりなしのつぶて。ふん、こっちだって商売でやってんだから、なめるんじゃねぇよっと(心の中で)快哉を叫んだけど、世の中、いろんな商売人がいるもんだ。20年も前のちょっとしたことなのに未だに思い出しては快哉を叫んでしまうけど、あの会社、その後どうなったかなあ。

笑って気分が切り替わったところで、さあ、仕事、しごと、シゴト、お仕事・・・。

死ぬんじゃないよ

10月14日。日曜日。金曜日あたりから降り出した雨。まるで記録的に雨が降らなかった夏の埋め合せを一気にやろうとしているかのような降りよう。まあ、10月は「雨期」の始まり。昔、バンクーバーっ子はこの時期に雨が降り始めると「マザーネイチャーは止み時を知らないからなあ」とどんより暗い空を見上げて言っていたけどな。

起床は午後1時。金曜日と土曜日の2日はずっぽりと仕事に埋没。おかげですご~く眠い。でも眠いのに寝つけないから、目が覚めるのも遅くなる。それでも、がむしゃらに3日分ちょっとの量を片付けたので、後はそれほど無理しなくても期限に間に合う見通しができた。内容としては難しくはないんだけど、ぞろぞろ出て来るある発展途上国の法律やら制度の名前を、それも英語で調べないことには埒が明かない。そのリサーチに半日くらい時間を取られたけど、元々英語のアルファベットとは違う文字を使う国だからと悲観的なことを考えていたら、法律の英訳版が次々と出て来たからびっくり。しかも決してあやふやな英語ではないからすごい。ああ、助かった。

パキスタンでタリバンに「暗殺」されそうになった14歳の少女はわずかずつではあるけど良い方に向かっているというニュース。「私は教育を受けたいだけなの。私は怖くない」と、ひとり果敢にタリバンに立ち向かい、タリバンの頑ななシャリアに逆らって「西洋文化」を広めようとしたとして狙い撃ちされた。大人だってなかなかそんな勇気は出せない。思想を異にする者を嫌ってその殺戮を厭わない野蛮人の群れに素手で立ち向かうことは、宇宙の縁から飛び降りるよりも勇気のいることだと思う。それにしても、タリバンはどうしてそこまで暴力的に女性の教育を阻止しようとするのか。真の教育を受けていない無知な人間だからこそ、表向きは威風を繕っていても、内心では未知の世界に怯えているのかもしれないな。弱いものは常に自分よりも弱い(と思う)ものを標的にするから、「弱い」女性を支配することで自分たちの臆病さを打ち消しているんだろう。だからこそ、自分たちが怖れるもの(知識)を女性に与えたくないんだと思う。マララ。なんというすばらしい響きの名前なんだろう。生きて欲しい。人が人として生きる権利のために、何としてでも生きて欲しい。

先週、近郊で自殺した15歳の少女が死の前にユーチューブに投稿したビデオで、今ネットでの「いじめ」の問題が大きくクローズアップされている。少女の名前はアマンダ・トッド。ビデオでは、SNSで相手を信じてしたことがきっかけで何年も学校やSNSでいじめを受け、転校してもいじめが追って来て、自殺未遂をしてさらにいじめを呼んでしまった経過を書き綴ったカードをカメラに向けて黙々とめくっていて、顔は見えない。それだけに、追い詰められた絶望感が伝わって来て、ひとりの人間を自死に追い込む悪魔のような行為にワタシの心の方が怒りで破裂してしまいそうになる。せめてもの救いは警察が20人専従の特別班を置いて、捜査に乗り出したことか。大津で自殺した中学生は大人たちの醜い思惑によっていじめを否定され、もう少しでまるで臭いもののように蓋をされるところだった。

アマンダを追悼するフェイスブックのページにも、心ない暴言が次々に書き込まれているらしい。インターネットに掲示板やSNSが普及して、些細な失敗や失言をとことんまで追い詰めるようになって、いったい人間はどうなってしまったんだろう。弱いものがサイバー空間という砦を得たために、プライバシーを盾に、「匿名」という武器を振りかざして、他の人間を攻撃するようになってしまったのかな。それとも、人間は元からそういう魔性を持っていて、たまたま匿名空間が出現したことで大胆になった内弁慶たちがそれを発露し始めたということなのかな。それとも、インターネットをそういう妖怪が徘徊する世界にしたのは、後先を考えることなくひたすら「もっと便利に」だけを追求して来た人間なのかな。それとも、後先を考えずにひたすらその「もっと便利」を要求して来た方の人間なのかな。

便利が便利を生み、その便利さに慣れ切った人間がさらに一番めんどうくさいこと(自分で考えること)から解放してくれる究極の便利さを求めて来た結果なのかもしれないけど、何であれ、人類が気の遠くなるような時間をかけて進化させてきた「考えること」がやがて自分たちの衰退につながるとしたら皮肉な話。でも、人間、「自分で」考えるのをやめたら結果的にそうなって行くんじゃないかと思う。もしもそうなったら、地球が「猿の惑星」になるのかどうかはわからないけど、今を生きているキミたち、まともに考えることのできない無知な人間の利益のために死ぬのはなしにしようよ。

わかるはずなのにわからないのもストレス

10月16日。火曜日。起床正午。雨、ひと休み。気温は12度。何となく眠くて、何となくかったるい気分だけど、今日は大丈夫らしいから、ちょっと安心。

大きな仕事がのるかそるかの大詰めに差しかかって、具合が悪いなんて言っていられないときに限ってちょっとした故障が起きるのは、やっぱりストレス信号なのかな。きのうはもろに胃腸系。目が覚めたときから胸焼け。そしていわゆる腹下り。しまいには胃の辺りがチクチク。困ったなあ。寝込んでなんかいられないってのに。そこが自営業のつらいところで、そもそも「病休」なんてものがないから、椅子に座っていられる限りはキーを叩くしかない。たしかに、誰かに「働けっ!」と強制されるわけではないんだけど、納期が迫っているときは、やっぱり「やるっきゃないじゃん」と自分に鞭打ってしまうんだなあ、これが。

でも、今回はどうも寝冷えではなさそうだと思うんだけど、何なんだろう。疲れているのかなあ。たしかに疲れた気分ではあるけど、少々くたびれたくらいでは音を上げないのがワタシの胃袋。別にヘンなものを食べたわけでもないし、飲みすぎているわけでもないし、何なんだろうな。消化不良かなあ。魚のような柔らかいものばかり食べていたら、胃腸に怠け癖がついてしまったということかな。でも、繊維の摂り過ぎは消化不良の原因になるという話。この前はたけのこを食べ過ぎたせいじゃないかと思うけど、今度は何なんだろう。献立のメモを見ると、忙しくなるほど手抜きがひどくなって、野菜や玄米のような穀類の量が増えている感じがする。そこへ生野菜のサラダで仕上げをしたら、おなかは中から冷えるし、消化も良くないということか。でも、ワタシは生野菜はそんなにたくさんは食べないんだけど。困ったね、まったく。

でもまあ、今日は起きてみて調子はまあまあだったから、大詰めの大詰めのところまでこぎつけた仕事をやっつけにかかる。これもたぶんタブを使う人、スペースを使う人、オートナンバリングを使う人と、複数の人が書いたらいけど、それでも見かけだけはきっちりと体裁を整えてあるからすごい。でも、こっちは書式を統一して体裁を整えるのがひと仕事。おまけに、いかにもお役所文学的ではあるけど、とにかく日本語がヘン。ほんとに日本語ネイティブが書いたのかと疑ってしまう。ワタシの日本語だって十分にヘンなのは承知しているけど、ここまでひどくはないと思って安心してしまうくらいにヘン。どうみても現地語から訳して挿入したとしか思えない部分もあって、こっちはもっとヘン。わかりまへんなあ。ひょっとして上司がゆとり教育世代の新人に「おい、おまえが書け」と丸投げしたとか・・・は、まさか、ないだろうと思うけど、そのくらいにヘン。

時計を横目で睨みながら、何が言いたいんだ!と毒づいているうちに、またみずおちのあたりが何となくチクチクして来た。もしかしたら、この3回は読まないとわからない日本語がストレスの根源になっていたりして・・・。たしかに、小町なんかではよく、国際結婚で海外在住という人たちが、毎日が外国語という生活で自分が言いたいことを言いたいように言えないもどかしさがストレスになって辛いと嘆いている投稿を見るけど、もしかしたらその裏返しで、自分にとって外国語でないはずの言語で書いてあることがすんなりわからないというのもすごくもどかしくて、同じようにストレスが溜まるということかもしれないな。

でも、もうあと少しだというところまで来たんだから、あしたの夕方までの辛抱なんだから、とにもかくにもやるっきゃないんだから、がんばれよっ、ワタシ。

自分磨きもやり過ぎると地金が見える

10月17日。水曜日。起床は正午。気温は10度。胃腸系はいつもの元気に戻った感じ。ずっと格闘して来た仕事は今日が期限だから、終わればちょっとだけ「休みモード」になれる。そう思っただけで、やる気満々になるゲンキンなワタシ。朝食後はホームストレッチで一直線にゴールを目指すランナーの気分で快走。2時間で、1時間の余裕を残してゴールイン。やったぁ。ふぅ、はぁ・・・。

ちょっとだけど手間をかけた夕食をして、「休み」。仕事のことを考えなくていいのは楽だなあ。と言ってもすぐには頭が切り替わらないから、例によってぶらりと小町横町の散歩。ふむ、相も変わらずの風景だけど、この「女子力」ってのはいったい何なんだ?英語ならgirl powerか(と、まだ翻訳モード・・・)。だけど、Girl powerというのは、オックスフォード英語辞典によると「女性が行使する力。特に少女や若い女性の野心、自己主張、個人主義に示される気骨のある態度」。ふ~ん。でも、トピックの趣旨や書き込みを読む限りでは、「女子力」というのは「girl power」とはまったく似て非なるものらしい。そこでちょこっと調べてみたら、「女性のメイク、ファッション、センスに対するモチベーション、レベルなどを指す言葉」という定義が出てきて、(最近やたらとおバカになりつつある)あるオンライン辞書で調べて見たらそれをストレートに英訳したような定義が出てきた。ワタシがおば(あ)さんだからかもしれないけど、よくわからない・・・。

要は、30代に入った独身女性が、自分磨きや女子力UP(アルファベットなのがミソ?)に努力し、英会話をやったりして内面も磨いているのにさっぱり相手が見つからず、片や特に美人でもなく、メイクもせず、ファッションセンスもなく、気も利かない同僚が努力しないで爽やかなイケメンと結婚できているのはどうしてなんだ、つまり、自分はこんなに努力していても報われないのに、「努力せずに」いいとこ取りする人が許せない、努力が虚しいという愚痴で、あっという間に投稿本数の限度に達しそうなくらいの賑わいを見せている。男性もけっこう参加して「女の言う女子力は男から見たら魅力がない」。結婚相手を引き寄せるために磨くのが女子力であり、「自分」であり、「内面」なんだろうに、ここでもミスマッチか・・・。

昔から「玉磨かざれば光なし」と言うから、自分が魅力的にきらきら光るためにはせっせと磨かなければ、ということなんだろうけど、どれだけ磨けばどのくらい光るかは原石である「玉」の質によるんじゃないのかなあ。もちろん、石炭だってしっかり磨けばみごとな黒光りになるし、道端の石っころだって磨いてみたら実はすばらしい珠玉だったということもあろうだろうな。ダイアモンドなんか最初からけっこう光っているけど、磨けば磨くほど中(内面)の不純物が際立ってしまう場合だってあると思う。玉によっては無理して磨かない方がいい場合だってあり得るだろうな。さらには、何を磨き粉にして、どのように磨くかによっても、玉の光ぐあいが違ってくると思うんだけどな。ワタシなんか、磨いているんだかいないんだか、いい加減で自分でもわからないから、まだら模様の蛇紋石みたいになっているかもしれない。(貴蛇紋というのもあるらしいけど・・・。)

磨き粉となるものが英会話であれ、ワイン講座であれ、稽古事であれ、おしゃれな雑貨趣味であれ、グルメ趣味であれ、お嬢様的挙動であれ、マナー本で読んだ気遣いであれ、とにかく何であれ、磨くときの「手加減」と言うものもかなり重要じゃないかという気がする。内面磨きというのはたぶん「教養」と関係があるんだろうと思うけど、あまり力を入れて磨くと外面まで穴が開いてしまうことだってありえると思うな。同様に外面を磨くのだって、芯までしっかりと地金であれば、磨けば磨くほど光るだろうけど、もしも表面がめっきだったら、あんまり磨くと地金が露出して目も当てられないことになりかねない。(つまり、メイクやファッションなどで決まるらしい「女子力」とやらがその「めっき」なのかもしれない。)でも、めっき層の厚さを過信して、剥げるまで磨いてしまう人もいるだろうな。まあ、めっきし直す手もあるけど、何度もそれをやったらコスト高・・・。

世の中は玉石混交。自分磨きをするなら、まず自分の「品位」(鉱石のグレードのこと)を確認してから、相応の磨き粉やテクニックで、ていねいにていねいに磨いてやるのが無難かもしれないな。もしかしたら、幸せを呼ぶパワーストーンになるということもあり得ないとは言い切れないし・・・。

たまには主婦業もやらないと

10月18日。木曜日。目覚ましで早起きの午前11時半。仕事がひとつ終わって気を緩めていいはずだけど、今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから、残念ながらゆっくり寝ているわけには行かない。何となくばたばたと身支度をして、朝食をして、カレシを送り出す。

カレシが勤めていた頃には毎日がこんな感じだったな。どんなに遅くまで仕事や家事をしても、毎朝午前6時に起きてカレシのお弁当作り。日本のお弁当箱に(冷凍食品を温めたものの多かったけど)けっこういろいろと工夫して詰めていたっけな。カレシを玄関先で見送ってから、ひとりで朝食をして、すぐに仕事。ひとりでランチを食べて、また仕事。カレシが帰って来たら夕食を作って、食べて、また仕事。カレシに叱られて真夜中に半泣きでカレシのシャツをプレスしていたり・・・。1990年代は毎日がそんな、何か自分にかまっている暇がないという感じだったような気がするなあ。

今日は雨。降り出したらいつ止むかわからないのがバンクーバーの雨期。かなり寒くなって来たから、今日はまず冬用のフランネルのシーツに取替えて、夏のシーツを洗濯。(新しい洗濯機を買わなきゃ・・・と、もう何年もそう言っている感じ。)洗濯機が回っている間、ファイルのキャビネットから老齢年金の申請書に添付する書類を集める作業。説明書をじっくりと読んでみたら、書類はService Canadaが(無料で)コピーして証明するから、窓口に出向けない場合に「適格者」に証明してもらいなさいと書いてある。ワタシの場合に必要なのは市民権証書、永住権の認可書、永住ビザのスタンプがある日本のパスポート。この永住ビザの日付が1977年4月12日で、あと2ヵ月半遅かったら改正法の施行に引っかかって、老齢年金は満額支給にならなかったから、ラッキーなワタシ。市民権の証書は1980年9月17日付。つまり、64年の人生の半分以上をカナダ人として生きて来たということだな。まあ、いろいろあったとしても、カナダ人としては良い人生を送れたと思うから後悔はないけど・・・。

洗い上がったシーツを乾燥機に押し込んで、今度はレンジ換気扇のフィルターを洗う仕事。仕事と言っても洗うのは食洗機なんだけど、これだって家事のうち。カレシが帰って来たら、もう夕食のしたくを考える時間。手をかけていて食後のコーヒーを飲む時間がなくなるといけないから、木曜日は簡単料理の日。サヤインゲンをエリンギと一緒にきんぴら風に炒めて、やれやれこれで最後と思っていたら、庭に出ていたカレシがまたビニール袋いっぱいに収穫して来た。トレリスを覆っていた葉っぱはもうほとんどが黄色くなっているのに、まだぶら下がっていたのか。もう蒸しただけで食べるには固そうだから、調理法を考えないとね。とにかく、午後5時過ぎには夕食。カレシを送り出したのは午後6時20分。すぐに前から約束していたラタトゥイユの仕込みにかかる。小さなスロークッカー2つにセットしてから、乾燥機をチェックして、まだ少し生乾きのシーツをさらに乾燥機にかける。ふはあ、家事ってのもけっこうタイヘンだなあ。

やっとオフィスに下りて、メールをチェックして飛び込み仕事がないことを確認して、まずはニュースめぐり。神奈川県のどこかの駅に「バルーンアート」なるものを展示したら、市民から「いやらしい。卑猥だ」という苦情が出て撤去することになったという話。写真を見てみたら、なるほど、ブラジャーやTバック風の下着をつけた大きな風船がいくつもぶら下がっていて、その下を子供連れが歩いている。中には「下半身から生足2本」みたいなのもあって、制作者は「サンバ」をイメージしたんだそうだけど、サンバの「セクシー」さを強調しているようで、その人にとっての「サンバ」観が出ているような感じだな。まあ、アートはいろいろだし、見る人の印象もいろいろだから可も否もないけど、まっ、ワタシのテイストではないな。でも、女性の下着を覗きたがる盗撮ってもんが横行しているご時世だから、小さな下着をつけたお尻のような風船を見上げて、女性のスカートの中を覗いているようなヘンタイ気分になってしまったらどうするんだろうとよけいな心配をしてしまったけどな。

ひと通り世の中のあれこれを見渡したところで、老齢年金の申請書を書き始める。たいがいは先に送ったCPPの申請と同じなので、コピーを見ながら書き込んで、後は「連絡先」になってくれる人を探すだけ。これはワタシの居所がわからなくなったときに問い合わせるために必要なんだそうで、血縁や婚姻でつながっている人以外であることと書いてある。おひとり様になったり、認知症になったりしても、こういう角度から生きているかどうかをチェックしてくれるということかな。ということは割と若い人の方がいいのかな。ま、友だちにあたってみるか。とりあえず、申請書はほぼ完成で、あした書類のコピーを証明してもらえば、週末には郵便ポストに入れられるかな。何だかこれでかなりの肩の荷が下りそうな気がする。あんがい、一番のストレス源はこの年金申請だったのかもね。政府が一見おいしそうなにんじんを鼻先にぶら下げて「こっちの年金水は甘いぞ~」なんてそそのかすから悪いんだよね、うん。

さて、カレシが帰って来たら、ほっかほかのラタトゥイユでランチと行こう。ああ、主婦業ってほんとに何だかんだとやることが多いなあ・・・って、読み返してみたら、たいしてやってないみたいなんだけど。

お役所の窓口で

10月19日。金曜日。起床は正午ちょうど。何だか心地よく夢を見ていて、なぜかジョージ・ブッシュとビル・クリントンが2人して何やら楽しそうにやっているのにそばから茶々を入れていたような気がする。今日はいい天気。朝食を済ませてすぐに出かける準備。ひとりでさっさと行って来ようと思っていたら、カレシがイーストを買って来ないとパンを焼けないので、一緒に行くからついでにパスポート用の写真を撮って来ようと言うので、モールまで車で行って、そこから地下鉄でダウンタウンへ。

Service Canadaのオフィスは混んでいるかと思ったら、椅子に座って順番を待っているらしい人は4人くらい。あとはキオスクと言うコンピュータを置いた囲いのあるテーブルで何やら調べものをしている人が数人。順番待ちの番号札を出す機械があるのかなと見回したけど、よく見たら番号表示のスクリーンがない。うろうろしていたらカウンターから声がかかったので、え~と、老齢年金のことで書類の証明が必要なんですけどぉ~と言ったら、「アカウントを作りますから」と名前と自宅の郵便番号を聞いて入力して、「座っていてください」。退屈屋のカレシはいろんな言語のパンフレットをながめて、教材に使えそうなものを物色。そのうち、にこにこした女性がワタシの名前(ファーストネームだけ)を呼びながら近づいて来て、手を上げたら、「一番へどうぞ」。

一番端の囲いをしたテーブルが「一番」で、持って来た書類を見せてコピーと証明を頼んだら、「これは市民権の証書ではないので使えませんよ」。へえ?「写真入りの市民権カードはありませんか?」へえ、あれが「証書」だったのか。持ち歩かなくなって長いんだけど、家のどこかにあるのは確か。(5年ごとに更新する永住者カードと違って、市民権のカードは更新されないから、改名しなければ32年前の若かったワタシの写真が入ったカードを持っているはずだったんだけど。)「パスポートでもいいんですよ」。あっ、パスポートは1ヵ月前に期限が切れて、今日これから写真を撮る予定だったので、現物は持っていない。「どちらかを持って来てくださいね。今日はとりあえず移民の記録の方をコピーしましょう」。

ということで、移民許可の書類と日本のパスポートのページをコピーして謄本証明のスタンプとサイン。ついでに申請書の項目について質問して、月曜日に市民権カードを持って出直して来ると言ったら、「記入済みの申請書も持って来れば、こちらから直接送れますよ」だって。なるほど。郵送先は同じ省のビクトリアのオフィスだもんね。こういうお役所は自前のクーリアを持っていたりするから、郵便局より早くて確実かもしれないな。一般市民が相手の窓口業務取り扱いが専門のお役所だからか、終始ていねいで、いい感じだった。「バンクーバーの市役所なんかとは天と地の違いだなあ」と感心するカレシ。うん、市役所は態度の悪いのが多いよねえ・・・。

地下鉄の切符の有効期限に余裕があったので、Hマートによって少し買い物。カレシの提案でパスポート写真はモールの郵便局で取ってもらうことにして、期限切れ15分前に地下鉄駅へ。改札口はできていたけど、CompassというSuica式のカードは来年秋から使用開始と張り紙してあった。無賃乗車が横行してるってのに、悠長だなあ。モールの駅で降りて、エスカレーターで郵便局へ。私書箱に詰まっていたカタログの類を引っ張り出して、まずワタシ、次にカレシと写真を撮ってもらって、出来上がるまでの間に荷物を車のトランクに入れて、セイフウェイでイースト(と、ついでにあれやこれや)を買い、カレシが車に運んでいる間に、ワタシは(途中でもう来年のカレンダーの店が出ているのを見つけて、道草してから)写真を受け取りに行き、今日の日程は終了。

帰って来て、証明してくれたコピーを見たら、あちゃ、永住許可の日付の肝心の「年」の部分が切れているではないの。なんだ、これではどっちにしても出直し。ま、市民権カードが見つかったし、申請書を仕上げて持って行って、まとめて送ってもらおう。65歳になる6ヵ月前の3日前。でも、かっきり「定年」で廃業するわけじゃないから、もしかしてプロセスが遅れても困らないんだけど、何かいつもぎりぎりだなあ・・・。

いじめの種はこうしてまかれるのか

10月20日。土曜日。雨の予報なのに、外はまぶしいくらいの天気。今日も正午起床。でも、ぐっすりよく眠れているし、胃腸の機能も快調。仕事の忙しい時期だし、やっぱり自分で気づかないうちにストレス度が高くなっていたのかな。ふむ、ワタシって、これでも意外と繊細な方なんだろうか・・・まさか。

友だちの許可が出たので、老齢年金の申請書を完成。振込先となる銀行口座の(線を引いて無効にした)小切手を添えて、あとは月曜日に書類ふたつの証明付きコピーを作ってもらって添付すれば、年金関連の処理はぜ~んぶ終了。処理が遅れなければ来年の5月の終わりには2つの年金が振り込まれる。ああ、やれやれ。まあ、年金が振り込まれるようになってもすぐに仕事をやめるつもりはないけど、共働きして来たこの35年間(特に子供を諦めた後は)、根本的にはひとりぼっちになっても路頭に迷って野垂れ死にしないためにがんばって来たんだと思うから、これから生きている限り何がしかのお金が黙っていても毎月入って来るというのは何となく心強い気がする。潮時だと思ったときにいつでも仕事をやめればいいわけで、「趣味優先、ときどき仕事、たまには家事」というのがいいな。

小町に胸の痛くなるような投稿があった。小学生の息子が机の上に「しね」と書いたメモが置いてあったそうで、その日はずっと涙ぐんで「死んだ方がいい、嫌われている」と言い続けていた、と。それを聞いて悲しくて、でも自分の対応に自信がないとアドバイスを求める母親。どこの誰が何を言い出すかわからない匿名掲示板なんかに相談している場合じゃないと思うんだけど。担任との面談で「元気にしている」と言われて、本人の話とのギャップにどっちが本当の状況なのかわからなくなる、息子の被害妄想なのか、と。我が子を疑うような反応はまずいよ、お母さん。親に疑われては、いじめられている子供は四面楚歌を感じて孤立してしまう。教師に「じゃれあっているだけだ」と言われて「そうですか」と引き下がって来るなんてお母さん、テレビのニュースを見てないの?新聞を読んでないの?

同じ小町には「咳のひどい後輩を出勤停止にして欲しい」と上司に頼んだけど、出社可能と言う診断書を持って来ているからと取り合ってくれないというトピック。何か病気を移されるのではないかと気が気でないし、子供が保育園で病気をもらってくるので看病休暇は使い果たしたので、残っている年休は年末の海外旅行のために取っておきたいから、後輩のために(病気をもらって)休んでいるわけにはいかない。(はて、この「大手企業」では病気になったら年休を取るの?)咳の主には(ばい菌が飛ばないように)マスクをさせ、(ばい菌が付かないように)共用の備品に触れないようにさせているらしい。怖い人だなあ。相手が後輩だから可能なんだろうけど、強要すればパワハラだな。とにかく、狭いところで一緒にいるのが苦痛だから。何といえば休んでくれるか知恵を貸してくれ、と。医者の診断書があるなら、伝染性の病気ではないと思うんだけど、上司に「そんなに気になるならキミが少し休んだらどうだ」と言われたと憤慨している様子。

ワタシは発作的にひどい咳が出る状態がもう30年も続いているけど、ストレス性の気管支過敏症のようなもので、いくら精密検査しても「肺は健康そのもの」と言われるだけで病名が付かない。迷惑がったのはカレシだけで、オフィスや公共の場で咳き込んでも消えて失せろみたいな扱いを受けたことはないな。知らない人がキャンディや咳止めをくれたりするし、イギリスのケンブリッジの銀行で発作が起きたときは、「救急車を呼べ」、「ソファに横になって」と大騒ぎになって、息がつけないでいたワタシの背中をさすってくれた人もいて、恐縮のしまくりだった。でも、この人のいるところで咳き込んだら「病気を移されるかもしれないから、国外退去させて」とか、「旅行が台なしになるから、搭乗禁止にして」ということになりかねないのかな。くわばら、くわばら。

このトピックは立ったばかりで、これからどんな「知恵」が出て来るか興味のあるところだけど、読んでいて、ああ、きっとこうして「いじめ」が始まり、エスカレートして行くんだなあと思って、背筋が寒くなった。もちろん、トピックの主はいじめだなんてとんでもない、病気を移されたら年末の海外旅行が台なしになってしまうから、咳の主を「出勤停止」にしろと上司に「お願い」しただけだと言うだろうけど、懲罰的な言葉を使う心理が怖い。大企業の就業規則に咳をして同僚を不快にさせた場合は「咳ハラで出勤停止処分」なんて規定があるとは思えないけどな。それでも「子供が保育園で病気をもらって来る」のは気にならないらしいから、人間の心理は不条理だな。そのうち、ばい菌が散るから口を利くな、自分の近くを通るなと言い出したり、はては自分が咳をして「病気が移った、死ぬかも」と妄想したりしなければいいけど。

ワタシが特に咳き込みが長く続いて、精密検査を受けていた頃、レントゲン撮影で肺に影があると主張したやぶ医者がいた。(呼吸器の専門医なのにタバコをもくもくと吸って、ガラガラにしわがれた声で「ほら、影が見えるだろっ」。)どういうつもりだったのか、何が何でもワタシを結核患者にしたかったらしいけど、そのときのワタシの専門主治医が「そりゃあ先入観を持って見れば、ないものも見えて来るよ」と一蹴してくれたおかげで事なきを得た。あのときは、かかりつけのドクターも「偏見に基づくハラスメント」と言って、いじめだと判断していた。このトピックの主は新型インフルエンザが騒がれたときも、咳をしている人やマスクをしていない人を見るたびに「危険な病原菌」として敵視しただろうと思うな。大人だから口には出さなくても、子供だったら「バイキン、来るな。しね」と言い立てたかもしれない。まさにいじめだと思うけど、もしもパラノイアなんだったら、あんがい休めという上司のアドバイスが一番的確なような・・・。


2012年10月~その1

2012年10月11日 | 昔語り(2006~2013)
婚活にも市場原理?

10月1日。月曜日。今日から10月だ、もう。ちょっと寒い。正午の気温は15度。でも、涼しさが増して来て、トマトもインゲンも熟すペースが落ちたからあまり文句も言えないかな。

カレシがガレージのドアの修理屋に電話。言われるままにいろいろテストしてみて、「では、1時半に行きます」ということに。そういうときになると落ち着かなくてうろうろするカレシは家とガレージの間を行ったり来たり。「壁のスイッチだとちゃんと動くようになった」。でも、リモートは?しばらくして「スイッチもリモートも、上がるけど、下がらない」。センサーの近くに何かゴミでも置いてない?しばらくして「材木がセンサーをブロックしていた」。やっぱり。ドアの内側の両側床上10センチくらいのところに障害物を感知してドアが下りないようにするセンサーがある。子供やペットがドアに挟まれる事故を防止する安全装置なんだけど、ガレージには古い材木がごちゃごちゃあって、それでトレリスなんかを作っていたカレシが動かしているうちにセンサーをブロックしてしまったんだろうな。さっそく電話してアポをキャンセル。カレシの「しつこくいじる」癖もこういうときには役に立つから捨てたもんじゃないな。

次の仕事にかかる前にと新聞サイトめぐりをしていたら、あるサイトで必ず出て来る(大手らしい)結婚相談所の男性向けの広告がちょっと変わっていて、まずベッドで何かを読んでいる男性(なぜか若いモデルだ)が「今日もひとりで寝るか・・・」とつぶやき、キャッチが「そろそろ再婚相手、探さない?」(2分間で「理想の相手」をチェックしてくれるとか)。ニュース記事をクリックしたら、男性が「あの子と結婚してたら独りメシなんて・・・」とわびしそうに手酌で一杯。何だか敗者復活戦みたいなイメージ。一方の女性向け広告は相変わらずきらきら目のお嬢さんたちがモデルで(キャリアウーマン風だったり、カワイイ奥サン風だったり)、しきりに「結婚力診断」とやらへのお誘い。何だかイメージがすごいミスマッチという感じで、どうりで結婚したいのにできないと嘆く人が多いはずだと思ってしまう。

小町横町にも婚活トピックが多いけど、中に『婚活は男が売り手市場』というのがあって、えっ?結婚て、売り買いの話だったの?男が売り手で女が買い手ということは、結婚は女が男を買う取引だってこと?で、それが今は売り手市場で、買い手の女には厳しい時代ってこと?で、読んでみると、若い盛りだったバブル時代は「三高」とかいって学歴、年収、容姿に厳しい条件を付けられて婚活に苦労したおじさんが、売れ残っていた同世代が今頃になってひと回り若いきれいな女性と結婚しているのがうらやましくて、焦らずに待てば良かったと悔やんでいる話。安定した年収が700万円くらいあれば容姿、外見に関係なく「好条件」で結婚できるらしい、と。若い嫁が来てくれるのが好条件?へえ・・・。

世界の国や地域によっては、「娘+ヤギ3頭ではどうだ?」とか、「ヤギ3頭で娘をくれないか?」とか、バザールの「売買交渉」みたいな結婚風習があったりするそうだけど、日本の結婚市場では、男性が「年収700万円だよ。ちょっととうが立っているけど、お買い得でっせ~」と呼び売りをして、女性が「少しとうが立っているけど、年収700万なら買ってもいいかなあ」と手を上げるのかな。だとしたら「買い手市場」のように見えるけど、まあどっちにしてもこの「700万円」とか「600万円」という年収が売り買いのいわば「損益分岐点」ということか。(ワタシもそれくらい稼ぐけど、男じゃないし、婚活してないからお呼びじゃないか。倍くらい稼いた頃は家事の時間がなくて「嫁サン欲しい~」と言ってたけど、男じゃないから見向きもされなかった。)でも、その年収レベルの独身男性はほんの数パーセント(たぶん大半が40代以上?)なのに対して、独身女性の3割以上が相手にその収入ラインを希望しているらしいから、すごいミスマッチ。どうりで結婚したいのにできないと嘆く女性が多いはずだ。タイヘンだなあ、ほんとに・・・。

ワタシなんか団塊の世代のど真ん中で、結婚対象年齢の男の絶対数が少ないのに、25歳で売れ残りのクリスマスケーキと言われた時代にいわゆる適齢期になったんだけど、女の子は結婚するものだと言われるとその逆の方向に行ってしまうのが天邪鬼なワタシ。結婚なんてたまたま出会って互いに好きになった人と一緒になろうということになったときにすればいいやと考えていたもので、出会いゼロの無菌環境なのにお見合いなどまっぴらゴメンとそっぽを向いていたら(というか父が縁談をことごとく阻止したと言う話だけど)、ほんとうに25歳を過ぎてしまったんだけど、宇宙の壮大なドラマに夢中で危機感も何もなかったな。かえって「賞味期限」という枷が取れてやっと自由になれたという気持だったように思う。

結果としてワタシは「たまたま出会って好きになってずっと一緒にいたいと思った」人と結婚できたわけだけど、今でもその結婚観は変わっていない。収入(将来の収益性)も容姿も性向も義家族もみんな結婚と共に双方に付いて来るもんだし、しかも5年、10年先のいろんな環境が「今」のままで変わらないと言う保証はゼロだし、究極的には結婚は「今」を基準にしてするもので、後は2人して学習と努力を重ねて行くしかないと思う。それでどうしてもやって行けないと判断したときに自分の「将来」を考えればいいんじゃないのかな。それにしても、ほんとに日本で今どきアラサーとかアラフォーとか言っている世代に生まれなくてラッキーだった。何たって市場原理主義的過ぎて、生きるのがすごくタイヘンそうだもの・・・。

仕事に邁進した後はひだの深い芝居でリセット

10月3日。水曜日。起床午前11時40分。今日も明るいけど、内陸部や北部からは雪の便り。まあ、BC州は広い(94万平方キロ以上)から、北の方はとっくに冬に入って不思議はないけど、ニュースで雪の便りを聞くと、ああ、もうそんな季節になったのかという気持になるな。最低気温が10度以下に下がるようになったので、トマトもサヤインゲンもペースが落ちて、キッチンの窓から見ると、サヤインゲンがまだかなりぶら下がっているけど、食べる方が追いついて来た感じで、やれやれ。でも、軽く5、6分蒸したのを口に入れるとキュッキュッと鳴るサヤインゲンもあともう束の間の楽しみだと思うと、ちょっとさびしいかも。

目が覚める直前まで何だかヘンな夢を見ていた。どこかのレストランのようなところで、でっかい楕円形のお皿にどんどん食べ物を盛り上げてくれる。フライドチキンみたいな塊もソースもいっしょくたで、それを見ながら、「あっちのレストランに持って行って食べてもいいかな」と聞いているワタシ。「聞いてみたら」というウェートレスさん。道路のようなところへ出て、そのレストランの方を見たら、カレシが外に立っていて、「早く、早く」と腕を振り回している。差し渡しが1メートルくらいありそうなず~っしり重いお皿を持って、運ぶのを手伝いに来てくれても良さそうなものを、とむくれるワタシ。ははあ、この週末はご馳走を食べる感謝祭の三連休。個々のところ、頭の中で何を作ろうか思案投げ首。だけど、あの大皿に山盛りの食べものはきっと週末に入って来る特大サイズの仕事の象徴だろうな。期限までの10日間、ぶっ通しでやってもきちきちだから気にかかっているんだと思う。仕事、ちょっと食傷気味だもん・・・。

仕事、きのうは気合を入れてがんばった。何しろ奇想天外の表作りに出くわしたおかげで作業量が倍になって、ちょっとばかり遅れ気味だけど、期限は変わらないから、結局3日分の仕事を1日半でやるはめになる。ま、社内文書だから楽と言えば楽で、きのう1日で2日分をやっつけて、今日は期限までの半日で残りを仕上げ。夜に芝居を見に行く予定だから、期限通りに送らないとね。とにかくがむしゃらに進んだけど、このへったくそなフォーマット、なんとかならないのかなあ。いつも思うんだけど、日本の人は神経質なくらいに見てくれの「良さ」を要求するのに、作る文書は書式設定がぐしゃぐしゃ。まあ、「書式設定」という観念からして理解していないのかもしれないけど、タブを使わずにいちいちスペースを入れるし、自動改行するのに、いちいち先回りしてを越して行末で強制改行するし、Wordに任せないで自分の手でやりたがる。この文書も原稿用紙な人が作ったのかな。あの「四百字詰め原稿用紙」はとっくに日本人の美感DNAに組み込まれていたりして・・・。

ぎりぎりに仕上げて、ささっと納品して、シャワーに飛び込んで、洗髪して濡れたままで食事のしたく。こういうときはパスタが早い。フリーザーにあった去年のカレシ製トマトソース。これをペースにして、ひき肉もどきで「ミートソース」を作る。コーヒーを飲み終わらないうちに、ささっと簡単にメークをして、ドレスパンツとおしゃれなTシャツに着替えて、ハイヒールを引っ張り出して、午後7時ちょっと前に出発。週中の水曜日だから劇場近くの駐車も楽々。今週末で打ち上げになるブルース・ノリス作の『Clybourne Park』。絶対に見たかった作品。風刺劇だから笑いどころがいっぱいだけど、舞台はシカゴの郊外の家の居間で、第1幕は1959年、第2幕は50年後の2009年。引越し準備をしている白人夫婦の家の買主はアフリカ系の家族ということで日本で言うなら「町内会」が大騒ぎ。やがて白人が次々と出て行ってアフリカ系のコミュニティになっていたのが、50年経ってその家を買った若い白人夫婦が大きな家に建て替えようとしてコミュニティとひと悶着。

昔はどうだった、ああだったと、現代アメリカの心の複雑なひだの中に滓のように溜まっていた歴史上の恨みつらみが一気に表面に噴き出して、何となく尖閣諸島を巡る中国と日本のやりとりにも通じるところがないでもない。第1幕では夫婦の息子が戦争で民間人に残虐行為を働いて訴追され、コミュニティに背を向けられて自殺した話が語られる。父親が穴を掘るといってシャベルを持っていたのは、その息子の遺書が入っている従軍トランクを庭に埋めるためだったことが第2幕になってわかる。1950年代だから朝鮮戦争。夫婦の息子が殺戮したとされる人たちは当然アジア人。ここに人種問題のもう1本の伏線がある。最後はフラッシュバックの場面になって、軍服姿の息子が現れて両親に宛てた遺書を書き始め、そこへ現れた母親が「これから良い方へ変わろうとしてると信じているの」と言う。アメリカでは大統領候補者の討論会。アフリカ系のオバマ大統領は「Change(変化)」を掲げて当選したけど、いったい何が変わったのか、あるいは変わらなかったのか。人種とは何か。コミュニティとは何か。偏見とは何か。表現や思想の自由とは何か。笑いが満載ながらも、胸にずしんと来て、すごく奥の深いドラマだった。

島国でなくても島国根性はある

10月4日。木曜日。午前11時30分に目覚ましが鳴って、反射的に時計の頭をポン。でも、カレシは今日から午後と夜の英語教室のダブルシフトだし、ワタシもきのうの今日でまた夕方が期限の仕事があるから、ちょっと眠いけど、また鳴り出す前に起きた。

朝食を食べながら、きのうの芝居の話。第2幕で「町内会」を代表するアフリカ系のカップルがコミュニティの変遷に触れて、「ほら、今はWhole Foodsがあるところ」というくだりがあった。そのひと言だけで、アフリカ系の流入で不動産が値下がりし、貧困や犯罪が横行した時期もあっただろうけど、都心への近さ故に地価が上昇して所得が比較的高い層に入れ替わり、さらに偏見を持たないと自負する「politically correct(政治的に正しい)」白人たちがファッショナブルな地域として注目し始めていることを描いているから、すごい。もっとも、スーパーストアやWhole Foodsが何であるかを知らなければ、ただのせりふでしかないけど、かなりの笑いが起こったのはピンと来た人たちがたくさんいたということだろうな。(ちなみに、スーパーストアはウォルマートのような安売り量販店、Whole Foodsはちょっとお高く止まった自然食品が主力の高級スーパー。)

昼のニュースはアメリカ大統領選のオバマ対ロムニーの討論でどっちが「勝った」かという話で持ちきり。どうやら第1回戦はロムニーに軍配が上がったらしい。オバマ大統領は大群衆に向かって演説するときは確かに格調が高いんだけど、カメラ(視聴者)に向かって語りかけるようなスピーチはあまり上手な方だとは言えないと思う。ワタシなんか聞いていてイライラしてしまうことがあるくらい。まあ、ワタシはいわゆる「活動家」タイプの人たちにありがちな上から目線的(英語的には「holier than thou」というのかな)な物言いが嫌いだから、偏見が入っているんだろうと思うけど。それにしても、アメリカの社会とそれを反映する政治って何だってこんなにも「島国」的なんだろうと思うことが多いな。

たしかにアメリカは広い国だし、経済力も軍事力もダントツなんだけど、何かと視野が狭いという点では日本や中国とどっこいどっこいじゃないかなと思う。日本は地理的に元から島国だから、それが一番落ち着くのかもしれない。一方の中国はアジア大陸に広がっていて、何千年もの昔から地続きの中東やヨーロッパと接触して来た国なんだけど、現代中国の指導者は共産党内部の熾烈な権力争いにあらゆる手段を尽くして勝ち抜いてきた人たちだと思うから、いつも内なる敵に視線が向いていておかしくはない。そのせいか、上にたったと思うとつけ上がって高飛車になるところがある。(まあ、バブル景気だった頃の日本もけっこうつけ上がっていたけど、日本の場合はたぶん周囲に「21世紀はキミたちの時代だよ~」と煽てられて舞い上がったんじゃないかと思うな。)

アメリカは、元々宗教的迫害を逃れて来た人たちが礎を築いた国だから、未だにどこか被害妄想的なところがある。つまり、アメリカにも中国や日本と同様の政治的、社会的「島国根性」があるということだけど、同時にそういう経緯があるからこそ世界の「虐げられた大衆」を受け入れる懐も持っている。かといって何でもOKというわけではなくて、どこかで同化しようとしない「異なるもの」を警戒し、あるいは嫌悪する人たちは多い。それでも、移民が持ち込んで来るさまざまな「異なるもの」と格闘し、ときには偽善を働き、ときには違いを超えて結束しすることで何とか「民主主義」を機能させて来ているのは、アメリカ人が建国以来培ってきた試行錯誤と失敗と嫌われることを恐れない精神的な強さだと思う。逆にそこがよけいに嫌われるところでもあるけど、嫉妬の要素があることをアメリカ人は百も承知なんじゃないかな。

まあ、今日はカレシを送り出して、仕事。午後の教室を終えて帰ってきたところで、急いで食事のしたく。夕食を食べさせて、飲む暇のないコーヒーを魔法瓶に入れて持たせて、夜の教室に送り出して、ひと息。カレシには、いろんな国から来た人たちに接して「目からうろこ」の経験ができ、その人たちがカナダに同化する自信をつけることがボランティア英語先生としての何にも代え難い報酬なんだそうな。今回はアジア系だけでなくて、南米や東欧出身の生徒もいる、ちょっとしたミニ国連らしい。あんがい、新聞の風刺漫画のように、世界の各国を擬人化して円卓会議を開いてみたら、とうに賞味期限の過ぎた国連総会なんかよりもよおもしろいかもしれないな。

子供の名づけは大変だ

10月5日。金曜日。またヘンな夢を見ていたけど、今日は覚えていない。まぶしいくらいのいい天気。晩夏というやつかな。予報では、この感謝祭の三連休の間ずっとこの好天が続いて、気温もあす、あさっては20度を超えるらしい。

朝食が終わるか終わらないかの時間にデイヴィッドから電話。(トロントは3時間先だから、もう夕方に近い時間だけど。)モントリオールから帰って来たばかりだそうで、新米おじいちゃんは孫息子のことを「she(彼女)」と言っては、ずっと娘2人の家族だったもんでまだ慣れてないんだよと困惑気味。フェイスブックの赤ちゃんの写真(ママのスーザンが生まれたときの顔にそっくり!)は名前が「エヴァン」になっているのはどうしてか聞いたら、出生届を出す間際に変えたという話。パパのモンティの希望で綴りにXの入った「ジャクソン」と決めていたのが、「やっぱり流行りの名前では将来・・・」とジジババたちが難色を示し、モンティが折れて、ミドルネームの「エヴァン」に変えることで決着したんだそうな。で、空欄?になったミドルネームは「ジャクソン」ではなくて「スペンサー」。「エヴァン」は「ジョン」に相当するウェールズの名前で、ジョンの愛称「ジャック」の息子を意味する「ジャクソン」をミドルネームにしたらちょっと格好がつかないし、苗字は母親の姓なので、「エヴァン・スペンサー・○○」は全体的に何となく格調のある響きになっていい。それにしても、スピード改名はギネス級じゃないのかなあ。

考えたら、ワタシも出生届の段階で「千尋」は人名漢字にないからダメと拒否されて、元の名前になった経緯がある。あのときにお役所が「千尋」を受け付けてくれていたら、カレシが熱を上げた「夜のお仕事」のオンナの名前が似すぎていたために、改名しなければ立ち直れないと思いつめるところまで落ち込むようなことはなかっただろうな。ま、ジョギングの最中にふと見上げた梢から舞い下りて来たような感じで思いついた今の名前に変えて、でも父が仮死状態で生まれて来て生き延びたワタシを表す意味で改めてつけてくれた名前はミドルネームとして残して、起死回生の心機一転。生まれ変わった自分の名付け親になるなんてめったにあることじゃないと思うけど、自分という人間に対して「親の責任」みたいなものを感じることがあるから不思議。What’s in a name? 名前が何だというのか。でも、子供の名づけはその一生を左右しかねないから、世界のどこでも、親たるものは責任重大でタイヘンだなあ。

さて、コーヒーを飲み終わって、今日はまず買い出し。ジュースもミルクも卵もないし、パンを焼こうにも必要な脱脂粉乳もないし、サラダ油もないし、野菜も(トマトとサヤインゲン以外)ないし、魚も少なくなって来た。そこへもってしてこの週末は感謝祭の三連休と来ているから、今日の午後のうちに行っておかないと混雑することは必至。今日はカートに山盛りの気配だから、一番大きなトートバッグを2つ持って行く。フリーザーの中は図体の大きな七面鳥がごろごろ。中に混じっている鴨もひと頃に比べたらずいぶん大きくなった。コーニッシュヘンも昔は1人で1羽の大きさだったのが、今では丸々とした1羽を2人で食べる。ニジマスも同じ。エビもホタテも「ジャンボ」という冠が付いている。はて「大きいことはいいこと」なのかどうなのかと考えつつも、カウンターで「ジャンボ」ホタテを包んでもらい、後はロックフィッシュ、ティラピア、マヒマヒ、ヒラメ(これがまた大きい)、ぶ厚いアヒまぐろ、ギンザケ半身、ケフィアに特大容器のヨーグルト。カレシは野菜と果物をど~っさり。在庫切れの必需品も調達して、金曜午後のラッシュが始まる前に帰って来た。

冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになって、これでしばらくは食いっぱぐれがないと安心したところで、考えただけで目が回りそうな大仕事の山の算段にかかる。これからほぼ2週間ぎっしり。まあ、豊穣と飢饉が背中合わせなのがフリーランス稼業で、仕事があるときは過労死しそうなくらい入って来るし、ないときは心配で青くなるほどない。経験則的には、10月はだいたいいつも仕事ラッシュの月のような気がするけどな。Work by any other name・・・仕事はどんな名前で呼んでも楽ちんにはならない。まっ、これがワタシの生業なんだから、腕をまくってやるっきゃないな。

大人でも寝冷えするとは知らなかった

10月6日。土曜日。夕べはやっとよく眠れた気がする。どうも寝付けなくて悶々としているうちに、ん、何だか寒い。おなかの調子もおかしい。寝ているのに何となく腰が痛い。シーツやブランケットを肩まで引っ張り上げてもまだ寒い。寒い。すっごく寒い。とうとう起き出して、夏中ベッドの近くに置いてあるひざ掛けサイズの毛布を引っ張り出して、ベッドの上にふわ~っとかけて寝たら、これが温かくて何ともいい気持ち。夏っぽさを感じさせるいい天気なんだけど、やっぱり10月は10月・・・。

ここしばらく朝起きるといつも何となく腰が痛いような感じで、仕事でオフィス用の椅子に座っていても、いつの間にか背中をそらせ気味にして腰を前に突き出しがちにしていることが多かった。運動をさぼっているうちに背筋が弱ってきたのかと思っていたけど、キッチンなどで立っているときはできるだけ背筋を伸ばして、おなかを引っ込めていたから、そこまで弱っているとは思えない。だけど、腰が痛いとドクターに言ったら内科の病気もあり得ると言われ、やがて卵巣嚢腫が神経を圧迫していたことがわかり、それが(ちょうど今のようなしっちゃめっちゃか仕事が忙しいときに)破れて、3ヵ月後の内視鏡手術で手の付けられない子宮内膜症が発覚してダブルヘッダーの手術になった苦い経験があるから、痛いのは腰だけど、ひょっとしてまた何か?そこへして、きのうは買出しの最中におなかが痛くなり、がまんにがまんして家に帰り着くなりトイレに飛び込んだもので、よけいに「ひょっとしたら?」

後でちょこっと調べてみたら、腰痛と腹痛はつながっていることが多いらしいとわかった。どっちが問題なのかということになると、「ニワトリと卵」の話になるらしいけど、人間を取り巻く世界と同じで、人間の体内の世界もいろんなものがけっこう複雑に絡み合っているんだと納得。でも、実際のところ、どっちが先なんだろうな。野菜だの何だのと、あんがい食物繊維の摂り過ぎになっているのかな。でも、ベジタリアンを称する人たちの食事はもろに野菜と穀類の食事だよなあ。食物繊維の摂取量なんかすごいと思うけど、それで問題ないのかなあ。もしかしたら誰にも言わないだけで、ほんとはおなかの調子を整えるのに困っているんじゃないのかなあ。ベジタリアンと暮らしたことがないからわからない。そんなことよりも、いったい何なんだ、この不調は?

毛布をかけてしばらくしたら、おなかのあたりがほかほかして来て、そのうちに腰のだるい痛みまで和らいで来た。そして、気持ち良くなっているうちに眠りに落ちて、かなりぐっすり眠ったらしい。ここんところ、日中はけっこう気温が上がるけど、夜は急激に冷えて、最低気温はひと桁まで下がる。その気温が一番低くなる明け方に近い時間がワタシたちが深い眠りに落ちる頃ということで、寝室のサーモスタットの設定温度は20度くらい。我が家は冬は保温性の高い純毛の毛布に替えるだけで、日本のような掛け布団は使っていないし、今はまだ夏物のシーツと秋用の毛布1枚。何のことはない、おなかのあたりが冷えて眠れなかったんだろうな。腰が痛いのと、おなかを壊した原因はたぶん「寝冷え」。寝冷えと言うのは寝相の悪い子供の問題だと思っていたんだけどなあ。なるほど、寝相が悪くなくても、いい年の大人でもおなかが冷えれば「寝冷え」をするということか。

おかげで今日は何となく眠いけど元気はいい。腰も痛くないし、おなかの調子も普通。でも、しばらく仕事漬け状態だから、「急病でダウン」なんてことになったら困る。卵巣嚢腫が漏れ出したときはまさに青天の霹靂で、そのまま緊急入院になってカレシに仕事キャンセルの電話を入れてもらわなければならなかった。(おひとり様だったらどうすればいいんだろうな。)うん、今夜は初めからおなかのところにしっかりと半毛布をかけて寝ることにしようっと。

感謝祭の前夜祭ということで

10月7日。日曜日。今日もいい天気で、目が覚めた頃にはちょっと汗をかいていたけど、腰は痛くないし、おなかの調子も正常だし、暖かく、ぐっすりと眠れるのはいいもんだ。

三連休だけど、今日も仕事、しごと、シゴト、お仕事。日本でも三連休ということで、同業仲間のメーリングリストでまたぞろ議論が沸騰するかと言うときに誰かが「みんな、ウィークエンドじゃないの」と茶々を入れ、別の誰かが「ウィークエンドって、ティーンの頃には知っていたけど、もう何のことか忘れたな」と言えば、最年長の大先輩が「忘れたなんてことはないだろ。クライアントが月曜日朝一でっていうやつをやっつける時のことじゃないか」と解説。そうそう、フリーランス稼業の週末なんて、いつも「月曜日午前9時」を目指しての突貫作業みたいなもの。最近「1年前のあなたのブログ」なんてメールが毎日gooから届くようになって煩いんだけど、1年前の今頃も仕事、仕事と騒いでいたらしい。うん、魔の10月・・・。

今日はまた1件片付けたところで、思いついて感謝祭の前夜祭。久しぶりにコース料理でもと思っていたけど、残念ながら明日も仕事、仕事、仕事。まあ、ちょっとしたご馳走を作るつもりではいるけど、「晩餐」にならない分、手っ取り早く刺身で「前夜祭」としゃれ込むことにした。

今日のメニュー:
 刺身盛り合わせ(びんなが、サケ、タコ、きはだ)
 サヤインゲンと松茸のあんかけ風
 あさりとねぎの吸い物
 松茸入り麦ご飯
 (サラダ)

[写真] 食前酒はいつものマティニに代えて特製のミントジュレップ。カレシが砂糖のシロップを作り、冷めるのを待っている間に庭からミントを採ってきて、カクテルのレシピを見ながらマドラーでごりごり。ケンタッキーダービーなどのときに金属のカップで飲むのが正統らしい。ちょっと甘かったけど、何杯でも飲めてしまいそうなくらいおいしい(カレシ曰く、「3杯も飲んだらひっくり返るぞ」)。

[写真] 刺身で食べられる魚の種類が限られているもので、いつも変わり映えがしない取り合わせだけど、少し残っていたキハダを小さく切って、ゆず胡椒ペーストをもみ込んで、かつら剝き大根の巣の中に盛って、白ごまをぱらぱら。大根おろしは刺身用。ご飯はまだ残っていた松茸の小さい方の2本をスライスして、濃縮めんつゆにつけておいたのを炊き上がり近くに混ぜ込んでみた。吸い物はカレシご所望のあさりの出汁だけで作ったもの。冷凍の殻付きあさりをさらに足して、ねぎを入れるだけで実に適当なもの。

[写真] ちょっと庭に出て行っただけですぐにこれだけ採れてしまうサヤインゲン。でも、蒸しただけで食べるには少々固くなって来たから、特に太いのを選んで、残りの大きな松茸をスライスして、一緒に出汁と醤油で煮て、スターチ少々であんかけ風。まあ、悪くなかったな。松茸は香りがだいぶ抜けて、いわゆる「賞味」期限は過ぎていたけど、パックに入っていたコケと一緒にビニール袋に入れて冷蔵庫に置いておいたらずいぶん長持ちしたから感心。ま、「消費」期限ぎりぎりで間に合ったというところ。

明日の感謝祭はこれもカレシご所望で鴨。電源を落としたままのオーブンが壊れていないといいけど。

思いがけない豊作を感謝するディナー

10月8日。月曜日。取りとめのない不思議な夢を見ながら、よ~く眠った。今日は感謝祭。もちろん、その年の収穫に感謝しておなかいっぱいご馳走を食べる日。我が家も思いがけない豊作に感謝しつつ、元気でご馳走を食べられることにも感謝。人間、人生の大波、小波を乗り越えるには、とにかく心身共に健康でなければ先へ進むのがタイヘン。ま、心身の健康はどっちが先かということになるけど、「身」の健康を支えて行くには「心」の健康がやっぱり先立つものなんじゃないかと言う気がするけどな。

さて、仕事まみれの感謝祭。朝起きて、配電盤のオーブンのスイッチを入れてみたら、あ、こりゃだめた。温度を設定すると温めようとするけど、すぐにピーコ、ピーコ。止めるにはキャンセルするしかない。ということは、オーブン以外の方法を考えなければならない。でも、ローストではなくて脂の中でゆっくりと調理するコンフィだから、ま、鍋でとろとろと煮込めばいいか。そこで、大きなスープ鍋を出して来て、夕べから解凍しておいたありったけの鴨の脂を入れて、メタボみたいな鴨の足を2本、ガーゼに包んだタイム、オレガノ、ベイリーフを加えて、まずは加熱。温度計を突っ込んで脂の温度を調べ、泡の立ち具合を調べ、何とかうまく行きそうな温度を突き止めて、後は「とろ火」に設定して、仕事場へ一目散・・・。

今日のメニュー:
 フォアグラのフライパン焼き、カルヴァドスリダクション、トマト
 鴨のコンフィ、ハーベストポテト、サヤインゲン
 (サラダ)

[写真] 前菜はまだ残っていたフォアグラ。早目にカルヴァドスを小鍋に入れて火にかけ、ゆっくり、ゆっくり煮詰めて、できたのはやっと小さじ半分の濃いリダクションソース。「スペシャルイベント」用にとっておきのお皿を出してきて、スライスしたカレシ菜園産の赤と緑のトマトを並べ、焼いたフォアグラをのせて、ソースをたらたら。緑色のトマトは「グリーンゼブラ」という種類だそうで、黄緑色に濃い目の緑の縞模様に熟して、赤くはならない。何か未熟そうだけど、食べてみると酸味が少なくてすっごく甘い。数個しか実ならなかったけど、カレシ菜園の思いがけないヒットになった。

[写真] メインは午後いっぱいかけて大なべでことことと煮た鴨の足。去年だったか1羽の鴨を解体したときに、胸肉だけを料理して、ぽっちゃりした足はフリーザーに保存してあった。出来上がったら、オーブンで調理したのと同じように、身が柔らかくて、ぽろぽろと骨から離れて来る。(大成功だな・・・。)コンフィに使う鴨の脂は、肉が完全に埋没しなければならないので、かなりの量が必要になるけど、市販の瓶詰めの脂は(フランス直輸入だからか)すっごく高い。そこで、ぶ厚い脂肪がついている皮などをまとめておいて、自分で煮出して、精製する。これもちょっと試行錯誤してコツを覚えるとけっこう簡単で、ビニール袋に入れてフリーザーに貯蔵。凍って固まった脂はほぼまっ白。スパイスや肉のかけらなどを漉し取りながら、何回か使えて便利。必要は発明の母と言うけど、人間、はたと困って「はて、どうしたものか?」と考えると、けっこういろんなアイデアが浮かぶものらしい。

マッシュポテトにするつもりで冷蔵庫の野菜入れをかき回していて見つけたのが近郊チリワックのトウモロコシ。カレシが普通のマッシュポテトを「まずい」と言うので、ここはトウモロコシの実を削り取って、ズッキーニとにんじんと一緒に炒めて、粗く潰したじゃがいもと混ぜ合わせてみた。適当に「ハーベストポテト」と命名したけど、意外とカレシに大好評だった。

ああ、これでもうおなかいっぱい。ブリューゲルの絵のイメージがわいて来るけど、夏の間のきつい農作業を終えた開拓者たちは、収穫を祝い、神の恵みに感謝しつつ、冬眠を控えたクマのごとく、おなかがいっぱいになるまで「がっつり」とご馳走を食べたんだろうな。それは冬を越えて命をつないで行けることへの感謝でもあっただろうと思う。凶作の後には飢餓の冬が待っていた。新大陸の感謝祭は豊穣だけでなくて、生きていることにも感謝する日なんだと思う。そこで我が家も今年の晩餐はカレシ菜園の収穫に感謝する気持ちを込めて、トマトとサヤインゲンをさりげなくあしらってみた。来年も作物の種類を増やして、また食べきれないくらいの大豊作になるといいね!

今頃あわてて年金の申請

10月9日。火曜日。急に秋が深まった感じ。そのせいかな、何だか疲れた気分なのは。きのうは仕事と感謝祭のご馳走作りとその他大勢のあれやこれやで、ちょっときりきり舞い。おまけに次の仕事の算段と、しばらくご無沙汰の別のところからの引き合いと、とにかくやたらとメールが飛び交って、返事を書くのに大わらわ。まあ、魔の10月だもんなあ・・・。

まあ、鴨に満腹でランチをスキップした分、仕事が進んで期限に間に合う目処が付いたので、ゆうべは早めに切り上げて、カレシとゆっくり寝酒。新発見のタイの米クラッカーとなぜかはまってしまった塩ヨーグルトとイクラ。フェイスブックでリンクを見つけて、さっそく試してみた塩ヨーグルトがめちゃくちゃおいしい。ちょこっとイクラを乗せるともっとおいしい。しっかり水を切ると量が減ってしまうので、前回の買出しでは750グラムのサイズを買って来たけど、カレシまでがはまってしまったもので、2回に分けて作ってもあっという間になくなってしまう。誰が考案したのか知らないけど、はめられちゃったなあ。

今日はまずゆうべ少しだけ残した仕事をやっつけて、期限ぎりぎりで滑り込みセーフ。うんざりするほど邁進、邁進、また邁進。やる気満々だということを伝えたいんだろうけど、美辞麗句が並びすぎて、何か今ひとつだな。どこぞの大臣の国会答弁みたいな感じ。まあ、この手の文書はどこの誰が書いても「きらきらネーム」ならぬ「きらきらレポート」。たくさんの人が目を通すような性質のものではないから害はないけど、訳す方はどこまできらめかせたらいいのかと悶々とする、一番やりにくいタイプ。同じ「きらきら文」なら宣伝広告の方があっけらかんときらめいてよぽど楽でいいな。結局、英語人が読むんだからと思って、かなり英語人的なトーンにしたけど、何か日本語を英語で書いたような感じがしないでもないな。元原稿がとにかくふわふわした文書だからなんだけど、翻訳にもGIGOの法則があてはまるのかな。つまり、「Garbage in, garbage out(ゴミを入れればゴミが出て来る)」。ま、割ときれいなゴミだと思うけど。

次の仕事の量と期限を秤にかけて、納品した後は「タイムオフ」。夕食後に(日本の厚生年金に当たる)カナダ年金CPPの受給申請書を書き始めた。説明書には受給開始の6ヵ月前に申請しなさいと書いてあって、「6ヵ月前までに」とは言っていないんだけど、誕生日が基準なら後2週間ほどしかないから、とりあえず、証明書の類の不要な厚生年金の申請書を先に送ることにした。まず、社会保険番号。ワタシの番号は7と8がずらっとあって、何となく幸運を呼びそうな番号だな。氏名を書き、出生時の氏名を書き、住所を書き・・・手書きなんて最近はあまりやらなくなったなあ。おしまいの方に「外国からの給付」という項目があって、カナダ国外に住んで働いたことがあると、その国から給付を受けることができるかもしれない、と。ワタシは日本で5年勤めたし、カナダは日本と相互年金制度の協定を結んでいるけど、年金番号なんて聞いたことがないし、記録がめちゃくちゃな日本で今さらわかるはずもない。ま、ダメもとで日本での就労期間を記入して、年金番号は「不明」と書いておいたけど、99.999%「該当せず」だな。

老齢年金の申請の方は1977年の制度改正の経過措置の適用を受ける資格があることを証明するために、永住ビザのスタンプが押されている日本のパスポート(古い!)だ、市民権証明書だ、何だといろんな書類を添えなければならないんだけど、コピーを送るのに政府指定の適格者に「真正なコピー」であることを証明してもらわなければならない。会計士の資格を持っているカレシはその「適格者」なんだけど、赤の他人じゃないから残念ながらダメ。これは大仕事が終わったところで、ダウンタウンにあるService Canada(窓口省とでもいうのかな)へ思いつく限りの書類のコピーを持ち込んで、どれを添付するのか聞いて、ついでに証明をしてもらって来れば誕生日の6ヵ月前には間に合いそうだから、一番手っ取り早いかな。はて、「お年寄り」になるのって、ずいぶん手間がかかるもんだなあ・・・。

ポジティブ過ぎると言われても

10月10日。水曜日。寒いっ!ポーチの温度計は正午過ぎでやっと10度。感謝祭の連休の間、まるで夏の名残りみたいないい天気だったのに、何で急に平年並み以下になっちゃうの?今日はお掃除デーだから、正午前に起床。いつものように朝食の最中にシーラとヴァルが来て、二階とベースメントに分かれて掃除を始め、わんこのレクシーはキッチンの私たちの周りをうろうろ。

食事が終わったら、すぐに着替えてモールへ。ばたばたしているうちに銀行へ行って掃除代や当座の現金を下ろすのを忘れていた。いつも1ヵ月分をまとめて先払いしているけど、隔週の掃除は今月は2回。当座の現金は少額の買い物や電車代などを決済するためだけど、普通はまとめ買いしてクレジットカードで決済するので、月に100ドルもあれば間に合ってしまう。その代わり毎月のクレジットカードの請求はけっこう大きいけど、概ねカレシの年金の範囲内に納まっているから、どんぶり勘定としては上々の部類に入るかな。結婚したての頃は家計簿的なものをつけていたし、共働きになってからはカレシの給料が生活費の基本だったし、家を買ってからはローンの繰上げ返済を目指して5年間の長期予算を立てていたんだけど、ワタシがバカ稼ぎするようになってから「どんぶり勘定」になってしまった。でもまあ、40年近く家計を回していると互いの金銭感覚がわかって、収支の勘も培われるらしいから、どんぶり勘定でも今のところは問題はないけど・・・。

次の仕事にかかる前にちょっとぐうたらしていたら、gooのページに、題して『ポジティブ過ぎて面倒くさい人の特徴』ランキングというのがあって、おもしろそうなので覗いてみた。いきなり「ポジティブシンキング」は・・・はっ?Positive sinking?ポジティブ過ぎて沈没する?と、1拍おいてどうやら「positive thinking」のことだとわかったけど、沈没がポジティブなわけがないし、「ポジティブ思考」じゃダメなのかなあ。まあ、カタカナ語の方がカッコいいと思われるのかな。ランキングの第1位は「遠回しにダメ出ししても全く伝わらない」。う~ん。第2位は「自慢話が多い」。ふ~ん。第3位は「声が大きい」。へえ。第4位「嫌いは好きの裏返しだと思っている」。はあ第5位「直接的な言葉でダメ出ししても受け流される」。ふむ。第6位「仕切り魔」。あ、そう。第7位「人が話をしているのに、関係ない話題をかぶせてくる」。何、それ?第8位は「何にでもいちいちリアクションしてしまう」で、第9位「他人の感情の機微に疎い」、第10位「失敗を気にしないので、作業にミスが多い」と続く。

ポジティブシンキングが過ぎるとこういう「面倒くさい人」になるという指摘なんだろうけど、ワタシが想定する「ポジティブな人」とはずいぶん違うなあ。ちなみに、11位以下をざっと見渡してみると、「ダメな部分を指摘されると「嫉妬」と受け止める」、「「若く見えますね」などのお世辞をすぐ真に受ける」、「ウソをウソと見抜けない」、「本人は気づいていないが、相当なかまってちゃんである」、「苦手なことも長所のうちととらえている」、「早口すぎて何を言っているのかわからない」、「嫌なことをすぐ忘れられるから、忘れっぽいのは長所ととらえている」などなど、延々と30位まで続く。ふ~ん、よっぽどいわゆる「ポジティブな人」が気に触るんだなあ。でも、過ぎたるは及ばざるが如しとは言うけど、こういうのが「ポジティブ過ぎる」人の特徴だと言われてもねえ・・・。

アメリカのメイヨ・クリニックによると、「ポジティブ思考」になると、寿命が延び、鬱になりにくく、深く悩まず、風邪に対する抵抗力が付き、心身の健康度が高くなり、心血管系疾患で死ぬ危険が減り、困難に直面したり、ストレスになったときの対処能力が向上するそうで、いいことだらけだけど、これが過ぎると(おそらく「ネガティブシンキング」の人たちに)「めんどうくさい人」というラベルを貼られてしまうということなのか。よくわからないから、もう一度第1位から30位まで読み直してみると、人の話を聞いていない(聞かない)、自己中、鈍感、天然・・・。ふむ、ポジティブ思考の人と言うよりも、単に「ノンシンキングな人」という感じがするんだけどな。Non-thinkingなら「考えない人」、non-sinkingなら「沈まずにコルクのようにプカプカと浮いている人」かな。そういう人だったら、たしかに付き合うのがけっこうめんどうかもしれないとは思うけど、とどのつまりは、ネガティブな人にとっては「疲れるだけでめんどうくさいから付き合いたくない人」ってことじゃないのかな。

メイヨ・クリニックのポジティブ思考のご利益を裏返すと、「ネガティブ思考」は寿命を縮め、鬱になりやすく、悩みが大きくなり、風邪を引きやすく、心身ともに不健康がちで、心血管系疾患で死ぬ確率が高くなり、困難やストレスに対処する力が足りなくて、心(マスト)が折れて沈没する。何だか人生の見通しがあまり良くない感じだから、もう少しポジティブに・・・と言いたいところだけど、これも「ポジティブ過ぎて面倒くさい人の特徴」にランクされていたから、たぶん伝わらないだろうなあ。ポジティブ過ぎとネガティブ過ぎとで、まあ、両極端は相通ずというところかも・・・。


2012年9月~その2

2012年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
飛べないけれどもビジネスクラスの気分

9月16日。日曜日。よく寝たけど、まだ腰が痛い。それでも、きのう遊んだ分だけ気分は元気で、朝食後にさっそくカレシのリクエストでラタトゥイユを作り始める。小ぶりのナスが2個、ズッキーニが2本、トマトの缶詰2個で、ミニのスロークッカー2つ分をまとめて作る。ハーブはあまり使わずに、たっぷりのにんにくと赤ワイン酢、白ワイン、砂糖、胡椒だけでさっぱりした味になる。

ラタトゥイユがゆっくりと煮えている間にワタシはちょこっと仕事。半年以上やっている民事訴訟。日本では双方の弁護士が法廷に出向いて主張や議論をやる代わりに、たいがいの訴訟は要点を書いた紙をやり取りするらしい。おかげさまで、少なくとも一方の当事者が外国人だったり、外国人の権益が絡んでいると、ワタシのような翻訳者がご飯を食べることができる・・・。

きのう買って来た松たけをスライスしてフライにすることにしたけど、汁気のあるラタトゥイユと同じ皿に載せるのはちょっと困りもの。どうしようかと考えているうちに、よし、今夜はさっぱり飛ばない極楽とんぼ航空をちょっと飛ばしてみることにした。

今日のメニュー:
 えびの突き出し風(チリマヨネーズとゆず胡椒ソースの2種類)
 ラタトゥイユ
 イカのリングと松たけのフライ、コリアンダーの葉とレモン添え、
                      蒸したサヤインゲン
 (サラダ)

[写真] 松たけスライス4枚では溶き卵が余ってしまうので、きのうひと袋買って来たばかりのリングにスライスしたイカを6個出して解凍。ついでに目に留まったえびも解凍。イカは別のスープを使うので使わないインスタントラーメンの粉末スープを少々絡めてマリネート。揚げ物は少量にしておけばおなかにどさっとたまらないからいい。きのう使い残したカレシ菜園のサヤインゲンを蒸して、大きなお盆にそれぞれを小皿に盛ってテーブルへ。これならせっかくカリっと揚がった松たけがラタトゥイユの汁でべちゃっとなってしまわずに済むし、食べるのもけっこう楽しい。

では、はいつも視界良好、天候良好で揺れない極楽とんぼ航空000便は(どこへ行くのかパイロットにもわからない盲飛行だけど)まもなく着陸態勢に入りま~す。カレシはあっという間に全部ぺろりと平らげてしまったけど、シートベルト、締められる・・・?

