フィルムセンターで今井正監督「ここに泉あり」(1955年)を見た。とても感動的な映画なんだけど、いろいろ考えるべき問題がある。この映画は、群馬交響楽団創設期の苦労を描いた傑作音楽映画で、映画において「戦後民主主義」を代表する作品(の一つ)である。独立プロ作品だから製作は苦労したらしいが、プロの俳優とプロの音楽を使った「普通の映画」である。だから松竹系で公開されて大ヒットした。「山びこ学校」や「真昼の暗黒」(冤罪事件として有名な八海事件の無実を訴える映画)のような、シロウトをたくさん使った社会運動的な映画と違う。時間も150分もあり、単独作品では一番長い。(「青い山脈」正続を続けて見れば3時間ほどかかるが。)

出来映えは見事で、今井正監督のプロとしての手腕を堪能できる。1959年の「キクとイサム」が内容的にもテーマ的にも今井監督の代表作ではないかと思うけど、この作品の力も大きいと再認識した。「ここに泉あり」という題名は、今でも使われる言葉として残っている。当時の群馬県では、まだまだクラシック音楽の土壌がない。小中学校などを丹念に回りながら、なんとか音楽を広めていきたいと苦闘する楽団の面々。カネの苦労が人間関係を壊し、争いもたえず、音楽のプロを目指すか、生活の方が大事か、いつの時代にもつきまとう、「夢と現実」の苦労の物語である。
岡田英次(ヴァイオリン)、岸恵子(ピアノ)のカップルが主演。小林桂樹がマネージャーで学校や議会を回る。他にも多数出ているが、特筆すべきは東京の楽団との合同演奏会で、山田耕筰が指揮者として、室井摩耶子がピアニストとして実名出演している。山田耕筰はラスト近くで再登場し、第九を振る。音楽史上の伝説的人物を実際に見られるのはすごい。ラスト近くの場面、もう解散やむなしと追いつめられ、最後と思って利根源流の山奥の小学校へ行く。思いがけず大歓迎を受けてみんなで「赤とんぼ」を合唱するのは落涙必死の感動場面。この映画の公開後のことだが、砂川基地反対闘争(「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」の名言を生んだ)では、座り込みを続ける人々の中から、自然発生的に「赤とんぼ」の歌声が響いたという有名なエピソードを僕は思い出した。
今井監督の主要作品は若い時に見たが、この映画だけはいつも用事とぶつかり、最初に見たのは10年くらい前だと思う。その時も感動はしたけど、当時はハンセン病国賠訴訟の時期で、ハンセン病療養所が差別的に描かれているのではないかという指摘を心に留めながら見た。やはり「差別的な描写」があるように思えたので、「戦後民主主義の限界」ではないかと思った。今回見ると、その問題はそれだけでは済まないと思った。映画内で草津にある国立ハンセン病療養所、栗生楽泉園の「慰問音楽会」場面が出てくる。入所者たちは不自由な手で「音のない拍手」をする。入所者は講堂の後ろにいて、仕切りがあって前には来られない。医者や看護婦など(と思われる)は前で聞いている。入所者代表は「このような地の果てに慰問に来てくれて、一生忘れない」とあいさつする。
(草津のホテルで撮影されたロケ隊の写真)
病気に対する解説は何もないから、ただ見ただけでは「なんという悲しい病気だ」という印象を深めてしまう。しかし、この場面は記憶にあるより長い。岸恵子が難産で大変な冬の夜に、岡田英次は慰問に行っているという設定。楽団員は入所者の現実に圧倒され、真剣に聞く姿に感動して、岡田英次はヴァイオリンの独奏を披露する。悲しみが画面にあふれる場面で、この映画ほどハンセン病患者たちに深く「同情」した映画もないのではないか。帰って来てみると、子どもが生まれている。子どもが死産だったり、母体に影響があれば、よりによって療養所に行ってるうちにという感想を見る者に与えるが、この映画は患者の悲しみに触れた夜に新しい生命が誕生するという構成になっている。そのことを忘れてはいけないと思う。そして、療養所内にもあった深い差別を証明する役割もこの映画が担っている。
