リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年2月~その3

2013年02月28日 | 昔語り(2006~2013)
女は男の3倍しゃべるようにできている

2月21日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。カレシの耳のところで「起きろ~」と言ったら、「何にも聞こえないよ~」。(またいつの間にか耳栓をしている。)それではということで、ワタシの側のスタンドでピーコ、ピーコと鳴っている時計をつかんで、カレシの耳にくっつけたら、「あれ、なんかやたらよく聞こえるな。もう起きる時間かあ」。

あはは。世のダンナサマ族に多く発症するといわれる「突発性選択的聴覚障害」というやつね。このビョーキ、なぜか突発的に女性の声が聞こえなくなるのが特徴で、広い年齢層の成人男子に多発するという。人種や環境にはあまり関係がないようなので、ヒトのオスに何らかの共通する遺伝子異常があるのかもしれないな。

昼のニュースによると、遺伝子の転写調節因子のひとつに、FOX群に属するFOXP2という言語の発達と操作に関わるたんぱく質があって、これがヒトでは男の脳に比べて女の脳に30%も多くあることがわかった。(ただし、ねずみではオスの方がこのたんぱく質を多く持っていて、メスよりもよくチューチュー泣いてママねずみの注意を引いては世話をしてもらうんだそうだけど・・・。)なるほど、どうりで女の子は生まれつき口達者なはずだな。つまり、ヒトでは女の方が言語能力、ひいてはコミュニケーション能力が高いと言うことで、ワタシの生業では女性の同業者が圧倒的に多いのにもうなずける。

何でも、平均して女は1日2万ワードもしゃべるのに対して、男は7千ワードしかしゃべらないんだとか。え、たったの2万語?というダンナサマ族も多いだろうけど、ここはまあ、女が2万語もしゃべるから男の方はたったの7千語しか口を挟めないんだと思ってみたらどうだろうな。だから「突発性選択的聴覚障害」が起きるんだ、と。あんがい、男の脳の聴覚機能を掌る遺伝子を調べたら、耳に入ってくる声のピッチによって聴覚のオン/オフを瞬時に切り替えられる特殊なたんぱく質が発見されるかもしれないな。

そんなたんぱく質が発見されたとしたら、ワタシは「OUTFOXP2」と名づけるだろうな。おしゃべりなFOXP2をoutfoxする(裏をかく、出し抜く)たんぱく質という意味だけど、あまりピリッとした洒落にはならないか。でも、ワタシなんかしゃべらせると3万語は行っちゃいそうだから、突発的にワタシの声が聞こえなくなるらしいカレシには、もしかしたらこのOUTFOXP2があるのかもしれないなあ。

中国では女独身27歳は「残りもの」だって

BBCのサイトに「China’s ‘leftover women’, unmarried at 27(中国の「売れ残り女性」、27歳未婚で)」と言う記事が載っていた。中国版「クリスマスケーキ」というところだけど、27歳を過ぎても独身の大都会で働く高学歴の女性をよりによって政府がそう名づけたと言うところがおもしろい。なんで「27歳」なのか。中国でも都会では晩婚化が進んで、女性の平均結婚年齢が27歳になっているらしい。

英語記事に「sheng nu」とあったので、あちこちググッたら中国語では「剰女」。日本語的に字面を見ると「女性が余剰」という印象だけど、一人っ子政策で人口の男女比が狂った中国では女性は余っていない。30歳以下では女性よりも男性が2000万人も多いそうだから、現実は極端な「男余り」・・・。

じゃあ、中国の高学歴のいわゆるアラサー女性は結婚相手を選り取り見取りにできて、不毛な婚活でお疲れの日本の女性たちを羨ましがらせるんじゃないかと思われるんだけど、現実はそうは問屋が卸さないらしい。家族や周囲、はては国からの圧力が高まるのに、なかなか結婚(したい)相手が見つからない。北京でラジオ局に勤める29歳独身女性によると、年齢や教育水準で「A級の男はB級の女を探し、B級の男はC級の女を探し、C級の男はD級の女を探すから、最後にA級の女とD級の男が残るわけ。つまり、「剰女」はA級の女ってことなのよ」。な~るほどっ。