出不精の2人がでかけると

9月17日。月曜日。今日も暑めで、カレシがいつの間にかエアコンをオンにしていた。天気予報は晴れ、晴れ、晴れ。予報最高気温は23~25度。平年並みだと18度前後だから、残暑どころかまさに夏、継続・・・。

朝食後、まっさきに今日の午後5時が期限の仕事を片付けて、送信。カレシがコードにつまづいて壊したUSBポートを修理できるかどうかBest Buyに持って行ってみるというので、おつき合い。前に聞いたときは部品があるという話だったけど、果たして取り替えてもらえるのかどうか。カレシがサービスのカウンターで話をしている間、ワタシはとなりのCanadian Tireをぶらぶら。量販店ではあるけど、郊外と違ってこのあたりの店は単身世帯や子なし世帯向けの小型の家電をけっこう置いてある。対流式のトースターオーブンが欲しいなあ。小さめのフライヤーも欲しいなあ。小さめのスロークッカーも欲しいなあ。だけど、最終的に買ったのはカレシが欲しがっていた新しいコーヒーミル・・・。

パネルを開けてみたら、修理不能で部品交換が必要と言う診断だったそうで、結局メーカーのDellに部品があるかどうか問い合わせなければ交換できるかどうかもわからないとうことになって、修理はお預け。カレシ曰く、「ペーパーワークの方が時間がかかったよ」。カレシがDellのカナダ会社に電話したときはアメリカから持って来れるかどうかわからないと言っていたから、いくら大手の量販店でもたぶんダメだろうな。まあ、ちょっと不便なだけで別に困ることはないらしいからいいんだけど、ほんとに近頃はメーカーが「修理」というものをしなくなったような気がする。新しいのを買えってことか・・・。

駐車メーターの残り時間20分。カレシが生垣のトリマーを買いたいというので、コインを足して1時間に延長。Home Depotでひとつだけ残っていた充電式のヘッジトリマーを買って、カレシ曰く、「ここんところ、ずいぶんいろいろと買い物をしたねえ」。うん、ほんと。食料の買出し以外は家にこもってめったに出かけない2人が食料以外の買い物に出かけると、あれもいる、これもいるということになる。あれやこれやが必要だとか、欲しいとか言いながらもなかなか重い腰を上げないからこうなるんで、まあ、しょうがない。それでも一見してかなり浪費しているようで、クレジットカードの請求を見るとだいたいカレシの年金の範囲内に納まっているからおもしろい。節約はせず、かといって特に浪費と言えるほどの浪費もせず。ワタシたちって、もしからしたら小売業界にはあんがい面白味のない消費者かも・・・。

メーターの残り25分。ジンを買いに道路を渡って酒屋へ。妊婦は飲酒しないようにという、若いカップルを使った啓蒙ポスターがあって、ふと女性は白人(東欧系かな?)、男性はアジア系なのに気がついた。そういえば、ある銀行のウィンドウを覆っている宣伝ポスターも、男性が白人、女性がアジア系のカップルがモデルだったし、異人種カップルがモデルになっている広告にはお目にかかることが多くなったな。他民族都市バンクーバーは異人種カップルの比率がかなり高いので、見慣れてしまって違和感を持つ人はあまりいない。(人種が違うカップルを見ると即「国際結婚」と思うのは日本だけの観念だと思う。冬季オリンピックのときにも、日本の大手新聞がバンクーバーを「多国籍都市」と呼んでいたけど、他民族=多国籍という等式ができあがっているんだろうな。)ちなみに2006年の国勢調査によると、カナダでの異人種婚の比率は、白人以外の移民一世で12%、二世は51%、三世の世代になると69%に達するそうで、広告ポスターがそういう人口構成を反映するようになったのは良いことだと思うな。

帰って来て、納品したファイルがちゃんと届いたかどうかをチェックしたら、入れ替わりにラッシュの仕事。ま~た裁判書類だ。日本の裁判はもっぱら文書で弁論をやるような感じだな。それにしても、大きいなあ。しかも、たっぷり2日はかかりそうな量があるのに、それをった1日半でやるの?あ~あ、何だかいきなりたすきがけのねじり鉢巻モード。ま、いっちょがんばるか・・・。

ひとり暮らしが新しいステータスシンボル

9月19日。水曜日。午前11時半起床。暑くなりそうな予感。もぞもぞと身支度をして、キッチンに下りて、カレシがきのうのパスタソースはほんとにうまかったな」と言っているのを半分夢うつつに聞いて・・・きのうはびっしり仕事に頭を使ったので、とにかく眠い。ふだんのペースを50%アップして、なんとか期限に間に合いそうなところまでこぎつけたけど、手の関節炎がしくしく・・・。

なにしろ、原稿が何とか国際協定がなんたらかんたら、何とか条約の第何条にああたらこうたらと、やたらと引用するもので、それだけで頭痛がして来るのに、引用は日本語だから、それ英語に訳さなければならない。自分で訳してもいいけど(昔はそうするしかなかった)、今はインターネットと言う便利な「教えてちゃん」ツールがある時代だから、仕事の効率化のため(つまり、めんどうを省くため)にも、まずは必死でググリまくって原文を探す。なんとまあ国際条約や国際協定の数の多いこと!そして、条約や協定をこと細かに解説する文書や本やウェブサイトの多いこと!それでも(というか、それだからこそなのかもしれないけど)もめごとは起きるし、戦争も起きるし、騙し合いや殺し合いも起きるんだから、人間というのは何をかいわんやだな、まったく。

今日、去年の国勢調査の結果のうちで、家族構成に関するデータが発表された。事実婚世帯や単親家庭が増えて、比例して法律婚世帯の割合が低下。単親家庭で増加が目立ったのが「シングルファザー」の家庭。最近は子育てに積極的に関与する男性が増えているそうだから、離婚家庭の場合は親権は共同でも子供は父親と住むケースが増えているんだろうな。同性カップルの割合が増え、そのうちでも(合法化に伴って)法律婚が飛躍的に増加。既婚世帯では子なし夫婦の割合(35.1%)が子供のいる夫婦の割合(31.9%)よりも高くなった。成人しても親と同居している年令20歳から29歳の割合は42.3%。失業や離婚などで親元に戻った成人の子供を「ブーメランキッズ」と呼ぶけど、子供が配偶者連れで同居している世帯は2.1%。ただし、夫婦で同居と言っても日本の「同居」とはちょっと違って、親の家に間借りする形になる。大都市ほど20代になっても親と同居している割合が高いのは、自立したくてもひとりでは家賃などの生活費をまかない切れなくなって来たからだろうな。

そういえば、カナダの新聞サイトに若い人たちの間で「ひとり暮らし」がひとつのステータスシンボルになりつつあるという記事があった。ルームメイトとの共同生活や交際相手との同棲が若い世代のごくふつうの生活様式になっている今、あえて「ひとり暮らし」を選択する人たちが増えているというのはおもしろい。これまで孤独な存在でかわいそうと同情されることが多かった「ひとり暮らし」を選択する最大の理由は「Because I can(自分にはそれができるから)」なんだそうな。つまり、自分にはアパートを借りるかコンドミニアムを買うかして、独立したライフスタイルを構築できるだけの所得があるから「ひとり暮らし」を選ぶということらしい。世界的な景気の停滞で失業率も高止まりし、多額の学生ローンの返済に追われて経済的に苦しい若い人たちが多い中で、自活を可能にする余裕があるということがステータスシンボルになるんだろうな。

現代人の「三種の神器」とも言える「自由」、「自己管理」、「自己実現」を促進し、大人になったと実感させてくれるのが今どきの「ひとり暮らし」で、経済的に少々きつくても工夫によってひとり暮らしを心豊かに楽しむ男女が増えているという。自分の城を持ったおひとり様たちにとって、ひとりでいたければひとりで、ひとりでいたくないときは友だちと一緒というライフスタイルはある意味ぜいたくな生活で、結婚はひとつのオプション。記事に登場した若い女性(30歳)は「誰かに出会って結婚したらそれはそれですばらしいけど、そうならなくてもひとりで生きて行くことに不安はない」と胸を張っていた。

対照的に、日本の新聞サイトを見ると、婚活会社の広告で、前はヨメさんを欲しがっていた冴えない独身クンのコピーが「オレ、ずっと独身で頑張るの?」に変わっていて、ある記事のページを開いたら「そろそろ結婚とかどうなの?」と「おかん」が心配しているという漫画になり、別の記事を見たらその「おかん」がさっぱり結婚する気配のない息子に「いい年して友達と遊んでばっかりで!」と拳骨を振り上げて怒っている。日本では大学生の就活に関わる親が増えたという記事をどこかで読んだけど、「おかん」はとうとう息子の婚活にも乗り出して来たというわけか。まあ、結婚観が根本的に違っているということもあるけど、自立した大人の「ひとり暮らし」がステータスシンボルになる日はまだまだ遠いみたいだなあ・・・。

フリーザーがもう1台あれば

9月20日。木曜日。今日はカレシの英語教室があるので午前11時半に目覚ましをかけておいたのに、何だか涼しい感じがしてそれより先に目が覚めてしまった。いつの間にかカレシがエアコンをオンにしたらしい。寝なおしの時間がないので、そのまま起床。このインディアンサマー、いつまで続くのかなあ・・・。

カレシを送り出して、メールをチェックしてから、運動がてらモールまでてくてく。真っ先にアンナとジュゼッペがいるサロンへ。ジュゼッペが「ほお、ずいぶん伸びたねえ」。それを聞いたアンナが「伸びすぎっ!」うん、そのうち、そのうちと思っているうちに髪が伸びすぎて手に負えないの。もう。伸びすぎてじゃまっけ。パスポートの写真を撮らなければならないから、何とかして・・・ということで、土曜日の午後に予約。長すぎるから、いつもと逆の手順でまずジュゼッペがカットしてから、アンナがカラーを入れる。良かった。これで来週は見苦しくないかっこうで芝居と友だちとのランチにでかけられる。

次にモールの郵便局。私書箱はカタログがぎっしり。ははあ、クリスマス商戦の火蓋が切って落とされる予兆。たくさんあって重いのでモールのベンチに陣取って、アドレスをむしり取ったカタログを積み上げて、ささっと立ち去る。手に取ってみる人がいるかどうか知らないけど、興味のある人はど~ぞ。ずっと閉店セールをやっているキッチン用品店に何かいいものが残っているかどうかチェック。まあ、残り物には福があるというから。すてきな赤の楕円形のおひとり様用キャセロールを2個。シリコーンの油はね防止用のふたを2枚。ぜんぶ75%オフ。トートバッグが重くなったけど、その足でセーフウェイへ。カレシが寝酒の肴にチーズがいいというので、粒胡椒入りのグーダと緑の胡椒入りのハヴァーティ、それとプロシュットを巻き込んだモッツァレラのロール。ついでにワタシ用に丸いブリー。

フリーザーにはでっかい七面鳥の山。10月8日はカナダの感謝祭。ご馳走を考えなくちゃね。2人だけだから鴨にしようかなあ。ま、考えておかなきゃ。長~いフリーザーに沿って中を覗いて歩いていたら、おお、ズワイガニの足の身。もちろん、ズワイガニもどき。カレシが気に入っておやつや肴にするので、1キロ近い大袋を2つ。ついでにニシンの酢漬けの大瓶。だんだんバスケットが重くなって来た。メキシコ風味とプレーンの「ひき肉もどき」を買い、インスタントラーメンを買って、最後に歯磨き。前回うっかりいつもとは違うブランドのを買って、そのせいかこのところずっと口の中の粘膜が荒れてヒリヒリ。一種のアレルギーかもしれないから、いつものブランドに代えたら解決するかどうか実験。ドナルドダックの口になってはかっこ悪いもの。トートバッグはすでに重いし、バスケットもそれ以上にずっしりと重くなったので、携帯を取り出して、「カレシ」タクシーを呼ぶ・・・。

カレシ菜園のトマトとサヤインゲンは人の気も知らずにどんどん熟するもので、少々手に負えなくなって来た感じ。特にトマトは真っ赤に熟れたのがカウンターに30個くらいごろごろ。カレシ特製のV3ジュースがおいしかったから、また作って漉しかすを冷凍すればいいな。それとパスタソースも作ってね、食べきれないほどできたらそれも冷凍すればいいから。だけど、あんまりたくさん作ったらフリーザーに入り切らなくなるなあ。いっそのこと、貯蔵用フリーザーをもうひとつ買おうか。とりあえずカレシに提案したら「置く場所がないよ」。たしかに。でも、ベースメントの廊下をつぶして作った納戸に押し込んであるガラクタを始末すればキッチンのと同じ200リットルのフリーザーを置けると思うし、もうひとつあればサケや鴨(や鶏や七面鳥)を丸ごとストックできるし、野菜が採れすぎたら保存処理して冷凍しておけるねえ。それと、自家製のトマトソースとかも。(お、カレシ、だんだん乗り気になって来たような感じ・・・。)

男が料理をすると

9月21日。金曜日。目が覚めて、うわっ、寒い!思わず暑がりのカレシが早々とエアコンをオンにしたのかと思ったけど、エアコンはまったくの音なし。正午を過ぎていたので起き出して、サーモスタットを見たら華氏であと3度下がったら自動的にヒーターが入るところ。何でこんなにいきなり寒くなるの?

日本が土曜日なので、金曜日と土曜日が実質的にワタシの「週末」。まだ「未決箱」に残っている仕事は月曜日に回すことにして、この週末はダウンタイム。エイミスの『Lucky Jim』を読み終わったので、今度はH.E.ベイツの『The Darling Buds of May』。20年ちょっと前にイギリスでテレビシリーズになって、長女マリエットを演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズのハリウッドスターへの道を開いた。まずのっけから総勢8人のラーキン一家の超が付く大らかさぶり。そこへロンドンから来た冴えない徴税官が(所得税の申告をしていない)ラーキン親父に申告書を書かせようと躍起になるものの、親父にはのらりくらりとはぐらかされ、マリエットにはほんわかと誘惑され、親父に何杯もカクテルを飲まされ、とうとう帰れなくなって泊まることに。しかもマリエットのパジャマで・・・。さて、どうなることやら、読んでのお楽しみ。

今日はカレシがキッチンでトマトソース作り。セカンドキッチンのカウンターやラックを占領しているトマトの数を数えてみたら34個もあった。少なくとも4種類の違ったトマト。最初は名前を書いた札を立てていたのが、植え替えしたりしているうちにどれがどれだかわからなくなったそうで、ひと目で見て識別できるのは「Black Russian」くらいのもの。でもまあ、種類が何であれトマトはトマトに変わりがないし、勝手にどんどん赤くなる。(菜園にはまだいったいどのくらいあるやら。)特に大きくていびつなのを5、6個選んで、庭からバジルをひとつかみ採ってきて、玉ねぎ、セロリ、ピーマン、にんじん、にんにくを冷蔵庫から出して来て、塩コショウの調味料も手近にそろえて、カレシ専用のカウンターで「男の料理」の始まり。

[写真] 作業開始・・・ 前にもやったから慣れたもんさ。
[写真] 切って・・・ うう、玉ねぎで目がうるうるして、もう手元がかすんで来たぞ。
[写真] 刻んで・・・ セロリをざくざく。細かく刻むものが多くてタイヘンだ・・・。
[写真] かき混ぜて・・・ とろ火ってのはじれったいなあ・・・。
[写真] できた! あんなにたくさん入れたのに、こんなに減った。このままでも・・・。

まだトマトの皮やセロリの筋、バジルの茎が残っているので、まずざっとピューレ。(熱いなべの中で使えるワタシのハンドミキサーを貸してあげた。)目の粗いプラスチックのざるを使って固形分を漉す作業に入ったけど、なかなかすんなりと行かない。そこで、ワタシがじゃがいも潰しに使っているカクテル用のマドラーを持ち出して来て、ごしごし、ごりごり。「そんなこと、レシピに書いてなかったよ」とカレシ。(まあねえ、食材そのものにばらつきがあるんだから、レシピというのは単なる「枠組み」だと思って、その場その場で考えながら調理する方がわりと失敗が少ないように思うけどね。)漉せるだけの固形分を取り除いたら滑らかなソースのできあがり。あとは冷ましてからフリーザー用の袋に小分けして冷凍保存。3回分くらいあるかな。冬の間、このトマトソースをベースにして、パスタを楽しもうという心づもり。

まだまだラックにごろごろとある赤いトマトを見て、「この冬は必ず納戸のガラクタを整理する。約束するから、もう1台フリーザーを買えよ」と。お、いいね!ばんざ~い!

車を売るのはやめた

9月22日。土曜日。午前11時半、目覚ましで起床。秋分の日で、今日から公式に「秋」が始まる。朝方にちょっとだけ雨が降ったらしい。ポーチの気温は14度。ついおとといくらいまでは気温が平年より5度くらい高かったのに、今度は5度くらい低い。どうして?

今日はヘアカットの予約があるので、大急ぎで身支度をして、大急ぎで朝食。土曜日の昼だからモールの駐車場は混んでいると思って、急ぎ足で歩いて行くつもりで靴を履いていたら、カレシが「送って行くつもりだったのに」。それを早く言ってくれればいいのに、もう。帰りに切らしている玉ねぎを買ってくるねと言ったら、「あ、にんじんも。それとセロリ。それから、ジュースもなくなりそうだし・・・」。おいおい。結局、ヘアカットが終わったら電話して、スーパーで落ち合うことになった。

いやに積極的にタクシーサービスを買って出てくれるのは、車を売るのをやめたからだろうな。3、4日前に「車を売って、トラックは買い替えず、カーシェアリングに登録して、人を乗せるときに利用する」ということで話がまとまって、タイミング良く前に問い合せて来た人から買う気満々の留守電が入っていた。なるほど、いざ買い手がついたとたんに手放したくない心境になったというわけか。(売れるとわかったんだから、今売らなくてもいい・・・と。)まあ、そこがカレシらしいところなんだけど、じゃあトラックを処分するのかと聞いたら、「あれはオレのベイビーだからダメ」。ということは白紙に戻って現状維持。出不精の2人に車2台は不要ということで売ろうとしたんだから、2台ともキープするんだったら両方を適度に走らせないとダメだよと、こんこん?と諭して「不精せずに出かけてバッテリが上がらないようにする」という約束を取り付けた。それで今のところはいそいそとタクシーサービスをしてくれる、ということらしい。

だけど、いつまで現状維持できるのかなあ。どう考えたって、近くに地下鉄の駅ができた今では、ワタシたち出不精な2人には車とトラックは不要で、どちらか1台でも十分すぎるくらいだと思う。でも、カレシには、そのあたりを理性では理解していても、心の深いところで「自分のもの」を手放すこと、あるいは自分から離れて行くことにパニックに近いストレスを感じるらしいところがある。モノを捨てられない人はストーカーの素因があると言われるし、一説にはADHD(注意欠陥多動性障害)があるとも言われるし、見捨てられ不安のようなものがあって心理的に不安定だったり、気になることが頭から離れない強迫傾向の強い人が多いとも言われるけど、カレシの「手放したくない」心理の根っこにはそうした要素が少なからずあるように思う。

もっとも、ヨーロッパではどうなのか知らないけど、北アメリカでは趣味は何かと聞かれて「ドライブ」と答える人はまずいないから、よっぽどのカーキチとか、ランボルギーニやフェラーリを持っているなら別だけど、普通の人で車を走らせること自体を目的にして出かける人はいない。カレシも生来めんどうくさがりだから、そのうちに「出かけるのめんどくせ~」が打ち勝って、いざと言うときにバッテリが上がっているということになるんじゃないかと思うけど。ま、とりあえず、これからカレシとバッテリを充電するための「ドライブ」をする機会が増えて、2人だけの空間でのクオリティタイムができれば、当面だけでもエコーを売るのを取り止めにしたことで、逆に恩恵があるかも・・・。

人口構成と国の将来性の関係

9月23日。日曜日。よく眠れた気分で、起床は午後12時半。毛布を取り替えたおかげかな。子供は「寝る子は育つ」で大いにけっこうなんだけど、大人になると逆に「寝ない子は育つ」ということになるらしいから、望ましくない方向に育たないようにするには、何よりもしっかり睡眠を取ることが大切(なんだそうな)。

今日のNational Postに、アルバータ州バンフで開かれていた会議での人口統計学者の講演の記事があって、人口動態統計学の観点から世界各国の経済成長性を予測していた。要は、経済発展とその持続の鍵を握るのは人口構成における若者と老人のバランスだという話で、なかなかおもしろい。まず、「アラブの春」の勃発は若年人口の失業率の高さから予測できたとし、これらの諸国での出生率の急上昇と女性の教育水準の低さによって若年層の就職難が恒久化されるから、独裁政権が倒れた後も不安定な状態が続き、民主化が進まないことも予測し得たという。これら諸国に比べると、トルコとイランは女性の教育水準が高く、出生率は低めで、若年層と老年層のバランスが取れているので将来性は高い。ただし、イランでは政治がせっかくの経済的成功を台無しにしているとか。

大規模経済の中で、ドイツ、ロシア、日本は高齢化があまりにも急速で、衰退あるのみ。(やけにあっさり言ってくれるなあ・・・。)ただし、ドイツは積極的な自動化による生産性の向上で高齢化を克服し、輸出を通じた経済成長を実現している。ヨーロッパ全体を見ると、南欧は出生率、経済活動共に「絶望的」で、社会政策によって出生率を維持して来たフランスと北欧は例外的存在。中国は一人っ子政策によって若年層が縮小して相対的に高齢化が進むものの、日本がそうだったように高級市場へ移行して付加価値製品を作れば豊かになれる。でも、若年層の人口が多ければいいというものでもなく、中国と並んで注目されているインドは、その大人口が市場で言われるような競争力の源泉にはならず、将来は失業が増えて政情不安が起きる危険性を抱えているそうな。

もっとも、人口構成だけが経済成長の成否を占うわけではなく、政治の役割がきわめて大きい。(そりゃ当然だな。)政治を勘案すると、最も将来性が見込まれるのはブラジル、トルコ、メキシコで、インドネシアとベトナムは人口構成から見ると有望でも政策が足を引っ張っている。人口の多い国で人口構成と政策がうまくかみ合っているのはアメリカとブラジル。北米自由貿易協定(NAFTA)3国ではメキシコが一番「若く」、アメリカも比較的若いけど、カナダは急速に高齢化しつつあり、年間25万人の移民を受け入れ続けても追いつかない。カナダの移民大臣が外国人留学生の受け入れ拡大を検討しているのは、少子化による大学入学者の減少を埋められるだけでなく、留学生たちが将来カナダに移民として戻ってくる可能性に期待を寄せているからだとか。

ケニー移民大臣は一番近いメキシコが狙い目だと考えているそうだけど、最近イギリスで大問題になったような、金儲けが目当ての「お留学ビジネス」が、ただ「移民権」なるもの(そんなものないんだけど)が欲しいだけでカナダなんかに興味はないという「なんちゃって移民」希望者を留学生として送り込むのを阻止する方策さえしっかり講じれば、カナダの将来のためにもいいアイデアだと思う。たしかに、外国人留学生の教育はカナダ側の負担にはならないし、卒業する頃には移民を悩ます「言葉の壁」もなくなっているだろうし、カナダの文化や社会習慣も経験済みだから、カナダ社会に根を下ろしやすいかもしれない。実際に、留学が終わってもそのままカナダに留まりたいという人たちは多い。大学を卒業した後で一定期間の就労許可をもらえる制度もあるし、カナダでの就学就労経験によって優先的に永住権を得ることもできるから、帰国しても戻って来やすいと思う。でも、あくまでもカナダを選んでくれた人を優先すべきで、ふらふらした「腰かけ移民」は人口構成がどうであっても願い下げにしておいた方がいいと思うけど。

講演は「老年人口はより多くの電気とガスを消費し、スポーツをする人が減り、スポーツの試合を見に出かけることも少なくなり、ゴルフ人口は増えるが、テニスやホッケーは減り、フィットネス教室やガーデニング、散歩を好む」から、上は国から下は市町村まで、行政はその政策決定に人口動態統計の現実を反映させなければならないと言っている。それは言うまでもないことだと思うんだけど、バンクーバーなんかマイホームが高嶺の花だったりして若年層には住みにくいところなのに、市政の中心が「若い」もので、やれ自転車専用レーンを増やすとか、何とかと若年層向けの施策が多い。老年層の入り口にいて、年金受給申請書を書き始めたワタシとしては、自転車レーンなんかよりも電動車椅子が楽々すれ違えるように歩道を拡張してくれた方がいいと思うんだけど・・・。

ちょっぴりノスタルジックなご飯

9月24日。9月23日(日曜日)‐えびとたけのこのチリソース炒め、サヤインゲンの唐辛子炒め、ゆかり麦ご飯、サラダ

[写真] 冷蔵庫をかき回して在庫調べをしていたら、真空パックのたけのこが出てきた。さて、何を作れるかなあと考えて、車えびとペアリングすることにした。殻なしの車えびを解凍しておいて、久しぶりに電気中華なべを持ち出して、少し残ったアスパラガスも加えて炒め、にんにく風味のチリソースで中華風の味付け。サヤインゲンは太いのを斜めにスライスして、ごま油で炒めて、醤油と七味唐辛子、かつおぶしで味付け。ずっと昔に母がよく作ってくれた味に近いと思うけど、どうかなあ。ワタシが「嫁入り前の娘」だった頃、食事の支度を手伝っていたときに、母が鍋の出汁を箸の先ですくってワタシの掌に落とし、「この味を舌に覚えさせなさい」と言ったことがあった。神妙に手をなめて、わかったと言ったワタシ。「その味だからね」とうれしそうにうなずいた母の顔が何となく浮かんで来た・・・。

9月24日(月曜日)-豚(ぶた)汁、ししとうご飯(雑穀ご飯)、蒸した青梗菜、トマトサラダ

[写真] きのう冷蔵庫の在庫調べをしたときに出て来たごぼうとししとうの使い残し。ちょっと古いけど、どっちもまだ大丈夫。食べられるうちに食べてしまおうと、使い道を考えていて思いついたのが「豚汁」。きのう出汁の味を舌で覚えさせられたことを思い出して、舌がなんだかノスタルジックになっているのかな。大根があるし、にんじんがあるし、小さいじゃがいももあるし、味噌もある。豚肉はブルゴキ用の薄切りがあるから、材料は揃っている。ということで、今夜は豚汁・・・。

どうやら「豚汁」にはご当地レシピがいろいろとあるらしく、津軽海峡以南では「とんじる」と呼ぶところが多いらしいと知ったのはけっこう最近のことで、里芋が入った「とんじる」というのは未だかって食べたことがない。(里芋はあまり好きじゃないし・・・。)ワタシが食べて育った北海道の豚汁はほこほこしたじゃがいもが入っている「ぶたじる」。津軽海峡以南には「芋煮会」という行楽があると、これもごく最近になって知ったけど、北海道ではたぶん「ぶたじる会」ということになるのかな。(そういえば、日本ではお弁当を持って出かけたことはあっても、野外で料理した経験はないような・・・。)どっちにしても、秋の風物詩だそうだから、収穫を祝う感謝祭の饗宴の日本版というところか。

カレシ菜園で収穫したサヤインゲンも加えて、ほんっとに久しぶりに食べた道産子風「ぶた汁」は格別においしかった!(塩分の摂り過ぎにうるさいカレシが味噌汁をきれいに飲んでしまったからびっくり。)

ガラパゴスのゾウガメと冷蔵庫

9月25日。火曜日。なぜか身体がなかなか楽にならなくて寝返りばかり。おかげでよく眠れなかったのに、カレシに起こされて、寝ぼけたままでしばしの間いっちゃいっちゃ。「腹減った。起きよう」って、ワタシは眠いのよ。眠いけど、もうひと眠りするには中途半端な時間だしなあ・・・。

のんびり納期の仕事のその納期が今週いっぱいと言うところまで迫って来て、やっときのうから作業開始。そこまでは良かったんだけど、何だ、これ?アルファベットスープみたいに数式がぞろぞろ出て来るすごく長ったらしい論文。数式は訳さなくてもいいとしても、どうやら数学だか経済学だかのモデル理論か何かの何とか分析のようで、チンプンカンプンもいいところ。おまけに日本語の文章が何ともわかりにくいので、よけいにチンプンカンプン。あ~あ、し~らない。量的に2日で済むだろうと高を括っていたけど、3日はたっぷりかかりそう。とりあえず、半日キーワードでググリまくって、集めた資料を読みまくって、基礎知識の仕込み。ま、おぼろげながらもどうやら数学ではなくて、数学的な経済学の話だと結論。

こんなややこしいことを常日頃あれこれと考えるだけでも頭がどうにかなりそうなのに、それを長々と論文に書いて発表しなければならないんだから、学者ってけっこうタイヘンな稼業だなあと思う。「Publish or perish(発表、つまり成果を出せなければ消えるのみ)」という言葉があるけど、世はグローバル時代に成果主義。その論文を世界の学会機関誌に掲載してもらわないことには、成果を出したと見なされずに十分な研究予算をもらえないかもしれないし、何よりも住み慣れた「象牙の塔」に籠っていてはいずれガラパゴスのゾウガメになってしまうかもしれないしね。

この夏だったか、ガラパゴス諸島である島に最後に残ったゾウガメの「ひとりぼっちのジョージ」が死んで、その島のゾウガメは絶滅したと考えられると言うニュースがあった。そのときになぜか思い出したのが、ずっと昔のNHKの子供番組で現代人のレポーターが地球上最後の恐竜の死を「実況中継」していたことがあった。着ぐるみらしい「恐竜」が横たわっていて、ときどき長い首を持ち上げて悲しそうに吼え、やがてガクッと首を落として息絶え、レポーターが「とうとう恐竜が絶滅しました~」みたいなことを言っていた。まあ、子供番組だから子供にわかりやすいように「その瞬間」の中継という形にしたんだろうけど、なぜかワタシは、地球上に栄えた生物種が死に絶えるのを実況で放送するなんて、大人って何だかなあと漠然とした違和感を抱きつつ、地球上最後の人類が死ぬときには「人類絶滅」をレポートする人も、それをテレビで見る人もいないんだなあと、子供心に寂寞とした気分になったような記憶がある。

島国日本についても「ガラパゴス化」が言われるようにだいぶ経つ。携帯電話などが日本市場の事情に合わせて独自に発達しすぎて、気がついてみたら世界の事情と大きく乖離していたからであって、別に技術力が衰退しているわけではないと思う。まあ、法規制やら日本独自の規格やら行政の方針やらに縛られていた結果そうなったんだろうけど、日本の消費者の要求もかなり特異だったということはないのかな。鬱陶しくなるような過剰サービスだって、客を大事にするというよりは、消費者の「サービス」への期待が特異化した結果、そこから外れるとクレームがつくので、それを回避するためにそうしているのではないかと思う。(それで鬱陶しく感じるのかもしれないな。)まあ、日本独特の「察してちゃん」文化にうまく適合しているということかもしれないけど、せりふからスマイルまでが見事に同じなのは、サービスのJIS規格みたいなものがあるのかな・・・。

たとえば、6ドア冷蔵庫。何で冷蔵庫に6つもドアが必要なのかと思ったけど、除菌に除臭に真空何とかになんちゃら機能と実に細かくて、さすがニオイやばい菌に神経質な日本人向けだな。(そのうちパックの「消費期限」を読み取ってピーコピーコと警告してくれるようになったら、ヒットしそう。)おまけに、このドアは野菜、こっちのは肉類、これは氷用と収納領域が決まっていて、温度の設定が別だったりするから、電力消費量がすごそう。(実際に北米のものよりも消費電力が大きいらしい。)北米では未だに昔ながらの2ドアか、冷蔵庫がフレンチになった3ドアを使っていて、家庭用に6ドアなんてのは見たことがない。まあ、こっちにも除菌好きな人はいるけど、ばい菌が気になるならまめに掃除をすればいいし、ニオイ移りが気になるなら密閉容器に入れればいい。つまり、日本のメーカーは使う人がやればいいことまでやってくれて親切なんだろうけど、ところ変わればよけいなお世話だったりするという例だな。もっとも、「そっちのメーカーがずぼらで進化していないだけのことでしょ」と言われたらそれまでなんだけど。

何となくガラパゴスな私

9月26日。水曜日。カレシにつられて正午前に起床。いい天気。このまま月が替わるまで雨が降らなければ、降水量がもっとも少なかった9月として新記録を樹立すると言う話だけど、いつだったか、雨の日の連続記録を更新するかどうかと騒いだことがあって、そのときは今日も降ればタイ記録という日になぜか1滴も雨が降らなくてみんな何となくがっかりしたものだった。マザーネイチャーはむら気だから、もしかしたら9月最後の日にどぼ~っと大雨を降らせたりして・・・。

きのう通販の注文品がどさっと段ボール箱で届いて、今日はさっそく新しいスカートを着用。選んだのはカーゴパンツ風のデザインで、両側にフラップ付きの大きなポケットがついている、ちょっとタイトなミニスカート。とはいってもせいぜい膝上8センチくらい。東京あたりではいていたら「その年でミニスカートはありえないっ」と言われそうだけど、ワタシはこの年になってもミニが好き。ミニスカートやドレスを着ると、なぜか意識的に背筋をすっと伸ばして、おなかをぐっと引っ込めて歩くようになるから不思議。少なくとも良い姿勢を保つ上ではいい運動になっていると思うけど、背筋が伸びるから自然に気持も若やぐのかもしれないな。いくら若くてかわいくたって、背中を丸めて歩いていたら老けて見えるもの。

きのうガラパゴス化のことをごちゃごちゃ書いて、ふと何だかワタシもかなりガラパゴス化しているんじゃないかなあと思ってしまった。もちろんワタシは日本生まれの日本育ちで、人生の最初の27年は日本であたりまえに日本人として暮らしていたし、日本の(旧)文部省の検定教科書で教育を受けたから、日本という国の歴史はちゃんと知っている。ところが、カナダに移り住んでからは自分があまりにも「日本」という国を知らなすぎるのではないかと思うようになった。つまり、ワタシが日本だと思っていたのは「北海道」という島でしかなくて、日本文化だと思っていたのはその北海道の地域文化に過ぎなかったのではないかという疑問を長いこと持ち続けて来た。島国の中の島国とでもいうのか、もしかしたら、ワタシは最初からガラパゴスのゾウガメみたいなものだったのかもしれない。

さらに、生まれ故郷で小学校の同級生たちと昔話をしていてワタシの家庭環境が友だちのそれとはかなり違っていたことを知り、そして「ひとり暮らしが新しいステータス」とという記事を読んで、何だかワタシが育った世界は島国の中の島国の、その中の小さな孤島だったのではないかという気がして来た。小学校時代は普通に友だちと行き来して遊んでいた。転校してからの中学時代にはそういう友だちはひとりだけ。高校を転校してからは学校の外で一緒に遊ぶ友だちはいなかったように思う。新しい土地で成人してからのワタシは何をしていたんだろうな。オフィスと家を往復していただけだったような気がする。ワタシにとっての外界は望遠鏡の視野に見える宇宙と本の中の未知の世界。やれやれ、何だかすごく狭い閉ざされた空間で育てられたような気がしないでもない。

まあ、カレシと結婚することになってやっとその「島国の中の島国の中の小さな島」から出て来たわけだけど、その頃にはすでに「ワタシ規格」にガラパゴス化していたんだろうな。それが元の島から遠く離れたカナダに来て、まったく新しい環境に合わせて37年の間にさらに進化を続けて、自分でも気がつかないうちに日本から見たらとんでもなくおかしな「日本人」に変わってしまったんだろうな。でも、外国にカブれて突然変異したわけじゃないし、伝統的な日本で大人の生活をしたことがないんだから、「日本」のことを知らなくたってしかたがないか。ちょっとググって「へえ、そうなんだ」と知ることができればそれでいいような気がする。何だかずっとガラパゴスだったワタシが自分の島を見つけて、やれやれと腰を落ち着けたということで、それが適者生存と言えるのかどうかわからないけど、もっと年をとってご隠居さんになったら、ガラパゴスのゾウガメみたいにのっそり、のんびり、ゆっくり、まったりで行こうっと。

でも、その前に仕事を片付けてしまわないと・・・。

ネットで寄付と称して物乞い‐その2

9月28日。金曜日。曇り。起床午後12時45分。何だか寝すぎて腰が痛いなあ。きのうは買い物に行けなかったので、今日は切らしているシリアルの代わりにオートミール。涼しくなったから熱々のオートミールにミルクをたっぷりかけて食べるのも乙なもの。きのうは友だちとほんとに久しぶりのランチ(ワタシには朝ごはん)に出かけて、カジノの中にあるブッフェでローストビーフを初め、牛肉ばかりがつがつと食べて来た。楽しくおしゃべりをしながら、どんと肉を食べるともりもりと元気が出るなあ、やっぱり。

でも、帰って来た後は脳みそがぐちゃぐちゃになりそうな仕事の続き。とにかく、この数式であれがこうなって、するとこれがああなるから、今度はこの数式でなんたらかんたら・・・というのが延々30ページ。こういうことを考えるのが仕事の学者さんたちなら何の話をしているのかスパッとわかるんだろうけど、こっちはキーを叩いているうちにおぼろげにわかったようなわからないような気分になって、薄っすらと浮かんできたイメージが頼りの翻訳作業。大学で経済学専攻だったカレシさえ「新しい理論はわからないよ」。それでも、訳上がりを見てもらったら、赤ペンを入れながら「ふむふむ、なるほど、ははあ。だいたいわかるから、まあ合格だな」。カレシが天使に見えたことって今まであったかなあ。難易度はワタシの「確実にできる」自信レベルより2段か3段くらい上だったかもしれないけど、たまにはこういう仕事で背伸びをするのもいい刺激になる。学習には終わりというものがないし・・・。

ファイルを最終的に仕上げて、校正担当者に送って、やれやれとひと息。しばしネットをうろうろ。ふむ、在日外国人のニュースブログにまたぞろヘンなガイジンのヘンな「寄付金募集」の話が載っている。日本で起きていることだけど、日本のメディアにはまず出て来ない話で、この前は九州住まいのアメリカ人が「フクシマの放射能が怖いので、日本人妻共々アメリカに帰るための資金を寄付して」というのだったけど、今度のはビザ切れが見つかって逮捕されたニュージーランド人を助けるために「弁護士を雇う費用を寄付して」という話。SNSの隆盛でサイバー乞食も増殖中というところかな。

でも、今度のはやたらときな臭い。まず、寄付金集めのサイトの写真というのが、ネオングリーンのふわふわしたかつらを被った何とも軽薄そうな顔の人で、SNSを使ったビジネスをしているとか、していないとか。いるか漁のドキュメンタリー(また?)を作るという人の通訳と言う触れ込みで太地に行って、そこで有効な滞在ビザがないことがばれたということらしい。いつから日本にいたのかわからないけど、日本で「一生の恋人」ができて、このまま日本にいたいと言っている、と。だけど、ビザの期限が切れていたなら「不法残留」。間違いなく強制送還だろうな。ま、そのときは自分で飛行機代を払わなければならないから、奇特な人の寄付金は助かるんじゃないかな。でも、ビザの延長を申請したのに日本政府が書類を紛失したために手続きができていなかったと主張しているそうだけど、いったい何のビザ?

何やってんだろうなあと思っていたら、この人を知っていると言うアメリカ人が、「実はニュージーランドには別れた妻と子供が2人いて、日本には3年住んで2人の日本女性との間に子供が2人。一生の恋人(婚約者)というのは3人目。定職はなく、もっぱら活動家ぶってイベントなどに首を突っ込んではただ飯食いをして来た」と裏の事情を投稿。女性にも食べさせてもらっていたということか。ビザはどうやら「観光ビザ」らしく、ニュージーランドはビザ免除国なので実際にはパスポートに貼られる90日の「入国許可」。延長を申請したと言うけど、あれって延長できるのかな。第一、観光ビザでは働けない。(あ、だからただ飯食いだったのか。)それにしても、今の婚約者という女性は「日本で2度結婚して離婚、子供2人」ということを知っているのかな。いや、日本にいた3年間に2度結婚して離婚したというのも嘘っぽいな。だって国際結婚だったら婚姻具備証明書というのが必要で、日本人同士のように婚姻届と離婚届を出せば済むってわけじゃないもの。第一、日本人の配偶者がいるのに正規のビザを取らなかったのかなあ。

いろいろと突っ込みどころ満載なのを指摘されて、今度は「パスポートを所持していなかったのは盗まれたからだ」と言い出したそうで、言い訳がころころ変わるのはまったくもって怪しい。(パスポートを盗まれたらまず警察に届けるでしょう、フツー。)ま、良くして寄生虫、悪くして詐欺師。ニュージーランド行きの航空券を買えるくらいの寄付が集まったそうだから、こんな人は早々に強制退去させちゃった方が日本の(特に女性の)ためだと思うね。

生まれた甥孫はバイリンガルに育つのか

9月29日。土曜日。いい天気だ。今日もシリアルがないから、何年ぶりかで普通にベーコンを焼いて、ついでにトマトもスライスして焼いて、その間にカレシがスクランブルエッグを作って、しっかりと朝ごはん。

メールをチェックして、きのう送ったファイルが無事に届いたことを確認して、シリアルを買いにWhole Foodsへ出かけた。土曜日の午後だから、道路はそれほど混んでいないと思ったのに、この平日のラッシュみたいな混みようは何なんだ?別に連休でもないけど、秋の好日という感じの空模様につられて、買い物に行楽にとみんな出て来たのかな。もう9月も終わりだし・・・。

お気に入りのシリアルを1キロと、オレンジジュースやらランチ用の食材やらを買い込んで帰って来たら、トロントのデイヴィッドからのボイスメールが入っていた。長女のスーザンが午後1時半に第1子を出産。体重3200グラム。35歳の初産だったけど、安産で母子とも元気。ワタシたち、また大伯父さん、大伯母さんになって、これで甥孫、姪孫合わせて5人。だけど、なのだ。赤ちゃんは男の子?女の子?どっち?初孫の誕生で興奮したのかどうか、「kid(子供)」というだけで肝心の情報がない。カレシが電話したら留守電だったので、ちょっといたずら心を起こして「性別が判明したら知らせてくれ」とメッセージ。夕方に返電があって、赤ちゃんは男の子で名前はジャクソン(綴りは今どきっぽくJaxon)。実はかなり前から超音波検査で男の子とわかっていたんだそうな。じゃあ、男の子のお祝いを考えないとね・・・。

スーザンのパートナーのモンティはケベック州の生まれだけど、両親がフランスからの移民一世だったことから、純正フランス語(カナダではケベックのフランス語と区別するために「Parisian French(パリのフランス語)」と呼んでいる)で育ったそうな。本国から離れて何百年も経ったケベックのフランス語とはかなりの違いがあるそうで、子供の頃にはずいぶんいじめにも遭ったらしい。(その後何年も英語圏に住んだので今は完全に英仏バイリンガル。)その純正フランス語をちょいと田舎っぽく崩して話すとケベックのフランス語になるんだそうで、そうやって「Pure laine(純毛)ケベコワ」との摩擦を避けていると笑っていた。フランスでもフランス語の「純血」を守るために「国語審議会」みたいなうるさい組織があるという話だけど、純毛ケベコワのフランス語死守へのこだわりには、ある意味で宗教の原理主義に通じるところがあるようにも感じられる。(ま、自分が属する国や民族の文化や習慣を守るために束になって異端者を排斥しようとする行動そのものが、ワタシには宗教に近いものに見えるけど。)

生まれたばかりのジャクソン君がバイリンガルに育つかどうかはまだわからないけど、最近カナダ政府はこの11月から市民権を取得する人に英語かフランス語の運用能力の証明を要件に加えることになったそうな。市民権(国籍)を持っていても英語/フランス語を話せない人はけっこういる。ワタシが申請した頃には市民権判事と1対1の差し向かいでの面接試験があって、カナダに関する知識について質問に答える仕組みだった。それが移民の数が大幅に増えて対応できなくなった今は4つか5つから正しい答を選ぶという筆記試験になって、英語/フランス語で会話ができなくても、送られて来るガイドブックの内容を暗記すれば合格できるようになった。(それでも不合格になる人がけっこういるらしい。)おかげでカナダの公用語で機能できない「カナダ人」が増えてしまった。まあ、自由党のトルドー政権時代あたりからやたらと条件を緩めて来た結果でもあるんだけど、それでは国として困るから、英語/フランス語が「できる」という証明を求めることにしたらしい。

でも、IELTSにしてもTOEICにしても、(特に試験勉強に長けた日本人の場合は)スコアが高くても必ずしも英語の運用能力が高いということにはならないんだけど、言語能力を正確に測定できる方法はないと思うから、何もしないよりはましというところかな。たかが英語、されど英語で、いくらTOEICのスコアが900点以上あっても、(特に会話という双方向の)コミュニケーションに活用することができなければ、ただの「知識」でしかない。知識は「勉強」すれば受け身でいても取得できるけど、活用となるとそうは問屋が卸さないから難しいところだな。カレシのところにはさっそく口コミで英語教室のことを聞きつけた人たちから入れて欲しいというメールが舞い込み始めているとか。ワタシが来た頃は移民のための英語学校などなかったから、ひたすら活用あるのみだったけど、今考えてみると、そういういきなり深みに飛び込むような環境だったのが幸いしたのかも・・・。

いったいどういう発想なんだろう

9月30日。日曜日。いい天気。普通に起きて、普通に朝ご飯を食べて、さっそく仕事。何しろ、大型台風が東京を吹き抜けている間に、こっちにも大型の「何だ、これ」台風・・・。

どどっと来た2つのファイルの小さい方、パッと見たところは似たりよったりの表がずらり。まあ、Wordのファイルだから、表の扱いは慣れたもんだし、元原稿の量からして普通に4時間もあればできそうだし、似たような項目がたくさんあるから「コピペ」もできそうで、要するに「あ、こんなの軽い、軽い」という感じの仕事・・・のはずだった。ところが、表のセルに見えたのは、実はテキストボックス。日本語と英語の訳文では長さが違うから、元の大きさのボックスには訳文が入り切らないのが普通で、図の中のボックスなら訳文が納まるように大きさを調整すればいいんだけど、これはページいっぱいの大きな表。10個も20個もあるボックスをジグソーパズルみたいに寸分の隙もなくきっちりと組み合わせてきれいな「表」の形にしてあるから、どれかひとつのサイズを1ミリでも変えたら作った人の苦労は水の泡・・・。

いやはや、20年以上ありとあらゆる形式や構成の文書を訳して来て、びっくりするような「何だ、これ」には慣れていたつもりだけど、これはもう芸術品だな。期限が今日の夕方で、どうにもならないことと格闘していてもしょうがないから、原稿を印刷して、まっさらのWordファイルを作って作業。たぶん、書式を作れと命じられた人はWordの表機能の使い方を知らなかったんだろうな。そうとしか思えない。そうでなければ、いったいどういう発想なんだろうな。昔はExcelをまるで線を引いた筆記用紙のように使った文書によく遭遇したけど、それが400字詰め原稿用紙の発想だということは想像に難くなかった。日本から送られて来る日本語文書で(たとえば「MS P明朝」のような)プロポーショナルフォントが使われることはまずない。(各行の文字の位置が揃わないから嫌いなんだろうな。)上書き処理で英語をポンポンと打ち込み始めて「ん?」と思ったときはたいてい1ページ何行、1行何文字と設定されている。まさに原稿用紙的なんだけど、それはそれでグリッドを解除すれば済むこと・・・。

それにしてもあまりにも奇抜な表作り技術に感心しながら、作業を進めて行くうちに、いくら進んでも終わりが見えて来ないことに気がついた。3時間やってもまだ全体の半分。ははあ、わかった。テキストボックスの中の文字はカウントされない。つまり、最初に言われた原稿の文字数には十何ページもある表の中の文字数が入っていないということで、ざっと見渡したところでは仕事量が倍かそれ以上になって、とっても期限には間に合わない。えらいこっちゃ。これをさっさと片付けて次にかからないと2つ目の期限の方が詰まってしまうというのに、もう。でも、お客さんの方でも「表」が表ではないことに気づかずに、普通に文字をカウントして発注元に見積もりを出しただろうから、それを訂正できるかどうかはわからないけど、とりあえず台風一過の月曜の朝の東京にバッドニュースを伝えるメールを飛ばした。

まあ、何とか無事に片付けて、半日遅れながら納品を済ませたけど、それにしても、見れば見るほどため息が出るような精巧な「作品」。印刷してじ~っくり調べたらほんのたまにごくごくわずか角がずれているところがあったりするけど、それでも1ミリ以下で、普通に見ていて気がつく人はまずいないだろうな。Wordの表機能を使えば半日でできてしまうものを、いったいどれだけの時間をかけたんだろう。マウスを動かす手が痙攣を起こしたんじゃないだろうか。完璧を要求し、完璧をめざし、完璧な結果にこだわる人の発想なのかもしれないけど、この人も原稿用紙型の思考パターンの持ち主なのかなあ。いや、もしかしたら驚異的な独創性を持った人かもしれない。いったいどんな人なのか、会ってみたいような気もするなあ。この年になったら少々のことには驚かないけど、いやはや、ほんっとにぶったまげた。


2012年9月~その1

2012年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
今度の大仕事はなぜか超特急

9月2日。日曜日。もう9月になってしまっている。今日は目が覚めたときのまぶたの開きが良くなかった。もしかしてドライアイかなあ。きのうは実に良く、たぶん年不相応にがんばったもので、店じまいをしてキッチンに上がった頃には目が充血してまるでエイリアン。カレシにほらっと見せたら、え、カレシも片目が真っ赤。どうやら庭仕事をしていて汚れた手で目をこすったもので、異物が入ったらしい。自分の異常は気になってしょうがない性質だから、ややご機嫌ななめ。胃の調子も良くないからと寝酒をパス。(カレシの胃弱は父親似で、年を取るにつれて何かと亡きパパに似て来たように思う。)ま、2人して赤い目をしょぼしょぼさせながら、ワタシはいつもの寝酒。あれだけガシガシ仕事をしたら、頭の中が花火大会になって、すぐに眠れるもんじゃない。

ファイルを見たときはどこまで続くのかと思った大仕事だけど、何と3日で80%やっつけてしまった。いわゆるホームページのローカリゼーションというやつで、何をクリック、これをクリック、あれをクリック。だいたい似たようなことばかり書いてあるから、けっこうすいすいと進んでしまう。順調に進むと先へ、先へと突進したくなるのがワタシで、この分ではいつもなら10日くらいの見積もりになる仕事を5日弱で終わらせられそう。あ~あ、目はしょぼしょぼするし、手指の関節炎は痛いし、おなかのあたりはひときわ弛んでくるし、女の細腕もだんだん細くなくなって来るし、稼ぐというのは大変なことなのだ、男でも女でも・・・。

ワタシが仕事をしている間に、カレシは今日も庭仕事。となりパットが最近ねずみが出没すると言っていたけど、ニャンコのハリス君が2匹捕まえたらしい。ひとり住まいのパットは大の猫好きで、ガンで弱った「前任」の雌猫を赤ちゃんのように抱いて散歩をしていた。その雌猫が死んだ後に、風来坊のように現れて居候を決め込んだのが雄猫のハリス。散歩するパットの後をエラソーに歩いていたり、日当たりのいい我が家のガレージの屋根の上から世間を睨んでいたり、我が家のゲートの外に狛犬みたいな姿勢で番犬よろしく座っていたり、ちょっと猫っぽくないところもある。カレシ曰く、「うちの庭も自分の縄張りのうちだと思ってるらしいよ」。どうやら、カレシとはお互いの存在を表面的に無視しながらも暗黙のうちには認め合っている関係にあるらしい。ハリスは雄猫だから、男同士で気持が通じるのかもしれないな。ワタシを見るとのそ~っと立ち去るのは、「女なんかうぜぇんだよ」ということか・・・。

夏休み最後の三連休となる「レイバーディ」の週末で、PNEの最終日。火曜日から一斉に新学年が始まる子供たちにとっては夏休み最後の遊び時。連休でも連休でなくてもワタシたちには全然変わりはないけど、う~ん、明日中に終わらせられるかなあ、この仕事。そうしたら、火曜日からせめて二連休くらいにはなるかな。がんばってみるか。休み、ほしいなあ・・・。

夫を家事に参加させるには

9月3日。月曜日。猛烈なこむら返りで跳ね起きてしまった。午前10時ちょっと前。叫びたいくらい痛くて、痛くて、涙がぽろぽろ。何だか永劫の地獄みたいな気がしたけど、しばらくして治まったようなので、また寝なおし。昔は足の裏の土付かずがよく攣ったけど、あれは歩いていればすぐに治った。それがしばらく足の指が攣るようになって、これも攣っていない方の足で踏んづけていたらけっこうすぐに治った。だけど、この頃はふくらはぎが攣るようになって、これはまだ対処法を見つけていないから何ともやっかい。まあ、しょっちゅうじゃないのが幸いだけど、こういう痙攣は加齢現象なんだろうか。

きのうはかなりがんばったので、大仕事の残りはせいぜい10%。トンネルの出口が見えているので、今日は朝食後すぐにオフィス入り。残りは10%もないから、気合が入ってすいすいと進んで、午後4時すぎには終了。見直しは夕食後と言うことにして、キッチンに上がったら、カレシがとなりのランドリールームで洗濯機の上にかごにいれて置いたままだった洗濯物をたたんでいた。いつもは自分のものだけしかやらないのに、今日はタオル類もたたんでくれているからエライ。一見してけっこう雑なたたみ方だけど、せっかくたたんでくれているんだから、それで十分。カレシは元々ぶきっちょだし、空間認識に難があるみたいだから、何をやっても完ぺきには程遠い。でも、どんなたたみ方をしたって、見えないところにしまうんだし、使うときに広げたら同じことだもんね。

そういえば、先週のMacLean’sに、「あなたの愛する人が母親のように振る舞うとき」といったタイトルのおもしろい記事が載っていた。のっけから「最も不幸せな結婚は同じ理由で不幸せである」。つまり、妻は夫がぐうたらなせいで家事をすべてやらなければならいと怒り、夫は妻がガミガミと命令がましく、おまけに何をしてやっても妻の基準に合格できないと非難する。何とも普遍的な問題じゃないの。小町横町の妻たちもいつも「どうしてみんな私がやらなければならないの?」と怒っているし、ローカル掲示板の国際結婚妻も「どうしてカナダ人夫ってきちんとやれないの?」と愚痴っていた。そして、夫たちがやってくれる家事を「いい加減」と採点して、自分で(自分基準に合うように)やり直し。で、夫がぐうたらだから自分が全部やらなければならないと愚痴・・・。

記事の元はオンタリオ州のあるマリッジカウンセラーが書いた本らしく、称して「マザーシンドローム(お母さん症候群)」。妻の側から見ると夫は伴侶ではなくて子供。子供は監督して、教えて、しつけて育てるもの。なるほど、掲示板でもよく「夫を教育する」とか「夫をしつける」とか言う怖いアドバイスが並ぶのはそういうことだったのか。もしかしてそれが女の本能なのかな。恋愛中は女性本能満開でも、結婚したら今度は母性本能が満開ということか。洋の東西を問わず、長い間「家事と育児は女の仕事」とされて来たから、男女平等、男女共同参画の時代になってもその「習い性」が女性の深層心理から抜けなくて、結婚したら夫も子供もいっしょくたにして「お母さん」になってしまうのかな。夫に平等な家事負担を要求しておきながら、夫がする家事は妻の基準でなければダメというのは、ちょっと無理があるんじゃないのかなあ。ましてや、結果が気に入らないからといって、ダメ出しをして、はては(たぶんイライラしながら)やり直しはないだろうと思うんだけど、女の完ぺき主義の潔癖症はなかなかの難病みたいだから。

ワタシはカレシが退職して在宅になるまでのほぼ25年間、ずっと家事を100%やって来たもので、「ワタシ基準」は相当に低くなっている。だって、フルタイムで働きながら家事も全部なんてのは、普通の勤めだってきついのに、自営業で年中無休の10時間営業ではムリを通り越していたんだもの。それでも、あの頃のカレシは洗濯ものをたたんでいない、シャツにアイロンがかかっていないとキレまくっていた。自分が出勤している間のワタシの労働量を知らなかったからかもしれないけど、掃除を外注することにしたら機嫌が悪かったのはどういう心理だったんだろうな。そういえば、新築のときに食洗機の導入を計画したら「そんなもん、いらん」と言ったのは食器洗いを手伝いもしなかったカレシだったな。まあ、まったく家事を手伝わなかった父親を見て育ったからだろうと思っていたけど、どうなんだろう。

記事には「厳格な基準を押し付けなければ、男はもっと家事を手伝うかもしれない。でも、女はその家事をやり直さなければという衝動を抑えなければならない」と書いてあった。せっかくやったことをこれ見よがしに「やり直し」されては誰だってプライドが傷ついて怒るだろうな。人格を否定されたと感じるかもしれない。でも、そういう奥さんはどこにでもいるということか。子供のすることなら過保護ママということになるのかもしれないけど、夫が相手では「control freak(コントロール狂)」と言われるかもしれないな。

カレシは離婚の危機に懲りたのか、わりと自発的に「家事」の一端を担ってくれるようになって、ワタシもずいぶん楽になった。だから、カレシが自分の仕事にしていることには口も手も出さないことにしているし、カレシの仕事ぶりがイマイチでもダメ出しはしない。やり直しなんて、そんなヒマは元からないしね。そもそも自分の基準が「ま、いっか」主義だし、カレシが不器用なのはわかっているし、何よりも作業するのは「いいオトナ」のカレシなんだから、カレシの基準でやってくれて十分。だって、ワタシはカレシのお母さんじゃないんだもの、今さら「夫教育」なんて、めんどくさいし・・・。

異言語コミュニケーションの2つの車輪

9月4日。火曜日。ちょっと夏のぶり返しのような陽気(だけど暑くはない)。今日は外の道路がラッシュアワーみたいな騒々しさ。そっか、今日から一斉に新学年。我が家の近くにあるランガラカレッジでも入学手続きが始まったんだな。地下鉄駅ができて便利になったし、学生組合の会費にU-passという公共交通の激安パスが含まれているので、授業が始まればこの車のラッシュもだいたい落ち着くことになっている。

カナダの学校は入学式をやらないので、カレッジや大学は最初の週がRegistration Week。入学手続きをして、教科と授業のスケジュールを決めて、教科書を買ってと、カレシに言わせると大学生活の中で何よりもストレスフルな時らしい。ランガラカレッジは元々バンクーバーコミュニティカレッジの分校だったのが18年前に独立したもので、大学編入コース(短大)と専門学校と夜間の継続教育部を一緒にしたところ。今では4年制の学士課程がいくつかある「公立大学」ではあるけど、厳密には「ユニバーシティ」ではない。それでも独立してからは、校舎の建物も1棟から3棟に増えたし、学生数も昼夜を合わせて2万人以上(夜間の方が多い)というから、大きくなったもんだ。(ワタシはコミュニティカレッジ時代に夜間部で法廷通訳科に通って修了証書をもらったけど、独立後は専ら創作や演劇のコースをつまみ食い・・・。)

通訳といえば、仕事に没頭してしばらく見ないでいるうちに日本の協会のメーリングリストがすごいことになっていた。最近「通訳グループ」が分科会を立ち上げたんだけど、そっち方面の投稿が増えて「迷惑だ」と噛みついた人(日本在住外国人)がいる。その理由が「自分は翻訳者の団体と思って加入したんだし、自分は通訳に興味がないし、自分には暇もないから」。でも、ヒマがないと言いながら、反論にいちいち反駁するもので、リストは喧々諤々のメールの洪水になって、結局みんなが迷惑の様相。おまけに、反駁すればするほど駄々をこねているように聞こえて来る。(小町横町流に言うと「ツーヤクの話は生理的にダメなのぉ。やめてぇ~」というところか。)なんとなく病的なこだわりのようにも感じられるけど、最近の若い人にはそれほど珍しくもないのかなあ・・・。

協会の古参会員には翻訳と通訳の両方をやっていた人、やっている人が多いし、ワタシも旗揚げ当初の数年は普通に両方をやっていた。(たった1週間の集中訓練だけで、図々しく同時通訳もやっていたし。)両立が難しいときがあるのは、在宅でやれる翻訳と直接現場へ出向かなければならない通訳という業務形態の違いが大きな要因なんであって、両者が互いに相容れないスキルだからではないと思う。だけど、近頃は何でも「専門分野」としてきっちり細分化されつつあって、一旦境界線を引かれたらもう「同類相見えず」のような時世みたいだから、この人のようなこだわりも罷り通るということなのかな。まあ、あまりにも細かく「専門化」しすぎて、専門分野の外のことには無知、無関心の人も増えているようにも見える。でも、究極的には翻訳と通訳は異言語コミュニケーションの両輪だと思うんだけどなあ。

現に、ワタシの翻訳技法(と言えるかどうかは別として)のルーツは「紙に書かれたものを見ながら口頭で訳す」という、「サイトトランスレーション」と呼ばれる通訳の訓練にある。翻訳原稿を目で「聞き」ながら、訳をキーを叩いて「話す」という工程は、目に見える文字を「聞いて」、「通訳」したことをキーを使って打ち出しているところが違うだけで、実際には通訳作業とほとんど変わらないように思う。ときには、頭の中の日本語をそのままかってのように自然に発声できるようになれば、通訳業務に復帰することだって可能なのではとも思ってしまう。だから、「翻訳と通訳は似て非なるものだ」という主張はどうしても理解できないなあ。いつか会議でこの人に会うことがあったらどうしてそう考えるのか聞いてみたい気もするけど、ご当人はどうやら(通訳が乗っ取ろうとしている)協会を退会することにしたらしい。なあんだ・・・。

なぜか印象が薄かった富士山だけど

9月5日。水曜日。夏がぶり返したのかな。週末に向けてちょっと夏日に戻るらしい。ここ数年の間に夏らしい天候になるのがだんだん遅くなって、それにつれて夏の終わりも秋にずれ込んでいると、テレビのニュースで気象予報の人が言っていて、農家の人たちも耕作期間がずれて来ていると証言していた。栽培期間が短くなっているわけではないそうだけど、太陽の活動が変調をきたしているのか、地球の傾きがおかしいのか、人間由来の気候変動なのか・・・。

大仕事を超特急で終わらせたので、今日は休み。新聞サイトを見ていたら、富士山が噴火するかもしれないという記事があって、びっくり仰天。何でも、去年の大震災でマグマだまりにすごい圧力がかかって、数年経って噴火する可能性もあるという話だった。富士山の真下に活断層があるかも知れないことがわかったのはつい最近だったけど、日本列島が乗っているプレート全部が集まるところで海底から噴火した山の上に溶岩や火山灰の山を重ねて高くなったのが富士山だそうだから、断層なんか数え切れないくらいあるだろうな。富士山はずいぶん長いこと噴火していないとはいえ、眠っているわけではなくて、れっきとした活火山だそうだから、いつまた噴火するがわからないし、日本で一番高くて、しかも裾野が大きい山だから、噴火したらえらいことになるのは想像に難くない。

もしも富士山が噴火すると、山体崩壊という想像もつかないような山崩れが起きる可能性もあるそうだけど、富士山は成層火山だから、積もって固くなった何層もの雪の上に新雪が積もったような感じになるのかな。雪山では積雪の層が不安定になると雪崩が起きるけど、富士山は噴火すると溶岩や火山灰が積もってできた地層が不安定になって山崩れが起きるということか。あの富士山が崩れるというのはほんとに想像がつかないな。ワタシは雲の上に頭を出しているのを飛行機から2、3度見たことがあるけど、周囲に連なる山がないから、ちょっとばかりニキビのように見えた。地上から山全体を見上げたのは20年くらい前の1度だけ。富士吉田のホテルの窓いっぱいに迫って見えたけど、なぜか感動と言えるような感慨はあまりなかった。今度は近すぎたのか、上り坂がずっと続いているという感じだったな。日本の象徴である富士山を見て感動しなかったと言ったら顰蹙を買うかもしれないけど、やはり高さを競うように連なる山並みがないことが、初めて間近に見た印象を薄くしたのかもしれないな。

せっかくの休みだからひとりでダウンタウンへお出かけ。カレッジ前のバス停では若者たちがみんなバスが来る方向を向いて一列に並んでいた。いつもはシェルターの周辺にてんでにかたまっているんだけど、新入生だからかな。地下鉄駅までの歩道は学生でびっしり。初々しい顔がいっぱい。駅に着いたら、いつの間にか改札口ができていた。ただし、稼動するのは来年なので、装置を設置したというだけ。3つの改札口のうちで、ひとつは車椅子が通れるように幅が広くなっている。これからガラスの壁が設置される両側はまだ何もなくて広々としているのに、律儀に改札口を通り抜ける人がたくさんいるからおもしろい。

