リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年3月~その1

2013年03月16日 | 昔語り(2006~2013)
とんかつ定食

3月1日。カレシが「とんかつ、食べたい!」と言うので、たまには肉もいいなと、今日はとんかつ。カレシがヒレカツに大根おろしとゆず醤油ソースの味を覚えて来た東京のレストランは「さぼてん」という名前だったかな。いっそ「とんかつ定食」としゃれてみようかと思ったけど、「定食」とは何かというイメージがはっきりしない。ググッてみたら、焼き魚、焼肉といったメインの1品にご飯と味噌汁、漬物や副菜を添えたもので、町中の「大衆食堂」のものだとわかった。へえ。なんとなく漠然と上品なメニューだと思っていたけど、あんがい「松花堂弁当」あたりと混同していたのかな。わかってみたら幽霊の正体見たり枯れ尾花で、なあんだ簡単。ということで、ヒレカツ(刻みキャベツ、大根おろし、ゆず醤油ソース添え)、麦入りの発芽玄米ご飯とさやえんどうのかき玉風みそ汁、たけのこと山菜水煮の炒め煮。お盆にまとめたら、けっこう様になっている食堂「極楽とんぼ亭」の「とんかつ定食」・・・。

雨、雨、雨は普通なんだけど

3月2日。土曜日。起床は午後12時35分。ベッドルームが暗いから目が覚めないのかな。外は相変わらずの雨。でも、空港の向こうの南西の空が何となく明るいのは、もうすぐ雨が止むということかなあ。

それにしてもよく降ったもんだな。バンクーバーでは41ミリ。郊外では150ミリも降ったところがあるとか。大雨の元凶は冬の間にハワイ方面から北東へ進んでくるPineapple Express(パイナップル特急)。アメリカでテキサス方面から北東に進んでカナダ大西洋岸、アメリカ北東地域に大雪をもたらすNor’easterとパターンが似ているな。大雪じゃなくて大雨というところが違うけど。まあ、きのうは3月1日。俗に「3月はライオンの如くやって来る」と言うから・・・。

何日も雨の日が続くと、トム・ハンクスとメグ・ライアンが主演した『Sleepless in Seattle』(日本では『めぐり逢えたら』)で、ラジオ番組で存在を知ったシアトルに住む男性のことが頭から離れないと言うヒロインに兄(か弟)が「あそこは年に9ヵ月も雨が降るんだぜ」というくだりを思い出す。そのとき、彼女は「そんなこと知ってるわ。シアトルに引っ越すつもりなんかないわよ。だけど、だけど・・・」。ワタシはロマンチックコメディ映画が好きだし(というか、心理的に安心して見られる映画はこのジャンルしかないんだけど)、シアトルは好きな街のひとつだから、よけいに印象に残ったのかもしれないけど、それくらい雨はシアトルの名物になっているということ。

バンクーバーだってシアトルに負けないくらい雨が降る。シアトルが年に9ヵ月なら、バンクーバーは8ヵ月くらい雨が降っているかもしれない。バンクーバーやシアトルが位置する北米大陸の太平洋北西岸は「西岸海洋性気候」だから、冬は温暖で多雨(でも夏は涼しくて少雨)。とにかく10月くらいから4月を過ぎるまで感心するほどよく降ることには変わりがない。もっとも、いくら雨が多いといっても、実際に8ヵ月も9ヵ月も雨の日が続くわけじゃなくて、長くてもせいぜい3週間くらい。じゃぶじゃぶと降るわけじゃなくて、だいたいはしとしと、しょぼしょぼ、空はいつまでもどんより。土砂降りの大雨はめったにない。それでも、いつも普通に太陽が照って、ときどき雨が降るところから来た人たちには冬中どんより、しょぼしょぼの天気に閉じ込められているように感じられるんだろうな。

ワタシがカナダに来て初めて経験した「雨期」は、2週間ぐらいぶっ通しで降って、2、3日休んでまた何日も雨、雨医。最初のうちこそこれはエライところへ来ちゃったと思ったけど、すぐにそれが当たり前と感じるようになった。まあ、来る日も来る日もしとしと雨かどんよりした曇り空で太陽を見ることがないというのは、霧に包まれて夏の日照時間が少ない蝦夷地の最果ての地で生まれ育ったワタシにとっては、生理的に「原風景」に立ち帰ったようなものだったのかもしれない。いうなればバンクーバーの雨水が合っていたというところかな。考えようによっては、人間の異なる環境に対する「精神的」な適応性においては、生まれ育った土地の気候条件が社会文化的な条件よりも大きな影響力を持つことがあるということかもしれない。

雨に慣れたバンクーバーっ子はちょっとやそっとの雨で傘を差すなんてのはプライドが許さないとばかりに悠々と濡れて歩いている。おかげで、ワタシもいつのまにか堂々と濡れて歩くようになった。生まれも育ちもバンクーバーのカレシもめったなことでは傘を持って出ない。(そのくせ旅行のときは傘を持って行きたがるのはどうして・・・?)相当な数のおとなが雨の中を傘も差さずに歩いている光景は、来たばかりの日本人の目には異様に映るらしいけど、フード付のジャケットでこと足りているし、女性も昼間からこってりメイクはしないから雨が顔に当たってもどうってことないしね。ま、ところ変われば何とやらということで、「バンクーバーの雨じゃ。濡れて行こう」と大見得を切るのもそれなりに風情があると思うけど。

おお、空港の向こうに切れ切れの青空が見えて来た。バンクーバーも雨もあしたは「休業日」かな。

美しい雪には白い牙がある

3月3日。日曜日。起床は午前11時40分の朝のうち。外はうそみたいな好天。八角塔の中は陽だまりがいっぱいでぽかぽか。道路向かいの桜も急にピンクづいて来て、もう2、3日こんな天気が続いたらちらほらと咲き始めそうに見える。弥生3月の今日は桃の節句。はて、桃の花って見たことがあったかなあ・・・。

北海道の猛吹雪でずいぶん犠牲者が出ている模様。湧別で娘を助けるために凍死したお父さんの話に涙が止まらなかった。母親を亡くして父ひとり子ひとりの暮らしだったまだ小学生の女の子が今度は父親を亡くした。雪に埋もれて行く中で、一人娘を抱きしめて温め続けた父親は亡き妻に祈り続けていたかもしれない、この子を守ってくれと。娘は父親の体温が次第に薄れて行くのを感じながら、母親に助けを求めていたかもしれない。孤児になったこの子を誰が育てるのか。北海道だから大丈夫かな。でも、去年北海道に行って初めて知った遠隔地の医療体制の貧しさが気にかかる。何とかしっかり心のケアもしてあげてほしい。道産子だもの、くじけるなよ。

真っ白な雪はたしかに美しい。季節にだけ訪れて純白の大地を堪能するスキーヤーやスノーボーダーにとっては、まだ他の誰の手も(足も)ついていない処女雪はたまらない魅力だろうと思う。(日本の人は初物が好きらしいし・・・。)でも、雪の中で生活する人間には、そんなそのときだけの感動に酔っている暇はない。大雪になれば家が潰れかねない。吹雪になれば吹き溜まりに行く手を塞がれる。日常生活もかく乱される。吹き溜まりは常に変化する砂漠の風紋のように形や場所を変えて見慣れた風景を消してしまう。雪は人間の方向感覚をも麻痺させる。通い慣れている道でさえ見たこともない世界に姿を変えるから、自分の家まであと数歩のところで遭難死することもある。ワタシも20年くらい前に家のすぐ前のゴルフ場のど真ん中で遭難しそうになった。