記事にあった国連の統計グラフによると、2012年の25~29歳の独身女性の割合はイギリスが一番高くて70%以上、次いで日本が60%くらい、アメリカが45%くらいで、中国はまだ20%程度。言い換えれば、80%が30歳になる前に結婚している勘定だけど、政府が先頭に立ってアラサーの未婚女性に「売れ残り」とラベルを貼って、早く結婚しろと圧力をかけているのは、高学歴の女性に子供を生んでもらって人口の「質」を向上させたいという思惑と、溢れかえっている独身男の欲求不満が社会不安を引き起こすのを防ぎたいという思惑があるらしい。

そういう中国政府の旗振り役をしている全国女性連盟は、「カワイイ子は大して教養がなくても金持と結婚できるが、それが難しい人並やブスは高等教育を受けることで競争力を高めようとする。悲しいかな、女の価値は年を取るにつれてどんどん下がるから、修士号や博士号を取得した頃にはとうの昔に古い「黄ばんだ真珠」になってしまっているのだ」と、国営のメディアで結婚相手を「選り好み」をする高学歴女性を批判したというから、ああ、男女平等のはずの「共産主義」中国でも「女の敵は女」ということか。

でも、29歳のプロフェッショナルな女性曰く、「独身はそんなに悪いものじゃないわ。ひとり暮らしだと何でも好きなことができるし、仲良しの独身友達もたくさんいていつでも遊べるし、仕事は気に入っているし、人生は楽しいわ」。そんな彼女もいつか「ぴったりの人を見つけたいとは思う」けど、それは成り行きまかせにしかならない。結婚しなければならないから結婚するなんてごめんよということか。誰に「残りもの」と揶揄されようが、中国の「A級女性」は意気軒昂で、頼もしそう。

ワンコのつもりのニャンコ

2月22日。金曜日(日本時間で仕事をしているとどうしても土曜日に思えてしまう)。いっときかなりの雨が降ったらしいけど、よく眠って、目覚めは午後12時30分。チキンベーコンを焼いて、目玉焼きを作っていたら、食べ終わる頃には夕食時になってしまうので、急遽いつものシリアルとトースト。

電話が鳴り出して、発信人はお隣さんのパット。「ハリスがねずみを捕まえて来た」と。パットは大の猫好きで、ハリスはそれを見抜いてちゃっかりと居ついたオスの元のら猫。ネズミ捕りが得意で、けっこうご近所さんから感謝されている。

これがまた精悍な面がまえのニャンコで、散歩しているパットの後を、あっちのやぶに鼻を突っ込み、こっちの隙間をのぞきしながら、のそり、のそりと歩いているのを見ると、もしかしたて自分はワンコだと思っているんじゃないかな。夜、パットが裏口からピュッ、ピュッと口笛を吹くと、外に出ていたハリスがどこからともなく風のごとく戻ってくるんだとか。う~ん、やっぱりワンコのつもりか・・・。

ハリスは我が家も自分の縄張りにしているようで、ときどきうちのガレージの屋根のてっぺんから世界を睥睨している。ある日、外から帰ってきたら、ゲートの外にハリスが不動の姿勢で座っていて、それが神社の狛犬のようだったので吹き出してしまった。当のハリスはワタシをちらっと見て、「お、帰って来たんか。じゃあ、またな」と言わんばかりにのそっと生垣の角を曲がって行った。猫にまたたび三度笠ってね。人にじゃれたがる犬と違って、猫にはなんとなく孤高の生き物という雰囲気があるけど、そのオーラを振りまくところは、ハリスもやっぱりニャンコなのだ。

ねずみ捕獲の報告を聞いたカレシ、「今日はキャットフードをおまけしてやってくれ」。

ケベックではパスタをパスタと呼べない

歴史的にイギリスとフランスは仲が悪い。どっちもそれぞれの歴史と言語と文化に強い愛情と誇りを持っているし、どっちもまさに遺伝子のレベルで頑固と来ている。だけど、世界史の中で見るとフランスの方が負けが込んでいるような感じ。おまけに、どういうわけかフランスには負け組を選ぶ癖があるみたい。

北米では18世紀の7年戦争でイギリスに負けて植民地ケベックを取られ、19世紀初頭にはナポレオンが広大なルイジアナを新興国アメリカに二束三文(現在の貨幣価値で1ヘクタール当たり100円くらい)で売ってしまって、おまけにそれを(最後には負けた)戦争ですってしまったし、その甥のナポレオン三世は東洋の島国の今にも倒れそうな幕府の後ろ盾になって、結局アジアでの覇権への野望が潰えたし・・・。

