尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「64 ロクヨン」

2016年06月28日 21時57分05秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「64 ロクヨン」の後編をやっと見たので、前後編まとめて取り上げる。原作は横山秀夫の大傑作で、2012年に刊行されてミステリーのベストテンなどを独占した。同じ年に宮部みゆき「ソロモンの偽証」も刊行されているが、そちらは2位。多くは「64」を上位にした。「ソロモンの偽証」は昨年映画化されたが、ロードショーで見逃した。「64」は見ておこうと思ったわけである。

 原作に関しては、2012年末に「大傑作、横山秀夫『64』」を書いたので、細かいストーリイなどはそちらを参照して欲しい。この原作は2015年にNHKでドラマ化された。それも面白かったと思うけど、映画も傑作というべき出来になっている。映画の方がやはり迫力はあるように思う。主人公三上広報官は、ドラマではピエール瀧だったが、映画では佐藤浩市。チラシでもど真ん中に顔が出ているが、年齢を重ねて、よく見れば父親とそっくりではないか。演技賞に恵まれていないが、「64」は有力な主演男優賞候補になるだろう。重厚な存在感は見事だ。

 「64」という題名は、7日間しかなかった「昭和64年」を指す。昭和天皇の最後の一週間に起こった、ある誘拐事件。今も解決できずに、県警にとって忘れがたい悪夢となっている。「64」と内部で呼ばれている事件は、時効を翌年に控えた年に動き始める。県警内部の隠ぺい、県警とマスコミ、被害者と加害者などを複合的に描き出す巨編である。民主党政権時代に、殺人事件の時効は撤廃されたが、それ以前は15年だった。そうすると、2003年のできごとということになる。場所は群馬県で、横山秀夫が実際に新聞記者をしていた場所である。名前が変えられている場合を含め、横山作品の舞台はいつも群馬県。ロケは群馬県や栃木県で行われているが、北関東の風土的なムードが生かされている。

 チラシには16人の顔が載っているが、三上の妻の夏川結衣、広報室の部下である榮倉奈々の二人を除き、全部男。警察上層部がいかに男性社会かということでもある。もちろん新聞記者などには女性もいるし、様々な設定で女優が出ている。だけど、圧倒的に男の印象が強い。しかし、彼らは子どもを失っていたり、職場でさまざまな屈託を重ねたりして、「心に傷を持つ男たち」が多い。地位と権力で身をよろって、傷を直視できない男たちもいるが、三上はやがて自らの傷に立ち向かっていく。
 
 そのためには、映画化におけるラストの改変が重要である。映画が原作と同じである必要はないが、というか映画化に際して変わることの方多いけど、この改変はどうだろうか。ミステリーファンには賛否があると思うし、僕も納得できないところもある。だが映像で語るしかない映画としては、主人公の心の中の思いがよく表されていたと思う。監督は瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ 1960~)で、かつてピンク映画で「ピンク四天王」と呼ばれた。その時代の映画は見ていないが、2010年に「ヘヴンズ ストーリー」という4時間38分にも及ぶ巨編を発表した。ベルリン映画祭で国際批評家連盟賞を受賞し、その年のキネ旬3位になった。あの映画も、「殺人事件によって心に傷を持つ人々」の複雑な絡み合いを描いていた。だけど、僕にはよく捉えられないぐらい錯綜していた。

 「64」は、考えてみれば、「現実世界を描いたヘヴンズストーリー」である。全然ヘヴンじゃないけれど。もちろん「64」だって小説なわけだが、設定が現実世界の複雑な傷つけあいを描いている。被害者は単に被害者に留まらず、権力者の中にも葛藤がある。夫と妻、親と子、上司と部下、様々な「立場」の違いを描き分け、ある社会の諸相を描き出す。その脚本は、監督本人と、久松真一が担当し、脚本協力として井土紀州がクレジットされている。久松真一は知らなかったが、テレビで横山作品のシリーズを担当していた。井土紀州(いづち・きしゅう)は本名だというが、注目すべき監督、脚本を作り続けている人。時々レイトショーなんかでやってるけど、見たことはない。とても優れた脚本だと思う。前後編だから、合計すると「ヘヴンズ ストーリー」を超える大河映画だが、ぜひとも見るべき作品だろう。