ダウンタウンに出ているうちにめずらしく吹雪になって、バスを降りてから家までゴルフ場を抜けることにした。(当時はバス通りと家の間にあるゴルフ場を突っ切ったほうが道路を歩くよりもずっと近道だった。)低い柵を乗り越えて、家の前の道路まで直線で400メートルほど。10分もかからないはずだった。でも、深くなる雪をこいで歩いているうちに、自分がどこを歩いているのか不安になった。立ち止まって見渡せばどこまでも同じような一面の銀世界。雪はどんどん降ってくる。すべての音が毛布に包まれたようにくぐもって聞こえる世界で、人のいないゴルフ場は静寂あるのみ。見回しているうちに完全に方向がわからなくなってしまった。あのときはほんとに怖かった。

結局は、ずっと北側の道路を通るかすかな車の音に耳をそばだて、少し進んでは音が左側から聞こえていることを確認してまた少し進むということを繰り返して、30分以上かかって家の前の道路に出ることができた。普通ならのんびり歩いても10分くらいでカバーできる距離に30分以上。でも、近くに交通量の多い道路がなかったら、いったいどうやって方角を定めることができたのやら。何も見えない、あるいは目印がない状態でまっすぐ歩くのは不可能に近い。輪形彷徨といって、人間の足は利き足の関係で左右の歩幅が違うこともあって、気づかないまま円を描くようにぐるぐると同じところを歩いてしまうらしい。

立ち往生した時点で家まではたぶん200メートルくらい。その家がどっちの方向にあるのか。人生、いろいろな形で迷子になったけど、あのときほどひとりぼっちの心細さを味わったことはなかったな。

ペシミズムと悲観主義の違い

3月4日。月曜日。ごみ収集の日で、朝の9時からトラックが行ったり来たり。こっちも目が覚めたり、うとうとしたり。なぜか4回通ったような気がするけど、気のせいかな。今日もいい天気。でも、ニュースの予報では午後には下り坂だけど・・・。

今週は仕事が3つで、まあまあの余裕。gooのメールアドレスに送られてくる「1年前の記事」と言うのを見たら、うは、去年の今頃はすごい激務だったんだ。大型の訴訟案件があったし、どう見ても予算消化の案件としか思えない大きな研究資料の日本語訳が続々とあって、ログによると最初の3ヵ月で去年1年の40%、その前の年の80%を稼ぎ出していた。それに比べたら、今年は楽々。まあ、業務縮小しながら(禁断症状なしで)引退にこぎつける「?年計画」の初年度としては言うことなしというところか。

ワタシのPCにはじっくり読みたいニュース記事をコピーしておくフォルダがあって、放っておくと何本もたまってしまう。そのフォルダに「悲観主義者は健康で長生きする」というなんとも逆説的な記事がある。ドイツの大学での研究結果らしく、一般には幸せであることが長寿の鍵と言われているけど、実際にはよりpessimistic(悲観主義的な)なアプローチを取る方が有用だということだった。ドイツで毎年やっている調査の10年分のデータを分析したところ、将来は明るいと過剰に楽観視している人はそれから10年以内に健康障害や死に遭うリスクが高く、「より現実的な見方」(これが悲観主義?)をする人は健康で長生きする可能性が10%高くなるとか。

でも、この西洋の「pessimism」と日本の「悲観主義」の間には越えがたい深い溝があるような気がする。というのも、人生について「より現実的な見方をする」というこは、状況を分析して問題を抽出し、それに対して「じゃあ、どうすればいいのか」と考える機会があるということだけど、日本的な「悲観主義」にはそういう「現実的な見方」、つまり前向きの(ポジティブな)姿勢が感じられない。ワタシは「悲観主義者」について、何でもダメダメで、いつもくよくよしていて、臆病で、心気症的で、厭世的で、あまり長生きできないという漠然としたイメージを持っていたけど、もしかしたらそれは日本語の「悲観」という字面から来る先入観だったのかもしれないな。

日本語大辞典で「悲観」を調べたら、「①物事が思うようにならなくて望みが持てないこと。失望、落胆。(disappointment)、②事態のなりゆきなどについて否定的な暗い見方をすること。厭世。(pessimism)」書いてあった。「悲」という字だけを引くと、「かなしむ。かなしい。かなしみ」。(二次的?に「情け深い」、「哀れみ」というのもある。)そこで「悲しむ」を引いてみると、「心の痛む思いがする。悲しい気持を持つ。嘆く。悼む。憂える。(feel sad)」。ついでにカタカナ語の「ペシミズム」を見たら、「すべてを最悪の面で考え、人生は、生きる価値がないとする考え方。厭世主義。悲観論」。救いようがないくらいに悲、悲、悲。でも、何だかpessimismとは根本的な違いがあるような気がする。何かが決定的に違う・・・。

Pessimism(ペシミズム)の語源はラテン語で「最低」、「どん底」を意味するpessimus。たしかに最悪の環境という感じではあるけど、逆にその「どん底」には底の底でその下がない(つまり、上昇しか残っていない)という、ある意味ポジティブな面を見ることができる。逆に「生きる価値がない」と言ったらそこで終わりのような・・・。このあたりは、現世を生きる宗教と、死後の幸せを願って「仮の世」を生きる宗教の死生観の違いも影響しているのかもしれない。キリスト教では死んで行くのは「天」、仏教では「西方浄土」。天空は無限に広がっていて、「上昇」への希望がある。でも、西の方を見ると視界を遮る険しい山があり、波荒き海があり、極楽はその向こうの遥か遠くにある。ブッセの詩みたいだけど・・・。

あんがい違いの根源は悲観主義、楽観主義というよりは、ポジティブ思考、ネガティブ思考の違いにあるのかもしれない。つまり、ペシミストだって、人生に「現実的な視点」から対処すればポジティブな結果がう生まれ、それが自信となって、健康と長寿の糧である「幸せ感」につながるけど、初めからダメだと諦めてしまったら、自信を得るチャンスを見失い、思うようにならない人生のストレスが不健康な心身状態につながるということか。要するに、この研究結果が言いたいのは、悲観的でも楽観的もいいから、人生は思うようにならないのがあたりまえなんだと思って、現実的に、ポジティブに対処するのが「健康と長寿」の鍵ということなんだろうと思う。

いつもとひと味違う日常

3月5日。火曜日。起床午後12時10分。今日は雨の予報で、外はかなり湿っぽい。出かけるんだけどなあ・・・。

午後いっぱい、カレシは庭仕事。ワタシは納期を前に仕事の仕上げ。きのうはうんうん言いながら株価がどうの、ボラティリティがどうのと、げんこつで自分の頭をゴンゴン。はては何とかモデルだかのややこしい計算式まで出て来て、もしもこれが理解できたら株を買ってひと儲けできるのかなあ、なんて妄想。ま、んなわきゃないけどね。

仕事が送り出したら、ちょこっとメイクらしきものをやって、ちょこっとおめかししておでかけ。そのとたんに雨がぱらぱら。途中はかなり降ったけど、グランヴィルアイランドへ入る頃にはしょぼしょぼの状態。3時間の駐車スポットを見つけて、マーケットの隣にある劇場へ。今夜は新装なった座席の「寄贈者」を集めてのレセプション。受付に座っていたパルミーダから座席番号が印刷された記念チケットを受け取って、二階のロビーへ。

