尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『近代日本の心情の歴史』ー見田宗介著作集を読む④

2022年10月23日 22時58分37秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介著作集を読むシリーズ、今月は第Ⅳ巻『近代日本の心情の歴史』を読んだ。1967年に出た同名の著作を中心に、「イメージの近代日本史」「柳田国男『明治大正史・世相篇』解説」「近代日本の愛の歴史」という3つの短い文章を収録している。大部分が「心情の歴史」なので、それを中心に書く。この本は簡単に言えば、近代日本の流行歌の歌詞を分析して、そこに日本人の心情の歴史を探る本である。後で書くように、方法的にどうかと思う点もあるし、時代の制約もあると思うが、基本的には「アイディア勝ち」とでも言うべき面白い本である。後の仕事につながる重要な本だと思う。

 戦前から1950年代に掛けて活躍した時雨音羽(しぐれ・おとは、1899~1980)という作詞家がいた。「君恋し」などで知られている。時雨が編集した『日本歌謡集 明治・大正・昭和の流行歌』(1963、現代教養文庫)という本があり、明治初期から1963年(本の出版された年)までの「日本歌謡年表」が巻末にある。そこに載っている497曲の中から歌詞を入手出来た451曲を分析して、主要なモチーフごとに分類する。そしてその数値的な変遷や歌詞内容を分析したわけである。

 そのモチーフを列挙すれば、「怒り」「うらみ」「やけ」「自嘲」「おどけ」「よろこび」「希望」「覇気」「義侠」「風刺」「批判」「慕情」「甘え」「くどき」「媚び」「嫉妬」「ひやかし」「あきらめ」「未練」「孤独」「郷愁」「あこがれ」「閉塞感」「漂泊感」「無常感」になる。歌詞にそれらの因子があるかを3人で判定し、2人が合致したら採用とする。

 見田氏以外の判定者は、井上勲斎藤輝子(後、井上輝子)両氏の協力を得たとある。井上勲氏は「後にすばらしく簡潔な文章を書く日本近代史学者」に、井上輝子氏は「日本におけるフェミニズム理論の初期を切り拓く社会学者」になったと「定本解題」に書かれている。いや、ビックリ。『王政復古』などを読んだ井上勲、「女性学」の先駆者だった井上輝子。二人とも名を知っているが、まだ無名の東大院生時代(多分)のことである。1937年生まれの見田さんにとっても、20代最後の研究と言えるだろう。
(講談社学術文庫版)
 この本は1978年に講談社学術文庫に入っていて、学生時代に読んだ記憶がある。それが上記画像の本だけど、自分のものはどこにあるか判らず検索して探した。現在は絶版のようである。今回はそれ以来、約40年ぶりの読書だが読んでるうちに何となく思い出した。「限界芸術」の中に「民衆思想史」を探るという問題意識が僕にも刺激的だった。というか、僕も同じような方向を志向していた。ただ僕の場合は大衆文学大衆映画を取り上げたかった。あるいは映画やミステリーが成立する場所としての「都市」という関心もあった。だから非常に面白かったし、方法論的な共感も強かった。

 でも、何というか途中で飽きてしまうのである。この本は先に挙げたモチーフを整理し、「怒りの歴史」(以下「の歴史」は省略)、「かなしみ」「よろこび」「慕情」「義侠」「未練」「おどけ」「孤独」「郷愁とあこがれ」「無常感と漂泊感」の10テーマにまとめて分析する。その際、どのモチーフはどの時代に多く、どういう変遷をたどるかなどが考察される。と同時に主要な「流行歌」の歌詞を取り上げて分析するわけである。でも「歌詞」分析に止まるから、10テーマもあると飽きてくるわけである。