フランス軍を打ち破ってケベックを分捕ったイギリスは鷹揚な気分になって負け組ケベック人にフランス語とフランス型統治の維持を認めた。それがそもそもカナダの頭痛の種である「ケベック問題」の始まり。ケベックを慮ってフランス語を英語と共に連邦政府の公用語にしたのに、景気がいいときは自分たちのフランス語、フランス文化が優秀だからとでかい態度を取り、不景気になると独立をちらつかせて連邦政府に無心のし放題。前回の州民投票では独立が否決されたのはアングロフォン(英語系)が「外国人」を煽って反対投票させたせい。ケベックが衰退気味なのもアングロのせい。このままではフランコフォン(フランス語系)は絶滅危惧種になる・・・。

ということで、ケベックでは分離派政党が州政権に返り咲いて以来、反アングロの風潮が高まっているらしい。ケベックは看板や広告などでのフランス語以外の言語の使用を制限していて、違反を取り締まる「言語警察」と呼ばれる機関まである。最近その泣く子も黙る言語警察がメニューの料理名をイタリア語で表示していたレストランを摘発して、全国から「アホか~」と呆れられている。パスタは世界のどこでもパスタで通るのに、ケベックではpâteじゃないと言語警察のガサ入れを食うわけ。オーナーは「イタリア料理の名前をイタリア語で書いてどこが悪い。説明は全部フランス語で書いてあるじゃないか」と大むくれ。唯一イタリア語が認められたのはpizzaだったとか。ピッツァはもろにイタリア語なのに思ったら、相当するフランス語がないからOKなんだと。アホか、まったく・・・。

日頃から気位が高くて、金がかかって、怒ると「離婚届」を突き出して相手をねじ伏せようとする鬼嫁みたいなもんだと思うけど、大きな声では言わないけど、早くリコンして出て行ってくれないかなあと思っている人は多いだろうな。たしかにカナダ全体のフランコフォンの割合は低下するばかりだけど、生粋のケベコワは「じわじわと絶滅に追い込まれている」と被害妄想。まあ、フランスも純正フランス語とフランス文化の栄華の維持に必死だから、本家の血筋なのかもしれないな。そこへもってして、ドイツの大統領がEUを抜ける気満々のイギリスを懐柔する?ためか、英語をEUの言語にしようと提案したらしい。フランス語じゃなくて、よりによって宿敵の英語。はて今度はフランスが侮辱されたとむくれてEUを出るとか言い出すのかな・・・。

ため口で営業トーク?

2月23日。土曜日。近いところで何かが轟音を立てているのを夢うつつに聞きながら、わりとよく眠った気分で、起床午前11時40分。やった、正午前。外は上々の天気。轟音の主は電力会社のトラック。裏のレーンで何やら作業をしていたらしい。

朝食後、カレシは今夜の豆サラダを作り始め、ワタシはぼちぼちと仕事。期限は日曜日の午後4時。まあ、残りは1日分だから何とかなるか。次の仕事は期限までたっぷり余裕があるし。仕事と言えば、きのう来ていた引き合いのメールをどうしよう。ニューヨークの聞いたこともないところから10万語だかの大仕事があるという引き合い。そのメールの口調がもろにため口だったもので笑ってしまった。ざっと訳すと、

「よお。今度うちでで大型の仕事をゲットできそうなんだけどさ、○○協会のサイトで見たら、アンタ、経験がありそうなんで、ちょっとメールしてあげたわけなんだ。どお、やってみる?どんだけやれるか、メール、待ってるよ」

という感じかな。あのさあ、そっちが翻訳会社というビジネスなら、こっちだって翻訳事務所みたいな自営業ビジネスなんだからさあ、一応は。ちょっとばかりため口過ぎやしない?そもそも、仕事をゲットできそうってだけでしょ?ゲットしてから持ち込んでくれないかなあ、そういう話。取引実績も何もないんだから、「仕事を回してやろうと思ってさ」みたいなことを言っても、食指一本動かないんだけど。