腹ぺこだったので、ワインをもらってすぐにオードブルのテーブルに直行して、あれこれつまんでもぐもぐ。おいしいけど、レセプションの後は久しぶりにTojo’sでディナーだからセーブしないと。しばらくしてドアが開いて、劇場の中へ。「ワタシたち」の座席は右最前列の通路際2席という特等席で、アームにはそれぞれの名前を刻んだ真鍮のプレート。全450席ほどのどれだけに「寄贈者」が付いたのかと見渡してみたら、ほとんどに名札がついているような。これから予約するときは「B11とB12」が取れるように早めに予定を立てなきゃ。

終わったその足でTojo’sへ。火曜日だから空いているかと思ったら、2人席は半分埋まっていた。辛口の秋田の酒を注文したら、これがまたきぃ~っとした辛口。カレシまでが「これ、いいね」。ん、お酒の味もわかるようになったか。食事はいつもの6コースの「おまかせ」。今日は刺身サラダで始まって、ミル貝、かに、おひょう、ぎんだら、そして寿司。デザートは抹茶のクレムブリュレ。ひょうきんなサーバーくんとさんざん軽口を交わして、ああ、満足、満足。おなかも幸せ・・・。

日常からちょっと離れたおしゃれな夕べだったな。これからもっとこういう「いつもの日常とちょっと違うひととき」を何となく日常的に楽しめるかなあ。そうしたら、極楽とんぼの老後はひと味違うばら色の人生・・・になる?

絶対に私が正しいの!

3月6日。夜中を過ぎた頃、突如として思い出した。2通の郵便、途中のポストに入れるつもりで持って出て、それっきり。まだ車のもの入れに入ったまま。タイヘン、タイヘン・・・。

お~い、どこにいるの~?
「トイレ~」。
なんだ、カレシの「ライブラリー」で本を読んでいるんだ。

郵便を出すの忘れて来ちゃった~。
「いいよ、あした出かけるついでに出してやるよ」。
う~ん、あしたでも間に合うかなあ。ワタシのビジネス保険を更新するための小切手が入っているの。
「保険はいつ切れる?」
12日の真夜中(ま、1日やそこら保険がなくてもどうってことはないとは思うけど・・・)。

オフィスに戻って、PCの前に座ったワタシ。待てよ。あした(というか寝て起きた今日)は水曜日。カレシはどこにも行かないはずだけどなあ。急いで階段を駆け上がったら、トイレから雑誌を持って出て来たカレシと鉢合わせ。

あした出かける時って、あしたはどこへも行かないんじゃないの?
「え?」
だって、明日は水曜日だよ。木曜日じゃないよ。
「え?木曜日じゃないの?」
ないよ。
「てっきり木曜日だと思ってた!」
ははあ。で、昼過ぎに目を覚まして、おい、遅刻だ、何で目覚ましをかけなかったんだ、と騒ぐんでしょ?絶対にあしたは水曜日なの!
「そうかなあ・・・」。

ベースメントへ降りていったカレシ。しばらくして戻ってきて、「キミが絶対に正しい」。そ、ワタシが絶対に正しいの、絶対に・・・。

だけど、一瞬、は?ひょっとしてカレシの方が正しい?と思ってしまったワタシ。もしかして、ボケちゃったのか?いやいや、いつも1日先の日本時間で仕事をしているせいか。でも、これから寝て、目が覚めたら、絶対に水曜日・・・だよね!

はみ出しっぺも売りになる業界

3月6日。水曜日(間違いなく)。起床は正午前。どんより空。カレシは今日が木曜日ではなかったので、「1日得をした気分」と、何だか機嫌がいい。本気で木曜だと思い込んでいたら、その前に水曜日があるとわかって、人生に1日おまけがついたような、得した気分になるのかな。

まあ、おまけの1日はカレシに任せて、ワタシはきのう投函し損なった郵便を出すついでに私書箱を空にしようと、トートバッグを担いでお出かけ。ハワイまであと2ヵ月半しかないから、靴を履いて歩くリハビリもしないとね。銀行に寄って、郵便局で私書箱から溢れて奥に保管されていたひと束の郵便物(ほとんどがカタログ)をどさっと渡されて、ベイでは空になったソーダのカートリッジを新しいのに代えてもらって、セーフウェイで食洗機の洗剤ポッド40個入りの容器を買って、ああ、トートバッグが重い。肩幅が足りないもので、バッグのストラップがずり落ちてばかり。帰り着いたら、なぜかお尻の筋肉が痛かった。いったいどんな歩き方をしていたやら・・・。

メールボックスにはたま~にコンタクトのあるところから緊急の仕事(ノー)、お得意さんから大き目の仕事、納期に余裕(オッケー)、アジアのどこかにあるらしい会社から大型案件の引き合い(ノー)、別のお得意さんから小さめの仕事(はめ込みオッケー)。すでに2つあるのに、これで来週末までいっぱい。やっぱり魔の3月の到来。だけど、毎日のように「フリーランス翻訳者」からのスパムメールが来るのは何なんだろう。どうも「翻訳会社」だと思われているようで、毎日10本以上来る。みんな「経験(長い)何年、正確かつ迅速」。それだけ長くやっていたら、固定客がいそうなもんだと思うけど、今どきはちゃんと営業しないと仕事がないのかな。ワタシはぐうたらすぎてエイギョーしたことがないからわからない。とにかく毎日削除するのがめんどくさくなるほど来る「仕事ないか」メール。どうなってんだろう・・・。

まあでも、この業界もだいぶ様変わりしているから、フリーランスで身を立てようと思ったら、ちゃんと営業しなければならないのかもしれない。ワタシが加入している協会の20年も30年も昔からやっている古参たちには、いろんな産業界や専門分野で働いているうちにひょんなことからこの道に踏み込んだタイプが多い。専門知識と業界の人脈を元手に安定した職を離れて独立したからか、男女を問わずひと癖もふた癖もあるおもしろい人間が多い。最近の若い会員たちはと見ると、日本で英語教師をやっていてそのまま居ついた人たち、初めから翻訳者を目指して大学院で修士号を取って来た人たちが増えていて、翻訳会社などの「社内翻訳」で修行してから独立するケースが多いらしい。そのせいかどうか、少々頭でっかちなタイプが増えて、殺菌消毒されているというか、癖のある人があまりいない感じがする。

まあ、インターネットもグーグルもメールもなかったワタシたち古だぬきの時代と違って、今はグローバル化、デジタル化、情報化、IT化、モバイル化、マニュアル化の時代。何かにつけて便利な環境で育って来ればワタシたちの世代とは違った概念や理論を身につけた翻訳者たちが台頭して来て当然だと思うな。でも、子供の頃からずっと良くも悪くも「はみ出しっぺ」のワタシのこと、会議などで若い人に「大学はどちら?」と聞かれるとすかさず「大学には足を踏み入れたことがないの」とやって、少々イジワルに横目で反応を楽しむんだけど(実はつまみ食いで1年分の単位はある)、看板になる専門も学歴もないのにひょんなことからこの道に「手ぶら」で入って来て強心臓で23年も居座った例はめずらしいのかもしれないな。まあ、「はみ出しっぺ」であることを売りにしているようなところもなきにしもあらずだけど。

さて、ビジネスは結果あるのみだから、油なんか売っていないで、まじめに仕事をしないと、ほんとにはみ出してしまいかねない。

左利きの人格を否定しないで

3月7日。木曜日。午前11時30分、目覚ましで起床。今日はほんとに木曜日。今日もまたどんより空。それでも、道路向かいの桜の木はだいぶピンク色づいて来ている。この春は寒いという長期予報だけど・・・。