歩道の混みように反して、地下鉄はそれほど混んでいなかった。終点のウォーターフロント駅で降りると、バラード入り江の向こうにノースショアの山並みが迫って見える。1500メートル前後の山が連なって、天気の良い日は双子のライオンズが際立ってまさに絶景。日本を恋しく思ったことがないのに、わずか半年のビクトリア暮らしで居ても立ってもいられないホームシックになったほど、この山並みの景観のおかげでワタシはバンクーバーを離れて暮らすことができない。(ゴメンね、富士山。)駅から道路を渡って、パスポートオフィスで更新の申請用紙をピックアップ。2人とも9月26日にパスポートが期限切れになるので、更新しておかないとアメリカへ行こうと思っても行けなくなる。既発行のものを更新する場合は保証人のサインが不要になったおかげで、写真と申請用紙と更新するパスポートを持って行くだけで良くなったから、昔よりはめんどうが減った。それでも写真を撮ってもらわないとね。でも、その前にヘアカットに行かないとなあ・・・。

パスポートオフィスから上り坂を歩いて(いい運動だ!)Hマートへ。トートバッグに詰められるだけの買い物をして、ダウンタウンでの日程を終了。乗降客の多いシティセンター駅は改札口が6つ据え付けてあって、そのうち2つが幅広になっていた。ここでも改札口を通り抜ける人の方が多いような。持っていた切符の期限切れ5分前に通過。1枚の切符(2ドル50セント)で往復の利用ということで、実質的に半額料金になる勘定。ずっと長い間バスも電車も90分間乗り放題だったんだけど、改札と同時にCompassというSuicaのようなカードを使うようになったら、この特典はなくなってしまうのかもしれないな。時間のかかるバスと違って地下鉄は早いから、いろんな用事を足せる時間が増えて便利だったんだけどな。カレッジの角を曲がったら、我が家までは道路の北端に見えているノースショアの山を背に南へ一直線・・・。

そうか。富士山が噴火しそうという話が出たのは、土曜日が関東大震災を記念する防災の日だったからなのか。遅ればせながら願わくは、富士山が噴火しませんように。山体崩壊が起こりませんように。南海トラフが滑りませんように。東京の真下で大地震が起こりませんように。万が一、どこかで大きな地震が起きても原発が壊れませんように・・・。

あの人だあれ、誰でしょね

9月6日。木曜日。起床午前11時30分。今日はカレシが午後の英語教室を再開するので、久しぶりに目覚ましで起きた。夏、再び真っ盛り。朝食後、いそいそとお出かけのカレシを送り出して、ちょっと庭で日光浴をば。

まだ青いけどトマトがたわわ・・・。[写真] 
まだ釘のように細いのがほとんどだけど、サヤインゲンもさやさや・・・。[写真] 

今日は仕事があるけどもまだ急いで取りかからなくてもいい日。怠けモード満開にして、カレシが帰って来るまでの間、午後いっぱいのんびり。小町横町で『賞味期限切れ使った料理を捨てられた』というトピックが目に留まったので開いてみたら、夫が週に3回も冷蔵庫をチェックして期限切れのものを捨てるが、2日過ぎた肉を(チェックしてから)野菜炒めにして出したら「こんなもの食えるか」と全部ゴミ箱に捨てられたという話。何てひどい旦那さんだという書き込みが殺到するかと思いきや、買い物に計画性がないとか、在庫管理ができていないとか、さんざん。たとえ1日でも期限切れのものは嫌、嫌なものは嫌!へえ、意外とこだわる人が多いんだなあ。たしかに、ワタシもSell by(販売期限)とかconsume by(消費期限)という日付がある生ものはある程度は注意するけど、それでも冷蔵庫に入れておいて2日や3日過ぎたくらいなら使っちゃうし、Best before(賞味期限)なら1、2週間超過なんてざら。火を通して調理するんだし、目で見て、鼻で嗅いで、手で触って判断することを母に教わっているから、そんなに神経質に「数字」にこだわらないなあ。日本とカナダでは食品の安全に対する観念が違うのはわかるけど・・・。

こだわりで協会の翻訳・通訳論争を思い出した。モデレータがストップをかけて終焉したけど、ある辞書はこう定義しているというのに対して「その辞書はでたらめ。自分に都合のいい定義を持ち出すな」と言っておきながら、じゃあどの辞書がいいのかと聞かれて「この辞書に(自分の)定義が正確に載っている」と別の辞書を名指してきた。いるなあ、こういうあくまでも自分が正しいという人。昔アメリカで、ウォーターゲート事件の聴聞会が開かれていた頃に、「事実なんか持ち出して混乱させないでくれ」と言った政治家がいたけど、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うで、しまいに通訳も加入できると見えるところに表示していなかったのは偽装だ、あったら協会には入らなかった(だまされた)とのたまう始末。何か異常なほどこだわりの強そうな人なので、ふとイジワルを思いついて名前をググってみたら、いた。あっちこっちのSNSにいた・・・。

ふむ、日本の古典芸術大好き。日本文化に憧れて住み着く外国人にけっこういるタイプだな。(日本政府が発信する月刊のメルマガにも、アメリカ人の尺八師範の話があって、自分の竹林の中で作務衣姿で尺八を吹いている写真が載っていた。ま、この人はプロの音楽家への道を究めたらしいけど。)でも、この人はは現代日本のサブカルも大好き。ふむ、大学出たてくらいで日本に行く欧米の若い男にけっこういそうなタイプで、何かオタクっぽい印象だなあ。キーワードは環境、オーガニック、ベジタリアンなど。環境保護に熱心らしいのはわかるけど、農業はオーガニックでなければダメ!というタイプかな。どうやらベジタリアンかもしれない感じだけど、「人間は肉を食するべきではない!」と普通に何でも食べる人に説諭したがる菜食主義啓蒙活動家のタイプなのか。それとも「肉なんか危険で食べられないよ」というタイプか。それとも「オーガニック志向のベジタリアン」の自画像に惚れ込んでいるタイプなのか。(ベジタリアンにもいろいろといるから。)どうやら翻訳歴は浅いようで、別に情熱を燃やしている仕事もあるらしい・・・。

それにしてもインターネットってすごいな。SNSはもっとすごい。名前やちょっとしたキーワードを入力するだけで、会ったこともない人のいろんなことがわかってしまうんだもの。たしかに便利ではあるだろうけど、これでいいのか、なんだか考えもんだなあという気もするな。もちろん、本人が自分の意思でインターネット上のそういうサイトで情報を公開しているから、どこの誰でも簡単に見ることができてしまうわけだけど。ふむ、つい昔歌った歌が口をついて出て来る。「あの人だあれ、だれでしょね。インターネットのかたすみで、オトモダチと遊んでる、どこかの誰かさんじゃないでしょか」なんて・・・。

たかが婚活、されど婚活、だけど結婚は・・・

9月7日。金曜日。目覚ましで起きたきのうの反動かどうか知らないけど、起床は午後12時半。今日もちょっと暑そうだな。日本の金曜日の夕方までに急ぎそうな仕事が入って来なかったので、今週末は文字通りの週末ということにして、隠居暮らしの予行演習・・・。

カレシは今年の収穫が終わった後で使えるようにと、途中まで組み立てて放り出してあったミニ耕運機の仕上げ。でも、同じベースメントにあるワークショップからな~んか問題が起きていそうな雰囲気が伝わって来る。そこを意識的に無視してのんびりとネットを覗いていたら「あのさ~」と来た。「ナットが固くて締まらないんだけど・・・」。たしかに刃のアセンブリを本体に固定するボルトが1本緩い。締付けナットが途中で引っかかっている感じで、2人がかりで回してもびくともしない。カレシは「これが締まらないと耕運機は使えないよ~」とオロオロ。昔ほどではないにしても、カレシは問題に遭遇すると思考回路がショートしてしまうらしく、どこに問題がありそうかということを考えてみる前に意地になって弄りまわした挙げ句にモノを壊してしまうか、癇癪を起こしてこんなのはガラクタだ!と放り出すことが多い。でも、このミニ耕運機、すごく高かったからおいそれと捨てるわけにも行かないよねえ・・・。

まず初めからやり直してみようということで、ナットを外したら難なく外れたので、どうやらカレシの回し方が悪くて曲がって入ったのではなさそう。まずその点を指摘しておいて、ボルトにナットをはめて回してみたら、2回ほどで立ち往生。何度やっても同じ。カレシがやっても同じ。ははあ、ボルトかナットのどっちかに問題がありそうだな。まずは問題解決の第1関門を通過。問題はボルトかナットにあることを指摘しておいて、ボルトのねじ山を指先でなぞってみたけど異常なし。次に強力なルーペを持って来て、ナットの内側のねじを観察したら、あったぞ、ねじ山のはみ出し。よ~く見ないとわからないような小さいはみ出しだけど、明らかに製造工程での欠陥で、これではいくら2人がかりで力をいれてもボルトは通りっこない。

「じゃあダメだ~」とへこむカレシにはナットはたぶん標準寸法だからHome Depotで見つかるよと強調しておいて、いろんなものを解体して外したボルトやナットを保存してあるワタシの「宝の箱」をかき回して、これはと思うナットにボルトを通してみる。大きすぎたり、小さすぎたり。でも、形は違うけどボルトにフィットするナットが1個だけ見つかった。さっそく耕運機に取り付けて、2人がかりでボルトとナットを回したら、ガシッ。おお、やったあ。これで問題解決。カレシは「指が太すぎて見づらい」とこぼしながら、改めて欠陥ナットをルーペでしげしげと観察。何とか自分の目で欠陥部分を確認して納得。「ぴったりのナットがあってラッキーだったなあ」。まあ、三人寄れば文殊の知恵というけど、夫婦は頭が2つあるから、くつっければ文殊の知恵とまでは行かなくても何とかなるもんだよね。

昨今のワタシたち夫婦はこんなぐあいで回っているんだけど、小町のトピックに『婚活で見るべき男性のポイントを教えて!』というのがあって、避けるべき?ポイントを読むほどに、こんなんで武装した女性が相手では、カレシは売れ残ってしまいそうだと笑ってしまった。この「婚活」、海外のメディアでも日本の世相としてときどき紹介されるようになったけど、とにかく「結婚すること」だけを考えて焦っているような人が多いという印象で、だけど、焦っていながら、相手の年収が、職業が、学歴が、性格が、価値観が、過去が・・・。そういうのは出会いがあれば必然的に相手にくっついて来るもので、職探しじゃないんだから、肝心の相手が見つかってもいないのにあれこれ悩んでもどうなるものでもなかろうにと思う。いや、「どうなるもの」と思っているんだろうな、たぶん。

機会均等法前のワタシの世代の女性は、学校を出たらちょっとお勤めをして、(少なくとも地方では)縁談があったら見合いをして、いい話だったら結婚・・・というように漠然と人生が決まっていたように思う。植木等が「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ~」とぶち上げていた頃だから、サラリーマンの奥さんも気楽な稼業だったのか、結婚相手がサラリーマンなら三食昼寝つきの永久就職・・・おや、あの頃も結婚は自分で探さなくても良かっただけで「就職」だったということか。跳ねっかえりだったワタシは結婚なんかまっぴらだと思っていたのに、カレシと出会って、今の婚活女性が挙げる条件のほとんどに×が付きそうな人だったにもかかわらず、好きだという勢いだけで結婚。今だったら「恋愛と違って結婚は生活。好きなだけではやっていけないよ」と止められそうだけど、まあ、ワタシは向こう見ずながら後悔というものもあまりしない方なので、40年近い紆余曲折を経た今でもまだ一緒にいるから、好きというだけで結婚しても何とかなることだってあるということかな。

ある新聞サイトに結婚相談所の独身男性向けと思われる広告がよく出て来るんだけど、「嫁さん、ほしいな」という男性は女性(妻)に冷ややかに上着を着せかけてもらっているし、その女性は「亭主元気で留守がいい」みたいな目つきで、所詮は広告なんだけど、うまく行きそうな夫婦のイメージではないな。これが「婚活結婚」なのかな。「そろそろ独身を卒業したいな」とつぶやいている男性は、ジャージー姿で頭からタオルをかぶり、缶ビールを傍らにカップ麺か何かを食べている。嫁さんをもらえばまともなメシを食わせてもらえるということか。女性がモデルの場合は、きらきらした感じで「大人の婚活、してみない?」とか、「ひとりでさびしくない?」とか、アピールするところがまったく違っているからおもしろい。

それでは、今の人たちは結婚に何を求めているんだろう。結婚そのものに求めているものは男女とも昔からあまり変わっていないようなのに、これだけ婚活ビジネスがあっても結婚できないで焦る人たちが増えたのは、もしかしたら相手に求めることが男と女で大きくすれ違ってしまったからなのかな。言い換えれば、「ハードウェアの互換性かソフトウェアの動作環境の範囲が狭まった」ということかな。今どきの男女が互いに何を求めているのかよくわからない(昔のワタシもわかっていなかった)けど、結婚する(している)というのは大変な精神力が要求されることなんだということはわかる。だから、今だったらワタシも人並みにカレシの「条件」を考えて、結婚してもいいのかどうか悩むんだろうか。やっぱり、好きだと思ったらまず突っ走って、先々の問題はそのときにそのときの状況に従って対処すればいいと考える方だろうな。結婚するにはある程度向こう見ずなところが必要じゃないかと思うし・・・。

生理的に無理ってどういう意味?

9月9日。日曜日。きのうはまだ残暑っぽかったのに、今日はいきなり15度。曇り空。雨の予報。ただし今日だけらしいけど。

午後いっぱいぐずぐず、だらだら。仕事がないんだから、あれをしなきゃ、これをしなきゃという「悪魔の囁き」はとりあえず無視して、人間、たまには本気でだらだらするのもいいもんだと思う。いいもんだといいながら、小町横町なんかに散策にでかけるから、わかるようでよくわからない日本の人の心理や、これまた訳せるようでうまく訳せない日本語表現に引っかかって頭をひねってしまうのがワタシの悪いクセ。仕事モードとオフモードをしっかり切り替えなきゃねえ。なあんにもしないでぐうたらしているはずなのにっ!とはいえ、よく目にする「生理的に無理(受け付けない)」という表現、英語に訳せそうで今ひとつうまく訳せないんだけど、具体的にどういうことなのかな。「大嫌い」、「耐えられない」という意思表示であるらしいとまではわかるんだけど、だったら「○○は大嫌い」と言えばいいのに「○○は生理的に無理~」と表現するのは「大嫌い」以外に言いたいことがあるからなのか・・・。

まずはどう英訳するか考えてみた。ほんとに大嫌いなら「I hate it (him/her)」と言える。動詞のHateを辞書の通りに訳せば「憎む」だけど、口語表現としては「大っ嫌い!」という意味になる。さらに強調するなら「I hate  its (his/her) guts」となる。Gutsは腸のことだから、あれ(あいつ)の「はらわた」まで憎らしいくらい大嫌いということで、「生理的に無理」に近いのかなと思うけど、何だかしっくり来ない。でも、ふと思い当たったのが、日本語は主語を使わなくても(少なくとも日本人同士では)機能する言語なのに対して、英語は主語によって「自己主張」する言語だから、嫌悪感を表現するにしてもその感情の持ち主が明確に識別されるということ。だけど、対面でのコミュニケーションでは日本語だって喜怒哀楽の表現は主語がなくてもたいていは話者がその感情の持ち主であるとわかるもんだし、英語のでさえ自分の強い感情を相手に直接(特に面と向かって)伝えるときは主語を省略することが多いな。

いろいろ英訳の例を考えてみたけど、どれもピンと来ない。でも、「生理的に無理」は女性が使うことが多いようだから、女性心理が現れているのではないかという気がする。この場合は日本語だから、人やモノに対してそういう表現を使う日本女性の心理が現れているということか。日本女性の「奥ゆかしさ」が直接的に「嫌い」と表現することを良しとしないので、婉曲表現を使うと言うことか。でも、いわゆる「奥ゆかしさ」があたりまえに日本女性の美徳とされた時代にはそんな生臭い婉曲表現はなかったように思うんだけど、どうなんだろうな。第一、「生理」と言うのは諸々の身体活動をひっくるめた「生命体の機能」のことだから、そのレベルであの人が嫌、あれやこれやが嫌というのは、「本能」的な感情なんだからしょうがないと言っているように聞こえる。まあ、人間も動物だから、理屈なしの感情はあるんだけど。

要するに、「○○を否定するのは自分じゃなくて、理性とは関係のない生理現象が無理だと言っているんだからどうしようもないでしょ?自分が悪いんじゃないのよ」という含みなのかなあ。たしかに、生理的に蜘蛛や蛇がダメ、ぞっとする、無理!という人はごまんといるし、そう言っても「ひどい人だ」と批判されることはまずないものね。う~ん、わかったような、だけど深く考えすぎてよくわからなくなったような。まあ、翻訳原稿に出て来なければどうでもいいことなんだけど、ワタシのところに入ってくる「人文」関係の原稿にはときどきワタシの「旧現代日本語」の辞書にはない新現代日本語の巷の表現が出て来るから、こうやって小町横町でお勉強させていただいているわけで、現に、ごちゃごちゃ考えているうちに、噂をすれば何とやらじゃないけど、日本では月曜日の朝になって、のっけから「人間関係」の仕事が飛び込んで来たじゃないの。急ぎだと言うので、とりあえず目を通したら「逆鱗に触れた」なんて言葉がある。ほんとに、よくもめるなあ、人間同士。ああ、お願いだから号泣しないでくれ・・・。

いつの間にか外は雨。夕食のしたくの時間だし、サヤインゲンを収穫して来なくちゃ。

憧れの舞台に立ってみた!

9月10日。月曜日。正午過ぎに起床。今日はちょっとウキウキした気分。いつもの朝食を済ませて、直ちにオフィスへ直行。きのう入って来て、寝る前に済ませてあった急ぎの仕事の見直し作業。これが人間ドラマの要素が満載で、まるで小町横町の相談に出て来るような話。そのおかげで野次馬っ気丸出しになって、仕事はささっと済んだわけだけど、それにしても「女の敵は女」とはよく言ったもんで、怖いなあ。

仕事が終わったところで、シャワーをしておでかけのしたく。今日はちょっと変わったパーティに招待されていて、ずっと前から楽しみにしていた。ここ数年地元の劇団Arts Clubに機会があるごとにちょこちょこと寄付をしていたんだけど、それが1年単位で見るとけっこうな額になっているらしい。それで新シーズンの開幕パーティへの招待状が来て、特典?が3つある劇場のうち本拠になっているスタンレー劇場の舞台と舞台裏の見学。永遠に劇作家への夢を見続けるであろうワタシにはたまらない誘惑。さっそく「出席」の返事を送って、今日がいよいよその日。いつもの夕食の時間と重なるし、パーティと言ってもちょっとしたレセプションなので、夕食は帰って来てからということにして、クラッカーを2、3枚・・・。

スタンレー劇場は80年前にボードビル劇場として建てられて、戦前から映画館として使われていたのを、映画館が閉鎖になったのを機に劇団が買い取って、劇場に復活させた。市の文化遺産に指定されているので、内装を極力復元しながらの改装で、客席数約650席の劇場として12年前にオープン。映画館だった頃に、一度カレシと入ったことがあったな。たしか、『スターウォーズ』の第1作目だった。あちこちが擦り切れた座席を覚えている。客席は全面改装したので座り心地は上々だけど、舞台が奥行きの割には幅が広いので、あまり前の方だと見づらいときがある。(一度だけ、『ゴドーを待ちながら』を見たときは最前列の端っこ近くで、よく見えなかった。)ワタシとしてはバルコニーの中段あたりがいいけどな。

まずは芸術監督のビル・ミラードの挨拶があって、Arts Clubとしてはこれが49回目のシーズンで、別の劇場で月末に開演するオペラ歌手マリア・カラスをテーマにした芝居のプレビュー。次に出席者からの質問で、毎シーズンのプログラムはどうやって決めるのか(主に監督が考える)、衣装の調達はどうしているのか(衣装デザイナーがいて、作ったり、借りたり、古着屋で買ったり・・・)、汗などで汚れる衣装はどうするのか(もちろん担当者がいて必要に応じて洗濯や修理)、公演が終わった後の衣装はどうするのか(Craigslistで売ったり、保管して貸し出したりするが、保管スペースの確保が頭痛の種)、取り上げる作品にどれくらい支払うのか(興行収入の何パーセントのロイヤリティを払う)等々。なるほど、なるほど・・・。

いよいよ新シーズン最初のプログラム『Clybourne Park』の室内セットが整っている舞台に上がって、舞台裏へとツアー。狭いので1度に20人くらいずつ、ということで2組目に入るかなと思ったら、ワタシとカレシが舞台に上がったところで、ワタシの前で「はい、ここまで」。でも、そのまま舞台にいてもいいと言うので、2組目がセットのドアから舞台裏へ下りて行ったところで、ワタシたちの番が来るまでの数分の間思う存分に舞台を歩き回ることができた。観客席に向かったら、うわっ、まぶしくて目が眩みそう。そうか、役者はこんなにもまぶしいライトを浴びながら演技をするんだ。客席はライトを落とすので、舞台から見えるのは前の1、2列くらいだそうな。カレシが案内係をつかまえてあれこれ質問している間、「永遠の劇作家志望」は客席に向かって、ライトを浴びながら空想に浸る。ああ、何ともいえない幸せな気分・・・。

セットのドアから舞台裏へ。階段を下りて行くと途中の壁に鏡やコートかけがあって、1人何役で早変わりするときなどにここで着替ええるんだそうな。舞台の真下に当たる地下に天井の低い狭い廊下があって、両側に電気設備の部屋、大きなソファを置いたグリーンルームと言うキャスト用の控え室、大小2つの楽屋(シャワーとトイレがあった)、衣装室、回り舞台を動かす装置と天井に跳ね蓋のある部屋(出演者が多いときは楽屋にもなる)、舞台監督のオフィス。どの部屋も壁にはポスターや写真がびっしりで、あちこちに小道具やらメークの道具やら脚立やら何やらがごちゃごちゃ。舞台監督のオフィスの一角には大型の洗濯乾燥機が2台置いてあった。なるほど、これがほんとの舞台裏・・・。

反対側の袖から客席に出て、ロビーのレセプションでちょっとの間(車だからワインは飲まず)チーズやフルーツをつまんでおいとま。おみやげに『Clybourne Park』のポスターをもらって来た。来週か再来週に席を予約しなきゃ。それと、来月から始まるカレッジの即興演劇教室に行こうかなあ、また・・・。

今どきの世相なのか・・・

9月11日。火曜日。家の中から見ていると暖かそうな日差しだけど、外へ出ると空気がちょっと冷たい。

今日はやたらと電話がなる。発信番号表示を見て登録していない名前や番号だったら出ないのが普通だし、キッチンの子機は午前1時から11時45分まではベルが鳴らないように設定してある(ナイトモード)から、ボイスメールにメッセージを残しておいてくれればいいんだけど、メッセージを残すのは嫌という人もけっこういる。今日の人は4回目でやっと「車を見に行きたい」とメッセージを残して行った。エコーを売るつもりであちこちに声をかけてあるので、家族や友だちのそのまた友だちみたいな人からときどき電話が来る。2005年型トヨタ「エコー」(今はヤリス、日本でヴィッツ)、ブルー、5ドア、オートマチック、エアコン付き、走行距離はたったの13,500キロ。シティカーを探している人向き。売り急いではいないので、カレシはかなり吹っかけているらしいけど、売れるかな?

日本の大臣が突然自殺したそうで、政局がごたごたしているせいかと思ったら、週刊誌に女性問題の記事が載ることになっていたらしい。まあ、政局のごたごたはずっと続いていることだから、突然死にたくなるというのもヘンだと思ったけど、女性スキャンダルが明るみに出るからというのもなんかヘンだな。そんなの、上は政治家から下は巷のサラリーマンまでもはや「日常生活」の一部になっているような今どきの世相なんだから、週刊誌に不倫をすっぱ抜かれたくらいでは開き直っておしまいじゃないのかな。まあ、誠実の人だったとか、信念の人だったとかいうありきたりの故人評だけど、政治家であろうが一般人であろうが、そういう誠実な人間は20年も不倫なんか続けないと思うけどね。いや、本当に誠実な人はそもそも不倫なんかしないって。

今どきの世相と言えば、よくわからないのが盗撮。毎日のようにどこそこの誰それが女の子のスカートの中を盗撮して逮捕された記事が社会面に出ている。ポルノが溢れかえっているこのご時世に、本屋へ行けばそういう雑誌がずらっとあるんだから、いくらなんでも女の子のパンツが珍しくて~なんて言いわけはしないだろうな。毎日、毎日、きのうは学校の教師、今日は警察官、明日は一流企業のサラリーマン。公務員、裁判官、銀行員、マスコミ人間、大企業の元社長まで。ヘンなところで「職業に貴賎なし」を地で行っている感じだけど、この人たち、新聞を読まないのかなあ。毎日、毎日、誰かが盗撮現行犯で逮捕されたという記事があるんだけど。立派な職業人なんだから、逮捕されたらどんな社会的制裁を受けるかぐらいわかっていそうなもんだけどな。悪くすると解雇だよ。妻子が路頭に迷うかもしれないのに、他人事だと思っているのかな。

若い女の子のスカートの中を覗くのってそれほどワクワクすることかいなと思うけど、おじさんたちには「変態行為」ってそれくらいたまらない魅力とスリルなのかな。それとも、あまり毎日ニュースになるもので、「みなもすなる盗撮というものを我もしてみむとてするなり」ということなのかな。そういえば小学生だった頃に男の子たちが後ろから女の子のスカートを手でパッとめくってはワイワイ騒いでいた。まあ、6年生といえばそろそろ思春期に入って異性を興味を持ち始める年頃だけど、まだまだ子供ではあるし、先生にこっぴどく叱られたし、ワタシのようなおてんばな女の子にほっぺたをピシャッとやられる危険もあった。だけど、まさかその子供っぽい好奇心から来る悪ふざけの延長線で、女の子のスカートの中にカメラを突っ込んでいるんじゃないだろうな。そうだとしたら、いい年をした男の「幼児返り」か、あるいは大人になり損ねたということかのどっちかということになるけど、何にしてもヘンな世相だなあ、まったく。

日本で結婚契約書と言いうものを作るカップルが出てきたらしい。掲示板などによく国際結婚の相手から「婚前契約書(プリナップ)」を交わすことを要求されたというトピックが上がって、欧米では普通だというようなことを書き込む人もいるけど、プリナップはだいたいが「離婚した場合」の財産に関する取り決めだから、実際にはよほどの財産があって、それを相手に持って行かれたくないセレブが作るくらいじゃないかな。日本の「結婚契約書」というのはちょっと違っていて、家事や家計の分担から将来の介護問題まで、結婚生活を続ける上でのルールブックのようなものらしい。ルール好きの日本では、夫婦でいるためにも「マニュアル」が必要ということなのかな。まあ、それで離婚が減るなら言うことなしだけど、逆に何だか「決めた通りにやってない(くれない)」ともめることが多くなるんじゃないかなあという予感。まあ、これも今どきの世相を反映しているんだろうな。ほんとに世の中、いろいろ相があるもので・・・。

お片づけしなさい!

9月12日。水曜日。ちょっとだけ夏っぽいいい天気。ヘンな夢を見ている最中に目覚ましがなって飛び起きた。バスで空港かどこかのようなところに着いて、ホテルにスーツケースを忘れたことを思い出して、スーパーのレジのようなサービスカウンターで送り届けてもらう手配をしていて、ホテルをチェックアウトして来なかったことに気づいて、一緒にいたカレシを先にラウンジに行かせて、どうしたらホテルに駆けつけてチェックアウトして戻って来れるか、と時計を見ながら思案していたところ。どういう意味があるのか、夢占いの人がいたら聞いてみたいな。

目覚ましをかけておいたのは、シーラとヴァルが掃除しに正午ごろに来るから。留守番サービスをしてくれるシーラは我が家の鍵を持っているし、アラームの操作も知っているから、ワタシたちが起きていなくても問題なく入って来れるんだけど、そこはやっぱり起きていて玄関のドアを開けて入れてあげるのが礼儀のような気がするから、掃除に日には午前11時50分に目覚ましで起きるわけ。今日はシーラが借りているアパートの敷地の一角を野菜畑にして育てたトウモロコシを持って来てくれた。長さが普通のトウモロコシの半分くらいしかないけど、カレシが庭で作ったときもやっぱりすごく短かいのしかできなかったから、育て方のコツがあるのかもしれないな。でもおちびトウモロコシは抜群に甘かったから、これも甘くておいしいと思うよ。

オフィスの掃除が終わってキッチンに上がってきたヴァルから「デスクの上のゴミ、何とかしなさいよ」とお小言。うん、カタログだの何だのがごちゃごちゃあるのはわかっているんだけど、ついついポイッと積み上げてしまうのが問題。「5分もあればきれいに片付くじゃないの」とヴァル。あはは、まるでお母さんみたいなもの言い。「いろんなものがあってうっかり動かせないから、デスクの上の掃除ができないのよ」と叱られて、ワタシはしおらしく「お片付け」を約束。掃除サービスにはきちんと料金を払うけど、それ以外は長年の友だち同士。シーラはワタシより5歳上でヴァルは4歳下なんだけど、ときどき「お母さん」が2人いるような感じがするな。2人が帰って、オフィスへ下りてよくよく見ると、ふむ・・・。

カタログ、レシート、ダイレクトメール、ずっと前のメモ。パスポートの更新申請書や年金の受給申請書が紛れ込んで見つからないなんてことになったら厄介だから、よ~し、片付けよう。ヴァルは5分もあればと言ったけど、名前や住所に隠蔽スタンプを押しながらだから、15分かかって、一応デスクの上から「ゴミ」を排除。(デスクの下は見なかったことにする。)

これで何とかデスクの上はすっきり。(これで片付いたつもり・・・。)でも、ゆったりと肘を張れるスペースができた。片付いているのっていいもんだな。(ブログもこのくらいすっきりと簡潔に書けたらいいのに。)だけど、リサイクル品の箱に積み上げただけだから、ゴミを捨てたんじゃなくて「移動」しただけ。今度はリサイクル品の箱が溢れてしまって、床のあっちこっちに雑誌やカタログの山。ヴァルが見たら「これじゃあ掃除機をかけられないから、何とかしなさいよ」と言うだろうな。ま、そのうちトラックに積んでリサイクルデポに持って行かなきゃ・・・。

収穫の秋といろんな欲の秋

9月13日。木曜日。午前11時30分、今日も目覚ましで起床。今日はカレシの英語教室。2日連続で目覚まし起床はちょっと「生理的」にきついなあ。だけど、今日もいい天気。ほぼ9月いっぱい好天が続くらしい。最低気温は10度くらいまで下がるという予報だけど、日中に20度くらいまで上がれば、トマトもサヤインゲンもどんどん熟するかな。色づき始めたところを収穫して家の中で熟させるよりは、やっぱり庭で日を浴びて熟した方が新鮮だし、味もいいし・・・。

[写真] カレシがワタシの背丈より高く育った「トマトの木」からもいで来た大きなトマトのひとつがこの結合三つ子。狭いところでなぜか3つに分裂しようとして失敗してこんないびつな形になったらしい。トマト君、大きなグラブをはめてシャドーボクシング?それとも座禅で組んでいるのを上から見たところ?どんな味がするのかな。「トマトの木」からは大きなのがもう2つ。そろ~っと色づき始めたところだから、りんご1個と一緒に(蓋をすると自動的に空気を抜いてくれる)保存容器に入れておく。りんごが出すエチレンガスが熟成を促進するんだそうな。入り切らなくなったら、後はセカンドキッチンのカウンターにごろごろ転がしておくと、けっこう赤くなるから、場合によっては11月になって自家菜園のトマトを食べることができる。

カレシを送り出して、ワタシはちょっとショッピング。Coldwater Creekのアウトレットで家着のスカート7枚、Tシャツ7枚。スカートは膝丈くらいの短めのものにして、Tシャツは襟ぐりがちょっと深いもので、半袖か七分袖。(腕が短いらしくて、長袖はプティットサイズでもちょっと長すぎるので冬物は七分袖。)ウェストをきちっと締めていないと、座業の悲しさ?で油断するとすぐ寸胴になってしまうから、このあたりが一番着心地がいい。ほとんどが40%オフなので気を良くしてどんどんクリックしていたら、最終的にさらに全体の25%オフ。やったあ。ついでにベルトが傷んで買い換えが必要になったトレッドミルのリサーチ。やっぱり使い慣れたBremsheyのがいいな。問題は古いのをどうするかで、何しろ重いから2人がかりでも動かせない。新しいのをセットアップしてもらうときに古いのを持って行ってくれると理想的なんだけど、とりあえずメールで問合せをしておいた。

今日のニュース。プロホッケーのNHLのオーナーと選手会の団体交渉が不調で、どうやら今シーズンはロックアウトで始まるということだけど、年に何億円、何十億円という報酬をもらうプロ選手の労働争議が金銭問題というのは何だかしっくりしないな。たしかに職業としての選手生命は短いのはわかるけど、それでも、三流の選手でも引退するまでには相当な額の「生涯報酬」になるはずだし、その後は失業してどこにも雇ってもらえないわけじゃないんだから、う~ん、やっぱり報酬の桁と付き合わせるとしっくり来ないな。ま、誰でも稼げるときに目いっぱい稼ぐ権利があるんだから、稼げばいいんだけど(ワタシ、プロスポーツのチケットは買わないし)・・・。

「青い目のシーク」と呼ばれたピーター・ローヒード元アルバータ州首相が死去。カナダのプロフットボールであるCFLのエドモントン・エスキモーズの選手だったこともあり、その後弁護士になり、ハーバード大学でMBAを取ったと言う人。アルバータの石油ガス資源を中央から支配しようとするトルドー政権に盾ついたことから、カナダ東部の旧体制がいかに西部を搾取して来たかを西部の人たちに知らしめた人とも言える。(北海道に欲しいような人だなあ。)なかなかのハンサムで、亡くなったのはカルガリーの自分の名前を冠した病院だったという。

そろそろ来年のカレンダーが出回ってくる季節。メトロバンクーバーのイケメン消防士たちが肉体美を披露するチャリティカレンダーが今年も発行された。スーパーやドラッグストアで売られるけど、いつも買おうと思っているうちに完売。今年は早めに書いたいな。北米の消防士たちは胸の筋肉もすごいけど、フル装備になると実にセクシー。こんなむきむきの男にお姫さま抱っこで救助された~いと妄想する女性は多い。(ワタシもフライパンを焦がして煙探知機が鳴って、消防車が来てしまった時にはそう思った・・・。)で、新聞サイトを見ていたら、沖縄でも消防士のチャリティカレンダーが発行されるという話。こっちも去年初めて作ったら完売して、今年もということになったそうな。いやあ、筋骨隆々でかっこいい。世は食欲の秋だもの、やっぱり肉食男子の方がおいしそうだなあ・・・ウフ。

進化のしすぎはありえるか

9月14日。金曜日。ピーっ、ピーっという音で目が覚めたら午前8時半。4時間しか寝ていないのに・・・。

キッチンへ下りてみたら、オーブンがまたピーピー言っているところ。これで3日連続で、表示パネルには「F1」の文字がフラッシュ。キャンセルを押したら止まったのでベッドに戻ったけど、またすぐにピーっ。何じゃいな。またキャンセルしにキッチンへ。どうもタイマーが勝手に作動して、温度設定がないと騒いでいるような感じ。タイマーなんか一度も使ったことないんだけどな。もう一度キャンセルして、ベッドに戻ったけど、眠りに戻る前にまたまたピーっ。いい加減にせんかい!と腹を立てて、今度はベースメントに直行。コンタクトレンズなしでは配電盤の横にあるリストの手書きの文字が見えないので、古くてぐらぐらするスツールによじ登る。オーブン専用のブレーカーは「30」と「31」が2個つながった双極ブレーカー。それをパッチンとやって、どんなもんだ!

オーブンの表示パネルが消えているのを確認してベッドに戻って、安心して眠りに戻ろうとしたら、今度は外でゴミ収集車の轟音。やれやれ。それでもいつのまにか眠ったと見えて、起床は正午過ぎ。でも、疲れるなあ、こういうの。おまけにやっと探し出した操作説明書には「F1」の意味について何も説明がない。(「F」が故障を意味することはわかるけど、何でもエレクトロニクスになって、逆にみんな不便になりつつある気がする。おまけに何もかもピーコピーコとうるさいし・・・。)先週だったか、古くなった洗濯機と効率の悪いレンジフードを買い換えたいねと話していたのをオーブンが聞きつけて、みんなが「故障モード」と勘違いして、自分も故障しなきゃ!ということになったのかな。ワタシとしてはめったに使わないオーブンには不満はないんだけど。ま、エレクトロニクスがリセットされるかどうか、当面はブレーカーを落としたままにしておくことにする。

中東各地でアメリカで作られたという映画に触発されてアメリカ大使館や領事館の襲撃が続いているけど、映画を作ったのはどうもエジプト出身のコプト教徒らしいという話。出演した人たちはせりふが台本とは違うものに吹き替えられて、まったく内容が変わっていると言っているらしい。今どきはちょっとした知識とソフトウェアがあれば吹き替えくらい簡単にできるだろうな。エジプトにはイスラム教徒とコプト教徒の対立がある。いわゆるアラブの春の波に乗って、エジプトでも独裁政権が崩壊してイスラム色の強い政権ができた。民主主義などくそ食らえ、異教徒とは共存できない(したくもない)という連中だから、コプト教徒の弾圧に出たとしても不思議はない。アメリカはそういう抗争の側杖を食った形で、おまけに世界の一般大衆からは「自業自得だろ」という態度を取られるんだから、まったくもっていい迷惑だと思うな。

そもそも「民主主義」というのは人類の政治史の中では例外的とでも言える現象だと思うから、民主主義を理解しているかどうかもわからない民衆が独裁政権に反対してデモや反乱を起こしたからって、民主化を求めていると考えたのは甘すぎたんじゃないのかな。今の世界を見渡して、本当に民主主義が機能している国や地域がどれだけあるというのか。選挙をやっているからって、必ずしも民主主義国家ということにはならないと思うんだけどな。統治には一定の規律が必要なのは当然だけど、それを統治の当事者である国民ひとりひとりが自分の頭で考えなければ、民主的な統治は難しいと思う。だって、鵜呑みにしたルールはなかなか身につかない(人に押し付けるのは簡単らしいけど)。でも、ひとりひとりが自分の頭で考えるためには、それぞれが「自由な個人」であり、他人も同様に自由な個人だという認識が必要だと思うんだけど、問題はどれだけの宗教や文化がそういう認識を持っているのかということかな。何らかの権威を鵜呑みにすることを教え込まれて来た人たちにとっては思想や言論の自由という観念は理解しがたいだろうし、そういう自由を持つ人たちの存在は自分たちの拠りどころである権威を脅かすものにしか見えないのかもしれないな。

それが人間がまだヒトに進化していなかった頃の本能的な恐怖や動物的な攻撃本能に根ざしているのかどうかは知る由もないけど、どうも(人種や民族、宗教、文化すべてをひっくるめて)異なるものの存在に「生理的に無理」を感じる人が多すぎるような気がするな。人間個人の育った環境がみんな違うのと同じで、民族や宗教や文化が形成された環境も違うはずだけど、大昔はそういう違いに遭遇するのはそうそうなかったのが、情報化時代とやらになった今は「遭遇」という体験をしなくてもいつでも異なるものが視界に飛び込んで来るから、日常的に違和感を覚えっぱなしでストレスになっているということかな。たしかに、異なるものほど「考えること」を要求するものはないと思う。でも、人間て、頭を使って考えることを覚えて、文明を作り出して、文明の利器を生み出して、本能を制御できるだけの理性を身につけた賢い動物に進化したはずじゃなかったのかな。自分の頭で考えるなどというめんどくさいことはしなくてもいいくらいに進化したもので、考えるよりも生理的な感覚や本能にお任せした方が楽ちんだと知ってしまったのかな。それとも、もしかしたら、アダムとイブが禁断のりんごを食べ残してしまったもので、中途半端な知恵しかつかなかったとか・・・?

久しぶりに土曜の午後のおでかけ

9月15日。土曜日。起床は正午過ぎ。ぐっすり眠ることを「sleep tight」というけど、あまりタイトに寝すぎたのか、起きてみたら腰が痛い。今日もインディアンサマーだけど、やっぱり身体は季節の変わり目に敏感なのか、何となくもや~っと疲れたような気分・・・。

カレシが仕事のスケジュールはどうかと聞くので、日本はまたハッピーマンデーだから時間の余裕があると言ったら、郊外の園芸センターまで殺鼠剤を探しに行きたいという話。最近になって庭にねずみが出没するようになったので、(政府の規制が厳しいので)買えるかどうかわからないけど、トラックのバッテリの充電がてらのんびりドライブして、土曜日で込んでいそうだけどHマートで買い物をして、最後に今夜行く予定になっていたスーパーに寄って来ようということになって、いざ出発。

最初に行った隣町のセンターでは「もうどこでも売ってませんよ」。まあ、危険物だから普通に店においてあるとは思っていなかったけど、「庭をきれいに整頓しておいて、どうしてもダメなら駆除会社を呼ぶことですね」とにべもない応対。それなら午後もまだ早いしということで、さらに郊外まで足を伸ばしてこのあたりでは昔から名の通っているセンターまで行った。昔は幹線道路からガタガタと田舎道を行ったものだけど、今はすぐそばに大きなショッピングセンターができて、その中を通らなければならない。どうやら殺鼠剤は政府に登録しないと売れないらしく、ここにはちゃんとあった。有毒物の管理担当者らしい人がいてカレシの名前、住所、電話番号を記録している間、ワタシは園芸じゃなくて雑貨のセクションをぶらぶら。そこで見つけて「これ、欲しい!」と手に取ったのが、キッチン用のインテリア雑貨(というのかな)。ちょっとカントリーっぽい、温かなユーモアが気に入った。[写真]

目的を果たしたついでにショッピングセンターにあったスーパーに寄ることにして、中に入ったら、うわっ、でっか~い。さすが郊外と言う感じで見渡す限りの・・・スーパーマーケット。品物もバンクーバー市内のスーパーでは見かけないような大袋や大箱サイズが多くて、おまけに値段が安めなのは、新興住宅地に住む子育て世代が週末にまとめ買いをするからだろうな。(バンクーバー市内は子供のいない世帯の比率がすごく高い。)あまりの広さにカートを押してうろうろしながら、オレンジジュース(4リットル入り!)やミルク(4リットル入り)、コーヒーの大袋、トイレットペーパー、食洗機用の洗剤など日用品を買い込んで、最後にHマートへ。そろそろ家族連れが家路に着く時間になって、道路はちょっとしたラッシュだったけど、駐車場には予想通りにあちこちに空きができていた。

そこでまず目に付いたのが「本日入荷」の松たけ。ウィスラー周辺の山でかなり採れる松たけは極上品を日本に輸出して、地元で買えるのは残りの2級品だけど、それでも松たけは松たけ。去年より高かった(100グラム千円くらい)けど、初物の誘惑に負けて、それでもなるべく安いパック(小さいのが2本と大き目のが3本)を選んでカートに入れた。後は冷凍のホッケの半身(3枚入り3パック)、刺身用のビンナガマグロ1本(長さ50センチくらいで、100グラム120円ほど)、Red Big Eye(2匹入りで、日本名をキントキダイというらしい)、あさり、めんたいこ。チヂミのミックスにパン粉、梅しそ味のインスタントパスタソース、コチュジャン、ゆず胡椒ペースと。見つけてうれしかったのは発芽玄米(2キロ入り。これに押し麦を混ぜて炊くとおいしい)。ほんと、食道楽にとっては、食べ物ショッピングは最高のレクリエーションだなあ。

午後5時を回って目的を完遂。太陽が傾き始める中、フットボールの実況中継を聞きながら意気揚々と家路へ。久しぶりに午後いっぱいお出かけを楽しんだ気分・・・。


2012年8月~その2

2012年08月31日 | 昔語り(2006~2013)
朝起きたら唇が腫れ上がっていた

8月16日。木曜日。今日も予報どおり、暑い。どういうわけか大量のにんにくを剝きながら、ポテトはどうの、何はどうのと大きな冷蔵庫をかき回しているヘンな夢を見ていた。なぜか自分のキッチンではなくて、どこかのホテルか何かのようなところで、周りを知らない人(それもサラリーマンみたいな男ばかり)がいっぱいうろうろしていた。途中ではっと目が覚めてしまったけど、何だったんだろうなあ。

目が覚めてびっくり仰天。上唇が腫れ上がっている!痛くも痒くもなくて、とにかく上唇だけがまるでドナルドダックみたいになっている。よくよく見ると、真ん中のくぼんだところの先っぽにちょっとだけ色合いの違うところがあるような、ないような・・・。ひょっとして虫に刺されたのかと思ったけど、暑くても窓は開け放していないから、家の中にはほとんど虫が入って来ないし、第一、唇を刺された話なんて聞いたことがない。カフカの小説は主人公が目が覚めたら巨大な虫に変身していた話だけど、ワタシはドナルドダックに変身?寝ている間にいったい何が起きたのか?今夜は久しぶりに芝居を見に行くことになっているんだけど、やだなあ、このアヒル口・・・。

カレシに見せたら、「それ、ボクもなったことがある」。へえ。「体調がぱっとしないときになるんだよ。ストレスだよ、きっと。気にしなくても大丈夫」と、起き抜けと言うこともあるけど、ちょっと他人ごとみたいな診断。気にしなくても大丈夫って言うけど、ちょっとした異変でも気になって気になってイライラ、カリカリする人にそう言われてもねえ。まあ、あれこれ調べてみたところ、どうも「クィンケ浮腫」というのが当てはまりそうな感じ。突発性局所性浮腫とも、血管神経性浮腫とも呼ばれるようで、原因は不明とか。唇や目の周りだけでなく、舌にも起こるらしい。ということは、舌の横が歯でこすられて赤くなるときがあるのは、歯の手入れが不十分なんじゃなくて、もしかしたらこの浮腫が舌に出て来るからじゃないのかなあ。今度ウー先生のところへ行ったら聞いてみなくちゃ。

腫れが出たときは抗ヒスタミン剤が効くというから、アレルギー症状なのかもしれない。ワタシは30代の終わりくらいから呼吸系のアレルギーがたくさん出て、減感作療法を4年くらい続けてほぼ完治した経緯があるんだけど、その後は虫刺されに対するアレルギー反応がひどくなった。でも、痛くも痒くないから虫刺されとは思えないし、食べ物のアレルギーはない(はず)だから、いったい何が原因なんだろうな。医学は簡単に「原因不明」と言ってしまえるけど、何らかの「原因が」あるから異変が起きるんじゃないのかな。まあ、このクィンケ浮腫というのはよく起きるものらしく、放っておいても数時間で腫れが引いて元に戻るというから、本当に「気にしなくても大丈夫」なことは間違いなさそう。原因はわからなくても、疲れたときやストレスがたまっているときに起きやすいというから、自分でも気が付かないストレスがたまって「いっぱいいっぱい」になったということなのかな。いろんなことがあって、年を取って、自分は強くなったと思っていても、もしかして、意外とまだ「繊細」なところがあるってこと・・・?

ストレスが原因だとすると、ここのところ、仕事に気合が入らなかったり、気分的にかなりだら~んとして何となく疲れているような状態だったから、なるほどという感じもする。でもまあ、喉に症状が出なければ命に関わることはまったくないそうだから、今夜はArts Club Theatreのシーズンフィナーレのミュージカル『Buddy: The Buddy Holly Story』でストレスを吹っ飛ばして来よう。音楽的に大きく成長する転換期を迎えた矢先に22歳で死んでしまったロックンロールのスーパースター、バディ・ホリー。カレシが十代の頃の話で、まだ小学生だったワタシは名前さえ知らずに育ったけど、活躍したのはわずか2年ほどだから、ロックンロールの超新星だったのか。イギリスの脚本家アラン・ジェインズが書いて、ロンドンでの初演は13年もロングランしたという作品。楽しみだな。心なしか唇の腫れも引いて来たような・・・。

自己と言うのはどんなもの

8月17日。金曜日。起床は午後1時。ポーチの温度計はすでに28度に接近。天気サイトでは空港(公式記録の観測点)で気温28度、湿度45%、ヒュミデックス(体感温度)32度。今日も暑い。はて、この夏一番の暑さになるか・・・。

起きて真っ先に鏡を覗いたら、おお、唇はほぼ元通り。何かまだ腫れぼったい感じがしないでもないけど、ちょっとふっくらしているんだと思えば、何となく若返ったような気分になれるからいいや。実際に鏡の中の自分に向かってスマイルしてみたら、まだかわいげがあった若かりし頃のワタシの面影。まあ、いくら世間ではブスと言われる顔だって持ち主にはけっこうかわいく見えるもんで、世間でカワイイともてはやされる人はそれをもてないブスの「自己満足」と評することが多いけど、自分にブスという言葉を投げつけられたらマゾだと思うな。人間、鏡に映っている自分、心の鏡に映る自分をありのまま受け入れられなくてどうするんだ。そういうと、今度は自分自身を受け入れられないでいる人に何かあまり芳しくないことを言われるのかな。ま、日本語では「自己」のつく言葉はネガティブなニュアンスで使われることが多いようだから、「あんたって人はほんとに自己○○」と言われたら、ほめ言葉じゃないと思った方が無難かな。

たとえば、「自己評価」。他人にあなたは自己評価が低いと言われたら「自信のないネクラな人」、高いと言われたら「自信過剰でプライドの高い人」と他己評価されていることになる。「自己主張」も日本語の文脈ではあまり良い意味に使われていないな。小町横町界隈では、自己主張をする人はわがままで自己中な人間として排斥される。一般に蛇蝎のごとく嫌われる「自己中人間」は、概して自分の意に反する言動をする他人を「自己中」と非難する人に多いような気がするな。自己満足だって、本当に満足している人が自分でそう言うのではなくて、概して不満を抱えている人が満足できる人をやっかんで「そんなの、単なる自己満足!」とこき下ろす場合に使われることが多いような感じがする。不思議なのは「自己反省」という言葉で、他人がやったことを反省することはできない(と思う)から、反省と言えば即自分の言動に関してだと思うんだけど、「同じ○○として」他人のことを反省する奇特な人がいるのがおもしろい。

60年代の学生運動の頃には「自己批判」というのが流行ったけど、たいていは覆面をした大勢の反体制学生に取り囲まれて「自己批判しろ」と詰め寄られてのことで、相手に期待された通りの「批判」を並べていたから、自己批判と言えるかどうかは怪しいもんだな。履歴書に書く「自己都合退職」だって、ほんとは辞めたくないのに雇い主の圧力で退職に追い込まれた人がたくさんいるらしい。それは「自己の都合」じゃなくて「会社」の都合だろうに、自己都合にしないと失業保険の手続きに必要な書類をもらえなかったりするらしい。都合のいい時には「自己否定」を要求し、都合が悪くなると「自己責任」を問う社会のように見えるけど、そもそも「自己」という観念があるのかどうか・・・。

ま、どうでもいいけど、少なくとも満足していない自分を変えようにも、自分をよく知っていないと何を変えたらいいのかわからないだろうと思う。自分を知っていても、その自分を変えるのは難しい。自分を変えようとすると、それに伴う痛みに自分で対処しなければならないから、それでも自分は変わりたい!という意志と覚悟がないと自己改革は苦しくて辛い。だから、人はつい必然的に他人や周囲の環境を変えようとするんだろうと思う。他人であれば、自分が望むように変わらなければ、変わらせる手段がいろいろとあるみたいだし・・・。

さて、のんびりしていないで、週末の仕事にかかるか。自営業は自己管理が重要で、しかも自分の生業の存亡がかかっているから、こればかりは他人に管理してもらうわけには行かないもんね。

ストレス解消はおしゃべりに限る

8月18日。土曜日。今日も暑いという予報だったので、午前9時前にエアコンがオンになるようにセットしておいたら、なんだか涼しくて目が覚めた。雲が出ていて、午後1時のポーチの気温は22度。週間予報を見たら、週中からの最高気温が20度を切っている。あれ、夏はもうおしまいなの?そういえば、今日から恒例のPNEが始まるんだった。子供たちの夏休みが終わって新学年が始まる前の最後の大イベントで、100年の歴史があるんだけど、なぜかこのPNEが始まると雨が降り出すというジンクスがある・・・。

今日はシアトルから同業の友だち夫婦とその友だち夫婦が週末の一泊旅行でやって来るので、ダウンタウンで一緒にディナーの予定。シアトルからバンクーバーまでのハイウェイ5号線でも230キロ近い距離を何とサイクリングして来るというからすごい。ハイウェイには自転車禁止の区間があるから、最終的にはたぶん250キロ近くペダルを踏むことになるのかな。超人的だけど、どのくらい時間がかかるんだろう。夫同士がビール通なので地ビールを飲めるところがいいということで、ここはどうかとEnsemble Tapというパブを紹介したら、ちゃっちゃと「6時半に予約を入れたわよ~」とメール。早い!と感心して思い出した。彼女の副業はウェディングプランナー。友、遠方より(自転車こいで)来る。楽しからずやなんて、そんなこと、聞くほうが野暮ってものでしょ。

とりあえず、午後は仕事。日本の金曜日の夕方に飛び込んで来たちょっと大きめの仕事が、先方の先方でまだ発注の承認が出ていないということで、週明けまでお預け。助かった~。こっち時間で明日の夕方が納期の仕事があって、その上に別のところから明日中かあさっての午前6時が納期の仕事があって、その上に月曜日の夕方までにもうひとつはちょっとばかりきつい。ま、いっかとばかりについ引き受けてしまうワタシがどうかしているんだけど、まあ、上得意さんとなれば、腕まくりのひとつもしようという気持になるもんだし、日本では夕方に引き合いが飛び込んで来ることが多い「魔の金曜日」で、コーディネータさんは帰るにも帰れず、やきもきしてクライアントと下請けの両方の返事待ちということが多い。きのうも、お預けの連絡メールが来た頃には(日本時間)午後7時を大きく回っていた。「花金」なんて、いったいどこの話なんだろうね?
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久しぶりのダウンタウン。地下鉄の駅から出て来たら、グランヴィルストリートはラテンアメリカ人のお祭りがあって交通止め。小さなステージができていて、スペイン語名前のバンドの生演奏。他民族都市(多国籍都市ではない)バンクーバーには大小のエスニックフェスティバルが相当な数ある。おまけに今日は何とも奇妙なお祭りもあるらしく、頭や顔、着ているものを血まみれにした気味の悪い若い男女がぞろぞろ。ははあ、これがゾンビウォークというやつか。北米のどこかで始まったのが「オレたちもやろうじゃないか」というノリで世界中に広まったらしいけど、何というかあんまり趣味の良いイベントじゃないなあ。今のシリアに行ったらこんな風景は日常だろうにと思ってしまった。まあ、そうやって歩いているご当人たちはけっこう楽しそうにしていたから、一種のコスプレのつもりなんだろうな。それでも気味が悪いことには変わりないけど・・・。

予約の6時半にパブで落ち合って、友だち夫婦の友だち夫婦(ご近所さんだそうな)とは初対面だけど、その場で意気投合しておしゃべりが盛り上がり、パブを出たのは午後10時10分前。話によると、シアトルからバンクーバーまでの長距離サイクリングは毎年恒例の大イベントで、1000人以上の参加者が途中のベリンガムで1泊して2日がかりで300キロを走るんだそうな。ハイウェイは走れないから、山あり谷ありルートをせっせとペダルを踏むんだそうな。もっとも、途中では水の補給ステーションがあるそうだし、カフェなどで休憩したりもするので、ツールドフランスのような過酷なレースとはまったく趣が違うけど、それでも300キロ走破はすごいなあ。毎年早々と募集枠がいっぱいになってしまう人気ぶりで、今は金土と土日の2回に分けて、それでも両方とも満員御礼になるそうだから、びっくりした。友だち夫婦もその友だち夫婦も40代半ば。いや、元気だなあ・・・。

賑やかな周囲に負けないくらい賑やかにおしゃべりをして、ワタシたちがシアトルに行ったときは、6人でまた食事をしようねと約束して、おやすみなさい。どうやらワタシの一番のストレス解消法はおしゃべりらしい。うん、楽しいひとときだった!

英語になったパワーハラスメント

8月19日。日曜日。今日は久しぶりに朝からエアコンなし。何しろ、正午のポーチの温度計はぎりぎりで16度。こんなときにエアコンをかけたら鼻先に霜焼けができてしまいそう。おとといは30度近くて、今年一番の暑さかと騒いでいたのに、何で?

きのうは目いっぱい楽しく遊んだから、今日は鉢巻をきりりと締めなおして、仕事。夕方までに日本時間月曜朝イチの仕事はきのうのうちに60%くらいは終わっている。何となく小町横町の掲示板を読んでいるような感じで、やっているうちにちょっとばかり気が滅入って来る。社会人の集団なんだけど、大人社会のはずなんだけど、だけど、だけど、やっていることはだいたいが砂場の子供のけんかのレベル。苦情もあるけど、告げ口みたいのもある。そういうのにいちいち対処しなければならない担当者は大変だと思うけど、この世には楽な仕事なんてないという証拠。まあ、それが大人が生計を立てるために働くということかな。でも、こんなのを読んで「やれやれ、日本人て・・・」なんて印象にならないといいね。(よけいなおせっかいだけど。)

品質管理担当のカレシは原稿を見て、「パワーハラスメントなんて言葉、英語じゃないよ。流行のカタカナ語じゃないの?」と横やり口調。あの、ちゃんと英語になってるよ。英語の文書に出て来るんだから。「正しい英語じゃない。英語らしく言い替えろ」。たしかに英語としてしっくりしないけど、ちゃんと英語として流通してるんだってば。「いや、そんな英語はない!」 ある!「間違いだ!」 間違いじゃないってば。なぜかカレシは「それは英語じゃない!意味不明だ!」とヒートアップ気味。 あのね、その筋の仕事をしている人にはちゃんとわかるの。ウィキペディアでも調べてみたら(英語のウィキにあるから、日本発祥だって)?いったい何なの、アナタ?そういうのを「パワハラ」と言うのよ、日本では。で、英語ではパワーハラスメントと言うの(日本製英語を逆輸入したものらしい)。「それは職権乱用というんだ」。ちがうなあ、それ。自分に自信がないけど突っ張りたい人間が職場での地位や権力を傘に着て自分より下の人間に嫌がらせをしたり、いじめたりするのがパワハラ。それを家でやればモラハラDV・・・。

北風と太陽の話じゃないけど、カレシの心の中にもいろんな風が吹いているだろうから、(今でも)ときどきつむじ風が巻き起こるのはしょうがない。藁の家に住んでいたときは被害甚大だったけど、今はがっちりしたれんがの家。狼がいくら青くなるまで吹きまくったってびくともしないよ。テレビを見たら、アサンジが外国大使館と言う安全圏の中から「アメリカはああしろ、こうしろ」と命令しているところで、カレシのもやもやイライラは矛先を変えて「あんなヤツはさっさと突入して逮捕してしまえ!」と言って、テレビをプッチン。ワタシが思うに、あのアサンジって男、政府とか政治家に(たぶん個人的な)意趣遺恨があって、何かと嫌われるアメリカを意趣返しの標的にしたのはいいけど、エラそうにしていても内心は報復が怖くてびくびくしているんだろうな。他人を攻撃して、自分はこそこそと逃げる。けっこういるなあ、そういう人。でもまあ、あんな風に注目を浴びるようなことをやれば、その人の本質が見えなくなるか、見えても目をつぶるのが群衆の心理かもしれない。何ハラっていうのかな、そういうの。

夕食後はもうひとつの仕事。これはおもしろい。人間の脳の中ってこんなにもいろんなパーツがあるんだと感心することしきり。前、後ろ、てっぺん。横、上、下。大脳に小脳に中脳に右脳に左脳。漢字だらけの名前がぞろぞろ。解剖学の先駆者たちはこういうのにひとつひとつ名前をつけたんだからすごい。ワタシの大脳辺縁系の海馬体は花火大会のようになっているかもしれないな。これだから科学の仕事はやめられない。原稿を見たカレシ、横槍ハラスメントを反省したのか、いかにもしおらしく「読みやすい英語だね」。そりゃそうだろうな、脳の話でも人間の感情とは別の次元なんだからと言ったら、「知らない単語ばかりで、何の話かさっぱりわからなかったけど、読みやすかったよ」と。ふむ、ほめているんだか、けなしているんだか・・・。

夫婦げんかも時には地盤固めになる

8月20日。月曜日。夏、ほんのちょっと盛り返し。起床は午前11時半。きのうはカレシがパンを焼くのを忘れたので、ベーコンとポテトとミックスきのこを炒めて、カレシが担当の目玉焼きと一緒にピタにはさんで、エッグマクピッタ、とでもいうのか・・・。

午後にHマートに買い物に行くことになっていたので、早めに起きてよかったと思っていたら、カレシが「夜にしよう」とお得意のドタチェン。まあ、いいかとOKしたら、しばらくして、「今日はIGAに行って野菜を買って来ることにして、Hマートは明日にしない?」とまた変更。きのうの今日で、ワタシの頭の上に危険を知らせる黄色い旗。でも、野菜がなくなって来たから、そっちの方がいいかとOK。ところが、しばらくして今度は「IGAは明日の午後に行くことにして、今夜はセイフウェイでとりあえず必要な野菜だけ買って、酒屋に寄ってジンを買って来ることにしようよ」と。まあ、いいけど・・・。それが午後3時半。しばらく庭に出ていて、入ってくるなり「2日に分けて野菜を買いに行くのはめんどうだから、今夜は酒屋だけにしよう」。おいおい・・・。

カレシのドタチェン、ポイントカードを作ったらすごいだろうな。ドタチェン1回ごとに10点。1000点貯まったら、う~ん、リコンかなあ・・・なんて。まあ、何かストレスを抱えているらしいとは想像がつくけど、振り回し ゲームはまっぴらごめん。OKすればするほどくるくる予定を変えるし、こっちが渋ればいやいや半分で出かけて、いかにもワタシのために無理をしているんだといわんばかりにため息、ため息。そういうときにオンになっていたのがワタシの心に罪悪感を起こさせる「スイッチ」。ワタシが悪いことをしたわけではないのに、カレシが威嚇的な態度を取ったり、キレたりするたびに入ったのがこのスイッチ。たぶん大人になる過程のどこかで誰かに付けられてしまったんだろう。モラハラ人間は自分の「罪悪感」を荷降ろしするために、鋭敏な嗅覚でそのスイッチを持っている人を嗅ぎ出すらしい。

まあ、そっちルールでのゲームはやらないのよと、一応不興であることを態度で示して、夜になって酒屋へ。帰り道で「何でそんなにカリカリしてるんだよっ」と怒るから、何でワタシがそんなにカリカリしているのかという理由を並べて、けんかしいしい家の前。そこでカレシが「Fuck you!」と怒鳴ったから、ワタシも負けずに大きな声で「Fuck you!」とやり返した。ワタシとしては後は野となれ山となれの心境だったんだけど、家の中に入ってからのカレシはやけにしおらしい。(あまりにも汚い罵り言葉だから、ワタシがそれを使ったことがカレシにはショックだったのかなあ・・・。)しばらくして、仕事の算段をしていたワタシのところへ来て、「ボク、謝るよ。キミにそれほどストレスをかけているとは知らなかったんだよ。ごめんね」。

へ?謝るよって、謝らない人の代表みたいだったカレシが真剣な顔をして「ごめんね」って、本気なの?あのあり地獄の2年が(ワタシが求めなかったせいもあるだろうけど)最後には小町横町でよく見るような土下座も謝罪もなく、何となく終わったのに、今になってカレシがえらく真剣な顔で謝っている。一瞬変地異が起きるんじゃないかと思ったけど、でもまあ本当に本気みたいなので、ここはワタシもうんうんとうなずいて仲直り。でも、今回はいくらカレシが怒鳴っても、ワタシはひと粒の涙も流さなかった。我ながら不思議な気持だけど、長い間(カレシと出会うよりもっと前から、もしかしたら子供のときから)ワタシを苛めてきた「他人の罪悪感を肩代わりするスイッチ」が抜け落ちたんだろうと思う。これが初めて正真正銘「対等」にやったけんかだったかもしれないな。まあ、カレシは青天の霹靂で、腰を抜かしたのかもれしれないけど、ワタシという人間が住むのは、もう藁の家でもない、木の家でもない、どんな嵐にも吹き倒されない赤レンガの家。

結婚は夫婦2人が共同参画して初めて結婚として成り立つもので、そういう「枠」があることを煩わしく感じる人もいることはわかっているけど、夫婦のどちらかが、どんな理由であれ勝手にその「枠」の外へ踏み出したら、結婚している意味はなくなると思う。あのとき、あえて日本流の「謝罪」は求めなかったけど、ワタシのところに戻って来たアナタにそう言ったよね、ワタシ?まっ、明日の午後はIGAに行こうね。でないと、野菜どころか、トイレットペーパーもランチの食材も、寝酒のつまみもなくなるんだからね。

自分が自分でいられる自由

8月21日。火曜日。正午前に起床。何か久しぶりにぐっすり眠れたという気分。夢の中でも知らない生意気たっぷりなオンナノコがぎゃんぎゃん言っているのに、しっかりと自分の言い分を主張していたから、よほどきのうのケンカの結末は強烈だったんだろうな。(学んだことを夢の中できちんとおさらいしていたということなのかなあ。)午後1時のポーチの気温は17度。ちょっと低めではあるけど、まあまあ。でも、空の色は心なしか秋空の青・・・。

朝食後、予定通りに買出しにIGAへ。ドライフルーツを作る材料をどっさり買うというので、トートバッグを2つ持って行った。(きのうのようなことがあった後で普段やらないでいたことをやりたくなるらしいのがカレシ。ま、ドライフルーツを作るからと言うので買ったデハイドレータがずっと遊休状態だから、いいか。)トラックの運転も心なしかいつもよりは慎重。カレシが果物や野菜をカートに詰め込んでいる間に、ワタシは魚のカウンターで、右端から左端まで、(オヒョウ、スティールヘッド、ホッキョクイワナ、ロックフィッシュ、アヒ、ティラピアなど)あれをいくつ、これをいくつ。トイレットペーパーはダブルロール15個入り。ヨーグルトのとなりに見慣れない「ケフィア」というのがあって、手に取って振ってみたら、たぷたぷ。そういえば日本では「飲むヨーグルト」というのがあって、試しておいしかったのを思い出して、同じようなものかどうかはわからないけど買ってみることにした。大さじ1杯で腸にやさしいバクテリア50億個だそうな。

こういうときに限って、仕事がどさどさと入って来る。まだ8月が終わっていないのに、ログを見ると平均的な年だった2010年の10月末のラインを超えてしまっている。あ~あ、来年春の所得税申告が思いやられるなあ。ま、現役のうちは仕事は仕事。だけど、ねじり鉢巻を締める前に、ちょっと寄り道。小町横町から逸れて、白河桃子と言う人の「スパイス小町」という連載コラムに遭遇。掲示板への投稿内容をテーマにしたエッセイで、これがなかなかおもしろい。婚活で断る時のトラブルに関して「国民的恋愛のルールの統一云々」のところで、「日本人は実は「自由」が苦手。ある程度のルールがあるほうが安心する国民」と言っていて、常々個人の自由だとか、人それぞれだとか言いながら、同時に、いわゆる常識とかマナーといった「暗黙のルール」にこだわったり、それを他人に押し付けるのはどうしてなんだろうと不思議に思っていた謎が解けた感じがした。「ルールを以って尊しとす・・・?