アメリカでまた日本企業が絡む訴訟があるんだろうけど、推定10万語が正しいとするど、ひとりなら毎日休まずに作業をしても最低50日はかかるな。ま、そんな悠長な期限があるわきゃないので、フリーランサーをかき集めて分担させるわけで、何社もいっせいに同じことをやるから、同じ案件らしい引き合いが知らない会社2、3社から来たりする。俗に「生徒に教えられない先生は先生に教える」というジョークがあるけど、言い換えると「デキない翻訳者は翻訳会社を作る」。もちろん、デキる翻訳者が作ったデキる翻訳会社はたくさんあるけど、引き合いのやり方からしてプロフェッショナル度が違う。

まあ、こんなため口で営業トークするんじゃ、この会社の信用格付けは「疑問符3つ(???)」。名前はいかにもデキそうなかっこいい響きだけど、なにせ、取引実績のない翻訳者をかき集めるくらいだから、お手軽アルバイトに払うようなレートを提示して来そうだし、それさえ払ってもらえる保証もない。こっちはさあ、オトモダチに「アタクシ、翻訳やってんのぉ~」と言うために翻訳やってんじゃなくてさあ、ナリワイとしてまじめに誠心誠意で仕事してるんだよねえ。だから、アンタもさっ、ちょっとビジネス英語を勉強して、出直してくれる?もっとも、もう「削除」ボタンを押しちゃったんだけどさあ・・・。

バカていねい語もいいけれど

2月24日。日曜日。けっこういつもより早く寝たのに、なんで起床が正午過ぎなのか。季節の変わり目だからなのか。よくわからないけど、ここのところなんとな~くかったるい気分。天気は一転してまた雨模様・・・。

朝食後、読みかけのビル・ブライソンの本を一章だけ読んで「出勤」。午後4時の期限に向けて、最後の見直しにかかる。(あと2週間で「夏時間」。朝一番が午後5時になるのが待ち遠しい。)企業のウェブサイトに載る客向けの情報だから、原稿はこってこての「敬語」。そこまでへいこらする文章を書かなくても良さそうなもんだと思うけど、そこは「お客サマは神サマ」の国。それに、巷でも新種のていねい語を多用して、(相対的に)「人より格が上」の自分を演出しているようなところもあるから、企業の文書にもそれが現れて来るということか。

翻訳は言語Aを言語Bに正しい用語を使って置き換えるだけの作業ではなくて、分野ごとにそれぞれの文体があるから、何でも屋のワタシは弁護士になったり、裁判官になったり、学者さんになったり、企業の課長サンになったり、心療内科医になったり、お役人になったり、ちょっぴり気取った広告クリエイターになったりと、いろんな役を演じることになる。文書を通じて人さまの思考の中に潜り込むようなところもあるんだけど、この何かヘンなねちっこさを感じさせる今どき風ていねい語的な言い回しのビジネス文書に出くわすと、ため息のつきまくり・・・。

件の原稿はたぶん若い人が書いたんだろうけど、バカていねいなのはいいとしても、謙譲語の使い方を間違えて、神サマの方を格下げしてしまった文まであった。そのままで会社の公式サイトに載っていたら、知らないよ、キミ。まあ、神サマの方でもよくわかっていなくて上からものを言われたことに気づかないかもしれない。俗に「あまりにも遅れたもので、先頭に立ったかと思った」というジョークがあるけど、ていねい風表現も行き過ぎると、そのうちていねいでも何でもない、ごく普通の表現になって、そうなったら「格が上の自分」を演出できないから、さらにていねい感を高めなければということになるのかな。たぶん女性雑誌が競ってその上昇願望を後押しするんだろうけど、バカていねい化は現実がそうでないことを反映しているように見える。

きのうのため口の営業トーク(英語)はあまりの馴れ馴れしさに「うへっ」という感じだったけど、文字だけのチャットやメール、ツイッターに慣れ親しんだデジタル時代の落とし子たちは多かれ少なかれ言語の質が低下していて、思考もデジタル化して薄っぺらになりつつあるんだろうと思う。このウルトラていねい語的日本語がその目的?に反して薄っぺらく聞こえるのも、あんがい同じ潮流に乗っているからかもしれないな。まあ、ワタシの日本語も年々レベルが低下しつつあるから人さまのことを言えた義理じゃないのはわかっているけど、いったいどんな国語教育をしているんだろうな。

このままだと未来の翻訳者を泣かせそうな感じだけど、あ、未来はキカイが翻訳してくれるんだっけ・・・。

月曜の朝は何かと騒々しい

2月25日。月曜日。朝の9時に外の轟音で目が覚めた。寝ぼけた頭で、どこのどいつだ~と起きて窓の外を見たら、道路向かいの歩道の桜の木を剪定している。チェーンソーで枝を伐るだけならまだしも、その枝を粉砕するシュレッダと吐き出される残骸を受けるコンテナ車が来ていて、これがまた強烈な騒音。