小町横町で去年がやがや騒いでいた「左利き是非論争」のトピックを蒸し返した人がいる。ネットで何かを検索していたかしてたまたま見つけたトピックに反応して、書き込まずにはいられなくなったんだろうけど、1年も前に終焉したピックだとは気づかなかったのかな。もっとも、幼い頃に右利きを「強制」されて荒フォーになった今でも吃音やチックに悩んでいるということだから、古いトピックだとわかっていても左利きを「矯正」することの弊害を訴えたかったのかもしれないな。

小町は女性が対象の掲示板だからかもしれないけど、左利きトピックがまるで定期便みたいに上がって来る。「直した方がいい」、「直さない方がいい」、「直すべき」。「直さない方がいい」と言う人は脳の構造がどうの、障害が起きるの、左利きは子供の個性だの。自ら強制されて辛い思いをした人たちも多いな。「直した方がいい」と言う人の理由は、右利き社会では左利きは不便だからという右利き特有の思い込みだったり、「子供が将来困らないように」と暗に(直さないと将来困るのはあなたの子なんだからと)脅していたり。老婆心と取れないこともないけど、詰まるところは「右に倣え」か。でも、この手のトピックでいつも一番ムカッと来るのが「直すべき」派だな。

理由と言うのが、お決まりの「右利きの方が筆遣いも箸使いも、他人の目に美しく映るから」、「せめてお箸と鉛筆は最低限、日本人としてのマナー」、「日本文化においてはお里が知れる」から。いつもこんな独善的な調子で出してくるのが、違和感がある、字が汚い、見苦しい、見る人を不快にさせる、食事の所作が美しくない。つまり、見た目が、見た目が・・・。こだわりというのか何と言うのか、「美しい国日本」を無作法で不快なエイリアンから守れと言わんばかりの意気込みで、そういうのを読んでいると、おなかの底からかっかと炎が上がって来る。このときだけは心底から日本を出て来て良かった!と思う。そういうのを差別意識というんだよっと叫びたくなる。あんたはタリバーンかよっ!と叫びたくなる。

左手を椅子に縛り付けられたとか、左手を使うたびに叩かれたとか、それが親であれ、幼稚園の教師であれ、そこまでやったら児童虐待じゃないのかな。だいぶ前にもここで書いたけど、ワタシは60年の年月を過ぎた今でも、右手で箸を使わせようとする母にハンカチで包まれた自分の左手が脳裏に鮮明に焼きついている。幼稚園に行く前の4歳の頃だったかな。空腹なのに思うように箸を動かせない苛立ちで涙が溢れて来て、それがどんなにしても口に入らずにぽろぽろとこぼれるご飯といっしょになって、子供心にとても、とても惨めだった。「矯正」の方は吃音障害が起きて中止になったらしいけど、今でも日本語のときにふと喉が硬直して言葉がつかえそうになることがある。そのストレスが通訳をするのが嫌になった遠因にもなっていると思う。

左利きは「かたわ」と見なされた時代に女の子で左利きに生まれついた娘の将来を思ってのことだったのだとは理解できても、今でもふと思い出して涙が出て来るのは、あの「縛られた左手」が心の奥深くに深い傷になって残っているからだろうと思う。でも、そこからワタシの「あまのじゃく精神」が芽生えたことも確かだと思うな。あんがい、母は期せずしてワタシの幼い心に「自我」の種をまいてくれたのかもしれない。体育で右手を突き指して左手を使い始め、そのまま本来の左利きに戻ったのが反抗期に入る頃。おかげでほぼ両手利きと言える機能性を得たけど、利き目も利き足も左の「左側」人間が本来のワタシ。

高校時代には進路指導の教師に「就職できないかもしれないからそのつもりで」と言われ、秘書学校在学中にちょっとアルバイトした青年商工会議所とか言うぼんぼんオヤジの集まりでは「親の顔がみてぇ」と言われて、あやうく飛びっ蹴りを食らわせそうになり、大らかな北欧系企業に勤めていたときは昼休みのラーメン屋で知らないオヤジに「まずくなる、早く食って出て行け」と怒鳴られて、あやうくそのすだれ頭にどんぶりごとラーメンをぶちまけそうになり・・・。あのまま日本にとどまっていたら、ワタシの人生は今ごろどんなことになっていたか、想像さえしたくない。

幸いカナダに来てからはそういう武勇伝のチャンスはゼロになったけど、自分でそう望んで生まれたわけじゃない左利きの人格を否定するのはいいかげんにしてほしいもんだ。日本は先進文明文化の国じゃあなかったの?

憎まれっ子、世にはばかるべし                                                                                
3月8日。金曜日。目が覚めたらもう午後12時半。2人ともぐっすりと眠れた気分。外はまぶしい晴天。よ~く見ると日当たりのいい枝に桜の花がひとつ、ふたつ・・・。遅くなったけど、チキンベーコンを焼いて、カレシお得意の目玉焼きで朝食。一緒の暮らしが始まってからずっと向かい合っての食事。ふと聞いてみた。

あのさあ、アナタは右利きで、ワタシは左利きで、向かい合っていたら鏡を見ているみたいだと思わない?

カレシはフォークを持った右手を左右にひらひら。ワタシもフォークを持った左手をカレシに合わせて左右にひらひら。あはは。まるで鏡の前で遊んでいるみたい。

向かいに左利きがいるの、違和感ない?
「別に。どうして?」
初めてデートしたときはどうだった?
「ああ、あのときは緊張してたから、右も左も気づかなかったな」。
(ふ~ん、カレシ、緊張してたんだ~と、一瞬、遠い目・・・。)
左利きって不便だと思う?
「さあ、不便そうな左利きは見たことないなあ。右利きには不便だけどな。キミの左利き用のナイフとか・・・」。
でも、ワタシの左利き用のパンナイフ、長いことちゃんと使ってたじゃないの。
「オレだって不器用なりに適応できるよ。デスクに場所がなくて左手でマウスを動かしてたけど、どうってことなかったよ。必要は発明の母ってね」。

なるほど。左利きは左利きなりに適応して、工夫して、普通に暮らしている。ワタシも左利きで不便を感じたことはまったくないな。だって、左でするのがあたりまえなんだもの。SATのような学力試験では、成績トップ集団の左利きの割合が人口全体の左利き率の2倍だと言われるし、20世紀以降の歴代のアメリカ大統領の左利き率は何と50%(レーガンなんか両手利きだったとか)。

つまり、左利きは右利きだったら考えずに済んだ工夫や努力をして来たってことよね。
「だから、左利きはすごい少数なのに淘汰されなかったんじゃないの?」

ふむ、あんがい適応能力が高くなりすぎて淘汰できなかったのかもね。憎まれっ子は世にはばかるもんだから。聞くところによると、ニホンザルは左利き、両手利き、右利きの順に多いそうだけど、サルの世界ではどうなのか聞いてみたいな。

教科書通りの人生

3月9日。土曜日。今日も明るい。今日も起床は正午過ぎ。夜中にちょっとおなかの調子が悪かったりして、あまり良く眠っていないから、頭がちょっとどんより。明日は「夏時間」への切り替えで1日が1時間減るし、日本は月曜日で朝一番の納期があるのに・・・。