 広報室の部下は、係長が綾野剛で、最近出すぎとも言うべき活躍。どうも2016年は間違いなく綾野剛の年である。もう一人の男は誰かと思うと、金井勇太。「学校Ⅳ」で悩んでた少年もこんなに大きくなったのか。女性の部下・美雲は榮倉奈々だが、大柄な体が役柄にあっている。とてもいいと思う。全体に俳優がいいと思うが、被害者の父役の永瀬正敏(1966~)ももうすぐ50である。映画ではもっと老けメイクしていると思うが、1983年の「ションベンライダー」では中学生だったわけだから、お互いに年とるわけですねと思ってしまった。
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3 コメント

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そんなに良い映画でしょうか (さすらい日乗)
2016-07-05 09:57:38
原作は読んでいないのですが、「前・後編」を見ましたが、ほとんど感心できませんでした。

「後編」などは、県警対記者クラブで、どちらも正義ではないのに、と思いました。
筋が非常に混乱していて、結局2本にしたのが間違えだと思います。
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傑作だと思います (ogata)
2016-07-05 22:57:05
 原作は読まなくてもいいし、評価は人さまざまだと思いますが、前後編ある映画は、前編から見て評価しないとアンフェアだと思います。「さすらい日乗」を読んでいますが、後編からご覧になったということなので。それでは混乱した印象になるのも当然では?

 記者クラブの問題などは、要するに「横山秀夫」ワールドだから、いつものように出てくるわけです。「64」は横山秀夫の集大成だから、当然出てきます。

 だけど、記者クラブとの問題、県警内部の対立などは、要するに「第二の誘拐事件」の性格を読者(観客)にミスリーディングする役割を担うために置かれているわけですから、それを「混乱」と呼ぶのは、ミステリー映画の見方としてはどうなんでしょうか。

 それを整理してしまったら、ストーリーがはっきりしすぎてしまうわけです。その方がいいと言われたらお終いですけど。でも、僕などはその混乱やミスリードが、長編ミステリーの楽しみと思っているものです。

 また監督の前作、あの長大な「ヘヴンズ ストーリー」を思い浮かべると、やはり共通しながら、重大なテーマを語っているように思います。僕はやはり、あの長大な原作をよく脚色し、まとめていると思うのですが。
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アンフェアは承知ですが (さすらい日乗)
2016-07-08 03:42:04
河竹黙阿弥の言葉に、
「金主、役者、見物に親切」の三親切の法があります。
この映画には、金主と役者への親切しかなく、見物への親切がないと思います。
2時間以上の映画を2回も見ろというのは見物にとって過酷で、この作り方がアンフェアです。

『七人の侍』や木下恵介の『香華』も長編でしたが一本で、中間に休憩がありました。
笠原和夫脚本、舛田利雄監督の「戦争映画3部作」も、途中のインターミッションを挟み一挙上映でした。そうでないと全体として感動できないからです。
では、なぜここでは、そのようにしなかったのでしょうか、二本に分けた方が総合して儲かると思ったとからでしょう。それは今日の映画の状況から見れば仕方ないのかもしれませんが、アンフェアだと思います。

この中の人物の誰にも感情移入できないことが最大の問題点でしょう。みな傲慢に見えます。
あえて言えば、駐車場員になっている吉岡秀隆だけでしょうか、共感できるのは。
彼や女性などの視点から事件全体を描くと言った方法もあったのではと思うのです。
「男社会」の異常さを冷静かつ客観的に描くと言った視点で。
原作と違う映像化をするというのは、むしろそうした企画だったと私は思うのです。

それに「6・4」の頃は、まだバブル時代だったのですが、そうした風俗的な感じがしないのも描写として大変に不満が残りました。
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