カレシは「アホか、今ごろ」と大むくれだけど、そうだよねえ。そろそろつぼみが見えて来る時期なのに、遅いんじゃないのかなあ。でもまあ、15分ほどで他へ行ってくれたので、カレシは耳栓をして、ワタシはただ目を瞑って、寝なおし。

と思いきや、今度はごみ収集のトラックがゴゴォッと通過。やれやれと思いつつ、うとうと眠ったところで、レーンの反対側(我が家の側かな?)のごみの収集のために戻ってきて、ゴゴオッ、ゴトン、ゴォッと通過。今日は出すほどのごみがなくて容器を出していなかったから、我が家のところはただ通過しただけ。それでも、なにしろ超大型車両なものですごい轟音。カレシはシリコーンの耳栓のおかげですやすや・・・。

やっと静かになってどうやらまともな眠りに落ちたらしいけど、すっごくヘンてこな夢を見ていたなあ。パーティみたいなところで、いろんな人がいて、ちょっと知っている男2人が「ボクたち、ゲイなんだ」。あ、それはそれは(んなこと、知ってるってば・・・)。

正午を過ぎると言う時間に今度はリサイクル車がドシャン、ガシャン、ゴゴォッと通過。ああ、寝てられないよ、もう。まあ、正午だしということで、おなかすいた~と、カレシをひじでちょいちょいとつついて起こしたら、「あ、リサイクルがまだだったら雑誌を出そうかな」。寝るときはかなりの雨が降っていたので、雨の中にひと晩出しておいたらべちゃべちゃになるだけだからとブルーボックスも出さなかった。残念でした、ごみ関係はもうとっくにみんな通過済み・・・。

あ~あ、今日は2人とも何だかぼけ~っとした気分。

おうち業務は家事のうちに入る?

2月26日。火曜日。今度はまともにぐっすり眠って、普通に起床。でも、運動がてら出かけようと思っていたのに、雨。何だか機先をそがれた感じで、や~めた。でも、伸び放題の髪をそろそろ切らないと・・・。

今日は「おうち業務」に専念。カレシがメインフロアのバスルームのハンドタオルがかなり汚れて臭かったというので、それではと洗濯機を回しにかかる。ついでに、タオルはシンクの下のキャビネットに何枚もあるんだから、「汚れて来た」段階でさっさと自分で取り替えてよ~と言っておいたけど、明日にはたぶん忘れているだろうな。電球が切れていたら、仕事中のワタシに「電気のたまが切れてるぞ~」と報告しに来てくれるカレシなんだもの。で、はいはいと新しい電球を出して来て、椅子を引っ張って行くと、ワタシが取り替えている間がっちりと椅子を押さえていてくれるのがカレシ。もっとも、電球の取り替え方はやっとマスターしてくれたけど・・・。

洗濯機が回っている間にメールをチェック。新しい仕事はなし。(手持ちのは明日でいいか。)劇団の座席の入れ替えに寄付した人たちの名札のお披露目レセプションに「出席」の返事。メインの劇場と小劇場で始まる2つの芝居のオープニングナイトのレセプションは「欠席」の返事。まあ、「芸術監督サークル」のメンバーとして招待されるんだけど、3月は交響楽団のコンサートもあることだし、芝居を見ないでレセプションだけに行くのも何だし・・・。でも、入れ替わりに今度は劇団創立50年目のシーズン開幕パーティへのご招待。ダウンタウンの創立当時の「芝居小屋」があったところでやるんだそうで、これは4月だから「出席」の返事。やれやれ、カルチャー生活のソーシャルカレンダーって、けっこう込み合うもんだなあ。完全引退したら逆に忙しくなるかも・・・。

さて、次は銀行事務。カナダドル安に振れた先週はアメリカドル口座に貯まった翻訳料を移動しておいて、日本の銀行に貯まっていた翻訳料も送金してもらったら、換算して入金する過程で円がひょいと上がって、カナダドルがすとんと下がったもので、ちょっと得をした気分。イタリアさまさまというところだけど、実際は円高のときに帳簿に計上しているから、急な円安で損をしている公算が大かな。まずは、あさってが期限の個人年金への払い込み手続き。前年の勤労所得の18%か限度額まで入れられて、所得控除できるので、老後の蓄えだけじゃなくて、節税対策でもある。限度額がかなり上がっていて、バカ稼ぎしすぎて付加税2つに付加税の付加税まで取られていた頃に上げてくれたら、今頃は基金がもっと増えていたのにと思うけど、ま、ものごとはタイミング・・・。

