日本の重大問題として「外国人の処遇」がある。刑務所と外国人の処遇水準にその国の人権レベルが現れるとよく言われる。どちらも社会の多数派には見えにくい問題という共通点がある。もっとも弱い人々が不当な扱いを受けるとき、やがてその「毒」が社会全体に回って行くのだ。
日本では「難民認定」が著しく少ない。法務省の発表によれば、2018年において「難民認定申請者数は10,493人で,前年に比べ9,136人(約47%)減少。また,審査請求数は9,021人で,前年に比べ491人(約6%)増加。・難民認定手続の結果,我が国での在留を認めた外国人は82人。その内訳は,難民と認定した外国人が42人,難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が40人。 」とホームページに出ている。
難民認定が退けられ、裁判に訴えても通らないことが多い。日本の裁判所も国際的人権感覚が乏しいのである。さらに珍しく裁判所が認定しても、法務省がさらに争うことが多い。そうして「入国者収容所」(東日本は茨城県牛久、西日本は長崎県大村にある)に収容されたまま、いつ出られるか判らない人が多数いる。そのため、現在入国者収容所で「ハンガーストライキ」で抗議する動きが起こっている。6月に大村で亡くなった40代のナイジェリア人男性は10月に「餓死」だったと発表された。国の施設内で「餓死」するという異常事態が起きているのだ。
(入管に抗議するプラカード)
実は入管での死亡者は初めてではない。むしろかなり起こっているというべきで、そのことは次に掲載しておく表に示されている。そして、一番問題なのは「問題として意識されない」ことだ。世論は「同情」ではなく、「自己責任」に傾きやすい。人手が足りずに外国人労働者を受け入れようとしている時代である。ラグビーのワールドカップでは、外国出身選手が日本代表で活躍して、その多様性が強みだなどと報道された。しかし、自国を逃れて日本に助けを求めた人々は排除されるのである。
(入管処遇中の死亡事案)
もちろん僕も申請者全員が母国で迫害された人だとは思ってない。中には経済的目的で来日してオーバーステイになった人もいるだろう。しかし、その場合でも日本でマジメに働いていて、日本に生活基盤が出来た人の場合は、日本在留を認めたとして何か問題があるのだろうか。何も国籍を与えるわけじゃない。在留資格を認めるだけである。日本は今後5年間に最大34万人の外国人労働者を受け入れるんだという。その政策と難民認定の状況は矛盾するとしか思えない。
現在の入管の処遇状態は人道上の大問題である。今まで書いて来なかったけれど、僕もあらゆる問題について詳しいわけじゃない。世界中のすべての問題を書こうと思ってるわけでもない。そして、それ以上に大問題なのは、この「人道危機」を意識し提起するマスコミや野党勢力がほとんど不在だということだ。「恩赦」に関しても、刑事問題にばかり議論が集中して、「入管の長期収容者に特別に在留許可をするべきではないか」といった議論は多分誰もしてないと思う。
近年では「恩赦」というとき、国際的には「不法滞在者に在留許可を与える」ことに使うことの方が多いと思う。この時の「恩赦」は、日本の法律用語としては「大赦」である。英語で言えば"amnesty”。「アムネスティ」と言えば、国際的人権団体である「アムネスティ・インターナショナル」を思い浮かべる人も多いだろう。アムネスティは何かの略語かと思ってたかもしれないが、あえて日本語にすれば「国際恩赦協会」とでも言うべきか。もともと1960年代末に「政治犯」(良心の囚人)の釈放を国際的に求める組織として設立された。その元々の意味としての、アムネスティを入管収容者に求めたいのである。
これは何も「即位礼」とは関連しない。日本国憲法の人権精神を生かすために、毎年の憲法記念日に特別許可を出すことが定例化するのが一番良い。だけど、「天皇即位記念」の一回切りの人道措置だとしても、是非やって欲しいと思うものだ。そのぐらい緊急性が高いと思う。
日本では「難民認定」が著しく少ない。法務省の発表によれば、2018年において「難民認定申請者数は10,493人で,前年に比べ9,136人(約47%)減少。また,審査請求数は9,021人で,前年に比べ491人(約6%)増加。・難民認定手続の結果,我が国での在留を認めた外国人は82人。その内訳は,難民と認定した外国人が42人,難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が40人。 」とホームページに出ている。
難民認定が退けられ、裁判に訴えても通らないことが多い。日本の裁判所も国際的人権感覚が乏しいのである。さらに珍しく裁判所が認定しても、法務省がさらに争うことが多い。そうして「入国者収容所」(東日本は茨城県牛久、西日本は長崎県大村にある)に収容されたまま、いつ出られるか判らない人が多数いる。そのため、現在入国者収容所で「ハンガーストライキ」で抗議する動きが起こっている。6月に大村で亡くなった40代のナイジェリア人男性は10月に「餓死」だったと発表された。国の施設内で「餓死」するという異常事態が起きているのだ。
(入管に抗議するプラカード)
実は入管での死亡者は初めてではない。むしろかなり起こっているというべきで、そのことは次に掲載しておく表に示されている。そして、一番問題なのは「問題として意識されない」ことだ。世論は「同情」ではなく、「自己責任」に傾きやすい。人手が足りずに外国人労働者を受け入れようとしている時代である。ラグビーのワールドカップでは、外国出身選手が日本代表で活躍して、その多様性が強みだなどと報道された。しかし、自国を逃れて日本に助けを求めた人々は排除されるのである。
(入管処遇中の死亡事案)
もちろん僕も申請者全員が母国で迫害された人だとは思ってない。中には経済的目的で来日してオーバーステイになった人もいるだろう。しかし、その場合でも日本でマジメに働いていて、日本に生活基盤が出来た人の場合は、日本在留を認めたとして何か問題があるのだろうか。何も国籍を与えるわけじゃない。在留資格を認めるだけである。日本は今後5年間に最大34万人の外国人労働者を受け入れるんだという。その政策と難民認定の状況は矛盾するとしか思えない。
現在の入管の処遇状態は人道上の大問題である。今まで書いて来なかったけれど、僕もあらゆる問題について詳しいわけじゃない。世界中のすべての問題を書こうと思ってるわけでもない。そして、それ以上に大問題なのは、この「人道危機」を意識し提起するマスコミや野党勢力がほとんど不在だということだ。「恩赦」に関しても、刑事問題にばかり議論が集中して、「入管の長期収容者に特別に在留許可をするべきではないか」といった議論は多分誰もしてないと思う。
近年では「恩赦」というとき、国際的には「不法滞在者に在留許可を与える」ことに使うことの方が多いと思う。この時の「恩赦」は、日本の法律用語としては「大赦」である。英語で言えば"amnesty”。「アムネスティ」と言えば、国際的人権団体である「アムネスティ・インターナショナル」を思い浮かべる人も多いだろう。アムネスティは何かの略語かと思ってたかもしれないが、あえて日本語にすれば「国際恩赦協会」とでも言うべきか。もともと1960年代末に「政治犯」(良心の囚人)の釈放を国際的に求める組織として設立された。その元々の意味としての、アムネスティを入管収容者に求めたいのである。
これは何も「即位礼」とは関連しない。日本国憲法の人権精神を生かすために、毎年の憲法記念日に特別許可を出すことが定例化するのが一番良い。だけど、「天皇即位記念」の一回切りの人道措置だとしても、是非やって欲しいと思うものだ。そのぐらい緊急性が高いと思う。