尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中村とうようコレクション展

2011年09月22日 21時07分20秒 | アート
 音楽評論家の中村とうよう氏が集めた民族楽器とレコードなどの中村とうようコレクション展が開催中です。場所は、中村氏が客員研究員を務めていた武蔵野美術大学の美術館。無料。ただし、期限が迫っていて、土曜日24日の5時まです。7月4日から開催されていましたが、8月に長い休館があったこともあり、なかなか行けませんでした。有名な「ムサビ」ってどこにあるんだ?場所は小平市、中央線国分寺駅からバスで20分くらい。僕の家からは遠くて、車で日光へ、あるいは飛行機で熊本へ行くのとほとんど変わりない時間がかかりました。行くと正門前にバスが着き、まっすぐ行くと美術館。しかし、それからがわからない。美術館の中に入らず、手前左の「展示館1」の扉を開けます。外にはなんの表示も出ていないという不思議なことになっています。


 この展示会に行こうかと思ったのは、中村とうようさんがこの展示館開催中の7月21日に「自死」されたということが大きいです。僕はあまり音楽関係は詳しくなく、中村さんの本も買ったことはありません。「ニュー・ミュージック・マガジン」(1969創刊。1980~「ミュージック・マガジン」と改称)は高校の頃何回か買ったことがありました。日本語ロック論争なんかをやってたころで、「はっぴいえんど」をこの雑誌で知りました。そのくらいの縁なんだけど、収集品をすべて大学に寄贈し、その展示会の開催中というところに何か心ひきつけられるものがありました。東京新聞の夕刊コラム「大波小波」で思い出したんだけど、去年2010年8月2日に今野雄二さん(音楽・映画評論家)が自死しています。今野さんの映画評は昔ずいぶん読みました。さらに思い出すと、2009年10月16日、加藤和彦さんが自死しました。北山修企画の「イムジン河コンサート」で歌を聴いたばかりだったので、これはショックでした。死はそれぞれのものであり、一概にあれこれ言うべきこととは思いませんが、そういう人生の終わらせ方の是非についてはあれこれ考えてしまいます。(なお、会場では全くそのことが示されていませんでした。)

 さて、展示は小さな会場でしたが、アジア、アフリカの民族楽器が並んでいます。太鼓、笛、琴などの基本楽器に加え、アフリカのコラ(弦楽器)や親指ピアノなどの珍しいものがあります。極めつけは、チベットの打楽器「ダマル」。「男女の子供の頭蓋骨をお椀の形に切り取り、背中合わせにくっつけて、二人の皮膚を張って太鼓に仕上げた恐ろしい代物だ。」おいおい、ほんとかよ。レコードも世界のポピュラー音楽がいろいろ展示されています。見ていて思うのはインドネシアの重要性。僕の大好きな麗君(テレサ・テン)も展示されていました。
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1 コメント

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多分、がんだと思います (さすらい日乗)
2012-07-02 20:44:31
中村とうようさんは、私が『ミュージック・マガジン』に演劇評を書くようになって以来、私の唯一人の先生で、いろいろと教えていただきました。そして、横浜市にとうようさんのコレクションを初め、多くのコレクターの方の収集品を集めた「レコード・ライブラリー」を作ろうとやっていました。しかし、高秀市制下では進まず、最後とうようさんには非常なお怒りを買うことになりました。ムサビのコレクションは、本当は横浜に来るべきものだったのです。

なぜ、とうようさんは自殺されたのでしょうか。
私の想像では、多分数年前にとうようさんは、自分ががんで、後3,4年しかもたないことを知っていたと思います。

その頃、ムサビの柏木先生からのお話もあり、それまでの「図書館のようだ」と言われた八王子の自宅を引き払い、立川の賃貸マンションに引っ越しました。そして、すべてをムサビに寄付したのです。

今、思えば、無事に飛び降りられる部屋を選んでおられたとのことです。
ある方の話では、最後の数日は足が動かなくなり、その激痛に悲鳴を上げていたとのことです。
ともかく「われわれ常人には、及びもつかない人だったね」とマガジン執筆者とも話しました。
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