尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

全国の高校を単位制にしてみたら!

2020年05月05日 22時59分04秒 |  〃 (教育行政)
 全国で学校休校が長引くことによって、「9月入学」という議論も起こっているわけだが、あまりにも巨額の費用がかかるから義務教育での実施は難しいだろう。仮に実施したとしても、それは「日本型教育システム」をそのまま5ヶ月後ろにずらすだけである。それを「欧米に合わせる」と称しているわけだが、合っているのは「入学・卒業時期」だけである。教育制度面で「欧米に合わせる」ことを真剣に考えるなら、「義務教育における落第」や「大学入学資格試験」(フランスのバカロレアのような)、高校における「単位制」制度の導入など、もっと先にに検討するべきことがいっぱいある。
(単位制高校のシステム)
 「単位制高校」といってもいろいろある。そもそも今でも全ての高校は単位制である。しかし、ほとんどの高校は「学年」をベースにして、ごく一部の選択授業を除いて決められた「学級」(クラス)単位で学習する。クラスのメンバーは学年ごとに「クラス替え」することが多いが、その決まったメンバーでずっと授業を受けることに変わりはない。学校ごとに細かい決まりは違うが、基本的にほぼ全ての授業で「単位」を「修得」(成績が2以上)しないと卒業、進級が認められない。それを「学年制」と呼ぶ。

 今は私立の通信制高校が幾つも出来ている。通信制高校はシステム上、一斉授業は出来ないわけだから、当然単位制である。学習指導要領に決められた「必履修科目」をすべて修得し、他の科目も決められた単位数を修得すれば卒業が認定される。だから、「単位制」高校とは「通信制」だと思っている人もいるようだ。しかし、毎日登校する高校でも「単位制」はいっぱいある。ほぼ学年制のような全日制単位制高校もあるし、全日制と定時制の併置校もある。午前・午後・夜間に分かれた三部制単位制高校もある。東京都には今では30以上の単位制高校が設置されている。
(全日制、定時制、通信制の仕組み)
 世の中には「全日制」(ぜんにちせい、朝から夕方まで)の「学年制」高校が一番多い。だからそれを「普通高校」と思い込んでいる人が時々いる。これは大間違い。時々教員にも間違っている人がいる。「普通高校」とは「普通科」高校のことで、その他に「農業科」「工業科」「商業科」「水産科」「家庭科」「福祉科」などの「専門高校」が存在する。他にそれらを合わせた「総合学科」もある。

 「全日制」は一年間朝から夕方まで学習するのに対し、「定時制」は定められた時間で学習する。だから「夜間高校」という意味ではない。午前だけでもいいし、昔は農業地域に農繁期だけ休校する「季節性定時制」もあったという。このような「専門」(学習内容)や「課程」(全定通の違い)と、ここで書きたい「単位制」とは意味が全く違う。大学は同じく単位制で、必修科目は決まっているものの、他の科目は自分の関心から時間割をよく見て決めていく。同じシステムを高校でやるわけである。

 知っている人には不要の説明で長くなってしまったが、「自ら学ぶ」「アクティブラーニング」「個性化」などと本気で言うんだったら、自分で時間割を作る「単位制」にする方がいい。それに「前期」「後期」で半期ごとに単位認定すれば、半期卒業が可能になる。もっと勉強したいならば3月で卒業せずに、もう半年勉強することも出来る。卒業式が7月じゃないので、欧米留学に直結は難しいが、今よりはズレが少ない。日本の大学も春秋双方に入学、卒業する制度をもっと充実させれば、高校を半期卒業する意味も出てくる。「単位制」制度を取り入れればずいぶん違うんじゃないか。
(日本初の単位制高校、新宿山吹高校)
 それとともに、僕が一番書きたいのは「単位制」的な発想を、今年は特例で学年制の高校にも適用可にすればどうかと思うのである。具体的には高校3年の「卒業認定」の問題である。学習指導要領では卒業に必要な単位は、夜間定時制のカリキュラムに合わせて「74単位」と決めている。一方、全日制の場合は一日6時間授業が可能だから、一学年で28単位か29単位程度の授業を置いているんじゃないだろうか。だから3年になった時点で、指導要領上の卒業要件には20単位も取れば大丈夫だろう。必履修科目では、体育が必ず残っているはずだが、他には地理歴史、公民などで少しあるかもしれないが、大体は終わっているはずである。

 もちろん教育委員会の指示で休校している期間のオンライン授業、プリント学習、自宅学習などは出席にカウントされる。学校の都合なんだから当然である。だから今後休校が延びても「欠時数」によって、未履修になる可能性は少ない。(もっとも思わぬ不登校生徒増があるかもしれないが。)しかし、授業内容の理解という面ではやはり学校の授業には及ばない。すぐ出来ないかも知れないが、理科の実験、英会話などは学校でやらないと意味がないだろう。だから、今までのカリキュラムを大胆に見直し、卒業認定に必要なものを中心に実施し、他は大学受験や就職試験、資格獲得などに必要なものに整理したらどうかと思う。それ以外の科目は「減単」するしかないと思う。

 書いているうちに、なんだか高校教員以外の一般の人には意味がないようなものになってきた。だからもう止めるけれど、「単位制」には問題もある。一人一人がバラバラで、クラス内の同調圧力は低いけれど、その代わり行事などはやりにくい。クラスもあるけれど、週一回のホームルームでは生徒の状況把握が難しい。だがアメリカの高校はみな単位制だ。映画で出てくるのを見ても、学年も違う生徒たちが自由に授業を行き交っている。「欧米に合わせる」なら、まず単位制だろうと思う。それと本当に日本の教育を変えたいなら、「日本版バカロレア試験」を作ることが一番だ。合格者は「自己推薦」で各大学に出願する。個々の大学の入試はなくなる。出願料がなくなる私学の抵抗で不可能だろうが。
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