でも、日本の人はどうして「自由」が苦手なのか。漢字だけを見ると、日本語の「自由」は「自分」(自)の「よりどころ」(由)と読める。つまり、ワタシ流の勝手な解釈では、「自我」の拠りどころであり、ひいては自分の存在意義を定義するものだと思う。でも、人は行動や判断の拠りどころとなる「自分」の存在がはっきりしていなければ、自己の判断に自信を持てないんだろう。自信の源泉である「よりどころ」が脆弱だから、何をしてもそれが普通なのか、世間の常識から外れているのか、マナーといわれるものに違反しているのかと気になるし、違反することへの社会的なペナルティも怖い。そこで、昔は横丁のご隠居さんの意見を聞いたりしたんだろうけど、今の時代は小町横丁のようなところで世間一般の「ものさし」はどうなのかとお伺いを立てるということか。(自信のある人は初めからそんな必要はないか・・・。)

そういうものさし(あるいは平均値)は、とりあえず合わせておけば、少なくとも自分は普通なんだという安心感をもたらしてくれるものなんだろう。まあ、それも社会文化のひとつなんだと思うし、一応であっても大多数が世間一般の「暗黙のルール」に従えば、みんなが安心できて、それなりにその社会は平和だろうと思う。だけど、ルールに合わせない人(あるいは平均値から外れている人)がいるというのは、「和」が乱れるということで「安心感」を揺るがされ、漠然とした不安感に変わるということなんだと思う。不安な動物は攻撃的になりがちなもので、人間も、動物とは表現が違ってもそのあたりは同じなのかもしれないな。

なんだか「自由」というのは大きな自己責任を伴うものだという気がして、その重みが実感としてわかってきたように思う。アメリカ独立運動の先頭に立ったヘンリーは「我に自由を、しからずんば死を与えよ」という名言を残したけど、まさに自分の存在の拠りどころである自由を奪われることは、自分という人格の死に価することなんだと思う。そう考えると、自分が自分でいられるという自由を疎かにはできない。自由であるということは自分を大切にするということだと思うから。

気合が入ったのなんのって

8月23日。月曜日。普通に起きたけど、ちょっと眠い。朝方に通り雨程度に降ったような話だけど、ひつじ雲が浮いている空の青はまさに「秋」。週間予報を見たら、もう気温はあまり上がらないみたい。なんか、短い、と言うか、短すぎる夏と言う感じがする。地球は温暖化してるんじゃなかったのかな。北極の氷がどんどん解けているってのに・・・。

きのうは我ながら呆れるくらいに気合が入って、2日分の仕事をまとめてやっつけてしまった。ひとつは医学がテーマで、もうひとつは味も素っ気もない契約書。契約書はだいたいが常套句的な文が並んでいるので、何年もやっているとけっこう簡単になってくる。日本語訳が中心だった頃に元原稿の契約書英語をいやになるほど読んだので、弁護士口調はお手のもの。おかげでピッチが上がって大助かり。科学論文の方は文章があいまいさを美とする日本語で書かれていても、ビジネスなんかの文書よりはずっと明快だからやりやすい。ステッドマン医学大辞典とハーパーコリンズの図解医学辞典を両側において、グーグルスカラーでラテン語の専門語や表現の用法を調べながらの作業だけど、宝探し的なところもあっておもしろい。図解医学辞典は英語版だけど、図解が生々しいもので、つい「イ~ッ」となるものもある。でも、論文の方は、ほう、へえ、なるほど~の連続で、おかげでどんどんピッチが上がって、結局2件とも余裕で納品・・・。

そういえば、今週のEconomist誌に「Microbes maketh man(微生物が人間を作る)」というおもしろい特集記事があった。ヒトの体を作っているのは10兆個の細胞と23000個の遺伝子だけでなく、数百種の細菌100兆個と3百万個の遺伝子からなるミクロビオームが共存する「生態系」だという、最近注目されつつある新しい医学の考え方で、その生態系の乱れが、肥満と栄養失調、糖尿病、動脈硬化と心臓疾患、多発性硬化症、喘息、湿疹、肝臓疾患、様々な消化器疾患、そして自閉症まで、いろいろな病気につながるというもの。つまり、人体という生態系が乱れることで病気が起きるのなら、細菌を移植するなどして狂った生態系を正常化すれば病気を治せるのではないか、抗生物質で悪さをする細菌もろとも命の営みに役立つ(というよりは加担している)細菌まで殺してしまう近代医学は目の付けどころが間違っていたのではないかということだった。

日ごろから、アレルギーや喘息、自己免疫疾患、発達障害などがどんどん増えているようなのは、人間が心安く抗生物質を使ったり、「きれい好き」を標榜して殺菌だ、滅菌だ、除菌だと「殺す」毒を持った化学薬品を使いまくって来たせいではないかと思っていたけど、あながちワタシの妄想とは限らなかったということかな。知恵がついて考えすぎるようになったのか、便利になりすぎて考えなくなったのか、どっちなのか知らないけど、人間というのは自滅的なことをする不思議な生物だなあという気がして来る。レミングの集団自殺の話は有名だけど、あれはあくまでも伝説。何らかの原因で動物が大量死することはありえるだろうけど、ことさら「死のう」と決めて死ぬわけじゃない。動物は生存するために気合を入れて生きていると思う。知恵のある人間なら気合を入れて人類が死滅しない方法を考えるだろうと思うんだけど、なぜか逆に死滅回遊へと流されているような・・・。

科学関係の仕事は人間が集積して来た実に多彩な知識に触れることができて、かなりの「Wow factor(うわっ、すごいという要素)」があるし、同時にいろいろと考えさせられて、自分なりに非科学的、似非哲学的な発見をすることも多いから、病み付きになって、つい気合が入ってしまう。逆に、契約や決算やその他諸々のビジネス関係の仕事の場合は、だいたいが「迫り来る納期」という強迫要素によって気合を入れられていると言った方がいいかもしれない。つまり、きのうは「へえ、そうするとどうなるのかな」と「早く終わらせたい」の相反する2方面にすごい気合を入れたから、くたびれたんだろうな。それでも、ずっと何となくだらだらのモードだったから、仕事に気合が入ったのはいいな。さて、次の納期は日曜日の夜(ビジネス系)と月曜日の夜(科学系)。ずいぶん急ぐなあ、みんな。ばたばたと8月が終わってしまいそうな気配・・・。

味見しすぎのドライフルーツ作り

8月24日。金曜日。起床は午前11時20分と、ちょっと早め。もうすっかり秋空になった感じで、正午のポーチの気温は17度。堆肥の影響が効きすぎたのかトレリス一面に巨大な葉っぱを繁らせているインゲン豆がやっと花を付け始めたとか。日が暮れるのが早くなって、夜の気温も10度近くまで下がるようになったから、植物は秋が近いことを感じ取って、実りを急いでいるのかも。

きのうは次の仕事の原稿が送られてくるのを待っている午後の間に、エコーの排ガス検査と保険の更新を済ませた。Air Careという州の排ガス検査、これに合格しないと自動車強制保険を更新できないしくみになっている。(修理して再検査までの保険はかけられる。)1980年代に始まったんだけど、排ガス技術の進歩で1992年以降の車は2年に1度になり、2000年代に入ってからは新車は7年間免除になった。エコーは買ってからちょうど7年でその免除期間が過ぎたわけ。実はこの検査、来年いっぱいで廃止が決まっていて、1年おきのエコーはこれが最初で最後の検査。検査場に行ってみたら、昔のような行列がなくて、待ち時間は2分。制度が始まった頃は30分、40分待ちなんてあたりまえだったのが嘘みたい。まず料金を前払い。1年おきの検査は毎年検査の倍。つまり、2年分払わされるわけで、ぼったくられている感じだな。おまけに、昔のようにエンジンをふかすこともせず、フードを開けてちょこちょこっと調べて、はい、合格。はあ?それだけで45ドル(約4千円)・・・?ぼったくりだ、やっぱり。

今日はミルクが切れるので、ゆうべ決めた通りに朝食後セイフウェイへひとっ走り。必要なものだけ買ってまっすぐ家に直行。ワタシは仕事にかかり、カレシはドライフルーツ作り。大きなパイナップルを割って、スライスして、デハイドレータのトレイを3段使って並べ、温度を設定。ファンが温風を送り始めて、家中にパイナップルの甘い香りが充満して来た。おとといはスライスしたバナナを乾燥処理して、これが良くできたもので、カレシはすっかりドライフルーツ・モードになっている。バナナはもちっとした噛み応えが残る程度に乾燥したら、味が濃縮されておいしかった。必然的にパイナップルにも大きな期待がかかる。バナナと違って水分が多いから、乾燥時間は12時間くらいかな。でもさあ、そんなに味見ばっかりしていたら、できあがる頃には半分くらいなくなっちゃってるんじゃない?

だけど、味見をするたびにパイナップルの味が凝縮されておいしくなるもので、ついつい味見をしてしまう。乾いてしわしわ、ぺらぺらになったパイナップルは、するめみたいに噛めば噛むほど甘い味が出るからたまらないなあ。2人して、もういいかなと(ちょっとだけ)味見をしていたら、案の定、いつのまにか1段目のトレイがほぼ空っぽに近くなってしまった。まあ、乾燥すると嵩がぐっと減るのはあたりまえなんだけど、この調子では12時間かけて作っても1回で全部食べてしまうことになりそうだから、次はパイナップルを2個買って来ないと間に合わないなあ。だけど、う~ん、おいしい!気を良くしたカレシ、明日はりんごを乾燥するんだそうな。まあ、甘味料は果物の天然の糖分だけから、つまみ食いのスナックとしては大いに健康的でいいな。折から秋の収穫の季節、ドライフルーツ、どんどん作ってちょうだい!

さて、最後の「味見」のパイナップルを噛みしめながら、がんばって仕事しようっと。漂って来る甘い香り、気になるけど・・・。

クオバディス、ニッポン語

8月26日。日曜日。就寝は午前5時近かったのに、カレシが早々と起きて、(別に暑くもないのに)エアコンをオンにしたもので、何となく眠りに戻れず、結局ワタシも早起きの午前11時10分。おかげでもやっと眠いんだけど、まあ、今日は日本時間の正午までに仕上げて納品しなければならない仕事があるから、早起きも悪くはないかもしれないな。

朝食をすませてオフィスに下りたら正午。いつもならまだ寝ているか、朝食中の時間。さっそく仕事にかかったけど、こっち時間の期限は午後8時だから、夕食の時間をはさんでもたっぷりの余裕。7千ワード近いし、予定を3日取るところを2日でやっつけたので、見直しと手入れだけで4、5時間はかかるし、おまけに元原稿はExcelのファイルと来ているから、校正が終わったものをそっちに落とすのにまた時間がかかる。それにしても、理系、IT系の人ってExcelが好きだなあ。というか、それしか使えないのかもしれないけど、セルのフォーマットくらいしておいてくれても良さそうなもんだ、とぶつぶつ。まあ、Excelを原稿用紙に見立ててレターを作成されるよりはいいか。まだそういう人がたまにいて、あの20字×20字の原稿用紙の様式はすでに日本人の遺伝子に組み込まれているんじゃないかと思うときがある。

何かの社内調査のようなものらしくて、割とエライ人たちの意見を聞いているんだけど、さすがその業種と言う感じで、み~んな何とかのひとつ覚えのように同じカタカナ語を使い、和製英語もぞろぞろ。たしかにIT系のカタカナ語を使うのはかっこいいのかもしれないけど、ユーザーマニュアルじゃないんだし、おじさんたちが社内でこういうカタカナ語をちりばめて会話しているのを想像すると、こっちの口元が緩んできてしまう。和製英語はおそらく和製英語だということを知らないで使っているんだろうな。(ワタシも和製英語だと知っていたわけじゃなくて、そのまま英語に置き換えたら何のことかまったくわからなくて、調べて初めて「和製英語」だとわかったんだけど。)はたと困ったのはやたらと出て来る「○○力(りょく)」。何にでも「化」をつけられるとこっちは言葉に詰まるんだけど、これもそういう流れで、何でもかんでも「力」をつければ気合が入っているように聞こえるということなんだろうか。ワタシはつい(カタカナで)「カ」と読んでしまうので、ますますチンプンカンプンでカッカそうよう。あ~あ、Quo vadis, Nippongo(ニッポン語よ、いづこへ)?翻訳者はつらいよ。

中でも一番こけてしまったのが、ごく普通の社内文書様式の語調でああだこうだと書いていて、いきなり「お客様」とか「いただく」とか、素っ頓狂なていねい語が飛び出して来ること。あんがい、ていねい語というよりは今どきのいわゆる「マニュアル敬語」(新ていねい語とも言うらしい)がサラリーマンの書く文書にも浸透しているということなのかもしれない。だけど、社内文書のヘンなところで「顧客」を「お客様」と持ち上げてみたところでどうなるってもんでもないでしょうが。それとも、「新ていねい語」と一緒に何やら不思議な心理も巷の一般人に浸透しつつあるのか。たしかに顧客に何かをしてもらうという話なんだけど、社内文書のそこだけ「お客様に○○していただいて」も、文章全体ではみごとに浮き上がって、しっくりと来ない。まあ、左利きの人が目の前に座ったときに右利きの人が違和感を持って、気になってしまうのと似たような感覚かな、これ・・・。

というわけで、いつものようにああたらこうたらと突っ込みを入れながら、仕事は無事に完了。夕食の支度をして、食べて、Excel処理をして、納品。やれやれ、何かくたびれる日本語だったわい。ほんとに最近は日本語がよくわからなくなって来たような気がする。日本語のコミュニケーション力(ここにもか)が低下しつつあるのか、それともワタシの言語中枢の日本語処理能が低下しつつあるのか、それとも単に今の日本語とワタシの日本語の乖離が進みつつあるのか。それとも、それとも、単なる老化現象か。どういうことなのか、ワタシにはわからないけど、言語変更線(なんてものがあるとしたら)を越えて来て、一種の「日本語シック」にかかって日本語環境を恋しがっていられる間はまだ日本語が劣化していない証拠で、そのあたりがあんがい「外国暮らし」の花なのかもしれないな。考えたら(いや、考えなくたってあたりまえの話なんだけど)ワタシは「外国暮らし」とか「海外在住」といったラベルが剥げ落ちてしまったし・・・。

さて、仕事は無事に終了したことだし、もうひとつは完結明瞭な科学ものなので、明日やっても十分に間に合うから、今日はさっさとオフィスを早じまい。カレシがペストソースを作るんだと、袋いっぱいの青じそを収穫してきたので、ちょっと手伝ってあげることにするか・・・。

甘さ凝縮のドライパイナップル

8月26日。おととい1日がかりでカレシが作ったドライパイナップル。まあ、味見で3分の1は食べてしまったけど、できあがった分もちょこちょこと摘んでいるうちに明日はもう空っぽというところ。だって、おいしすぎるんだもの。ずっしりと重い大きなパイナップルも、乾燥したらこんな感じ↓[写真]

長期保存するのなら、もう少し乾燥させる必要があるけど、どっちみち3日と持たない運命だから、まだほんの少し水気が残っているところまで乾燥。ほんとうにスルメを噛んでいるような噛み応えがあるから、病み付きになりそうでいけない。

ドライフルーツ作りにこれからも活躍してくれるデハイドレータ。[写真]

直径35センチくらい。底が網状になったトレイが5段重ねになっていて、加熱装置はふた兼用。トレイにスライスしたものを並べて、つまみを回して温度を設定して、プラグをコンセントに差し込むだけの簡単な仕組み。ファンが穏やかな温風をトレイの上段から下段まで通して、底から排気。果物類の乾燥温度は約60度。牛肉に味付けの処理をして乾燥させればビーフジャーキーになる。魚も乾燥できるというので、いつかイカを買ってきてスルメを作ってみようか。でも、家中が魚臭くなりそうだから、やめとくか。

カレシは庭でぶどうを育てて、レーズンを作るとか何とか言っているけど・・・。

うれしい期待はずれの菜園

8月27日。月曜日。ゆっくり目に起きて、ゆったりと朝食をして、コーヒー片手にのんびりと読書をして、それから思い立ってやおらシーツ類の洗濯。まあ、月曜日だし、仕事の納期はゆっくりだし・・・。

洗濯機が回っているそばで、フリーザーを開けて、さて、今日の晩ごはんは何にしようか。手間をかけるのがめんどうくさい気がするし、野菜も少なくなって来たしで、よし、今夜はニジマス。昔はトレイに2尾入れて売っていたのに、近頃のニジマスと来たらなぜか2人に1尾で十分な大きさ。養殖ものだから、まさかドーピングしているなんてことはないだろうなあ。アジアから輸入されて来る淡水えびもこの頃はずいぶん大きいのがスーパーにまで出回るようになって、小さいロブスターのしっぽ並みの身が入っているのがあったりする。最近BC州の大西洋サケの養殖場で伝染性貧血のウィルス感染が発生して、50万尾を処分する騒ぎになったけど、太平洋でまったく別種の大西洋のサケを養殖するということにも問題があるんじゃないのかな。地中海では若いクロマグロを捕獲して、養殖場で高カロリー、高脂肪の餌を与えて育てた、トロの部分が40%とかいう超メタボまぐろを日本へ送っているという話。魚介類の養殖は食料資源として重要だということはよくわかるけど、何だかなあ・・・。

庭仕事に出て行ったカレシの後を追って裏のポーチに出たら、暑くもなく、寒くもなくて、カレシ菜園は青々。池と滝を撤去した跡地を菜園にしたけど、土の大部分がほとんどが長年コンクリートの下にあったものなので、堆肥などで土壌改良をするまでは収穫はあまり期待できないと思っていたら、カレシが野菜くずをそのままどんどん埋めたので、フェネルも、フリゼーも、トマトも、サヤインゲンも、まあ伸びること、伸びること。ひょっとして窒素分が多すぎるんじゃないのかな。

[写真] 裏口のポーチからのながめ。右端のふわふわと黄色いのがフェネル。あっという間に大きく育って食べられなくなってしまったので、今は来年のためのタネが熟すのを待っているところ。フリゼーもきれいな薄紫色の花が咲いて食べられなくなったので、同様にタネをつけるのを待っている。カレシ菜園は農薬ゼロ、化学肥料もほとんど使わない有機栽培。使い残しや食べ残しはみんな次の年の野菜に化ける。

[写真] 圧巻はトマトとサヤインゲン。あまり期待していなかったこともあって、カレシが手持ちの何十種類あるのかわからないトマトの種を全部植えたら、なぜか「トマトの木」が育った(真ん中の棒で支えてあるやつ)。ワタシの背丈より高くて、見上げてしまう。その後ろのトレリスで我が世を謳歌しているのはサヤインゲン。童話の『ジャックと豆の木』よろしく蔓がにょきにょきと伸びて、ワタシの広げた手よりもずっと大きな葉っぱがわさわさ。やっぱり窒素分が過剰なんじゃないのかな。それでも上の方で花が咲き始めたから、ある程度の収穫は期待できそうだな。

[写真] こっちは「木」にならなかったトマトたち。左端に見えているのはカレシが床屋さんのアントニオからもらって来たイチジクの木。来年くらいに前庭に下ろしてやることになっているけど、どのくらいしたらイチジクが食べられるようになるのかな。アメリカの農務省が「Plant Hardiness Zone(植物耐寒性ゾーン)」と言う地図を作っていて、ゾーン1からゾーン11まである(区分は12まであるけど実際にゾーン12に相当するところはないみたい)。数字が大きいほど最低気温が高くて、栽培できる植物の種類も多くなる。バンクーバーは「ゾーン8a」の北限ぎりぎりで、天候条件によっては「ゾーン8b」に入ることもあるので、イチジクもちゃんと育って実をつけてくれる(はず)。イチジクジャムを作るの、楽しみだなあ。

[写真] あ、隙間からのぞいているのは誰だ~?

金持と庶民の金銭感覚の違い?

8月28日。火曜日。起床は正午前。今日は仕事がない。朝起きたとたんから何時までにあのファイルを仕上げて納品しなきゃ~なんて考えなくていいのはうれしいな。「本日は完売いたしました」と張り紙をして店じまいできたらいいなと思うけど、そこはモノではなくて「サービス」を売る商売の悲しさ、そうは問屋が卸してくれない。翻訳業みたいな自営のサービス稼業に「完売」はありえない。もしもあるとしたら、それはモノ作りの原料にあたりそうな脳みそが劣化して使いものにならなくなったときを言うんじゃないのかな。まだしばらくは現役の身としてはそれは困る。

仕事がないと言っても、いつどんな仕事が飛び込んで来るかわからないのも自営業の辛いところで、その仕事がどれくらいの大きさなのかも入って来るまでわからない。でも、そういう商売をひとりで20年以上もやっていると、けっこう業務管理の要領も良くなるし、何よりもまず頭の中で計算機がカチャカチャと動いて、よし、この金額ならやらない手はないぞ~と欲が騒いでくれる。そこへカレシがあっちだ、こっちだとミニバケーションの行き先を提案して来ると、つい久しぶりにラスベガスはいいし、サンフランシスコもいいかも~と、また頭の中で計算機がカチャカチャ。結局のところ、仕事を続けて行くエネルギーの源はお金なのかもしれないな。まあ、いくらきれいなことを言っても、お金というのは良きにつけ悪しきにつけ人間のモチベーションを上げるパワーを持っていると思う。

ここのところ小町で「6ヵ月の赤ん坊を連れて日本へ里帰りするのにファーストクラスにしようかどうか」というトピックが賑わっていた。文面から20代か、せいぜい30歳前後と推測したけど、いつもビジネスクラスでエコノミークラスには修学旅行以来乗ったことがないというご身分で、(たぶんまだファーストクラスつきの便がたくさん飛んでいる)ヨーロッパのどこかで、家のことを任せる「ハウススタッフ」までいる優雅な暮らしをしているらしい。ファーストクラスの料金がいくらぐらいなのか知らないけど、快適と静けさのために高い料金を払っているんビジネスやファーストクラスに赤ん坊連れはやめてくれという意見も多い中、エコノミーを数席まとめて取れとか、そんなに金があるなら飛行機をチャーターしたら良かろうとか、さらには「ビジネスクラスは仕事場だ!」と息巻く人もいたりして、賛否両論が喧々諤々。いくら母親がぐずらない赤ん坊だと言っても、赤ん坊てのは泣くときは泣くもんだし、これは難しい問題だな。

その流れで「どのくらいの年収だったら自腹で飛行機のビジネスやファースト、新幹線のグリーンに乗るか」というトピックを立てた人がいて、「駄」と添えてある通りのくだらない質問だけど、書き込まれる回答がめっちゃくちゃおもしろい。そういうプレミアムのクラスは会社の経費とかマイレージのアップグレードで乗っている人が多いと仮定しているから、「自腹を切って乗るなら」という前提条件がついている。そのせいかどうか知らないけど、常日頃から(自己申告で)高所得層がひしめいている小町横町の世帯収入の水準がいきなりひと桁跳ね上がった感じだからケッサク。1500万あたりから2000万、3000万、5000万、8000万、そして億万長者も・・・。そのほとんどが「エコノミークラスしか乗らない/考えられない」、「自腹を切ってまで乗らない」、「そんな余裕はない」と、質素な暮らしぶりを競い合っているからすごい。中には子供なしで3000万円でもデパ地下のスーパーを気軽に使える程度の余裕しかないという世間離れした奥様までいて、小町横町の話なのか、どこぞの首長国の話なのかわからなくなってきた。

逆に、1千万以下の人の方が、楽だから、たまにだからと、自腹を切ってビジネスクラスに乗っていることを正直に申告しているところがおもしろい。ワタシも東京便のような数時間の飛行なら、抵抗なくビジネスクラスに乗れるな(ファーストクラスは元からついていない)。ワタシの分は経費で落とせるけど、カレシの分は自腹。でも、2年かそこらに一度のことだし、何よりも身体が楽だし、まともな食事が出て来るし、搭乗までの時間をラウンジで快適に過ごせるし、十分に価値はあると思う。それに、経費と言ってもひとり稼業で稼いでいるんだから、自腹を切るのとさして変わらないような気もする。元々ちょっとした贅沢をするのが楽しいから働くのが苦にならないんだし、基本的な生活を圧迫しなければ特に贅沢をしているとも思わないけど、小町横町の富豪夫人たちにとってはとんでもない贅沢なんだろうな。ま、そうやって「自分のお金を使う」贅沢をせずに、ひたすら質素に生活しているからお金が貯まって大金持ちになるんだろうな。そのあたりで「貯めたお金でたまに一点豪華の贅沢を楽しむ」庶民とは金銭感覚が違っているということか。

まあ、年収が5000万円あったら、ワタシはグダグダと取り繕ったような言いわけなんかせずにすんなりとファーストクラスに乗っちゃうけどなあ。お金って、必要以上にため込んでも付加価値があるとは思えないから、自分にとって価値のあるものと交換してナンボだと思うし、だから、いつまで経っても庶民で、こうしていつまでも仕事をしているんだろうけど、それでもけっこう幸せだと思うし・・・。

年相応に仕事をしろと言われても

8月29日。水曜日。目が覚めて涼しくなって来たなあと思ったら、いつの間にかカレシがエアコンをオンにしていた。全然暑くないのに、もう。しょうがないから、いい気持ちで寝ているカレシの方にころっと寝返りして、暑がり屋さんの体温を横取りしてやった。だってこんな時期に風邪なんて引きたくないもの。

きのうは水平線に仕事という暗雲がかかっていなかったので、提出期限が迫っていたエッセイをひと息で書き上げた。9月30日は「国際翻訳の日」なんだそうで、それを記念して日本の協会がアンソロジーを出版することになって、だいぶ前から会員からエッセイを募集していた。一筆啓上をもくろんでいたワタシは、翻訳論みたいな薀蓄を傾けるにはちょっと箔が足りなすぎるから、何を書こうかと思案投げ首。昔からいろんな背景や経歴の人が(多くの場合にひょんなことから)足を踏み入れて来る業界だったんだけど、最近は「まず学歴ありき」の波が押し寄せて来て、翻訳で学位を取って来る人も増えたから、「しろうと」の翻訳論はお呼びじゃなさそう。で、ふと思いついたのが、昔ある短編小説の日本語に訳されたものを読んで得たイメージが、その後原書を読んで得たイメージとまったく違っていた話。思い立ったら吉日で、その話を軸にささっと短いエッセイを書いて、ささっと送ってしまった。ほっ。

きのうはそのくらいのどかな日だったのに、今日は台風が団子で来たような雲行き。夜になってすご~く大量の仕事がどんっと降って来て、それが普通なら10日はかかりそうなのを何とか1週間でというもので、お尻に火が付いた気分。難しくはないけど、何しろ量が多い。下へ下へとスクロールしても、どこまで行ったら「ジ・エンド」にたどり着けるのやら。しばらくちんたらちんたらやって来て緩んでいるねじを巻き直して、必勝鉢巻を締めなおして、腕をまくり直してがんばらにゃいかんなあ・・・と開いた原稿ファイルをつらつら眺めていたら、別の方面からも大きそうな仕事。こっちは納期に余裕があるから後に続ければいいけど、何だかややこしそうな話。ふむ、どうやら日本ではお盆休みが終わって、遊び疲れた人たちがリフレッシュのために「仕事モード」になっているらしい。やれやれ、この調子だと9月は鉢巻が何本あっても足りないんじゃないのかなあ。友だちに言われたっけなあ、「年相応の仕事量にしときなさいね」って。はあ、年相応に仕事をしろと言われてもねえ・・・。

9月の仕事がこれだけで済めば、まあ何とか「年相応」(つまり、仕事6割、遊び4割くらい?)でちょうど良さそうだけど、どうなることやら。とにかく、徹夜だけは絶対に年相応じゃないから、断固として回避することにしておいて、とりあえず夕食後は野菜の買出しにひとっ走り。寝酒の友に今はまっているニシンのピクルスもいくつか買ってきて当面の兵糧の手当てした。腹が減っては戦はできないというけど、またストレス食いでストレス太りになっちゃうのかなあ。折りしも食欲の秋だし・・・。

今夜は月がとっても青いらしい

8月31日。金曜日。8月最後の日。ちょっとばかり夏っぽい陽気だけど、やっぱり夏が終わるという感じがするな。何となくだけど、ちょっとばかり気がせかせかして来るように感じるのは、日が短くなって来たせいか、それとも1年の残りが少なくなって来たせいか・・・。

きのうは目がしょぼしょぼして、かすんで来るくらいにがっつり(なんか品のない響きの言葉だなあ・・・)仕事をした。おかげでだいぶ進んで、ぎりぎりで半徹夜くらいにはなるかもしれないけど、本格的な徹夜だけは何とか回避できそうな予感。何時間もじっと座ってひたすらキーを叩いていると、やたらとおなかが空いて困る。ワタシの原始的な本能が諸々の天災で作物が不作だから冬が来る前に食べておかねばと勘違いしているのかな。それとも、敵に城を包囲されて兵糧攻めになっていると勘違いしているのか。前者なら農耕民族、後者なら狩猟採集民族の遺伝子だろうな。何となく縄文人の遺伝子が濃いような感じがするし、中央アジアから西へ移動して行った狩猟民族のはぐれ遺伝子が紛れ込んでいるような気がしないでもないし。このあたりはワタシのゲノムを解読してみたらおもしろいかも。まあ、食い気を発現する遺伝子を持っていることだけはたしかかな。

今日はブルームーン。暦の上のひと月のうちに起きる2度目の満月のことを「ブルームーン」というんだけど、お月様が青く見えるというわけではない。でも、珍しい現象と言うことで「once in a blue moon(ごく稀に)」という口語表現があるけど、実は月の満ち欠けの周期から計算すると満月は1年に12.36回ある勘定で、この「珍しい」ブルームーンは2年か3年に一度起きることになるから、日食や月食の方がよっぽど珍しい。もっとも今年のブルームーンは世界の時間帯によっては8月ではなくて9月の出来事ということになるそうな。ちなみに、この次のブルームーンは3年後の2015年7月だとか。

ブルームーンの今日、アメリカではニール・アームストロングの葬儀があった。この日が人類で最初に月に降り立った人の葬送の日になったというのは何かの因縁かな。たしかに、一人の人間にとっては小さな一歩であっても、その人間が別の天体に降り立ったのは人類にとって大きな飛躍。だって、たとえ衛星であっても、地球の引力を振り切って飛び出さなければ、行けなかったところなんだもの。人間が「母なる地球」の重い束縛から自らを解き放った、精神的にも大きな飛躍だと感じ人たちもけっこういたと思う。まあ、アメリカとソ連が軍事力や核兵器を競った冷戦の最中だったからこそ金と技術と人を結集して実行できたんだろうと思うといささか皮肉な話だけど、その後の人類を見ていると、どうやら人間は戦って(競争して)いないと進歩も後退もしない生物種らしい。

もっとも、昨今は進化するどころか、成長するのをやめてしまった人も多いようで、人類は徐々に後退(あるいは退化)しつつあると言った方がよさそうな気もするけどな。ま、大宇宙の一地方にある銀河系という名の星のムラの、そのはるかな村はずれにある「太陽」と言う名のパッとしない中年の平凡な星の周りを回って、その光と熱で生命を育んでいるのが「地球」と言う名の惑星。その地球の周りを回っているのが「月(衛星)」。他の惑星の月にはみんなそれぞれに固有の名前が付いているのに、なぜか地球のたったひとつの月は(欧米語では大文字で他の月と区別できるけど)ただの「月」。でも、大きな宇宙の中でたったひとつ人類が2本の足で歩いた月。はるかに遠い昔に、遊牧の民や狩人たち、夜通しの番をする羊飼いたちも見上げたであろう月。

この宇宙にいくつ月があるのか知らないけど、8月最後の夜の空にかかっている満月は「母なる地球」の唯一無二の月なんだから、名前なんかつけなくてもいいね。ちょっと外へ出て、ブルームーンを見上げて来るかな。ずっと昔、子供の頃に聞いたような記憶があるなあ、「月がとっても青いから」という歌・・・。


2012年8月~その1

2012年08月16日 | 昔語り(2006~2013)
無駄がなさ過ぎるのは脳に良くない?

8月1日。水曜日。今日から8月。もう8月。今年ももうあと・・・は、まだちょっと早いか。年を重ねるごとに時間の足が速くなるのはわかっているけど、そこまで急ぐことはないな。まだ8月。まだ夏。夏の真っ盛り・・・。

「なぜみんな雑談をするのか?楽しいのか?必要なのか?礼儀なのか?」小町横町でおもしろい問いかけをしている人がいる。雑談すること自体が役に立つことなのか?問いかけの主は、役に立たないものは家に起きたくないし、無駄と思うものには時間を割かない性格だそうで、同じような人に会ったことがないのが不思議。いや、不思議でも何でもなくて、同じような人に会わないのはきっと向こうも無駄なことに時間を割かないからだろうと思うんだけどな。曰く、雑談に参加してみたけれども疲れるだけだった。でも、「すごい効果や役に立つことがあるなら、やらないと損かな」と。どんな効果、どんな効用を期待しているのかわからないけど、要するに自分が無駄だと思う雑談をみんながしているのは何か「得すること」があるからじゃないか、だったら自分もおこぼれに与りたいということなのかな。まあ、自分以外の人間に興味がないだけかもしれないけど、こういう何でも「損得」で考える人、けっこう増えているような感じもするな。かの大富豪ドナルド・トランプのトレードマークみたいになった「What’s in it for me(こっちにどんなメリットがあるの?)」という思考に似ているけど、人との交わりも投資的な価値判断なのか・・・。

雑談は役に立つのか(何の役に立つのか)という問いかけに対して、「人間の脳は意味のないことや無駄と思えることを考えたりする方が認知症になりにくい」と何かで読んだという書き込み。仕事ばかりしていたり、理論的、合理的性格だったりすると早いうちに認知症になる危険があるらしい。これはつらつらと考えてみる価値があるな。無駄だと思うことには時間を無駄にしたくないと、いつもテンションを上げたままだと脳が磨り減ってしまうということか。雑談は脳のレクリエーションということだろうな。もっとも、考えてみて無駄にはならないことをめんどうくさがって考えないでいたら、脳は逆に萎びてしまうかもしれないから、そこは「メリハリをつける」、つまり、昨今よく使われる「ワークライフ・バランス」。ワタシはけっこうまじめに仕事をするけど、「無駄に」過ごす時間も多いし、何の意味があって何に役立つのかわからないような雑談、雑感、雑念、雑学、雑記の類にかけては人後に落ちないから、早いうちに認知症になることは心配しなくても良さそうだな。もうかなり「とぼけて」はいるみたいだけど・・・。

ブログの編集画面の下に出て来るgooのランキング。「将来への不安ある?」というのがあったので、のぞいて見たら、2位以下を大きく引き離して第1位だったのが「いろいろ心配」。あれこれと心配で、不安で気の休まる暇がないということか。それは辛いなあ。でも、あまりくよくよ心配するのも脳に良くないような気がするけど。ランキングの第2位は「老後が不安」、以下「結婚できるか」、「子供の将来が不安」、「十分な収入が得られるか」と続いていて、「日本を覆う暗雲」を総まとめしたような感じ。このランキングを見た人は気が滅入ってしまうんじゃないかと心配になって来る。まあ日本の人はちょっと不安神経症気味だとは思うけどなあ、と画面を見ていて目に入ったのが「医師質問:境界性人格障害」という広告で、「専門家がオンラインで待機中。どんな質問でも今すぐ回答をゲット」だと。今すぐ答をゲットできるんだったら誰も不安な思いはしないだろうと思うんだけど。それにしても、いたるところにうるさく出て来る「Ads by Google」のひとつとはいえ、不安に関するページに境界性人格障害って、何だかなあ・・・。

誰かが首になったおかげで年金問題が解決

8月2日。木曜日。起床は正午ちょっと前。ここのところ気温はいたって平年並みで、日中は23度くらいあるけど、最低気温は15度以下に下がるので、エアコンをかけずに寝られるし、ベッドルームが暑くなって来るのはちょうど起き出す頃で、それより前の時間にタイマーをセットしておく必要もないのがうれしい。これが典型的なバンクーバーの「短くて快適すぎる」夏・・・。

今日は朝食もそこそこにゆうべ飛び込んで来たラッシュの仕事の見直し。人事に関するものにはそれなりのドラマがあっておもしろい。いったい何を考えていたやらと呆れるような規律違反や法規違反はもとより、ときには新聞に名前(や会社名)が載ってしまうような事件まで、実にいろんなことが起きる。まあ、いろんな人間がいるから、それも当然だろうけど、いつもどうしてこんなことでつまづいてしまうのかと不思議に思う。悪くしてクビになったら、奥さんに何て言うんだろうな。キャリアに傷がつくだけではなく、家に帰れば奥サンに「明日からどうやって暮らすのよっ」と泣かれるだろうし、クビになった理由によっては家庭崩壊・・・。でも、そういうところまでは考えないから、そうなってしまうんだろうな。

「魔がさした」・・・つまり、何かの弾みで心のたがが緩んだか、外れてしまったということなのか。刑事事件を起こせばそれで「おしまい」かもしれないけど、「敗者復活戦」のない国ではキャリアに「懲戒」の2文字がついて回れば似たようなものかもしれないから、その人の人生だけでなく、家族の将来まで狂わせてしまいそう。クビになれば当面の生活が問題になるけど、「外れたたが」のおかげでいったいどのくらいの「生涯賃金」が吹っ飛ぶかをちょっと考えてみれば、緩みがちなたがを少しは締められるかもしれない。仮に40歳で年収1千万だった人がクビになって、400万の仕事に再就職できたとすると、単純に60歳定年までの20年をかけて計算しただけでも逸失賃金は1億2千万円。子供の教育、マイホーム、海外旅行、老後の資金・・・ため息が出そう。でも、心のたがはほんの一瞬で外れるもので、そんなことを考えている暇はないだろうけど。

カレシが早期退職させられたのは57歳のとき。懲戒処分になるようなことはしなかったけど、メール恋愛ごっこに夢中になって仕事をサボっていたらしく、リストラに半年先がけて肩叩き。収入は組合年金だけになって、それも60歳前なので少し減額。それでも、さすが公務員組合の年金だけあって、ひとりなら何とか暮らせる額だったし、ワタシはその倍以上稼げていたから、家計には実害がなかったのは幸いだったかな。それでも、今になって考えたら、想定外の早期退職による生涯賃金の逸失分を当時の年収マイナス年金で計算すると、60歳まで3年勤めたとすれば約1200万円、公的年金をもらえる65歳まで8年勤めたら(いくらかの昇給があるとして)約3500万円。これが愚行の代償というところだけど、まあ、まじめに仕事をしていてもいずれはリストラの対象(この場合は年金は満額)になっただろうし、職場や仕事が嫌になっていたカレシには渡りに舟の退職勧奨だったんだから、今はあまり意味のない数字・・・。

仕事をしながら、どうしていい大人なのにいっときの気の迷いで高収入を棒に振って、キャリアや人生や家族の生活を狂わせる人たちが後を絶たないんだろうと思っているうちに、カレシが退職した前後のことを思い出して、急にどうしてワタシが年金受給を遅らせて働き続けなきゃならないんだと、ムカっとした気分になった。こんな気持になったのは初めてで、自分でもちょっとびっくりしたけど、年金の申請用紙を前に、今までは基本額が増えるから受給開始を2、3年遅らせて、このままフルに仕事を続けようと漠然と考えていたのが何だかばかばかしく思えてしまった。何年分かの給料を棒に振ったカレシではあるけど、今では3つも年金をもらって糟糠の妻を養えるくらいの左団扇なんだから、よし、ワタシもまずは年金をもらい始めて、仕事は風まかせということにする。うん、それで決まり!どこかでクビになった人がいたおかげでワタシの問題が解決なんてちょっとヘンだけど、でも、ああ、すっきりしたっ。

ネットの広告も斜めに見るとおもしろい

8月3日。金曜日。今日はけっこう早くから暑い。この週末は州によって名前が違うのでいったい何の祝日なのかわからないけど、とりあえず全国的に三連休。まあ、学校は夏休みでもあるし、家族揃って遊びなさいということで作ってくれたんじゃないかと思うけど、日本でハッピーマンデーとかいうあれと同じような発想かな。(BC州ではオンタリオ州に倣って来年から2月の第2だか第3月曜日を「ファミリーデイ」とか何とかいう休みにしたので、三連休がひとつ増えることになった。)またカナダドル高に振れて来たので、明日は国境に長い車の列ができて、何時間も待つということになるんだろうな。この夏一番の暑さになりそうだという予報なのに・・・。

暑そうだから日中外へ出るのはやめにして、週明けが期限の新しい仕事の算段。今度は大規模な商業開発に関するもので、一面にきらきら語をちりばめたような華やかさ。こういうのはやっていて楽しい。だけど、日本人的感性100%の「きらきら日本語」を英語人的感性にアピールするような「きらきら英語」に訳すのはけっこう疲れる。そうでなくても感性(イメージ)レベルでの異言語コミュニケーションは難しいのに、コピーライターはその「イメージ」を「何、これ?」というような表現で描こうとする。常に斬新な(あるいはトレンディな)表現方法を要求される商売だから当然だろうけど、宣伝文というのは、売り込む方で想定したイメージを読んだ人に描いてもらわなければ用をなさないから、日本語の(斬新な)宣伝文句を英文に置き換えるだけでは、いくら訳が正確でも英語頭には「はあ?」となることが多い。あ~あ、おもしろいけど、かなり悩みそうだなあ、この仕事・・・。

広告といえば、今月に入ってこのブログにもテキスト広告が表示されるようになってから、どんなサイトにどんな広告が出るのか興味津々で、あっちのブログ、こっちのソーシャルメディアと、コンテンツそっちのけで観察して回ったところ、一番多いのはやっぱりAds by Google、他にAd Choices。記事の下に表示されるものは3つか4つ。サイドバーに表示されるものはもっと多い。でも、テキストだけの広告はさほどじゃまっけな感じはしないな。無視しやすいからだろうか。読んでもらわなければ効果はないと思うんだけど、実際にこういう広告をクリックする人っているんだろうか。あんがい、いわゆるアフィリエイトの感覚でポチッとやるのかな。(といっても、アフィリエイトというものがワタシにはよくわからないんだけど・・・。)

自分のブログにアクセスして出てきたのは、25分で129円からという格安オンライン英会話の広告。フィリピン人は英語ネイティブじゃないはずだけど、人件費は安いからいい商売になるんだろうな。他に、日本への「里帰り」の格安航空券(帰る実家もないから間に合ってます)、海外転職(間に合ってま~す)。どっちも日本語なんだけど、今日はなぜか英語で「Pretty Japanese Wife」と言うのが出てきた。そのうたい文句がふるっていて、「何百人もの美しいメールオーダーワイフとの出会い。100%確認済みのプロフィール!」 URLを見たらいろんな出会い系広告を出しているところ。何を100%確認したのか知らないけど、日本女性をつかまえて「メールオーダーワイフ」はないと思うよ。いうなれば「通販嫁」で、いくらgooのランキングで結婚できるかどうかが不安の第3位に入っていたと言っても、日本の女性がこの広告を見たら「まだそこまで落ちてないわよっ!」と憤慨するだろうな。でも、ひと昔前の「国際結婚ブーム」のときはネットでの出会いが盛んだったようだし、日本の男性もかなり「通販嫁」をもらっているんじゃないかと思うけど。

鬱陶しいのはやっぱり写真入の広告だけど、こっちはサイトによっては出会い系が多い。例の「独身の日本女性との出会い」のオンナノコたちの写真を観察していて、真ん中でVサインしているコは日本人っぽいけど、両側の2人は日焼けし過ぎで、顔立ちもちょっと日本人離れしているのに気がついた。「独身の日本女性」と聞いてクリックしてしまうオトコがたくさんいることを期待しているのかもしれないけど、だったらどうして日本語?もっとケッサクなのは、ある在日外国人のサイトにいつも貼られている「友だち募集」広告。会員百万人以上と銘打っていたけど、もう10年以上前から同じ顔ぶれ(日本人)のローテーション。これではまるで「売れ残り品一掃セール」の広告のようで、効果のほどは限りなくゼロに近そう。でも、誰もクリックしなくても、サイトのオーナーには広告掲載料が入るのかな。だったら、おいしそうな話ではあるけど・・・。

インターネットに溢れる広告もこうやって斜めから見ているとけっこうおもしろい暇つぶしになっていいな。それに「愛するのに言葉はいらない」そうだから、出会い系サイトの広告の翻訳注文が飛び込んで来るということもまずあり得ない(ワタシの料金、高いし)。だけど、仕事の方の宣伝はたぶん何十億、何百億の大事業だろうから、「きらきら語」の創造にもすごいお金がかかっていそうで、斜めに見て楽しんでいるわけには行かない。まじめに考えなきゃ、きらきらと・・・。

いつまで続くの、オリンピック

8月4日。土曜日。三連休初日(と言ってもカレンダーがそうなっているだけで、普通の日と変わらないけど)。今日は早くから暑い。エアコンのタイマーを午前10時半くらいにオンになるようにセットしておいたけど、9時半頃にちょっと目が覚めたときはもう顔が汗だらけ。でも、タイマーをリセットするのがめんどうで、またそのまま眠ってしまった。

朝食が終わって、「ゆっくりしていい日」の読書。『Good Behaviour』 を読み終わったので、今度はキングスリー・エイミスの『Lucky Jim』。エイミスはイギリスで1950年代に一世を風靡した「怒れる若者たち」のひとり。アイリス・マードックもそうだったし、アラン・シリトーやジョン・オズボーンもその世代。後にアメリカで起こったヒッピー運動の先駆けと言えなくもないな。ま、いつの時代でも若者たちは既成社会に対して怒って、楯突くものだと思う。ワタシだって、20代前半の頃は左に傾き、ヒッピー運動に共感し、さらには生まれ育った北海道が中央政府(北海道開発庁)に植民地のように扱われていることに義憤を感じて、「北海道独立論」に心酔したもんだった。年と共にけっこう保守派の方に振れて来たけど、今でも北海道は「津軽海峡以南」に活力を吸い尽くされないために分離独立すべきという思いは変わらない。

オリンピックはどうやら半分くらいまで日程を消化したらしい。ワタシも東京オリンピックで「東洋の魔女」に感動し、札幌オリンピックでは70メートル級ジャンプのトリプルメダルに感動したクチだけど、あまりにも商業化、プロ化して、すっかり関心をなくしてしまった。たぶんロサンゼルスでのオリンピック(日本ではバブルが膨張し始めた頃)あたりからだろうと思うけど、かのクーベルタン男爵も墓の中でのた打ち回っているんじゃないかな。国旗掲揚と国家演奏をやめたらいいのにと思うけど、それができなくなったら国威と愛国心の発揚パーティをする機会がなくなって、どこの国も「それじゃあ選手育成に金をかける意味がないから、や~めた」なんてことになってしまうかな。

もう何年も前の夏のこと、ビクトリア・ライティング・スクールの合宿に参加した時、同じクラスにオリンピックの体操に出場するはずだったという人(エレン)がいた。14歳で強化選手に選ばれ、BC州の親元を離れて遠いオンタリオのコーチの家に住み込んで、毎日ひたすら練習に励み、全国選手権で上位に入って、オリンピックへの切符は確実というところまで行った。ところが、いざオリンピック(モントリオールだったかな)代表の選考の段階になって、エレンは「年を取りすぎている」と言う理由で落とされてしまったそうな。そのときの彼女は19歳。オリンピックの女子体操はチャスラフスカの時代から、コルブトやコマネチのようなティーンの時代になっていて、選考委員たちは19歳の大人では「年令的に」審判に受けないと考えたらしい。十代の青春を捧げたオリンピックの夢を目前で潰されたエレンはそれから長い間うつ病と闘い続けたという。「自分の気持を文章にすることで救われたの」と言っていた彼女、50歳近くになっていたけど、小柄で笑顔のかわいい人だった・・・。

華やかなオリンピックの裏にはそういう人間の心や努力を踏みにじるひどい話がたくさんあるんだろうな。エレンだって技量が足りなかったのなら諦めも付いただろうに。それもこれも国のメダル獲得数を競うためかと思うと、オリンピックには関心が持てなくなってしまった。それにしても、バドミントンの「無気力試合」はひどい。ニュースで見たけど、あれならワタシだってオリンピックに出られる。それと、ビーチバレーとか言う種目は何なんだろう。そのうち、スケートボードとか、マウンテンバイクとか、はてはブレークダンスなんて種目も登場するかもしれないな。ま、4年に一度の地上最大の「ショー」だもんね。(開会式の女王様と007のスキットは話を聞いてYouTubeで見たけど、あれはなかなかのご愛嬌だったな。)水泳のフェルプス君は帰国するときにメダルが重すぎて手荷物の重量超過料金を取られるんじゃないのかな。それと、日本は男尊女卑という汚名を返上するためにも、なでしこちゃんたちをメダルの色に関係なくビジネスクラスに乗せてあげてね。でも、ひとつだけ、南アフリカの両足義足のランナーにはちょっと感動したな。ぜひメダルを勝ち取って欲しいと思う。

日程はあとまだ半分あるのか。期間もずいぶん長くなったもんだな・・・。

外が暑すぎるから今日は仕事日

8月5日。日曜日。今日も暑いなあ。午後1時でポーチの温度計はもう25度を超える勢い。うはっ、真夏日だ。バンクーバーでは最高気温が30度を一度も越えない年の方が圧倒的に多いので、感覚的に25度あたりが「真夏日」ということにある。たまに30度を超えようものなら、異常高温の警報が出るくらいで、もうもろに「猛暑日」。でもまあ、湿度が低めなので、蒸し風呂というよりはオーブンに入ったような感じで、肌が汗でべとつかないからいたって快適。

三連休と言うこともあって、ビーチはたぶん足の踏み場もないくらいの賑わいだろうな。紫外線がどうの、皮膚がんがどうのと言われながらも、どっちかというと白い美肌よりも小麦色の健康美の方が未だに好感度が高いらしい。まあ、昔のような真っ赤に焼けて痛々しい姿はあまり見られなくなったように思うけど、燦々と太陽が照ると、若い人たちが「小麦色」を目指してビーチに殺到するのは変わっていない。焼けすぎないようにサンスクリーンを塗りながら甲羅干しをするのが今どき風というところかな。色白の妹が生まれたときに伯母が「こっちは玄米」と評したというくらい色が黒いワタシは、ビーチなんかに寝転がっていたら片面15分ずつで真っ黒こげ状態になってしまう。美白肌が命の国では日焼けするたびに亡き母に「前後の区別が付かない」とこぼされたけど、小麦色が好きなこの国では、うまく焼けなくて苦労していたコーカサス人種の女性たちにこの「15分でこんがり」を羨ましがられることが多かった。まあ、ところ変われば美肌の基準だって変わるって・・・。

夏真っ盛りの三連休だけあって、この週末はイベントのラッシュ。ゆうべはCelebration of Lightという恒例の花火大会の最終回をやっていた。普通の花火大会と違って、音楽と花火の打ち上げをシンクロさせるもので、前はそのデザインと技術を競う国際大会でもあった。最近は景気も良くないから3ヵ国を募って3回に分けてやるだけになっているけど、それでも20分そこそこのショーにイングリッシュベイを囲むビーチには20万人くらい集まるらしい。今年は1回目がベトナム、2回目がブラジルで、最終回のゆうべはイタリア。南斜面にある我が家からは花火は見えないけど、音だけは聞こえる。音から判断する限りではブラジルの花火が一番派手だったな。そのうちに誰かがYouTubeにビデオを投稿するだろうから、探し出して、ゆっくり楽しもうっと。

この週末は「パウエルストリート・フェスティバル」もある。パウエルストリートは戦前に日本人町が栄えた、いわば日系カナダ人の「ふるさと」にあたるところ。祭そのものはバンクーバーにいくつもあるエスニック・フェスティバルのひとつで、もうかれこれ35年くらい続いている。ワタシも最初の2、3年はカレシに連れられて行ったもんだけど、何となく田舎の小さな神社の夏祭りみたいななつかしい雰囲気があった。今ではお祭に来る層が「日系人」からバブル時代以降に到来した「日本人」に変わっているらしいけど、長いこと行っていないから本当のところはわからない。でも、会場となるパウエルストリート沿いのオッペンハイマー公園がホームレスがたむろするカナダ有数の極貧地区にあることが(何らかのビザで住んでいる)日本人にはいたく不評だということは聞いている。まあ、この人たちは「日本から来ている日本人」なんであって、日系カナダ人の歴史を知らない(というか、元から関心がない)んだから、パウエルストリートフェスティバルの意義を説明しても無駄だろうと思うけどね。

この週末のイベントの目玉はなんと言っても今日の「プライド・パレード」かな。これはなかなか見ごたえがありそう。今回のパレードの先導役は先にミス・ワールドか何だかのコンテストにカナダ代表で出た(元男性の)ジェナ・タラコヴァ。初めは「生まれつきの女性でない」ということで失格にされたけど、最終的にコンテストのオーナーであるドナルド・トランプの鶴の一声で出場が認められた人。惜しくもミス(何だったか)のタイトルは逃したけど、なかなかの美女。ワタシはこの国で「人」として魅力的なゲイやレスビアンにたくさん出会って来たので、異性婚も同性婚も(その線上で同人種婚も異人種婚も)相互の愛と尊敬とコミットメントに基づく1対1の「単婚」の関係であることに変わりはなく、どんな形であっても心から愛し合っている2人は美しい。だって、人と人が愛し合えるのはすばらしいことなんだもの。だいたい、人間が垂れ流す内分泌撹乱物質のせいで自然界では雌と雄の区別が混乱して来ているそうだから、人間だって影響を受けずにいられるとは思えないし、そうなったら、性が繁殖から切り離された人間界では、いずれは古代から続いて来た男と女の観念も立ち行かなくなるかもしれないしね。

午後3時の気温27度。湿度48%。暑いから、今日は1日中涼しいオフィスに引きこもって仕事三昧ということにする。もっとも、納期は明日の夕方だから、のんびりしていられないという事情もあるけど、やっぱり何たって暑すぎる。カレシも水遣りに庭に出て行ってはそそくさと家の中に戻ってくる。菜園はトマトも豆もものすごい勢いで育っているそうだけど、暑すぎてあまり農作業ができないとぶつぶつ。今まであった池と滝を撤去したせいで、流水による冷却効果がなくなったからじゃないのかな。水が流れる音だけでも心理的に涼しく感じられるのが、それもなくなったし、それに雑草が生えるままにしてあった部分はコンクリートのタイルを敷き詰めてしまったから、太陽熱が吸収されてよけいに暑く感じられるのかもしれない。でも逆に、夜間に冷えるようになる秋には保温効果のおかげで栽培期間が長くなることも考えられるから、ここはせっせと水遣りするしかないと思うけど、暑いよなあ・・・。

予報には雷雨なんてなかったのに

8月7日。火曜日。午前11時半に外でピィピィという音がして目が覚めたというカレシに起こされて目が覚めた。「誰かがトラックをいじったんじゃないか」と言うから、まっさか~。トラックのアラームはピィピィなんてもんじゃないし、鳴り出したらしばらく止まらない。でも、心配性のカレシはそのまま起き出して外へ偵察に。ま、家の防犯アラームを解除するのを忘れなかったのはエライ。でも、結局ワタシもそのまま起きてしまった。正午前のポーチの気温はまだ20度に届いていない。

きのうは午後いっぱい大まじめに仕事。やっぱり宣伝の目玉になるキャッチコピーに引っかかって、漢字が2つのごく短い単語なのにうんうんと脳みそを絞ってしまった。最初に出て来るひと言だけなら、クリエイティブなノリでわりと自由に考えられるんだけど、別のところでのうたい文句の中にシチュエーションをいろいろに変えて出て来るので、そこでもピリッと決まるものでないとキャッチコピーとしての役をなさないし、元原稿の日本語の意味合いも考慮しなければならないし、おまけに別の単語をくっつけて「は?」という造語まで出て来るから、そのたびにもっとピリッとする表現はないかと知恵を絞り、新しい文句が浮かぶたびに初めに戻って前出の分を全部変更。あれやこれやと何度も変更を重ねて、それでも何とかこれなら「きらきら英語」として通用しそうなものに落ち着いたけど、これが「ものづくり」の原料だったら採算割れしそうな時間を費やしてしまった。ああ、やれやれ。広告会社で毎日こういうキャッチコピーを考えるのって、さぞかし(少なくとも脳みその)寿命の縮む仕事だろうなあ。

前の日からひたすら仕事をした余勢をかって、きのうは日本の友だちに送る旅行の記念写真に添える手紙も2本書いた(というより「打った」というべきか)。その過程で、ワタシの子供時代のアルバムに仲良し4人組の写真があったのを思い出した。ちょうど50年前、ワタシが父の転勤で生まれ育った釧路を離れることになったときに、J子、K子、そして今回50年ぶりに東京で再会したR子とワタシの仲良し4人組でお別れパーティをしたのを母が窓の外から撮ってくれた写真。モノクロの小さな写真だったので、カレシにPhotoShopで拡大処理して、写真用紙に印刷してもらった。あれは中学2年の夏。4人ともそれぞれに違う人生を歩んだわけだけど、50年離れていてもあの頃の仲良しのままでいられたのは神様の思し召しだったのか。写真を見ると、そろそろ青春に突入する年頃の女の子4人組、う~ん、何だかおませな顔をして乾杯なんかしてるけど・・・。

今日はその手紙を持ってモールの郵便局へ。ずっと韓国系の家族がやっていたのが、今日はカウンターの後ろにフィリピン系らしい人。経営者が変わったのかな。封筒の重さを計ってもらって、切手を貼ってもらって、ついでに国内、アメリカ、国際の3種類の切手を10枚ずつ買って、ミッション終了。その足でこの前マティニグラスを買おうと思ったキッチン用品店に入って、迷わず4個入りセットを2つ。大きな袋に入れてくれたけど、持ちにくいので携帯でカレシにタクシーサービスを頼んだら、「ついでだからコーヒーと豆とひまわりの種とオートブラン(燕麦のふすま)を買って、いつものところで待っていろ」との指示。1キロ入りのイタリアのコーヒー豆とローストしたひまわりの種(塩なしなのでピーナツのような味わい)とオートブラン、ついでにソーセージも買って、ミッション完了。雲が広がって来て、あまり暑くないけど、ちょっと蒸している感じ・・・。

午後8時過ぎだったか、外が騒々しいのに気がついた。うはっ、カミナリ。そんなの天気予報にあったかなあと、さっそく二階へ駆け上がる物好きなワタシ。南東の方角が明るくなって派手な雷光が走ったので、小学校の理科の時間に教わった通り、い~ちぃ、にぃ~い、さぁ~ん、と数えたけど、いつまでもゴロゴロと来ない。音なしのカミナリかと思っていたら、諦めて数えるのを止めたころになってゴロゴロッ。風が出てきたと見えて、窓の外では大木がわさわさと揺れている。道路が塗れている。見ているうちに、カミナリは東へ、そして北東の空へと移動して行って、9時過ぎには静かになった。かなり見ごたえのあるショーだったと興奮覚めやらぬ気分でオフィスに戻ったら、バックアップ電源のサージ保護がカチッ、カチッ。頭の上でのカミナリでなくて良かった~。

落ち着いたと思ったら、しばらくしてまた鳴り出して、庭に出ていたカレシは雨具を取りに駆け込んできた。後でニュースを見たら、郊外では雹が降ったところもあり、落雷にあってけがをした人が2人いるということだった。どちらも軽傷ということだけど、バンクーバーではちょっとめずらしい夏の嵐だなあ・・・。おかげで急に涼しくなったような感じがするけど、明日からはほぼ平年並みの気温に戻るらしい。明日はカレシの誕生日。カレシの希望で、グランヴィルアイランドのマーケットにカニを買いに行く予定。そんなときに限ってドンッと入ってくるのが仕事。でも納期に余裕があるから、明日は臨時休業しま~す。

誕生日のディナーはちょっぴり北海道

8月8日。水曜日。起床は正午過ぎ。おお、ぐっと涼しい。午後1時のポーチの気温が15度。きのうの雷雨のせいかな。新聞サイトにはさっそく読者から送られてきた豪快な写真がたくさん載っているけど、二階の窓から見ていたワタシにも、何本にも枝分かれした雷光が視界いっぱいに広がって見えて、すごかった。郊外のあちこちでまだ停電したままのところがあるというから、ニュースの見出しの通り、まさに「ワイルド」な嵐だったんだろうな。

今日はカレシの69歳の誕生日。60代最後の誕生日だけど、39歳から年を取るのをやめたんだというカレシは、「ボクは39だよ」と主張。う~ん、若いままでいたいという気持はわかるけど、この時点で中身までもまだその「若年」のままってのはどうなのかなあ。何となく進歩が遅れているようにも聞こえるけど、まあ、年令についてはご本人の自己申告にまかせることにして、ハッピーバースデイ!

カレシがバースデイディナーは「カニ!」と決めていたので、予定通りにグランヴィルアイランドへ出かけた。地下鉄駅から歩くなら、フォルスクリークの遊歩道沿いに20分程度なんだけど、今日は週日だから混んでいないだろうということで、車で乗り入れて一方通行の道をのろのろ走りながら駐車スペース探し。の下にある小さな島で、昔は工場がいくつもあったところ。今はセメント会社が残っているだけで、公共マーケットの他に、美術大学や劇場、地ビールや酒の醸造所、アーティストのスタジオなんかがひしめいていて、観光地にもなっている。今日は中国人の観光客がバス何台分か入っていた。

マーケットに入ってすぐの魚屋で水槽の中でごそごそと動いているカニの一番大きそうなヤツを選んで、茹でてもらっている間に他の店を見て回る。迷路のようなところで同じ場所を行ったり来たりながら、アジアの食品がある店ではゆず胡椒ソースと茎の付いている生姜、カラマンシという小さなライムのような丸い果物、それとsea asparagus(海のアスパラガス)というおもしろい名前の「塩味の野菜」。イタリア食品の店でオリーブを買い、別の魚屋でビントロの燻製1本とドイツ風にしんの酢油漬け。いろいろなハーブを浸してある量り売りのオリーブ油の壷がずらりと並んでいる店があって、見ているだけでもおもしろい。カニが茹で上がった頃に元の魚屋に戻って、袋に入れてあったのをもらって、今日の買い物は終わり。

今日のメニュー:
 つぶ貝とアスパラガスのにんにくバター焼き
 白魚のコーンミール揚げ
 ゆず味のエビとゆず胡椒味のキハダマグロ
 カニ半身、サンファイアのバター炒め

[写真] 冷凍で売っている剥き身のつぶ貝はざくざくと切って、にんにくとタイムでバター焼き。ついでにアスパラガスも入れて、彩りに。

[写真] シルバーフィッシュとして冷凍で売っている魚で、本当のところは白魚なのかシラスなのかはわからない。コーンミールと小麦粉を混ぜたものに絡めておいて、かき揚げ風にさっと油で揚げるだけ。買って来たばかりのカラマンシを半分に切って添えた。調べてみたら、カラマンシはタガログ語の名前で、英語名はcalamondin(カラモンディン)。熟した実はオレンジ色になるんだそうで、よく観賞用に売っているミニオレンジの親戚らしい。

[写真] 茹でて売っている小エビの剥き身はさっとゆずの果汁に漬け、キハダマグロはサイコロに切ってゆず胡椒ソースと醤油少々をからめただけのもの。箸休めみたいなもの?

[写真] 本命のカニ。このあたりの海で獲れる「ダンジネス蟹」はアメリカイチョウガニという種類だそうで、子供の頃によく食べた毛ガニと何となく味が似ていて、よく見ると太い方の足の縁に似たような「毛」がポヨポヨと生えているけど、毛ガニより甲羅の幅が少し広くて、足もちょっと長い。これは重さが1キロあって、半分ずつにしてもかなりの食べがいがある。付け合せはsea asparagus。ちょっとかじってみたら本当に塩味だったので、そのままさっとバターで炒めてみたら、コリコリした舌触りがおいしくて、はまってしまいそう。

「海のアスパラガス」と言う名前のわりにはちっともアスパラガスに似ていない。ヨーロッパではサンファイアと呼ばれているそうで、調べてみたら日本では「厚岸草」。え?釧路のそばのあの厚岸?でも、厚岸からはすでに姿を消してしまっているらしい。秋になると赤くなるのでサンゴ草とも呼ばれるということで、またびっくり。網走から紋別に向かうタクシーの運転手さんが能取湖のほとりを走りながらサンゴ草の話をしてくれた。前は一面に燃えるように真っ赤になったのが、最近あまり赤くならなくなったと。そうか、海のアスパラガスはサンゴ草だったのか。

つぶ貝に、毛ガニに似たダンジネス蟹に、厚岸草(サンゴ草)と、ちょっぴり北海道的な誕生日のディナーだったね。ハッピーバースデイ・トゥ・ユー!

