昨日は「山びこ学校」を見た。フィルムセンターの今井正監督生誕百年特集。大学の授業で「山びこ学校」を取り上げている大森直樹さん(東京学芸大)や学生さん数名と一緒。画面は雨が降り音声は聞き取りにくい状態だった。ただでさえ方言を多数セリフで使っているので判りにくい。だから「山びこ学校」の原作を知っていて、「戦後史研究」的な問題意識がないと難しい。日教組を通して全国の学校で見られたので、フィルムの状態が悪いものしかないのかもしれない。)
「山びこ学校」は現在岩波文庫に入っているが、山形県山元村(現上山市)の山元中学校(2009年末に廃校)の教師だった無着成恭が、学級文集として書かせた作文をまとめたものである。評価が高まり、1951年東京の出版社から出版されベストセラーになった。翌1952年に八木プロ(脚本家の八木保太郎の作った独立プロ)と日教組が映画を製作した。ほとんどが村のロケで、職業俳優もたくさん出ているが(例えば無着の両親役は、滝沢修と北林谷栄)、脇役に過ぎない。無着先生役の木村功(大熱演で、知らない人が見ると村の先生が出演してると思うかもしれない)と村の子供たちが映画のほとんどを占める。同僚や管理職もあまり出てこない。ひたすら「学級の映画」になっている。
村は山の中で、貧しい。山を耕し、葉タバコ栽培などでかろうじて生計をたてている。貧困のため修学旅行に行けない生徒もクラスに8人もいる。ではどうしたら、いいか。「学級会」でとことん話し合う。クラス皆で働いてお金を作ってできるだけ皆で行けるようにしようという結論になる。村は貧しいが、そのことは全員の問題で、クラス皆で解決の道を探ろうという感性が「学級共同体」に生きている。そのような共同体の中で、皆の問題を自分の問題として成長していく子供たち。今では生徒皆がバラバラの課題に直面しているのが、学級経営の前提である。もちろん当時の村だって、特に貧しい家、親がいない家、親が病気がちの家など、一人ひとり違う問題を背負っているのだが、それらをまとめて「一生懸命働いても村が貧乏なのはなぜだろう」という共通の問題意識が成り立っていた。
「共通の問題に直面している子どもたち」をリアルに伝えるのが、画面の子役たちである。工作の場面、旅行で海を見た場面、学級会で話し合う場面、作文を出したくないといいに来る女子生徒、学級会をリードする佐藤藤三郎(「山びこ学校」のリーダー役の生徒である)の発言…子供たちの姿は大変リアルである。戦後の山村の子供たちのリアルを永遠に残したという意味で、この映画化の意味は大きい。作文を書いた子どもたちはどういう人生を歩んだか。ノンフィクション作家の佐野眞一が徹底追跡した「遠い山びこ」という本がある。これは「山びこ学校」と同じように感動的な本で、「戦後」という時代を日本人がどう生きたかの記録として必読である。(文春文庫にある。)
そのように「山村の子供たちの現実」を映画の中に考えていくのが一つの見方である。もう一つ指導者である無着先生=木村功の教師としてのあり方を考えるのも大切な見方だ。多数の子供を担任しながら、子供の心をつかんで子どもたちもマジメに応えている。うらやましいというのが、今の教員の感想だろう。でも、貧困という現実の中で、現実と格闘する中で作り出されたのが、無着先生の作文である。「作文」と言っても、家の経済を原価計算して考えていくなど、「科学的な思考」を「作文」に求めていくものだ。自分の家計を題材に小論文をまとめるのというのに近い。
「人間と動物の違い」を強調するなど、教師の認識は人間主義(ヒューマニズム)で、「村に近代をもたらす」ことが目標だと思う。山に住んでいるけど、山は生活の厳しさをもたらす「敵」であり、まだエコロジカルな発想はない。山里だから子どもが素朴などという発想はない。貧しい村で低学力や迷信が子どもの現実である。そういう時代の実践を、生徒の共同性が崩れた今、形だけマネしてもうまくいかない。やはり生徒実態を教員で共通認識して、それぞれの学校に合ったやり方を模索していくしかない。
僕が疑問に思うのは、木村功が生徒の顔を見ないで出席を取っていること。これは今では認められない。座ったまま出席簿を読みあげるのは、「古い」と思ってしまう。担任生徒数も少なくなっているし、生徒名は暗記して出席を確認しながら顔色を確認しなくてはいけないと今では教えられる。また、村には同姓が多いからだろうけど、生徒を皆名前で呼ぶ(姓ではなく)というのもどうなんだろう。「ちゃんと名字で呼んで下さい」という生徒も今では多いだろう。生徒との関係性の問題で「あえて名前で呼ぶ」のが必要な場面もあるし、「秘書のような生徒」を何人か作れるのも教師の力だとは思う。でも、あまり皆を名前で呼んで、生徒を弟妹のように扱うのも「家父長制」のような感じも持ってしまう。
当時の村の子どもの大問題が「学力低下」だったこと、組合での教研活動が若い先生にとって持つ意味、村にはびこる「迷信」の問題など、考えるべき問題も多く出ている。高度成長以前の山村の生活を理解することは今の若い人には大変だろう。そういう意味で、「昔の生活のパッケージ」という意味も大きい。また学級そのものを描いた映画として貴重な映画である。
