この季節になると、吉田拓郎の「春だったね」を口ずさんだりする。
春だったね、のイメージの風景は、ほこりというか小さな竜巻が舞う校庭であったり、強い風に吹かれている土手のタンポポだったりするのである。
これは歌詞の中の
♪風に吹き上げられたほこりのなか♪
とか
♪風に揺れるたんぽぽそえて
とか
♪「広い川原の土手の上を♪
などという断片から集められた風景だと思う。
アルバム「元気です」の冒頭のうたである「春だったね」は、なんというかそのシャリシャリ感というか乾いた音が「春」をイメージさせている。
その後のたとえば「LIVE'73」だと、ウェットな感じになっていて、それはそれで好きなんだけれど、春のシャリシャリ感、ということでは、やっぱり元気ですのほうがいいかな、と思うのである。
ところで、この歌は田口淑子という人の詩である。
で、ラジオで拓郎がいっていたと思うのだが、春だったねはボブ、デュランの曲の「盗作」である、というのだ、そしてそれはその曲にうまく田口淑子の詩がのったからなのである、というのだ。
詩の意味がよくわからない、というところもこの曲が好きな理由で、その時々によって解釈ができる。
♪風に揺れるたんぽぽそえて 君の涙をふいてあげたい♪
という部分が、なんだか、胸がキュンとするのである。(ちょっと恥ずかしい)
というわけで「春だったね」を好きなのである。
春だったね、のイメージの風景は、ほこりというか小さな竜巻が舞う校庭であったり、強い風に吹かれている土手のタンポポだったりするのである。
これは歌詞の中の
♪風に吹き上げられたほこりのなか♪
とか
♪風に揺れるたんぽぽそえて
とか
♪「広い川原の土手の上を♪
などという断片から集められた風景だと思う。
アルバム「元気です」の冒頭のうたである「春だったね」は、なんというかそのシャリシャリ感というか乾いた音が「春」をイメージさせている。
その後のたとえば「LIVE'73」だと、ウェットな感じになっていて、それはそれで好きなんだけれど、春のシャリシャリ感、ということでは、やっぱり元気ですのほうがいいかな、と思うのである。
ところで、この歌は田口淑子という人の詩である。
で、ラジオで拓郎がいっていたと思うのだが、春だったねはボブ、デュランの曲の「盗作」である、というのだ、そしてそれはその曲にうまく田口淑子の詩がのったからなのである、というのだ。
詩の意味がよくわからない、というところもこの曲が好きな理由で、その時々によって解釈ができる。
♪風に揺れるたんぽぽそえて 君の涙をふいてあげたい♪
という部分が、なんだか、胸がキュンとするのである。(ちょっと恥ずかしい)
というわけで「春だったね」を好きなのである。
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