悲観主義脳を楽観主義脳に変えることができる

8月9日。木曜日。起床はごく普通の午前11時半。天気はごく普通の20度(正午)。ちょっとばかりトロ~ンとした気分。きのうはカレシの誕生日のご馳走でおなかがいっぱいになって、真夜中のランチを省略したので、その分ゆっくりと寝酒とおつまみ。ここのところ減量するためにしばらく寝酒とつまみを控えていたカレシがグラスを2個出して来たので、ビントロの燻製とソーセージを肴に、2人してあれこれとおしゃべりしているうちに半分あったワタシのレミがほぼ空っぽ。たまにはいいね、こういうひとときも。

最近のMaclean’sにあった「楽観主義遺伝子」の記事の話になって、楽観主義と悲観主義、ポジティブ思考とネガティブ思考の違いについて、議論というか、ワタシがとうとうと講義をぶち上げたというか。でも、久しぶりに中身の濃い会話になった。研究によると、苦境に遭遇したときに、モノアミン酸化酵素Aという遺伝子が高発現型なら苦境からの精神的な回復力が強く、低発現型なら落ち込んだり、反社会的になったりしやすいらしい。また、セロトニン輸送体遺伝子にも高発現型と低発現型があって、高発現型の人は脳内配線が楽観主義になる可能性があるということだった。俗に「楽観主義遺伝子(optimist gene)」と呼ばれているのはこの高発現型セロトニン輸送体遺伝子のことらしい。

でも、人間というのは環境の産物でもあるわけで、楽観主義も悲観主義と同様に遺伝と人生経験と世界観が複雑に織り成すものであって、楽観主義遺伝子を持っていなくても楽観的な人がいれば、持っているのに悲観的な人もいる。遺伝子はパズル全体のひとつのピースに過ぎなくて、楽観主義、悲観主義を掌る脳内回路は人間の脳の中で最も可塑性の高い部分のひとつということだった。つまり、ものごとの明るい方を見る傾向のある人は、楽観主義遺伝子を持っていなくても脳内に「太陽がいっぱい」の思考経路ができるけど、暗い方ばかり見る傾向のある人はいくら楽観主義遺伝子を持っていても、「土砂降り」の思考経路ができるということらしい。この思考経路というのは要は脳内化学物質が流れる経路のことで、ちょっとした意識的な努力によってその流れを変えてやると、脳に物理的な構造変化が起こるんだそうで、まさに「脳内構造改革」というところ。

でも、きわめて可塑的な脳のことだから、逆に明るい方から暗い方へと流れが変わることもあるそうで、映画で強迫性障害で引き籠りになった億万長者ハワード・ヒューズを演じたレオナード・ディカプリオは、役作りのために強迫性障害の患者たちと交流しているうちに自分も強迫性障害になってしまったそうな。まあ、最近は強迫神経症的な人たちがずいぶん増えているような感じがするけど、「マインドフルネス認知療法」で衝動を抑える訓練を続けていると、やがて脳の眼窩前頭皮質という部分に同じような構造変化が起きるということで、悲観主義者にもこのテクニックを応用すれば楽観主義脳に変える効果があるかもしれないということだった。たしかに強迫神経症と悲観主義とネガティブ思考には「囚われる」という点で似たようなところがあるな。

ワタシたちはと見ると、カレシはどうやら根っからの悲観主義者で、思考パターンもかなりネガティブなんだけど、自分では悲観主義は親譲りだと言っている。そういえば、亡きパパは何にでもダメ出しをしては、些細なことでキレて怒鳴りまくっていた。(ちょっと異常に見えたこともよくあった。)そういうパパにいじられて育ったカレシは「土砂降り」とまでは行かなくても、「小雨しょぼしょぼ」型の脳内配線になってしまったのかもしれないな。パパは90歳で亡くなったけど、最後の何年かは認知症で妻のことも息子たちのことも忘れてしまっていた。一方でママの方は長いこと悲観的な考え方をする人だなと思っていたんだけど、最近は目に見えてポジティブ思考になって来た感じがするから、何十年もパパのような人と一緒に暮らした結果、「ディカプリオ現象」のようになっていたのかもしれない。「朱に交われば・・・」というから。

ワタシは(自己診断する限りは)かなり楽天的で、何ごとにも「Every cloud has silver lining(不幸中にも幸いあり)」がモットーになっているみたいな感じで、思考パターンもポジティブな方だと思う。(日本にいた頃はそうでもなかったかもしれないけど、だとしたら環境と世界観が変わったせいだろうと思う。)これでもいったんこうと決めたら、そのまま突き進んで後ろを振り向かない(後悔しない)ところがあるから、それで楽観主義的に見えるのかもしれないな。ワタシとしてはちゃんと状況を分析して、合理的に取捨選択して納得して決めているつもりだから、後悔することがあまりないんだろうと思う。まあ、ワタシの脳内はお日様が照っているけど、少なくともポリアンナのような「一面のお花畑」ではなさそう。じゃあ、カレシの脳内はどんな風景なんだろう・・・。

ものごとを悔やまない人生は生きやすい。後ろ向きよりも前向きの方が自分を好きになれるし、人間としての自分を好きなら、他人も人間として好きになれて、やさしくなれる。悲観主義でネガティブな人は自分のことを好きになれなくて、そのせいで他人も好きになれないんだろうと思う。特に楽観的でポジティブな人に我慢がならなくてイライラしたり、そういう人の一挙手一投足、はては存在そのものまでが気に食わなくて、モラハラで「ディカプリオ現象」を起こさせて、自分と同じネガティブな悲観主義に「構造改革」しようとしたりするのかもしれない。でも、そういう脳の配線を悲観主義思考から楽観主義思考に変えられる「マインドフルネス脳構造改革法」みたいなテクニックが確立されたら、みんなもっと生きやすくなるんじゃないかと思うんだけど。

生姜のゆで汁を捨てるのがもったいなくて

8月10日。金曜日。まあまあの天気。正午の気温は20度で、こっちもまあまあ。何でもこれから2ヵ月ぐらいの間にエルニーニョが発生するらしい。ということは、この冬は暖冬傾向になるのかな。先に起きて菜園の水遣りをしていたカレシにそう言ったら、「だったら冬の野菜作りを考えないとなあ」。エルニーニョの冬は暖かめで雨が多い。ハワイ方面から「パイナップル特急」と呼ばれる嵐が団子になって来たりするけど、寒波やドカ雪よりはずっと楽でいい。ドカンと来ても液体だったらシャベルがいらないし、それに、暖冬になると温室の暖房費もかなり削減できるしね。

今日はちんたらちんたらと仕事。2つ団子になっているんだけど、いつもの調子で、まだ納期まで余裕があるからいいかとのんびりモード。でもまあ、ひとつ目のはあまりおもしろくもない短い記事の集まりなので、ひとつの章をやってはだらだらのペースでもいつの間にか進んでいるからおもしろい。年金が入って来るようになったら、こういうペースで仕事をするといいのかもしれないな。仕事のログを見たら、今年は5月のうちに低調だった去年1年の実績を越えてしまっているし、今現在でもうその前の年の10月中旬のラインまで行っている。まずいなあ、これ。税金がど~んと跳ね上がってしまう。友だちにも「年相応の仕事量にしなさいね」と言われたことだし、今年はもうのんびりしてもいいかな。

でも、「年相応に」と言われても、いったいどの「年」にふさわしくあるべきなのか、そこが問題。ある新聞サイトを見ていたら「年不相応の時代」なんてコラムがあったけど、ワタシの暦年令は64歳で、まだシニア割引を利用できない。体の「生物学的年令」はとなると、いくつくらいなのかなあ。気持の上の年を示す「心理的年令」というものもあるとして、そのものさしで計ったら、ワタシは「アラ何」なんだろうな。そもそも「老い」というのはいったい何歳から始まるのか。日本のサイトを見ていると、(何を売っているのか知らないけど)「42歳?カワイイ」なんて広告があって、40代にもなって「カワイイ」はないだろと突っ込んでいたら、今度は「52歳、会社に行きたくない」とか「52歳、もう許してほしい」(いったい何を許すの?)なんて、老け作りのモデルが訴えるような悲愴な顔。あれ、そちらは52歳でもうへたれちゃうの?ワタシなんか64歳なんだけど~(ま、早々にへたれてくれないと製品が売れないけど)。近頃は「年相応」のものさしも多様化してしまって、いったいどれにあわせて仕事量を調節したらいいのやら・・・。

今日の夕食メニューはカレシのリクエストで極楽とんぼ亭自慢のフィッシュアンドチップス。「フィッシュ」はソースに漬けた魚にパン粉をまぶしてフライパンで「揚げる」もので、「チップス」は太いスティックに切ったいもをほとんど油を使わないティファールのフライメーカーで作るから、どっちもごく簡単。カレシがサラダ用のドレッシングを作っている間に、おととい見つけて来た新生姜で「しょうがの甘酢漬け」を仕込むことにした。日本から帰ってくるときに妹が印刷してくれたレシピの分量を(大雑把に)調節して、まずレシピの通りにナイフで皮をこそげて、薄切りしたのをちょっと長めに茹でた。しょうがの味がたっぷり出たゆで汁を捨てるのはもったいない気がして、ざるに空けるときに汁はボウルに取っておいた。甘酢を作っておいて、冷ましている間に食事。終わったところで、生姜と甘酢をビンに入れて蓋をして、食べごろになるまで1週間。カレシには「1週間だからね」と釘を刺しておく。

さて、生姜のゆで汁。どうしようかと思案しているうちに、ソーダ水で割って飲んでみようと思いついた。ただし、辛いくらいの生姜らしい味なので、蜂蜜と砂糖を少し入れて煮立てて、半分くらいに煮詰めてみた。これを冷まして、自家製のソーダ水で割って飲んでみたら、おお、ジンジャーエールのような味わい!甘みを控えたこともあって、市販のジンジャーエールより薄味ではあるけど、我が家の「ジンジャーソーダ」はさっぱりしていておいしい。カレシも半信半疑で飲んでみて、「うん、なかなかイケる」。どうやって作ったのかと聞くから、ゆで汁で生姜シロップを作ったと言ったら、「キミっておもしろいことを思いつくねえ」と来た。でも、ドレッシングにもカクテルにも使えそうだとのことで、おお、やったぁ~。1個の生姜から甘酢漬けとシロップの2通り。極楽とんぼ亭シェフの「思いつきクッキング」は大成功というところかな。これからもときどき新生姜が手に入るといいなあ・・・。

仕事に割り込んで来る雑念と雑事

8月12日。日曜日。起床は正午をちょっと過ぎたところ。なんだか今日はまた暑くなりそうな気配。天気予報を見たら、4、5日は暑そう。でも、遠い郊外チリワックのトウモロコシ農場にはうれしい話だろうな。

きのうは前の日からちんたらやっていた仕事を朝食後に片付けてしまって、後は休みにする心積もりでいたのが、いつもの調子でカレシが「キミの今日の予定はどうなってるの?」とメモ用紙をひらひら。仕事が~と濁していたら、「いろいろ行くところがあるんだけど、午後いっぱい時間を取れる?」ともうひと押し。聞いたらどれもひとりでできそうな買い物だけど、納期まで丸一日あるから、まあ、いいかな。お目当てはBest Buy。コードに躓いてコンピュータの全面にあるUSBコネクタを壊してしまって、メーカーのDellに聞いたら「部品があるかどうか3週間後にもう一度電話して」と言われたとカンカン。まあ、インドあたりにあるコールセンターでは埒は開きそうにない。そこで、一番近いBest Buyに相談することになった。

ついでにキッチン秤のボタン電池を買うというので、現物を持って行くように言っておいたのに、車の中で確認したら、「あ、忘れた。どこにあるの?」と来た。おいおい、どこにあるのって、アナタがどこかにしまったんじゃないの。なんでアナタのしまい込んだ場所までいちいちワタシが覚えてなければならないのよっ、とひと悶着。んっとに、もう。急がないということで、車は家の前を素通り。あ~あ。カレシにも必要だなあ、「マインドフルネス行動療法」っての。いつも上の空というわけじゃなくて、なくさないように気配りしていても、どこにしまったか忘れてしまうから始末が悪い。リスみたいだよね、アナタ。リスは木の実をあちこちにしまい込んで忘れてしまうんだって。だから、ときどき庭の隅っこにトチノキやヘイゼルナッツの木が生えて来るわけ。電池もそのうちデスクのどこかで芽を出すかも・・・。

USBコネクタの方は300ドルか400ドルで修理できることがわかって、カレシは「ほっ」。あんまりモノを壊さないでほしいんだけどなあ。(酒屋でまた空き瓶をひと箱返して、もう空になってしまったレミとアルマニャック、それとワインを数本。向かいのWhole Foodsで、お気に入りのグラノーラと松の実、それとトマトにインゲン。大きな段ボールにどんとあったのはチリワックで採れたトウモロコシ。おお、なかなか気温が上がらなくて心配したけど、そろそろ熟し始めたらしい。3本で2ドルは少々お高いけど、アメリカの旱魃でトウモロコシの先物価格は急上昇・・・はそれほど関係ないか。太くて先まで実の入ったのを3本。後は塊のパルメザンチーズとペコリーノ2種類。そして、つい大きな赤いタイを丸ごと一匹。ニュージーランド産の「野生」のタイ。やっぱりいつも買う黒いタイよりも格段にエラソーな顔をしているなあ。どうやって料理しようか・・・。

ゆず胡椒で味をつけた巨大なタイガーエビとアヒまぐろのグリルと1本半の茹でトウモロコシで、ちょっと夏らしい感じの夕食。自家製のジンジャーソーダがこれまたウマい!ほんのりと生姜味であっさり、さっぱり。ソーダとの割合を変えればもっと生姜の味がするけど、ほんのりも乙なもので、病み付きになってしまいそう。満腹で気合が入らないもので、夜にずれ込んでしまった仕事を相変わらずちんたらちんたら。内容がおもしろければそれなりに気合も入るけど、会報みたいなものだから「自己礼賛」が多くてワタシは関係ないけど白けっぱなし。途中でカレシが今度はテレビが映らないとかなんとかぶつぶつ。放っておいたら、だいぶ経ってリモコンの押さなくてもいいボタンをうっかり押したせいらしいとの報告。あ~あ。やれやれ、仕事の方はとうとう今日に持ち越してしまった。何なんだろうな、このだらけっぷり。夏だからなのか、それとも雑念が多すぎるのか・・・。

どうもこの2、3日、不思議な「雑念」が頭の中をぐるぐる。どうも、楽観主義遺伝子の記事の中に俳優のレナード・ディカプリオがハワード・ヒューズ役になり切ろうとして自分も強迫性障害になってしまったという話があったのがきっかけのような気がする。ちょっと気取ってブログにも「ディカプリオ現象」なんて書いたけど、ふっとワタシ自身の中にずっとあった「どうして?」という問いの答もそこにあるんじゃないかと思ったら、そっちの方へ思考が流れるばかりで、仕事に集中しにくくなってしまった。まあ、ワタシにしつこく付きまとって来た自問自答の問題だから、敵もなかなかしぶとい。

でも、なんかすごく重要そうな感じのする「雑念」だから、ゆっくり考えてみることにして、流れ星が見えるかどうか、外に出てみるかな。さて、いくつの星にお願いができるかなあ・・・。

流れ星にお願いしてみようか

8月13日。月曜日。また暑くなって来た。向こう1週間の天気予報は「Sunny(晴)」の字とお天道様マークがずらり。まるで「コピペ」ってやつで、こんな楽ちんな天気予報はない。週中には内陸の郊外で31度、ということは海風の通る我が家のあたりでも25度を超えるのかな。

ゆうべ家の前に立って夜空を眺めていたら、流れ星が見えた。たったひとつだったけど、すごく明るくて、大きいのが頭上をツツ~ッと飛んで行った。感動しすぎて願いごとをするのを忘れてしまったけど、まあ、元々ほぼ瞬時に消えてしまう流れ星に願いごとをするなんてムリな話。それでもロマンチックではあるな。まあ、何かにお願いするという、ある意味で他力本願な行為ほどロマンチックなオーラが強いように思う。ワタシとしては「獅子奮迅のがんばりでまっしぐら」という方に大いなるロマンを感じるけど、それをやっている人の自己満足とか自己陶酔にすぎないと見る人には、ロマンチックでも何でもないのかな。

でも、七夕では星に願いをかけることになっている。子供の頃に短冊に何か書かせられて(北海道には竹がなかったから)柳の枝に結びつけたのを覚えているけど、1年に一度だけ一緒に遊ばせてもらえる彦星と織姫に下界の子供の「願いごと」に付き合っているヒマはないんじゃないかと思っていた。釧路の七夕は8月7日で、本来の七夕は7月7日だから、元からワタシの願いごとが彦星と織姫に届くはずはなかったわけだけど。まあ、短冊に願いごとなんてのは学校の授業で書かされるから書いたまでのことで、ワタシたちの七夕の楽しみは近所を回ってろうそくを要求することだった。あの頃は子供が多かったから、年長児から幼児までが群れて、「ろうそく出せ、ろうそく出せ、出さないとかっちゃくぞ」と大声で囃し立てて回った。ちなみに「かっちゃく」といのは「引っ掻く」という意味。こっちのお願いはちゃんと叶って、どこの家でも仏壇用の細くて短いろうそくをくれたように思う。

年末年始からの仕事のストレスで増え、さらに日本で3週間も食べ道楽してさらに増えた体重。帰って来て1キロだけ減ったけど、まだ目標の上限を1キロほどオーバーしたままで、このまま高止まりしそうな予感。服のサイズは変わっていないけど、おなかのあたりがちょっときつくなったのは否定できない。そこで、CDC(アメリカ疫病対策センター)のサイトでちょっとBMIを計算してみたら、22.5になっていた。24.9までは「正常」ということだから、「太った」と騒ぐ数字でもないんだけど、首が短くて、顎の先から喉までも短いワタシはこれでももろに「二重あご」。寝酒と肴が元凶だということはわかっていながら、少し減らそうかな~と思ってみるだけのワタシ。でも、BMIの結果の下の方を見たら、「あなたの身長では体重の正常値の範囲は101ポンドから136ポンドです」と書いてあってびっくり仰天。え、正常範囲の「上限」が62キロ?ということは、まだ肥満になるまでの「余地」がたっぷりある・・・?

さて、日本ではお盆休みのはずなのに(休みだからかもしれないけど)どかっと入って来た仕事。先約の仕事もまだ少し残っているから、今日とあしたは大車輪。ストレス食い(飲み)して体重を増やさないように気をつけなきゃね。うん、今夜も空を見上げて、流れ星に「これ以上太りませんように」とお願いしようかな。流星群なんだから、ワタシの願いごと、たくさん流れる星のどれかには届くかもしれないね。まあ、とりあえずは、ねじり鉢巻で行くっきゃないけど・・・。

眼底検査、網膜は異常なし

8月15日。水曜日。暑い!正午でもう25度。おまけに眠い!というのも、ゆうべ(というか今朝)は仕事が完了したのが午前4時40分。それからシャワーを浴びて、おなかが空いていたもので肴を出してきて寝酒。就寝は午前5時を過ぎていたけど、今日は掃除の日なので、いつものように正午に到着したシーラが外から携帯でモーニングコール。眠いなあ・・・。

想定外の夜なべ仕事になったのは、今日の午後に網膜が専門の眼科に予約があったのを忘れて仕事を入れてしまったのがそもそものの始まりで、おとといの夜から始めたのはいいけど、何ともややこしい。何とかかんとか法の第何条何項何号には・・・なんてのがぞろぞろ出て来るから、法なびで公式の英訳版がないかどうか調べるんだけど、ぜんぜん出て来ない。けっこう国際的に問題が起きそうな分野なんだけどなあ。(ややこしいから、まだ英訳版がないのかもしれないけど。)ちんたらやっていて突如思い出した眼底検査の予約は午後2時20分。終わって帰って来れば4時近く。納期は午後5時で、少しは余裕があるけど、問題は瞳孔を拡大されてしまうので一時的に「視覚障害」になってしまうこと。神聖な納期を外すわけには行かないから、結局はさあ大変だ~とねじり鉢巻の大車輪で仕上げて、寝る前に送っておくはめになったわけだけど、やれやれ、きつかった~。

家を出た午後1時半すぎのポーチの気温は27度。この夏一番の暑さじゃないのかな。郊外ではとっくに30度を超えているだろうな。テレビの天気予報では、heat wave(熱波)の到来で週末までは暑い日が続くという話。日本語では「寒波」という言葉は使うけど、「熱波」は聞かないな。そういうのとはあまり縁がなかったからわからないけど、「猛暑」というのが普通なのかな。逆に英語では、少なくともアメリカ、カナダでは夏になると「heat wave」と言う言葉がメディアを賑わすけど、(特に東部で)よくある大寒波のときでも「cold wave」という言葉は聞いたことがない。ごく短期間の冷え込みなら「cold snap」、いつまでも続くときは「in deep freeze(冷凍状態)」と言う表現がよく使われる。寒気が波のように押し寄せてくるのではなくて、前者のときはカチッと凍ってしまう感じ、後者のときは寒気が「どかっと居座った」感じになるからだろう。ま、「熱波」はその名の通り、寄せて来たら、そのうち引いてくれるから、いいか。

ロス先生の待合室はいつも患者でいっぱい。ほとんどが70代、80代らしい高齢者で、30代くらいの若い人はめったに見かけない。助手の人に検眼してもらい、コンタクトレンズを外して、瞳孔を拡大する薬を点眼してもらったら、待合室に戻って雑誌を読む。だんだんに視界がぼやけてきて、先生に呼ばれた頃にはほぼ手探り状態。診察室の椅子に座って、先生が猛烈に明るい光をあてて眼底を観察するんだけど、まぶしくて目が眩んでしまう。その後で別の機械の前に座って、また強烈な光。「異常なし」と言われて診察室を出たら、世界が緑色に見えたり、紫色に見えたり。先生が「じゃあまた来年」と言うので、1年後の予約をもらって、コンタクトレンズを入れて帰途につく。また来年ってことは、毎年この時期に検査をしてもらいに来なければならないということか。まあ、右目の中に大きな浮遊物があるからだろうな。でも、このクリオネみたいな黒い浮遊物はもう20年以上もふわふわと浮いていて、いつも目の前に見えているけど慣れてしまって気にならないしろもの。まあ、目が見えなくなって困るのは誰よりも自分だから、ではまた来年・・・(ロス先生は引退しないの?)。

ビルの外へ出たら、かんかん照りなもので、サングラスをかけていてもまぶしくて、それなのにもや~っと霧がかかったような視界不良の状態。何でこんな日にこんな検査をしなきゃならないの~と思ってしまう。それでも、無事に帰り着いて、鏡を見たら、キャ~ッ、エイリアンがいる!なにしろ瞳孔がまだいっぱいに開いているから、目は全体がほんとうの黒目。底知れないような真っ黒な2つの目がこっちを睨んでいるから、自分の目だとわかっていても、いささか気味が悪い。視界もやもやのままで夕食の支度を始めたけど、窓越しにガレージの壁に当たる日差しがまぶしくてひと苦労。テーブルからあれこれ話しかけて来るカレシの方を見ると、後ろの窓から入る西日がまぶしくて、うわっ、カレシ、後光が差してるみたい。もやもやのまま料理をして、もやもやのまま夕食を食べて、なかなか晴れない霧の中から目を細めてメールを読んで、そうこうしているうちにだんだん世界の輪郭がはっきりして来た。鏡を見たら、茶色の目の真ん中に小さな黒い点がぽつん。ああ、やれやれ、いつものワタシの目・・・。

今日は暑いから、真夜中のランチは冷たいそうめんにしよう。明日の予報は晴れ、最高気温27度(体感温度30度)、最低気温18度。真夏日だ。ま、涼しいオフィスにこもって、次の仕事にかかるとするかな。


2012年7月~その2

2012年07月31日 | 昔語り(2006~2013)
いわゆるマナーは誰のためにあるもの?

7月16日。月曜日。起床は午前11時半。今日の予報は24度くらいと、また暑くなるらしいので、ミニのタンクドレスに逆戻り。午前中に配達された飲料水に直射日光が当たると良くないので、2人がかりで19リットル入りの重いボトル3本を家の中に運び込んだら、それだけで汗が出た。カレシは菜園に移植したトマトや目が出たばかりの豆類が目に見えて伸びるので、「農作業」が楽しいらしい。唐草模様のバンダナを頭に巻いて、いそいそと外へ出て行く。今日は野放図に育った青じそを山ほど収穫して来て、お得意のペストソースを作ってくれた。

ワタシはと言えば、今日こそは洗濯。ランドリーシュートがやたらと溢れているなと思ったら、底の方に2組のシーツ類。そうか、そうか、デイヴィッドとジュディが泊まった時に使ったシーツ類の他に、日本から帰って来てすぐに肌に涼しい夏のものに取り替えたので、冬用のフランネルのシーツ類もあるんだった。カレシの家着のスラックスもずいぶんあるなあ。庭仕事のときに泥のついた手をごしごしとやるから、どれも同じところが汚れている。真夏の吹雪なんて風情も何もないので、こっちはポケット全部に手を入れてティッシュが入っていないことを確認。カレシに何度もチェックしてよと言うけど、たいていすぐに忘れてしまう。時には使用済みのティッシュだって出て来る。これが不潔恐怖症を患っているらしい今どきの日本のお嬢ちゃんたちだったら「きゃぁ、汚い!不潔!ヤダ!気持悪っ!」となるんだろうと思うけど、こっちは40年近くも「奥サン」をやってるもんね。自分のダンナが鼻をかんだティッシュを気持悪いと思うなら、赤ん坊が汚したオムツ、どうすんの?

いつも感じるんだけど、日本人の(特に中年以下の女性の)潔癖症はちょっと変わっているところがある。強迫神経症としての不潔恐怖症はそれによって自分自身がまともな生活を営めなくなってしまうものだと思うけど、小町横町に出没するのは、自分の「潔癖」基準を満たさない他人を排除するか、(マナー違反だとか何とか脅して)変えることで自分のまともな生活の営みを担保しようとするタイプが多い。どこかでマナーを「人を不快にさせないこと、そのための気遣い」と定義していたけど、その通りだと思う。問題は「不快」を感じるのは他人であって、その感性を制御できるのはその持ち主だけなので、ある事象を不快と感じる人には誰がどんな気遣いをしても不快だということだろうな。

そこである程度の許容水準のようなものが一般に受け入れられれば、それがマナーとか常識とか言われるものになるんだと思うけど、小町横町型潔癖症の人たちはマナーとは他人が「自分を不快にさせないように気遣いすること」だと解釈しているらしいから、「一般に認められる常識」というものが通用しない。しかもその「不快感」というのが、自分の生理的な拒絶反応に基づいていることが多いようで、自分が「不快に感じるから」、「気になって困るから」、「嫌いだから」、「吐き気を催すから」、他人は原因となる行為を止めるか、行動全般を改めるべき(つまり、他人が変わるべき)であって、それがマナーということになるらしい。何となく「ボクに大嫌いなほうれん草を食べさせるママは非常識」という感じだけど、エスカレートすると「ボクを不快にさせるママは悪い人だから罰にイジワルをしてやる」となりかねないな。

他人と目が合うことを極端に嫌う人もかなりいるようだし、他人の存在を「生理的に」嫌悪しているんじゃないかと思わせるところもある。(本当にそうだとちょっと怖いけど・・・。)4年前、東京で電車に乗っていたときに、ワタシの向かいに座っていた女性とたまたま目が合ったのでにこっとしたら、ものすごい形相で睨まれたことがあった。目を合わせないのが(日本の)マナーだと知らなかったから、いつもの習慣でついにっこりしちゃっただけなんだけど、相手にとっては重大なマナー違反だったんだろうな。(反省・・・してないけど。)みんな電車の中でうつむいて携帯の画面に目を釘付けにしているのは何とも異様な光景に見えるけど、他人と目が合わないようにするための知恵なのかもしれないな。

どうしてそういう心理状態になるのか。まあ、空気を読めとか、人の迷惑になるなとか、自分自身で考えるチャンスも与えられずに、ただやいのやいのと言われていたら、ある意味で萎縮してしまうのも無理はないと思うけど、なかなか興味深い研究テーマになりそうで、社会情勢や文化環境、人間関係などを含めて、多角的に広く観察したらもっと見えてくるものがあるような気もする。

さて、大洗濯も何とか終わったし(仕事するのを忘れてしまったけど)、今夜のランチは「リングィーニと青じそペストソース」と行こう。

旧友の訃報を聞く年になった

7月17日。火曜日。起床は正午過ぎ。起きる前からすでに暑くて、ベッドルームの室温は27度。11時前にタイマーをセットしておいたクーラーがオンになるまで、何度も目が覚めた。カレシも派手に寝返りを打ちまくっていたから暑かったんだろうな。今どき上にかけているのは綿のパーケールのシーツ1枚と同じく綿のベッドカバーのような薄いブランケットだけなんだけど。ワタシって、昔からこんなに暑がりだったかなあ。

朝食のときに、郵便受けを覗きに行ったカレシが日本の切手が何枚も貼られた分厚い封筒を持って来た。差出人は釧路のJ子で、旅行のときの写真が数枚と、なぜか2通の手紙。1通はJ子の字で、挨拶抜きで小学校の同級生H君の訃報。奇しくもワタシたちが釧路でクラス会をしていた同じ日の同じ夕方、H君は住んでいた札幌で久しぶりに会うことになった同級生のN君、T君とお酒を飲んでいるときに倒れ、そのまま搬送先の病院で帰らぬ人になった。心筋梗塞だったとか。スポーツが得意で、頼りになる優しいお兄ちゃん肌の子だった。もう1通の手紙はJ子が出したお悔やみの手紙に対するH君の奥さんの返信で、「最愛の夫、最高の友を失った絶望感はどうしようもない」と。いつも「いい人生だった」と言っていたそうで、H君は小学校時代のあのH君のまんま大人になったんだろうなあ。

享年64歳。あまりにも早すぎると思いながら、ふと、ついこの間までは「訃報」と言えば誰かの親が亡くなったという話ばかりだったのが、いつの間にか同年代の訃報を聞く年令になっている自分に気がついた。実際のところ、病気で他界した同級生もいるし、未亡人になった同級生もいるけど、子供時代を共有した仲間がこの世からいなくなるということは想像したことさえないように思う。H君が亡くなった頃、ワタシたちは子供時代をなつかしく振り返っていた。H君の名前も出てきた。まだテレビ放送が普及していなかった頃の子供の日常の思い出をひとしきり語り合って、ワタシたちの子供時代は「幸せだったよなあ」とみんなで頷きあっていた。いじめっ子もいたし、けんかもよくしたけど、とにかくよく一緒に遊んだもの。あの子供が子供でいられた幸せな時期があったからこそ、みんな人生のいろんな試練を乗り越えて来られたんだろうと思う。

それから四半世紀、半世紀が経って再会したワタシたちは、「また会おうね」、「また来るよ」と言って別れたんだけど、ほんとにその「また」の時が来るんだろうかと思って、ちょっとしゅんとした気持になった。送られて来た写真の1枚には中学1年の同級生で大の仲良しだったK子とワタシが写っている。大人びてきれいな子だった。きれいなのは今も変わらない。でも、そのK子には筆舌に尽くしがたい苦労の人生があった。入ったばかりの高校を退学して結婚し、20歳で娘を産むまでは順調に見えたのが、教師だった元夫の暴力が始まり、やっとのことで娘を連れて離婚。中卒という壁に阻まれながらもがむしゃらに働き、ある小さな会社で社長に働きぶりを見込まれて専務になり、社長の後を継いで恩のある会社を切り盛りして来た。今、アルツハイマーがそのK子から記憶を奪いつつある。J子は「ずっとがんばって来て、がんばりすぎて、頭がもうがんばれなくなってしまったんだろうね」と言う。人生はどうしてこう不公平なのか。

今、自身もひとり親になった娘と住んでいるK子を、クラス会に来ていたG君が「社長に良くしてもらったから」とK子の手足となって会社を支え、J子は「記憶があるうちにたくさん楽しい思いをさせてあげたい」といろいろと企画しては何とか認知症の進行を遅らせようとしている。ワタシたちが訪ねて行った夜、首を長くして待っていたというK子は「よく来たねえ、ほんとによく来たねえ」と何度も何度も言った。そばで「今日はすごく調子がいいのよ」と言うJ子。だけど、つるんで遊んだ子供時代も、ワタシのことも、J子のことも、いつかはK子の記憶から消えて行くのだと思うと、「また会おうね」という別れの言葉がすごく虚しくて、悲しかった。

これから先、ひとり、またひとりと、旧友の訃報が届くようになるんだろうな。でも、人は誰にでもそれぞれの人生があって、誰にでもその人生の終わりがある。その終わりがいつ来るかは、神のみぞ知る。「いい人生だった」と言いながら早すぎる終わりを迎えたH君。終わり来るときには辛酸をなめた記憶がなくなっているであろうK子。後に残される人と訃報を受け取る人には辛いことだけど、どちらも幸せな終わりと言えるんじゃないかと思う。カレシとワタシと、どっちが先に命を終えるのかは誰にも見通すこともできないけど、ワタシたちには「いい人生」の記憶を積み上げる時間がまだあると思いたい。終わり良ければすべて良し。ワタシも「いい人生だった」と言って終止符を打ちたいな。

スモールトークは一期一会の会話

7月19日。木曜日。起床は正午前。ヘンな夢を見ていたのに、目が覚めたとたんにみんなあっさりと忘却の彼方。何かおもしろい夢だったような記憶がおぼろげに残っているけど、どんな話だったんだろう。今日もまだ少し暑そうだけど、天気はどうやら下り坂らしい。また涼しくなってしまうのかな。

きのうはほんっとに久しぶりに一心不乱?にまじめに仕事をした。少なくとも「かな~り」まじめに働いた。ちょっと難しい仕事が入ってきたなあと思っていたら、案の定2度あることは3度あるで、バタバタと仕事が3つだんご状態になってしまった。まあ、そうなると完全に「平常通り」に復帰した気分になって、こっちの医療関係の難しい方はちょっと横に置いといて、そっちの要領のわかっている企業の社内文書の方を先に片付けて納品してしまって・・・と算段して、ヨ~イ、ドン。だけど、3週間の休みを堪能した6月に続いて、今月もたっぷりと2週間、仕事をせずにだらだらと遊び呆けていたもので、いざ「営業再開」となったら、エンジンのかかりは悪いし、ギアのすべりも悪いし、ガソリンもタンクにどれくらい入っているのやら。まあ、自業自得なのはわかってるんだけど、わかっちゃいるけど・・・。

区切りのついたところで、小町横町を散策していたら、20年もアメリカに住んで、現地企業で仕事をしているのに、英語での無駄話が苦手だという人がいた。いわゆる「スモールトーク」という、辞書では「世間話」とか「雑談」と定義されている、社交的な他愛のない軽い会話のこと。それを英語でやるのが苦手なのは、英語の語彙が少ない(言葉を知っていても使いこなせていない)のか、想定外の話に機敏に反応できない(情報の処理スピードが日本語よりも遅い)からなのか、決まりきった相づちしか打てない(臨機応変に対応できない)からなのか。さあ、どうも、どれもあまり当っていないような気がする。むしろ、見ず知らずの他人とのスモールトークは意味のないおしゃべりで、友だちでもない他人とおもしろくもない会話をするのは自分の時間の無駄だと考えているからではないかと思うんだけど。

ボランティア英語先生のカレシにその話をしたら、アジア人は概してスモールトークは苦手だという人が多くて、特に日本人は知らない人や自分より地位が下の人からスモールトークを振られることを不愉快に感じることが多いらしいという観察だった。英語教室の生徒には、スモールトークは「自然な」日常英語会話の重要な要素だと教えるけど、どうもコンセプトを把握するのが難しいらしいそうな。おそらく、言葉よりも文化的背景と、個人の性格的な要因が大きく影響しているのではないかというのがカレシの見解。なるほど。こっちに来た日本人がスーパーなどのレジ係が気軽に話しかけてくるのがムカつくと掲示板に書き込んでいるのを見たことがある。接客態度がなっていないということだけど、この場合は、レジ係ごときが上下関係を無視して(神様である)客に向かって「むだ口」を叩くとはけしからんということか。たしかに、東京では、レジに並んでから店を出るまで無言の客が多いという印象だったな。

つまり、スモールトークを嫌うのは文化的な要因によると言えそうだけど、北海道のような地方ではかなり雰囲気が違っていたように思う。あんがい、大都市文化と地方文化の違い、あるいは人間関係の見方の違いなのかもしれない。いうなれば、スモールトークは「一期一会のコミュニケーション」みたいなものだと思うんだけど、誰もが忙しい大都会では「無駄な」コミュニケーションということになるのかもしれない。「話しかけないで!」というオーラを振りまいている人もかなりいたから、無駄話以下のものなのかもしれない。用もないのに見ず知らずの他人に話しかけないのが正しいマナーだと教えられているなら、スモールトークが苦手というのもわからないでもないな。まあ、スモールトークが苦手と言う「シャイな」人はどこにでもけっこういるから、その人の性格的なものと言うこともできるけど。

少なくとも現地企業で普通に働ける水準の英語を話すなら、想定外の話に日本語ほど機敏に対応できないということはないんじゃないかと思う。だいぶ以前、gooの友だちとの会話のトピックで嫌なことのランキングで、「自分が知らないこと」や「自分が興味を持っていないこと」などが上位に挙がっていたけど、そういう人たちは概して自分のことで手一杯で、相手の話を聞いていないことが多い。日本人に限らず、世界のどこにもありふれているタイプ(カレシにもそういうところがある)なんだけど、外国にいる人はそういうコミュニケーションの問題を「言葉の壁」のせいにできるから、便利と言えば便利。でも、無駄話の苦手を克服する上では足かせになっているかもしれないな。

スモールトークというのは、まさに即興のコミュニケーション。即興芝居なんか、いうなればスモールトークをスポーツ化したようなもので、いくらしゃべるのが得意であっても、組んだ相手の言動に注意を払っていないと、ブロッキングで進行を妨げるから、反則負けになる。まあ、即興芝居をやらなくたって、スモールトークは別に怖いものではないんだけど。要は日頃からアンテナを広げておいて、自分に興味があるなしに関係なく、キーワードだけでもいいから一種のデータベースを構築しておけば、相手の話に手持ちのデータをつなぐことができて、いつでも、どこでも、誰とでも、楽勝なんだけどな。というのは簡単だけど、そもそも興味がないことに関わりたくないとか、人と交わるのが煩わしいとか、他人の存在そのものが疎ましいと感じる人には、単にめんどうくさいことでしかないかもしれないな。それでも、何語でも無駄話は苦手なんて言っていないで、自分から誰かに話を振ってみたらいいのに。一期一会の会話からすてきな友情が始まるかもしれないよ。

隠蔽とは知らぬ存ぜぬと嘘をつくこと

7月21日。土曜日。起床は午後1時。きのうは1日中ねじり鉢巻で仕事をして、午前5時に完了、納品。空がすっかり白んで、ちょっと耳を澄ますと、どこかで早起きの鳥がチイチイと鳴いているのが聞こえた。夏時間の今は日の出が午前5時半頃だから、お日様が昇って来るのと同時に眠りについたというところ。きのうは夜来の雨の後で涼しかったけど、今日はそれほど暑くないような。

何だか近頃は胸が痛くなるようなニュースが多い。そのせいか、カレシはあまりテレビのニュースをつけたがらない。BBCは見ているけど、ローカル局のニュースの時間になっても天気予報チャンネルを見ていたりする。どうも、痛ましい事故や事件があったときに、カメラの前で泣き悲しむ人を見ると居たたまれなくなるらしくて、そんなときはチャンネルを変えてしまうことが多い。たぶん泣いている人を見るのが苦痛なんだろうと思うけど、共感力がないんじゃなくて、逆にありすぎてすぐに溢れてしまうのかもしれない。何なのかわからないけど幼い時の記憶や感覚に心理的につながっていて、一種のアレルギーのようになっているのかもしれないな。コロラド州での乱射事件の犠牲者の中に、ごく最近トロントのショッピングセンターで起きた銃撃事件で難を逃れた若い女性がいた。新進のスポーツキャスターだったそうで、次の瞬間に何が起きるかわからないから、その時その時を大切に生きることを学んだと言っていたとか。

大津のいじめ自殺の隠蔽は、加害者だけじゃなく、彼らの親も教師たちも教育委員会も警察も、まったく酌量の余地はないと思う。人の命も人権も人格も何もあったもんじゃない。何か都合の悪いことがあれば真っ先に世間の目から「隠さなければ」と思いつくのが日本の大人社会なんだろう。「臭いものに蓋」というけど、人の目に付かないように床下やじゅうたんの下に掃き込まれたり、納戸の奥にしまい込まれるのはいつも「臭いもの」。価値判断が「人にどう思われるか」を基準としているからだろうけど、「隠さなければ」とパニックになるほど怖い基準なのかな。困った、どうしようと、パニックで頭の中がまっ白になって、浅知恵でちゃちな隠蔽工作をするから、結局は綻びができて、そこから腐敗の進んだ「臭いもの」がとんでもない悪臭を振りまくようになる。そうなってからかく恥はとてつもない恥辱だと思うけどなあ。

都合の悪いことを隠すということは嘘をつくこととあまり変わらないと思う。ある情報や事実を故意に隠されることによって、判断を誤ってしまう人が出て来る。それがその人の一生を左右するような重要な判断であったりもする。知っていれば自分に都合の悪い判断をするだろうと予測できるから、隠すことによって人の「判断」を自分に好都合な方へ誘導しようとするんだと思う。隠蔽の事実が明るみに出ると、「言わなかっただけで、嘘はついていない」と釈明する人が多いけど、要するに不都合な真実を「知らない」という嘘で隠蔽したってことじゃないのかな。経済界、政界、官界の隠蔽癖は一種の文化そのものになっていそうだけど、教育界までがそうだということになったら、もうこれは国家存亡の危機につながる大問題だと言えるかもしれない。どうしてそういうことになるんだろう。「建前」と「本音」の二本立て(二枚舌?)文化と関係がありそうかな。

東京電力の下請け会社が福島原発での作業する従業員の線量計に鉛のカバーをつけさせたというのは、唖然とするしかない。親が親なら、子も子を地で行くような話。なんでも去年の12月のことだそうで、どうして今まで表に出なかったんだろうな。何でも、役員が下見したときに線量計の警報が鳴ったので、線量が高いと考えて、線量計にカバーをつけることを思いついたんだそうな。つまり、被曝量の基準値を超えてしまっては商売上がったりだから、線量計に記録されないようにしたということか。超えたことが記録されないようにすれば基準以下で収まるからいいじゃないかと考えたんだろうけど、この人たち、「基準値」が何のためにあるのかもわかっていないらしいな。この話を聞いたカレシ曰く、「表向きを規定通りに見せかければ安全なんかどうてもいいってことだろう?それ、中国あたりでやってることとまったく同じことじゃないか」と。ふ~ん、そう言われれば、あの国も負けず劣らずの隠蔽大国だよなあ・・・。

そう不思議でもないことと不思議なこと

7月22日。日曜日。正午過ぎに目を覚まして、2人してしばらくうつら、うつら。そういえば今日の夜8時(日本時間で「明日」の正午)が期限の仕事があったんだ~と思い出して、せっかく心地が良かったんだけど、起きた。ベッドルームの室温は25度。外は曇りがち。今日はあまり暑くならないな。

朝食中にカレシが「モールまで歩いて行く時間があるか」と言う。あると言えばあるけど(ないと言えばない)、ちょっと微妙なところ。夕食にサラダの本にあるレシピでサラダを作るので、りんごとレーズンが必要なんだそうな。だったら、ワタシはやっと地物が出回っているはずのブルーベリーが欲しい。首を長くして待っていたんだから、どっさりと欲しい。ということで、運動がてら野菜を買いに出かけることにした。ほぼ袖なしのTシャツを着て、靴を履く前にポーチの温度計を見たら、なんと14度。あわててベッドルームに駆け上がって、ちょっと長めの半袖のシャツに着替えて、出発。何となく雨が降って来そうな予感・・・。

ぼちぼちおしゃべりをしながら、手をつないでテクテクと歩くこと30分。モールに進出して来たワタシたちお気に入りのアメリカのキッチン用品店Crate & Barrelは「今冬オープン」と書いてあった。クリスマス商戦に合わせてのオープンだな。モールの中に入ったら、似たような名前のキッチン用品店で「75%オフの在庫一掃セール」をやっていた。Crate & Barrelとは競争でき(そうに)なくて閉店することにしたのか、あるいは名前が似すぎていてCrate & Barrel側から追い出しを食ったのか。そこのところはわからないけど、このモール、ティファニーの店ができたりして、最近はしきりにテナントの高級化を図っている。売れ残りの投げ売りの店みたいだったZellersはアメリカのTargetに買収されたけど、モールのオーナーは高級デパートを入れたがっているという噂もあって、このモールのZellersがTargetとして残るかどうかは微妙らしい。もともと大改修した際にモールの東側一帯の低所得層を呼び込むためにZellersを入れたんだけど、繁盛しているように見えたことがないから不思議(でもないか)。このモールは高級ブランド品の店や宝飾店ばかりで、スーパーも安くないから、たったひとつの、それも売れ残りのガラクタばかりのような店にわざわざ来ないと思うけどね。

まずは郵便局の私書箱をチェックして(クレジットカードの請求書とカタログの山)、野菜を買いに。カレシはレーズンと青りんごときゅうり。ワタシはアスパラガスとインゲンと、そしてブルーベリー!「甘いよ~」と顔なじみになったアンジェリーナ。大きな紙の容器にびっしり入っているのを(頼めば小分けしてくれるけど)どさっと袋に空けてもらって、そばの秤に載せたら、おお1.5キロ。うん、青くなるまで食べて、食べまくろうね。帰り道、重くなったトートバッグを持つのはカレシの番。電線の下にあるために頭をちょん切られた街路樹がずっと下の方へ繁って来て、カレシは頭を引っ込めないと葉っぱの中に顔を突っ込んでしまうので、木があるたびにぶつぶつ。本来はすっくと伸びる高木なのに、上へ伸びられないから、横と下へ伸びて、まるでメタボツリーでかわいそうだけど、歩道側だけを刈ってしまうとヘンな形になってしまうし、バランスが崩れて倒れるかもしれないな。どうして上に電線があることを考えて樹種を選ばなかったんだろうな。お役所のすることはいつも不思議(でもないか)。このままだとワタシの頭もつっかえそうで、そのうち立体交差道路で見るような「身長最大150センチ」なんていう標識が必要になるかも。

帰って来て、さっそくブルーベリーを洗って味見。うん、甘い!だけど、やらなければならない仕事があるから、味見だけでお預け。幸いにも同じようなことの繰り返しなので、超特急でやっつけて、まずは夕食。見直しをして、フォーマットを整えて、午後7時半納品。やれやれ間に合った・・・。

ところで、世の中にはときどきほんとに不思議なことが起きることがある。たとえば、東京のかっぱ橋のある店で見つけた「死なない金魚」。[写真]

(プラスチック製だから)死なないというところが気に入って、大きいのを1匹、小さいのを2匹買って来た。たまたまシーラが花瓶の代わりに花束を活けて置いて行った金魚鉢があったので、ビー玉やおはじきと一緒に重りの長さを調節した金魚を入れて窓際に置いてみたら、死なないどころか、どうやら生きているらしい。(最初に「生きている!」と言ったのはカレシだった。)食事のときなど、テーブルから見ていると、小さいおちょぼ口がパクパクと動いているように見えるし、さらによ~く見ていると、わずかだけど尾ひれや胸びれがひらひらと動いているように見える。目の錯覚にはまちがいないだろうけど、この生きている「死なない金魚」、ほんとに不思議・・・。

おんぶおばけが黄金に変わるとき

7月24日。火曜日。せっかくよく眠っていたのに、午前8時過ぎに「寒い。毛布はないか」と言うカレシに目を覚まされた。ワタシには「寒い」という感じじゃないけどなあ。たしかにちょっと涼しいかな。ん~、毛布はあっち・・・むにゃむにゃ。でもねえ、睡眠時間の半分くらいのところで「毛布がないか」とワタシを起こしたのは前にもあったよね。毛布はあのときと同じところに置いてあるんだけど。何年もそこにあるんだけど。もう20年以上もこの家に住んでいるのに、未だに何がどこにあるか知らないというのは、ちょっとまずいんじゃない?といっても、毎日やれ眼鏡がない、やれ何がない、どこにおいたかわからないとひと騒ぎもふた騒ぎもした挙げ句に「5つのときからこうだ」とのたまわっちゃう人だから、単に忘れっぽいか、absent-minded(上の空)で生きているかのどっちかなんだろうけど・・・。

今日は何とか20度まで行ったけど、平年並みが22度か23度なのに、きのうは午後3時を過ぎてもポーチの温度は13度だった。7月もあと1週間で終わるというのに、どうなってるんだろうな。もっとも、きのうのワタシは1日中ねじり鉢巻の仕事三昧だったから、外の暑さ寒さは関係ないし、カレシは涼しくていいと、張り切って庭仕事。豆が蔓を伸ばし始めた、トマトの花が咲いた、ねぎが伸び過ぎた、青じそがまた繁ってきたと、逐一報告。あのぉ、お仕事中なんですけど、ワタシ・・・。まあ、仕事の方は予定からあまり遅れずに進んで、今日午後の期限にわりと余裕を持って納品。ということで今日は一応オフだけど、今度は、これは新しいのがいる(買って~)、あれが必要(買って~)とうるさいことはなはだしい。

自分が使うものなんだし、どこで売っているかわかっているんだし、クレジットカードも車も持っているんだから、さっさと自分で買ってくればいいのに、と思いながら聞いていると、カレシが「おんぶおばけ」みたいに見えて来て、笑い出したくなる。何しろ80キロ近くあるから重い。カレシの精神的なお荷物も一緒だったときはもっと、もっと重かったな。ワタシの背には背負いきれなかったのに、なんで重いんだろうと考えもせずにひたすらとぼとぼ歩いていたら、重くなるばかりのお荷物にとうとう潰れてしまったな。人間の心にも積載量に限度ってものがあるんだと思った。まあ、今のカレシ80キロはお荷物抜きの正味重量だから、「おんぶおばけだ~」と笑っていられるんだろうな。いや、「だっこおばけ」かもしれないな。それとも、「おんぶにだっこおばけ」かなあ。まあ、男ってどうしてもそういうところがあるのかもしれない。だけど、そうやっていつまでもおんぶにだっこでいて、いいのかな。

昔話の「おんぶおばけ」はどんどん重くなっておぶってくれた人を試す困ったチャンだけど、重いからと捨てずに、がんばって背負い続けた人には黄金になって報いてくれたそうな。う~ん、カレシがいつか80キロの金塊に化ける・・・な~んてことは、はて、あり得るんだろうか。もしもそうなったら、純度はどのくらいなのかな。あらま、想像がとんでもなくヘンな方に発展して行きそうけど、いやいや、今のアナタはすでに純度100%で、まさに値千金だと思うよ。

食文化と味覚のすれ違い

7月25日。水曜日。ごみ収集トラックの轟音で目が覚めた。顔に汗をかいていて、じわっと暑い。気温が落ち着かないのでクーラーのタイマーはセットしていなかったけど、うん、今日はわりと暑くなりそうな予感。しばらくだらだらした後で、起きて、クーラーをオンにして、朝食。

ドライシリアルを切らしてしまったので、久しぶりにポリッジ(洋風の朝粥みたいなもの)。カレシが子供の頃から好きなRed River Cerealという、砕いた小麦とライ麦に亜麻の種を加えたホットシリアル。鍋にお湯を沸かして、ひとつまみの塩とシリアルを入れて、好みのとろみが出るまで混ぜていればいいから、いたって簡単。亜麻の種の色なのか、やや赤茶っぽい色になる。熱々のところに温めていないミルクとブラウンシュガーをかけるけど、(ワタシたちには甘すぎる)メープルシロップを使う家庭も多い。今日はその砂糖をさらに控えて、ブルーベリーをごろごろと入れたら、うん、おいしさが50%増!

Red River Cerealは、ちょっと見たところまるで小鳥の餌みたいだし、調理すると何となく種っぽい味がするから、カナダでのホームステイなどで初めて朝食に出された日本人の中には「とても食べられたもんじゃない」とか、「こんなまずいものを食べさせるとはひどい」と憤慨する向きもあるらしい。もっとも、オートミールも日本人には「まずい」と評判が悪いらしいし、生まれたときから食べて来た人たちの舌にはまずくも何ともないわけだし、日本人の味覚に記憶がない「未知のもの」をおっかなびっくり食べるからそう感じるのかもしれない。まあ、日本で白米のお粥を食べて、「glue (糊)を食べているようだった」と酷評していた人もいたから、このあたりは双方痛み分け。どっちも「porridge(かゆ」であることは間違いないんだし。日本食に必ず出る白米のご飯は敬遠しがちなカレシだけど、お粥は大好き。ふむ、今度、お粥と塩鮭と味噌汁の日本風の朝ご飯を作ってみようかな。

昔、日本在住の外国人の内輪のメーリングリストに加わっていたことがあって、あるとき若いアメリカ人が「うちのカミさん(日本人)がさ、オートミールに醤油と卵を混ぜて食べるんだ。刻みねぎまで入れちゃってさ」と言うと、別のアメリカ人が「香港では魚を入れたのがあって、けっこううまかったよ」と言い、あれこれオートミールの食べ方の話になった。そのときに、年配のイギリス人が「ケンブリッジ大学の寮でいつも隣に座っていたアフリカ人留学生がね、オートミールにケチャップを混ぜて食べていたんだよ。それも真っ赤になるくらい入れて。あれには閉口したなあ」と言ってもので、ワタシがフレンチトーストにケチャップをかけて食べる人(カレシのこと)がいると言ったら、一斉に「おえ~」。カレシに、ほら、フレンチトーストにケチャップは邪道なのよと言ったら、「パンを卵に浸して焼いただけで、オムレツにケチャップをかけるのと同じだよ」と澄ました顔。まあ、そう言われれば、たしかにそうなんだけど、でもねえ・・・。

まあ、人間には未知のものを「試してみる」勇気があるし、人によってその程度に差はあるとしても、異なるものに「慣れられる」能力も持っているはずだけど、初めから食わず嫌いの人もいれば、ひと口食べて生理的にダメとそっぽを向く人もいれば、すっかり病みつきになってしまう人もいて、特に食文化の違いによる味覚のすれ違いから起きる悲喜こもごも?はなかなかおもしろい。人間というは、スポーツとか恋愛とかセックスとか、若い頃にはあたりまえに楽しくできたことが、年を重ねるにつれてひとつ、またひとつとできなくなって止めるようになるんだけど、最後まで止めるわけには行かないのが食べること。食べるのを止めたら死んでしまうから、とにかく食べなければならない。そんなときに、あれは口に合わない、これは嫌い、あれはまずいと言っていたら、せっかくの残りの人生がつまらなくなってしまいそうだな。

まあ、その人の味覚というのはたぶんに離乳食で覚えた味が原点になって、成長過程で好みと言うものが発達して来たんだろうと思う。ずっと昔、日本のある雑誌に小児科医が「市販の離乳食だけで育った子供には食に対する関心の薄い子が多い」と書いていたのを覚えているけど、あの小ビンに入れて売っているベビーフードほどまずいもの、まずいのでなければ「つまらない」ものはないと思う。この秋にママになる姪のスーザンが食べ(させられ)ていたのをちょっと味見させてもらったことがあったけど、ひと言でいうと「味がない」。赤ちゃんだって味の微妙な違いはわかるはずだと思うんだけど、舌がいろいろな味を記憶しなければその違いを意識することはできないと思うし、それでは「味覚」は発達しないんじゃないかな。

それにしても、好き嫌いが多すぎて、命をつなぐ「食」を楽しめないというのは、食い意地が張ったワタシから見たら、人生最大の悲劇だなあ・・・。

ネットに接続できない、メールもチェックできない!

7月26日。木曜日。今日も暑い。と言っても、平年並みの23度くらいで、まあ「夏らしい」陽気というべきかな。午前11時半起床。シリアルを切らしたままなので、今日はベーコンポテトと卵焼き。後はそのままキッチンテーブルでコーヒーを飲みながら読書。今読んでいるのは、アイルランドの女流作家のモリー・キーンの『Good Behavior』(たぶん日本語訳はない)。アイルランドでは何世紀もの間イギリス系の貴族や大地主によって土地を領有されていて、物語の主人公はそういう地主の娘。子供時代の話から始まって、第一世界大戦を経て、一家が没落して行く様子が語られる。一人称の語り口が淡々としていて、逆に時代の変化に疎くて退廃的な田舎の地主階級のイメージが際立って来る。

区切りのいいところで本を閉じて、さて、今日の活動。仕事がないからのんびり。乱雑に積んであったTシャツを、秋まで不要の七分袖はしまい、袖の長さによって仕分けした山を棚に並べて整理整頓。針と糸を持ち出して来て、取れたボタンをつけたり、切れたボタンのループを修理。今でこそ針仕事はごく稀にしかやらないけど、まだやればできる。これでも昔はカレシのソックスの穴を夜なべでかがってあげたんだから。(勤めも主婦業もフルタイムで100%だったなあ。若かったからできたんだろうけど・・・。)

今日の家事(といえるのかどうか)が終わったところで、PCを立ち上げて、まずメールをチェック。ところが、接続されていないとメッセージ。インターネットを試してみたら、こっちも「接続」なし。よくみたらモデムにも接続を示すライトが点いていない。おいおい、困るよ。メールをチェックできないよ。お客さんと音信普通になっちゃうよ。まずはISPに電話。テクニシャンの指示に従っていろいろとやったけど、「ノーコネクション」。電話のコードを取り替えてみたけど、やっぱり「ノーコネクション」。こうなると何だか手足をもがれたような気分になって来る。まいったなあ・・・。

庭仕事から入ってきたカレシに、ネットに接続できなくてメールをチェックできないので別のISPに持っているダイアルアップ(古い!)の電話番号を探してもらおうとしたら、あら、カレシも「ノーコネクション」。じゃあ、問題はワタシのISPじゃなくて、カレシのISPでもある電話会社の方かも。今度はカレシが電話会社に電話して「ネットに接続できない」。テクニシャンの指示に従っていろいろとやっているけど、どうしても「ノーコネクション」。30分以上やりとりしていて、持ち札がなくなったらしいテクニシャンが電話ジャックの位置は、コードの長さはとヘンなことを聞きだして、カレシはだんだんイライラ。(20年も同じ状態できのうまでちゃんと機能していたんだから関係なさそうだけど。)しまいに、「道具もないし、知識もないことをやれといっても、できるわけがない!出張料を払うから誰かよこせ!」

まあ、カレシの方は電話会社の方で何か細工したのか知らないけど、まるで嘘のように復旧。今度はワタシの番だけど、カレシがうろ覚えのことを言いまくったもので、話がややしこしくなっている。我が家には電話回線が2本あって、メインのにはカレシのルータと電話をつなぎ、もう1本にはワタシのモデルをつないである。おまけにカレシとワタシではISPが違う会社で、さらにカレシはルータ、ワタシはモデムを使っている。ワタシの回線にはスプリッターもフィルターも装着していなくて、完全にモデム(インターネット接続)専用になっている・・・とくどいほど説明。とりあえずと、言われる通りに同じことをやってみたけど、やっぱり「ノーコネクション」。さじを投げたテクニシャンがISP側の問題に違いないと言うので、ISPに再度電話する前に、別々の電話回線につないである2台のコンピュータのネット接続が同時にダウンしたという事実を踏まえて、電話回線の問題ではないことを確かめたいと食い下がったら、「使っていない電話機をつないでみて」。

たまたま長年キッチンで使っていた(コードレスでない)電話機を春にお払い箱にしたばかりだったので、階段を駆け上がってリビングの隅っこに放置してあったのを掴んで、階段を駆け下り、引き出しの隅からスプリッターとフィルターを探し出して、デスクの下にもぐって装着してから、電話機をつないでみた。(それまでじっと待っているヘルプデスクのテクニシャンて、忍耐のいる仕事だなあ。あんがいマンガを読んでいたりして・・・。)「電話機は機能しているか?」う~ん、してな~い。ダイアルトーンがない。スプリッターを外して直接ジャックに差し込んでみたけど、やっぱりうんともすんとも言ってくれない。どうやら電話回線の不良と判断したらしいテクニシャン氏、「では、この電話を修理部へ回します。Have a nice day♪♪」

こっちはビジネスのライフラインを遮断されてど~しよ~とうろたえているのに、「どうぞ良い日を」も何もないもんだと思うけど、修理部門につながって、若い女性の声で「修理部で~す」。また電話機をつないだり、外したりの「テスト」をやって、やっとのことで電話回線が不通だと理解してくれたらしい。「明日の午後2時から4時の間に修理テクニシャンが伺いま~す」。ああ、やれやれ。「念のため、電話機をつないだままにしておいて、ときどき試してみて、もしもつながっていたら電話で予約をキャンセルしてくださいね~」。はあ、夜中のうちに奇跡的に復旧するかもしれないってこと?もう2時間も、受話器が熱くなるまであれこれやってダメだったんだから、奇跡が起きるとは思えないけどなあ・・・。

やっと電話を切って、とりあえず電話機をカレシの回線につないでダイアルトーンが聞こえることを確認してから、また故障回線につないだら、もう夕食のしたくの時間。日本では金曜日の朝。やっぱり手足をもがれた気分できになるから、食後に当座の対策をカレシと頭を突き合わせてあれこれと考え、一番手軽そうな方法として、モデムにつながっているイーサネットのプラグを外し、カレシのルータからコードを引いてつないでみたら、あ~ら、ちゃんとつながったじゃないの。メールも下ろせたし、インターネットもルンルンでサーフィン。こんなんだったら、無言の電話回線なんか、なくたってちっとも困らない。でも、ビジネスのライフラインだから、カレシのルータがダウンしたときのためにもやっぱり別回線は維持しておく方が安全だと思うと言ったら、カレシ曰く、ルータに変えろよ。ボクの回線がダウンしたときにはキミのルータにつなげばいいから」。ふむ、相互にバックアップ、いいアイデアかも。

大汗をかいて1日がつぶれた午後11時現在、ワタシの専用回線は依然として、無言・・・。

インターネット接続が復旧したお祝いはとんかつ

7月27日。金曜日。きのうは何か気分的に疲れたけど、シャワー代わりに久しぶりに2人風呂に浸かって、背中をごしごしとこすり合ったら、けっこうよく眠れた。今日は暑くはならないらしく、正午の気温はポーチで15度。雨が降るかもというけど・・・。

午後2時前に「今から30分以内に行きます」と予告があって、2時過ぎに電話会社Telusの修理係が2人到着。まずは家の外にある電話の引き込みボックスを調べ、次に裏のレーンの電線にはしごをかけて(びっくり!)、我が家の方へ分岐しているジャンクションを調べ、最後に家の中の回線を調べ、ワタシのデスクの下にもぐって故障回線の差込口を調べて、「新しいボックスに取り替えるので、しばらく全回線が不通になります」。口の悪いカレシの曰く、「原因がはっきりしないときはとりあえず新しいのに取り替えるんだよ」。なるほど、原因を追究して結局ボックスを取替えなければ、ということになる可能性があるから、ここはよけいな時間と労力を使わずに、さっさと取り替えてしまえということか。

家の外側に前よりも一段と大きいボックスを取り付けたら故障回線につないであった電話が息を吹き返した。でも、解決!と思ったのも束の間で、モデムは頑として接続を拒否。「新しいモデムがあるので取ってきます」と外へ出て行ったテクニシャンが持って来たのはワイヤレス機能付きのルータ。おお、ルータをつけてもらえるんだ。「そのモデム、ちょっと古すぎますよ」。そうだろうなあ、10年以上だもの。あれをつなぎ、これをつなぎして、さっそく試してみたら、おお、ネットへの接続が復活。しかも、何だかすごく早くなったような。回線の修理が所要時間3時間超の工事になったけど、全面的に復旧して、しかもアップグレードで、言うことなし。何でも根本原因は道路向こうのジャンクションの不具合だったとか。それでワタシのとカレシのとが同時にダウンしたわけか。この一帯の電話回線網はちょっと脆弱と言うことは聞いていたけど・・・。

作業完了の報告があったのは午後5時過ぎ。おとといの夜に買い物に行ったときに豚のヒレ肉を買って来て、Whole Foodsにいい大根があったらとんかつを作ると約束したら、ゆうべ爪を立てたら皮が弾けそうなのがあったので、さっそく今夜のメニューは東京のとんかつ屋で味を覚えてきた「みぞれ」とんかつ。長いヒレの半分をさらに2枚にして、台湾キャベツを刻んで、大根を下ろして、ゆず醤油ソースを作って、黒ごまを炒って、カレシに(かっぱ橋で買って来た山椒の木のすりこぎで)炒ったごまをすらせて、ミニフライヤーでとんかつを揚げて・・・。2日がかりの騒動が終結したことでもあるし、ちょっぴりお祝い風にしてみようかと、思いつくままに作って、ご飯の代わりに添えたのが、これ↓[写真]

チーズのような硬い豆腐があったので、1丁の半分を玉ねぎと一緒にフードプロセッサにかけ、少々の醤油、少々のごま油、飲み残しのにごり酒少々で味付けして、コーンスターチ少々ととんかつ用の溶き卵の半分を混ぜ込んで、シリコンのマフィンカップにまず半分。小エビを入れて残り半分。これを20分ほど蒸してできあがり。コリアンダーの葉をちょっと置いて彩り。名づけて「エビ入り豆腐のプディング」。絹ごし豆腐だったら舌触りがもっと良かっただろうと思うけど、カレシがおいしいといってぺろりと食べてくれたので、合格。大根おろしで食べるヒレカツと共にあっさりと食べやすい味のディナーになった。(でも、次は麦ご飯だなあ、やっぱり・・・。)

それにしても、こういうドタバタはさすがに気分的に疲れるよねえ。やっぱり年なのかな。ワタシも何だかどろ~んとくたびれたという感じがする。ま、週末こそはの~んびりしようね。

ネットの情報は見たところタダなんだけど

7月28日。土曜日。起床は午後12時40分。ああ、2人ともよ~く眠った。この年になっても、肉体的な疲労の方はけっこうささっと回復するんだけど、何かあたふたとした後の気分的な疲労感からの回復は昔ほど早くなくなったような感じがする。目が覚めるまで、子供の頃に遊んだ砂浜が目の前で(早送りのビデオのように)侵食されて消えて行き、突っ立っている足下まで波が寄せてくるのをなす術もなく眺めている夢を見ていた。夢が何かのメッセージだとしたら、いったいどんな何なんだろうなあ・・・。

今日の朝食はまたグラノーラパフェ。前のギリシャ風ヨーグルトはちょっと固めだったので、今度は別のブランド。容器にはバルカン風と書いてあるけど、ずっと緩めだから、シリアルとちょうどいい具合に馴染む。これにブルーベリーを盛大に散りばめて、ちょっとおしゃれっぽい週末の朝食というところ。カレシは未だに札幌と東京で全国チェーンらしいところで食べた朝食を「よかったなあ」と思い出している。昼間はカフェ、夜はバーというところで、クロワッサン、サラダ、ヨーグルトにコーヒーのセットに、にんじん100%のジュースを加えても2人分1500円でおつりが来た。ホテル内のレストランの朝食バフェは、外にへ出なくてもいいという点で便利ではあるけど、1人分で2千円近くするし、高いから元を取ってやるという狭い了見を起こさないようにしても、どうしても朝から食べ過ぎてしまうから、ホテルから駅まで10分、15分と歩く価値は十分あったな。

新しいルータのサイズがお払い箱になったモデムがあった棚の奥行きに合わないので、つらつらとプチ模様替えを考えてみるけど、なんかめんどうくさいから、明日に「先送り」。スィ~っと下りてくるようになったメールを見ていたら、同業協会のMLに、インターネットの不調で初受注した仕事が納期に間に合わず、損失を出した上に客をなくしたという投稿があって、タイミングの良さにびっくり。今どきのフリーランス稼業にとってはメールとインターネットは必要不可欠なんだけど、参考資料や用語の検索ができなくて仕事が思うように進まなかったというのを読んで、若い世代のネット依存はそこまで進んでいるのかと改めて感心。古参会員が「紙」の参考資料や辞書を含めて緊急時対策計画を立てておきなさいとアドバイスしているけど、果たして「何でもインターネット」の世代に通じるのかな。ワタシもインターネット以前の古参世代だから、手に入る辞書の類を片っ端から買い集めて、いったい何百万円くらい「設備投資」したかわからないけど、情報が簡単にタダで手に入るのに「紙」の経営資源に多額の投資をするというのはネット世代には思いもよらないことなのかもしれないな。(ワタシは紙の方が好きだけど・・・。)

たしかに検索すれば情報が何でもあるインターネットは便利なんだけど、サーバーや回線がダウンすると、バックアップがない限りはそれまで自在に往来していた「世界」から遮断されるという欠点がある。また誰でも自由に「情報」を流せるという性質上、玉石混交の中から何が信頼できて、何が嘘なのかを判断するのが難しい。もちろん鵜呑みにしなければいいんだけど、どうも近頃は考えずもせずにそのまま飲み込む人が多いらしい。情報そのものはタダでも、それを提供するためにお金がかかるから、場合によっては「タダほど高いものはない」を実証するようなことも起こるわけで、その典型例がいわゆる「自動翻訳サービス」。ある省庁がウェブサイトの翻訳を「無料」でやるというIT会社に依頼し、(たぶん無料サービスで)機械翻訳したものをそのまま掲載して赤っ恥をかいた例もあった。ワタシがときどき(無料登録もせずに)使っている辞書サイトにも「翻訳機能」が登場したけど、英訳に関する限りは、いくら無料でも(まだ)とてもじゃないけど使いものにならない。(学校の英語の宿題に使っちゃあダメだよ、キミ。)

無料の情報やサイトにはいろいろな広告が貼ってある。グーグル然り。フェイスブック然り。ブログその他の多種多彩なポータルサイト然りで、どれも広告収入で成り立っている。gooも広告収入を増やす必要があるようで、今までは無料のアカウントでも広告非表示にを認めていたのが、8月1日からはテキスト広告を表示すると予告している。つまり、このブログの記事にも広告が表示されるようになるわけで、おそらくIPアドレスやキーワードに応じた広告が出る(見る人の所在地によって違う)んだろうけど、どんなのが出て来るかは見てのお楽しみ。出会い系のようなお品のよろしくない広告はどうかと思うけど、このご時世では背に腹は代えられないという事情もあるだろうし、「テキスト広告」という話だし、ものによってはブログのネタにして突っ込んでみるのもおもしろそうだな。

広告もヒマなときは(クリックしないけど)眺めていておもしろいものがある。ワタシのIPアドレスはカナダなので、日本語のサイトでは「カナダ留学」とか「海外転職」とか「帰国後の住まい」とかいった日本からの広告、英語のサイトではカナダの企業の広告が多いんだけど、最近は国際出会い(婚活?)系の広告がやたらと増えて来ている。もちろん、オトコがアジア人女性を探すための一方通行サイトが多いけど、日本女性に特定したものも多くて、「Genuine(正真正銘の?純種の?本場の?)日本人レディが愛とロマンスを求めています」(URLの名前を見る限りは出会い系)とか、(なぜか日本語で出て来る)「独身の日本女性との出会い。今すぐ独身メンバーを見る」なんてのがページを賑わしている。写真の女性たちはどれもかなりお水系っぽく見えるんだけど、まあこういうのが好みのオトコも多いってことだろう。どれもAds by Googleと表示されているもので、こんな広告を誰も見ないようなブログに貼り付けるなんて、グーグルもさすがに昨今は懐ぐあいが厳しいのかなあなんて勘ぐってしまったりする。

広告料で持っているのがソーシャルメディアということだろうけど、そのうちに広告の注目度を測るために、「少なくともどれかひとつをクリック」が無料の情報にアクセスするための必須条件になるなんてことはないだろうなあ。まあ、どっちにしても今どきの時代、どこを見ても何かとちゃらちゃら、ごちゃごちゃして来たなあという気もする・・・。

クールビズとウォッシュレット

7月29日。日曜日。午前11時前にオンになったクーラーの音で目が覚めたけど、すぐにまた眠りに戻って、起床は午後12時半。きのうあたりから雨がふるかもと言っていたのに、さっぱりその気配なし。まあ、この時季のバンクーバーでは1週間も2週間も雨が降らないことが多い(その代わりに冬には1週間も2週間も降ることが多い)。

きのうカレシが予想通りにパンを焼くのを忘れたので、今日は念のために解凍しておいた塩鮭で「日本の朝ごはん」を作った[写真]↓

こりこりした歯ごたえが残る押し麦入りの発芽玄米の朝粥に、自家製の塩鮭、大根とアスパラガスの煮物、わかめとねぎの味噌汁。ついでに明太子も1本解凍。起き抜けはコンタクトを入れていないので、視界不良で何となく手探りのような作業になるし、その上お粥を作るのにけっこう時間がかかって、大根を煮るのにもちょっと時間がかかった。日本の家庭料理は手間がかかって、共働きの奥さんは大変だろうなあと感心しているうちに、朝食は午後1時半。前後にオレンジジュースとコーヒーというところは規格外れだけど、まあ、お粥の押し麦がオートミールのように見えるからいいか。塩鮭は紅鮭の切り身に南極の塩をガリガリと挽いてたっぷりまぶし、ラップに包んで冷凍しておいたもので、甘塩のちょうどいい「塩梅」にできていて、カレシにも好評。わりとさっぱりした口当たりの麦と玄米の朝粥、この次はスロークッカーで作ってみよう。

日本列島は猛暑だそうで、湿度も高いだろうから大変そう。暑いのは何とかなるとしても、あの湿度はワタシには耐えられない。カレシなんか、オタワの蒸し暑い夏に耐え切れず、連邦政府の職を投げ出して帰郷したくらいだから、東京や大阪で暮らすなんてことは、と~ても、とても。日本では、男性の間で女性の持ち物とされていた日傘の需要が高まっていると、イギリスのロイターズが報じていた。男性だって紫外線に当りすぎると顔のしわが増えるんだし、日差しを遮れば誰だって涼しいと感じるんだから、日傘も炎天下で営業回りをするサラリーマン必携のクールビズとして、ロンドン紳士必携?の雨傘のようにかっこ良く普及するといいね。

「クールビズ」は日本独特の「節電」ファッションだと思うけど、日本独特といえば、先週だったか、ウォッシュレットが日本の技術遺産か何かに指定されたという記事があった。今や日本中ないところがないくらい普及しているウォッシュレットだけど、実は元々はアメリカで痔の患者のために開発されたもので、日本で改良や工夫が加えられて現在のものに発達したという話だった。水を温めたり、モーターを動かしたりして、あまり省エネとは言えないように思うけど、慣れてしまえば今さら昔には戻れないかもしれないな。(実を言うと、カレシもワタシも日本で一番の苦手があのウォッシュレットで、どこでも真っ先に普通に流すためのレバーを確認するけど、いつもなんかなじめないというか・・・。)

カナダであのウォッシュレットを高齢者・障害者向けの福祉機器として売り込んでいたことがあったけど、あれはもう25年くらい昔の話。買えないことはないらしいけど、ついぞお目にかかったことがない。あれも日本独特のものということになるのかな。ちなみに、我が家で15年以上使っている日本製のスプリット型エアコンは北米でも普及し始めて、世界標準になりつつあるという話だけど・・・。

引退したらこんな暮らしになるのかな

7月30日。月曜日。今日はちょっと高曇りの空模様。取り立てて急ぐこともなく、いつもの朝食、そしてコーヒー片手にしばし読書。おもむろに今夜は何を食べようかと考える。こういうのどかな生活もいいもんだなあ。

運動がてら銀行と郵便局へ歩いて行くつもりで、したくをして玄関に出たら、カレシがジャンパーケーブルを持って出て行くところ。トラックを1ヵ月も走らせずにいたもので(またしても)バッテリが上がってしまっていた。そこでエコーにつないでジャンプスタートさせるんだそうな。どこかへ行くのかと聞いたら、「いや、その辺を走ってバッテリを充電して来るだけさ」。それだったら、とモールまで乗せて行ってもらうことにして、エンジンがかかるのをしばし待ったけど、上がったまま放置していたせいか、なかなかスタートしてくれないらしい。しまいに「おい、出てきてエコーのアクセルをちょっと踏んでくれないかな」。トラックと鼻をつき合わせているエコーの運転席に座って、足の先で針がふわっと動く程度にそろ~っとペダルを踏むこと2回。トラックはやった息を吹き返した。やれやれ。

モールの近くの交差点で降ろしてもらって、まず銀行、次いで郵便局。そしてついでに在庫売り尽くしセールをやっているキッチン用品店へふらふら。なにしろ最高70%オフ。まっ白な四角いお皿・・・そろそろ新しいのがいるなあ。だけど、何枚も買って帰るにはちょっと重いか。マティニグラスの4個セット。あまり広がっていなくてエレガント。35ドルが14ドルだって。クリスタルではなさそうだから食洗機で洗えるな。我が家では必需品のマティニグラスだけど、毎日使うせいでよく壊れる。何年か前にベイの在庫一掃セールで75%オフで1ダース買ったのが、もう残りが後3個くらい。14ドルなら2、3箱買いたいところだけど、トートバッグに入らない。あれこれ考えて、グラスは後日カレシを引っ張って買いに来ることにして、とりあえずボストンシェーカーを1セット。ボストンシェーカーはプロのバーテンダーがよく使っているステンレスとガラスの容器をはめ合わせて振るタイプで、カレシの手にかかると(厚手なのに)ガラスの方が壊れる。どこでも売っているものではないし、いつも40ドルくらいするから、13ドルは超お得。(帰ってきてみたら、「予備」がすでに2セットあった・・・。)

カレシが庭仕事に勤しんでいる間に、日本で撮った写真をプリントできるところを探す。東京ではセルフでプリントできる(らしい)キカイが並んでいる店があった(と思う)けど、バンクーバーではそんなもの見たことがない。(デジカメの写真をプリントしたことがないから知らないでいただけかもしれないけど。)でも、ググって見たら、London Drugsで写真をアップロードすればプリントしてもらえるのがわかった。プリントだけじゃなく、専用の無料ソフトを使えばフォトブックやカレンダー、グリーティングカード、絵葉書なども作れるというので、さっそくソフトをダウンロードしておいた。デジタル写真は記憶媒体に保存しておけばいろいろに使えて便利だけど、テクノロジーの変遷が早すぎて、貴重な思い出の写真にいつアクセスできなくなるかわからない時代だから、やっぱり半永久的にアクセス可能な「紙」の形でも残しておきたい。でも、今回はとりあえず写真は友だちへの手紙に同封するもの12枚を標準的なサイズで2枚ずつ。ピックアップはWhole Foodsの上のブロードウェイ店を選んで、税込みで7ドルとちょっと。引取りの際に現金払いを選んで「注文する」をクリック。「できましたよ~」というメールが来たのは4時間ほどしてからだった。早いのとメールでの知らせを待つところが違うけど、手順は昔あちこちにあったカメラ屋やドラッグストアにフィルムを持って行って現像とプリントを注文していたのと同じ・・・というところがおもしろい。

午後10時近くなって、カレシの提案で国境近くまでトラックでバッテリ充電のドライブ。夜なので周囲の風景が見えないから、よく迷子になるんだけど、今度は国境まで行ってしまわないうちにハイウェイを下りて、「州道91号線北方面」をひたすら走って、迷子にならずに帰って来れた。たぶん「バッテリ充電ドライブ」のベテランになったってことで、あまり名誉なことじゃないような・・・。

さて、のどかな1日が終わって真夜中のランチの時間。いいもんだなあ、こういう暮らし。でも、7月が終わる明日は売上税の申告期限だし、月末の事務処理もしなければならないし・・・。

石油パイプラインはカナダのフクシマになる

7月31日。火曜日。正午直前に起床。今日もちょっと暑め。朝食を終え、数ページ読書したところで、今日の日程をカレシが「決定」して、ワタシに確認。まあ、それもいいんだけど・・・。

まずはトラックで南西の方角に走って、寝酒の肴用に注文してあったスモークサーモンをどさっと仕入れて来て、超特急でフリーザーに入れたら、今度はエコーに段ボール箱いっぱいのお酒の空き瓶を積んで北の方角へひとっ走り。London Drugsで出来上がった写真のプリントを引き取って、Whole Foodsで前回買い忘れたジンジャーエールとスパイス。駐車メーターの時間が30分以上残っているので、道路を渡ってHome Depotで雑草刈り機に補充するプラスチックの「紐」を買い、それでも20分残っているたで、角の酒屋で空き瓶を返して、ワイン数本とジンの大瓶とワタシのレミ。いやあ、何たる効率のよさ!

