尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中高一貫校神話の虚実-中高一貫校問題②

2014年01月12日 01時20分48秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 中高一貫校に関する本を見ると、大体同じような「求められる理由」が出てくる。それを「中高一貫校神話」と呼んでおきたい。その実際を考えてみる。僕が感じるのは、結局「中高一貫校」を考えるというのは、「専門性」「バイパス」「平等性」という問題に帰着すると思う。6年間も教育するんだから、各学校は「特にこれ」という魅力ある「専門性」をウリにしている。

 もともと「高校受験が大変だ」という声がずっとあり、「高校全入運動」もあったわけだが、例えばスポーツや芸術、あるいは科学技術などの分野で「グローバルな人材」を育てるためには、途中で高校受験が入るのがジャマだというのである。僕もスポーツや芸術の分野では、そういう指摘も当たっていると思うので、中高一貫(どころか小中高一貫教育)も例外的にはあっていいだろうと思う。また各地で独自の地域密着教育を進めるために地元重視の中高一貫校もありうるのではないかと思う。

 しかし、首都圏で私立、公立の中高一貫校が人気になったのは、わが子の専門性を伸ばしたいというわけではない。「大学入試に有利なはずだ」だというのが最大の理由である。それは「高校受験がない」ので、高校受験に取られる中三の時期に「高校の授業を先取り学習できる」ためである。また、「地元の公立中には荒れやいじめがある」と問題視され、子どもがいじめにあわないために「公立中を避ける」ということである。保護者のホンネは「高校受験」と「地元の公立中」を子どもの人生から「避けて通らせる」ということだと思う。これが「バイパス」である。

 もともと東京では1960年代中期まで、東大合格者数は日比谷高校を頂点とする都立高校で占められていた。それが1960年代後半から、私立中高一貫校に変っていく。具体的な数字は1回目に紹介した岩波新書に出ている。そのきっかけとなったのは「学校群制度」である。その問題は何回か後で別に考えたい。私立中に行かせるには、もちろん経済的に大きな負担がある。そこで以下のような思考の展開があるわけである。
①昔、進学実績では都立高校が一番高かった。
②学校群制度で、都立が凋落し、私立の中高一貫校が躍進した。
③難関大学に合格するには、補習や独自のカリキュラムなどを自由にできる私立の方が有利である。
④私立学校は多額の授業料が必要なので、経済的に恵まれない家庭の生徒は難関校に合格しにくい。
そこで公立の中高一貫校を作り、経済的に恵まれない家庭でも中高一貫教育を受けられるようにした

 そういう理解では、公立中高一貫校は「平等化政策」であって、「リベラル派」こそが大賛成するべきだということになる。都教委の公式な見解は以上のようなものだと思う。少なくとも管理職レベルの人は、議論すると皆そんなことを言ってたと思う。しかし、この問題は別の考え方をすることも可能であると思う。座標軸のX軸に家庭の経済状況を、Y軸に子どもの学力を置くとする。そうすると、両方ともに高い第一象限にいる生徒だけが、従来は私立中高一貫教育を受けられた。ところが、公立中高一貫校ができ、X軸では真ん中近くの家庭(最貧困家庭では、いくら公立でも無理だろう)でも中高一貫校に行ける。それは「平等化」ではなく、「Y軸を基準にした場合の上下の差異の拡大」であり、「一種の学力不平等の拡大政策」であるとも言えるからである。

 そもそも、先の思考展開には大きな問題点が潜んでいる。それは私立難関高が独自のカリキュラムで進学実績を挙げると言うのなら、逆に言えば公立高の場合、自分で予備校や塾、家庭教師などで受験準備をしないと合格できないと言うのなら、それは「大学入試制度がおかしい」はずではないのか。それを問わずに、現行大学入試を前提に議論していいのか。また経済力による不平等を問題視するなら、義務教育段階では私立学校を認めるべきではないという考えもありうる。今はそれらの問題は置くとして、先の思考展開を前提にするから、白鷗の中高一貫一期生が東大に5名合格すると「白鷗ショック」になるのである。やはり保護者を中心に、「世間の目」は高校に進学実績を求めているのである

 また前記の思考展開を前提にする以上、都立は進学重点校も中高一貫校も二度と私立中高一貫校の上になることはできない。「日比谷」も「小石川」も、「御三家」(開成、麻布、武蔵)や「女子御三家」(桜蔭、女子学院、雙葉)を抜けないのである。どうしてかというと、公立中高一貫校は授業料が無料だからである。公立高も高所得層は授業料がかかるようになるとは言っても、私立に比べれば安い。学力が高く、経済力もあれば、子どもを私立に行かせられる。それは「優れた教育」をカネで買うだけに止まらず、「経済的に恵まれた家庭の友達」を子どもに与えるということにもなる。親もPTA活動などを通して、大企業の役員、高級官僚、医者、弁護士などのネットワークを得られるという利点がある。だから、公立中高一貫校は設立趣旨からして、「私立名門」の滑り止めになる運命にある。実際、私立中受験開始日の2月1日に合わせるのではなく、当初より3日に適性検査を実施している。
 
 長くなってきたが、進学実績問題は今回まとめて書いておきたい。さて「白鷗ショック」により、「公立中高一貫校が高い進学実績を挙げたことが証明された」と思い込んでる向きもあるようだが、果たしてそれは正しいのだろうか。その問題は河合敦氏の著書の182頁以下に書かれている。中高一貫校よりも、進学重点校のほうがずっと東大合格者が多いのである。進学実績を東大合格者数だけで測るのが適当とは言えないが、今はその数で見ることにする。現役、浪人合わせた数で、経年変化を見ると面倒なので、昨年(2013年)のものだけを見る。
中高一貫校 白鷗(5) 小石川(5) 両国(5) 桜修館(6)
進学重点校 日比谷(29) 西(34) 戸山(10) 八王子東(9) 青山(1) 立川(5) 国立(22)
 