きのう、親しい人からワーキングホリデイに出る知り合いにワタシのアドレスを渡してもいいかと聞いてきた。そういう人に頼りにされても困るし、接触は避けたいんだけど、親しい人の頼みとなれば無碍に断れない。メール限定で、どうにもならないときのみという条件で予備のアドレスを教えたけど、話を聞いてみると、計画性があるようで、ああして、こうして、この関係の仕事をして、と自分視点の「筋書」を描いているだけに見える。(知人もそう感じていたらしい。)まったく甘い。とにかく甘い。社会人なら20代半ばくらいか。ま、現実の海外生活が始まってみれば自分の甘さがわかるだろうから、あとは何ごとも経験あるのみだけど・・・。

若いということもあるだろうけど、ゆとり教育を経験した世代なのかなとも思う。こうやってまず自分が演じる筋書を書く人に遭遇するたびに、数年前に小学生向けの教材の翻訳をするのに参考にした文科省検定の理科の教科書を思い出すな。全学年を通して、実験をすれば「教科書の通りに○○して、○○したら、○○の結果になったよね」と念を押され、夏休みの自主研究はまず(「予想される結果」も含めて)「計画」を立てて、とテンプレート、レポートはこんな風に書いて、とテンプレート。植物を種から育てる過程も含めて、「すべて滞りなく教科書(筋書)通りに運ぶ」ことが前提になっていて、その通りに行かなかった子供はどうするんだろうと心配になったけど、この人はそんな経験をせずに来たのかもしれない。思考パターンがあの教科書そのままだから、驚くべきか、呆れるべきか・・・。

そこへして、小町横町に貼り出された悩みごとが、観光中に知り合って1年間遠距離恋愛して来たアメリカ人にプロポーズされたはいいけど、毎日スカイプする以外3度会っただけ。結婚したいけど、不安で、不安で・・・。この人は27歳なんだそうな。ワタシがカレシと結婚するためにひとりでカナダに来たのも27歳のときだったな。あの頃はもう若くはなかったけど、今はまだ若いうちに入る年齢だけど、この人は、旧知の友達がいないとか、実家まで8時間もかかるとか、まだ結婚してもいないのに出産費用は保険が効くのかとか、毎年日本に帰ってかかりつけの医者に通いたいけど保険はどうなるのかとか、離婚にでもなれば問題が多そうだとか、いやはや、悩みが尽きない様子。しかも、英語が今いちのようで、結婚すれば習得するけど、恋人としては何とかなっても結婚生活では心配。そのくせ、専業主婦になるつもりはない(共働きするつもり)・・・。

何だかややこしい筋書きになりそうだけど、将来を見通せないことが不安なのかな。でも、27歳といえばれっきとした成人だろうに。まだ教科書(マニュアル)がないと(人生の)実験も自主研究もできないなんてことはないだろういに。それにしても、果敢に国際結婚すると決めて(これは意外と簡単に決まるらしい)、本来その相手に聞くべきこと、相手と話し合っておくべきことをこうやって日本人の、しかも匿名の掲示板で相談する人、ほんっとに多いなあと思う。「10年前にこうしました」なんて書き込みが役立つはずがないし、グリーンカードや医療保険のことはアメリカにいる彼氏に調べてもらえば確実なのに。言葉が拙いことを言い訳にする人は多いけど、他人の経験を聞いて、その通りに○○して、○○したら、○○の(幸せいっぱい)人生になる・・・という、文科省検定教科書的思考なのかもしれない。

でもまあ、誰にとっても人生は一度しかないんだから、そんなに相手が好きなら、目をつぶって清水の舞台から飛び降りてみたらいいんじゃないかと思うけどな。ワタシは「不安」よりも「好き」の方が勝っていた勢いでそうしたんだけどね、セーフティネットなしで・・・。

へりくだり過ぎて上から目線

3月10日。日曜日。起床は午後12時20分だけど、今日から「夏時間」なので、きのうまでの時計では午前11時20分の起床。仕事をしながら画面の隅の時刻をちらちらと見ていたら、「午前1時59分」からいきなり「午前3時」。おおむね目が覚めたら起きる生活だから特に「時差ぼけ症状」もないんだけど、それでも何だか時間を盗まれたような気分・・・。

夏時間になると日本時間の朝9時も1時間に進んで午後5時になる。今日から11月2日まで、朝食後の午後に1時間の余裕ができるわけで、納期が目前に迫ってヒィヒィ、カリカリする状況になったときのその1時間の差の意味は大きい。それでも、夏時間に切り替わってからの1週間は心臓病の発作を起こす人がぐんと増えると言う報告があるし、子供の脳の発達にも良くないと言う研究もあるんだから、国民の健康と幸せのために、このなんともめんどうくさくて、すでに技術の発展やライフスタイルの変化で無意味になっている「日照節約時間」はそろそろ廃止してもいいんじゃないかと思うけどね。ま、傍らの時計が午後4時を過ぎるのを眺めながら、「日本時間午前9時」が期限の仕事をゆうゆうと片付けるのは何とも言えない気分・・・。

この案件は日本語と英語の文化的な違いが浮き彫りになって、翻訳者としてはおもしろかった。日本では神サマに祀り上げられているお客サマ向けの文章だから、丁重に、丁重に、どこまでも丁重に。ところが、日本の人は常日頃こうした物言いに慣れていて、あたりまえに読み流すところなんだろうけど、それを英語人向けに発信するとなると、とたんに「ちょっと待て」ということになる。お客サマに書類を送る、お客サマに情報を提供する、お客サマからの問い合わせに回答する・・・それぞれ想定される場面に最適とされる日本語表現を前に、10回くらいため息をついてしまう。おそらく社内で最もマナーや儀礼に通じた人が起草した原稿だと思うんだけど、そこに並んでいる言葉をそのまま英語に訳したら、「ぶっちゃけ上から目線」の物言いになってしまう。あ~あ、またしても2つの言語の深い溝の底で、はらはらと抜け落ちる髪の毛を数えてはため息をつく翻訳者・・・。

言葉はそれぞれの話者の国の文化を反映する。だから、日本語人が日本語を書くときは日本の思考文化が反映される、英語人が英語を書くときは英語圏の思考文化が反映される。理路整然とした文章が要求される論文や不特定多数向けの報告書のような「文書」ならまだしも、それぞれの文化に根ざした上下関係の意識が介入して来る文書になると、(その趣旨は別として)「東は東、西は西。両者は決してまみえることなかるべし」と詠ったキプリングの詩を思い出す。まるで、恋焦がれながらもすれ違ってばかりいる昼メロの悲運の恋人たちの間を取り持ってハッピーエンドに導こうとするキューピッド。イタリアの諺に「翻訳者は裏切り者」というのがあるけど、翻訳・通訳者の使命は異言語人たちの相互理解を取り持つことで、決して仲違いさせることではないのだ。

だけど、当事者Aのいうことをそのままそっくり当事者Bの言語に置き換えると、意図せずして(極端な例だけど)和平のオリーブの枝が足元に投げつけられた挑発の籠手に化けることがある。つまり、日本語では社会であたりまえに通用する丁重な文をそのまま(忠実に)英語に訳すと、ディケンズの小説に出て来るユライア・ヒープの物言いのようなねちねちと嫌味な丁重さになったり、悪くすると上から目線の慇懃無礼になってしまう例がけっこうある。へりくだりがあまりへりくだらない言語では横柄に聞こえることがあるという例だけど、何にしても過ぎたるは及ばざるがごとし。それでも、気持の表し方が噛み合わないのは、どうみても言語の機微や文化の優劣の問題ではないし、ましてや話者集団の性質の優劣の問題でもない。つまりは純粋に社会心理や思考、儀礼的なしきたりの違いとしか言いようがないんだろうな。