ところで、この映画を見なおして、改めて思ったけど、教師の仕事は何が残るのかというと、学級、学年、授業の文集が残るのだ。そういうことをする学年にいたことが多いため、今でも多くの文集をすぐ取り出せる。それは是非多くの教師がやるべきことだろう。どんな形でもいいから、修学旅行文集や卒業文集はなんらかの形で作っておきたいですね。(2020.5.27一部改稿)
「山びこ学校」は現在岩波文庫に入っているが、山形県山元村(現上山市)の山元中学校(2009年末に廃校)の教師だった無着成恭が、学級文集として書かせた作文をまとめたものである。評価が高まり、1951年東京の出版社から出版されベストセラーになった。翌1952年に八木プロ(脚本家の八木保太郎の作った独立プロ)と日教組が映画を製作した。ほとんどが村のロケで、職業俳優もたくさん出ているが(例えば無着の両親役は、滝沢修と北林谷栄)、脇役に過ぎない。無着先生役の木村功(大熱演で、知らない人が見ると村の先生が出演してると思うかもしれない)と村の子供たちが映画のほとんどを占める。同僚や管理職もあまり出てこない。ひたすら「学級の映画」になっている。
村は山の中で、貧しい。山を耕し、葉タバコ栽培などでかろうじて生計をたてている。貧困のため修学旅行に行けない生徒もクラスに8人もいる。ではどうしたら、いいか。「学級会」でとことん話し合う。クラス皆で働いてお金を作ってできるだけ皆で行けるようにしようという結論になる。村は貧しいが、そのことは全員の問題で、クラス皆で解決の道を探ろうという感性が「学級共同体」に生きている。そのような共同体の中で、皆の問題を自分の問題として成長していく子供たち。今では生徒皆がバラバラの課題に直面しているのが、学級経営の前提である。もちろん当時の村だって、特に貧しい家、親がいない家、親が病気がちの家など、一人ひとり違う問題を背負っているのだが、それらをまとめて「一生懸命働いても村が貧乏なのはなぜだろう」という共通の問題意識が成り立っていた。
「共通の問題に直面している子どもたち」をリアルに伝えるのが、画面の子役たちである。工作の場面、旅行で海を見た場面、学級会で話し合う場面、作文を出したくないといいに来る女子生徒、学級会をリードする佐藤藤三郎(「山びこ学校」のリーダー役の生徒である)の発言…子供たちの姿は大変リアルである。戦後の山村の子供たちのリアルを永遠に残したという意味で、この映画化の意味は大きい。作文を書いた子どもたちはどういう人生を歩んだか。ノンフィクション作家の佐野眞一が徹底追跡した「遠い山びこ」という本がある。これは「山びこ学校」と同じように感動的な本で、「戦後」という時代を日本人がどう生きたかの記録として必読である。(文春文庫にある。)
そのように「山村の子供たちの現実」を映画の中に考えていくのが一つの見方である。もう一つ指導者である無着先生=木村功の教師としてのあり方を考えるのも大切な見方だ。多数の子供を担任しながら、子供の心をつかんで子どもたちもマジメに応えている。うらやましいというのが、今の教員の感想だろう。でも、貧困という現実の中で、現実と格闘する中で作り出されたのが、無着先生の作文である。「作文」と言っても、家の経済を原価計算して考えていくなど、「科学的な思考」を「作文」に求めていくものだ。自分の家計を題材に小論文をまとめるのというのに近い。
「人間と動物の違い」を強調するなど、教師の認識は人間主義(ヒューマニズム)で、「村に近代をもたらす」ことが目標だと思う。山に住んでいるけど、山は生活の厳しさをもたらす「敵」であり、まだエコロジカルな発想はない。山里だから子どもが素朴などという発想はない。貧しい村で低学力や迷信が子どもの現実である。そういう時代の実践を、生徒の共同性が崩れた今、形だけマネしてもうまくいかない。やはり生徒実態を教員で共通認識して、それぞれの学校に合ったやり方を模索していくしかない。
僕が疑問に思うのは、木村功が生徒の顔を見ないで出席を取っていること。これは今では認められない。座ったまま出席簿を読みあげるのは、「古い」と思ってしまう。担任生徒数も少なくなっているし、生徒名は暗記して出席を確認しながら顔色を確認しなくてはいけないと今では教えられる。また、村には同姓が多いからだろうけど、生徒を皆名前で呼ぶ(姓ではなく)というのもどうなんだろう。「ちゃんと名字で呼んで下さい」という生徒も今では多いだろう。生徒との関係性の問題で「あえて名前で呼ぶ」のが必要な場面もあるし、「秘書のような生徒」を何人か作れるのも教師の力だとは思う。でも、あまり皆を名前で呼んで、生徒を弟妹のように扱うのも「家父長制」のような感じも持ってしまう。
当時の村の子どもの大問題が「学力低下」だったこと、組合での教研活動が若い先生にとって持つ意味、村にはびこる「迷信」の問題など、考えるべき問題も多く出ている。高度成長以前の山村の生活を理解することは今の若い人には大変だろう。そういう意味で、「昔の生活のパッケージ」という意味も大きい。また学級そのものを描いた映画として貴重な映画である。
ところで、この映画を見なおして、改めて思ったけど、教師の仕事は何が残るのかというと、学級、学年、授業の文集が残るのだ。そういうことをする学年にいたことが多いため、今でも多くの文集をすぐ取り出せる。それは是非多くの教師がやるべきことだろう。どんな形でもいいから、修学旅行文集や卒業文集はなんらかの形で作っておきたいですね。(2020.5.27一部改稿)