 「怒りの歴史」を見てみると、数としては非常に少なく15曲で明治初期に集中しているという。でも当時はまだラジオもレコードもない時代で、自由民権運動の壮士たちが歌う「ダイナマイト節」などである。これを昭和期のヒット曲と同じレベルで評価してよいのかは疑問だ。むしろそれら「演歌」を作り出した人々、例えば代表的な演歌師として有名な添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう、1872~1944)などの伝記的研究の方がずっと面白いのではないだろうか。「限界芸術」といえども「作家」が存在する以上、単なる作品分析だけでは不十分ではないか。しかし、「心情の歴史」に絞って分析する本書ではそこには踏み込まない。
(添田唖蝉坊)
 それぞれ個別分析は興味深いけれど、ここでは特に興味深かった「郷愁とあこがれの歴史」に絞る。日本では戦争をはさんで昭和中期に「郷愁」の歌が多かった。多くの国で工業化に際して農村から「労働力」が供給される。しかし、日本ほど故郷に「郷愁」を持つことは少ないという。日本では「出稼ぎ型」労働が多く、「ふるさとを追われてきた」のではなく、「ふるさとを見捨ててきた」のでもなく、どちらかと言えば「ふるさとに見送られてきた」という。100%の家郷喪失者ではなかった。

 戦後になって10年前後の時期には、東京への憧れを歌う歌と故郷への憧れを歌う歌が同居している。「東京のバスガール」「有楽町で逢いましょう」と「別れの一本杉」「東京だよおっ母さん」が同じ時期にあった意味は何か。そこではもはや「都会の孤独」対「ふるさとの温かさ」という対立軸では論じられないという。それは「南国土佐を後にして」が日本調で吹き込んだ曲はヒットせず、同じ曲をペギー葉山が洋楽調で歌って初めてヒットしたという事実に特徴的だという。そして「安保闘争後」に「望郷」を歌った代表的な曲である「北上夜曲」では、イエやムラへの郷愁はなく、初恋の舞台としての自然の美しさのみを歌うに至る。

 僕が一番時代的な制約を感じたのは、笠置シヅ子東京ブギウギ」の記述である。「笠置シヅ子が、やせた身体を舞台いっぱいに踊らせて、歌うというよりは絶叫した「東京ブギウギ」は、時代の心情のある一面をあまりにも鋭く体現していたが故に、戦後状況の収束とともに、ほとんど聞くにたえないものになってしまった」「こんにちたとえば、音量いっぱいにあげたラジオでこの歌を聞くならば、我々は顔を赤らめるだろう」とまで書いている。1967年にはそういう感覚が存在したということが興味深い。今ではむしろ「戦後民衆のエネルギー」を象徴する歌として思い出されていると思う。エネルギッシュで楽しく、別に恥ずかしさなんか感じない。後の世代は笠置シヅ子を「再発見」したのである。
(笠置シヅ子「東京ブギウギ」)
 結局この本は「高度成長以前の民衆の心情」を分析したことになる。むしろ問題は、高度成長下の60年代、70年代であり、その後の「安定成長」「長期不況」の中で「流行歌」そのものが変容していった時代をどう考えるかである。今では流行歌を通して日本人の心情を分析するなんていう方法論そのものが成り立たない。「日本レコード大賞」受賞曲を調べてみれば、ある時点までは「国民皆が知っていた歌」があることが判る。そういうのは多分、1981年の「ルビーの指輪」、1982年の「北酒場」ぐらいで終わる。(例外はあるけれど。)だから、この本の続編を書こうという人は現れないだろう。

 作詞家や作曲家、歌手の分析が少ないのは残念で、そこが「社会学」と「歴史学」が違う部分だと思う。歌詞で聞くと言うより、人気歌手の歌だからはやるというのが現実ではないか。だから「歌手」をいかに売り込んだかなどの実証的研究が不可欠だ。ところで、僕はここで取り上げられている歌の半分ぐらいは何となく口ずさめる。若い人でもネットで探せば聞けるだろう。歌を知っていれば、なかなか楽しい近代民衆史である。長くなったので、他の文章は省略。
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