尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「もしイタ」を見てきて

2011年11月27日 21時20分57秒 | 演劇
 青森中央高校演劇部の「もしイタ」気仙沼公演を見てきました。「もしイタ」では判らないと思います。「もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」という高校演劇です。青森中央高校は演劇で知られた学校で、この10年間で2度の日本一になっています。顧問の畑澤聖悟さんは、最近見た劇団民藝の「カミサマの恋」を書いたプロの劇作家でもあり、劇団活動もしています。今回の「もしイタ」も畑澤作品で、今年の青森大会で最優秀賞を取り東北大会へ出場することになっています。それを自分たちでバスに乗って被災地を訪れ無料で公演して回るという「被災地公演プロジェクト」。この週末は、26日の1:30に気仙沼、17:30に大船渡、27日1:00に釜石という3連続公演で、すごいエネルギー、「高校生パワー」でそれだけでもすごいですね。
 
 僕が知ったのは、畑澤さんの劇団「渡辺源四郎商店」のホームページを見たからです。当初気仙沼公演は高校の文化祭で行うとされていたこともあり、是非見たいと思いました。誰が見てもいいとは思うけど、あまり遠くからたくさんの人が行くのもどうかなと思ったので、ブログでは紹介しませんでした。最初は前日から行って春に行った唐桑を再訪したいなどとも思ったのですが、金曜日にイラン映画を見たいということで、結局土曜日に早起きして車を飛ばすことにしました。見た後で海の方を少し見て、頑張って日帰りで帰ってきました。東北道は朝から結構車が多いのにビックリ。前に行ったときは福島に入るとずいぶん高速道がガタガタでしたが、今はかなり修復されていました。30分ほど前に、迷うことなく会場の中学に到着。門にパンフが貼ってあります。前のグラウンドには仮設住宅が並んでいます。中学の多目的室にはステンドグラスがあってきれいな会場でした。椅子を並べて、全部で100人程度だったでしょうか。
   
 会場が明るいですが、これでできます。舞台じゃなくても、照明や音響や大道具がなくても、少し広い場所があればどこでもできる劇。自分たちでどこにでも行って上演できる劇。音響効果は全部自分の声で出す。演劇部員27名、みんなで走り回り、作り上げる「笑いあり、涙ありの60分」。あの震災の後で、大津波や原発事故を前にして、発するべき言葉はあるのか。文学や音楽や映画や演劇は、何か発信することは出来るのか。多くの表現者は悩み、迷い、考え続けていると思います。半年以上たち、少しずつ表現も現れていますが、成功しているのかどうか。そんな中で、この高校生の演劇プロジェクト、正直って「やられた」という思いがしました。演劇には、舞台も大道具も音響装置もいらない、自分たちの身体と声さえあれば表現できる。この自由な発想。今、自分たちが元気に活躍することがそのまま被災地とつながるメッセージになるという、素晴らしいプロジェクトです。

 ある高校の野球部。去年はぼろ負けした弱い高校で、皆やる気のかけらもない。そこに訳あって2年になって入部した女子マネージャーが一人で頑張る。最初8人しかいないから試合にも出られないけど、被災地から転校してきた元野球部の生徒を誘い、コーチも呼んでくる。ところが、このコーチは、なんとイタコの老婆だった。イタコの授ける秘策で、果たして地区大会を勝ち抜けるか。という、「もしドラ」のパロディですが、実に驚くべき荒唐無稽な発想で、笑える。イタコという青森のイメージをうまく生かし、確かに笑えて泣けました。イタコの使い方もうまく、最後はわかっていても泣ける展開で、観客の皆さんも感動していたようです。内容もですが、このような劇を作り所せましと駆け回る高校生の姿そのものが「演劇の本質」を伝えている気がしました。

 畑澤さんのブログから少し引用します。
 「青森中央高校演劇部は震災以来、演劇を学ぶ者として、また、東北に暮らす高校生として、何をするべきかずっと考えてきました。」
 「高校演劇部にとって年間最大のイベントである地区大会を終えた9月中旬、部員全員で話し合いを持ちました。その中で今度こそ自分たちが被災地の人たちのために何かやろう、と全員一致で決定しました。わたしたちのやれることはやはり演劇であろうと考えます。今まで学んだことを生かす、というだけではありません。演劇によって幸福を味わわせてもらっている私たちは、演劇で他の誰かに幸福になっていただく努力をしなければならないと思うのです。」
 「本作は執筆の段階から意図的にすべての舞台効果を排除して制作されています。すなわち舞台には一切の舞台装置や置き道具がなく、役者は一切の小道具を用いず、照明・音響効果も使いません。これは被災地での上演を想定したもので、つまり体育館や集会所、グランドなどある程度の広さのある場所ならば照明設備や音響設備、暗幕などがなくても上演できます。仕込みやリハーサルの時間を必要とせず、より被災地のニーズに合わせることが可能になっています。」
 「本作には『舞台効果がない』と書きましたが、それは機材を必要とする電気的効果のことです。27人の高校生(演劇部員全員)が舞台狭しと駆け回るこの舞台では、全員が劇中歌を歌い、全員がBGMを口三味線でハミングし、効果音さえも役者が声で発します。劇中に野球の試合の場面がありますが、その際の観客の歓声、応援団やチアリーダーの声援、バットがボールを捕らえる打撃音など、全ての音響効果が役者の肉声のみで表現されます。このように躍動する高校生の姿をお見せすることによって、元気をお届けしたいと考えています。」

 このような活動を行っている高校生がいるということ自体が感動的で、それ自体が演劇だと思います。僕はこの文章と、発想に深く感動しました。今年の日本は「そもそも」を考える日々だったと思うのですが、そもそも「演劇」(=人間の劇的なるふるまい)とは何かということを考えさせられる劇ではないかとも思います。今後、12.14日夜に、岩手県久慈市で公演がありますが、遠いし平日だし他からはちょっと行けませんね。これは東京で見ても仕方ないですね。現地まで行くということを含めての演劇体験でしょう。もし、今後もあるようでしたら、紹介したいと思います。

 ということで、みなさんご苦労様でした。ありがとうございます。劇中はさすがに写真を遠慮したので、終わった後で皆が挨拶しているところ。最後に気仙沼の有名になってしまった津波で乗り上げた船。陸から撮っているので何だかわからないですが。
  
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