ウクライナ戦争に関して、ちょっと前に書いたように「突然終わる」可能性が出て来た。首都キーウ(キエフから呼称変更)周辺からはロシア軍が撤退し、ウクライナは「キーウ州を解放した」という。恐らくは今後「もともと東部攻略のための陽動作戦だった」「役割が終わったので計画通りの撤退」といった説明をロシアが行うと思う。しかし、首都めがけてミサイルを発射したり、大軍を送り込んだりすれば、世界中が大騒ぎになるに決まっている。日中戦争の始まりのように、「ガツンとやれば相手はすぐに崩壊する」などと安易な予測に基づいて始めてしまったのだと判断している。
ロシア軍撤退後に、キーウ近辺のブチャという町で、民間人の大量虐殺が行われたと報道されている。戦争をしていたんだから、そういうこともあると考えている。ただし、規模や目的などは今後の検証に待つところが大きい。ここではまず、ウクライナ戦争をめぐって日本で流通している言説状況を考えておきたいと思う。僕が感じているのは、意図してか意図せずにか、思ったよりも「ロシア寄り言説」が多いと思っている。そんなものがどこにあるかという人もいるだろう。新聞やテレビの「公式」的な場面には確かに少ない。しかし、SNSなどには結構載ってるのである。そのうちの幾つかに関して自分の考えを書いておきたい。
(ブチャの状況)
まず日本国内に「ウクライナは早く降伏した方が良い」という意見が出て来たのには僕は驚いた。ロシア軍がいずれは勝つと思われるから、自国民の犠牲を最少にするために早く手を挙げた方が良いというのである。その時点で実際に「降伏」していたら、今は首都をロシア軍が制圧し、ゼレンスキー政権は崩壊していた。その後の現状を見れば、「降伏勧告論」は無意味になったと思うが、しかし、見方によってはブチャやマリウポリの悲惨な状況は早く降伏していれば避けられたとも言える。「何よりも人命が第一」という原則を主張する人は今後も自説を曲げないのではないか。
しかし、僕はこのような考えは、ウクライナの厳しい現実に見合ってないと思っている。そして、そのような意見が出て来るのも、日本の特殊な歴史状況がもたらしたものだと思っている。ウクライナが現実に降伏したとして、それが全国民に受け入れられるはずがない。ウクライナには後に検討するように、東西の歴史的な差があって、西部では降伏を認めず抵抗政府が出来る可能性が高い。あるいはゼレンスキー政権がリビウに移転して、臨時政権を樹立するかもしれない。リビウは抗日戦争中の中国の重慶のようなものになる。一方で「独立」宣言した東部地域はそのままロシアに編入されるだろう。中央部のみが「親ロ政権」の支配地域になる。つまり「ウクライナ分割」が起きる可能性が高い。
僕はテレビをちゃんと見ていないが、玉川徹氏(テレビ朝日コメンテーター)が東京新聞のコラムに書いていたものは読んだ。沖縄戦末期のような悲惨な事態が今後のウクライナで起きる可能性がある、従って一日も早い停戦が必要、勝てる可能性のない状況で戦争を長引かせるのは市民の犠牲を増やすだけというような論だったと思う。それがまさにブチャやマリウポリで現実になったという言い方も可能だろう。だが、ゼレンスキー大統領はあくまでも抵抗すると言い続けてきた。市民の犠牲は痛ましいが、まさに国家と民族の存亡の危機なのだから、国家指導者としてはそれ以外の方法を選べないのを僕は理解するのである。
日米戦争は日本から始めたのだから、日本が一日も早く和平の道を探るべきだったのは当然だ。しかし、悲惨な事態が予測されるから、勝てないと思われた側は早期に降伏するべきだという論を歴史的に検証すればどうなるのか。日中戦争で中国は1千万とも言われる犠牲者を出したが、蒋介石や毛沢東に対して、早く「満州国」を承認して戦争を終わらせるべきだったというのか。「満州国」は日本がでっち上げた「偽国」であり、およそまともな国家指導者なら認めることなど出来ない。同じように「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」もロシアがでっち上げた「偽国」であって、ウクライナ指導者には認めることなど不可能だ。
