尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

超快作、インド映画「パッドマン」のメッセージ

2019年01月10日 21時18分08秒 |  〃  (新作外国映画)
 12月初めに公開されたインド映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」をようやく見た。インド映画によくあるように結構長い(140分)ので、なかなか見る機会を作れなかった。東京ではもう上映も少なくなるが、この映画には非常に感動した。正直言って「ボヘミアン・ラプソディ」や「アリー/スター誕生」より感動的だと思う。でもその感動は映画のメッセージ性によるところが大きい。インド映画は最近は歌も踊りもないシリアス映画がかなり作られているが、「パッドマン」は歌あり踊りありの超娯楽映画で、だからこそ多くの人々にヒットした。多くの人に見て欲しい快作。

 「パッドマン」(Pad Man=原題)とはもちろん「バットマン」(Batman)のパロディで、実際にインドでそう呼ばれたアルナーチャラム・ムルガナンダムの人生をモデルにしている。「パッド」は「生理用ナプキン」のことで、安くて清潔なナプキンを作れる機械を作って農村に広めた。冒頭に「脚色している」と出るし、原作小説があるという。確かにこれほどドラマティックな人物配置は現実じゃないんだろうなと思って見てたけど、だからこそ一大エンタメ映画になっている。
 
 ラクシュミカント(ラクシュミ)は結婚してから、女性の生理について意識するようになる。何しろインドでは生理はケガレとされ、生理中の女性は部屋にも入れないのである。そして妻ガヤトリが不潔な布を使いまわしていることを知りビックリする。薬局でナプキンを買おうとするが、55ルピーもする。買ってきたものの妻に高いと言われ、男が関わる問題じゃないと言われる。その後、じゃあ自作すればいいと思いつき、コットンで作るけど失敗。改善しても妻も妹も相手にしてくれない。外部に頼もうとするけど、もはや変態扱い。家族にも疎まれ、妻は実家に連れ戻されてしまう。

 ここまでの田舎町での迫害ぶりが半端じゃない。まあ日本だって、何十年か前に男がここまで生理にこだわれば変人扱いはされると思う。(ちなみに映画の時代設定は2001年になっている。日本では60年代頃の感じじゃないかと思う。)でも宗教的なケガレ意識に基づく「男性禁制」感はここまで強くないのではないか。その意味でもインド民衆の宗教的事情を理解することができる。ところでウィキペディアを見ると、この映画はパキスタンでは上映できないという。イスラムの伝統に反するとみなされたのである。インドも大変だけど、もっともっと大変な地域が広がっている。

 田舎を抜けて都会にやってきたラクシュミは、大学教授の家で仕事をしながら勉強しようとする。コットンじゃなくてセルロース・ファイバーが大事と知り試行錯誤の後、考えが間違っていた、ナプキンじゃなくて、「ナプキン製造機」こそ作るべきなんだと気づく。ようやく作れるようになったが、商品化ができない。そんなとき、伝統楽器奏者の女子大生パリーが急に生理になって…。この偶然の出会いから、デリーの大学での起業コンクールに出場できるようになる。ラクシュミとパリーの協力で、女性が作って売り歩くという事業が次第に広まってゆく…。

 ここで当然想定できるのが、故郷には受け入れられたのか。一度は別れさせられた妻とまた結ばれるのか。しかし共同事業者というべき美女のパリーとずっと一緒で心が揺れないのか。そんな問題にも触れながら、なんとある日の電話は国連からの招待だった。ラクシュミは国連に出かけて、大演説をするのだった。ちゃんとニューヨークでロケしている。この演説シーンは、一般的な映画の表現方法としては異例なほど、ストレートなメッセージになっている。普通なら映画でこんな演説しちゃいけないと思うけど、通訳を外してつたない英語で聞くものの心に真っすぐに訴える。
 (国連で演説するラクシュミ)
 ここで感動しなきゃ、人間じゃないです。このメッセージを伝えるためにこそ、この映画を作ったのだろう。もう文法も何もない、単語を並べたような演説。ここで使われる英単語は、ほぼ理解可能だ。ボキャブラリーが多いこと、文法を知ってることではなく、言うべきことがあるということが大切なんだと実感する。そのメッセージとは簡単に言えば、金もうけのための発明ではなく、社会をよくするための発明である。そして「マイクロ・クレジット」(少額の融資)を通じた「女性の自立支援」である。女性の生理の問題から始まり、さらに大きな社会問題に通じている。

 主演のラクシュミ役はアクシャイ・クマールで、インドで人気の俳優だという。長谷部誠(サッカー日本代表前キャプテン)をもっと大柄で渋くしたような感じ。パリーは妖精という意味らしいが、ソーナム・カプールが演じている。「ミルカ」という映画で見てるはずだが、忘れていた。すごい美人。監督はR・バールキという人で、妻が「マダム・イン・ニューヨーク」の監督ガウリ・シンデー。
 (ソーナム・カプール)
 この映画が心に響くのは、中小企業の発明家を描いていることも大きい。「下町ロケット」インド版でもある。日本でも小さな町工場で試行錯誤しながら、世界に知られて行った会社がいっぱいある。松下やソニーもそうだし、即席ラーメンもそうだ。だから日本人にも受けると思う。このような起業家精神が受け入れられる土壌がインドにはある。それはインドだけじゃなく、世界の希望だ。映画はかなりインドのナショナリズムを感じるけど、こういう「社会起業家」が日本には少ないので、若い世代に届いて欲しい映画。
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