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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

宮沢賢治の願いーてがみ座「風紋~青のはて2017~」

2017年11月15日 21時18分35秒 | 演劇
 長田育恵作、田中啓介演出、てがみ座公演「風紋~青のはて2017~」を見た。19日まで。赤坂レッドシアター。長田育恵(おさだ・いくえ)さんの作品は最近一番見ている気がする。今度、劇団民藝に書いた『「仕事クラブ」の女優たち』も12月に控えていて楽しみだ。井上ひさしと違って歌はないけど、日本の近代文化史を題材にした評伝劇というところに共感するのかもしれない。
 
 今回の「風紋~青のはて2017~」は宮沢賢治を扱っている。以前に「青のはて~銀河鉄道前奏曲~」(2012)という作品があったというけど、その時は知らなかった。今回の劇では、1933年7月時点が描かれている。宮沢賢治は1896年8月27日に生まれて、1933年9月21日に死んだ。37歳。つまり劇は死の2カ月前。そして、賢治が生まれた1896年(明治29年)には6月15日に「明治三陸地震」が起き、賢治が死んだ1933年(昭和8年)には3月3日に「昭和三陸地震」が起きた。

 もちろんたまたまなんだけど、鉱物と天文を愛した賢治の生涯は、郷土を襲った巨大地震に囲まれていた。劇の中でも津波で夫を亡くした女性が重要な役で出てくる。劇は遠野と釜石を結ぶ仙人峠の駅舎兼はたごで展開される。現在のJR釜石線は、当時仙人峠で寸断されていた。仙人峠までは「岩手軽便鉄道」(銀河鉄道のモデルとも言われる)、峠を越した大橋から釜石は「釜石鉱山鉄道」。仙人峠駅は標高560mで、887mの峠は客が歩いて登らなければならなかった。

 大雨が降ると客は足止めで、だから駅舎にはたごが付いている。そこにある大雨の日、訳あり気味のカップル、貧乏な若い女の子などに交じって、熱で倒れた客が運び込まれる。重たそうなトランクを開けてみると、「宮沢」の名前が。鉄道運転手だった夫を津波で失って、義父とはたごを切り回している「夏井アヤ」(石村みか)は、宮沢賢治(山田百次)を一生懸命看病する。賢治は熱にうなされながら、妹や友人など大事な人々と対話する。この賢治役の山田百次は、ほとんどが病気で苦しんでいながら、一方では若き日の理想を高らかにうたい上げる難役を見事にこなしている。

 10人ほどの人物が一つの場所でドラマを展開する。よく出来た劇をうまくこなしている。でも、やっぱり「宮沢賢治への思い入れ」の有無で、この劇の評価は変わってくると思う。賢治の「農民芸術概論要綱」にあるような「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい」とか「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」、さらに「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」なんていう言葉は、歴史上のほかのどんなマニフェストよりも僕の心を揺さぶった。

 今回のドラマにもこれらの言葉がいくつか出てくるけど、でも実際の賢治の生涯は何も実らずに終わりを迎えようとしていた。それでも賢治は病身を押して、津波で海水に浸かった畑にどのような肥料をほどこすか、釜石に住むかつての教え子のもとに向かおうとしていた。そんな賢治の姿は、まさに「グスコーブドリの伝記」を生きているかのようだ。宮沢賢治が求め続けた「まことの道」とは何だろうか。「3・11」の後に、宮沢賢治の「まことの道」は有効なのか。

 それでも、実生活では何も成し遂げられなかった彼の姿が今も心を打つ。多分永遠にそうだろうと思う。生きている間に「成功」を見なかったことが、むしろ賢治の生き方を輝かせている。僕らにとって大切なものとなっている。そういう生き方、「デクノボー」と言われても、大切なものを求め続けたことが。死を目前にした賢治は、もはや死者とも一緒に生きている。特に妹のトシが彼に語りかける。宮沢賢治が好きな人には見逃せない舞台じゃないかと思う。
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