尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「一枚のハガキ」(新藤兼人)

2011年09月21日 22時02分06秒 | 映画 (新作日本映画)
 1912年4月22日生まれ、現在99歳の映画監督新藤兼人(しんどう・かねと)の「最後の作品」である「一枚のハガキ」をやっと見た。すごい作品である。ただし年齢問題に関しては、世界には上には上があるもので、ポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラは1908年12月11日生まれ、2009年に製作された「ブロンド少女は過激に美しく」は日本でも公開された。100歳を超えて作った映画だからすごいもんである。

 ところで、この映画は是非みんなで見るべき映画、日本人必見の映画であると思う。「戦争」に関して最後に言い残すべきことがあるという思いを全開して作られた映画で、テーマ性も重要だが、演出も力がこもり、俳優たちの演技も素晴らしい。僕は事前に宣伝されていた「新藤兼人の最後にして最高傑作」という言葉を、いくらなんでもそこまではないだろうと思い込んでいた。実際、僕は最高とまでは思わないのだが、間違いなく傑作で、非常に心揺さぶられる映画だった。これは是非劇場で見てください。劇場情報はここ

 戦争末期、本来ならもう徴兵されない30過ぎの「老兵」も軍に召集される時代。松山啓太(豊川悦司)は海軍召集後、天理教本部の会館を予科練兵のために清掃していた仕事が終わった。100人の兵は「上官様」のクジにより次の任地が決まる。60人はフィリピンの陸戦隊にあたる。最後の宴で歌を歌った森川定造(六平直政)は2段ベッドで松山の上にいた。定造は最後に妻から来たハガキを見せ、自分はフィリピン組にあたったから死ぬだろう、この手紙に返事を書きたいが、書きたい思いは検閲されるから書けない、もし生き残ったら妻に伝えて欲しいと松山にハガキを託す。「今日はお祭りですがあなたがいらっしゃらないので何の風情もありません。友子」。この基本設定とハガキの文面は監督自身の実体験である。

 定造の妻森山友子(大竹しのぶ)は、女郎に売られるところを定造が田を売って救って妻に迎えたのである。貧農の家では義父(柄本明)、義母(倍賞美津子)と暮らしている。それからの友子の壮絶な体験は、映画で直接見て欲しいのでここには書かない。あまりにも深い悲しみを背負い生きている友子を戦後数年たって松山は訪ねる。彼は「くじ運」の良さで生き残ったが、彼の家庭も崩壊して悲しみ、苦しみを背負っている。日本を捨てブラジルに移住しようと思い、最後にハガキを届けることを戦後数年たって思い立つ。二人が出会ってどうなるか。今年に限らず、日本映画の心に残る名場面として語り継がれていくようなすごい場面が展開される。襟を正して見てください。(ユーモラスなケンカや天秤棒を背負う場面なども巧みに混ぜてあります。)

 深い悲しみを背負う友子が発する「これからは戦争を呪うて生きて行くんじゃ」とか訪ねてきた松山にいう「なんであんたは生きているの!?」などの言葉は、単なるセリフを超えて心に突き刺さる命の叫びとして忘れられない。大竹しのぶが素晴らしいなどと今さら書くまでもない大女優なんだけど、とにかく素晴らしいの一言。去年の「キャタピラー」の寺島しのぶも凄まじい名演だったけど、「一枚のハガキ」の大竹しのぶも恐るべき存在感で、演技という枠でとらえきれない日本女性の存在そのものの深い場所から発せられたような輝きを感じる。

 今までの新藤作品と同じく単なるリアリズムの社会派というより、省略と反復、ユーモアと逸脱で語られる作風で、シンプルな構造の中に「世界」を描く作品。どんなに悲惨な状況の中でも、おおらかなユーモアで性を描いてきた新藤作品の基調は、98歳で作った最後の作品でも変わらない。この映画は構造がシンプルな分、演出や技術面の工夫も理解しやすいので、それも見所。音楽は林光。新藤作品では長らく乙羽信子がヒロインで監督の世界を演じてきたが、乙羽の死後に大竹しのぶという女優がいて、新しい作品を作り続けることができたことを日本のために喜びたい。
 
 戦争を描いて国家悪を見つめる作品としては、深作欣二監督、結城昌司原作「軍旗はためく下に」という傑作がある。その作品の主人公左幸子の演技も鬼気迫るものがあった。本来庶民の女性の心の中には、日本国や昭和天皇に、夫や子供が殺された、この恨み、つらみはどうしてくれるという深い思いがあったものである。戦後20年くらいまでは、日本社会のなかにこうした気分が底流として流れていて、誰もが幾分かは共有する思いだった。戦争でうまい汁をすったり、うまいこと自分たちだけ生き延びたりした階層もある。戦争中は軍人が威張り散らし、その威を借る「小役人」(町内会の役員になった商店主とか)がのさばっていた。庶民は、召集された兵はもちろん、銃後でも空襲、引き揚げ、疎開等で一生忘れられない心身の傷を負った。何があっても戦争だけは二度としてはダメだ、絶対にダメだと周りのオトナはみんな言っていたと思う。時間が経つにつれ、戦争は悪くなかった、仕方なかったなどと言う人が出てくるようになった。世界の中で金持ちの国になり、昔の苦しさを忘れ、今度は勝つ側につくんだとばかりに米英のイラク戦争を支持した。そんな日本で、若い人々に「戦争の真実」を伝えていきたいと思うのが、この映画の製作動機だし、この映画の大竹しのぶを見れば、戦争で誰が苦しめられるのか、誰もが間違えることはないと思う。結局、そういう意味で僕はこの映画を普段はあまり映画を見ないような多くの人にも是非見て欲しいと思う。

 東京ではまだやっていると思うので、DVDを待つことなく是非劇場で見てください。
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生き残った者の使命 (PineWood)
2015-03-26 00:35:17
戦争で生き残った者の使命とは何か。自分だけが、生き残ってしまったという罪悪感、劣等感が、せねても死者たちの声を伝えよう、未来に残そうという生き方に転じた。それは一粒の麦の如く力強くー或いは一枚の葉書に込められたものだったー。新藤兼人監督が劇映画のシナリオ・ライターとして、近代映画協会を興し監督として繰り返しやってきた作品の根底にこの気持ちがずっとあったのだろう。沈黙を貫くスタイルで一組の夫婦がただ働くことの意味を問うた異色作の(裸の島)にしろ孤島で自然と闘う厳しさと平和の意味合いは切り離せはしなかったはずである。
ポルトガルの最長老の監督のオリビエイラ氏にせよ、心の平安な生活と革命のレジスタンスとの葛藤を最新作(街の灯り)のドラマでで探求・模索していた。長く生き残った者の使命としてー。
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マノエル・ド・オリベイラ監督も (PineWood)
2015-03-28 07:11:43
映画(家族の灯り)などが岩波ホールで公開されたマノエル・ド・オリベイラ監督については、ペドロ・コスタ監督へのテーチインの時のエピソードがあった。固定カメラで動きの少ない彫像のようなコスタ監督のタッチに関しての質疑の中、オリベイラ監督がコスタ監督に言った言葉が紹介された。それは(僕も彫像を捕まえるというエピソードを今回のオムニバス映画でやったけど、君のにもパントマイムで仮面を着けた彫像が出てきたね!)というもの。ポルトガルの街がテーマの新作についてだった。
新藤兼人監督作品では、映画(三文役者)のような名役者・殿山の伝記ものも、ユーモラスでよかった!!帰りに映画に出てきたような、おでん屋(お多幸)で一杯なんて…。晩年の小津映画もやたらと飲み屋が出てきたけれども。
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