このところ、アルバータ州のオイルサンドから取った原油をアジア(特に中国)に輸出するためのパイプラインをBC沿岸まで敷設するプロジェクトが、アルバータとBCの政治問題に発展して、にぎやかなことこの上ない。各州の首相が集まる会議でBC州のクラーク首相がアルバータの首相に、BC州沿岸の積出港までのパイプライン敷設を承認する代わりに、石油収入の分け前を寄こせと要求し、アルバータのレッドフォード首相が石油はアルバータのものだからびた一文やらぬと撥ねつけたもので、州首相会議では女性首相が互いにシカト合戦。国のエネルギー政策を話し合う会議まで頓挫の状態。BC州の言い分は、パイプラインから原油が漏れ出したり、アジアへ向かうタンカーが海峡で座礁して流出事故を起こした場合に甚大な環境被害と多大な経済損失を被るのはBC州の方なんだから、海へのアクセスを持たないアルバータ州はもっと利益を分かち合うべきというもの。現時点の計画では利益のほとんどが連邦政府とアルバータ州の懐に入って、BC州の分け前は雀の涙らしい。巨大なタンカーが座礁でもしたら、流出した原油の後始末だけで微々たる利益は吹っ飛んでしまうだろうに・・・。

そこへして、パイプライン会社がアメリカのウィスコンシン州を通るパイプラインで原油が漏れる事故を起こしたもので、「パイプラインは安全だ」という会社の説明がますます嘘っぽく聞こえて来た。(現実に、この会社のパイプラインはちょくちょくマイナーな漏出事故を起こしているらしい。)はて、どこぞの国でも似たようなことがあったんじゃなかったっけ?大事故が起きたときに取り返しのつかない被害を被るのは直接の恩恵をほとんど受けない人たち。連邦政府は衰退するBC州北西部には大きな経済効果があるんだし、アジア(特に中国)への輸出によって国全体が潤うから喜べというけど、アジアのかの国の中央政府と(域外に原発を建てた)電力会社も似たようなことを言ってなかったっけ?冗談じゃないよ。潤うのはアルバータといつも「オレ様」のオンタリオだけで、BCの懐に入るのは雀の涙だと言うじゃないの。なのに、環境汚染と海洋汚染のリスクはBC州が100%請け負うなんて、アリソンおばちゃん(アルバータ州首相)、冗談がきつくない?

積出港となるプリンするパートから海峡を挟んで西にあるのがハイダグワイ(クィーンシャーロット)諸島で、このあたりは水産資源の宝庫。貴重な海洋生物資源も多い。だから、せっかく海底に巨大な石油天然ガス田があるのに連邦政府が発動したモラトリアムのせいで開発されないままになっている。そういうところで経済的な分け前に与らせてもらえないアルバータのオイルサンド原油を垂れ流しになんかされたら取り返しのつかない事態になるのは火を見るよりも明らか。(アルバータは「すみませ~ん」とか言って何がしかの「支援金」を送って来るんだろうけど。)石油タンカーもモラトリアムの対象にした方がいいんじゃないのかな。もとより環境保護団体はこぞって大反対だし、地域の先住民部族にも反対派が多いし、来年の総選挙では政権奪還がほぼ確実の州の野党新民主党は初めから「ノー」のスタンス。クリスティおばちゃん(クラークBC州首相)、がんばれ。強欲なアリソンおばちゃんなんかに負けるんじゃないよ。(最近まで州の標語だった)「Beautiful British Columbia(美しきブリティッシュコロンビア)」を守らないでどうするの?ひとつ、メディアに「リメンバー福島!」ってパイプライン反対の投書をしてやろうか・・・。


2012年7月~その1

2012年07月16日 | 昔語り(2006~2013)
あなたの奥さんは並以上なんだから

7月1日。日曜日。午前6時過ぎに停電していた寝室の照明がぱっとついて目が覚め、寝なおしたので起床は午後1時。停電発生はちょうど2人して二階のバスルームで歯を磨いていた午前4時過ぎ。それも照明が何となくふわっと消えたという感じだった。そろそろ東の空が白んで来る時間だったので、薄明かりを頼りに手探りでベースメントからLEDのランタンを持って来て、就寝準備を完了。寝る前に携帯で電力会社の「停電ホットライン」にかけて、電話番号と番地の数字を入力したら、「すでに停電発生を検知し、原因を調査中です。復旧は午前6時30分頃の見込みです」との録音メッセージ。その頃にはとっくに朝日が輝いているわい、と言いつつ、ちょっと不気味なくらいにし~んとした中で就寝。

7月1日。今日から2012年の後半。カナダの建国記念日である「カナダデイ」の祝日。ついこの間は110歳になったとか、120歳になったとかいって盛り上がっていたと思ったら、もう145歳だって。国家として、そろそろ「大人」にさしかかるあたりなのかな。まあ、経済危機や政治危機で苦労しているあちこちの国々と比べたら、(世界第10位の経済規模ながら目立たない大国)カナダは政治も経済もまあまあ安定して落ち着いているし、社会もわりと元気がいいと思うな。ハッピーバースデイ、カナダ!

週刊誌Maclean’sによると、「平均的カナダ人」は、女性(男性)は年令41.5歳(39.6歳)、身長が162.5センチ(175センチ)、体重70.3キロ(84.8キロ)、ウェスト83.8センチ(96.5センチ)、ヒップが105センチ(103センチ)だそうで、う~ん、どれを取ってもワタシには足下にも及ばない。世帯所得の中央値は68,560ドル(個人勤労所得は29,020ドル)、世帯あたりの所得税納税額の中央値は11,000ドル、住宅ローンなどの負債総額は112,329ドル。この中央値というのはそれ以上とそれ以下が同数になる、つまり「ど真ん中」の数値のこと。ここで能天気に1ドル=100円とすると、平均的カナダ人は約685万円の世帯所得(個人勤労所得は290万円)で、110万円の税金を納め、1,123万円の借金を抱えていることになる。

まあ、実際のところは物価水準が違うんだから、どんな為替レートでも換算して比べる意味はあまりないように思うんだけどな。ちなみに、BC州で今年マイホームを買う人の月々の住宅ローンの返済額は平均2,240ドルだそうだけど、市内中を探しても100万ドル以下の新築戸建てはないといわれるくらい住宅価格が高いバンクーバーでは、平均的な世帯が頭金25%を貯めることからしてまず不可能。たとえ貯められたとして、100万ドルの家を買って25年返済で75万ドルのローンを組むと、金利が一番低い1年更新(今3%強)でも月々の支払は約3,600ドルを超える。月々の支払額は月の総世帯所得の30%までということになっているので、中央値の2倍以上の世帯所得がなければ、バンクーバー市内では環境劣悪な地域でさえ新築の戸建ては買えないことになるな。それでも、市内のあちこちで古い家がどんどん取り壊されて、新しい大きな家が建っているから、ン億円の家を買える人たちがいるということだけど、ほとんどが「平均的カナダ人」でないことだけは確かだろうな。

『あなたはどれだけカナディアン?』という記事の最初に「平均的カナダ人」度をチェックする25問のクイズがあって、「健康だと思うか」、「週に何回くらいセックスするか」、「毎日どのくらい野菜果物を食べるか」、「毎年どれくらい慈善事業に寄付するか」、「家にはひとりあたり何室あるか」、「一日何時間テレビを見るか」、「毎日の通勤時間はどのくらいか」、「1年に何日病休を取るか」といった質問に試しに答えてみたら、「平均的」答の数は5つぐらい。まあ、平均年齢じゃないから、いろんなところで平均から外れていても不思議はないと思うけど、カレシが「キミはどれだけカナディアンなの?」と何だか思惑のありそうな質問を振って来た。「こてこてのカナディアンよ」と答えたら「平均的じゃなくても?」と突っ込んで来るもので、「そうなの。ワタシは平均以上のカナディアンなのよ」とやり返しておいた。

アナタねえ、この際だからはっきり言っておくけど、こう見えたってワタシは「並以上」のカナダ人なの。そんでもってアナタの奥サンなんだから、ゆめゆめ疎かにしちゃあいかんぜよっ。

ものごとのあり方と言うのはどんなこと?

7月2日。月曜日。起床午後12時半。外が薄暗いから寝すぎてしまうのかな。三連休の最後の日(といっても関係ないけど)。午後1時のポーチの気温は12度。7月だよ、7月20度以上あるのがあたりまえじゃないかと思うんだけど、何なんだろうな、この気候。郊外のブルーベリー農場では、たわわになった実が太陽のひと押しを待っているというのに。ワタシも朝のシリアルにプチプチのブルーベリーをたっぷり入れて食べられるのを待っているというのに。

仕事がない間に6月の月末処理(といってもほとんどないけど)をするべきなんだけど、どうも「さぼり」モードからの切り替えがうまく行かない感じ。根がぐうたらなもので、遊び呆けていると遊び癖が抜けなくなってしまうらしい。年末年始から5月の終わりまでほとんどびっちりで去年の1年分働いたんだから、このあたりで「びっちり」怠けるのもいいだろう・・・と、へ理屈をこくワタシ。今はどうしたものかと迷いっぱなしだけどいずれはやって来る「ご隠居さん暮らし」の予行演習だと思えばいいし、3週間近かった日本旅行であれやこれやと考えたことを反芻するのもいいかな。まあ、このまましばらく仕事がなければ、そのうちにそわそわし出すんだろうけど。

今回の旅行はたぶん(初めてというと語弊があるけど)今までで一番楽しい!と感じた日本旅行だった半面、生まれ育った北海道で自分という人間の「原点」になった原風景あるいは原体験を訪ねるという目的もあったから、いろいろなことを考えたり、改めて確認したりの有意義な「旅」でもあった・・・というほどの大げさなものではなくて、一種の「卒業旅行」みたいなものだったかもしれないけど、ドームの上に七光星の道旗がはためく赤レンガ(北海道庁旧庁舎)の前で、衆人環視(といってもそんなにたくさんいたわけじゃないけど)の中でやらかしたカレシとの大げんかさえも間違いなく有意義だった。ずっと正体不明だった憑き物が落ちたというか、頑固に心の奥に刺さっていたトゲが抜け落ちたというか、あれ以来何だか「楽になった」という感じがする。

客先関係の人と食事をしながらとりとめなく仕事にまつわる話をしていたときに、日本人がよく使う表現で訳しにくいのは何かという話になって、たまたま旅行前の仕事で頭を悩ました「あり方」のを挙げた。エラソーな文書が問題や課題を検討するときにまっさきに考えるのがこの「あり方」というやつで、それが決まらないことには解決策の議論を始められないらしい。では、この「あり方」というのはいったいどういうものなのかという話になった。手っ取り早く辞書を引くと「the way that (it) should be」なんて訳が出て来るけど、何となくしっくりしない感じがする。せっかちなアメリカ人は「問題をどう解決するか」から始めそうだから、「あり方」から説き始めても馬の耳に念仏で、「で、アイデアはあるの?」ということになるんじゃないかと思ってしまうわけ。

そのときは「難しいねえ」で終わったけど、辞書サイトで「あり方」の意味を調べてみたら、「ある物事の、当然そうでなければならないような形や状態。物事の正しい存在のしかた」という定義。そうか、あり方とは「正しい」存在のしかたのことを指していたのか。ということは、当然そうでなければならない「形」(あるいは「状態」)でないものは「正しく」存在していない、間違った存在、いうなれば「異端」ということなのかな。文化や芸術の世界でも、○○道とか○○流と付くものは「形」が命だという観があるけど、たしかに、「正しい」形が決まっているところに、ちょっといびつだったり、欠けていたりするものが入ると「全体」が不ぞろいになってしまう。この世にはそれを「醜い」と感じる人と、「美しい」と感じる人がいるわけで、すべてがきちんと形にはまっていないと不快に思う人が多ければ、「あり方」が品質管理マニュアルのようになって、世の中は窮屈になりそうな気がする。

でも、自分がそういうマニュアルの通りに生きられないから言うんじゃないけど、ワタシとしては、世の中のものごとは不ぞろいなのがあたりまえで、だから人生には不ぞろいの中から美しいものを見出すというスリルがあっておもしろいと思うんだけどな。

では、あり方のあり方とは何ぞや

7月3日。火曜日。なんだか午後12時過ぎの起床が定着してしまった感じがするけど、いいのかな。でも、目覚ましでがばっと起きるのに比べたら、自然に目が覚めるほど気分のいい起き方はそうそうあるもんじゃない。まあまあの天気で、午後2時には15度と、こっちも何とかまあまあ。

運動を兼ねて、トートバッグを肩にモールまで歩く。徒歩で片道だいたい30分だから、トレッドミルでとことこ歩いているよりはずっと運動になるし、外の空気を吸えるし、家の外で何が起きているか(起きていないか)を視察することもできて、背筋を伸ばしてたったかと歩けば一石何鳥。まずは銀行で手持ち用の現金を下ろし、日曜日からちょっとシアトルまで行くので、ついでにアメリカドルも下ろす。アメリカを旅行中のデイヴィッドとジュディが日曜日にシアトルでレンタカーを返すと言うので、お迎えがてらちょっと遊んで来ようということになった。エンジニアのデイヴィッドが行きたいと言うので、月曜日にボーイングの工場を見学して、火曜日夜の帰って来る。トラックだと行くのが楽なんだけど、後部の補助座席は30分も座っていると足が痺れて来るのでダメ。(エコーを手放すときにトラックを4人乗りに買い替えたらどうかとカレシに提案しておいた。)どのくらいの荷物があるのか知らないけど、ちびのエコーに大人4人と旅行の荷物はちょっときつい。まあ、おととしのウィスラー行きで経験済みだから、また何とかなるんでないかい。

道路を渡ってモールの郵便局で私書箱をチェック。カタログと一緒にレンタル更新の通知が入っていたので、さっそく1年更新したら税込みで156ドル。去年より20ドルくらい安くなっていた。仕事関係の郵便はもうあまり入って来ないから、私書箱レンタルもこの1年限りだな。カレシはおバカをやっていたときにオンナノコたちにこっそりこの私書箱の住所を教えていた。いつも自分が仕事帰りに寄ってチェックしていたから、ワタシにばれないと思ったらしいけど、銀行の帰りに寄ったときに日本発のキティちゃんシールのついた分厚い封筒が入っていて、ワタシの業務用私書箱を「浮気」に使うとは何事かとぶっち切れて開けてみたら、グアムだかどこだかへの旅行の写真。中には「あなたが一緒ならいいのにぃ」なんてお尻が痒くなるようなメッセージ付きのビキニ姿の写真もあった。あのカノジョ、もうアラフォーと言われる年だけど、その後どうなったんだろうな。ちゃんと念願成就できたのかな。まっ、ひと昔以上も昔の話・・・。

昔の話なんだけど、きのうものごとの「あり方」についてちんたら書いていた関係で、あのオンナノコたちがやたらと「日本女性のあり方」、「日本人のあり方」にこだわっていた?のを思い出した。いや、こだわりというよりは、日本人女性として「正しい」存在でなかった(らしい)ワタシへの失望や嫌悪を顕わにしていたカレシにへつらって、あるいはカレシが描いてみせた「日本女性のあり方」に迎合しての、一種の「売り」に過ぎなかったのかもしれない。思うに、カレシは「ワタシ」という女に惚れたのではなくて、自分が思い描いた「日本女性」に惚れていただけで、それはオンナノコたちに対しても同じだっただろうと思う。(カノジョたちもそうだったけど)ワタシはその区別をつけることができず、(日本でもずっと感じていた)その「あり方」に適合するべきだという圧力に(たぶん自分でもわからないままに)振り回されているうちに、カレシは自分の努力が失敗したと思って、「こんなはずではなかった」という憤懣を一気に爆発させたんだろうな。ま、それもひと昔よりもっと昔の話・・・。

でも、そうやってどこかで植えつけられた、「一般に認められるあり方」に適合しない(できない)ことに対する「罪悪感」こそが、ずっとワタシを悩まして来た「正体不明の憑き物」だったんだなあ。ほんとにとんでもないお荷物を背負っていたもんだと思うけど、女性なら誰だって愛する人の望む通りの女になりたいという欲求が心のどこかにあるんじゃないのかな。だけど、それをその人の本来の人間性(いうなればその人の「あり方」)を否定してまで実現しようとするなら、それはもう愛する人への「愛」でもなければ、自分への「愛」でもなくて、「あり方」という建前への迎合に過ぎないし、(できないことに対する)罪悪感を植えつけることでさせようとするなら、それはもう精神的暴力と言っていいと思う。だって、よほどのマゾキストでなければそんなことはできないだろうと思うから。

「あり方」とか、「当然そうであるべき形」とか、「正しい存在のしかた」とかいう「縛り」に囚われるから生き難くなるんじゃないかと思う。まあ、ワタシにへばりついていた憑き物(demon)がすっと落ちたあの大ゲンカの後で、少なくともワタシはすっかり楽になった気がする。そうだよね、ワタシはワタシのままでいいんだとわかったんだから。ひょっとしたら、カレシの「こんなはずではなかった」というのも、いうなれば「憑き物」みたいなものだったのかもしれない。そうだったとしたら、まだカレシの気持のどこかにしつこく憑いているのかな。それとも、あのケンカの勢いで振り落とされたんだろうか。「かくあるべき」という呪縛が解けて、今は「でもまあ、こいつはこれでいいか」と思っているんだろうか。そのあたりはどうなんだかまだわからないけど、この先の人生は必要もない重い荷物を背負い込まないで、身軽に生きたいもんだな。これからは「あり方」のあり方にもちょっと思いをめぐらせてみるとか・・・いや、それはもうやめとこっ。

追記:
心が軽くなって、ちょっと改まった気持になったので、背景も変えてみた。あり方についてああだこうだ書いているページの上をそろそろと歩いている蟻んこがご愛嬌。釧路ではJ子の家の庭ですずらんが咲いていた。我が家の庭にも咲いている。すずらんはワタシのふるさとの花、ふるさとの香り。すずらんの花言葉は「幸福の訪れ」、「幸福の再来」で、フランスでは花嫁に贈る風習があったとか。可憐で清楚という印象に反してすずらんの花は強烈な毒を持っている。見かけによらず危険なところがあるあたりは、何となくワタシに似ていなくもないか・・・。

やっとこさ夏がやって来るらしい

7月5日。木曜日。今日は正午前に起床。午後1時のポーチの温度計は、おお、20度!やっとのことで夏が来たという感じ。明日あたりから来週いっぱいは25度近くまで上がるそうで、どうやら急に暑くなるよ~という注意報が出ているらしい。まあ、バンクーバーの25度は「真夏日」の感覚なんだけど、雪が降るといって注意報を出し、暑くなるといって注意報を出しって、何だかなあ・・・。

きのうは何だかんだ忙しかった。シーラとヴァルが来て家の掃除。野菜類の買出し。そして、夜にはお酒の買出し。今年は公共セクターの労働協約が軒並み期限切れで、おまけに交渉が難航しているそうなので、後半はストが続発しそうな予感。去年から「何、それ?」と呆れられるようなあり得ない要求をして、臨時立法で対抗しようとする政府とすったもんだやっていた教員組合は「とんでもない悪法に縛られないために」とか何とかいって妥結したけど、成績表を作らない戦術で高校を卒業する子供たちの大学入学出願に支障が出るところだった。今度は酒類の流通を管理する部門が民営化の話もちらほらある中での賃上げ要求スト。1ヵ所24時間ずつの拠点ストだそうで、政府直営の酒屋が閉まるわけじゃない。だって、連中だって家に帰ったらキュッと冷えたビールを飲みたいんだよね。

それでも、在庫に影響が出ないうちに、と夜になって酒屋へ。ワインやら、ジン、コニャック、アルマニャック、スコッチ、日本酒を買い込んで、レジでチェックアウトしていたとき、小脇に挟んでいた季刊の無料雑誌『Taste』が床に落ちたのを拾い上げようとして屈んだところへ、日本酒の小びんがカウンターから落ちてワタシの頭にガッツン、そして床にゴロン。思わず金切り声の悲鳴をあげたもので、警備の人やレジの人が「大丈夫?ちょっと座った方がいいかも・・・」と大騒ぎ。まあ、痛くてたんこぶができそうだけど、帰って1、2杯引っかけたら大丈夫だってば!あまりにも熱心に心配してくれる(そりゃあ、損害賠償訴訟を起こされたくないもの)ので、もう少しでワタシは「thick skull(頭蓋骨が厚い)」だから大丈夫よ、と言ってしまうところだった。あはは。「分厚い頭蓋骨」というのは「頭が鈍い」という意味だから、あぶない、あぶない。やっぱり打ちどころが悪かったのかな・・・?

一夜明けてみたら、たんこぶはできていなかったし、脳みそも普通に作動しているから、ほんとに大丈夫。かなりハードに頭に当ったけど、落ちてきたのが小びんだったから良かった。あれが普通サイズの酒びんだったら、脳震盪を起こして、気絶して救急車を呼ぶ騒ぎになったかもしれない。そういう事態だったら、しばらく仕事ができなくなったと補償を要求することも考えるかもしれないな。まあ、何だかんだとへ理屈をつけて大枚の賠償金を出させようとする輩もいるんだろうけど、小さなたんこぶのひとつくらいで訴訟なんか起こすのはめんどうくさ過ぎ。これからは気をつけなきゃ・・・と言っても、こういう事故(ハプニング)は気のつけようがないんじゃないかな。

カレシが用事があって出かけた後、まずはカレシが大好きなラタトゥイユの仕込み。ナスと玉ねぎとズッキーニとにんにくを炒めて、缶詰のトマト、赤ワイン酢、白ワイン、砂糖少々を混ぜて、あとはスロークッカーにお任せで、簡単、簡単。それから、半ば忘れていて傷み始めていた高麗人参のまだ大丈夫な細いところをウォッカに漬け込み。これは疲れて体調がイマイチ優れないというときなどに熱いお湯に蜂蜜と一緒に入れて飲む、我が家の「薬湯」のひとつ。(もうひとつは金柑の蜂蜜ブランディ漬。)暑くなるというから、太いところは鶏のもも肉でなんちゃらサムゲタン風スープでも作ろうかな。韓国では「土用の丑の日」にうなぎではなくサムゲタンを食べるという話(と言っても、ワタシは「土用の丑の日」がいつなのか知らないんだけど。)それとも、朝の人参粥なんてのもいいかなあ。

まあ、こっちはゆっくりレシピを検索してみることにして、ひとまず今夜のメニューはニジマスのアマンディーヌ、ラタトゥイユ、蒸したインゲンの、なんちゃらおフレンチ風で行こうっと。

わりとのどかだった夏の一日

7月6日。金曜日。せっかくいい気持ちで眠っていたのに、アラームがピーピーと鳴り出して目が覚めた。午前11時半。起き出したカレシが防犯アラームを解除しないで裏庭に出ようとしたせい。放っておくとけたたましいサイレンが鳴り出す。解除しなきゃ~と慌てて飛び起きたところで、カレシが戻って来て解除。もっと早く(できることならドアをあける前に)気づいてよっ、この寝ぼけ。もう!もう少し寝ようという魂胆でベッドにもぐり込んだら、今度はコーヒーメーカーのグラインダーの音。ああ、やれやれ・・・。

今日は予報の通りに暑くなりそうな気配。さて朝ごはんというときに、カレシが「シアトルに行く前にエコーを整備しておかないと」とのご託宣。行く前に整備するって、アナタ、今日は金曜日でもう午後だし、シアトルに行くのは日曜日でしょうが。だけど、カレシは例によって「思い立ったが吉日」で電話をピコピコやって、「番号、入ってない」。うん、入ってないよ。だって、入れてないもん。脱兎のごとく(は大げさだけど)ベースメントに駆け下りて行ったカレシ、10分ほどして「1時間以内に持って行けば5時までにできるってさ」と満面の笑み。う~ん、こういうのを最近ネットでよく見かける「どや顔」と言うんだろうな。「きっと客が来なくてヒマなんだ」。あのね、そういうコメントをよけいなひと言というの・・・。

おかげで、朝食もそこそこにトヨタのディーラーまでエコーを持って行って、帰りはカレシの発案で歩け、歩け。せいぜい30分くらいの距離とは言え、帰りはほとんど登り道なんだけどなあ。でも、天気がいいし、鼻っ柱にちゃんと日焼け止めのクリームを塗っておけば、ま、いいか。ディーラーのオフィスで、特にタイヤの状態とブレーキを重点にチェックするように頼んで、歩け、歩けの帰り道。上り坂の部分が10ブロックくらいあるから、帰り着いた頃には2人とも汗だく。冷たい水出し煎茶でひと息ついて、やれやれ。カレシは豆を蒔くと言って庭へ。ワタシはレシピの検索。いつのまにか紀伊国屋で買って来た小さいレシピ本の出版社(シンガポール)のページを覗いて、しまいにはmini cookbookで検索して見つけたシンガポールの本屋にあれこれ19冊も注文してしまった。どれだけ在庫があるかはまだわからないけど・・・。

3時過ぎにディーラーから電話。もう終わったのか、早いなと思ったら、エアコンのフレオンを補充する必要があるがどうするかと聞いてきた。見積もりに250ドル上乗せになるそうな。シアトルへ向かう日曜日はこの夏一番の暑さになりそうなのに、日陰のないハイウェイをエアコンなで走るのはきついから、即座にOKして、庭仕事中のカレシには事後報告。カレシ曰く、「どうりであまりエアコンが効いてないような気がしてたはずだ」。だったら、オフィスで最初に聞かれたときにチェックして必要なら補充してくれと言えば良かったのに、「それはこの次でいいから」なんて言ったのは誰だろうなあ。まあ、何につけてもまず「お断り」してから「お願い」することが多いのがカレシの特徴ではあるけど、それでしなくてもいい損をしているかもしれないよ、アナタ。

でもまあ、整備の終わった車を引き取りに行ったときに、4人乗りのトラックに買い換えるかもしれないからとSUVとトラックのカタログをもらって来たのは、ワタシの「サジェスチョン」を聞いていたってことかな。夕食時で2人とお腹ぺこだったので、今度は歩くのをやめてトラックで一緒に行って、ワタシがエコーを運転して帰ってきた。おお、エアコン、よく効いているよ~。今日は何度くらいまで行ったのかな。(猛暑のトロントでは35.1度だって。あっちは蒸し暑いから大変だ。)さて、魚を回答するのを忘れたので、晩ごはんは何にしようかと思案。暑かったから、思い切りスパイシーな韓国風で行くか。ピリッと辛い大豆もやしのナムルとコチュジャンとにんにくがたっぷりの豆腐のチゲ。白菜に青梗菜に豚肉にねぎにエリンギにニラに、それから残っていた大根のしっぽも入れてしまえ。

イベントらしいことがひとつだけの、わりとのどかな夏の一日だった・・・。

誰のために人の役に立ちたいのか

7月7日。土曜日。午後12時40分起床。午後1時過ぎにはポーチの温度計が21度を指して、今日も暑め。暑がりのワタシは外へ出るとしたらスリーブレスだな。窓が多くて日当たりが良すぎる二階はあっさり28度を突破。ワタシより暑がりのカレシはさっそくクーラーをオン。(熱交換式換気装置のおかげで、この冷気が家中にけっこう行き渡ってくれるのがうれしい。)

暑いから(20度を超えた程度で!)と言うわけじゃないけど、明日の夜にはシアトルへ長いドライブ(といってもたかが2時間ちょっとなんだけど)、今日は2人とものんびりと過ごすことにする。今日のワタシはとっても爽やかな気持。というのも、何人かの友だちが抱えていた子供(と言ってもほとんど成人だけど)に関する問題がどれもポジティブな方に向かいつつあるから。ワタシには子供ができなかったからわからなかったかもしれないけど、親というのはいくつになっても子供のことが心配なものなんだとつくづく思ったな。近くにいれば黙ってハグしてあげることだって(それくらいしかできないけど)できるのに、遠くにいればそれもかなわない。ワタシだって悩みながら曲りなりに成長して来たんだし、その経験が何かしら人の役に立つこともあるかもしれないし、「聞く耳」を貸すだけでも慰めくらいにはなるかもしれない。だけど、こうすれば、ああすればという具体的なアドバイスは、おせっかいが過ぎるようで心が怯んでしまう。

おせっかいだとわかっていてもどかしいことこの上ないんだけど、結局は自分の経験から得た抽象的な人生論になってしまって、アドバイスとしてはあまり役に立ちそうにない。でも、役に立ちそうにないとわかっていながら、つい頼まれもしないのに激励してしまうから、我ながら何とも救いようのないおせっかい焼きだなあと思う。まあ、ワタシごときが漠然とした人生論を語ったところで人さまの人生が良くなったり悪くなったりするとは思えないから、ほんのちょっとでも何か役に立てることがあったらここまで生きて来た甲斐があったと思ってしまうわけで、そもそも役に立ったかどうかもあやしいから、ほんとは迷惑な「押しかけおばちゃん」なのかもしれない。

それでも、辛いことや苦しいことで落ち込んでいる親しい人や良くしてくれた人の役に立ちたいと思えるのは、とうに還暦を過ぎたワタシの人生がやっと落ち着いたからなんだろうな。だから、深刻な問題が(悩んでいる本人の努力で)解決の方へ向かうと、自分が真っ暗な迷宮から抜け出したときの、あのほっとした気持が蘇ってきて、そこでまた「ああ、よかった、よかった」と自分のことみたいに喜んで、爽やかな気持になる。喜ぶのは誰よりも努力した本人のはずだけど、自分は子供を生んだことも育てたこともないのに勝手に親の喜びをおすそ分けしてもらって、そうすることで人とのつながりを感じていられるワタシは幸せな人間だと思う。

人間って、そもそも自分自身が幸せでなければ分かち合える幸せがないのを同じだし、自分を幸せな人間だと思えなければ、人の幸せを喜べといっても難しいだろうと思う。つまり、人間が人の役に立ちたいと思うのは、自分が幸せだということを確かめたいという願望があるからなのかもしれない。でも、ワタシは高邁な博愛精神の持ち主じゃないから、自分を幸せな人間だと思うからこそ親しい人たちやワタシにやさしくしてくれた人たちも幸せであって欲しいと思うだけで、人類の幸福のために自分を犠牲にするなんてことは逆立ちしたってできっこないだろうな。まあ、「情けは人のためならず」というし、たとえほんのちょっぴりでも人の役に立つことができて、それが回りまわって自分の幸せになるとしたら、自己満足だろうが何だろうが、動機なんかどうだっていいじゃないかと思うけど。

何につけても自分が基準の私

7月8日。日曜日。午前11時前に目が覚めたので、そのまま起床。あした、あさってと生活時間が「一般的な」標準時間になるから、ちょっとは時差ぼけ防止になるかもしれない。東部の猛暑が西海岸に移動して来たそうで、40度超なんて熱帯的な暑さにはならないだろうけど、バンクーバーは今日も暑くなりそう。(あした、あさってのシアトルは最高気温が29度の予報!)

今回は2泊3日だから大した準備は必要ないし、出かけるのは夕食後なのでゆっくりでいいんだけど、カレシは日本で買って来たiPod Touchを充電できないとか何とかもうひと騒ぎ。そういうことはもうちょっと時間的な余裕をみてやっておいた方がいいと思うけどなあ。まあ、そう思うのはワタシで、かなりの心配性なのになぜか「不測の事態」が起きるはずはないと思い込んでいるらしいのがカレシ。それで「ワタシたち夫婦」がけっこううまく回っている感じもするから、おもしろいもんだと思うな。

きのうごちゃごちゃ書いたことを読み直してみて、ワタシってすごい「自分基準」な人間だなあと思った。この1、2年、遠くの友人たちが子供の死別、離別、学校問題で大変な思いをしているのを見ていて気をもんでいたのが、みんなハッピーエンドになったか、ポジティブな方へ向かっているのがすごくうれしい。でも、頼まれもせずに気をもんでいるのは「押しかけ」のような気もして、だけど「押しかけ」はやっても「押し付け」はしないよなあと、へ理屈っぽいことを考えていた。つまるところ、こういう見方もあるよ、こういう考え方もあるよと、押しかけアドバイスをやって、それがちょっとでも何かの役に立つことがあれば、それだけで幸せな気分になれるのは、ある意味でワタシは「自己中」だからかもしれないと。

たしかに、自分のことに関しては何につけても「自分」がどう思うかが判断の基準になっていて、人と比べてどうこうというのどうでもいいと思っているところがある。このあたりは子供の頃に母がいつも「うちはうち、よそはよそ」と言っていたのと関係があるかもしれないな。自分については自分の基準、他人についてはその人の基準でいいということなんだけど、この基準というのが「まあ、いいか」という、けっこういい加減なものだったりすることが多いから、「一般に認められた規範」にこだわる人たちには困った存在だろうと思うし、ときたまものごとがややこしくもなる。

いうなれば甘いってことかもしれないけど、ワタシも人間だから他人やものごとにイライラすることもあるし、ムカつくことだってある。でも、自分にも他人にも「完ぺき」を求めず、適度の許容ラインで「まあ、いいか」と納得できるのはワタシの「いいところ」なんじゃないかと思うな。まあ、その許容ラインも「他人にどう思われるか」という視点への配慮がまったくないので、許容基準が「まあ、いいか」よりずっと高いところにある人から見たら、そういう高度な基準に適合しないワタシはやっぱり疲れる自己中人間ということになるんだろうな。でも、ワタシはワタシ、人は人と考えると、どうしても「自分基準」にならざるを得ないと思うから、人が何と言おうとワタシは「まあ、いいか」。なぜかそれができず、ほとんどがワタシとはまったく違う環境にいる人たちが設定した「適正基準」に近づかなければと無理をした時期があったから、自分を見失うような状態に陥ってしまったんだと思うし・・・。

さて、カレシのiPodはどうやら充電し始めたようだし、いつのまにか電池切れになっていた原因も判明したらしい。今度はちゃんと使用説明書を持って行くそうだし、着替えも用意したそうだし、シアトルまでのドライブで聞きたいCDも選んで、準備万端が整ったらしい。ネットブックは持って行かないことにしたそうだけど、今回は4人連れだし、たったの2泊だからホテルでネットを覗く時間なんかないと思うよ。では、ワタシも持って行くものをまとめることにしようか。(今頃はオレゴン州あたりを走っている)デイヴィッドの携帯の番号もワタシの携帯に登録したし、2人のパスポートとアメリカのお金とボーイング工場見学のチケットはとうにバッグに入れてあるから、後は自分の化粧品(といってもわずかだけど)と着替えを入れるだけ。タンクトップだけでいいかな。なにしろ3日間ずっと暑そうだから・・・。

遊び呆けて、疲れて、日が暮れて

7月11日。水曜日。起床は午前8時。我が家に一泊したデイヴィッドが予約してあるレンタカーを空港へ取りに行くというので、早起きして4人揃っての朝食。

シアトルから帰ってきたのは午後8時過ぎ。閉め切ったままでクーラーもかかっていなかった家の中は30度を超えていて、暑いの何のって。4人とも遊びすぎで何だか疲れていたけど、冷たい水出し煎茶を飲みながら、寝苦しくない程度まで冷えるのを待った。月曜日はけっこう暑かったけど、きのうは朝から高曇りで少し涼しげ。チェックアウトする前にパイク・プレースのマーケットまで歩いたときはちょっと肌寒いくらいだった。まあ、シアトルの細長いダウンタウンはエリオットベイからもろに急斜面を海風が吹き上げてくるので、海側はいつも寒いような気がする。

カレシがデイヴィッドを空港まで送って行ったので、ワタシとジュディはぺちゃくちゃと女同士のおしゃべりに花を咲かせる。モントリオールに住む長女のスーザンの赤ちゃんは9月下旬が予定日で、自分のフランス語苗字が嫌いという父親の希望で、母親の苗字と英語っぽい名前をつけることにしてるとか。ケベック州の法律のことは知らないけど、スーザンとパートナーのモンティはもう15年も事実婚だし、法律婚でも今は別姓の夫婦は珍しくもないし、日本のような戸籍がないカナダでは、父が何某、母が何某と記載して出生を登録するだけなので、子供の苗字も母親か父親かのどちらかを選べるんだろうな。

一方、まだ実家住まいの次女ローラは出たり入ったりしていた大学をやっと卒業して医薬系の会社に就職が決まり、しばらくはアメリカはオハイオ州クリーブランドで研修とのこと。おまけに、この5、6年ほど交際していたボーイフレンドにプロポーズされて、めでたく婚約。フィアンセは大手金融機関のリスク管理のプロで、若いのにすごい高給取りらしい。マケドニア系で、英語舌にはちょっと発音しにくい苗字なので、ローラは別姓にするかどうか思案中とか。結婚式はおそらく来年の夏で、「花嫁の父」デイヴィッドは今から映画の『My Big Fat Greek Wedding(マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング)』のようになるんじゃないかと戦々恐々らしい。(ただし、マケドニア人とギリシャ人を混同するのはタブーらしい。歴史的な怨恨の執拗さはどこも同じということか。)長いこと娘たちに何もなかったのに初孫と結婚式がひとまとめに来てしまって、ジュディはうれしそうだけど、これから大変だろうなあ。

ワタシとカレシはここへ来て「遊び疲れ」。特にカレシは、小さなエコーで連日インターステートハイウェイ5号線(I-5)を時速120キロくらいでぶっ飛ばしたので、ぐったりと疲れたもよう。そうだろうなあ。何しろみんなそのスピードで走っていて、いきなりヒョイッと「気軽」に車線変更して来るし、テールゲイティングといって、十分な車間距離を取らずに後ろにぴったりついて走りたがるヤツも多いからヒヤヒヤのしっぱなし。ワシントン州のドライバーたちがせっかちになって来たのか、運転マナーが悪くなって来たのか、そこのところはわからないけど、もう若くないこっちは神経が疲れること甚だしい。

国境を越えるのはわりと空いている日曜や平日の夜を選んだので、待ち時間は行きも帰りも約20分。アメリカへ入るときは、背中に「Police」と書いた制服を着た人たちが何台かの車のトランクを開けさせてチェックしていて、ワタシたちの前の車のときはトランクに入っていた女性のバッグの中身まで出して調べていた。(ドラッグの摘発かな?)ワタシたちはそのまま検問ブースまで進んだけど、パスポートを見ていた移民官がいきなりワタシの名前を呼んだので、反射的にイエス!と言ったら、「サングラスを外して」。あっ、外すのを忘れてた。すいませぇ~ん。何事もなくアメリカ側に入ってから、カレシが「名前を呼んだの、どうしてだと思う?」と聞くから、パスポートに書いてあるもん、と言ったら、「キミの反応を試したんだよ」。ええ、何の反応?「名前への反応さ」。ふ~ん、つまりサングラスをかけたままだったから、他人のパスポートで入ろうとしていると思われたってこと?「そういうことさ」。へえ、今どきのアメリカの移民局はわりと巧妙な心理作戦で来るんだ。まあ、いろんな人たちがあの手この手で何とかしてアメリカに潜り込もうとするから、それを阻止する方も賢くならないとね。最近は何だか愛想が良くなったように思っていたら、なるほど、そういう作戦なのか・・・。

でもまあ、6月からこの方、2人とも実によく遊び呆けたもんだなあ。さて、遊び疲れたところで、そろそろ本気で「平常」モードに戻らないと・・・。

ガラスの彫刻は色と光の幻想

7月12日。木曜日。カレシが午前10時過ぎに起き出したけど、ワタシはもうひと眠りして午前11時過ぎに起床。今日も暑くなりそう、といっても最高気温の予報は24度くらい。それでもバンクーバーとしては十分に暑いけど、相対湿度が60パーセント以下なので快適な夏と言えそう。

普通の時間に朝食。コーヒーを飲みながら、今日は何をしようか?ワタシは今のところ仕事の予定がないし、カレシは英語教室を夏休みにしたので、2人揃って「ご隠居(トレーニング)」モード。カレシがシアトルのホテルのレストランで食べて気に入った朝食の「グラノーラ・パフェ」を家で作りたいというので、たまたま開けていないヨーグルトが冷蔵庫にあることだし、お気に入りのグラノーラを買いにWhole Foodsへ行くことにした。数百キロを時速120キロで飛ばして来たので、エコーのバッテリは絶好調。空いているメーターのところに止めたらまだ35分も残っているから、今日はラッキー。ありったけの小銭を足して1時間55分。

近くのHome Depotで(長時間点灯している玄関ホールとオフィスの外の廊下に使う)LEDライトをいくつも買い、ついでにカレシが外付けHDDを欲しいというのでご近所のBest Buyへ。カレシは3TBの大きなやつ、ワタシは売れ残りらしい手帳サイズの750GB(1テラのが欲しかったけど、USBが3.0なのでアウト)と前から欲しかったフォトショップ・エレメンツ。買い物袋を車のトランクにしまって、やっと目的のWhole Foodsへ。お目当てのグラノーラの他、コーヒー豆、フムスに大好きなテラの野菜チップス3種類(最近は日本でも売られているらしい)、鮭や鯖と並んでエラソーな顔をして氷の上に載っていたギリシャの(尾頭付き)鯛と寝酒のつまみにするスモークサーモンのトリム(切り落とし)。な~んか「ついで」が多すぎて、目当てのものだけですまないのがワタシ(たち)の買い物パターンらしい。これじゃあ、本格的な隠居生活になったときに大変なことになるんじゃないのかなあ。ま、そのときになったら考えようか・・・。

家の帰ったら後はのんびり。シアトルで撮ったビデオと写真の整理。日本へ行く前に買ったビデオカメラ、いつの間にか「ワタシ、撮る人。カレシ、編集する人」になったようで、ビデオの編集はカレシの新しい趣味?に発展しそうな予感。ボーイングの工場見学では、カメラはおろか携帯もiPodも電子機器一切もバッグも、はては女性のハンドバッグまで持ち込み厳禁なので、あたりまえだけど、写真は撮れない。工場では新型の747型と、777型、787型の組立てをやっていて、高いところから見下ろすとジャンボ機でさえ「な~んか小さいなあ」という印象を受けるから不思議。787型ドリームライナーはひとつ屋根の下に3機も4機も並んでいるのでよけい小さく見える。世界各地から胴体や翼をドリームリフターという特別仕様の輸送機で運んで来て3日で組み立てるんだそうで、出口に一番近いところのは「日本航空様ご用達」。(塗装が終わって引渡しを待っていたのはANAが一番多かったかな。)

実際にジェット機を組み立てているところは何度見ても見飽きないけど、ワタシには今回のハイライトは5月にオープンしたばかりのChihuly Garden and Glass。ワシントン州出身のガラスの彫刻家デイル・チフーリの作品を集めたところ。ラスベガスのホテル「ベラジオ」のロビーの天井を飾る躍動感あふれるガラスの花[写真]を見てからというもの、この人の作品にすっかり惚れ込んでしまったワタシ・・・。

似たようなものばかり作るという人も多いけど、インスタレーションだから、個別の作品は似たりよったりでも展示場の環境全体の中で見ないとわからないかも。特に植物園などでの大規模なインスタレーションは自然に溶け込んですばらしいと思うんだけどな。ロビーから入って、まず暗い展示室をいくつか通り抜ける。作品だけにライトが当っているので、すご~く幻想的な雰囲気で、特にいろいろな青のそれぞれの微妙な色合いが何ともいえない。ちなみに、ここでは写真もビデオも撮り放題・・・。

[写真] これはワタシのお気に入り。真っ黒な台に映るイメージから始まって、ずっと天井まで見上げて行くと、いろいろな海の生物が金色に光って、生命が沸き上がって来るよう・・・。

[写真] 暗い展示室から明るい場所(グラスハウス)に出ると、鮮やかな大輪のガラスの花の向こうにシアトル名物のスペース・ニードルが聳えている。(これは入場券と一緒にもらったパンフレットの写真。)ここから外へ出ると、植栽とカラフルなガラスの作品が自然に融合して見える庭園。暗い中での幻想的な色と光にうっとりした後は、青空の下のガラスの植物園で不思議の国のアリスになった気分・・・。

庭園から「シャンデリア」を展示した回廊を通って、奥のカフェでランチ。収集魔でもあるチフーリの雑多なコレクションがあちこちに展示されていて、天井には無数のアコーディオン、外の廊下には無数の栓抜き!ワタシたちが入ったときは、何とチフーリその人がすぐ近くのテーブルでご婦人方とお食事中。(交通事故で失明した左目に黒い眼帯をしているのですぐにわかる。)みんな気がつくけど、誰もお邪魔はしない。意外と背が低くて、その代わり幅の広い人だった。芸術家じゃなくて商売人だと揶揄する人たちもいるけど、たしかにギフトショップには過去の展示の豪華本や制作過程のDVDがずらりと並んでいて、最近他界した「光の画家」トーマス・キンケードのようなショーマンシップがあるかなとも思う。だけど、すばらしいものは誰が何と言ってもやっぱりすばらしい。

そうそう、パイク・プレース・マーケットは「スターバックス発祥の地」。この小さな店から今日のすべてが始まった。実は1971年に少し離れたところで開業して、ここに移転して来た。今でもオリジナルの茶色の人魚マーク・・・。[写真]

ネットで寄付と称して物乞い

7月13日。金曜日。午前9時ごろにクーラーがオンになるようにタイマーをかけておいたら、涼しくなり過ぎて11時をちょっと過ぎたところで起きてしまった。ひょっとしたら気温が下がるのかなと思ったけど、どうもそういうことではなさそうで、夜間はちょうどよく涼しいということらしい。今日は今年はこれで3回目の「13日の金曜日」。カレンダーの仕組みからすると1年に3回が最高だそうだから、今年は今日が最後。まあ、1月のときも、(カレシの手術があった)4月のときも、別に悪いことは何も起きなかったから、今日も大丈夫じゃないのかな。

カレシは車でヘアカットに出かけ、ワタシは炭酸水メーカーのカートリッジを取り替えに歩いてモールへ。焼けやすい鼻のてっぺんに日焼け止めを塗って、野球帽を目深にかぶって、サンダル履きの足には靴擦れ防止のクリームを塗って、トートバッグを肩に、いざ出発。日が照っているとやっぱり暑い。といっても23度くらいだけど、汗でサングラスがずり落ちてくる。(眼鏡をかけていた頃には夏になるとずり落ちてくる眼鏡に悩まされたっけ・・・。)

空になった炭酸ガスのカートリッジは「SodaStream」を扱っているところへ持って行くと、新しいものと交換してくれる。代金は中の炭酸ガスの分だけを払うので、最初にキカイと専用ボトルとカートリッジを買うときはけっこうかかるけど、後は炭酸水を安上がりに作れて便利この上ない。(ただの炭酸水で物足りなければ、いろんな味のシロップを売っているし、ググるといろんなレシピが見つかる。)我が家では1リットルのボトルを3本いつも冷蔵庫に入れてあるけど、カレシが胃腸薬の代わりにがぶがぶ飲むので、カートリッジは2本。でも、1本だけ取替えに行くのもめんどうなので、結局は2本目が空になったところでまとめて交換に走ることになる。日本でも売っているようなので、宣伝するつもりじゃないけど、炭酸飲料好きにおススメしたい優れもの。

よく覗く在日外国人のニュースブログにおもしろい記事が載っていた。あるアメリカ人の英語先生が「フクシマの放射能のせいで将来の健康が心配だし、安全な環境で子供を作りたいのでアメリカへ帰りたいが、外国人ヨメの永住ビザの煩雑な手続きを始め、飛行機代、引越し代、就職するまでの期間や医療保険のない期間の費用、住居探しなどなどに大金が必要で、ついては寄付をお願いします」とYouTubeでアピールしているそうで、コメント欄には、福島から千キロも離れた九州に住んでいて、何で今頃「脱出」なのか?帰りの飛行機代まで出してもらえる待遇の良いJETの先生が5年もいて何も貯金をしなかったのか?アジア旅行や金のかかる趣味、遊びに浪費しまくって(当人がブログに快適な暮らしぶりを書いていたらしい)今さら何なんだ?自分も同業だけどそんな浅ましい真似はしない、ムカつく、と批判がずらり。

どうやらこの人も大学を卒業してすぐにJETプログラムに応募して、憧れの日本へ行って、現地の女性と出会って結婚という、若い英語先生の多くが辿る道を通って来たようだけど、どうも契約切れで帰国せざるを得なくなったらしい。でもアメリカは今えらい不景気で、そこへ外国人ヨメを連れて帰ったところで貯金がないから当面の生活費もない。まあ、新卒でぽっと日本へ来たのなら、アメリカでは経験も資格もないんだろうな。そこでYouTubeで窮状を訴えて寄付を募ることを思い立ったのかな。ネットでの物乞いはけっこうあるから、「オレも~」という感覚なのかもしれないけど、ずっとアメリカに住みたがっていたというおヨメさんは「お金がない」という現実?をどう思っているんだろうな。

それにしても、福島も九州も(たぶん日本も)どこにあるか知らない同胞に「金がないから寄付して」はいくらなんでもちょっと図々しすぎないかなあ。「寄付」のボタンをクリックする人って、どれだけいるんだろう。まあ、世の中にはいろんな人がいるもんだけど、インターネットの世界には何とも世間離れした人が多いという感じがするな。さすがは「仮想空間」というべきなのか・・・。

嘘と罪悪感といじめと

7月14日。土曜日。今日はバスティーユ・デイ。誰が考えたのか、日本では「パリ祭」なんて言っているけど、フランスでは一般に「Le Quatorze Juillet(7月14日)」と呼ばれる(昔NHKの「フランス語講座」を見ていて、響きのよさに魅せられて覚えたんだから間違いない)。アメリカでは独立記念日のことを一般に「Fourth of July(7月4日)」と呼んでいるけど、真似したわけじゃないだろうな。でも、どっちの国も国旗の色は赤、白、青だし、さては・・・な~んて。

カレシが今日はやっと何も予定のない日だから何もしないぞと宣言したので、ワタシも何もしないと同調。ほんとはランドリーシュートがいっぱいだから洗濯機を回した方がいいんだけど、めんどうになって今日はや~めた。こういうぐ~たらでもOKなんだったら、主婦業も悪くはないかなと思うけど、現実はそういうわけには行かないよね。だけどまあ、水曜日が掃除の日だから、洗濯はそれまでにやればいいか。たとえば、明日とか・・・。

夕食もぐ~たらを決め込んで、今日はグリル。魚はほっけの開きとアヒまぐろ。ゆうべのランチで残ったそばつゆに七味唐辛子をたっぷり混ぜてアヒをマリネート。ほっけ用にはちょこっと大根おろし。魚も赤と黄色のピーマンもししとうも、みんなグリルパンひとつで調理。剥き身のつぶ貝は気が変わって、今日はバスティーユ・デイだし(というわけでもないけど)、カレシに菜園から採ってきてもらったパセリとにんにくといっしょにバターでさっと炒めて箸休め風のつけ合わせ。エスカルゴみたいで、ヘンな和洋折衷・・・。

後はのんびりと小町横町の散策。『幸せに暮らしたい私。どうしてうまくいかないの?』という何とも切ないタイトルのトピックが突出してアクセスのランキング1位になっている。どんなドラマの展開かと思ったら、優雅な生活がしたくて、ある「難関国家資格」を持つ人と結婚するために努力に努力を重ねて念願成就したはいいけど、家計も任されず、自由になるお金もなくてしかたなくアルバイトをしているという人。実はその「努力」というのが年令詐称に始まって、何から何まで嘘に嘘の上塗りだったらしく、いつばれるかと心配・・・。読めば読むほどにほんまかいな~と思ってしまう話だけど、ランキング1位になるトピックには「事実は小説より奇なり」を地で行くような話が多いから、これもできすぎていて創作っぽい。ほんとに創作だとしたら、これは小町の名作集に入る大嘘と言えるな。

「嘘も方便」と言う便利なことわざもあるくらいで、人間は誰でもときどきは小さい嘘(fib)をついているだろうと思う。「嘘から出た実」なんてことになって慌てることもあるだろうな。でも、大きな嘘(lie)はいったんついてしまうと後々まで嘘に嘘を重ねて隠蔽しなければならないから大変なことになる。生来の嘘つきで罪悪感を微塵も持たずに次から次へと嘘をつける人にとってはそれほど大変でもないかもしれない。だけど、少しでも人間の心を持っていれば、ついてしまった嘘が露見しないように際限なく話の辻褄を合わせて行く努力をしなければならないし、その上に嘘をついていることへの罪悪感との闘いも加わって、厖大な精神エネルギーを費やすことになってしまう。その罪悪感の重さに潰れる人もいるし、誰か(たいていは嘘をついた相手)に転嫁して楽になろうとする人もいる。人生の判断を狂わせられるような嘘をつかれて、おまけに嘘をついた当人の罪悪感まで背負わされたんではたまったもんじゃないけど、そういうことは決して珍しいことではない。でも、いくら方便であっても、他人の人生を狂わせるような大嘘はどこの社会でも許されざるものだとワタシは思うけど。

何ヵ月も前に収束して消えた『左利きの人は、マナーがなっていないと思われますか?』というトピックがなぜか再登場。このトピックも書き込みが200本以上あって、左利き認容の是非論になっていた。左利き嫌いは、周りの人を不快にさせるからマナー違反だとか、親がしつけを怠ったとか、違和感を持つ人がいるから矯正すべきとか、見苦しいとか、日本様式の所作に合わないとか、箸の使い方や字の書き方が汚いとか、すごい拒否反応で、人によっては「自分は気にならないけど」(うっそ~!)と言いわけをしつつ、とどのつまりは、「自分」が持つ違和感や嫌悪感に「自分」の精神的秩序を乱されるのが嫌で、その不快感(あるいは偏見に対する罪悪感?)を呼び起こす左利き人間はこの世に存在すべきでないと言っているような書き込みが多かったな。

そこでふっと思ったんだけど、このトピックをにぎわした「左利き排斥主義者」たちも、大津の陰惨ないじめ自殺事件の顛末を許せないと思って憤っているんだろうか。学校や職場や社会からいじめをなくせと叫んでいるんだろうか。はて、どう思っているのか、ちょっと聞いてみたい気がするな。

私の性格ってどんなタイプ?

7月15日。日曜日。午前11時過ぎに目を覚ましたら、あら、何か涼しい。カレシが先に起きていたせいでもなさそう。10時過ぎに起きたというカレシによく眠れなかったのか聞いてみたら、雷が鳴って目が覚めたとのこと。へえ、全然気がつかなかった。防音効果の高い耳栓をしているカレシが目を覚まして、普通に寝ているワタシが目を覚まさなかったなんて、ヘンな雷だなあ・・・。

太陽の大きな黒点で大規模なフレアが発生して、北緯49度のバンクーバーのあたりでもオーロラが見えている。就寝前には雲が広がりつつあったけど、ゆうべは目を凝らすと空が赤っぽかったり、緑っぽかったりしていた。郊外の暗いところへ行けばもう少しはっきりと見えるらしいけど、北極圏の壮大なオーロラとは違って、このあたりでたまに見られるのはこんなもの。でも、今回はもっと南のアメリカでも見えているらしい。雷と一緒にひとしきり(カレシによると15分くらい)雨が降ったらしく、今日はクーラーにタイマーをセットしていなくて正解。正午を過ぎても気温は15度しかないので、きのうまでの露出度満点のミニのタンクドレスからスカートと半袖のTシャツに着替え。これだから、冬物の衣類をしまって、夏物に衣替えなんて「正しい季節感覚」は望むべくもなく、クローゼットには春夏秋冬の衣類がいつも雑居・・・。

あっという間に7月が半分過ぎてしまった。洗濯は明日に回して、去年から未完成のままになっている絵をどうやって完成させようかと思案していると、早起きのセンセイから仕事の話。日本は連休じゃなかったのかな。(そっか、オフィスが休みだからセンセイから直々にメールが飛んで来たんだな。)いつものことだけど、仕事前線でしばらく凪が続いて、じゃあ気合を入れて趣味にかかろうかと思ったところで、仕事が入ってくる。どうしてなんだろう。ワタシのお客さんはエスパーなのかなあ。それとも、魔法のレーダー(あるいは水晶玉)を持っているとか。一度あることは二度あって、二度あることは三度ある。明日からは仕事をしながら洗濯機を回して、買出しに行って、暇なときにぐうたらして先延ばししたことをして、忙しいとバタバタ・・・つまりは、平常通りに営業ってこと。

平常に戻るのは明日の月曜日からということで、ニュースサイトを巡回していたら、BBCのラジオ番組で『パーソナリティのビジネス』というのを見つけて聞いてみた。社員に「性格診断検査」をする企業が増えていて、採用のときにも使われ始めているという話。最も利用されているのが「MBTI(マイヤー・ブリッグス・タイプ指標)」で、ワタシも勤め人時代に2回やって、2回とも「INTP」と出て来た(ただし、「T」の部分のスコアは「F」に近かった)。「内向・直感・思考・知覚」型の頭文字だそうで、何で「内向型」と出て来たのかわからないけど、3年の間を置いてやっても同じ結果だったので、それがワタシの性格タイプなのは確かだろうな。そこで、BBCの記事にあった「私ってどんな人?」テストをやってみたら、やっぱり似たような「性格」(ただし、こっちでは「平均的な外向性」となっていたけど)。ついでに、「脳の性別診断」というのをやってみたら、ワタシは男脳と女脳が半分ずつらしい(別のテストでは男脳60%・・・)。まあ、バランスが取れているといえば聞こえがいいけど・・・。

あ~あ、ワタシっていったいどんな人なんだろうなあ。やっぱり、抽象的なことをあれこれと考えるのが好きで、ああだこうだとへ理屈を並べることが多いけど、同時に「まあ、いいか」精神でふらふらと飛び回る能天気な極楽とんぼ型人間でいいってことにするか。それだと生きるのが楽そうだし・・・。


2012年6月

2012年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
それでは行ってきま~す

6月1日。金曜日。忙しいったらない。とにかくやるべきことがこまごまとある。6月中の支払を設定して、ついでに急にカナダドルが下がって来たので、アメリカドルの口座から少し移しておいて、東京と札幌と釧路の天気予報を調べて印刷して、それからやっと荷造り。カレシは自分が持って行くものをベッドの上に積み上げて「よろしく~」。大きなスーツケースはずいぶんと余裕があるから、うん、どかっと買い物をするか。今日から免税枠が増えて、24時間だと50ドルから200ドルに、48時間以上だと400ドルから800ドルにと大盤振る舞い。7日だともっと上がるかと思ったら、なんだ、750ドルが800ドルになっただけだった。政府は何を企んでるんだろうなあ・・・。

カレシは「やっぱりまともな服装をしている方がいいかな」と、ちょっと色あせたジーンズはスーツケースに収納。そうだなあ。あまり貧乏くさい格好だとうさんくさい目で見られるかもね。1990年代、ワタシは日本での会議に行くのにビジネスクラスに乗っていたんだけど、搭乗するときにいつもゲートで「ただ今、ビジネスクラスのお客様をお先にご搭乗いただいております」みたいなことを言われて止められていた。まあ、アジア人のすっぴんで冴えない中年おばさんがバックパックにジーンズという格好だから、ビジネスクラスのチケットを持っているとは想像もしないだろうな。ワタシはつらっとした態度で、あ、わかってますと、搭乗券をひらひら。そのときの反応がけっこうおもしろかった。

当時のカナディアン航空のスタッフは、すっと寄って来て英語で普通に「今は・・・」とやって、ワタシがチケットを見せるとあっさり「失礼しました。どうぞ~」で終わりで、周囲の誰も気がつかない。でも、日本航空の場合はすましたおねえさんが「お客さまぁ、まだご搭乗になれませんのでぇ、もう少々お待ちくださぁい」とか何とか日本語でけっこう大きな声を出すので、順番を待っている人たちが一斉にこっちを注目する。そこでワタシはイジワルに知らんぷりを決め込んでいると、もう少し大きい声で「エコノミークラスのお客さまには・・・」とか何とか。それでも無視していると、やっと「ヤダ~、この人、ガイコクジ~ン?」と思うのか、英語に切り替えてくれる。そのときに声のボリュームが一段下がるからおもしろい。通せんぼしてくるから、にっこりと「わかってますって」と搭乗券をひらひらすると、困った顔になってひたすら平謝り。だって、みんなが見てるんだもん。かっこ悪いのはどっちの方かなあ。

もう20年近く前の、世界に誇る鶴丸マークの会社が存亡の危機に陥るなんて誰も想像さえしなかった時代で、客室乗務員は何となくお高くとまっている印象だった。でも、英語をしゃべっている客にはめっちゃサービスがいいと言う噂は本当だった。見ていて接客態度の違いがわかるくらい、特にエコノミークラスの旅なれていなさそうな日本人客にはさりげなくつんけんしていたっけな。まあ、あの頃は「スチュワーデス」といえば若い女性の憧れの職業で、だから採用する方も腕によりをかけて美人を選りすぐったんだろうし、そうやって「選ばれた」人たちだから、たぶんプライドが高かったのかもしれないな。カナダやアメリカの航空会社の客室乗務員は結婚しても寿退社せずにそのまま飛び続ける人が多いから、ベテランのおばさんたちがずらり。きれいどころに飲み物を手渡してもらうのを楽しみにしていた日本人男性には「ババーデスばっか」と不評だったみたいだけど、まさか空の上の「スナックバーのねえちゃん」のイメージを抱いていたわけじゃないだろうな。それじゃあ、つんけんしたくもなるかも・・・。

ま、荷造りも無事終わったから、あとはリラックスしてひと眠り。あした、いよいよ出発。6月21日まで、仕事もブログも放り出して、目いっぱい遊んで来ようっと。では、行ってきま~す!