おかげで翻訳する方は「日本語は日本語、英語は英語」の狭間で、噛み合わない社交辞令を刷り合わせようと悶々とすることになる。EU議会や国連の通訳者は自殺率が高いと聞いたことがあるけど、何となくわかるような気がしないではない。外交文書の翻訳なんか、もう地獄のさただろうな。お客サマ神への揉み手文を前に抜け落ちる髪の毛を数えているうちはまだいい方なのか。そう思えば、この仕事はおもしろかったと言えるかも(いつもだと気が滅入るけど・・・)。

肉料理再導入案を可決

3月11日。変則標準時で生活するワタシたちのランチはいつも午後11時過ぎ。

ひとつ屋根の下で年中24時間一緒の2人だけど、いつもそれぞれがなんだかんだとやっていて、ゆっくりまとまった話をするのは食事のときと寝酒のひとときくらい。さて、今日のランチメニューはニラと豚肉入りのジョン(チヂミ)。

ほんのちょっとなら、たまに肉を食べるのもいいよね。ときどき肉を食べたくなるもん。
「そうそう。オレもときどき食べたくなる。でかいステーキやハンバーガーを食べたいんじゃないけど、肉もいいなあと思うんだよ。もしからしたら、たんぱく質が足りてないのかもしれないよ」。
(たんぱく質が足りないよ~っていうCMがあったけど、あれは日本のか・・・。)
「おとといの朝にベーコンと卵を食べただろ?」
うん。
「でさ、庭に出てみたら、何かエネルギーもりもりの気分だったんだ。それで、いつもすぐにへたれる感じがするのはたんぱく質が足りないからじゃないかと思ったんだよ」。
魚だってたんぱく質だけど・・・。
「そうだけど、少し肉も食べた方がいいと思うんだ」。
うん、人間は雑食動物なんだから、何でも満遍なく食べるようにできるのよね。
「だから、これからは肉料理を週に1回とか・・・」。

カレシのコレステロール退治のために魚料理に切り替えてほぼ5年。肉料理の復活かあ。でも、たしかに魚と肉ではたんぱく質のパワーというかエネルギーの性質がちょっと違うという感じがするな。

「もっととんかつを作ってくれたらうれしいよ」とカレシ。

いくら好きでも週イチでとんかつはなんだけど、まあ、少な目の量で肉をメインにするのも料理のバラエティが広がっていいな。2人ともいい年だから、ステーキでも何でも小さ目で十分。食べる量が少なければ、Whole Foodsの高い有機飼育の肉を買ってもいいしね・・・。

ということで、提案の「肉料理再導入案」は全会一致で可決されました。(バン!)

感情の連想ゲーム

3月12日。火曜日。起床午後1時。大雨注意報が出ていたのに、それほど降ったような形跡がない。気温は10度。注意報はまだ発令中で、明日は50ミリ、木曜日は35ミリとか、とにかく日曜日までずら~っと「雨」マーク。(これじゃあ彗星は見えないなあ・・・。)

ゆうべはバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズ第4回目。リヒアルト・シュトラウスの『管楽器のためのセレナーデ』で始まって、バースタインの『セレネード』。バイオリンはヴァディム・グルズマン。指揮はゲストのジェームズ・ガフィガン。指揮のスタイルがサンフランシスコのマイケル・ティルソン・トーマスに似ていてかっこいいなあと思ったら、3年間マエストロの下で副指揮者として修行をしたとか。今、世界で引く手あまたの若手指揮者らしい。休憩後の後半はベートーベンの『エロイカ』。実は、全体を通して聞くのはワタシにはこれが初めて。(クラシック音楽専門のシアトルのFM局を聞きながら仕事をしていた頃は楽章単位でしか流してくれなかった。)

バーンスタインの『セレネード』のイントロ、あれっと思った。ララ~ラ~とバイオリンで入ってくるメロディは『ウェストサイト物語』の中で「まり~あ~」と歌い出す、あのメロディだ。音楽ではイントロの2、3小節を聞いて絵のイメージが沸くときがあるし、逆に絵を見た瞬間にイントロのメロディが聞こえることがある。ある画家のアマリリスの絵を見たときは、マーラーの交響曲第5番をオープンするファンファーレが鳴り響いた。嬰ハ短調の和音をばらしたメロディなんだけど、真っ暗な背景の中に凛と咲いた3つの花があの葬送行進曲のイントロを想起させたんだと思う。(後で見たら、絵のタイトルは『音楽』だった。)文学でも、名作と言われる作品にも書き出しが印象に残るものが多いし、映画脚本の勉強をかじったときは「最初の10分でストーリーの雰囲気を印象付ける」と教わった。まあ、人間は「第一印象」や「第一声」がその後の関係に大きく影響するわけで、それが芸術に反映されていると言うことかな。

前半は居眠りをしていたカレシだけど、『エロイカ』は一番のお気に入りとあって、身を乗り出して聞いていた。「指揮がすごく良かった」と。ワタシはもう長いこと埃を被っている自分の芝居台本のことを考えていた。2度目の劇作講座で、「ベートーベンが『エロイカ』を書き上げたときにもしもモーツァルトが生きていたら」という想定で、この2人に歌劇『魔笛』の座元でパパゲーノを演じたシカネーダーを配して書いた一幕もの。8回の講座で4回全面的に書き直してやっと先生が「うん、いいね」と言ってくれた愛着のある作品で、老後プロジェクトに演劇との関わりを選んでから、なんだか埃をさらに書き直しをして、自分なりに完成させてみたい気持になっていたんだけど、ワタシが一番好きな第4楽章が終わりに近づく頃には頭の中はステージのイメージがいっぱい。

モーツァルトは歌劇に情熱を注いだ。歌劇は音楽と芝居が融合したものだけど、音楽を別にして、芝居の方に目を向けると、なかなか色の濃い人間ドラマがある。歌劇が文化の違いを超えて洋の東西で上演され続けるのは、音楽の魅力ばかりでもないように思う。登場人物には強烈なキャラも多い。人間から文化や言語、宗教のドグマを取っ払って、「腹の底」とも言えるようなところで見ると、みんなけっこう同じような感情を持って、同じような性格タイプを持って、同じように葛藤している。日本人の匿名掲示板に溢れる欲求不満や異なるものへの嫌悪感が満載の投稿の主についても、ドグマの包み紙をはがすと「人類共通」の姿が見える。みんな、動物界脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒトの1個体・・・。

小町横町の井戸端散歩がやめられないは、たとえばカナダ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツを舞台にした芝居でもキャラとして違和感なく使えそうな人たちに大勢出会うことができるからかもしれないけど、感情の動物としての「人間」には国境も文化や言語の壁もないということかな。人間のいろいろな形の芸術はある種の連想ゲームのように「感情」でつながっているんだと思う。うん、あの原稿を引っ張り出して、仕事の合間にでも手を入れてみようか・・・。

今日のニュース:デカ目、巨乳、仮病

3月13日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。雨。朝食の支度を済ませたカレシは外へ出て行って、路上駐車しているエコーをバックさせて、掃除に来るシーラがゲートのすぐ前に車を止められるようにする。依然として大雨注意報発令中・・・。