現在、交響楽団など文化施設への補助金がどんどん削減されている。「市民が文化を支える」とはどういうことか、この映画で考えた。その意味で、今も力を失っていない映画だと思う。でも、なんでヨーロッパの貴族の文化だったクラシック音楽を小学生に聞かせることが、「文化の向上」になるんだろうか。僕が強く意識したのはそういうことだった。当時はヨーロッパ文化への憧れが今よりずっと強く、「泰西名画」の展覧会があると大人気になったし、ヨーロッパ映画やヨーロッパ文学(まあ、フランスが一番だけど)が憧れの対象だった。それは貴族文化に憧れたのではなく、市民革命が起こり「市民の文化」が成立したヨーロッパの思想や芸術を日本でも目指したいということだろう。
文化を支えるにはお金がかかる。いつの時代も権力者やお金持ちが美術や音楽を支えてきた。日本の古典芸能も庶民に支えられつつも、スターを抱えるパトロンあっての活躍だった。日本人が世界的なクラシックの新人コンクールで受賞するのが当たり前になり、今は韓国や中国の活躍もすごい。モーツァルトやベートーヴェンなどの大音楽家の作った曲がヨーロッパ以外の世界にも通じるのは当たり前である。それは「人類の遺産」なんだから。クラシックの音楽会に行かない人でも、地元にプロの楽団があって、高く評価されるのは地域の誇りだろう。だから群馬県や高崎市は群響に補助金を出してきた。映画の公開翌年には文部省から群馬県が全国初の「音楽モデル県」に指定されたという。地方では行政の支援がないと、クラシックの楽団もプロサッカーチームも自立してやっていけない。
昔の映画はクレジットの記載が少なくて、どこで撮影されたかなどの情報が得にくい。この映画もどんな音楽を演奏してるかも出てこない。まあ、「ラデツキー行進曲」やチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番くらい知ってなさいということかもしれないが。ハンセン病療養所で岡田英次がアンコールで独奏するのは、今調べてみたら、シューマン「トロイメライ」(ピアノ曲「子供の情景」の第7曲)である。日本に珍しい音楽映画の傑作で、DVDも出ている。(2020.1.8一部改稿)

出来映えは見事で、今井正監督のプロとしての手腕を堪能できる。1959年の「キクとイサム」が内容的にもテーマ的にも今井監督の代表作ではないかと思うけど、この作品の力も大きいと再認識した。「ここに泉あり」という題名は、今でも使われる言葉として残っている。当時の群馬県では、まだまだクラシック音楽の土壌がない。小中学校などを丹念に回りながら、なんとか音楽を広めていきたいと苦闘する楽団の面々。カネの苦労が人間関係を壊し、争いもたえず、音楽のプロを目指すか、生活の方が大事か、いつの時代にもつきまとう、「夢と現実」の苦労の物語である。
岡田英次(ヴァイオリン)、岸恵子(ピアノ)のカップルが主演。小林桂樹がマネージャーで学校や議会を回る。他にも多数出ているが、特筆すべきは東京の楽団との合同演奏会で、山田耕筰が指揮者として、室井摩耶子がピアニストとして実名出演している。山田耕筰はラスト近くで再登場し、第九を振る。音楽史上の伝説的人物を実際に見られるのはすごい。ラスト近くの場面、もう解散やむなしと追いつめられ、最後と思って利根源流の山奥の小学校へ行く。思いがけず大歓迎を受けてみんなで「赤とんぼ」を合唱するのは落涙必死の感動場面。この映画の公開後のことだが、砂川基地反対闘争(「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」の名言を生んだ)では、座り込みを続ける人々の中から、自然発生的に「赤とんぼ」の歌声が響いたという有名なエピソードを僕は思い出した。