ナチス・ドイツに侵攻されたソ連も降伏すべきだったのか。ヴェトナム戦争ではアメリカが北ヴェトナムへの苛烈な爆撃(「北爆」)を繰り返したが、当時の北ヴェトナムも「降伏」すべきだったのだろうか。その時世界の多くの人々は、「アメリカはヴェトナムから手を引け」とデモを繰り広げた。もちろん日本人も同じである。当時の日本政府はアメリカを支持していたから、日本でデモをする意味は大きかった。今は日本政府もロシアを非難する立場だから、日本国内でデモをする意味は少ないかもしれない。それでも我々がするべきことは、「ロシアはウクライナから手を引け」と言い続けることではないのだろうか。
(ウクライナ「降伏勧告論」の人々)
日本は第二次世界大戦で悲惨な大被害を受けた。大都市空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、ソ連参戦による「満州国崩壊」で起きた様々な悲惨事などなどである。そして敗戦によって連合国による占領を受けたが、ドイツが東西に分割されたのと違って、日本は分割されなかった。いや、沖縄、奄美諸島、小笠原諸島及び「北方領土」など、戦勝国の統治が続いた地域もある。それでもアメリカが支配した地域は、1972年の「沖縄返還」を最後に日本に戻ってきた。
一方で、アメリカを中心にした占領は、いろいろと問題はあったものの、歴史的には非常に「成功した占領」だった。現在に続く民主主義的な諸制度が占領下に整備され、それまで軍部の圧政に苦しんでいた国民は「自由」を実感した。だから、僕の小さい頃には周囲の大人たちは大体「負けて良かった」と言っていたものだ。戦争中の東京は日々続く空襲に怯え、食糧不足に苦しんだ。戦争が終わり占領が始まって生きた心地をした日本人には、それが歴史的に非常に特殊な体験だという意識が少ないのではないか。
ウクライナの場合、降伏に追い込まれた場合、その後に「負けて良かった」となる可能性は全くない。良くても全土がロシアに支配され「ベラルーシ」のような国になる。つまり、ルカシェンコのような指導者がずっと支配して、言論の自由は全くない国である。それは良い場合で、恐らくは「国土が分割される」のである。その場合、自由なウクライナ国家を取り戻すためには、50年、100年単位が必要になる。そういう未来を子どもたちに残してはならないと思うから、ウクライナの人々は抵抗している。遠い国の人間があれこれ言えることではない。
ロシア軍撤退後に、キーウ近辺のブチャという町で、民間人の大量虐殺が行われたと報道されている。戦争をしていたんだから、そういうこともあると考えている。ただし、規模や目的などは今後の検証に待つところが大きい。ここではまず、ウクライナ戦争をめぐって日本で流通している言説状況を考えておきたいと思う。僕が感じているのは、意図してか意図せずにか、思ったよりも「ロシア寄り言説」が多いと思っている。そんなものがどこにあるかという人もいるだろう。新聞やテレビの「公式」的な場面には確かに少ない。しかし、SNSなどには結構載ってるのである。そのうちの幾つかに関して自分の考えを書いておきたい。
(ブチャの状況)
まず日本国内に「ウクライナは早く降伏した方が良い」という意見が出て来たのには僕は驚いた。ロシア軍がいずれは勝つと思われるから、自国民の犠牲を最少にするために早く手を挙げた方が良いというのである。その時点で実際に「降伏」していたら、今は首都をロシア軍が制圧し、ゼレンスキー政権は崩壊していた。その後の現状を見れば、「降伏勧告論」は無意味になったと思うが、しかし、見方によってはブチャやマリウポリの悲惨な状況は早く降伏していれば避けられたとも言える。「何よりも人命が第一」という原則を主張する人は今後も自説を曲げないのではないか。
しかし、僕はこのような考えは、ウクライナの厳しい現実に見合ってないと思っている。そして、そのような意見が出て来るのも、日本の特殊な歴史状況がもたらしたものだと思っている。ウクライナが現実に降伏したとして、それが全国民に受け入れられるはずがない。ウクライナには後に検討するように、東西の歴史的な差があって、西部では降伏を認めず抵抗政府が出来る可能性が高い。あるいはゼレンスキー政権がリビウに移転して、臨時政権を樹立するかもしれない。リビウは抗日戦争中の中国の重慶のようなものになる。一方で「独立」宣言した東部地域はそのままロシアに編入されるだろう。中央部のみが「親ロ政権」の支配地域になる。つまり「ウクライナ分割」が起きる可能性が高い。
