尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中山千夏「ぼくは12歳」-レアCDの話④

2018年08月25日 23時02分58秒 | アート
 もう少し「レアCD」の話を。先ごろ映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」を見て、たくさん持ってたはずのCDをしばらく聞いてないなあと思った。どこにあるのか探してしまったが、10枚以上持ってたのにはビックリした。90歳を超えて人気者となったコンパイ・セグンドなんか、今ではレアものに入るかもしれない。他にもエストニアのジャズ・ピアニスト、トヌー・ナイソー・トリオのCDを2枚持ってる。これもレアだろうが、ジャズのことは詳しくなくて語ることがない。

 4回目には中山千夏の「ぼくは12歳」について書きたい。CDを持ってる人は少ないと思う。もっともレコードで持ってる人はかなりいるだろう。2回目で書いた高橋アキの兄である高橋悠治が作曲している。作詞は岡真史。名前を覚えている人はどれだけいるだろうか。在日朝鮮人作家の高史明(コ・サミョン、1932~2023)と世界史の教員だった岡百合子との子である。だが、12歳で自ら死を選んだ。彼の遺したノートが「ぼくは12歳」(1976)として出版され、大きな反響を呼んだ。

 高史明と言えば、「生きることの意味 ある少年のおいたち」(1974)を読んだばかりだった。今まで読んだ多くの本の中で最も感動した本の一つだと思う。これはちくま書房から「ちくま少年図書館」という子供向けシリーズの一冊として出た本である。日本児童文学者協会賞も得て大きな評価を得た。よりによってと言ってはなんだけど、どうしてあの感動的な本の著者に、一人息子の自死という悲劇が訪れなくてはならなかったのか。その悲しみをどう理解すればいいのか。

 僕はその辺はよく判らない。背景に何があったのか。今なら「いじめ」かと問題になるかもしれない。しかし、「ぼくは12歳」を読んで感じるのは、ひときわ感受性が鋭かった少年が世界と向き合っている姿だろう。「ひとり ただくずれさるのを まつだけ」といった、ある意味「絶唱」というべき言葉には心揺さぶられた。その詩集(のようなもの)に高橋悠治が曲を付けて、中山千夏が歌ったレコードが1977年に出された。(当時中山千夏と結婚していたジャズ・ピアニストの佐藤允彦もシンセサイザーで参加している。)僕はもちろんそのレコードも持ってる。

 レコードで持ってると、CDは買わないことが多い。だからレコードをいっぱい持ってたビートルズもCDでは持ってない。コルトレーンとかビリー・ホリデイとか、レコードでは時々聴いてたけどCDは買い直さなかった。「ぼくは12歳」のレコードを買ったのは、中山千夏にも高橋悠治にも親近感があったからだが、それ以上に岡真史という少年の言葉に深く魅せられていたからだ。でも聞いたからと言って何かが解決したわけではなかった。当たり前だけど。

 そのレコードが2006年にCD化された。DENONから紙ジャケットで発売されている。これを買ったのは、実は教材化できないかと思ってのことだった。「合唱構成 ぞうれっしゃがやってきた」や、きたがわてつ「日本国憲法前文」のように、授業で使えそうなCDという買い方もある。CDなら教室でも再生できる。実際にはなかなか難しくて、一回ぐらいしか利用しなかった。「ぼくは12歳」を21世紀の若い世代とともに聞くという授業は、誰かが試みて欲しいなと思う。
 
 それにしても、「ぼくはうちゅう人だ」や「ぼくはしなない」という言葉を残した少年に何があったのか。後者の後半では「ぼくだけは ぜったいにしなない なぜならば ぼくは じぶんじしんだから」(「じぶんじしん」には傍点つき。)と書かれていた。高史明氏はそののち、親鸞と浄土真宗に関する本が多くなる。そのことを含めて、僕にはまだどう考えるべきかよく判らない。
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