今井監督の主要作品は若い時に見たが、この映画だけはいつも用事とぶつかり、最初に見たのは10年くらい前だと思う。その時も感動はしたけど、当時はハンセン病国賠訴訟の時期で、ハンセン病療養所が差別的に描かれているのではないかという指摘を心に留めながら見た。やはり「差別的な描写」があるように思えたので、「戦後民主主義の限界」ではないかと思った。今回見ると、その問題はそれだけでは済まないと思った。映画内で草津にある国立ハンセン病療養所、栗生楽泉園の「慰問音楽会」場面が出てくる。入所者たちは不自由な手で「音のない拍手」をする。入所者は講堂の後ろにいて、仕切りがあって前には来られない。医者や看護婦など(と思われる)は前で聞いている。入所者代表は「このような地の果てに慰問に来てくれて、一生忘れない」とあいさつする。

病気に対する解説は何もないから、ただ見ただけでは「なんという悲しい病気だ」という印象を深めてしまう。しかし、この場面は記憶にあるより長い。岸恵子が難産で大変な冬の夜に、岡田英次は慰問に行っているという設定。楽団員は入所者の現実に圧倒され、真剣に聞く姿に感動して、岡田英次はヴァイオリンの独奏を披露する。悲しみが画面にあふれる場面で、この映画ほどハンセン病患者たちに深く「同情」した映画もないのではないか。帰って来てみると、子どもが生まれている。子どもが死産だったり、母体に影響があれば、よりによって療養所に行ってるうちにという感想を見る者に与えるが、この映画は患者の悲しみに触れた夜に新しい生命が誕生するという構成になっている。そのことを忘れてはいけないと思う。そして、療養所内にもあった深い差別を証明する役割もこの映画が担っている。
現在、交響楽団など文化施設への補助金がどんどん削減されている。「市民が文化を支える」とはどういうことか、この映画で考えた。その意味で、今も力を失っていない映画だと思う。でも、なんでヨーロッパの貴族の文化だったクラシック音楽を小学生に聞かせることが、「文化の向上」になるんだろうか。僕が強く意識したのはそういうことだった。当時はヨーロッパ文化への憧れが今よりずっと強く、「泰西名画」の展覧会があると大人気になったし、ヨーロッパ映画やヨーロッパ文学(まあ、フランスが一番だけど)が憧れの対象だった。それは貴族文化に憧れたのではなく、市民革命が起こり「市民の文化」が成立したヨーロッパの思想や芸術を日本でも目指したいということだろう。
文化を支えるにはお金がかかる。いつの時代も権力者やお金持ちが美術や音楽を支えてきた。日本の古典芸能も庶民に支えられつつも、スターを抱えるパトロンあっての活躍だった。日本人が世界的なクラシックの新人コンクールで受賞するのが当たり前になり、今は韓国や中国の活躍もすごい。モーツァルトやベートーヴェンなどの大音楽家の作った曲がヨーロッパ以外の世界にも通じるのは当たり前である。それは「人類の遺産」なんだから。クラシックの音楽会に行かない人でも、地元にプロの楽団があって、高く評価されるのは地域の誇りだろう。だから群馬県や高崎市は群響に補助金を出してきた。映画の公開翌年には文部省から群馬県が全国初の「音楽モデル県」に指定されたという。地方では行政の支援がないと、クラシックの楽団もプロサッカーチームも自立してやっていけない。
昔の映画はクレジットの記載が少なくて、どこで撮影されたかなどの情報が得にくい。この映画もどんな音楽を演奏してるかも出てこない。まあ、「ラデツキー行進曲」やチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番くらい知ってなさいということかもしれないが。ハンセン病療養所で岡田英次がアンコールで独奏するのは、今調べてみたら、シューマン「トロイメライ」(ピアノ曲「子供の情景」の第7曲)である。日本に珍しい音楽映画の傑作で、DVDも出ている。(2020.1.8一部改稿)