ダ・ダ・ダ・ダーーン
ベートーベン作曲 交響曲第5番である。
世界でもっとも有名な交響曲である。
これを今日「生」で聴いてきた。
娘が所属する某大学管弦楽団の定期演奏会に行ってきた。
まあ、迫力に欠けるのかなあ、という気もしないではないが、なにしろ「生」である。
音が耳からだけでなく、体全体でとらえることができる、というか、体が音でつつまれているカンジである。それに娘がいるとなればなおさらのこと「よかった」のだ。
CDではよく聴いていたが、有名な第1楽章だけでなく、第2楽章、第3楽章、第4楽章もいい。
私は特に第2楽章が好きである。
第1楽章は、自分の気持ちが落ち着いていて、あの主題を受け止めることができるときはいいのだが、受け止めることができないときは、なんだか責められているようで、ちょっと敬遠をしたくなるときがある。(具体的には、お昼寝をするときは第2楽章から聴く。)
今日は、気持ち的にはなんら問題がないので、ドーンとあの「だ・だ・だ・だーーん」を受け止めることができた。きょうは「ひらがな」の主題であった、ような気がする。
追伸
昨夜は小説新潮1月号「高峰秀子インタビュー」(長部日出雄)を読んだ。本日はまだ何も読んでいない。これから小説新潮またはオール読物を読もうと思っている。
ベートーベン作曲 交響曲第5番である。
世界でもっとも有名な交響曲である。
これを今日「生」で聴いてきた。
娘が所属する某大学管弦楽団の定期演奏会に行ってきた。
まあ、迫力に欠けるのかなあ、という気もしないではないが、なにしろ「生」である。
音が耳からだけでなく、体全体でとらえることができる、というか、体が音でつつまれているカンジである。それに娘がいるとなればなおさらのこと「よかった」のだ。
CDではよく聴いていたが、有名な第1楽章だけでなく、第2楽章、第3楽章、第4楽章もいい。
私は特に第2楽章が好きである。
第1楽章は、自分の気持ちが落ち着いていて、あの主題を受け止めることができるときはいいのだが、受け止めることができないときは、なんだか責められているようで、ちょっと敬遠をしたくなるときがある。(具体的には、お昼寝をするときは第2楽章から聴く。)
今日は、気持ち的にはなんら問題がないので、ドーンとあの「だ・だ・だ・だーーん」を受け止めることができた。きょうは「ひらがな」の主題であった、ような気がする。
追伸
昨夜は小説新潮1月号「高峰秀子インタビュー」(長部日出雄)を読んだ。本日はまだ何も読んでいない。これから小説新潮またはオール読物を読もうと思っている。