尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教育勅語は「戦死ノスヽメ」-森友学園問題④

2017年03月16日 00時14分55秒 | 政治
 前に「『教育勅語』をどう考えるべきか」(2.25日)を書いた。その時点では、「教育勅語」に関する報道が不十分だったと思っていた。衆参両院で1948年に失効決議をしたこともほとんど取り上げられていなかった。その後、相当報じられるようになったけど、まだ不十分だと思うから追加して書きたい。

 「森友学園問題の本質」は何だろうか。「国民の財産である国有地が、不可解な経緯で払い下げられたことだ」という人がいるけど、それは違う。それは「結果」の方であって、それにつながる原因を作ったのは「教育勅語」なのである。「教育勅語を園児に朗読させている幼稚園がある。」普通の常識があれば、「それはおかしいだろ。そこには近づかないようにしよう」と思うはずである。

 だけど、「それは素晴らしい。そんな幼稚園があるのか」と「絶賛」した人々がいる。だから、首相夫人が2回も講演に行ったんだし、新たに開こうとする小学校の名誉校長になったのである。経営する幼稚園が「教育勅語」を表看板にしていたから、極右分子が寄ってきたわけである。というか、「愛国業界」で名を上げるためには、「教育勅語」は有効だろうという理事長のもくろみが当たったわけである。

 そこで「教育勅語」をきちんと理解しておくことが、この問題(だけに限らず、日本の教育問題全般)を理解するには重要になる。前回は書いているうちに長くなってしまい、最後の方が中途半端だった。そこでもう一回書くことにするが、まず、全文をコピーする。読まなくていい、というか、普通読めない。

 朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ。是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン。

 斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
 之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
 明治二十三年十月三十日   御名御璽

 最初の方は全部つながっているんだけど、(誰も気づかないと思うけど)、「。」を入れておいた。「ちんおもうに、わがこうそこうそう、くにをはじむることこうえんに、とくをたつること、しんこうなり」と続く。これも「、」を入れないと、どこで切るかも判らないだろう。実際にはこれを一息で読む。意味は判らなくてもいいのである。「覚える」ことが目的なので。

 だから、昔の人はこれが判ったのか、すごいなあなどと思ってはいけない。確かに昔の人は、現代人より漢文の素養があったけど、小学生が判るはずがない。小林信彦「東京少年」(新潮文庫)を読むと、「夫婦相和シ」は「夫婦は鰯(いわし)」、「恭倹己レヲ持シ」は「狂犬おのれを嚙み」と思って聞いている。だから、「開戦の詔勅」に比べて、「教育勅語」は「おかしくて仕方がなかった」。何でおかしいかと言えば、一言で言えば、落語の「じゅげむ」だったからである。

 「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ…」と覚えるように、「ちんおもうにわがこうそこうそう…」とお経のように覚えるのである。そうだけど、「教育勅語」はすべての小学校に「おさげ渡された」。それをいい加減に扱ってはならないから、天皇・皇后の写真(御真影=ごしんえい)と一緒に、大切に保管する場所=奉安殿が作られた。そして、儀式のたびに、勅語を奉読した。学校が火事になって、奉安殿を守るために死んだ校長、あるいは奉安殿を焼いてしまった責任を取って自殺した校長もいた。

 教育勅語が言ってることは、簡単に言えば「天皇のために一身を捧げよ」ということである。「義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」は、戦争に行って皇室のため勇敢に戦えということである。戦争に行って勇敢に行動すれば、もちろん戦死するかもしれない。戦死を恐れて逃げ出しては、「義勇」とは言えない。つまりは「戦死を恐れるな」、もっと言えば「戦死ノスヽメ」である。まあ死なない方がいいんだろうけど、戦死を恐れてはいけない。そこまで勇敢に戦う兵士になれということである。

 ところで、この「教育勅語」は女子に対しては何を求めているのだろうか。大日本帝国憲法は、男子に兵役の義務を課していたけれど、女子にはその義務がない。しかし、「銃後を守る」ことは大切なんだから、女子は「よく婦徳を発揮し、兵士の夫や子を支えよ」などとあってもいいはずだ。多分、明治中頃の段階では、(小学校は女子も義務教育だったわけだけど)勅語を作った人の頭に中に「女性教育」という発想がなかったんだろう。

 さらに言えば、「皇祖皇宗」によって決まっているという問題がある。明治天皇が言っているのではないのである。(というか、もちろん明治天皇本人が書いたのではなく、何段階にもわたって政府部内で検討されて決まったものであるが。)「天皇制」においては、「天皇個人がエライ」のではなく、「天皇の中に神代の時代から流れている血」が尊いのである。だから、何か大事件があれば、今でも宮内庁の使者が今までの天皇の霊に報告に行く。そういう「天皇の先祖の霊」が、今を生きる子どもたちに道徳を教えているのである。それを「気持ち悪い」と思わず、「ありがたい」と思うわけである。

 稲田防衛相が「教育勅語」を誉め讃えているのはなぜだろうか。あるいは、そういう考えを持っていることが周知されている稲田氏を、安倍首相はなぜ政調会長や防衛大臣に起用するのか。自民党の憲法改正案はどういうものか。それは「天皇」を「元首」とし、「自衛隊」を「国防軍」とするものである。つまり、「天皇」のために「戦死」できる軍隊を構想しているわけである。

 親孝行とかの問題ではない。はっきり言えば大問題になるから言わないだけで、稲田防衛相は「教育勅語」が「戦死ノスヽメ」だから好きなんだろうと思う。戦後72年を迎えるけど、日本は(他の戦争に協力して死んだ人もいるけれど)戦死者は一人もいなかった。日本製の武器で死んだ人もいなかった。それは「誇るべきこと」なのか、それとも「恥ずかしいこと」なのか。多分安倍首相や稲田防衛相は、恥ずかしいことだと思っているのである。だから、「教育勅語」が好きなのだ。
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