尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件の真実」を読む

2021年04月05日 20時57分41秒 | 〃 (さまざまな本)
 リチャード・ロイド・パリーの「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件の真実」(上下、ハヤカワ文庫)を読んだ。「感動的な魂の書「津波の霊たち」(リチャード・ロイド・パリー)を読む」を先に書いたが、そのリチャード・ロイド・パリー氏の前著である。「津波の霊たち」が素晴らしい本だったので、「黒い迷宮」も読んでみたいと思ったのである。原著は2011年に刊行され英米で非常に高く評価された。濱野大道氏による翻訳が2015年に出て、2017年に文庫化されている。

 これは確かに驚くべき犯罪ノンフィクションの傑作だ。ただし感想を書くのは難しい。犯罪そのもの、犯罪を犯した者、犯罪の被害者、その家族のことは、どんな事件であっても書きにくいと思う。しかし、このルーシー・ブラックマン事件ほど書きにくい事件もないように思う。事件は2000年7月に起こった。東京・六本木のバーで「外人ホステス」をしていたルーシー・ブラックマン(21歳、元英国航空客室乗務員)が行方不明になったのである。彼女は親友とともに日本に来ていた。友人が警察や英国大使館に相談に行くが消息はつかめない。そのうちカルト教団に入って修行するから探さないでというハガキが来る。真相はどこにあるのか。

 イギリスから家族もやって来る。しかし、ルーシーの父母は離婚していた。父はワイト島で新しい家族と暮らし、母はルーシーの妹、弟とロンドン南部の町に住んでいた。父と妹がまずやって来る。母も後に来るけれど、決して父とは同じにならないようにしていた。娘を思う気持ちは同じでも、別れた夫婦は全く「敵同士」のような状態にあった。この本がすごいと思うのは、英国人として取材しやすい条件はあるとしても、ここまで家族のことを深く書き込むのかということだ。出版前に原稿をそれぞれに見せたところ、双方とも相手に良く書かれていると言ったという。この両親の行き違いを読むのは辛いけれど、人間世界の苦さを読む者も味わうことになる。

 著者は英国人だから日本事情に関する説明が出て来る。それが日本人にも興味深い。外国から見れば、お酒の接待だけを行うホステスが理解出来ない。それはつまり「売春」の婉曲な表現なのではないか。しかし、僕もこの本を読んで知ったことだけど、「外人バー」は「同伴出勤」(客と夕食を食べて、その後一緒に店に来ること)は奨励されるけれど、店では一緒にお酒を飲んで会話をするだけなのである。ただ、その会話が「英語」であることに意味があった。英語で会話できる(と思い込んでいる)人が飲みに来て、観光ビザで来た外国人女性が接待するのである。

 日本人からすれば「英国航空客室乗務員」を退職して、バーで働くことは理解出来ない。しかし、英国では客室乗務員の地位は高くないのだという。それは「空飛ぶホステス」みたいな仕事で、チームを組むわけでもなく時間に追われる。そして客に飲み物を配って行くことで、妹によれば「姉は同じ仕事をしていた」ことになる。日本では客室乗務員(キャビン・アテンダント)なんて呼ばれる前は「スチュワーデス」と呼ばれ女子の花形職業だった。「容姿端麗」に加え「英語が話せる」ことが求められるから、「高級感」が出て来る。

 被害者には弱みがあって、カードでつい買い物をして借金がかさんでいた。そういう人はどこにでもいるのだ。だから疲れるだけの英国航空を退職して、日本で稼げるという話に賭けた。親友に誘われて一緒に来る気になった。代々木の「外人アパート」に住んで、すぐに六本木の仕事も決まった。そこら辺の話がじっくり進行し、なかなか真相が明らかにならない。たまたま沖縄サミットがあった年で、家族はブレア首相を引っ張り出して、日本の森首相に要請を行う。日本警察は威信を賭けて捜査せざるを得なくなる。それにしても、ルーシーはどこへ消えたのか。
(逗子マリーナ)
 冒頭に川端康成眠れる美女」から引用されている。そのことの意味が判明するとき、この犯罪の深淵に息を呑む思いがした。「逗子マリーナ」の写真を載せたが、ここは日本でも初期に開発された海浜リゾートで椰子が並んでいた。今はリビエラグループが経営するが、2000年当時はもうすぐ破綻するセゾン系の西洋環境開発が経営していた。ここは川端康成最期の地であり、この犯罪が起こった場所でもある。その犯罪を起こした「織原城二」という人の人生が語られる下巻になると、俄然物語は緊迫していく。

 それを書くのは止めておきたい。長い本だけど、自分で読んで貰えば判ると思う。自分で驚いて考えるためにも、また誤解を避けるためにも書かない方がいいと言うことが。とにかく犯人の人生は驚くべきものがあり、犯罪内容も驚くものだ。理解出来る犯罪はないかもしれないが、それにしても全く理解不能なタイプの猟奇的犯罪だ。犯人を突き止めることにおいて、日本の警察は有能だったとは言えないが、著者は日本ではこのようなタイプの犯罪と犯罪者は珍しいのだという。犯罪率が低く、捕まれば「自白」する犯罪者が多い中で、警察の捜査力と想像力は鍛えられない。「想像を超えた犯罪」には弱いのである。オウム真理教事件のように。

 僕はこの事件をうっすらと覚えているけれど、内容はほとんど覚えてなかった。当時の報道も覚えていない。日本の事件捜査に対する著者の見方は、なるほどと思わされた。起こった出来事も書かないけれど、容易に調べられる。本も入手しやすい。被害者の顔もいまさら載せる必要もないだろう。著者の写真と経歴は「津波の霊たち」の記事を参照。
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