尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

荷風散歩「つゆのあとさき」

2014年08月20日 23時03分44秒 | 本 (日本文学)
 永井荷風つゆのあとさき」は、銀座のカフェーの「女給」を主人公にした傑作風俗小説で、1931年(昭和6年)に「中央公論」に発表された。題名からして、梅雨前後に書こうと思って散歩していたのだけど、これも書く機を逸して放っておいた。舞台は銀座なので半分ほどは、銀座散歩と重なる。しかし、現在の銀座に戦前のゆかりはほとんどない。

 荷風と言えば、戦後は浅草にほぼ毎日通ったことで知られる。しかし、麻布に住んでいた戦前の荷風は、地下鉄(銀座線)ができるまでは、そう簡単には浅草へ行けない。昭和前半には市電を使って銀座へ出かけていた。震災後の銀座には「カフェー」がたくさんできていて、荷風はそこにも通った。「カフェー」というのは、喫茶店ではなく、またキャバレーやバーとも違うようだけど、「女給」という名の「ホステス」がいる風俗営業である。女給は原則として無給で、客からのチップが給料というんだから、「自由恋愛」がお盛んになるのも当然だろう。こういう「安直な性風俗」に身を任せる女性が登場する時代になったのである。明治ごろまでは、シロウトは「良妻賢母」で、クロウトは「芸者」という確固としたすみわけがあったわけだが、それが崩れてきたわけである。

 荷風はそれを慨嘆もしつつ、興味津々で観察を続け、女性交際にも利用した。「つゆのあとさき」はその意地悪観察の偉大な成果で、男から男へ軽々と飛び回る女給の君江を主人公にして、周りの男性を辛辣に描いている。昔読んで面白かったが、今度再読して改めて面白かった。人間観察と文章で読ませるのである。それが何だという世界には違いないが、やはりどんな世界でも生き生きした人間は面白いのである。君江の勤めるカフェーは松屋の先と書かれているが、もちろん今は何もない。というか、そもそも現実のカフェーはその辺りではない。荷風が一番通った「タイガー」とか「モナミ」というのは、中央通りを新橋方向へ行った6丁目、7丁目のあたりにあった。

 君江はある日、通勤途中に日比谷で降りて占いに運勢を見てもらう。しかし、はっきりと相談しないから、占いも大した話にならない。というのも街巷新聞なる銀座周辺の小新聞に、君江のほくろがどうだとかいう変な記事が載って心配したのである。それを知ってるのは数人の男しかいないはず。という「日常の謎」が話の発端で、君江のパトロンの通俗人気作家清岡など様々な男が登場する。この清岡の妻も登場するが、引退して世田谷に住む清岡の父をひんぱんに訪ねる良妻で、この二人だけがある程度まともな人間。後は時代の波に乗ろうという世俗の人物ばかりで、その様々な様子が辛辣に描かれる。

 ところで、君江は市ヶ谷近辺に住んでいるのだが、その辺りは貧民街に描かれている。そこからどうやって通うかというと、四谷から半蔵門、桜田門、日比谷、銀座と宮城(皇居)の西を回る市電路線が当時はあったのである。(今の地下鉄にはそういうルートがない。)それで通勤する途中で日比谷で途中下車できるわけである。しかし、帰りは銀座ですぐに市電やタクシーに乗ると、嫌な客に家を知られる恐れがあるので、ちょっと日比谷辺まで歩いてから帰るようにしている。結構、苦労もあるのだ。

 明治時代に東京の「三大貧民窟」の一つと言われたのが、四谷の鮫が橋である。今は地名が無くなっているので判らないが、四谷駅西南の低地地帯がそのあたり。君江が住んでいるというのは、もっと北の三栄町、新宿歴史博物館があるあたり。その一帯も坂が多い。坂の下が湿地となり、ゴミゴミした家が立ち並ぶという構図は東京の基本構造である。君江はある日、別の男に言い寄られタクシーで家に一緒に行くことになる。家の近くで降り(家の前までは車は入らない)、そこで待っててと言うが、男は待ちぼうけを恐れて付いてきて、うっかり溝に足を踏み入れてしまう。だから、待っててと言ったじゃないというところである。一方、あまりに多くの男に不義理を重ね、津の守坂でタクシーから降ろされてしまい、怪我してしまうこともある。津の守坂というのはこんな感じ。
  
 その地域は坂が多く、今は坂でもマンションなどが立ち並ぶので、貧富の差は見えてないわけだが、昔は確かに密集した住宅地だったろうなと思わせる。坂を登り切った上が防衛省で、戦前は陸軍士官学校、戦後は東京裁判が行われ、自衛隊東部方面総監部があった時代には三島事件の現場となった。君江が住んでいるのは、そういう場所から近い坂下の貧民街ということになる。三枚目が防衛省。
  
 君江は清岡とのゴタゴタで気分が落ち込んでいると、歩いていて旧知のおじさん(川島)という老人とバッタリ会う。東京に家出してきた時分に、芸者の友人宅で見かけた人物だが、会社の金を遣い込んで懲役にいった。どうやら出てきたばかりらしい。つい話し込み、家まで連れてきてしまう。この川島老人と出会って、最後に人生を考えて一応の終り。市ヶ谷駅前には亀岡八幡宮があって、君江もそこまで行って東京を眺めたりしたこともある。今も急坂を上るが、周りはビルだらけで何にも見えない。「つゆのあとさき」という小説は、東京という町を主人公にした都市小説なのではないかと思う。今のように、性風俗がもっと自由になったかに見える時代になっても、人間の本質はそう変わるわけではなく、今も新鮮に読める理由はそこにある感じがする。写真は亀岡八幡宮のようす。
   
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