旅の空はホテルが仮の我が家

6月21日。木曜日。帰って来た。我が家到着は正午。気温は17度で、風が何とも心地がいい。ほぼ3週間、毎日元気いっぱい良く遊んで、もりもりと良く食べたなあ。おかげで体重が2キロちょっと増えて帰って来て、維持目標オーバーがさらに拡大。あ~あ、どうしよ~。まあ、カレシも帰ったら即刻ダイエットだ!と宣言していたから、大きなおみやげを抱えていることは実感しているんだろうけど、それにしても、ストレスがたまって太り、楽しくやりすぎても太り・・・。

ほんとに、自分でも感心するくらい良く遊んだ。一度だけけんかをしたけど、それはカレシが旅行用に買ったビデオカメラを(練習を怠ったから)使いこなせなくてイライラしてキレたのに対してワタシがキレたもので、北海道庁赤レンガの前で派手に口げんか。まあ、外国くんだりまで来て互いにふてくされてみたってしゃ~ないやということで、けっこうすぐに仲直りしたけど、周りにいた人たちはさぞかしびっくりしただろうなあ。だって、いい年をしたヘンな異人種カップルが外国語で大げんかしているんだから。とにかく仲直りして、後はひたすら遊興三昧・・・。

日本での最初の2泊は丸の内(八重洲南口だけど)にあるフォーシーズンズ。ブティックホテルというだけあって、サービスは重箱の隅の隅まで申し分なかったけど、エレベータに乗ったり降りたりするたびにそこにいるスタッフ全員にバカていねいに頭を下げて挨拶されていると、なにしろ「苦しゅうない」と通り過ぎるセレブには生まれ着いていないから、だんだん「もういいよ~」という気分になって来るな。客室はエレガントだけどなんか無菌状態って感じがして、密着サービスと好対照だった。ただしホテルのレストランの朝食は良かった(すっごく高いけど)。札幌の京王プラザは外観とロビーの雰囲気が新宿のと似ているけど、ルームキーを渡されてびっくり。部屋番号のタグがぶら下がっている昔ながらの「鍵」。「高層階」なんだけど、バスルームは昔ながらの「ユニットバス」。おお、昭和の香りがぷんぷんするような・・・。

釧路での「ホテル」は小学校1年生から仲良しだった友だちの家。子供たちが独立し、離婚して小学校前の実家の隣に立てた小ぢんまりした家でダックスフント2匹とひとり暮らし。ワンちゃんたちは客が来るとはしゃぎすぎるということで、「バケーションに行ってもらったの」。ワタシたちが寝る部屋で「適当に布団を敷いて、枕も適当に選んでね」。所用があると言って出かけたと思ったら、外から窓をガラッと開けて「○○忘れた!ほら、そこにあるヤツ」。ついでに「この道を行って信号で左に曲がってお風呂屋の近くにあるコーヒー屋でどれでも好きなコーヒーを買って来て。玄関の鍵?そんなのかけなくたって大丈夫だって」。おひとりさま用のお風呂にカレシが浸かったら、お湯が半分溢れ出てしまったけど、とっときのワインを開けて、25年ぶりのおしゃべりに花を咲かせながらの彼女の手料理は何よりも最高のご馳走だった。

オホーツク海に面した紋別では人口3万以下の小さな市に3つもあるモダンなホテルのひとつ。ホームページの写真で見た部屋が狭そうだったので1室しかない大きな「デラックスルーム」を予約してあった。標準タイプの3倍はありそうな広々とした部屋からの港の眺めは格別。天気が良い日の朝日はすばらしいだろうな。屋上に展望フロアがあるということで、エレベーターの中に「明日の日の出は3:44」という紙が貼ってあった。まあ、いくら朝日に輝くオホーツク海へと漁に繰り出す船を見るのは感動的かもしれないけど、午前3時44分はねえ・・・。ちなみに、この部屋のバスルームは、バスタブは西洋式のだけど、広い洗い場がついていて、日本式、西洋式のどちらでも入浴できるようになっていたのは賢いアイデアだな。

東京へ戻ってのホテルはこの4年間「定宿」のようになっている新宿の京王プラザで、3回目の今回は32階。つい先月殺人事件が起きたばかりだけど、たしかに4年前に泊まった時、2年前に泊まった時を比べると、人のサービスは変わっていないけど、全体的な内容(というか格式というか)がかなり下がって来ているのは目に見える感じがする。部屋においてあるアメニティもずいぶんと減った。アイロンもアイロン台もなくなったし、コーヒーはインスタント、ミニバーのお酒の種類も激減。まあ、それでも部屋の広さは手ごろだし、それほど高くないし、和洋中華のレストランがいくつも入っているし、夜中過ぎまで開いているコンビニまであって、1週間、10日と腰を落ち着けて泊まるには「アットホーム」な心地の良さはある。

もっとも日曜日の夜にバスルームで水もれが発生。すぐに修理の人を連れて来たのは良かったけど、翌日の午後にはまた水がもれて来て、前日と同様にカレシのジーンズのお尻がぬれてしまった。(「説明しにくいよ~」とカレシ・・・。)フロントで「はけるものがなくる」と相談したら、「では、お部屋を変えますので、すぐに荷物をまとめられますか?」へえ、引越しかあ。(隣の部屋が空いていれば便利だけどなあ。部屋中に散らかしてあったものをスーツケースと買い物袋に適当に詰め込んで連絡したら、「引越し先」は33回の角の部屋。入ってみたら、ひ、広い!新宿駅方面の眺めがすばらしいし、遠くにスカイツリーも見える。 ベッドはキングサイズで、1人がけの椅子ひとつの代わりにソファがあるし、バスルームはバスタブの隣に別にシャワー室がある。ふむ、もう2、3日早く水漏れしてくれたら良かったのになあ・・・と邪まなことを考えるワタシ。

でも、残りが3泊だからいい部屋に入れてくれるんであって、あと5泊するというタイミングだと、たぶん同じレベルの部屋だったかもしれないな。街もいろいろ、人もいろいろ、ホテルもいろいろ。そのとき、そのときは何だかなあと思っても、やがてはそれぞれに楽しい思い出になる。

空の旅もいろいろあって

6月22日。金曜日。雨模様。ポーチの気温はなんと13度。夏至も過ぎて、もうすぐ7月になるんじゃないの?7月って夏の季節でしょうが。なのに、この温度。なんで?まっ、台風一過の東京の蒸し暑い30度に比べたら、文句なしに楽ちんだから、いいか。

就寝は平常よりちょっと早寝の午前3時すぎで、普通に眠って午前11時半に普通に目が覚めた。今回も往復とも時差の影響はゼロ。きのうの午後にちょっと眠かったのは単純な寝不足で、2人とも昼寝ですんなり解決。もう10年以上も何となく「日本標準時」に近い時間帯(午後8時~9時就寝、午前4時~5時起床)で生活しているおかげで、実際には3時間ほどずれるはずなのに、生理的なリズムはそれほど狂わないらしい。まあ、元々から宵っ張りの2人が共に24時間在宅になったら自然にそういうリズムに落ち着いたというだけで、別に日本と商売するためにあちらの時間に合わせているわけじゃないし、何かと不便なこともあるんだけど、こと日本旅行に関する限りはまったく時差ぼけがないので便利この上ない。

ホテルもいろいろだけど、飛行機もいろいろ。バンクーバーから成田まではエアカナダ。何だか知らないけど「エクゼクティブファースト」と気取った名前になったビジネスクラス。どうやらファーストクラスをちょっと格下げして、ビジネスクラスをぐっと格上げしたハイブリッド的なクラスというところかな。どうしてもビクトリア朝時代のバスタブに座っている感じがするんだけど、仕事でなくたって、ゆっくりとおひとり様でいられるのは何とも快適・・・。

[写真] (画面の地図ではバンクーバーから東京への方角がなぜか逆になっている。)

おふたり様だと中央の2席にあさっての方を向いて座る形になるけど、そこはよくしたもので、席と席の間に上げ下げできる仕切りがついている。

[写真] ねえ、ねえ・・・。
[写真]あ、そうですか・・・。

食事は前菜、メイン、チーズ、デザートと順に出て来るし、パンは2種類から選べるし、メインも和食も含めて何種類かあった。まあ、それだけの料金を払ってるんだから、そうでないと商売にならないか。あんまり大盤振る舞いでワインを注いでくれるもので酔っ払いそうだったけど。

フルフラットのシートはさすがに快適で、少し後ろの方で豪快にいびきをかいている御仁がいたし、ワタシも1時間ほどぐっすり眠ったらしく、(雲の中を飛んでいるせいか)夢まで見ていた。昔のように歯ブラシだの、耳栓だの、チューブソックスだの、アイマスク、ボディローションだのが入った紺色のちょっとすてきなポーチをくれた。カレシはポーチの中身を全部出して、ネットブック用に持って来た2個のマウスを入れて歩いていた。

東京から札幌へは全日空。お弁当が出るというのでプレミアムクラスにしたら、座席の間隔がカレシが足を伸ばしても前の席に届かないくらい広かったのでびっくり。銀座のミシュラン3つ星の和食レストランが作った「鯛めしと牛しぐれ煮弁当」はおいしかった。ビールを飲み、味わいながら食べていて、周りを見回したらみんなもう終わっている。へえ、日本のサラリーマンは早食いなんだ~と感心していたら、「当機はまもなく着陸態勢に入ります」。あっ、そうか。飛行時間はたったの1時間半。水平飛行になって降下を始めるまでの正味の時間はずっと短い。出張で乗りなれているサラリーマンはそれを知っているから、出されたお弁当を一刻の猶予も許さない勢いで食べるわけか。2人ともあわててビールをがぶ飲みし、お弁当をかき込んで、何とかセーフ。客室乗務員さんたちは悠長なお客さんに焦っていたかもしれないな。無事、初めて降りる新千歳空港に着いたら、こんなかわいい飛行機が飛び立つところ・・・[写真]

オホーツク紋別空港は全日空が羽田との間を1日1往復するだけの地方空港。新しい空港施設を作ったのに飛行機が飛んで来ない時期があったそうで、待望の東京線が就航してからは、何としても搭乗率を採算ラインに維持しようと、飛行機を利用する市民に運賃の補助金を出していると言う。一応は9時から5時までだけど、時には早くに閉めることもあるらしい。おみやげ屋がひとつ、売店がひとつ、小さな搭乗待合室。もちろん搭乗ブリッジなんかないから、エプロンを歩いてタラップを上る。昔のモノクロ映画のシーンみたいで、けっこう乙な気分。8席あるプレミアムクラスはワタシたちとビジネスマン風の男性の3人だけ。飛行時間は千歳線よりちょっと長めだから、スナックで出された東京の某ホテルのアフタヌーンティーの優雅なサンドイッチを慌てずにゆっくり味わって食べた。これがまたおいしかったの何のって・・・。

バンクーバーまでの帰路はまたエアカナダ。ホテルをチェックアウトして、荷物を預けてランチを食べ、午後2時近いリムジンバスで成田へ。さっとチェックインしてやたらと重くなったスーツケースを預け、身軽になったところで検査を通って(提携しているANAの)ラウンジへ直行。内容はバンクーバー空港の(エアカナダの)ラウンジよりはずっといい。背中合わせで後ろに陣取った白人の男性2人が「日本のエアラインは客室乗務員が若くてかわいいからいいよな。アメリカのなんかばあちゃんばかりでうれしくないよ」なんて話をしている。おいおい、おまえさんたち、カリスママンかいな。(バブルの頃に在日外国人の間でヒットした風刺漫画『Charisma Man』の完全収録版を見つけて買って来た。)

搭乗口でいつものように搭乗券とパスポートを見せてブリッジの方へ歩き出したら、カウンターから名前を呼ばれた。何事かと思ったらパスポートを見せろというので出したら、日本人スタッフ(成田だから当然だけど)がどこかへ持って行こうとする。何か問題があるのかと聞いたら、「パスポートの情報が必要で・・・」とイマイチ要領を得ない返事。おねえさん、少し離れたカウンターの隅で何やらやっていて、3分ほどでパスポートを返してくれたけど、カレシには何も言わなかったし、他にも別に呼び止められた人もいないようだったし、いったい何だったんだろう。保安検査も出国管理も済んで、搭乗ゲートでのチェックも済んだ後のことだから、未だに何が何だかわからない。ひょっとしたら、ワタシのミドルネームが日本名で、出生地欄に「Kushiro, Japan」と書いてあるのが目を引いたのかな。あのね、ワタシはカナダ国籍を持っていても持ってないと嘘をついてこっそり日本国籍を「保持」するなんて芸当はやらないんだってば・・・。

何だかさっぱりわからないけど、やましいことは思い当たらないから、ま、いいかということにして、バスタブ座席に納まったけど、今度はいつまで経っても出発する気配がない。30分以上も過ぎてやっと「搭乗しないことになった人の荷物を降ろしています」という、これまた要領を得ないアナウンス。結局、1時間近く遅れて離陸。夕食でおなかがいっぱいになって、愛しのレミを大盤振る舞いされていい気分になったワタシはさっそく座席を平らにしておやすみなさい。そうやって4時間くらいは眠ったかな。朝食に(ジュースや果物、クロワッサンの前菜の後で)メンマ入りの朝粥を食べて、大急ぎで税関の申告書を書き上げて、着陸態勢。ヘリンボン式の座席配置では窓側の席でも窓の外はほとんど見えないから、いつのまにかゴトンっと着陸。ほぼ1時間遅れの到着だけど、帰ってきたぞ~という、ほっとした気分になる。

入国管理まで進んで最後の驚きは、「カナダ居住者用」の列に入るとそこには入国管理官がいないことだった。代わりにキオスクと呼ばれる(セルフチェックインの機械とそっくりな)機械がずらりと並んでいて、2人のパスポートを順にスキャンして、申告書を差し込んで、出てきた「26」と大きく印刷されたレシート(良く見るとパスポートの名前も印字されている)を取って税関の人にパスポートと一緒に見せ、「OK」と言われて入管の手続きは終了。所要時間はほんの数分で、手荷物台のベルトはまだ動いてさえいなかった。行列しなくてもいいし、管理官とあれこれやり取りしなくてもいいから、便利と言えば便利だけど、免税枠を大幅超過して帰って来てもわからないんじゃないのかなあ。自国の人間だからそんなに目くじらを立てることはない、外国人の審査に重点を置いた方がいいということなのか。荷物を引き取って、出口へ向かう途中で税関の係の人にレシートを渡して、はいっ、2人揃って元気で無事に帰って来ました~。(それにしても、成田での搭乗ゲートでのあの一件は何だったんだろうな。エアカナダの乗務員に聞いても首を傾げるだけだったけど・・・。)

初恋の50年後は台風一過の青空

6月23日。土曜日。いやあ、ゆうべはよく降った。風もあったので台風4号のなれの果てが追い付いて来たのかと思ったら、南のオレゴン州あたりに前線がひっかかっているらしい。

火曜日の深夜、東京でホテルの33階の窓から迫ってくる台風4号を見ていた。高層のせいか、雨風が吹きつけるたびに窓ガラスが振動し、遥か眼下の通りには思うようにならない傘を操りながら家路を急ぐ人たちが豆粒のように見えた。そんなちょっと現実離れした光景を眺めながら、ワタシはかって岡山のホテルの窓から見ていた台風を思い出していた。あれは14年前の秋。ワタシ、ちょうど50歳。休暇旅行の途中の長崎でカレシが青天の霹靂の大爆発を起こして、それまであたりまえだったワタシの人生が一気に崩壊した2日後だったか。まだ精神的なショックが覚めないまま、接近して来る台風に追い立てられるように長崎を後にして、次の滞在地の岡山へ。その夜、台風が追い付いてきて、吹き荒れる雨風をワタシたちはホテルの窓から見ていた。あれがその後の大嵐の予兆だったとしたら、台風4号は何を告げようとしているのか・・・。

なんて言うとちょっとミステリーっぽいけど、あんがいワタシたち2人に「台風一過の晴天」が訪れたことを確認するものだったのかもしれない。そのくらい2人とも今度の旅行は楽しかった。ワタシにとっては、北海道がワタシの「祖国」だと言うことを肌で実感でき、旧友たちとの半世紀ぶりの再会で子供が純粋に子供でいられた幸福な子供時代があったことを確認しただけではなく、思春期から先にいじめやモラハラを引き付けていた「スイッチ」の存在とその根源も知ることができた、精神的に実り多い休暇でもあったから、成田を飛び立ったときにはこの先の人生に台風一過の抜けるような青空が広がって来たように感じていた。

自分の原風景を訪ねるセンチメンタルジャーニーだったのが、台風の通過という形で長~い文章にしっかり「ピリオド」を打ったような結果になったのは、瓢箪から駒ということなのかな。とにかく、ワタシにとって今回の日本行きは本当にいい旅だった。カレシも遠い過去にワタシと親しく交流があった人たちに会うことで、ワタシが育った環境や価値観を感じ取ることができたようだし、何よりも存分に「日本」を楽しんだのは確かで、今までで一番楽しいバケーションだったと言ってくれた。ワタシの初恋の人にも会ったしね。クラスメートたちに声をかけてくれた友だちが気を利かせて呼んでくれたミツオ君は、50年経ってもやっぱり昔の物静かな人のままだった。カレシにはみんなの話からおしゃべりでおてんばだったとわかったワタシの初恋の相手として想像できなかったそうな。いや、ミツオ君の前ではドキドキして言葉も出なかった、ほんとに初々しい思春期の幼い恋だったんだけどなあ・・・。

12人ほどのミニ同窓会がお開きになって別れるときには、ミツオ君と互いの健康と長寿を祈り合って握手した。あはっ、50年も経ってやっと初めてミツオ君と手を握ったんだ!うん、まさに台風一過の抜けるような青空のような爽やかな気分・・・。

使わない日本語は年を取るとどうなるのか

6月25日。月曜日。すっかり「平常通り」に戻ったみたい。1日の時間帯が元からあまりずれていないから、8時間空を飛んで日付変更線を越えてもさしたる影響はないようで、あっという間のこと。3週間も海外にいたなんて、嘘みたいだな。外はまあまあのいい天気だけど、気温はまだ「平年並み」の20度に届かない。週末にはもう7月に入るというのに、どうなってるの、この天気?

土曜日と日曜日を費やして、「ご帰国早々で恐縮なんですがぁ~」という仕事を2本。恐縮って、ほんと?まあ、待ち伏せはいつものことだし、仕事があるときが仕事日だからいいんだけども、やっぱりすぐには調子が出て来ない。旅行中のだいたい半分を英語が通じにくいところで過ごして、日本語をしゃべるのはけっこう疲れると改めて実感した。日本語を話しているんだと強く意識して、何となく無意識の圧力のようなものが働くのかもしれない。友だちとしゃべっている限りは発音や抑揚が少しヘンでもまったく気にしないで何時間でも自然にしゃべっていられたんだけど、それ以外の場面だとなぜか未だに引っかかる。これでは、通訳はもうやりたくてもやれないだろうな。

母語のはずなのに、知らない人が相手だとまだ固まってしまうのはちょっと悲しい気もするけど、やっぱり疑心暗鬼がどこかで騒ぐのかな。ワタシを知らない日本人に日本人であることを否定されたときは自分という人間の存在まで全面否定されたような衝撃があった。居住国や国籍にかかわらず自分が日本人であることを疑ったことはなかったのに、通訳に出て「日本語がおかしい(わざとらしい訛りがある)」とネチネチ説教されても、日常生活で使わなくなって長いんだから多少のさびはしかたがないとやり過ごせたのに、あの頃はうつの治療中で心の抵抗力が弱かったのからモラハラ族のみが知る「スイッチ」を入れられてしまったんだろう。まあ、今はあれはカレシが浮かれている国際婚活女子を煽てて言わせたことだと理解しているけど、浮かれている相手に煽てられたからこそ出てきた本音だったとは思うな。

でも、北海道では知らない人でも接すれば特有の抑揚が耳に心地良くて、道産子の人情にはほっと心休まる感じがして、初めて「帰って来た」という気持になった。(「ふるさとの訛りなつしかし」というあれかな。ちなみに、小学校時代の仲良し友だちは釧路中に啄木の足跡を示す碑を建てる活動をしている。)東京やその他の「津軽海峡以南」ではいつも何となく「異邦人」の気分になるんだけど、北海道を西から東、そして北へと駆け抜けた1週間はそれがまったくなかった。地方の狭い世間からいきなり海を渡ったということもあるだろうけど、北海道で生まれて育って27年、カナダで育ち直して37年。こう言っちゃうと波風が(立つところでは)立つかもしれないけど、やっぱりワタシにとって「故国」と思える原風景は北海道なんであって、一度も住み暮らしたことのない「標準日本」はある意味で異文化社会だったのかもしれないな。

それでもカレシと一緒だった前回2年前に比べると、今回は日本語をしゃべるのがしんどかった。(前回は友だちや家族以外とは英語で用を済ませていたということもあるけど。)かなりまともに日本語を話せていたと思うんだけど、それでいて日本語を話し続けることをしんどく感じたというのは、屈折した心理よりも「年を取った」という現実の方が大きいのかもしれない(そう思いたいだけかもしれないけど。)実際のところ、日本語の読みと入力は仕事でやっているので、いつも頭の中では流暢な日本語が流れているんだけど、日ごろから日本語が耳から入って来ないせいか、あるいはローマ字入力しか知らないので日本語をローマ字綴りで捉えているのか、話し言葉として円滑に音声化できなくなりつつあるような気がするのは事実だと思う。

もちろん、そんなことありえない、わざとやっているんだろうという人たちもいるだろうけど(実際に何人もいたし)、ワタシにとっては現実にそう感じることなんだし、おかげで生まれつきおしゃべりなワタシが母語である日本語を日本で立て板に水のごとくしゃべることができない状況があるということがかなりのストレスになるんだってことが、その人たちにはわかってもらえないのかもしれないな。掲示板などで海外在住日本人が「外国語での生活はしんどい。たまには思いっきり日本語でおしゃべりしたい」と書き込んでいるのをよく見るけど、それと似たような気持じゃないのかなあ。だったらわかってもらえるかと思ってみるんだけど。あ~あ、何だかこれじゃあ仕事をやめられないという気がして来たような・・・。

へりくつ屋が斜めに見た日本の風景

6月26日。火曜日。起床午前11時半。何だか天気が崩れそうな感じで、気温は15度。ちょっと長めだった旅行の疲れは完全に抜けたかな。バケーションに行って疲れて帰って来るというのも何だけど。

きのうの記事をちょこちょこと手直ししながら、ワタシってほんとに屁理屈が多いなあと感心するやら、呆れるやら。あっさりと、もうワタシにゃあ日本は外国だわさと言っちゃえばいいものを、四の五のと理屈探し。まあ、そうでもしないと「転籍」した自分のアイデンティティと人生に連続性がなくなってしまう感じがしないでもないし・・・と、またへりくつ。もっとも、ワタシは子供の頃から理屈っぽくて扱いにくい子だと言われていたような気がするけど。そこは三つ子の魂・・・。

ぼちぼちとお世話になった人たちに礼状を打ち始めたけど、ぐうたらなワタシのことだから1日に1本くらいのペースで、釧路で何から何まで仕切ってくれたJ子ちゃんにはまだ。大きなえくぼが昔のままのJ子ちゃんは今年1月に「石川啄木 釧路第一泊目の地」、4月には「石川啄木 離釧の地」に記念碑を建てた期成会の中枢で大活躍した人で、彼女に「これを持って帰って欲しいの」といって渡されたのが額に入った「啄木かるた」の一枚。(北海道では、百人一首のかるたは「下の句読み/下の句取り」で、読み手が読み出すと同時に下の句を毛筆で書いた木の札を取るわけだけど、白熱するとこの札が吹っ飛んで、ちょっとした格闘競技になる。)華麗な毛筆で「釧路の海の冬の月かな」と書かれていて、上の句は「しらしらと氷かがやき千鳥なく」。子供の頃に遊び場だった港を見下ろす米町(よねまち)公園に建っている歌碑に刻まれている啄木の歌で、あの鼻の奥まで張り詰めるような寒さを思い出させてくれる。釧路にはわずか2ヵ月半しかいなかった啄木だけど、その足跡を示す記念碑を辿って歩く観光客もけっこういるとか。

礼状をぽつり、ぽつりと書いていると、旅の記憶が脈絡のないイメージとしてぽつり、ぽつりと浮かんで来る。たとえば・・・

★東京のホテルのバーで飲んでいたら、近くに座ったおじさんの前に赤いミニばらを飾った細いフルートに入ったピンク色のカクテルが出てきたこと。いかにも「オジサン」という感じのおじさんと甘そうなピンクのカクテルの取り合わせがおかしさを通り越して斬新に見えたな。
★前を歩いていた若い女性の足がすごい内股で、自分で自分の足につまづくんじゃないかと気が気でなかったこと。ヒールが壊れそうなくらいにかかとが外側に曲がっている人もいて、足首を捻挫することはないのかなあと思った。あれではいずれ膝にも無理がかかって来そうだな。何よりもあれだけ気合を入れているファッションやメイクが台なしになってもったいない気がしたな。
★猫も杓子も履いているような感じの、あの中途半端な黒いストッキング。踝が見えるので穴が開いてしまったのかと思ったら、どうやらああいうデザインになっているらしい。2年前に来たときは膝下までのレギンスというやつが流行っていたけど、今度は逆方向に180度転回か。東京のファッションはユニークとしかいいようがないな。でも、梅雨時になって蒸し暑くないのかなあ。
★東京では電車に乗り損ねても数分待つだけで次のが来るのに、ベルが鳴り出すと相変わらずみんなダダダダッと駅の階段を駆け出すこと。最初のうちは人の壁に押し倒されそうでちょっと怖かったけど、帰国が近くなる頃にはワタシたちもいっちょう前にダダダッと階段を駆け出していたっけ。ま、郷に入れば郷に従えというし、いい運動にもなったし・・・。
★日本ではどこへ行ってもキカイがよくしゃべること。エスカレーターも歩く歩道も券売機もATMも何もかも、同じ声で話しかけてくる。おかげでお金を引き出すのに、はいはい、どうもと銀行のATMにお辞儀してしまった。それと、駅もデパートも地下街も地上街でも、歩いていると頭上から「○○にご注意ください」、「○○は危険です」とひっきりなしに指示が飛んで来ること。毎日この調子で親切に注意してもらっていたら、自分で気をつける必要なんかなくなってしまいそうに思えたんだけど、どうなんだろうな。
★店の人間もよくしゃべること。店先で店員が商品を並べたり、整理しながら「今日は○○がお安くなっていま~す」、「○○が何割引で~す」と、いつ通りがかっても同じ口調で立て板に水のごとくしゃべり続けていた。デパ地下の食品売り場も同じで、何となくバザールの賑わいのような雰囲気があるけど、ひょっとしてこの人たちにはエンドレステープが埋め込まれているんじゃないのかとヘンな想像をしてしまった。そうでなくてもこの人たち、1日が終わる頃には声が枯れてしまわないのかな。

要するに、ワタシたちは外国という田舎から来たお上りさんだからこそ見るもの聞くものがおもしろいってことなんで、それが旅行の醍醐味だろうと思う。そして、旅行は自分が帰るところ、戻る日常があるとわかっているからこそ楽しいんだと思うな(と、また理屈っぽいワタシ・・・)。

東京雑感-2年前と比べて変わったこと

6月27日。水曜日。目覚めは午後1時。けっこう早くに寝たのに、今頃になって旅の疲れが出てきたのかな。もにゃ~っとした気分で起きたけど、今日は20度に達しそうなお天気もよう。シリアルに地物のいちごをころころと入れて朝食。今日は仕事がないから、カレシが庭仕事に出ている間に、ワタシは運動がてらモールまでてくてく歩いて買い物。寝酒を1オンスだけに限定して、おつまみはクラッカー2、3枚に制限していたら、日本で蓄えて来た2キロの体重のうち1キロが減った。あと1キロで旅行前のレベルに戻って、そのままさらに1キロ減らせたらしめたものだけど、はてそこまで行くかな・・・?

日本ではカロリーの高いレストラン食がほとんどだったから太ったわけだけど、ふだんの体重増加は主にお酒とストレス食いが原因だと思う。特に仕事が立て込んだり、よく眠れなかったりするとやたらと空腹感があって、3食は普通に食べても最後の寝酒のときに酒量とつまみの量が増えて、それがそっくり蓄えられてしまう。普通の睡眠時間が取れていてもこれなんだから、大きなストレスになる睡眠不足では肥満になる確率はかなり高くなるだろうな。朝の東京で駅の方から津波のように押し寄せてくるする人たちを見ていて、2年前と比べて太った人が増えているという感じがしたけど、オジサンたちだけじゃなくて、若そうな女性にもぽっちゃりを通り越したような人がけっこういたな。毎日の長い通勤と長時間の残業で睡眠不足が慢性化して、もう「肥満脳」になっているのかもしれないよ。寝不足は太る。まあ、寝すぎるのも太るらしいけど。

東京の印象で2年前と比べると変わったなと思ったことは他にもいくつかある。たとえば、ワタシたちが入ったレストランのほとんどで喫煙席と禁煙席が分かれていて、全面禁煙というところもあった。もっとも、分かれてはいても、近すぎたりしてちょっと煙たいところもあったけど、それでもたいへんな進歩だと思うな。どこの駅だったか忘れたけど、ガラス張りの「喫煙所」というのがあって、煙が充満する中で黙々とタバコを吸っている人たちが檻に入れられた動物のように見えた。それが禁煙に踏み切らせるための手段なのかもしれないけど、通る人たちの冷たい視線にさらされて、ちょっぴりかわいそうでもあったな。百害あって一利なしだから、禁煙するにこしたことはないけどね。

もうひとつ2年前と違うなあと感じのは、空気がきれいになっていたことかな。喫煙人口の減少と関係があるのかもしれないな。新宿のような人と車が溢れているようなところを歩いていても、空気が汚れているという感じがあまりしなかった。ワタシは別に慢性の呼吸器疾患があるというほどのことでもないんだけど、かなり昔から体中の骨がばらばらになりそうなくらい咳き込むことがあって、かっては東京で汚れた空気の中を歩き回った日は夜ホテルでひどく咳き込むことが多かった。今回はどこへ行ってもホテルの部屋に空気浄化器なるものが置いてあって、それが効果的だったのかもしれないけど、とにかく寝入りばなに10分も20分もひどく咳き込むことがなくて助かった。やっぱり、東京の空気は2年前よりもきれいになっているんだと思うな。

こういう変化は1年、2年と間を開けて来て体験するから感じるのであって、毎日を東京で生活している人たちには体感しにくいことかもしれないな。じゃあ、2年前とちっとも変わっていなかったことって何だろうなあ。節電、節電と声高に叫ばれている割には、新宿界隈はまだまだ目が眩むくらいに明るかったことかな。夜も眠らぬ街のみほんみたいなもので、エレクトロニクス/マルチメディアの量販店では、どの店も外ではネオンが煌々、中ではどのフロアも昼間よりも明るい照明が煌々。いったいどれだけの電力を消費しているんだろうな。月々の電気代、ものすごい額になるだろうな。東京電力は値上げしたがっているそうだけど、いいのかなあ。

ついでに、通行人の頭上のスピーカーから昔のパチンコ屋よりも騒々しい広告音楽が鳴り響いていて、これもメロディは2年前と同じ、つまり「おたまじゃくしはカエルの子」というアレ。もちろん、「おったまじゃくしはかえるのこぉ~」と歌っているわけはないんだけど、女の子の粘るような声のせいなのか、途中の歌詞がさっぱり聞き取れなくて最後の「みんなのよどばしか・め・ら」しかわからない。だけど、駅とホテルの間にあるもので、何回も聞きながら通っているうちに、ワタシもついに口ずさんでしまった。

     ぐろーり、ぐろーり、はれるぅーやぁ!
     ぐろーり、ぐろーり、はれるぅーやぁ!
     ぐろーり、ぐろーり、はれるぅーやぁ!
     よっどばしかめら・ふぉ・えっ・ぶりー・わん!

自分のお金を使うのに遠慮する必要ある?

6月28日。木曜日。正午起床。青空が急速に消えて行くような日。だけど、何とか18度あるから、少しは夏が近づいているということかな。今日はカレシの手術後のチェックアップ。4月半ばにやって今さらという感じだけど、バケーションの前に開いている日がなかったせい。診察といっても、執刀したフェンスター先生が「おお、うまく行ったな」と自画自賛しておしまいで、「診察室で30分も待たされてたったの30秒だよ」と、カレシはぶうすか。まあ、それで一時はヒヤリとさせられた問題と完全に縁が切れたことを確認したわけだから、いいじゃないの。

日本人の掲示板で、国際結婚妻たちが欧米の医療制度がすぐに診察や手術をしてもらえないということで不安だと愚痴り、それに比べて日本の医療はすばらしいと褒めちぎるのをよく見るけど、彼女たちは東京や大阪のような大都市圏から来て、そこでの何でも至れり尽くせりの経験しか知らないのだということを、北海道の過疎地を旅してやっとわかった。優れた健康保険や医療制度が整備されているはずの日本で、人口2万5千の紋別の病院では医者が週に1、2回しか勤務していないので病気になってもすぐに診てもらえないことがあるし、出産するには旭川の病院まで行かなければならないという。椎間板ヘルニアを疑われている友人は、鉄道はとっくに廃線になり、公共交通機関もなくて、車が頼りの土地で運転できなくなることが一番不安だともらしていたっけ。どこの国でも似たようなものだろうけど、大都市圏ほど人は視野が狭まるのかもしれない。目の前に人が多すぎるからか、高層ビルが多すぎるからか、満ち足りすぎて不便を知らない人が増えたからなのか、そのあたりはワタシにはよくわからない。

一緒に出かけたついでに西の方のスーパーへ回り道して魚の仕入れ。夕食のメインが魚になってもう4年になるのかな。ワタシの遠洋漁業の「漁場」は、オヒョウやシーバス、舌びらめ、銀ダラなどの「白い魚」はWhole Foods、バサ(ベトナムなまず)やチカ、ポンパーノなどの「冷凍の魚」はセーフウェイ、サバやホッケ、サンマ、刺身の材料など「日本食向きの魚」はHマート、鮭やマス、イワナ、アヒ(まぐろ)などの「赤い魚」はIGAがだいたいの穴場になっている。ホタテやエビの類はどこにでもあるし、その日によってはWhole Foodsにはレストランに売り切れなかったらしい鯛その他の珍しい魚、IGAにはメバルの類やカジキ、アメリカなまず、シイラ、1キロくらいの大きな袋入りの大西洋カレイやイワシ、Hマートにはタコやイカ(ゲソも!)、ビンナガ、ハマチ、太刀魚、トビコ、うなぎの蒲焼まであって、肉類を食べるよりもずっと食卓が豊かな感じがする。かさばるトレイを外してフリーザー用の袋に詰めなおし、我が家の食糧備蓄は完全。上までいっぱいのフリーザーを開けて、今日は何を作ろうかなあと思案できる毎日は幸せだとしみじみ思う。

小町に『ママ友同士での年収の違い』というトピックが上がっていて、「うちは年収1千万弱で専業主婦。仲良くなったママさんたちはみんな年収があまり高くないような方が多くて、生活の話や節約の話をしても話が合わなくて無理に合わせている・・・服もインテリア雑貨、家や車なども持っているものが何となく違うようで・・・お金の使い方の価値観を本音でしゃべると嫌がられそうで」、無理に生活が苦しいふりをしている、と。ふ~ん、めんどくさいつきあいをしているんだなあ、この人。生活が苦しいふりをするのって、裕福なふりをする以上に神経を使いそうな気がするんだけどな。最近はよく似たような趣旨のトピックが上がって来るけど、こういう、表面では年収が(って亭主の稼ぎだろうに)、学歴が、育った環境が違う(自分より下の)人たちとは話が合わなくて辛いと言っているけど、裏に回ると自分が重なって甲羅干しをしている亀の子の一番上なんだと認めてもらいたいらしい人、多いのかなあ。

お金の使い方の価値観なんていっても、モノやサービスと交換して初めて価値があるんで、真っ当に稼いだお金が最低限の衣食住を満たしてもまだあり余っているんだったら、誰にも遠慮せずに好きなように使えばいいし、なければそれまでのこと。「節約」だって、自分がしたければすればいいんであって、している人に無理に合わせることもないと思うけどな。(だいたい、節約するのが趣味のような人だっているし、ゲーム感覚でやっている人もいるだろうし。)それにしても、「うちは年収がン千万なの~」と言いたいのを我慢して無理に生活が苦しいふりをしてみせるってのは究極の虚栄、あるいは驕りと言えそうな感じがする。

ワタシはしたくない浪費をせず、しなくてもいい節約もせずに、使える範囲内で好きなように使う主義で、あっけらかんと使い道を言っちゃうほうだけど、もちろん「使える範囲」を良く知ってのことだし、それで人に嫌われたらどうしようと考えたことはなかったな(鈍感なのか・・・)。だって、自分で真っ当に働いて稼いだお金なんだから、わざとらしくないふりをしたり、人さまに弁解しながら使うこともないし、そもそも自分がハッピーな気持になることに使うのになんで遠慮する必要があるのかと思う。それで他に誰か喜ぶ人がいたら、ワタシはよけいにうれしくなるんだけど、こういう無遠慮なお金の使い方は、日本ではやっぱり「奥ゆかしさ」がないということで、嫌がられるのかなあ・・・。

つれづれなる日は旅のつれづれ話

6月29日。金曜日。起床は午後1時過ぎ。ここんところなぜか良く寝るなあ、2人とも。まあ、特に何時までという用事がないんだから、何時まで寝ていてもいいんだけど、やっぱり年だってことか・・・な?寝るまで(つまり、日本の金曜日が終わるまで)に仕事メールが入ってこなかったので、少なくとも2日半は完全にフリータイム。このままで1ヵ月くらい休みが続いてくれたらいいなあ・・・なんてのんきなことを考える。

仕事がないのをこれ幸いと、今日は「だらけモード」。見えるところにおいてある年金申請の書類をちらちらと見て、ため息。だって、老齢年金まで「受給を1年遅らせるごとに7.5%ずつ受け取る金額が増えますよ~」とニンジンをちらつかせるもので、考えるだけで頭がもやもやしてしまう。昔はあれこれ考えなくても、65歳になったら年金をもらってリタイヤという流れだったのに、あ~あ、年金をもらうのがこんなにストレスになるとは・・・。

でも、せっかくのフリータイムなんだから、ぼちぼち旅の写真の整理でもすることにして、デジカメの写真をダウンロード。432枚。構図を選んで、注意深くピントを合わせて撮ったフィルムの時代と違って、ピンぼけやでき損ないは消せばいいやと簡単に考えるもので、歩きながらやたらとカシャカシャ。質的にはどんなもんだろうな。最後に残るのはいったい何枚になるやら。ビデオカメラを買って張り切っていたカレシは結局あまり使わずじまい。東京タワーに行くに日にはビデオカメラは「いらない」。せっかく「晴れ女」の友だちが雨の予報を覆してくれて、かなり遠くまで東京が見えたのにね。地上に降りてから「ビデオカメラを持ってくればよかった」なんていっても遅いよ。(練習不足に加えて、老眼では小さなモニターに映るイメージが見えなくて思うように使えなかったイライラもビデオカメラを放り出した原因らしいけど・・・。)

[写真]東京タワーからのひとコマ。こうして見ると、東京って何となくレゴランドのようで、ちょっとかわいい感じがしないでもないかな。

[写真]地上250メートルの特別展望台で見つけた昔ながらの緑の公衆電話。こんなところから、いったい誰がどんな用事で誰に電話するのかな。「今、東京タワーなんだけどぉ・・・」って?

[写真]東京タワーの足下にある増上寺。由緒あるお寺とモダンな赤い鉄塔のコントラストがいかにも東京らしいような・・・。

[写真][写真]増上寺の境内にずらりと並んだお地蔵さん。見ていると、みんなそれぞれに愛おしくなる表情が
ある。カラフルな風車がカラカラ。宿ったはずなのに生まれて来なかったワタシの子供のことを思って、ちょっぴりしんみりとした気持。この世に生まれて来ることができなかった水子たちの魂に平安あれ・・・。

[写真]東京ミッドタウンでランチ。ガレリアというところで、古ぼけた軒先のような入り口に引かれ、「肉なし、魚なし」のメニューに引かれて入った「淡悦」。レストランでは料理の写真を撮らないワタシだけど、最初に出てきたお膳のかわいらしさに、ついパチリ。いやあ、あれは美味だった。

[写真][写真]華やかな場所だと思うけど、なぜか無機質・・・。

[写真]高そうなお店なんだけど、どうして「二流」なの・・・?

東京を歩き回る前に、昔よく「東京都札幌区」と揶揄された札幌に行った。駅前はすっかり様変わりで、JRの駅から大通公園の地下鉄の駅まで広い地下歩道ができていた。40年前にワタシの勤め先があった薄野に近いビルはもうすっかりしょぼくれて、上から下までカラオケ屋になっていた。あの頃はまだ新しくてきれいなビルだったのに。その札幌ではちょうど「YOSAKOIソーラン祭り」というのが始まるところ。聞いたことはあるけど、どういうものか知らなかったけど、お墓参りで乗ったタクシーの運転手さんに今夜から踊りが始まると聞いて、さっそく夕食後の散歩がてら大通公園へ。

[写真]う~ん、この弾けるようなエネルギーで何とか日本起こしができないもんかなあ・・・。

日本を離れたときは27歳だったワタシも、あれから37年経って今年は64歳。歳月という人間の時間の流れはなつかしい思い出をたくさん作ってくれるけど、同時にある意味で苛酷なものでもある。たとえば・・・

[写真]ワタシの実家があったところに建っていた新しい家。父が逝ってからもう20年だもの、変わるのはあたりまえだけど、どんな人たちが住んでいるんだろうな。仲の良いすてきな家族だといいな。

[写真]子供の頃に遊んだ釧路の弁天が浜。けっこう遠浅の浜で、天気のいい日には漁師さんが砂浜いっぱいに長い昆布を干していた。遊びに夢中のワタシたちはその昆布を踏んでよく怒られたり、端っこを千切ってしゃぶったり。夏でも身を切るほど冷たい海に入るのに、よく焚き火をして暖を取ったものだった。あれから50年経って見た浜はテトラポッドの山。潮流が変わったらしく、すっかり侵食されて、短い夏休みの日をガス(海霧)がじっとりと立ち込めるまで遊んで過ごした浜は面影すらなくなってしまっていた・・・。

[写真]毎日学校へ通った「家の前」の坂道。春になればぬかるみの道だったのが、きれいに舗装されて、歩道までできている。(でも、人影はない・・・。)坂のふもとのバス通りを渡って、まっすぐ行って、左へ折れて短い坂を上がれば6年間通った東栄小学校、右の坂を上がれば1年と1学期を過ごした弥生中学校。そのどちらも少子化と人口減による統廃合でとっくに廃校になってしまった。50年という歳月はやっぱり長いな・・・。

今日はとりあえず思いつきディナー

6月30日。土曜日。せっかくのカナダデイの三連休なのに雨がち。気温は15度。普通だったら「夏到来!」と感じるんだけど、なぜか未だに春のままで足踏みの状態が続いている。

留守の間にバッテリが上がってしまったトラック。あまり使っていなかったので、ひと走りさせておけばと言ったのに、ぐうたらしてたんだもんね。でも、まずいと思ったのか、正しいジャンプスタートのやり方をネットで調べて、もう一台の車でスタート。ガレージから出すところまではやったけど、また1週間ほったらかしだったので、Hマートへ行こうということになって、またバッテリが上がっている。でも、「一度うまく行ったら、今度は簡単、簡単」とまたジャンプスタートして、郊外のHマートへひとっ走り・・・というところで、「ガソリンが切れそうだ」。ひとしきり走らせて、見つけたガソリンスタンドでは、クレジットカードで払う機械の使い方がわからない、タンクのキャップが開かない、とかなり手間取ったけど、無事に給油。いや、頭が悪いんじゃなくて、アナタは説明や指示を頭の中でイメージ化するのが苦手なだけだと思うんだけど・・・。

アジア(風)食の材料をたっぷり買出しして来て、フリーザーの在庫を点検して整理したら、もう夕食の時間。おとといあたりから「いつ刺身が食べられる?」と遠まわしに要求していたので、何となく疲れてめんどうでもあるから、買い込んで来た食材をフリーザーバッグに詰め替えるときに少しずつ流用して、まあまあのおめかしメニュー・・・。

[写真]カレシが大好きなアサリとねぎのスープ。だしはアサリだけで、薄っすらと醤油味。かつら剝きを作った残りの大根も入れてしまった。

[写真]しゃぶしゃぶ用の薄切りビーフ3枚を細切れにしてニラと一緒にブルゴキのソースにつけておいて、さっと炒めているところに白いミニトマトを転がして付け合せ。

[写真]半身が3切れ入っている生干しほっけ1枚を半分に切って、子持ちシシャモを2本。ししとうとミニトマト2個も一緒にグリルして、「ゆず醤油」の大根おろしを添えて・・・。

[写真]カレシが要望する「刺身」はさけとまぐろ。かつら剝きの大根と茹でて冷やしておいたオクラを添えて、今日は麦ご飯で・・・。

カレシが気に入って2度も行ったとんかつ屋で出された麦ご飯がすごくおいしかったので、さっそく押し麦を買って来たのはいいけど、袋にはハングルしか書いていない。それでも15~20%という数字が読めたので、混ぜる割合だろうと推測して、発芽玄米に20%ほど混ぜて炊いてみたらうまく行った。玄米の甘みと麦のこりっとした歯ざわりがなんともいえなくて、病み付きになりそう。

浅草のかっぱ橋で仕入れてきた小皿を使ってみたかったので、太極マークのように2つに分かれた丸い小皿を大根おろしに、大中小の丸いお皿が3つくっついたものを刺身の醤油とわさびに使ってみた。かっぱ橋はあれもこれも買いたくなってしまうところで、カレシまでがレストランで見かけた使い勝手のいいドレッシングボトルを3つも買ってきてご満悦。

帰ってきてから10日足らずの間に、あっちのスーパー、こっちのスーパーと走り回って、フリーザーもすっかり満杯になったから、この次は何かもうちょっと工夫して、「クリエイティブ」にやってみようかな。


2012年5月~その2

2012年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
自律神経失調症かな

5月16日。水曜日。きのうは寝酒もせずに早めに寝て、睡眠たっぷり8時間。だけどまだちょっとめまい感が残っていて、ときどき冷や汗が出る。昼間のうちはいいんだけど、夜になると何となく吐き気もして来る。あんまり良くないな、これ。自律神経失調症というやつかな。

いつまでもだらだらちょぼちょぼと小出しに追加して来られたあの仕事がすごいストレスになって調子が狂ってしまったのかな、やっぱり。そこへカレシのころころスケジュールだったもんなあ。何となく中途半端に体調がすぐれないというのが気分的に一番やっかいで、えいっと具合が悪くなってしまえばよっぽど楽なんだけどなあ。

日本での休暇まであと2週間とちょっとしかないのに、ここで体調を崩すってのは癪に障る。残る仕事はあと4つ。シリーズだし、それほど複雑でもないし、期限にもまだ余裕があるから、ここらへんで仕事は「受付終了」ってことにするか。で、後は布団をかぶって寝てしまう・・・と。

眼精疲労の特効薬を見つけた

5月17日。木曜日。今度は12時間も眠ったので、起きたら背中が痛い。やれやれ。でも、起きたときには元気いっぱいなのに、夜になると、めまいがして来て、吐き気がして来て、だんだんおきていられなくなって、日本はまだ終業時間じゃないけどさっさとオフィスを閉めてベッドにバタン。どうしてなんだろうなあ・・・。

とにかく今日は仕事はしないことにして、まずは常時換気装置のフィルタの交換。ずいぶん長いことやっていなかったから、かなり目詰まりしていて、このままじゃ家が窒息状態になってしまう。掃除機でたまった埃やくもの巣を掃除して、きれいなフィルタを入れて再起動。ちょっとの間フィルタに残っていた洗剤の匂いが家中に漂うけど、すぐになんかすっきりと「いい空気」という感じになった。これで懸案をひとつ解決。気分は上々。庭仕事をしていたカレシが摘み菜にできるくらいに育ったほうれん草を収穫して来た。新鮮すぎて調理するのはもったいないからサラダに入れてもらった。葉っぱ類の野菜は成熟するまで育てるよりも、若い葉を摘んでやるとどんどん新しい葉を出すので、かなり長い期間新鮮なサラダを食べられて費用効果が高い。

動き回ってめまいも吐き気もなし。思うところがあって、ググってみたら出てきた。「眼精疲労」。単なる目の疲れを通り越して身体に悪影響が現れ、治療や対策を必要とする状態らしい。症状は目がぼやける、まぶしい、涙が出る、肩や首が凝る、倦怠感、頭痛、めまい、吐き気がある。おやおや、全部あるじゃないの。原因は目の病気の他に身体の病気、目の使いすぎ、精神的なストレス。あれま、こっちも身体の病気以外は全部あるみたい。目の病気はまず「矯正不良」というか、ワタシのコンタクトは右目で遠くを、左目で近くを見る「モノビジョン」という処方なので、一日中モニターの画面を見つめていると左目ばかりが酷使されて左右の疲労度がアンバランスになる。目の使いすぎは今に恥じまたことじゃないけど、これにたまっていた精神的ストレスがずしっと加わって、そっか、これはもろに「眼精疲労」。Asthenopiaというやつだな。月曜の夜に必死で仕上げようとしていた、あのやたらとごちゃごちゃしたパワポの仕事が「Straw that broke camel’s back(ラクダの背骨を折った藁しべ)」だったのか・・・。

夕食後、芝居を見に行った。大丈夫かなあとちょっと心配だったけど、楽しみしていた作品だから見逃したくなかったし、劇場で中段あたりの客席から離れたステージを見るのは主に右目を使って左目を休ませるいい機会だと思って決行。何年か前にバンクーバー出身の劇作家ミシェル・リムルの『Sexy Laundry』というのを見たけど、今回はその続編の『Henry and Alice: Into the Wild』。前回は高級リゾートで倦怠期の夫婦関係の立て直しを図ったヘンリーとアリス。今回はヘンリーがリストラされて優雅な老後の夢を断たれた2人がキャンプに出かける話。キャンプ用具を詰め込んだ大きなリュックを背負ったヘンリーとヒールを履いてスーツケースを引っ張ったアリスが登場して、のっけから新局面に対する夫婦の認識のギャップが提示される。すぐにお金のこと、アリスの高級志向のことでけんかが始まる。56になって今さらまともな仕事は見つからないと、アリスに働いて欲しいヘンリー。アリスは26年間専業主婦として子供を育て、家事をして「働いて来た」と。

あるとき店のウィンドウにどうしても着たいドレスがあったけど、結婚して、子供ができて、家族の世話をしているうちにいつの間にかドレスを着るには年を取りすぎていた・・・とアリス。いさかいの間にかなわなかった夢や未来への不安が語られる。バイクに乗って現れたアリスのワイルドな妹ダイアナが加わって引っ掻き回し役を演じる。どうやら夫は服役中らしい。それでも徹底してポジティブなダイアナはアリスに一緒にアフリカへボランティアに行こうと言う。「アフリカに言ってみたかった」というアリス。ダイアナが去った後、安定を求めるあまり、冒険らしい冒険をしなかったとヘンリーにかきくどくアリス。でも、夜半になって強風が吹き、2人がかりで吹き飛ばされそうになったテントを押さえた込んだとき、何かが変わり始める。We did itと・・・。

どの夫婦も数え切れないくらい繰り返したであろう夫婦げんかに笑ったり、じ~んとなったり、ほろっと涙が出たり。うん、夫婦のどちらにも結婚したためにかなわなかった夢があり、夫婦でいるために諦めた夢があるんだなあ。ショーウィンドウのドレスはアリスが夢見た自分の姿だったんだろう。家族の食事を作り、家の掃除をし、子供を育てながら、「自分の番」が来るのを待っていたというアリス。朝、近くで豪華なRVで来ていて何度も音楽を大音量で流す同年代らしい夫婦を双眼鏡で覗いては「うるさい!」と怒鳴ってばかりいたヘンリーが、何を思ったかアリスの手を取って音楽に合わせて踊り始める。釣り込まれて笑いながら一緒にリズムに乗るアリス。若かった頃の2人に戻って踊りながら熱烈なキスを交わすヘンリーとアリス。アリスに「着られなかったそのドレスを着せてみせる」というヘンリー。う~ん、もう泣けるぅ。

最後にぽろぽろ涙が出てきて、ちょっと疲れていた心だけじゃなくて、疲れ切っていた目も潤ったような気がする。眼精疲労の特効薬は笑わせて泣かせるドラマ・・・?

渡るも渡らないも、石橋は人生の夢のこと

5月18日。金曜日。なんかまたちょっと気温が下がったような。明日からビクトリアデイの三連休だというのに、日曜の夜から雨の予報だって。伝統的にこの三連休がガーデニングのシーズン開幕!というところなんだけど、去年もそうだったけど、なんか昔より寒い。なんでも太陽の極の移動がいつもより早く、しかもちょっと変わったパターンで起きているそうで、地球温暖化どころか長めの寒冷期に入ってしまうかもしれないとか。まあ、こればっかしは人間さまのせいじゃないし、あんがい収支トントンで快適な気候になったりして。ま、太陽の極が元に戻ったときのために、温暖化防止の対策や技術を磨いておくチャンスかもしれないけど・・・。

ロンドンへ行っている天皇陛下と皇后様。日本庭園を手をつないで散策する姿は仲の良いすてきな老夫婦そのもの。夫婦が「仲良く一緒に年を重ねたい」というのはああいう姿を想定しているのかな。老年のリリアン・ギッシュのようなすてきなおばあちゃんになりたいワタシだけど、カレシと金婚式まで行けたら、あんな風にほのぼのとしたすてきな老夫婦になっていたいな。すてきなおばあちゃんになるには、まあ、「おばあちゃん磨き」に精を出せばなんとかなるかと思うけど、すてきな老夫婦になるにはカレシという相手があることだから、はたしてなれるかなあ。あんがい2人してボケちゃって夢がかなったことにも気がつかなかったりしてね。それはそれで幸せでいいかもと思うけど。

きのうの芝居。長いことあたりまえだった「安定した生活」を失ったヘンリーとアリスはそれぞれに先が見えなくなった人生が不安でしかたがない。経済的な不安の他に、老いの不安、マリファナを吸う15歳の息子の心配、アリスの父親の介護の問題も背後に見え隠れするんだけど、初めのうちはどうもそれぞれの不安がかみ合っていない。テントを張ってのキャンプは2人が不安な未来に立ち向かうことを表しているわけだけど、アリスは新しい経済的状況を受け入れるのを拒んでいるようなところがあるし、(アリスの嗜好からするとかなり高収入だったらしいけど)仕事一筋だったヘンリーはエンジニアのプライドを捨て切れず、まだ「どんな仕事でもする」という気持にはなれないでいる。56歳ではまだ公的年金を減額受給できる年令(60歳)にもなっていないから、企業年金がなければ当面は無収入ということになるというのに。

カレシが「早期退職」させられたときは57歳だったから、状況は似ている。潤沢な組合年金の受給資格はあったけど、減額されたからそれだけではカレシ1人でもかつかつの額なのに、ワタシにも仕事を辞めるように迫った。52歳だったワタシは仕事を辞めたらまったくの無収入で、将来の年金も増えなくなる。カレシは公的年金を65歳まで待つつもりでいたから、それまで8年もの間をどうやって生活するつもりだったんだろうな。ずっと家計簿をワタシに任せきりだったカレシには生活感がなかったのかもしれない。まあ、当時のカレシは現実世界には住んでいなかったとしても、アリスに家庭を任せきっていたらしいヘンリーも夫婦、親子、家庭のこととなると生活感がなかったのかもしれない。

見えない将来への不安との戦いも同床異夢という感じだけど、それが所詮は他人の夫婦というものなのか。もちろんそれぞれに独立した人格なんだからあたりまえなのかもしれないけど、少なくとも共同戦線を張って未知のものに立ち向かうという選択はあると思う。ヘンリーとアリスは最後に「いっしょに冒険しようよ」というところに行き着いたけど、ワタシたちはどうなんだろうな。カレシは石橋を叩くのをめんどうくさがるし、叩いても渡るのを渋りがちな安定志向タイプだけど、川向こうにきれいな花が咲いていれば、橋が壊れていても駆け出しかねない衝動的なところもある。ワタシは石橋の状況をざっと調べた上で「ま、いっか」と思ったらさっさと渡るタイプ。危ないと思ったら何とかして渡れないものかと考えるけど、どうしても渡れないとわかったらさっさと回れ右をする「いい加減さ」もある。まあ、石橋がすてきだったら、渡れなくても川岸から眺めを楽しむかもしれないけど、カレシだったら「危ない!何とかしろ!」と怒るかもしれないな。「危ない橋、2人で渡れば怖くない(なんとかなる)」という考え方もあるんだけどね。

叩いてみるか、渡ってみるか。思案投げ首する人間の前にあるこの石橋こそ、人生の「夢」に他ならないんじゃないかという気がして来たな。

いざというときの薬なのに期限切れ

5月19日。土曜日。まだ天気はいいけど、またまた気温はちょっと下がり気味。なかなか平年並みになってくれない。去年は初夏から低温や雨続きで、地物のベリーやトウモロコシが不作気味で旬の季節も短かったけど、おいおい、2年連続はなしにしてほしいなあ。

体調は悪いと言う感じではないけど、何となく疲れが抜けない。ときどき頭がふわっとしてくるし、胃の辺りがいや~な気分になってきたりする。眼精疲労の原因には自律神経の失調もあるそうで、ストレスなどが原因で起きるいわゆる自律神経失調症(西洋にはそういう名前の「病気」はないらしい)は「適応障害」と診断されることもあるらしい。そうか、皇太子妃の雅子さまの「体調の波」というのもこういう自律神経失調の状態なんだろうな。それはつらいなあ。鬱々と塞いだ気分なのも十分につらいけど、自律神経の失調は身体に出るからつらい。今まで元気だったのに、急にいても立ってもいられないくらい具合が悪くなることもあるし、ひと晩ぐっすり眠ればしゃきっと快復するってものでもないみたいだし・・・。

だけど、幸いというのか何というのか、これで打ち切りと引き受けたものを合わせて5つの仕事を訳上がりで1日当り約1000語のペースで処理すれば、うまい具合にそれぞれの期限に間に合いそうでひと安心。通常の「楽々」ペースの半分だから、少しやっては目を休め、また少しやっては気分転換という調子で行けば、体調の回復も望めるかもね。それにしても、ここに来て突然仕事アレルギーになったのかと思ってしまったけど、考えてみたらクリスマスの直後からの5ヵ月というもの、仕事量の爆発的(はおおげさだけど)な増加で、ちゃんと心身を休養させられるような休みが全然なかった。この年でかなりの激務だったわけだな。日本のサラリーマンの「激務」なんて、長い通勤時間を除けば、上司が帰ってくれないからいつまでもだらだら「残業」で、その上に接待やら欠席不可の職場の飲み会のせいで身体が大変なんだろうと思うけど、ワタシは思考の方向がまったく逆さまの異言語の間で極端なくらいの精神集中を要求されるもので、いうなれば脳みそが激務なのだ。だから脳の視床下部というところにある自律神経の中枢だってもつれた毛糸玉のようになって調子が狂ってくるのだ・・・なんて愚痴っても聞いてくれる人がいるわけでもなし。はあ、自営業はつらいよ~、寅さ~ん。

というわけで、300語くらいやってひと休み。また2、300語やって奥の部屋のソファにころん。吐き気とめまいの予防のつもりでGravolという乗り物酔いの薬を飲んでおこうと思ったら、あら、有効期限は2004年12月。う~ん、期限切れで7年半も放置してあったのか。いつ頃、何のために買ったんだろうな。人生最大の精神的ストレスで鬱々としていた頃かな。あの頃も自律神経の失調があったのかな。とにかくそれすら思い出せないくらい古い薬。4錠くらい残っているけど、まあ別に毒になるってことはないだろうな。でも、古過ぎて効き目もないかもしれないから、水を持って来てくれたカレシに(水だけ飲んで)捨ててもらった。考えようによっては、市販薬が有効期限切れでいつまでもあるというのは2人とも健康だという証拠なのかな。鎮痛薬のタイレノルも10錠入りのチューブを買っておいて、いざというときには期限切れになっていることが多い。いざというときに役に立たないようでは、買っておく意味がないような気もするけど、こういう事態も起こるということで・・・って、今回もやっぱり役に立たなかった。ヘンなジレンマだな。

まあ、夕食後に今日の「ノルマ」の1000語を達成したから、今夜はゆっくり寝るぞ~。あしたはママの95歳のバースデイディナー。久しぶりに家族がママの希望で郊外のレストランに集まるから、よ~し、思いっきり息抜きして不調を吹き飛ばして来ようっと。

っつり食べたらてきめんに元気回復

5月21日。月曜日。ビクトリアデイ。三連休の最終日だけど、あいにくきのうから冷たい雨。ポーチの気温は午後になってもやっと12度。5月も下旬に入ったというのに、何なんだ、この天気・・・。

ゆったりしたペースでの仕事になれて、なんかこのままでずっと行っちゃおうかという気になる。きのう起きたときはなぜか頭の左側でちょっと頭痛がしていた。ふむ、人間の言語中枢って脳の左側にあるんだったけな。英語と日本語の処理機能が同じ場所にあるのかどうか知らないけど、もし後で習得した言語が母語と同じ場所に処理センターを構えるとしたら、方向性が逆の2つの言語を互いに混線しないように処理するにはかなりのエネルギーが要りそうだし、もしも別室のような感じでそれぞれ独立した処理センターがあるとしたら、2つの言語を刷り合わせるのにいちいちあっちの部屋、こっちの部屋と走り回らなければならないわけで、やっぱり相当なエネルギーを消費しそう。ワタシの言語中枢がどういう構成になっているのか知らないけど、省エネ構造にはできていないのかもしれないな。

きのうはママの95歳の誕生日でみんながお祝いに集まることになっていたので、早めに出て園芸センターに寄ろることにして、朝食後はメールのチェックだけ・・・のつもりが間違いの元。例のところからまたもやあれこれと神経質そうな質問。期限通りに納品してからもう1週間も経っているところからして、ちゃんとした校正・編集の機能がないんじゃないかという気がして来た。チェックする人はいるんだろうけど、自分の仕事に自信がないのか、それとも発注元から文句が来たら困るとビビッているのか。相手が大企業なのはわかるし、最近この方面に「事業拡大」して来るところが増えて受注競争が激化しているのもわかっているけど、何もそこまでへっぴり腰になることはないんじゃないかなあ。まあ、さすがにひとまとめにして寄こしたらしいから今回は大目に見てあげることにしたけど。

とりあえずしゃかしゃかと返事を送って、降り出した雨の中をおでかけ。郊外は風景の変化が激しくて、行くつもりだった園芸センターが見つからずに行ったり来たり。結局行くつもりではなかった別のセンターに行って、カレシはハーブの苗を買い、ワタシはふと目に付いたイソシギの置物が気に入ってママへのプレゼントに買い、指定の6時にママが前に住んでいたタウンハウスの近くにあるファミリーレストランに到着。この家族は集まると何ともにぎやかで、一番静かだったのはあんがい子供たちだったかも。主賓のママもジョークまで飛ばして、とても95歳とは思えない元気さ。未亡人になってからだんだん「かくしゃく度」が高まって来たような感じだな。

こういうレストランは「ボリューム」が売りなんだけど、そうとわかっていて、ワタシは前菜にタイ風鶏のから揚げ、メインには特大カットのプライムリブ、ついでに「大」グラスの赤ワインを注文。出てきたプライムリブはたぶん400グラムはあっただろうな。3センチくらいありそうな分厚いのがどかんとお皿に載って、グレヴィーがたっぷり。お決まりのマッシュポテトもぼてっと盛ってあって、一瞬食べきれるのかなと思ったけど、うん、こういうのを「がっつり」食べたというんだろうな。久しぶりのビーフ、おいしかったの何のって。プライムリブにつきもののぶわっとした脂身だけ残して、サンダルみたいなのをきれいに食べてしまった。魚料理がないのでグリルチキン入り大盛りサラダにビールだったカレシは、体調不振だったはずのワタシの食べっぷりに呆れるやら、うらやましがるやら。

デザートはチーズケーキやトルテ、パイ、アイスクリームなど5種類が大きめのショットグラスに入って来るのを注文してカレシとシェア。いやあ、ほんとに久しぶりに食べ過ぎるくらい食べて、満足、満足。たまりにたまったストレスが発散されて、自律神経の失調なんか吹っ飛んでしまった感じがする。さすが食道楽のワタシ。うん、人生、こんな風に爽快でなくちゃね。

おかげで今日はやる気もりもりで、日本へ行く飛行機をビジネスクラスに変えようかというカレシに、はい、そうして、そうして。もう2回も変更しているんだから、エアカナダも驚かないって。そうしたら、カレシは本気で予約を変更してしまった。それも往復ともビジネスクラス。追加料金やら変更料やらでしめて5500ドル。うっひゃあ~だなあ。でもまあ、こういう大名旅行も体力があるうちが花で、たぶんこれが最後だろうから、いいか。せっかく脳みそを絞って稼いだんだから、少しはおいしいことをして楽しまなくちゃね、うん。

新婚旅行にはおすすめできないけど

5月22日。火曜日。リラックスして眠れるようになったらしくて、首の凝りがほとんどなくなった。日曜日のプライムリブのたんぱく質が効いたのかな。調子に乗って今日は普通のペースで仕事。もちろん、ちょっと懲りたから、適当にモニターの前を離れて、軽く運動してみたり、オフィスを片付けてみたりして気分転換。この分だと、今月残りの仕事(3つのはずがいつのまにか4つになっている)はまた半日ペースに戻って、くたびれずに完了しそうだな。

一日いっぱい仕事をした後、エアカナダのビジネスクラスがどんなものかちょっと視察。1990年代はまだカナディアン航空があって、日本へ行くときは二階のビジネスクラスに乗っていた。経営難になってエアカナダに吸収合併されてしまったけど、カナディアンはすごくいいエアラインだった。たぶん良すぎたんだろうな。ビジネスクラスの食事なんかかっこいいメニューがあって、コースごとに料理が運ばれてきたもん。一度だけ日本航空のビジネスクラスに乗ったけど、あれはがっかりだった。食事はまとめてトレイで配られるし、何よりも二階にいたら客室アテンダントが、ひっきりなしに新婚さんとか、どこかの偉そうな御仁とかをコックピットに案内して来るもので眠るどころじゃなかった。あれ、社内規定に違反してなかったのかなあ・・・。

今回のエアカナダはボーイング777-300だそうで、カレシが「座席の配置がすんごく変わっていて、興味がある」ということでクラスの変更を言い出したらしい。ビジネスクラスといえば座席が大きくて、おちびのワタシなどはシートに猫みたいにくるっと丸まって寝ることができたけど、今度のはそうじゃないんだというから、エアカナダのサイトを見たら、あら、ほんとにへんてこだ。「エクゼクティブファースト」と呼んでいるのはビジネスとファーストのハイブリッドなのかな。個々の座席を見ると、なんとなくビクトリア朝時代の昔のバスタブみたいでもある。そもそも座席が並んでいない。ジグザグになっていて、その名を「ヘリンボン式」と言うんだそうな。「キャビンを見る」というボタンがあったのでクリックしてみたら、なるほど、ビジネス客向けの設定だな。「となり」がいないから、人の目を気にしないでひと仕事できそう。だけど、新婚旅行のカップルにはおススメできないような・・・。

シートが平らになってベッドになるというのもうれしいし、ボーイング777にはセルフサービスのバーまであるんだって。ちょっとグラスを置ける棚があったり、他の席からの「訪問客」用の小さな席まである。カレシは中央の2席を取ったので、斜めに背中合わせの感じ。ま、カレシはノートブックを持ち込んでひとり遊び、ワタシはDVDプレーヤーを持ち込んで講義のDVDをひとり見だから、「個室」でけっこう。ときどきご機嫌伺いに互いの席を訪問しようか。新婚ほやほやでもあるまいし、飛行機の中でいちゃいちゃしないもんねぇ。

まあ、変わった経験になりそうで、何だか楽しみになって来た。がんばって、仕事、しようっと。

知力と財力があるのになぜ幸せじゃないの?