洗濯は2ラウンド目。メールで「切れますよ~」と知らせてくれていた「Maclean’s」の購読継続の手続き。トロント視点なのが気に障るけど、カナダの有力週刊誌だから続けることにする。逆に、縁のないブランド品の広告ばかりで読むところがないCondé Nastの「Traveler」は購読キャンセルの手続き。ときどき香水やコロンのサンプルを折り込んで来たりして、アレルギーが治まった今でも香水には弱いワタシには迷惑な雑誌だったな。「TIME」もページ数が減って来て読み応えがなくなったので、こっちは更新せずに放置して購読打ち切り。キャンセルした雑誌に代わって、前から興味があったThe New Yorkerの購読を申し込んだ。これで講読する雑誌はEconomist、Maclean’s、The New Yorkerの3誌だけになる。週刊誌はあまり多いと読み古しが貯まり過ぎてリサイクルがタイヘン・・・。

それにしても、おうち事務の「To-do list」(やることリスト)って、なんだかんだとやってるはずなのに、どうしてこう長くなるばかりなんだろうな。でもまあ、今日はかなり片付いた感じ・・・。

返してもらうためにあげるプレゼント

小町横町をうろついていて、『お祝いをくれなかった友人』という愚痴トピックがあった。家を建てて、子供が生まれて、数年に1度会うような大学時代の友人2人が訪ねて来たが、1人は2つお祝いをくれたのにもう1人は手ぶらで来た。「何でお祝いをくれないんだろう」と。自分は(正当な理屈があって)どちらにも出産祝いや新築祝いをあげていない。でも、1人はちゃんとくれた。くれなかった1人は家庭の事情があるけど困窮しているようには見えない。あげなかったことを根に持っているのか?

『誕生日プレゼントはお返ししませんか?』という、プレゼントをあげたのにお返しをもらえなかったというトピックで、「お返しを2回もらい損ねている」と。もらったらそれ相応にお返しをしなければと考えないのか。お返しもないものに払うお金ももったいない。なぜかこういう損得勘定的な愚痴トピックが増えたなあ、最近は。バレンタインの後のホワイトデーにはバレンタインの三倍返しが常識とか。みんな値段がついていて、相場まであるからすごい。お祝いをあげたのにお返しが少なかった。 1万円のものをあげたのに、2千円のものしか返って来なかった。8千円の損・・・。

そういうのが日本に昔からある奥ゆかしい「互助」の習慣なのだと言われたら、「ああ、そうですか」としか返せないけど、これも「型ありき」の文化なんだろうな。プレゼントというのは贈る方が相手への気持を表すものとして贈るものだろうに、日本ではうかうかお祝いなんかもらったら、「うれしい。ありがとう」では済まなくて、後がタイヘン。何しろ「お返し」を選ばなければならないし、粗相のないように、非常識と言われないようにお返しをするには、まずもらったものを値踏みをしなければならない。(ネットで値段を調べたと言う人もいたな。)うっかりお返しの値段が低すぎたら、「お返しが少なかった。非常識」と小町に投稿されてしまうかもしれない。

だったら、初めから値札をつけたままくれたらこっちも楽なのにと思うけど、表をきれいに包み紙で覆う文化はそんなガサツで野蛮な行為を許すとは考えられない。まあ、返してもらう気満々で贈りものをするという思考からして矛盾していると思うんだけど、それを損得勘定とする観念はないらしい。それでも、「お返しをもらえないのにお金は使いたくない」とモヤモヤする人がけっこういるのは、日本的ダイコトミーで「贈」と「答」がワンセットになっているせいなのかな。贈に対して答がなければ儀式は完結しない。贈と答を釣り合わせるには数字が一番わかりやすい。而して、お金・・・。