昼のニュースを見ようとテレビをつけたら、どうやら新しいローマ法王が決まったもようで、まだ誰もいないバルコニーの映像。ヨーロッパ以外からの法王は初めて、イエズス会の法王も初めて、フランシスと言う名前も初めてのことで、バチカンに新しい風が吹くかな。イエズス会はカトリックの中でちょっと特異な存在で、政界でいうなら進歩派かな。教育や社会事業に熱心とされる反面、繰り返し政治的、宗教的な弾圧に遭って来ている。日本にも来たフランシスコ・ザビエルはイエズス会の創立者のひとりで、新法王の名前もザビエルから取ったんだろうな。カトリック教会の儀式の煌びやかさと対照的に、なぜかカトリックが主流の国には相対的に貧しい国が多いような気がしていたけど、イエズス会員のローマ法王が誕生したことで、もしかしたら、バチカンがしこたま貯め込んだ巨富を社会福祉活動にどんどん使うようになるのかな。そうなったらいいけど。

オフィスの掃除が済んで、何となく時間が詰まって来てしまった仕事にかかる前に、ニュースめぐり。今日はNational Postの見出しがおもしろい。

イギリスのオックスフォード大学の研究によると、ネアンデルタール人が絶滅したのは「目が大きすぎた」からだとか。ホモサピエンスより前にアフリカを出たネアンデルタール人は、日照の少ないヨーロッパに適応するために目が大きくなり、眼窩の大きさと共に後頭部の視覚中枢も大きくなって、思考や社会性を掌る前頭葉が発達するスペースが足りなくなったらしい。衣類を作るスキルも発達していなかったために氷河時代の到来に適応できず、さらに頑固一徹にマンモスを追いかけて、ホモサピエンスのようにうさぎには見向きもしなかったために、マンモスが姿を消し始めて食糧にも困るようになった。体が大きかったために、あまり満腹にならないうさぎの1匹や2匹を追いかけて捕まえるのはエネルギーの無駄だったらしい。そっか。ネアンデルタール人は「デカ目」だったために脳を高度に発達させられなくて、終には絶滅してしまったということか。目を大きくすればいいってことじゃないんだ・・・。

これもイギリスの大学での研究で、「巨乳好きの男は女性に対して敵意を持ち、女性を「モノ」として見ている確率が高い」という結果が出たとか。ただし、研究の対象になった男性のうちで、「巨乳」に魅力を感じた男の割合は2割弱で、一番魅力的とされたおっぱいは「ミディアムサイズ」(3割強)だったそうな。それでも、この巨乳好き組のうちでも、セクハラをしたり、女性をセックスの対象としか見ない傾向を持つ、女性にとってはメイワクなタイプはさらにその中の何割だけとすると、少なくとも、イギリスの男性に関してはごく少数派ということになるな。つまり、イギリス男はいたってフツーのオトコたちだということか。でも、やたらと巨乳が好きな男って、いるところには相当な数がいるって感じだけどなあ。

オーストラリアのクィーンズランド州の海岸で、遊んでいた子供たちにサメが近づくのを見たイギリスからの観光客マーシャルシーさんが海に入って行って、1.8メートルもあるサメの尻尾を素手でつかんで、深みの方へ引っ張っていって退散させた。たまたまその場で番組の撮影中だったローカルテレビ局のカメラマンがビデオに収め、それがメディアやインターネットを通じて世界に流れて話題騒然。ライフガードもマーシャルシーさんの勇敢な行為を絶賛。ところが・・・。イギリスへ帰ったマーシャルシーさんは妻と共に勤め先から解雇されてしまった。理由?子供たちを救った英雄マーシャルシー氏とその奥さんはなんと「長期病気休業中」の身だった。解雇通知によると、「働けないはずなのに、遠いオーストラリアまで旅行ができただけでなく、サメを尻尾でつかみ、かまれそうになったときは素早くよけることができた」。今の時代いつどこで何がネットに流れるかわからないから、嘘の病気休業でバケーションにでかけるのは勇気がいりそうだなあ。

人間世界は、どこの誰の神サマがどこの誰を見ている、見ていないにはまったく関わりなく、今日もぎっくり、しゃっくり・・・。

イジワルばあさんのひとりごと

ときどきワタシの中のあまのじゃく魂がむくむくと頭をもたげると、ちょっとへそ曲がりの、ちょっと「イジワルばあさん」な気分になる。

もっとも、へそを曲げても、あさっての方を向いて、ワタシ流の屁理屈的ブンセキをして、ブログにごちゃごちゃと書くくらいで、正当と信じる主張はしても人さまに押しつけるつもりはないし、たしかに批判はするけど、八つ当たりや個人攻撃はしない(と思っている)。だって、ワタシにとって、ワタシと言う人間は誰よりも一番大切なんだもの。だから、自分に対して人としての尊厳を傷つけるようなことをしたくないし、自分が大切だからこそ他人もそれぞれに自分を一番大切だと思うのが理解できるから。まあ、どこかで誰かに嫌われているかもしれないけど、ワタシはワタシのことが好きだから、好き嫌いは人それぞれということで、お好きなように。これが、ワタシがこの15年間で学んだ極楽とんぼ流人生の極意・・・。

だから、異国での人生の不満と苛立ちが頂点に達したのか、
「本当にいい加減な事が多いですよね。ミスも多いですよね。でもミスを認めない人も多いですよね。誠意がない人が多いですよね。約束通りに、時間以内にできない人多いですよね。本当に仕事できない人多いですよね。時間がきたら仕事が終わってなくても放ったらかしで家に帰る人多いですよね、裏切られた気持ちになりますよね。そして協調性ない人多いですよね。情のない人も多いですよね。建前では、大げさに励ましたり大げさに褒めたりするけれど、心の中では自分が一番大事って思っている人多いですよね」
と、これでもかというくらいに当たり散らして共感を求めている人を見ると、この人はどうしようもなく疲弊しているんだなあと、気の毒に思ってしまう(ほんとに)。どこかで自分を一番大事だと思うのは「自己中」であって、人間として正しくないと刷り込まれてしまったのかもしれない。「自分」と言う人間を大切にすることの意味がわかっていないのかもしれない。大切にすべき「自分」を見失ってしまったのかもしれない。まあ、植物だって植え替えができるものと、植え替えると枯れてしまうものがあるように、人間にも異国での生活に向いている人と向かない人がいるから、この人は向いていない組だったのかもしれない。

でも、ワタシは異国が向いていたと見えて、すんなりと腰を落ち着けてしまって、さしたる不満も苛立ちもなくのんきに暮らせているので、向いていなかったとわかって苦悩している人に役立ちそうな助言や知恵を持ち合わせていないし、海の向こうにイライラせずに暮らせる真逆のところがあって、夫が自分にとっては異国のその地まで一緒に行くと意思表示しているんだったら、さっさと行動を起こせばいいのにと思うけど、まあ、自分の不満と苛立ちの対極にあるような極楽とんぼの言うことに耳を貸す気持の余裕は、たぶんないだろうし・・・。

だけど、この人の苛立ちから「異国」をはがしてみると、小町横町の同胞の間で交わされる、同僚や家族や友人やママ友などへの不平不満や苛立ち、愚痴とあんまり違いがないように見える。ということは、この人の激しい不満や苛立ちは祖国へ帰れば必ずや解消されると言うものでもなさそうで、問題の根は深そうだな。それにしても、このイライラの吐露っぷりはすごい。よっぽど腹わたが煮えくり返っているんだろうけど、この猛烈な感情のほとばしり、ユニバーサルな登場人物のイメージとしてそっくりいただきだな。いつか強烈なキャラとして肉付けしてみたいと考えるところは、やっぱりイジワルばあさんなワタシ・・・。

結婚式への招待状

3月14日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。まだ雨もようだけど、出ずっぱりだった大雨注意報はとりあえず解除されて、やれやれ。