5月23日。水曜日。ちょっと晴れて来たけど、正午を過ぎてやっとこさ14度。寒すぎっ!ま、後10日ほどで東京。あっちはたぶんずっと暖かいはずだから、いいか。でも北海道はどうなんだろう。道東やオホーツク海側はまだ寒いのかなあ。あんまり昔過ぎて忘れちゃった。

朝食が終わったところで久しぶりにイアンから電話。この週末にイタリア旅行にでかけるんだそうな。バンクーバーからフランクフルト経由でローマまで行って、そこからベニスに出て南下、長靴の先を回ってローマに戻る3週間近いバスの旅というからすごい。パッケージだからホテルや食事、荷物のめんどうは見てもらえるだろうけど、60代半ばの夫婦が全行程をバスで移動と言うのはすごい。それにしても、引退して旅行に出る夫婦の多いこと。トロントのデイヴィッドとジュディも6月末からまず鉄道でニューオーリンズに行って、レンタカーでサンフランシスコを経てオレゴン州の海岸沿いにシアトルまでの大旅行。(シアトルでレンタカーを返すので、こっちから迎えに行って一緒にちょっと遊んで来ることになった。)

どっちも年に2回旅行することにしているんだそうだけど、そういう夫婦は他にもいるから、どうも典型的な引退生活らしい。ワタシたちは長期旅行は今回が最後で、ワタシが(半)引退したら長くても1週間くらいの小旅行をしようねと話していたところだったから、モチベーションの度合いが違うなあ、もう。まあ、みんな共働きで子育てをして来た人たちで、子供たちが独立した、さあ夫婦水入らずの旅行を楽しもう、ということになるのかもしれない。ワタシたちは子供と言う旅行のタイミングを決める要素がなくていつも「2人」だったから、そういう節目がないってことかな。まあ、2人とも今日はこっち、明日はあっちと巡遊する旅行は気乗りがしない方だし、団体行動は苦手と来ているから、さっと行きたいところへ行ってさっと帰ってくるというのが合っているかもしれない。イアンとバーバラはモントリオール経由でちょうどワタシたちと同じ頃に帰って来るらしいから、旅のみやげ話の交換会をやらなくちゃ。

OECDが今年も幸福度指標(BLI)というのを発表して、カナダは36ヵ国(加盟34ヵ国+2ヵ国)中の総合6位だった。何だかんだと愚痴りながらもカナダ人はハッピーなんだよね。この指標のサイトはなかなか良くできていて、国ごとに1項目のスコアや内容を詳しく調べたり、2つの国を組み合わせて比べてみたり、かなりろいろに楽しめる。第1回の去年に続いて今年も1位はオーストラリアで、「No worries, mate!」のオージーの面目躍如といったところか。日本(カッコ内カナダ)は、「安全」は1位(2位)、「教育」は2位(8位)、「収入」は6位(5位)と高いけど、「住居」が25位(2位)、「健康」は29位(4位)、「生活の満足度」は27位(6位)、「仕事と生活のバランス」はどん尻に近い34位(21位)ということで、総合で36ヵ国中の21位。

日本は安全で高学歴の経済大国なのに国民は幸せじゃないんだなあ。自分が健康だと思っている人の割合はOECDの平均が70%なのに対して日本はわずか30%。つまり、世界一の長寿国日本で60%の人が自分を健康だと思っていないということか。それと、仕事以外で友だちや同僚とのつき合いがほどんとないか、まったくない人の割合は15%で、OECD加盟国中で最高だそうな。まあ、他人の身体的特徴や服装や癖や嗜好に違和感がある、苦痛だと言って遠ざけていたらそうなっても不思議はないけど、なんか鬱々として、互いの存在にまでイライラしている感じだな。国民の教育水準が高くて、経済的に豊かな国なんだから、その知力と財力でもって幸福度世界一の国を作れないはずはないのに。このまま高齢化が進んだら、老後の旅行や晴耕雨読を楽しむ体力も気力もない人がどんどん増えて、「健康」と「生活の満足度」は下がるばかりじゃないのかなあ。

泊まるホテルで殺人???

5月25日。金曜日。やっと初夏らしい天気になった。今度こそは続いてくれるといいけどねえ。

きのうはカレシが夜にちょっと先のスーパーへ野菜を買いに行くというので、午後を仕事日にして、またもやパワポの原稿と格闘。それにしても日本の人が作るパワポのプレゼンてどうしてこうごちゃごちゃしているんだろうなあ。講演者が口頭でやれば良さそうなことまで、スライドに押し込んでしまうから、参加者はスライドを読むのに忙しくて講演者の話なんか聞いていないんじゃないかな。まあ、講演する方は言いたいことを全部スライドに入れちゃったから、何も言わなくてもいいのかもしれないけど、それじゃあプレゼンする意味がないようなような・・・。

今日は英語教室にカレシを送り出して、仕事の仕上げ。目がしょぼしょぼして眼精疲労が出てきそうだから、実際の翻訳作業はPDF経由でワードに変換したファイルでやるから少しは楽。見直しをして完了したのを見ながらスライドに上書きしてやればおしまい。(なぜかフォントやサイズがめちゃくちゃに変わってよけいな手間がかかってしまうから、コピー&ペーストは禁物。どうしてだろうな。)まあ、午後いっぱいでワードのファイルを完成して、残る2つの仕事(パワポじゃないのがうれしい)の算段をして、今日のノルマは遂行。やっぱり、パワポは嫌いだあ・・・。

出発まであと1週間に迫って、東京の宿泊先のホテルのレストランでお客を招待する夕食会の日にちが決まったので、オンラインで予約を入れようとしたら、どういうわけか4人までしか入力できなくて、5人以上は電話で直接やれと書いてある。それも代表番号だけで、レストランには直接かけられないしくみ。なんで?はて、どうするかなあ。東京に着いてから(最初に泊まるホテルとは別なので)ホテルへ出向いて予約する手もあるけど、それでは招待した人たちへの案内ができない。やっぱり今のうちに電話でテーブルを確保しておくか。そんなことを考えながら新聞サイトを覗いていたら、ええっ、そのワタシたちが泊まるホテルで殺人事件があったという記事。アイルランドからの留学生が殺されて、若いアメリカ人が容疑者らしい。あらら・・・。

帰ってきたカレシにホテルで殺人があったんだってと報告したら、「へえ、今度の旅行、いろんなことが起きるなあ」。そうだねえ、飛行機の予約を3回も(そのたびに手数料払って)変えたし、ホテルの予約も変更したり、キャンセルしたり、延長したり。でもまあ、あと1週間だから少なくとも予定はもう変わらないよね。でも、あのホテルで殺人事件ねえ。でも、ホテルの名前が出ていたのは産経のサイトだけで、あとは「新宿のホテル」としか書かれていなかったな。まあ、昔のアメリカのテレビドラマで「ニューヨークには800万のストーリーがある」というナレーションが流れたけど、東京にも「ン千万」のドラマがあるということだな。

結局、東京の夕方の時間を見計らってホテルのレストラン予約の代表番号に電話した。代表番号からお目当てのレストランの予約係?につないでくれて(てことは、電話交換手がいるの?)、何とかお客側が一番都合がいいと言う日にテーブルを確保。国際電話だと1、2秒のタイムラグがあるので実に話しにくい。名前の綴りなんか4回くらい繰り返して、間違いなく書き取ってくれたかどうかは不明。チェックインとチェックアウトの日を教えたからそっちで確認できるだろうけど。最後に連絡先はと聞かれて、ええと・・・。妹よ、また連絡先に使わせてもらったぞよ。北海道からおみやげをどっさり盛ってくるからね!

あと1週間だ~。

こういうおもしろい仕事ばかりならいいのに

5月26日。土曜日。いい天気だなあ。正午過ぎにはもう20度に到達。初夏だもん、そう来なくっちゃ。でも、カレシはベーコンとポテトと卵でしっかり腹ごしらえをして庭に出て行ったのに、すぐに暑過ぎて作業ができないと言って入って来た。急に「暑く」なったから体の方が生理的に追いつけないのかもしれないな。

ワタシは今日も仕事日。きのう終わらせたファイルをパワポに上書きして送り、パート1とパート2に分かれている次の仕事に着手。パート1はこのシリーズたぶんこれが最後のパワポ。短いから目がしょぼつかないうちにさっさと終わらせて、パート2。こっちは普通の文書だけど、なんだかロールプレイングゲームというか、即興芝居のテーマの説明みたいで、これがまたおもしろい。あんまりおもしろくて、想像を膨らませながらパカパカと訳して行ったら、あらま、明日やる予定の分までぜんぶやってしまった。おかげで2つまとめて納品できて、残る仕事はひとつだけ。予定は2日半だけど、これもなんかおもしろそうな感じだから、はりきって1日半でやっつけてしまおうか。そうしたらゆっくりと月末処理をして、ゆっくりと荷造りできるしね。

それにしても、ビジネスのお勉強って無味乾燥なものかと思っていたけど、意外とドラマ性もあって、あんがいおもしろそうだな。なにしろ、学ぶのは錬金術(金もうけの術策)だけじゃない。(それだけ学んでおしまいの人たちも多いからこういうお勉強が必要になるんだろうけど。)なんか、人間関係とか、自己啓発とか、自己管理とか、コミュニケーションとか、知識欲とか、向上心とか、指導力とか、いやあとにかく人間のいろんな側面があって、それをぜんぶ総合して初めて人間の、人間による、人間のためのビジネスになるんだなあ。ほんとうのビジネスというのは血も涙もある人間だからこそできることであって、いくら最先端の技術を駆使して「人間」の形の賢いロボットを作っても、人間風味のビジネスマンロボットは作れっこないと思う。平サラリーマン/OLロボットくらいは何とかなるかもしれないけど。

それにしても、いつもこんなふうに内容に興味を持てるような仕事ばっかりだったら、ストレスだの、眼精疲労だの、自律神経失調だのとさわいでいないで、毎日ルンルンの気分で没頭してしまいそう。ま、そんなおいしいことばかりじゃないのはよくわかっているけど。じゃあ、あしたもまたどこまで行けるか、ひと踏ん張りするか・・・。

口コミサイトは斜め読みするとおもしろい

5月27日。日曜日。今日もいい天気だ。あれ、火曜日くらいまでぐずぐずの予報じゃなかったのかな。バンクーバーの天気予報は外れるのがあたりまえということになっているけど、どうしようね。仕事を放り出して、ビタミンDを浴びようか、それとも先に残っている仕事を終わらせてしまって、「臨時休業」の札をかけようか。

腕まくりをして張り切るつもりだったけど、なぜか脱線。まず、どういう風の吹き回しか、今年から始まった引退後の年金追加給付について調べ始めてしまった。なあんとなくおいしすぎる話だなあとは思っていたけど、企業に雇用されている身ならまだしも、自営業にはあんまりメリットがないという感じ。たとえば、自営業は雇用主であり同時に被雇用者という一人二役なもので、年金の掛け金も両方の分を払わなければならない。会社形態にしていないために雇用主の分は事業経費にならないので、最終的に勤め人の倍を払っている(だけど、年金は勤め人と同じ)。つまり、65歳以降仕事をやめないで今まで通りに年金への払い込みを続けると、翌年から追加給付はもらえるんだけど、所得のほぼ10%を払って、もらえる額はその半分しか払わない被雇用者と同じというわけ。なんだかなあ。何度考えてみても、やっぱり、なんだかなあ・・・。

今年から始まったこのRPBという追加給付、翌年から払われて、インフレ調整付きで死ぬまでもらえると、政府は強調しているけど、なんだかなあ。そこで大ざっぱに計算してみた。たとえば、来年と再来年の2年間、いくらか減量して仕事を続けるとして、2年間の払い込み合計額は6千ドル一方で、再来年からもらえる追加給付は(何と、何と)「年間」200ドルちょっとで、85歳まで生きたとすれば20年間で4千ドル強、インフレ調整等々を加味してもせいぜい6千ドルで何とかトントンというところか。ということは、最初の2年で6千ドルを(政府に)貸し付けて、それを20年かけて無利子で回収するようなものじゃないのか。はっ、アホかっ!全然ベネフィットにならんじゃないのっ、ということで、や~めた。どっちみち私的年金にも18%まで払い込むんだから、そっちへ回した方が利子がつくからお得。損得の計算となると、ワタシもけっこう決断が早いなあ。ま、これで申請書が送られてくるまでは考えなくてもいいから、すっきり、さっぱり。

すっきりしたところで、仕事にかかったら、今度はカレシが最初に2泊するホテルから到着人などを知らせてくれとメールが来たと報告。さっそくフライトのスケジュール、成田からリムジンバスで行くことを知らせたら、折り返し今度はバスの時間を知らせてくれとのメール。どうやら、バスを降りるところ(東京駅八重洲南口)まで迎えに来てくれるらしい。ええ?と思ってて調べたら。なるほど。このホテル、普通にイメージする「玄関」がなくて、バスどころかタクシーも横付けできない。ホテルのクラスからするとリムジンバスが寄らないのはヘンだなあと思ったけど、そういうことなのか。カレシ、さっそく「成田で携帯を借りたらバスの時間を知らせま~す」と返事。(聞くところによると、新幹線やNEXのホームまでお迎えが来て、荷物を運んでくれるらしい。)しかも、ワタシたちは「リピーター」ということになっているらしいからびっくる仰天。おととしウィスラーで系列のホテルに泊まったかららしい。なるほど、これも「IT時代のグローバルな展開」なのか・・・。

ホテルの名前を入れてググったら、たまたま「口コミ」サイトが見つかったので覗いてみた。今は世界のどこでもネットでレストランやホテルの「カスタマーレビュー」みたいなものを調べられて、選択の参考にするつもりがなければこれほどおもしろいコメント欄はないんだけど、見つけたサイトでは書き込みした人がいつ、どのクラスの部屋に、どういうパッケージで泊まったかがわかって、よけいにおもしろい。ざっと見たところでは、普通に予約して、普通に泊まった人は概して「良かった」という感想だけど、ネットの「激安情報」サイトのようなところを利用したらしい人に「ここがダメ」という意見が多いような。(それと、「こんだけ払って(やって)いるのに」というタイプの客も文句が多いような・・・。)中には、「あ、この人はすべてを批判して否定しなければすまないネガティブな人なんだろうな」と思ってしまうようなのもあって、こうなると匿名の世界は怖いという気分になるけど。

まあ、あちこちのホテルに普通に泊まり慣れた人たちはそれぞれの「普通」があって、その基準から大きく外れなければことさら文句を言うことはないだろうと思うな。(要するに「普通」だから、わざわざネットに評を書き込むこともないか。)ケチケチの貧乏モードから少しは浪費できる小金持モードまで、わりと広い経済状態を経たワタシたちも、ホテルに関しては「ひっでぇ~」というところから「ああ快適ぃ~」というところまで経験して来たから、ある意味ワタシたちの「普通」の基準ができていて、期待感もそれに合うようになっている。レストラン評でも、何とかフェスタとかいった(格安)イベントの後に「がっかり」評が増える傾向があるように思う。激安価格に魅せられて普段は利用しないところを利用するとなれば、「特別感」と「期待感」が同時に膨らんでしまうのかもしれない。期待感が高揚すればするほど、それが外れたときの失望感も大きく、それは日頃から「自分の期待/気持に添ってくれて当然」という意識が強い人ほど苛烈に感じ取るらしいようなところもあるな。

そもそも期待感というのは万国共通の人間心理であるだろうけど、同時に「人それぞれ」と言われるように、おそろしく個性的な面があると思う。まあ、昨今ネットに溢れ返っているらしい(やらせビジネスまであるという)口コミ評論サイトも、こういう斜めの(ちょっとイジワル?な)アングルから見ると、ちょっとした人間観察の機会になるってことで・・・。

とうとう来た、年金の申請書類

5月28日。月曜日。ちょっと崩れそうな天気。それほど寒くはないけど、気温はやや下がり気味。起床午後12時半。なんとなく寝つきが悪くて、寝返りばかり。おまけにカレシがいびきをかくもので、よけいに寝つけない。ちょいちょいと肘でつつくと、身体の向きがちょっと変わるのかいびきが止まる。だけど、一旦停止みたいなもので、やっと寝入りそうになったところで、ガガ~ッ、ググ~ッ。やれやれ。あのさあ、ミスター・ガガは流行んないし、夢の世界でググってもしょうがないし、駄洒落にもならないと思うよ。

それでも、今日こそは最後の仕事をやっつけようと勇んで起きたら、カレシが「来たぞ」と言って渡してくれた茶色い封筒2つ。あはっ、来た~っ。そっか、とうとう来たか。なんか分厚い方はCPP(カナダ年金)の申請書類で、もうひとつの比較的薄い方はOAS(老齢年金)の申請書類。まずはお知らせを読んでみる。「拝啓、極楽とんぼ殿。記録によりますと、あなたはまだカナダ年金を受給していないようですが、給付を受ける資格があると思われます」と来た。まだ受給してないって、だって、まだ65歳になってないんだもん。(制度上は満60歳で受給資格ができるけど、満額は65歳が基準なので、かなり減額される。だから、60を過ぎてリストラされて収入が途絶えたとか、よほどの事情がない限り早くからもらう人は少ないと思う。)ワタシは65歳まであと11ヵ月。誕生日の6ヵ月前までにちゃんと申請を出せば、来年のちょうど今日あたりに初めての年金が入金されているはずだけど、とにかくその前のその申請手続きをしないことには・・・。

今すぐにもらい始めるとしたら約716ドルだと書いてある。カナダの年金はどんなに高い給料をもらっても、だいたい1人当りの平均所得が掛け金の計算対象の最高限度なので、18歳以降ずっと限度いっぱいに払い続けてきた人でも月の給付額は千ドルに届かない。ワタシはカナダに来て働き始めたのが29歳だったから、「収入ゼロ」の期間がほぼ10年あることになる。そのうちの7年(来年からは8年)は受給額の計算から外されるんだけど、いくら自営業になってから限度額いっぱい払い込んで来ても、事務職女性の平均的な収入だった年数が10年強あるので(秘書をしていた頃は少し良かったけど)、最終的に受給額に響いている。ということは、機会均等で賃金差別がなくなる前からずっと平凡な事務職で働き続けて来た同世代の女性が手にする年金はかなり低い額ということになる。(もっとも、子供が7歳になるまでの期間に専業ママで無職だった女性にはその年数が年金の計算から外されるようになったから、少しは改善されたと言えるかもね。)やっぱり、ワタシの背中をド突いてこの道に押し込んでくれたカレシの怪我の功名ということになるのかな。

今すぐもらえる約716ドルというのは、65歳に達する12ヵ月前の給付額だから、この場合は月.52%の割で12ヵ月分減額されているので、来年65歳になってからもらう金額はもうちょっと多くなる。つまり、60歳でもらい始めたら31.2%も減ってしまう勘定になるし(減額率は少しずつ上がるから将来は目減りが大きくなる)、逆に、65歳を過ぎてもらわずにいると、来年からは月.70%ずつ増額されて行って、もしも70歳になるまでがまんできたら受給額は42%も増えるわけ。で、70歳まで年金をもらわないでその間働き続けるとしたら、掛け金を今度は新設の追加給付制度(PRB)に払い込むことができるし、ほんとに仕事が好きで、70歳まで元気に働く意欲のある人にはいいかもしれない。まあ、ワタシは年金という安定収入を確保して、追加給付制度への払い込みはせずに仕事量をだんだん減らしながら続けて行って、私的年金の資金を増やしてから完全退職、と目論んでいるんだけど・・・。

もうひとつの老齢年金は一般会計から払われる公的年金で、日本の基礎年金のようなものかもしれない。65歳になったらいらないと言ってもくれて、そのかわり収入が多すぎるとなし崩しに取り戻されてしまう。支給基準は18歳以降カナダで市民または永住者として居住した年数で、満額は40年で520ドルくらい。1年不足するごとに40分の1ずつ減額されるから、大人になってから移民した人たちは微々たる金額になるし、海外生活の長かったカナダ国籍の人も同様に減額される。おまけに海外で受給しようとすると25%の源泉税を取られる。ワタシの場合は来年で永住ビザをもらって36年で、満額に4年分足りないことになるんだけど、現行の制度が施行される2ヵ月ちょっと前に永住権が下りたので、経過措置で満額を支給してもらえる。

まあ、2つの年金を合わせて、いずれ私的年金が3つ目として加わったら、かつかつでもおばあちゃんひとりでまったりと暮らして行けると思うからちょっと安心だし、カレシにはもうすぐ私的年金が4つ目として加わるから、老夫婦2人なら悠々自適で行けそう。だけど、説明書を読んでいるうちはストレートでいいんだけど、実際に申請書に記入し始めたら何だかまた迷いが出てきそうな気もするな。だいじに金庫にしまっておいて、帰ってきたらじっくりと考えて見なくちゃ・・・。

今日は極楽とんぼの宅配便

5月29日。火曜日。最後の仕事を納品して、ゆっくり寝酒をして、ぐっすり眠った。なんかゲートのチャイムの音を聞いたようだけど、夢の中なのか目が覚めていたのか。そのうちにゴミ収集車の轟音で目が覚めて、起き出したのが正午。朝のうちに雨が降ったらしい。郵便を取りに行ったカレシがUPSの「不在通知」を持って来た。あのチャイムは夢じゃなかったのか。通販で3ヵ所に旅行関係の注文をしてあって、きのうのも寝ている間に来て「不在通知」が入っていた。まあ、ちゃんと「朝」のうちに起きないからしょうがないんだけど。

配達はこれが最後なんだけど、トロントの店に注文して「(たぶんアメリカ側の)配送センターからの入荷を待っている」というメールがあってから10日。きのうやっと「発送した」というメールが来たけど、はたして間に合うかどうか心配していたところだった。翌日配達って、UPSもやるじゃないの。もっとも、25ドルなりのお急ぎ料金を追加してあったんだけど。靴ひもの代わりにベルクロになっていて空港などで靴を脱げと言われたときに便利なウォーキングシューズ。2人ともかなり履き潰していたのでお揃いで新調。UPSは不在だったときに5日しか保管してくれないから、送らずに保留しておいてもらおうかと思っていたところだったので、間に合って良かった!

同じ日に出した3つの注文のうち、いの一番に届いたのはLLビーン。カナダ側の通関代行業者がカナダからの注文品を一括して通関して発送するから、だいたい10日で来る。今回は旅行用に新調したワタシのジーンズ2本。1本は普通のジーンズでもう1本はジーンズスタイルのストレッチパンツ。さっそく試着しようと袋から出して、ええっ、何だ、これ?ワタシが2人入ってしまいそうなブカブカ。袋にもラベルにも「4号」となっているけど、どうみたって「14号」のまちがいじゃないのかなあ。おもしろ半分に履いて姿見の前に立ったら、まるで「こ~んなにヤセた!」というダイエットの広告写真みたいだったので笑ってしまった。もちろん返品だけど、出発まであと1週間しかないのに困ったなあ。まあ、とりあえずカスタマーサービスに緊急メール。

返事が来たのは何と1時間後。「お取替え品の発送を手配しました。ご旅行に間に合います」で始まって、返品の手順を細かく説明して、「30日以内に返送してください」。わっ、北米だってこのくらいの迅速サービスができるんだ。へえと感心していたら、その1時間後には「発送しました」とのメール。それが水曜日の夜で、週末をはさんで月曜日のきのう届いてしまった。今度はちゃんと正しいサイズで、ぴったり。ストレッチするから履き心地がすごくいいし、心なしかスリムに見える(?)。感激しちゃったので、さっそく着きました~とメールを送ったら、「間に合って幸いです。どうぞ楽しい旅を」と返事。

きのうはLLビーンのお取替えの配達はキャッチしたけど、その前に来たMagellan’sという会社からの注文品の配達は「不在」。関税と売上税でしめて47ドル払って、翌日午後1時以降にキャンビーの方のドラッグストアの中にある郵便局で引き取れとのことで、ちょうど行きつけの保険代理店の隣だから旅行保険をかけられて一石二鳥で。きのうは蛇口のセットも店に届いたとメッセージが入っていて、こっちはWhole Foodsに近いから、切らしたミルクとシリアルも買おうということで、朝食後すぐに出発して北端からキャンビー沿いに「蛇口」→「食品」→「保険」→「郵便物」とひと走りすることにした。

そこでカレシがまたいつものドタチェン癖を発揮して、酒屋にたまった空きびんを持って行くと言い出して、「食品」と「保険」の間に「酒屋」を挿入。だったら酒屋のそばの銀行でシーラの「お留守番料」をおろして来るとワタシが言い出して「酒屋/銀行」に変更。最初の「蛇口」のピックアップに向かっている途中でカレシが「私書箱が溢れないように空にしておいた方がいい」と言うので、「酒屋/銀行」と「保険」の間に「郵便局」を挿入。一直線だからいいけど、なんだか宅配便の配達ルートみたい。それでも駐車場出入り4回、1時間半で6ヵ所全部を回って「業務」を完了して来た。いや、何という生産性の高さよ!あした、あさって、しあさって、そして・・・。

旅立ちの前ってどうしてこう忙しいんだろう

5月30日。水曜日。正午に目覚めて、ん、相変わらず初夏らしくならないなあ。正午を過ぎてもまだやっとのことで13度。もう6月だというのに、出かけるのにジャケットがいるなんて異常だなあ。まあ、平年並みでも今頃の最高気温は18度くらいらしいけど、20度を超える日が続くのだって珍しくないのが5月。なんでも、東北大地震と津波から発生した電子が地球の大気の皮のような電離層の電子を撹乱したそうで、ひょっとしたら天気の混乱にも関係があるのかな。地球がぶるっと身震いしたせいで大気層全体の流れが微妙に変わって、天候不順や、豪雨や竜巻が起こったりしているとか・・・?

天気に関する文句は(バンクーバーっ子の得意中の得意ではあるけど)取りあえずさておきということにして、まずはきのう不在通知が入っていた靴をフレーザーのUPSストアまで取りに出かけた。住所から推定すると歩いて行けないことはない距離だけど、箱の大きさがわからないので、トラックのバッテリを充電がてら、ひと走り。このあたりはちょっと昔ながらの商店街と言う感じがするところで、アジア系の商店がずらり。路上駐車もずらり。止めるところがなくて住宅街の方へ入ったら駐車規制の標識がずらり。結局元の道路に戻って、カレシがレーンに止めるというのでワタシだけ降りた。通りがかりにレーンの方を見たら、狭いところに配達のトラックが止まっている。あらあ、カレシ、どうするのかな。

そうこうしているうちに救急車と消防車が来て交差点を半分塞いでしまった。カレシ、どうしてるのかな。レーンに入れたのか、交差点の手前で立ち往生しているのか。とりあえず、トラックから看板が見えたあたりに目星をつけてオフィスを探したけど、あれ・・・?行ったり来たり2度も通り過ぎてやっと見つけたオフィスは間口が狭いし、歩道で目に付く看板もない。客は誰もいなくて、退屈そうなお兄ちゃんが脇の下に抱えられるくらいの軽い箱を出して来てくれた。外に出たら、まだ救急車が止まったまま。どうしたものかと突っ立っていたら、消防車がサイレンを鳴らさずに帰って行った。救急車は動きそうにないけど、信号が変わったのか後ろから車がその横をすり抜けて来て、3台目がカレシのトラック。「レーンに入れなくて、ちょうどいいと思って消防車の後ろに止めていたら、帰っちゃったもんで止めていられなくなった」と。曰く、「ここは車では二度と来ない!」うん、30分もかからないだろうから、運動がてら歩いて来ればいいよね。(帰り着いたところで、小雨。ほんとは早起きして配達を逃さないのが一番いいんだけどね・・・。)

今日のTo Do(やること)リストから「UPS」を消して、次は配管屋。蛇口を取り替えてもらう予約を取るのに、「あしたの朝一番(9時)に行けます」。サービス満点のつもりで朝イチなんだろうけど、またまた「不在通知」になってしまうから、昼まで寝ているのでと言って午後(12時から2時の間)にしてもらった。次は東京は札幌での空港バスの時間と料金の検索。宿泊先のホテルに止まってくれるリムジンバスは、駅からスーツケースを引っ張って東京の人ごみの中を歩かなくてもいいから、ワタシたちのお気に入り。旅は楽ちんなのが一番だから。ウェブからコピーして、印刷して、資料のフォルダに。次は移動やイベントを書き込んだ日程表作り・・・。

そこへシーラから「あした1時ごろに行ってもいい?」と電話。今回は留守番がちょっと長いので、我が家でラップトップを使えるように、カレシのルータに接続するテストに来る。わっ、あしたもまた忙しくなりそう。忙しくなりついでに、持って行く下着類の洗濯もしてしまおうか。そうそう、あしたの夜はミュージカルを見に行くことになっているんだった!どうして休暇の前ってこうもいろんなことがあって忙しいんだろうなあ。ま、やることを全部やって、金曜日にはゆっくりと荷造りをしようっと・・・。

昔、結婚式で流れていた失恋の歌

5月31日。木曜日。5月最後の日。せっかくよく眠っていたのに、朝方トイレに起きたカレシに「寒い!毛布はどこだ!」と起こされた。たしかに肩がちょっと涼しい感じがしたから、パンツ一丁で寝るカレシには寒いかも。掛け布団というものがないので、冬の間はフランネルのシーツと純毛の毛布2枚だけで、ワタシも夏冬を問わずスリーブレスのナイトガウン1枚。こういう超薄着で寝るのに慣れているから、ホテルでよく使っているデュベットという羽根布団は2人とも大の苦手で、汗びっしょりになって眠れないことが多い。ま、寝ぼけ眼で冬の間に上にかけて使っていた旅行用毛布を(まだ片付けずに)置いてあるところを指差して、ワタシはまた眠ってしまった。

まったくもう明日から6月だというのに、平均より3、4度低い。起きて寝室のサーモスタットの温度を見たら24度で、暖房が入るぎりぎりのところ(寝ている間に入ったかもしれない)。我が家は天井に埋め込んだパネルからの輻射熱で部屋の中の物体を温める電気暖房なので、各階で別々に生活時間に合わせて温度設定している。寝室は就寝前の午前1時から4時まで24度で、寝ている間の午前4時から午前10時までは20度、起き出す頃の午前10時から午後1時までは再び24度で、午後1時には19度というサイクル設定になっているので、午前10時に室温が24度になっていなければ、季節に関係なく勝手に暖房が入る。でもさあ、いくらなんでも5月の31日に暖房ってのはないよねえ。(といっても、子供の頃は夏でも薪ストーブを燃やすようなところに住んでいたんだけど・・・。)

今日はまず配管屋が来て二階のバスルームの蛇口の取替え。次にシーラが来て、カレシとネットワークの設定。配管屋とシーラが帰ったところで、大洗濯を始め、その間に請求書を作って送り、月末処理。「売上高」は去年2011年の1年間の総売上高を12%も上回って、過去10年の平均ラインだった2010年の9月末に匹敵する数字。どうりで疲れるはずだな。このままのペースでストレートに行ったら、1990年代の荒稼ぎの水準になってしまう。引退前の最後のきらめきなのかどうか知らないけど、40代後半だったあの頃の体力はもうないという感じがするな。まあ、震災で落ち込んだ去年の反動なんだろうと思うけど、遊んで帰って来て、あとはずっとヒマでもいいなあという気もする。(遊んだ後だったらなおさらかも・・・。)

最後の予約リクエストに確認メールが来て、これで旅の足回りと宿はすべて確保。洗濯も夕食前に乾燥まで終わったことだし、後はささっと夕食を済ませて、余裕たっぷりの気分でミュージカルに。今シーズンのフィナーレ。この後に去年ヒットだった『Buddy Holly Story』の特別公演があるけど、この劇団は2つの劇場どちらもシーズンの最後はミュージカル。今夜はコール・ポーターの『High Society』(邦題『上流社会』)。モナコ公妃になったグレース・ケリーの最後に出演した映画で、ビング・クロスビー(元夫役)とのデュエット『True Love(トゥルーラブ)』は後にも先にもグレース・ケリーが映画の中で自分で歌った唯一の曲だそうだけど、「私があなたにあげて、あなたが私にくれる、本当の愛・・・」と泣けて来そうなくらいロマンチックな曲で、ワタシは聞くたびに胸がキュンとなる歌・・・。

もう一度結婚式をすることがあったら(ありえないとはわかっているけど)、絶対に、絶対にバックグランドに使いたいな。「私とあなたには高いところに守護天使がいて、あなたに、私に永遠に本当の愛をくれるばかりだから」。う~ん、結婚式はこじんまりとチャペルでやるのが一番曲が心に響きそうだなあ。日本で教会での結婚式がはやり始めたのはたしか高度経済成長に乗った1960年代の後半くらいだった思うけど、あの頃の結婚式で一番人気があったのはブレンダ・リーが歌った『この世の果てまで』だったらしい。スローテンポで甘~い感じの曲だったから、日本語のタイトルを「この世の果てまで愛し合うことを誓う」と解釈したんだろうな。(原題の『The End of the World(この世の終わり)』を訳し過ぎて「まで」をつけてしまったのがそもそも間違いの元かも・・・。)

あの頃、英語の歌詞を読んだワタシは「なんだってこれが結婚式の歌なの~?」びっくり仰天した。だって、失恋してしまった人が「どうして太陽はまだ輝いているの?どうして海は波を打ち寄せ続けるの?この世は終わりだということを知らないの?あなたがもう私を愛さなくなったから」と切々と恋人に去られた悲しみを歌っているんだもの。縁起を担ぐ結婚式で、永遠の愛を誓って新しい人生の第一歩を踏み出す若い2人には何とも縁起の悪い内容だと思うんだけど、まあ、知らぬが仏だったということかな。この歌に送られて(たぶんその頃人気だった宮崎への)ハネムーンに飛び立って行った何万組、何十万組というカップルのその後はいかに・・・と、ヘンなことまで想像してしまうけど、実際、どうなんだろうなあ。やっぱり、ワタシは『True Love』にする、絶対に!

なんて、ヘンなところで妄想満開で力んでみたりして、どうやらワタシも「遊びモード」全開になって来たような。さてさて、あしたは荷造りしなきゃ・・・。


2012年5月~その1

2012年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
時間よ止まれ、キミは急ぎすぎる

5月2日。水曜日。いつのまにかもう5月。ああ、1年の3分の1がどこかへ行ってしまった。時間よ止まれ、キミは急ぎすぎる!そんなに急いでいたら、ちっとも美しくないじゃないの。もうちょっと優雅に、しずしずと進みなさい・・・なあんて言ってみても、時間はせっかちで頑固。ただただ前へ前へ、ひたむきに前へ、何がなんでもひたすら前へ進むことしか知らない。でも、もうほんのちょっとだけスローダウンしてくれないかなあ。子供だった頃はうんざりするほど時間の経つのがのろかったのに。

きのうはひたむきに仕事日。置きみやげ仕事を3つ片付けた。ゴールデンウィーク明けまでに仕上げる仕事はあと5つ。あんまり急ぐから、あれが抜けていた、ついでにこれもと、忙しないことはなはだしい。どれがどれなんだかわからなくなって来たじゃないの、もう。祝日がいくつも続くからゴールデンウィークと呼ばれるんだろうに。(いくつもの祝日やお盆休み、年末年始と、日本は休みの多い国だと思う。多すぎるから仕事が終わらなくて残業三昧になるのかと思ってしまうくらい。)せっかくの輝ける黄金週間なんだから、間にはさまった2日くらい会社を閉めて総出で休んだって、日本経済がどうこうなるってわけじゃないだろうに。ああ、時間よ、働きづめで休み続きでも休めないでいる人たちのために、止まってやってくれ。

そういえば、ずっと昔、NHKの子供番組に「時間よ、止まれ!」とおまじないのように唱えて時間を止められる少年の話があった。あんな風に自由自在に時間を止めたられたらどんなに便利だろうと空想を膨らませているうちに、周りのみんなの時間が止まっているときに自分だけ動いているということは自分の時間だけはどんどん経つということで、いい気になって時間を止めていたらそのうち親よりも先に年を取ってしまうかもしれない、それはいやだなあ、と思いあたって、時間を止める超能力の「夢」はぱちんと弾けたのだった。でもやっぱり、日本の人はちょっと時間を止めて、ゆっくりと深呼吸する必要がありそうに見えるけど・・・。

まあ、すっかり底をついた野菜をど~んと仕入れて来たので、冷蔵庫の野菜入れも、カレシの野菜冷蔵庫も満杯。冷蔵庫やフリーザーが空になって来るとなんかストレスっぽくなるけど、こうしていっぱいになったのを見るとふんわりした安心感で気持がゆったりするから不思議。(いつもしっかり買い置きをしていた母の影響かなあ。ま、食いしんぼうなだけかもしれないけど。)落ち着いたところで、残る5つの仕事にかかることにするか。またひたむきに仕事したら、週末前に全部終わるかな。よし、チャレンジ・・・。

ビデオカメラを探し歩いた日

5月5日。土曜日。ぐっすり眠って正午をだいぶ過ぎてから目が覚めた。2日間がんばった甲斐があって5つのファイルが全部完了。どれもやたらとグラフィックが多いもので、編集者に送るメールにまとめて添付したら、圧縮してあっても重くなりすぎたのかタイムアウト。送ったら終わりという瀬戸際でメールを分割したりしてちょっと手間取ってしまったけど、とにかく「予約」の仕事が来るまでは(ニューヨークの方も静かでいてくれれば)、棚ぼた的休み。ワタシのゴールデンウィークになるかなあ・・・。

カレシが旅行にビデオカメラを持って行きたいというので、きのうワタシがガシガシ仕事をしている間にリサーチさせておいて、基礎情報を仕込んでショッピングに出発。しばらく走らせていないからと、週末の駐車事情を懸念しながらトラックで出かけたけど、運よくWhole Foodsの向かいのメーターが空いていて駐車。目いっぱい2時間分のコインをジャラジャラと入れて、まずは近くのBest Buyへ。スマートフォンなどに押されてどこもカメラ類の売り場は小さくなるばかり。ビデオカメラもご他聞にもれずで、いろいろとあるように見えるんだけど、よく見るとメーカーはSony、JVC、Canon、Samsungのほんのちょっぴり仕様を変えてあるものばかり。カレシが内蔵メモリがなくちゃというので、やっと1機種見つけたら、「在庫ありません」。近頃は多いなあ、量販店なのに在庫がないっての・・・。

では、ということで近くのLondon Drugsへ行ったら、見本はもっと少ないし、カウンターのお兄さんは「ビデオカメラのことはあまり知らないから・・・」。じゃあ、何でビデオ機器のカウンターにいるの?人材不足なのかなあ、この業界。ふむ、州の公務員だった頃に州政府職員組合の委員長がどこかから引用してたな、「If you pay peanuts, you get monkeys(ピーナッツを出せば猿が集まる)」と。この「peanuts」には「はした金」、「monkey」にはできるのに大した仕事をしていない人という意味がある。安く売るためにはコストを切り詰める必要があって、コストを切り詰めるには何かを切り捨てなければならないわけで、「激安」は何か重要なものまで切り詰めないと実現は難しそう。「安かろう悪かろう」という言葉があるけど、そこで切り詰めるのが人材だったら損をするのは売り手の方。でも、コストがかかるからといって安全対策を切り詰められたらたまったもんじゃないのは買い手の方。あまりにも安かったら目に見えないところで「何」を切り詰めているのかを探ってみるのも消費者の護身術のひとつかも。

結局、地下鉄でダウンタウンに出て、まずは駅から直結しているLondon Drugs。ここはカウンターの「えげれす弁」のおじさんがわりと物知りだったけど、探している機種がなかったので、最後の砦?のFuture Shopへ。ここでは熱心なお兄さんが新型の機種はフラッシュメモリを内蔵していないこと、スペアの電池は置いていない(置かせてもらえない?)こと、ブロードウェイの電池専門店ならあるかもしれないこと(スマートフォンをちょちょっとなぞって地図を見せてくれた)などなど細かく説明してくれた。それでもカレシがフラッシュメモリ内蔵がいいと食い下がるので、在庫も入荷予定もない見本品を売ってもらうところまで行った、なぜか同梱の電池がなくてアウト。じゃあ、一番仕様が近い機種をということで、値段が20ドル違うだけのフラッシュメモリなし、カードスロットはひとつのそっくりさん機種2つに絞り、明るくなくても使える(から20ドル高い)方に決めた。カレシには初めてのビデオカメラだからこんなところかな。ま、これで任務完了・・・。

夜、オレンジ色の大きな月が昇ってきた。これが今話題のスーパームーンってやつ。たしかに、大きく見えるなあ。ハタチくらいの頃に広角レンズをつけた望遠鏡をもろに昇ってくる満月に向けたことがあって、目の中いっぱいにすごい迫力で広がった月面に、うおぉ~っと叫びそうになったな。昔から満月の光に当ると気が狂うというけど、「スーパームーンが昇って来たよ」と言っても、カレシは新しいおもちゃに夢中で月を愛でるどころではなさそう・・・。

なんとも不思議な感覚過敏症候群

5月6日。日曜日。どこかで朝っぱらから外でロックを鳴らしているやつがいて、おかげで正午前に目が覚めてしまった。まあ、大音響ってわけではないし、日曜日だし、天気もいいことだし、2軒先の家のガキンコたちが庭で遊んでいるらしい。この家はシングルマザーと6人の子供が借りていて、両隣とよくひと悶着起こしているらしい。情報通のパット曰く、生活保護世帯で親子7人が住める福祉住宅がないので政府が借り上げているらしいとか。まあ、どんな事情にせよ、幼児を含めて6人も女手ひとつで育てるというのはすごいけど、誰にもつんけんと突っかかるもので近所中から総すかん。なんか損な性格だと思うけど、ワタシがそう思ったところでよけいなおせわ。

でも、しばらくうとうとしながら、これが日本の都市圏の住宅地だったらどんな反応になるかなあと想像してみた。小町横町には、うるさい、臭い、うざったいはもとより、見える、見られる、はては○○暮らしなのに持っている車がどうのこうの、子供を私立学校にやっているのいないの、はては服装がだらしないとかださいとか年不相応だとか、まあとにかくいろんなご近所関連の苦情や愚痴が渦巻いているけど、これはどういう範疇に入るんだろうな。それとも、「外で遊ぶ子供がうるさい」、「非常識な近所のシングルママ!」なんてトピックが上がるのかな。で、「生活保護を受けているのに6人も子供がいて、しかも男が訪ねてくるなんて非常識」と細かな観察報告までしてくれたりして。(子供が何人いてもシングルなんだから、ボーイフレンドの1人や2人いてもおかしくないと思うけど、まあ、小町横町には「自分のものさしに合わないことはすべて非常識」という常識があるらしいから。)

この、うるさい、臭い、見苦しいはご近所だけの問題じゃないようで、職場の誰かのキーを叩く音やヒールの足音がうるさくて頭痛がする、咳払いの音、デスクにものを置く音、話し声にひとり言、はてはため息まで、耳についてうるさい、イライラする。これって「騒音問題」というよりは、頭痛や吐き気がするとまでいう人の「感覚異常」じゃないのかなと思うけど、そういう「周囲に気遣いのできない非常識な人」を糾弾する書き込みがずらっと並ぶから驚きで、ウォークマンの出現以来若い人の聴覚障害が増え続けているという話をきいたけど、最近は逆に聴覚過敏症の人が増えているのかと思ってしまう。その上、嗅覚過敏症も増加中のようで、職場の誰それが臭い、加齢臭がきつい、口臭がきつい、洗濯物が臭い、あれが臭う、これが臭いとトピックを立て、頭痛や吐き気がすると訴える。前に慢性副鼻腔炎になると鼻の奥で存在しない臭いを感じると聞いたことがあるけど、日本人には蓄膿症が多いんじゃなかったかなあ。

過敏化しているらしいのは聴覚や嗅覚だけじゃない。視覚過敏症はもう先鋭化している感じで、顔かたちや容姿から男の頭髪の多寡、利き手から箸使い、服装のあれもこれもみんな見苦しい、違和感があると訴え、しまいに視覚過敏症の自分に配慮しないでビジュアル攻撃をかけて来る非常識な人が育った環境まで分析してくれるからすごい。特に他人が持って生まれて来た(その人にはたぶんどうすることもできない)個性に「正しいマナーと秩序でできている視野」を撹乱されて過敏症状が出るとしたら、どう見ても普通じゃないという感じがするけど、たぶん「お育ちが悪いのね、かわいそうに」と思うことで症状を和らげようとしているのかもしれないな。もっとすごいのになると、嫌いな食べ物は視野に入っただけでも「おぇっ」と吐きそうになるという偏食家がずいぶんいるらしいし、目の前で他人が食べるのを見ていると吐き気がするという重症例もあるらしい。ここまで来たら何か未発見の精神疾患があるんじゃないのかと疑ってみたくなる。

感覚過敏症が進行を続けると、そのうち鏡に映った自分が左利きに見えたり、醜いアヒルの子に見えたりして、そのあまりの違和感に「おぇっ」となる人も出てくるかもれしないな。そんなところまで行ったら視覚的に自分自身に対して拒否反応を起こすようなもので、イライラ病や不安神経症よりも性質が悪そうな気がする。もっとも、そういう五感過敏症が蔓延している環境の中で毎日を過ごしていたら、たぶんそれがごくあたりまえの状態で誰もおかしいと思わず、おかしいのは何千キロも離れたところでちょっと異常じゃないのかと心配?しているオマエの感覚の方だろうが!と言われてしまいそうだけど・・・。

世界は今日もあれやこれやと忙しい

5月7日。月曜日。一連の仕事が終わって、小さい単発仕事がひとつあるだけになったら、何だかやたらと眠い。良く寝ているはずなのに何でこう眠いのかと考えてみたら、なぜか夢の中でせっせと仕事をしているんだよね、これが。酔狂もいいところだけど、なぜか日本語原稿の単語の意味がわからないと、ウンウン言いながら英語を考えている。いったい、どうしちゃったのかなあ・・・。

あんがい、時節柄ここのところいろんな発表会で使う、「電報式」とでもいうのか、完結文がない仕事が多かったからかな。そうでなくも日本語は主語がはっきりしないし、行間を読んで想像を働かせないと何を言いたいのかわからない「暗黙の了解」的な文章が多いのに、それを項目にされてしまうからますますわからなくなる。そういうのをありったけの知恵を絞って訳したのに、客先の客先は「これはかくかくしかじかのところなんちゃらかんちゃら、というニュアンスなんですが~」と後出しして来る。おいおい、それはニュアンスなんかじゃなくて、そっちのお家の事情でしょうが。たったひとつの単語にそんなに奥の深~い「ニュアンス」を込められても困りますがな、もう。夢にまで出て来て、安眠妨害もいいところ。

今日は税務署から2人分の確定申告の確認通知がもう届いた。へえ、早いなあ。昔は1ヵ月か2ヵ月経って送られて来ていたのに、電子申告の指示書にサインして会計事務所に送ってから2週間足らず。今年は、カレシは追加納税(済)、ワタシはかなりの還付があるけど、金額は申告の通り。今年はカレシが約16万円の追加、ワタシが約37万円の還付で、差し引きざっと20万円。ひょっとしたらと思って銀行の口座をチェックしたら、あはっ、もう入金している。ずいぶん早くなったなあ。小切手が郵送されて来ていた頃はやっぱり1ヵ月以上かかっていたもんだった。サービスが良くなったのかどうか知らないけど、還付は払い過ぎた税金なんだから、早く返してもらった方が気分がいいことはたしか。

朝食を食べながらテレビを見ていたら、世の中は相も変わらずいろんなことが起きている。アメリカ競馬の名門ケンタッキーダービーで劇的な逆転優勝をした騎手は6年前にメキシコからバンクーバーに来て、地元競馬で好成績を挙げていたんだそうな。メキシコから来たときはまったく英語が話せなかったそうで、ゼロから始めてたったの6年であのレベルはすごい、とカレシは感心のしまくり。もちろん寝ても覚めても英語しかない環境だったからだと思うけど、それにしても、本命から5馬身遅れていたのが、ホームストレッチで馬の胴体がぐ~んと伸びたように見えたくらいに追い上げて、1馬身半の差で堂々とゴールイン。すごい迫力だった。全力疾走する馬の姿はほんとに「美しい」のひと言に尽きるなあ。

フランスの大統領選挙はサルコジが負けて社会党のオランド。ギリシャでは超緊縮財政を実行する連立政権が成立しなかった。ユーロ圏はどうなるんだろう。ドイツもEU経済の建て直しがやりにくくなるかな。EUが急速に東へ、南へと拡大し始めた頃、なぜかワタシはこりゃ危なっかしいなあという印象を持った。豊かな国とそれほど豊かじゃない国と発展途上の国とがひとつになって、市場の国境を取り払い、単一通貨を持つというのは、理想としてはすばらしい。すばらしいんだけど、所詮EUはローマ帝国とは違う。経済クラブみたいな感じで、会員の生活水準に目立った格差がないうちは和気藹々でうまく行くだろうけど、大きな格差のある会員が急に増えると、同じ(高い)水準に追いつこうと急ぐし、そこで通貨が同じで借金しやすいとなると、何かと問題が起きてくる。まあ、早くアメリカに対抗する勢力になろうとしたんだろうけど、ワタシにはEUは急ぎすぎた実験という感じがするな。

夜になって、新聞サイトを見ていたら、サンフランシスコで日本の若い副領事がDVで逮捕されて、保釈金を積んで釈放されたというニュース。こういう事件では外交官の不逮捕特権は通用しないんだそうな。奥さんの歯を折るくらいの暴力を振るっておいて無罪の主張も何もないだろうと思うけどね。バンクーバーでも日本総領事がDVで逮捕されたことがあったな。警察の取調べに「家で女房を殴るのは日本の文化なんだ」と主張したとかで、地元の新聞にでかでかと載ってしまった。この人は罪状を認めて、犯罪歴の残らない温情判決をもらった。日本に呼び返されてからはせいぜい軽い減給処分になった程度で、キャリアにはさしたる傷がつかなかったらしい。その後(ほとぼりが冷めた頃?)大使に出世してどこかの国に赴任したという話を聞いたな。エリートだったからかな。でも、今度の事件はどうなるんだろうな。アメリカだからなあ・・・。

こんなんで良いのかとは思うけど

5月9日。水曜日。いい天気。日が高くなって来ると晴れた日はいやでも暖かくなる。まあ、夜はまだちょっと季節外れに低温がちだけど。今日はわりと早めに目が覚めてしまって、しょうがないから正午前に起きた。シーラとヴァルが掃除に来てくれて、ワタシはワンちゃんのレクシーのお相手。シーラが園芸センターで苗を買ったときについてくるプラスチックのポットをたくさんカレシに持って来てくれたので、大きな袋にいっぱい貯まっていた1セント銅貨を引き取ってもらった。もう製造が中止になったし、慈善団体に寄付しようにもワタシたちのことだから、忘れっぱなしでそのうちお金として使えなくなってしまうだろうから、今のうち。

きのうはにわか雨のように降ってくる追加依頼に捕まってヘンに忙しかった。ひとつの語にワンセンテンス分の経緯を詰め込んで「そういうニュアンスを訳せ」とのたまわったところだけど、日本では今日が「その日」らしく、発注担当者がかなり焦っていたらしい。きちんと完成させてから翻訳を発注すればいいものを、納品してからも1行、2行と追加が来て、そのたびにちゃちゃっと訳しては送り返すんだけど、やれやれと思っているとまた2、3行、さらに2、3行と、とにかくちょぼちょぼと後出しで、その合間にも確認や質問が来る。こういうのは集中できなくてやりにくい。海外にも名の知れた一流企業なんだから、もうちょっと効率的にやれないもんかと思うけど、最近はこういうケースがよくあるような気がする。大丈夫か、ニッポン企業・・・。

それにしても、次の仕事にかかったのに、中断に次ぐ中断で、ついにはあきらめて一晩中スタンバイ状態でお相手をしたけど、何となく幼稚園からずっとお受験人生を過ごして一流大学に入り、めでたく大企業をゲットしたサラリーマン2年生あたりの若者が、プレゼンの作成を言いつけられて苦悶しているところを想像してしまった。「これでどーでしょーか」と上司にお伺いを立てるたびにあれこれとダメ出しされて手直し、追加発注。そんなことをやっているうちに上司から「言っている意味わかる?」とか、「そんなこともわからないのか」と言われてますますおたおた。しまいにエージェンシーまでが「あちらでは夜中を過ぎて待ってくれているんですが、残りはまだですか~」とプレッシャをかけて来る。何だかかわいそうな気もして来るけど、それが社会人になるってことだから。まっ、ごくろうさまぁ~(は付き合ったワタシに言うことかも・・・)。

読売の英語版に最近の新人社会人は35%だかが上司に「言っている意味わかる?」と言われると重圧感を感じ、次いで「そんなこlともわからないのか」だったという記事があった。そんなんでへこむなんて、世界に名だたる企業戦士たちもずいぶんとひ弱になったもんだなあ。大学生についての別の調査では、大学が伸ばすのが難しいと感じている能力として、「粘り強さ・ストレス耐性」、「環境への適応能力」などが上がっていた。ワタシが子供だった頃は「我々日本人は非常に順応性に富む国民である」と教えられたもんだけどな。まあ、小町横町でも仕事や人間関係にしんどい、疲れた、やめたいという愚痴が多いから、今どきの若い人たちにはほんとに忍耐力も適応力もないんだろうな。「やれない、やらない、やりたくない」か・・・。

ゆとり教育、過保護、過干渉・・・いろいろ理由はあるんだろうけど、その中でも、いわゆる「ゆとり教育」は日本の教育政策の大失敗として後世に残るかもしれないな。前に小学校の理科の文科省検定教科書を見る機会があって、こんなんでいいのかなあと思ったもんだけど、なにしろ教科書というよりはマニュアルという感じ。失敗しないように、決められた以外の答がでない仕組みになっているという印象だった。実験材料も全部予めパッケージしてあるんだろうな。自主研究とやらのレポートも親切にテンプレートと言えそうな例が用意してあったし、復習問題に至っては「わからなかったら○○ページを見てね」みたいなもんで、自分の頭で考えなくてもマニュアルのステップを忠実に追って行けば所定の結果が出るように作られているとしか思えなかった。

教育政策の失敗を是正するには世代交代を待つしかないんじゃないか思うけど、「ゆとり世代」がやがて「脱ゆとり世代」の新人と対峙するようになる頃のニッポン企業がどんなものか、ワタシには想像もつかない。まあ、その頃にはワタシはとっくに横丁の半ボケご隠居さんになっているだろうけど、ここはボケないうちに次の仕事をやらなきゃ・・・。

さっさとやってよ、もう・・・

5月10日。木曜日。おお、すご~くいい天気。ちょっと風が冷たいけど、週末には平年並みかそれ以上の陽気になるらしい。そろそろクーラーの稼動再開準備をしなきゃ。5月の中旬になってのスイッチオンはちょっと遅めだな。やっぱり春が遅かったということか。

今日は二階バスルームのシンク用蛇口セットの調達にでかけるので、朝食後にまずメールだけチェック。はあ、またまた追加?それも日本語数文字ずつが4つ。ついでに「何でこんなことがわからないのっ?」とキレたくなるような質問。そんなのTOEICが400点もあれば自分で辞書を引いて解決できるでしょうがっ。いい加減にしてくれ。1万円の仕事に2万円もかけるバカがいるかいな。ひょっとして、客(神様)だから24時間即応サービスをしてもらって当然だと信じ込んでない?それがすばらしい日本の「サービス」のあり方だと思ってない?狂乱バブルはとっくの昔に潰れたんだけど、アタマ、大丈夫?有名企業かもしれないけど、人間をロボット扱いしていたら先は暗いんじゃない?でもまあ、ワタシは郷に入ってないから、郷に従わなくてもいいよね?

堪忍袋の緒がほつれて切れたワタシ、えいやっとそのままお気に入りのトートバッグを肩にお出かけ。1週間くらい前にセットをシンクに固定している止めナットが割れて、温水側のハンドルを回すたびにずれるようになり、そのストレスで冷水側のナットも壊れてしまった。セット全体を片手で押さえながら使うことはできるけど、そのうち配管の接続部に無理がかかって来そうなので、緊急の問題。今の蛇口は技術が進んでハンドルを軽く回すだけできちっと水が止まるんだけど、カレシが昔の癖で「しっかり」回しているうちにプラスチックのナットにひびが入って壊れてしまったらしい。それを指摘したところで、カレシはそんなことしていないと言うに決まっているけど、ボタンやハンドルを強く押しすぎたり、逆に押し方が足りなかったり、なぜかそのあたりの手加減がうまくつかめないらしい。

ま、地下鉄でオリンピックヴィレッジ駅の近くにある元のセットを買った専門店に行って、同じモデルがあればいいけど、9年前のものだし・・・と思いながら見て回っていたら、バスタブのと同じデザインのものがあった。バスタブ用があればマッチするシンク用もあるはず。さっそく在庫があるかどうか聞いてみたら、倉庫から取り寄せるので来週の火曜日には到着するとのこと。良かったあ、ばんざ~い!それまではダクトテープで固定してだましながら使えばいい。約2万円といいお値段だけど、これでも一番安いクローム仕上げ(最初にクロームにしておいてよかったな)。量販店で似たようなデザインのものを半額以下で買えるとしても、薄利多売用のものはブランドは同じでも所詮そのレベルの質でしかないから、こんなところかな。

蛇口の調達が済んだので、道路を渡って向かいのBest Buyで電話機を探しに行く。ここのところ、カレシのデスクの上にあるコードレス機の電池が続かなくなったし、充電中に熱くなるとうるさい。まあ、キッチンの電話も古くなって雑音がひどかったから、親子式機種で一石二鳥を狙い、最終的にハンドセットが3個あって、カレシが「絶対に必要」というスピーカーフォンと、ワタシにはうれしい「インタコム」機能が付いたものを調達。まったく、必要なものがあるならさっさと自分で調達して来ればいいじゃないかと思うけど、そこはいつも誰か(ワタシ)が買って来てくれるまで「新しいのが必要だ~」と言い続ける、筋金入りの「ヤッテちゃん」のカレシ。ワタシが「さっさとやっちゃ王女様」でラッキーだよねえ、ほんと。ベースは今まで通りカレシのデスクに置き、1個はキッチンに、3個目のハンドセットはワタシのデスクに。これで、本棚をぐるっと回ってカレシのデスクまで取りに行かなくても、いつでも電話を使えるぞ。(といっても、ワタシはあんまり電話はかけないんだけど・・・。)

落ち着いたところで「追加」を送ってあげた。返事が遅れたことをああでこうでと謝って、お客さんには効率的にまとめて送るように言ってねと、やんわりとお願いメモもつけた。こういう仕事をしていると、ひょんなところで企業の「ん?」なところがちらっと見えたりするからおもしろい。さて、キーボードの文字が消えてしまったので、ついでに衝動買いで調達して来た新しいキーボードとマウスに切り替えて、次の仕事のスタンバイ。今度のマウスはちょっと小ぶりで、指が短くなるばかり?のワタシの手に優しそう。お~い、肝心の原稿はまだかいな。こっちも人を待たせる「ダラダリアン星人」じゃないといいけど、そうだったらもう仕事は引き受けないよぉ・・・。

異国へ飛び立つ娘を見送る父親の心境

5月12日。土曜日。やっと5月らしい天気。何だかどこかへのんびりと散歩にでも行きたくなるような陽気。だけど、あ~あ、残念ながら今日も退屈な仕事・・・。

今日5月12日、ワタシが日本を離れてカナダに渡ってきて満37年になる。37年というと、ワタシの人生のほぼ60%。日本で日本人に生まれはしたけど、カナダで暮らして来た年月の方がそれだけ長くなったということで、これからも長くなりこそすれ、短くなることはありえない。それに、今年は日本国籍だった年月とカナダ国籍で生きてきた年月が等しくなる。これからは「カナダ人」として生きる年月の方がどんどん長くなるわけで、はて、何らかの感慨を持つべきなのか。でも、ワタシの人生は「今」が一番幸せなときだと思うから、これから年をとるごとに「今が一番幸せ」と思える限りは、もうそれ以上望むことはないんじゃないかという感がする。だって、いつでも「今」が一番幸せと言うことは、少なくとも人生が悪い方には向かっていないということだ思うから。

これまでの人生の約60%、37年という年月が長いものなのか、あるいは短いものなのかはワタシにはわからない。生まれてから64年の「人生」というタイムラインの先端にあるのが「今」であって、その「今」がこの先どこまで延びるのかは神のみぞ知るで、ワタシにはわからない。まあ、まだ「今」を通過していない時間を予見する術はないし、未来を見通せないことによる「不安」は見かたによっては常に「考えろ!」と囁き続けてくれるポジティブなストレスでもある。自分の「未来」がわかってしまったら、良くても悪くてもそこで一気にやる気がなくなってしまいそうな気がするし、何よりも、この「今」は常に人生という名の「時間の流れ」の最先端にあるというのはちょっとしたスリルを感じる。

ちょうど37年前、昭和50年5月12日の今日、ワタシは千歳空苦で両親に見送られ、羽田空港で妹に見送られて、カレシと一緒の人生の第一歩を踏み出すべく日本を離れた。まだ成田空港は完成していなくて、ちょうど日本を訪問していたエリザベス女王夫妻が帰国の途につく日と重なった羽田は何だか物々しかったように思う。(考えたら、生まれて初めて飛行機に乗った日がたまたま日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件が起きた日で、大阪行きに乗り換えるために降りた羽田は薄暗くて、警察官だらけだったな。あれは札幌と大阪の間に初めて直行便が就航する前の日だった。)その37年前の5月12日、当時の千歳空港での父と娘の後ろ姿・・・。[写真]

不確定要素が多いのに、ひたすら「愛する人のところへ行くのだ」という幸せ感だけで胸がいっぱいの娘と、その不確定要素を知っていて、搭乗口に向って歩いていく娘の後ろ姿を黙って見送る父。いつもワタシの(もしかしたら唯一無二の)良き理解者であった父。この写真を見るたびに、あれから37年経った今でも胸がじ~んと熱くなって目が潤んで来てしまう。気軽に里が得るができるような格安の航空運賃はなかった。格安で便利な国際電話もなかった(まだ交換手を通していた)。メールもインターネットもスカイプも何もなかった。まだ、太平洋には物理的な距離感が厳然としていた。その37年前のあの日、生まれるときから成人するまで何かと手のかかる子だったワタシが異国へ飛び立って行くのを、父はどんな気持で見送ってくれていたんだろう。

かろうじて母の死に目に会えたワタシに「間に合ったんだから親孝行したんだ」と言って慰めてくれた父。その父の死に目にもかろうじて間に合ったワタシ。もう言葉を交わすことはできなかったけど、「最後に孝行した」と思ってくれたかな。その父の死からもすでに20年。長いのかなあ。短いのかなあ。でも、お父さん、ワタシは「今」とっても幸せだからね。お父さんの人生にいろいろあったように、ワタシの人生にもいろいろあった。でも、ひとつだけ確実に言えることは、ワタシはあの日ひとりで日本を飛び立ったことを後悔したことは一度もなかったということ。これからもいろいろあるだろうけど、ワタシ、大丈夫だから・・・。

とうとうぶっ倒れた、は大げさだけど

5月15日。火曜日。今日も初夏を思わせる天気。今日はちょっと早起き。といっても起床は午前11時過ぎだけど、10時間以上も眠った勘定になる。一度も目を覚まさずに、とにかくひたすら眠った感じがする。まあ、よく眠れてよかった。ベッドに入ったときはどうなるかと思ったから・・・。

そうなんだ、ゆうべはとうとう「ダウン」してしまった。夕食後に仕事をひとつ終わらせて納品してしまおうとキーを叩いていたら頭がくらくらして来た。やけにごちゃごちゃしたパワポでの作業だから目がちかちかして疲れるんだよなあ、なんて思っているうちにだんだん視線が定まらない感じになって来て、おまけに吐き気がして来た。仕事が進まなくなって「ちょっと」横になったのが午後10時過ぎで、「ランチの時間だ」とカレシに起こされたのが真夜中。なんか空腹感があったので軽いランチを食べて、仕事に戻ったけど、ダメだ。後1ページくらいで終わりというところなのに、めまいはするし、冷や汗がわっと出るし、吐き気はするし・・・。

期限は今日の午後だったこともあって、もうほんとにあと一歩というところでどうしようもなくなって仕事を諦め、ふらふらとベッドに潜り込んだのが午前1時ちょっと前。身体的にしんどくなったというよりは、精神的なバッテリが上がってしまったというところだと思う。ここのところ、そうでなくても仕事の予定がびっしりなのに、たった何文字かの追加注文だとか、まともに校正できる人はいないのかと思うような質問がまるで降るか降らないか決めかねている雨みたいにぽつん、ぽつんと来るし、そんなときにカレシが食料の買出しに行く予定をどたん場で変えて来る。木曜の夜ということだったのが、土曜の夜になり、日曜の午後になって、そして当日の朝に「夜になってから行こう」。さすがに予定が狂ってやりにくいと文句を言ったら、カレシがしぶしぶ「じゃ、今から行こう」。あのさ、その手には乗らないのよ、ワタシ。さんざん振り回しておいて、ワタシがうるさいから「合わせてやった」とむくれられるのはごめんだって。

結局買い物は日曜の夜に済ませたけど、ワタシが商売相手のご機嫌を取っているように見えるからって、いい年をして「ママ~っ」とばかりにヤキモチを焼くこたあないでしょうが。お金を払ってくれる商売相手だから(もちろん妥当な範囲で)ご機嫌を取ってるんだから。それが商売ってもので、それがワタシの生計なんだからね。まあ、諸般の事情からカレシにはわからないとわかっているから、そこまでは言わないけど、言わないからどうしてもストレスが雪のようにしんしんと積もる。(どこかで「雪はね」をしないとそのうち豪雪に埋もれてしまいかねないから、ブログで「王様の耳はロバの耳」みたいなことを言っているわけだけど・・・。)

メンドクサイ客の相手とこうしてときどき輪をかけてメンドクサくなりたがるカレシの間に挟まれてイライラしながら、ワタシはこれまた諸般の事情に触発されて何となくカレシとの関係の精神的な「収支」のようなことを考えていた。端的に言ってしまえば、カレシについては「赤字」なのは明らかなんだけど、周囲の家族や友だちが何かと補填してくれているし、自分でもある程度穴埋めができているから、連結方式ならまだ十分に黒字だと思う。でも、けんかしたときにカレシが目を見開いて左右に激しく動かすことがあるのがどうも異常じゃないかと思っていたのが、どうやらパニックの症状らしいとわかって、カレシ部門が今後黒字に転じるのは難しそうな感じ。つまり、カレシと真っ向からけんかしたって生産的じゃないということで、「赤字転落」を避けるためには「経営方針」を見直して、赤字部門を補填して、梃入れするか・・・。(あ~あ、△印だらけの決算短信の翻訳をやりすぎたみたい。)

まあ、それやこれやで気づかないうちにストレスがたまって、ちょっとばかり自律神経が失調を来たしてしまったというところかな。でも、10時間寝て起きたら元気いっぱいというのは、重みで屋根が潰れるところまで行かなかったということで、安心材料かな。やり残した仕事もちゃんと期限通りに納品したし、またまた(今度はまとめて)飛んできた「なんで~」というような質問にもまじめに答えたし、カレシは「あんまり働きすぎない方がいいよ」なんて、やさしいことを言ってくれるし、ワタシの精神部門の業績はどうやら上向きの兆し・・・?