尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

和田誠「銀座界隈ドキドキの日々」、幸せな読書

2020年03月17日 23時07分51秒 | 〃 (さまざまな本)
 新型コロナウイルス問題を書いてたら、やはり気持ちが明るくなるとは言えない。その頃に島本理生の長大な「アンダスタンド・メイビー」を読んでて、とても面白かったけど結構心に辛い気分になった。そこで次は幸せな気分になれる本を読みたいなと思って、最近買ったばかりの和田誠銀座界隈ドキドキの日々」(文春文庫)を読むことにした。そして何だか幸せな気分になった。もっとも帯に「追悼 和田誠」と書いてあって、古い本なのに特設の棚に並んでた。だから追悼読書だったのだが。

 元は「銀座百点」(銀座のタウン誌)に連載され、1993年に単行本になった。その年の講談社エッセイ賞林望の「林望のイギリス観察辞典」とともに受賞している。1997年1月に文庫化され、今回第5刷と奥付に出ている。単行本ならともかく、文庫になったら買ってもよさそうなもんだけど、今までこの本があることにも気付かなかった。90年代以後、あまり本屋に行けない勤務環境になって見逃すことが多くなった。こんな面白い本を今まで知らなかったとはもったいなかった。

 和田誠(1936~2019)は多摩美大卒業後、1959年に銀座のライトパブリシティに入社した。この会社は日本初の広告宣伝制作の専門会社だという。「高度成長」さなかの東京の熱気を体言するような会社だった。1968年に退社するまでの思い出が語られているが、綺羅星のように若き有名人が出てくる。才能のほとばしるまま、若いアーティストたちとの熱い日々が語られる。ジャズや映画の話題も満載で、読んでいて楽しい。銀座にあった会社だから、「銀座百点」から執筆を要請されたが、著者はほとんど銀座の話じゃないと断っている。その通りで題名と違って銀座の本ではない。

 有名な「ハイライト」(タバコ)のパッケージのデザインなど本職の話もある。しかし、若い和田誠は大企業の宣伝を任されることは少なく、むしろ会社以外の話が多い。今では「兼職」がどうのとか言われるだろう。勤務時間内に会社以外の仕事をしているわけだが、会社の方も鷹揚だった時代である。「イラストレーター」という言葉もほとんど知られていなかった時代に、会社としても社外で有名になることも悪いことではなかったのである。

 寺山修司横尾忠則粟津潔立木義浩篠山紀信谷川俊太郎武満徹矢崎泰久、いやいや、もっともっと出てくるが思い出せないぐらい数が多い。もっと大物の先生方も出てくるが、それよりも「その当時は無名の若者だった」人々の若き姿が興味深い。寝食を忘れて自己表現を競い、また同時に全身で楽しんだ若き日々の記録である。60年代は日本だけでなく、世界中で「文化革命」が起こった時代だ。新しい感性が様々な分野で求められていた。

 60年安保の時に、何もしなくていいのかという声が出たという話もある。デモに行くよりも、自分たちならではのことをと思って、ポスターを作った話。そこから社会党のマークを頼まれた話など興味深いエピソードが出てくる。アメリカの映画、アメリカの音楽、アメリカの美術などに親しんで育ったが、だからこそアメリカが間違ったベトナム戦争には憤る。反戦ポスターを作り、また反戦広告を考えるが企業には理解されない。ほとんどが絵と音楽と映画の話だけど、戦争は嫌は共有されていた。

 「60年代青春物語」は大体面白い。テレビ界を描いた小林信彦テレビの黄金時代」、出版界を描いた嵐山光三郎口笛の歌が聴こえる」、村松友視夢の始末書」、フォークソングのなぎら健壱日本フォーク私的大全など、すべて抜群に面白い。他にもたくさんあると思う。何がそんなに面白いかというと、勤務時間とか「闇営業」とか気にしなかったのである。和田誠も勤務開始の10時にはほとんど出社せず、11時頃だったという。途中で抜けることも多いが、会社の仕事が終わらないとずっと残って完成させる。そんな夢のような時代の思い出で、二度と戻ってこないんだろう。

 ところで、和田誠の膨大な作品、及びコレクションはどうなるんだろうか。もちろん家族がきちんと考えているんだろうけど、散逸しないで数年後には「和田誠展」が開かれることを願っている。
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