 東京には他に進学指導推進校など、進学指導を推進する学校を指定する制度があるが、「一番上」が「進学重点校」、特に最初に指定された4校ということになっている。ただ、進学重点校には浪人が多い。また生徒数が多い。桜修館は生徒募集数160名中、現役で4名が東大合格である。(2.5%)一方、西高は募集316人中、現役で18名である。(5.7%)それでも、一番多い両校を比べれば、倍の差がある。毎年の合格者数には、たまたまの偶然性がつきまとうが、これで見る限り、「都立から東大に行く」ことを希望する生徒は、中高一貫校に行くより進学重点校に行く方が、ずっといいのではないか。

 それ何故だろうか。データが少ないが、今の段階でいくつかの仮説を立てることはできる。
仮説1 結論は時期尚早
 今のところ、中高一貫校はまだ全校の進学実績が出そろっていない。日比谷や西、八王子東や国立、立川と通学区域が競合する武蔵、富士、大泉学園、三鷹、立川国際、南多摩の進学実績を見ないと、決定的判断は下せない。また、東大合格者は発表されるが、不合格者や事前に志望を落とした生徒数は出てこない。また、理系はともかく、文系では必ずしも東大が優位ではない分野もある。教授の専攻などを考え、地方国立や私立を目指す生徒も多いはずで、「現役で難関国立、難関私立に合格する生徒が全生徒に占める割合」は将来的には、進学重点校、中高一貫校で、ほぼ同じに収れんしていく可能性もありうる。
 
仮説2 東京の中高一貫は失敗
 中高一貫校は進学指導面に関しては、必ずしもうまくいかないのではないか。それは進学重点校の方が、進学向け教員公募などで進学向けの布陣が整っていたり、予算が恵まれていることもある。中高一貫校は教員が中学、高校と受け持つ特性上、教材研究が大変。中学1年生から高校3年生までいるので、行事指導や部活指導も大変。その上、適性検査に加え、併設型では高校の入学検査もあり、多忙にならざるを得ない。そこで中高一貫というのに、異動希望が多くなることになる。そもそも生徒が6年いるのに、教員の異動年限が最長で原則6年と都教委でしている以上、学年進行で2回卒業生を出す担任は皆無となる。経験が蓄積されない。中高一貫に限り、教員は15年、20年といられるようにすればいいはずだが、そうなると教員集団の方が、数年しか在籍しない校長より力を持ってしまう。「現場の力を削ぐ」ことを何よりの最大目標とする都教委が中高一貫校を設置したのは、もともと無理があったのである。

仮説3 中高一貫は成功
 逆に、この結果を「成功」と考えることも可能である。何故ならば、中高一貫校は小学6年生を対象に適性検査で入学者を選んでいて、その教育目標からしても、ある程度多様な生徒を育てることを目指している場合が多い。東大合格者だけでは、日比谷、西に負けるかもしれないが、自分の適性や学力水準を同じ集団の中で6年間で考えているわけで、合格者数ではなく、「現役での納得進路実現者割合」と言った数値で測れば、中高一貫の方が高いのかもしれない。つまり、GDPではなく、ブータンのように「国民幸福度」みたいな別の指標を用いるべきというのが、従来の学校と違う中高一貫校の評価には必要なのではないか。

仮説4 所詮、学校は無関係
 学校の指導がそれほど進学実績に関係するのだろうか。学校群の時も、要するに「高学力層」が私立に流れたということで、「東大に合格できる生徒」は大体どの学校を出ても合格するのである。都立中高一貫ができるということで、一部高学力層が受けるようになったけど、それらの生徒は私立に行っても、また公立中から都立進学重点校に行っても、東大に合格できたのである。

 以上のような仮説は、生徒実態に合わせて少しづつ合っているところがあるのではないかと思っているが、僕が思うにはもっと本質的な中高一貫教育そのものの持つ問題もあるのではないか。

仮説5 中高一貫そのものが大学受験に向かない
 そうは言っても、私立中高一貫校は高い進学実績を誇っているではないかというかもしれない。しかしそれは「仮説4」で言う高学力層の話であると考える。一番高い層は今は私立名門に行くのであり、それらの生徒は成層圏を突き抜け宇宙空間を飛んでいるので、今は関係ない。その下の「高学力層の二番手以下」の場合である。それらの生徒を小学6年生でリクルートしても、必ずしも大学受験に向かない生徒も多いのではないか。小学生ではまだ(特に男子は)自我の目覚めを迎えていない。思春期が遅い場合もある。それらの生徒が中学3年を迎え、「高校受験」という壁とぶつかり格闘する。そこで「成長」があり、大学受験向けに頑張れる層が進学重点校に合格するのではないか。「高校受験」がない中高一貫校の生徒では、大学受験まで6年間ある。そこで大きく伸びるべき「高校受験期」に「中だるみ」が生じうる。親が高校受験をバイパスさせたいと願った思いが、実は逆効果に働く場合もあるのではないか。

 と以上、様々に考えたので長くなってしまったが、結局「中高一貫校だから大学進学に有利」とはほとんどの生徒の場合、どうも言えないのではないかというのが、僕の中間的なまとめである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中高一貫校問題①3冊の本 | トップ | 「公立中バイパス」の是非-... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃 (東京・大阪の教育)」カテゴリの最新記事