極楽とんぼのワタシはKYでずぼらなもので、人の誕生日はよく忘れるし、ふと思い立ったときに思いついた人に「これ、いいな」と思ったプレゼントをあげて、喜んでくれたらそれで満足して終わりだし、人生のイベントでプレゼントがなくてもちっとも気にならないし、人からプレゼントをもらったら、素直にありがとうと言って受け取って手放しでうれしいと喜ぶな。それで、もらったことは忘れないけど、お返しをすることまではまず思いつかない。だから、半額がいいか同額がいいかなんて値踏みして苦悶することもないけど、これが日本だったらそうも言ってられなくて、しがらみで「贈答」をしなければならないだろうから、ストレスがたまって胃潰瘍になってしまいそう。現に、小町の風の便りでは、日本でお返し習慣を実行(あるいは期待)している人たちのストレスも相当のものらしい。

でも、考えてみると、「贈」と「答」をワンセットにして普及させるというアイデアは、市場経済の観点から見たら理に適っているようにも思うな。まずは華やかなイベントを盛り上げて、プレゼント用の商品を売る。これは値段が高ければ高いほどもらった人の自己評価を高める(ように洗脳してある)ので、ブランド品へと誘導し、イベントが終わったら返す刀の勢いで、倍返し、三倍返しが常識(つまり相場)だという情報を広めて、お返し用の商品を売る。元の「贈」が高価なほど「答」も高価な商品へと誘導する。釣り合いの取れたものほど美しいものはない。価額の釣り合いはお金の美学というところかな。そっか、そうやって国内需要の拡大に貢献しているということなのかもしれない。もしも贈答儀式を廃止したら、国の経済はどうなるのか・・・?

新聞の読み比べはおもしろい

2月27日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。掃除の日。雨は降っていないようだけど、湿っぽい。朝食後、いつもより少し遅れてシーラとヴァルが到着。シーラがかって掃除のお客さんで今は一人暮らしの未亡人が病院へ透析に行く付き添いをしているので遅くなるらしいけど、ヴァルは「ほんっとにムカつくババアなんだから」と憤懣やるかたない様子。ふむふむ、そういう人間はほんっとに世界のどこにでもいるよね。

オフィスの掃除が終わっても、何となくすぐに仕事を始める気にもなれず、だらだらと新聞サイトめぐり。やや日が経っているけど、日本のサイバー空間を徘徊しているネット右翼に関するワシントンポスト紙お長い記事を見つけた。なんでも、沖縄の学校で英語を教えていた日系アメリカ人の先生が「日本にも差別がある」という授業をして、その成果を踏まえて作ったビデオをユーチューブに載せたらネット右翼の知るところとなって、日本を批判するやつは許せないとばかりの嫌がらせの嵐に困惑しているという話。最初に子供たちに「日本に差別があると思う人」と問いかけたら誰も手をあげなかったのが、アメリカでの差別問題を描いたビデオを見せ、差別の実例を「これは差別?差別じゃない?」と問いかけているうちに、漠然と「差別はアメリカ固有のもの」と考えていた子供たちの目が開かれて来たのだという。

最初は授業を賞賛した教育委員会までがネット右翼の圧力に屈して「削除しろ」と言っているそうだけど、ほめておきながら、トラブルの気配を嗅ぎ付けたとたんに手のひらを返したように、騒ぎが「ムラの外」に知られるのを恐れてのひたすらな事なかれ主義に鞍替えするのは、辛酸をなめさせられた沖縄も日本化が進んだということかな。事なかれ主義ってのはごみを畳の下に掃き込むようなもので、大掃除でもしなければごみはいつまでもそこにある。でも、畳の上に座っている人にはごみは見えないから、掃除の必要性も考えなくて済むけど。ワシントンポストによると、当の先生は削除したら理不尽な威嚇に屈することになると、削除を拒否しているとか。

ニューヨークタイムズ紙には、妊娠したけれど、公立の保育所が足りなくて預け先探しに苦戦している働く奥さんたのち現状を少子化に絡めて伝える、これまた長い記事があった。日本の文化は家に知らない人を招き入れないので、ベビーシッターを雇うということもほとんどない。お役所に行けば「子供を人に預けてまで自分の仕事を優先させるのか」と批判されたり、公立、私立を問わず空きのありそうな区に引っ越したり、保育所が4月「始業」なために法律が認めている産休を短縮しなければならなかったり、そのために「子供がかわいそう」とまるで母親失格のように言われたりと、働き続けたい女性たちの涙ぐましい「保活」の実情を細かに伝えている。