ボランティア先生のカレシを送り出して、郵便受けを見たら、今日はお知らせが満載の日。

まずは州の選挙管理委員会から[写真]

「BC州選挙管理委員会から、こんにちは」だって。去年からおととしから決まっていた州議会選挙の投票日は5月14日。有権者名簿にちゃんと登録されているかどうかを確認してね、というお知らせ。はい、(A)2人の名前はスペルミスなしで、(B)住所もオッケー。(A)も(B)も正しければ、「アナタは投票できます。後日選挙管理委員会よりご案内いたします」みたいなことが書いてある。間違いがあればオンラインで訂正するか、トールフリー電話番号へ。(B)に住んでいるけど、(A)に名前が載っていない場合は、今すぐ登録!(ただし、カナダ国籍、年齢18歳以上、州に6ヵ月以上居住していて、選挙権を停止されていない人に限る。)まあ、与党が負けると決まっている選挙で、焦点はどれくらい派手に負けるか。投票に行くのがめんどうくさい感じだけど・・・。

次はトロントから、姪のローラの結婚式への招待状[写真]

何かやたらと分厚い封筒だと思ったら、すごく凝った招待状。花嫁と花婿の両親が連名で「ローラとニコラスの結婚を祝ってください」。封筒にはカップルの写真の特注切手。出欠の返事を送る封筒にもカップルの別の写真の特注切手。式と披露宴はお金持がたくさん住むノースヨークのイベント会場だって。遠くからのゲスト用にホテルに特別料金の部屋まで確保してあって、うわ~、すごくお金をかけた結婚式だなあ。よく見たら、あら、差出人は花婿のお母さんで、返事の宛先も花婿のお母さん。

結婚披露宴は花嫁側が取り仕切るのがだいたい普通なので、ちょっと変則的だけど、花婿の家系はギリシャのマケドニア地方の出身(ゆめゆめギリシャ人と呼ぶなかれ)だから、花婿側が取り仕切るのはバルカン半島の慣習なのかもしれないな。それにすごく裕福らしくて、おまけに花婿自身も大銀行のリスク管理のプロですっごい高収入だそうだから、日本だったらローラはまさに「玉の輿」。(でもまあ、ごくあたりまえに共働き路線で行くという話。)披露宴も花婿側の招待客が圧倒的多数だろうな。花嫁側は両親のどちらも大家族ではないので、ちょっとさびしいかも。なのにワタシたちは残念ながら欠席。たまたまハワイ行きと重なってしまったんだけど、まあ、招待状に「ブライダルレジストリー」の案内が入っていたので、惜しみなく結婚祝いを贈って許してもらおう。

ブライダルレジストリーは花嫁が「結婚祝いはここで選んでください」と特定の店を指定するしくみで、日本的な感覚からするとドライかもしれないけど、なかなか粋な方法でもある。ローラとニックは6年くらい交際して来たけど、結婚して初めて一緒に暮らすことになるので、新居には家具から家電、調理道具、食器、リネン類まで何もかもが必要。指定された店のリストの中から予算に合うものを選んで代金を払うと、しかるべき包装をして届けてくれる。堅実なローラが選んだ店はブランド店ではなくて、普通におしゃれな店なのは、さすが。よ~し、かわいい姪の結婚式をすっぽかしてしまう罪滅ぼしに、盛大に山のようなプレゼントを届けてもらうぞ~。

ちっとも変わっていない

3月15日。金曜日。起床は正午過ぎ。雨、一服の感。今日は徹底した仕事日にしないと。きのうはパワーポイントでの上書き処理でひとしきり苦闘。漢字で言葉を短縮表記できる日本語を単語をアルファベットで綴らなければならない英語を置き換えるという作業そのものが土台めんどうな話なんだけど、なぜか日本人が作るプレゼンスライドは、口頭で言えば良さそうな詳細までぎっしり詰めてあるものが多くて、おまけにカラフルだから目がチカチカ。フォントを縮小したり、テキストボックスを広げたり・・・。

7年前の記事は短かったというコメントをいただいて、保存してある2006年のファイルを開いてみたら、ふむ、たしかに短いなあ。でも、こういう記事↓もあって、我ながら、なるほど・・・。

「思ったことを簡潔に書くのは意外と難しい。何か思いついて書き始めたら止まらないのだ。英語でも洪水のごとしなので、日本語だから日ごろたまった思いが溢れて来るというわけでもないらしい。大学のエッセイ(英語)も最初のドラフトはいつも指定の倍以上の長さで、書き直しにとにかく大変な時間がかかる。

この冗舌、なんとかならぬものかと思ってはみるけれど、どうも生まれつきのような気がする。テーマという袋の中からありったけのものをテーブルに並べて、並べ替えたり、不要なものを捨てたりしながら、考えを整理するような思考回路ができているのかもしれない。実際に、取捨選択する過程で自分の考えの焦点が見えてくることが多い。」

7年たってちっとも反省していないらしいのが「自分らしさ」というところかなあ。逆に、冗舌が発達してきたような。でも、こんな↓自分観察もある・・・。

*話しながら手を振り回す癖。 子供の頃からよく「そんなに手を振り回さないの!」といわれたから、たぶんその頃からジェスチャーが大きかったのだろう。夢中になると手が華麗に?踊り、指先まで雄弁になる。何千年も前にどこからかはぐれてきたラテン系の遺伝子が混じり込んだのかもしれない。

*とにかくやってみる癖。 これも子供の頃からだと思う。世の中にはおもしろそうなことが多すぎるのだ。ちょっと興味を持つと、見よう見まねでやってみる。たぶん門前の小僧としては天才レベルかもしれないと内心思ったりする。もちろん、下手の横好きも星の数ほどあるけれど、持って生まれてこなかった才能を恨んでもしかたがない。

*白日夢を見る癖。 コンサートを聴きながら頭の中で詩を書いていたりする。学校時代は先生の話を聞きながら、つい関係ないことを考えてばかり。だから教室にいても講義はあまり頭に入らない。その点、自習しなければならない通信教育は私にぴったり。なんだかADDっぽいけれど、ひょっとしたらそうかもしれないという気もする。

*茫漠としたことを考える癖。 人生の酸いも甘いも噛み分けた(はずの)年なのに、今だに宇宙的なとりとめもない超遠視の議論をしたがる。もしかしたらカール・セーガンの「コスモス」の影響かもしれない。いや、天体望遠鏡を覗いていたのはそれよりもずっと前のことだ。何億年、何十億年も前の壮大な出来事を今ちっぽけな地球から見ていると、宇宙のスケールから見たら人間などまさにナノ秒の存在。その瞬く間をどう生きるかが難しい。

*急いでいないのに走る癖。 別にせっかちではないのに、特に急いでいるわけでもないのに、なぜかよく走る。ある職場で上司が「危なくてしょうがない」と笑いながらキーリングにつける鈴をくれた。猫に鈴とはいうけれど、私はねずみ年の生まれ。おまけに牡牛座生まれなので、ねずみのようにちょろちょろ走るかと思えば、牡牛のように猛進する運命なのかもしれない。

なくて七癖。あとふたつ、何があるかなあ。ま、読み返していると、自分のつらつら思考がついおもしろくなって時が経つのも忘れてしまいそうだから、今日は手っ取り早く過去ログからの「コピペ」でお茶を濁しておいて、今日中にやっつけなければならない仕事に没頭しなくちゃ。3月15日(Ides of March)は危険が潜んでいる日だもんね。


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