尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

猛暑の中「マティス展」を見に行く

2023年08月02日 22時52分11秒 | アート
 アンリ・マティス(1869~1954)の本格的な展覧会が上野の東京都美術館で行われている。(4月27日~8月20日。)去年予告があった時から、これは見たいなと思った。ピカソに比べてマティスは、あまり見てないと思う。もちろん単発では何度も見ている。だがちゃんとしたマティス展に行ったことはないような気がする。でも段々マティスに惹かれる気持ちが出て来た。だけど、猛暑である。葬式もあって時間が取れない中、気付いてみれば終了も近い。猛暑だなんて言ってる場合じゃない。そろそろ行かないと。
 (アンリ・マティス)
 今回の展覧会は「本格的」なものである。つまり「全貌」が時代順に展示されている。それで判ることは「マティスと言えばフォーヴィズム」になる以前が長いということだ。マティスは1869年、つまり日本で言えば明治2年の生まれで、フォーヴィズム(野獣派)は20世紀初頭のムーヴメントである。40歳を越えてからのことだった。それまでは様々な画家の影響を受けて創作していて、それはなかなか上手いんだけど、それだけなら日本で展覧会は開かれない。その時期に描かれた『読書する女性』(1895)は、当時のパートナーがモデルだという。彼女は2年前に女児を産んでいたが、マティスは1898年に別の女性と結婚した。
(『読書する女性』)
 マティスは1920年代にニースに転居した。それからわれわれがマティスと思うような作品が出て来る。例えば『赤いキュロットのオダリスク』(1921)などで、こういうのを見に来たわけだけど、場内が暗いので案外色彩の氾濫という印象がないなあ。むしろ、それまでに展示されていた彫刻など、滅多に見られないものが貴重。第二次大戦中にニースが危険になり、近隣の小さな村ヴァンスに転居した。チラシに使われた『赤の大きな室内』などが描かれた。やはりマティスは赤である。
(『赤いキュロットのオダリスク』)
 晩年の切り紙絵も面白い。切り取った紙が足元に散らばってる写真があって、散らかってると言ってた客がいた。別にあの程度は散らかしているうちに入らないでしょう。そして最後にヴァンスに作られたドミニコ修道会のロザリオ礼拝堂の写真が展示され、映画が上映されている。マティスはここの内装をデザインし、ステンドグラス、上祭服などを作製した。この礼拝堂がマティスの最高傑作という人もいるらしい。実際、実に素晴らしい場所に見える。持ってくることは出来ないから、写真等で接するしかない。でもこれがマティスの最後の境地かと実感出来る。1948年から51年に掛けて作られ、1954年にマティスは死去した。
(ロザリオ礼拝堂)
 上野駅公園口から都美術館はそんなに遠くはないけれど、まあ正直言うと猛暑でイヤになった。マティスの全貌をどうとらえるかなどと感じる余裕はなく、椅子に座って涼んでいたい、結構大変なアート体験。まあ、家からは近いけど。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画『クロース』、心震える... | トップ | 藤田敏八監督『十八歳、海へ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アート」カテゴリの最新記事