僕はテレビをちゃんと見ていないが、玉川徹氏(テレビ朝日コメンテーター)が東京新聞のコラムに書いていたものは読んだ。沖縄戦末期のような悲惨な事態が今後のウクライナで起きる可能性がある、従って一日も早い停戦が必要、勝てる可能性のない状況で戦争を長引かせるのは市民の犠牲を増やすだけというような論だったと思う。それがまさにブチャやマリウポリで現実になったという言い方も可能だろう。だが、ゼレンスキー大統領はあくまでも抵抗すると言い続けてきた。市民の犠牲は痛ましいが、まさに国家と民族の存亡の危機なのだから、国家指導者としてはそれ以外の方法を選べないのを僕は理解するのである。
日米戦争は日本から始めたのだから、日本が一日も早く和平の道を探るべきだったのは当然だ。しかし、悲惨な事態が予測されるから、勝てないと思われた側は早期に降伏するべきだという論を歴史的に検証すればどうなるのか。日中戦争で中国は1千万とも言われる犠牲者を出したが、蒋介石や毛沢東に対して、早く「満州国」を承認して戦争を終わらせるべきだったというのか。「満州国」は日本がでっち上げた「偽国」であり、およそまともな国家指導者なら認めることなど出来ない。同じように「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」もロシアがでっち上げた「偽国」であって、ウクライナ指導者には認めることなど不可能だ。
ナチス・ドイツに侵攻されたソ連も降伏すべきだったのか。ヴェトナム戦争ではアメリカが北ヴェトナムへの苛烈な爆撃(「北爆」)を繰り返したが、当時の北ヴェトナムも「降伏」すべきだったのだろうか。その時世界の多くの人々は、「アメリカはヴェトナムから手を引け」とデモを繰り広げた。もちろん日本人も同じである。当時の日本政府はアメリカを支持していたから、日本でデモをする意味は大きかった。今は日本政府もロシアを非難する立場だから、日本国内でデモをする意味は少ないかもしれない。それでも我々がするべきことは、「ロシアはウクライナから手を引け」と言い続けることではないのだろうか。
(ウクライナ「降伏勧告論」の人々)
日本は第二次世界大戦で悲惨な大被害を受けた。大都市空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、ソ連参戦による「満州国崩壊」で起きた様々な悲惨事などなどである。そして敗戦によって連合国による占領を受けたが、ドイツが東西に分割されたのと違って、日本は分割されなかった。いや、沖縄、奄美諸島、小笠原諸島及び「北方領土」など、戦勝国の統治が続いた地域もある。それでもアメリカが支配した地域は、1972年の「沖縄返還」を最後に日本に戻ってきた。
一方で、アメリカを中心にした占領は、いろいろと問題はあったものの、歴史的には非常に「成功した占領」だった。現在に続く民主主義的な諸制度が占領下に整備され、それまで軍部の圧政に苦しんでいた国民は「自由」を実感した。だから、僕の小さい頃には周囲の大人たちは大体「負けて良かった」と言っていたものだ。戦争中の東京は日々続く空襲に怯え、食糧不足に苦しんだ。戦争が終わり占領が始まって生きた心地をした日本人には、それが歴史的に非常に特殊な体験だという意識が少ないのではないか。
ウクライナの場合、降伏に追い込まれた場合、その後に「負けて良かった」となる可能性は全くない。良くても全土がロシアに支配され「ベラルーシ」のような国になる。つまり、ルカシェンコのような指導者がずっと支配して、言論の自由は全くない国である。それは良い場合で、恐らくは「国土が分割される」のである。その場合、自由なウクライナ国家を取り戻すためには、50年、100年単位が必要になる。そういう未来を子どもたちに残してはならないと思うから、ウクライナの人々は抵抗している。遠い国の人間があれこれ言えることではない。
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