尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」

2018年08月14日 20時51分35秒 |  〃  (新作外国映画)
 世界的に大ヒットしたヴィム・ヴェンダースの音楽ドキュメンタリー映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999)以来、早くも20年近くが経った。その映画はアメリカのミュージシャン、ライ・クーダーがキューバで出会った老ミュージシャンたちと演奏したバンド「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の活動を追ったものである。もともと1997年にCDアルバムが大評判となりワールドツァーも行われた。しかし、その時のメンバーも寄る年波には勝てない。今度の「アディオス」は昔の貴重な映像も使って、もはや二度と現実には聴くことのできない彼らの音楽を永遠に残すものだ。

 今度の映画は、前の映画あるいは音楽に関心がないと十分には楽しめないとは思う。でも逆に「ブエナ・ビスタ」ファンには何ともありがたい貴重な映画だ。僕も20世紀末には相当にはまった方である。「キューバの歌姫」オマーラ・ポルトゥオンドが来日した時に聞きに行ったぐらいだ。もともとはキューバ音楽のことなど何も知らず、ヴェンダースの映画だから見とくか程度の気持ちだった。けっこうのんびりしてるし、まあこんなものか程度の感想だったんだけど、同行の妻が良かったと言ってCDを買ってきた。家でずっと聞いてたらはまってしまった。

 キューバ革命(1959)直前のキューバはバティスタ政権の独裁下にあった。アメリカ資本と結託し、多くの歓楽施設が作られた50年代こそ「キューバ音楽の全盛期」だという。しかしミュージシャンたちの多くは貧しい黒人やハーフで、差別にも苦しんできた。今回の映画の中でオマーラはポツンと言う。何で世界中でこんなに受けるんだろう黒人奴隷の苦しみから生まれたものなのに。今回の映画を見ると、前の映画以上にキューバ音楽の苦難の歴史が心に刻まれる。

 キューバは60年代は「革命の聖地」だったけど、やがて「現代から取り残された秘境」めいた場所になっていた。そんなキューバでライ・クーダーが見出したのは、音楽から長年遠ざかっていた高齢ミュージシャンたちの素晴らしさだった。コンパイ・セグンド(1907~2003)はバンド参加時点ですでに90歳。ずっと葉巻を吸い続け、ある時は葉巻職人として生きてきた。それでも素晴らしい歌声を披露して聴くものを驚かせた。あるいはイブライム・フェレール(1927~2005)は昔はソロを任せられず音楽から遠ざかったのに、その素晴らしい歌声は変わらなかった。このバンドに参加して、初めてソロとして歌って世界的な人気者になった。
 (オマーラとイブライム)
 オマーラ・ポルトゥオンド(1930~)は例外的にずっと活躍してきたが、かつては女性4人組に姉とともに参加していた。当時の映像が映画に出てくるが、ソロではなかった。革命後、姉は子どもたちをフロリダに逃がそうとして、結局自分も付いていくことになった。一人になったオマーラはソロで活動するしかなくなった。もともと黒人男性と白人女性の間に生まれ、多くの苦労をしてきた。そんなオマーラたちが招かれてホワイトハウスで公演することになった。オマーラと同じハーフであるオバマ大統領の新キューバ政策によって実現したのだ。

 そのようにアメリカとキューバの関係は前回の映画から大きく変化した。しかし、その間に多くのメンバーが亡くなった。オマーラは今もなお活躍しているが、もう87歳である。そう考えると、世紀末に始まった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」というプロジェクトもこれでオシマイか。(なおクラブ名は、戦前に大人気だった黒人専用のダンスクラブから取られている。)そう思いながら見るせいか、至福の時間を過ごした。今回はヴィム・ヴェンダースは製作総指揮に回り、監督はドキュメンタリー作家のルーシー・ウォーカー(「ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡」でアカデミー賞ノミネート)が務めた。キューバの風景や街並みも懐かしい。なぜか懐かしい彼らの音楽にふさわしい。
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