北米の新聞記事は日本の大手新聞のそれとは比べものにならないほど長くて、背景情報やさまざまな視点が提示されているので、特に有力な新聞の記事となるとごく読み応えがある。日本語にしたら原稿用紙10枚くらいの記事はざらで、途中で「XXページへ続く」というのが多い。日本の新聞ではそういうのはなかったような気がするな。一面にできるだけ多くの主要記事を載せるためらしく、記事の要旨を先に述べて、情報や論拠を裏づけしながら詳しく書いて行くスタイルが多いように思う。

さらに、新聞によって保守派だったり、革新派だったりするから、記事を読み比べるという醍醐味もある。日本の新聞は「報道の中立」にこだわって短く浅く起こったことだけを書くのかもしれないけど、実際には米ソ冷戦時代にNHKのニュース解説で「ニクソンさん」、「共産側」と表現を使い分けていたのと同じで、何をどこまで書くか(会員制の場合は何を無料公開するか)によって新聞ごとに右寄り、左寄りのカラーが手に取るようにわかってしまうからおもしろい。人間、いくら中立であろうとしても「心」というものがあるから、完全な中立は不可能だと思うけどな。その心が差別を生み、憎悪を生み、共感も生むわけで・・・。

カナダ連邦最高裁判所は、ある人が配布していたゲイを攻撃するプロパガンダを「hate speech(悪質な差別発言)」と認めて、カナダ権利・自由憲章で保障されている表現の自由に事実上の制限を加える判断を示した。(ネット右翼が聞いたら「オレたちも」ということになるのかな。)人間世界の多様化につれて人類の権利と自由も「あちらを立てればこちらが立たず」の膠着状態になりつつあるようで、はて、どうしたもんだろうねえ。

先日産経の経済面で見つけたコラムの一節はおもしろかったので、長くなったついでに引用してしまおう。
『独り善がりの希望的観測が蔓延(まんえん)するのは近代日本のDNAでもある。司馬遼太郎は西南戦争を描いた『翔ぶが如く』で述べた。「西郷と薩軍の作戦案は、いかなる時代のどのような国の戦史にも例がないほど、外界を自分たちに都合よく解釈する点で幼児のように無邪気で幻想的で、とうてい一人前のおとなの集まりのようではなかった」と。』

同じものが同じに見えていないのかも

2月28日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日。

いつものように朝食のテーブルに着いて、積み上げた容器から、ボウルにグラノーラ、ひまわりの種、かぼちゃの種、小麦胚芽と入れて行って、燕麦のふすま・・・あら。

これも小麦胚芽だよ~。
「ほんとかよ~。似てるから間違えたじゃないか」。

たしかに似ていなくはないけど、色合いが違うし、間違えるほどは似ていないと思うけどなあ。でも、カレシがよく取り違えるので、容器の蓋にマジックでWG(小麦胚芽)、OB(燕麦ふすま)と書いてあるんだけど、黒々と。

蓋を見なかったの?
「蓋を取って横に置いたら、見えないよ」。
それもそうか。でも、袋は見なかったの?
「袋だってどっちもそっくりで区別がつかないんだよ」。

ええ?そんなにそっくりってほどには似てないと思うけど、冷蔵庫のバスケットから袋を出したときに何て書いてあるか見てないんだなあ。

結婚以来ずっと似たようなやりとりをして来たような気がする。いつも不思議に思うんだけど、カレシの目には存在するモノがワタシに見えるのと同じ色や形や位置に見えているんだろうか。探しものをすると戸棚や冷蔵庫の奥まで見ないし、棚にものを置くときは手前ぎりぎりに並べて置いて、後ろはがら空きなのに他のものを置く場所がないと言うし、鍋や保存容器に大きさの違う蓋をしようとするし、緑と青の区別がつかなかったりするし・・・。

もしかして、同じ物体を見ていても脳内に結ばれる「物体」のイメージがワタシとカレシでは異なるということはあり得るのかなあ。味覚や嗅覚、触覚、聴覚は人によって感じ方が違うのはわかるけど、視覚もそうなのかな。単に空間認識能力にちょっとばかり難ありってことなのかもしれないけど、やっぱりちょっと不思議だなあ、この人・・・。

あのさぁ(と、2人分が入るミルク入れを突き出す)、アナタが自分のボウルにどばっと入れたもので、ワタシのミルクが足りなくなっちゃったんだけど・・・。


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